「野の花」

2024年1月発行 第37号 

(本文)

はじめに

 

ホームページとアオスジアゲハ

H.H.(徳島)

苦難から与えられた信仰

F.F.(徳島)

めぐみふかき、主のほか

F.S.(徳島)

アモス書に学ぶ

F>S.(鹿児島)

ヨベルの年を待つ

H.M.(神奈川)

聖句

H.Y.(熊本)

聖句

M.T.(徳島)

絶えず祈りなさい

M.K.(愛媛)

聖句

M.K.(徳島)

イエス様はどんな方だったか

M.T.(沖縄)

俳句

M.K.(東京)

主われを愛す

Y.K.(徳島)

新聖歌256番に願う事

Y.T.(徳島)

代々木公園通路チャペルでのこと

A.S.(神奈川)

日常のなかで

A.M.(徳島)

天つ真清水 新聖歌433

I.M.(徳島)

この一年半を振り返って

I.J.(埼玉)

目を覚ましていなさい

I.M.(徳島)

キリスト教での永遠の命について

I.Y.(徳島)

お祈り

U.N.(徳島)

感謝

O.E.(北海道)

喜こんで歳を取りたい

O.M.(北海道)

病気になったら

O.E.(徳島)

みことば「主の平和」 

K.K.(徳島)

聖句

K.I.(東京)

CD「主の平和」より

K.H.(徳島)

「イスラエルの戦争」 

K.S.(福岡)

破れ口に立つ LYRE(リラ)

K.M.(東京)

祈り

K.T.(埼玉)

苦しみを通して

K.R.(沖縄)

CD「主の平和」を聴いて

K.Y.(千葉)

弱さの中に働いて下さる神様

K.N.(福岡)

み言葉

S.Y.(徳島)

慈しみ深き友なるイエス様

S.K.(東京)

今年、集会に参加して感じること

S.K.(徳島)

みことば

S.M.(徳島)

二種類の悲しみ

S.H.(徳島)

『ガリラヤのイエシュー』より 

T.K>(北海道)

聖書通読(5) 

T.H.(岡山)

「日々いただく御言心に刻みけり 神の居ますを悟らされゆく」

T.Y.(京都)

「谷川の流れを慕う鹿のように」 

T.K.(宮城)

終末の心構え

T.Y.(千葉)

マザーテレサのことばより

T.T.(徳島)

ヨハネ福音書

Y.H.(青森)

「私は弱いときにこそ強い」 

T,S,(千葉)

野の花を見よ

T.Y.(徳島)

親の祈り

T.M.(千葉)

ひとりとして滅びることなく

     永遠のいのちを

T.J.(徳島)

祈りと音楽の共同体、聖グレゴリオの家で与えられた恵み 

T.M.(千葉)

「神の民」の賛美

T.E.(徳島)

主に感謝

T.K.(徳島)

タ゛ンテ『神曲』に学ふ゛

T.K.(福島)

新生讃美歌570番

T.M.(徳島)

人を新しくする道

T.Y.(徳島)

新しい集会

N.N.(東京)

解決をもたらすもの

N.Y.(大阪)

「主からの言葉」

N.M.(東京)

「いのちのきずなの」

N.K.(大阪)

「眞珠の歌」より心に残った短歌

N.Y.(北海道)

「お前は土の器だ」と教えられて

N.M.(静岡)

ダビデの方向転換

N.M.(北海道)

神様に感謝

K.R.(東京)

私の好きな讃美歌

Y.K.(徳島)

私が受けた召命

A.Y.(大阪)

安崎さん父子のこと

Y.T. (徳島)

十字架の赦しの福音 (2005年

T.T.(沖縄

再出発へと変えられた私(2005年)

O.M.(北海道)

秋思  (1977年)

Y.E.(徳島)

あとがき

 


 はじめに

 

  天の国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。(マタイ福音書1344

 

 この世には、さまざまのものが宝とみなされています。。 まず命、そして健康、家族、友人、お金、車、名声、権力、芸術やスポーツなどの才能…。

 主は、そうしたものにはるかにまさる宝があるというのです。

 それは隠されているので、大多数の人々は気付かない。しかし、それを見いだすときその真価がわかるので、この世のいろいろな宝をおいて、その宝を得ようとします。

 そのような宝のことは、新聞やテレビ、ネットの話題などにはほとんど現れないのです。

 しかし、隠されたものは現れないことはない、というイエスの言葉のとおり、神様は、数千年の歴史をとおして、いろいろな人々に、その宝を示してきました。そしてそれを見いだしたひとは、その宝のために生きるようになります。

 その宝とは神(キリスト)であり、福音でありーそしてそこから生じる信仰・希望・愛…等々の目にみえないものです。

 この「野の花」に記されたさまざまの文は、そうした宝を見いだした人の魂の足跡の一部です。

 そのような宝がキリストから二千年後の私たちにも隠されたところから明らかにされて与えられたのです。

 どんなに戦争や飢饉、あるいは災害や迫害があっても、その宝は壊れてしまったり消えたりはしなかった。消滅したと思ったら思いがけないところでまたその宝を見いだす人達が現れてきたのです。

 健康や家族、平和な生活を破壊されてきた多くの人達、それは戦争によってわずかの期間におびただしく生じてきます。

 また、平和に見える世界にあっても、目に見えないところで苦しみ歎き、孤独にあえぐ人達も無数にいます。

 そうした人達が、どうか 隠されている宝を見いだし、主にある平安(平和)を見いだすことができますように、またすでに信仰を与えられた方々においても、この「野の花」によって、そうした宝を新たに見いだすことにつながりますようにと願っています。

 


 

ホームページとアオスジアゲハ 

                         H.H

 私の持病は1989年に診断がついたとき、徳島大学病院の消化器内科の先生から「この病気の、診断がはっきりついたのは、あなたがはじめて。」とお聞きしました。そして1997年に入院した時には、(「蛋白漏出性胃腸症」の原因が「リンパ管拡張症による」という患者は少数なので)「一般の医学書やネットで調べても、あまり載っていないから、僕が大学図書館で集めた資料のコピーを渡しておくね。」と言って、消化器内科の担当医師がコピーをくださり、診察の合い間に説明してくださいました。25歳の担当医師と28歳の患者。年齢も近く、話しやすかったのかもしれません。5ヶ月の入院期間は長かったですが、私自身、蛋白漏出性胃腸症とはどんな病気か、ということが、この入院時の説明ですこし分かった気がします。食事指導もじっくり受けることができ、「笑って、免疫力あげてくださいね」と、そのとき、栄養士の先生が助言してくださいました。

 蛋白、アルブミン、免疫グロブリンの漏出。胸水貯留、リンパ浮腫、下痢などの症状。アルブミン点滴、食事療法、ポート埋め込みなどの治療。……いろんなことがこの病気につながっています。おなじような症状で悩まれている方が、受診や治療のきっかけ、医師へ質問するときのヒントになればと思い、2023年5月、ホームページを作りました。

 

【晴れやか心toわらい顔 https://kasaros.com HN葉瑠☆友幸】

『持病の歴史』『持病の説明』…徳島大学病院の消化器内科、近くのかかりつけ医の先生にもホームページのアドレスをお伝えして、病気や治療、検査の説明で分からないところは質問します。丁寧に教えていただいています。

『現在』…治療や採血結果などです。

『食事療法』…おなじ病気でも、食事内容は人それぞれですが、スマートフォンで撮影して、写真をアップしています。

『いやしのとき』…自分で撮影した写真に、聖句を添えてアップしています。このページがいちばん多く更新できるようにしていきたいです。

 

 【お好み焼 さち https://okonomiyaki-sachi.kasaros.com

 サブドメインという機能を使い、もうひとつ、近所のお好み焼き店のホームページも作らせていただきました。そこの店主の方は、私の母方の祖母が鏡台に杢張りをして働いていたときの雇い主の親族の方です。杢張りとは、接着剤を塗った板に木目となる木を0.2ミリ程度に薄くスライスしたもの(杢・もく)をアイロンで張り付け、美しい木目を表現する技術です。祖母の働いているところへ時々お邪魔したとき、作業中に指に刺さったトゲをピンセットで抜いていたことを思い出します。

 お好み焼き店は創業40年、祖母も母も生前、よく利用していて、長い付き合いなので、家族の思い出話などを聞いてくれます。 この二つのホームページを公開した日、散歩中に「アオスジアゲハ」に出会いました。家の近くの港公園という、徳島県庁の川向かいの公園を歩いていると、ひらひらと飛んできて、シャリンバイの花に留まりました。ホームページの完成を祝福してくれているみたいで、すごく嬉しさがこみあげました。

 病気を持っていると、症状の強い時はどうしても心が落ち着かず、曇り空や大雨、暴風が吹き荒れる日のようになり、さらに栄養が逃げます。[わらい顔] でいるために、青空のようにきよい [晴れやか心] で過ごせるように、という2つの思いを込めた名前にしました。マタイ5章8節「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」の「きよい、純粋な」という意味のギリシャ語〝カサロス〟からアドレスを付けました。

 現在、右側の胸水はすこし増え600mlぐらい、ステロイドホルモン剤の内服薬は5mgで現状維持。ことし1月に中心静脈ポートを入れ替えた左ひじ下の浮腫が続いています。過敏性腸症候群(下痢型)の症状が続いています。

 そのような毎日ですが、写真を撮影するために、空の飛行機雲や野草の花々、川にいるカニなどに目を向けることができ、すこし散歩をしようかという気持ちになります。免疫の関係で自分で花の手入れなどができないので、野草やほかのお宅の花を見て、癒されています。ファイル名を付けるたびに、グーグルレンズというアプリで、野草の名前を検索するのも楽しみです。これからもパソコンが神様の恵みを伝えるために、いろいろ用いられますように。

 礼拝や家庭集会にはオンライン参加が守られ、感謝です。御言葉を聞き、新しい霊の糧をいただいています。2023年はこんな一年でした。  (無職)

   徳島市福島

 


 

  苦難から与えられた信仰 

                        F.F

 私は一九五七年(昭和三二年)二十四歳の四月に徳島大学付属病院で肺結核と診断、即、入院手術と言われましたが、私は、近くにある徳島療養所(昭和十二年設立の軍人の肺結核療養所)に入り手術、失敗、苦難があたえられました。

 この苦難の時にイエス・キリスト様の救いの。お恵みをいただきました。

 今から思えばイエス様の救いのお恵みをいただくために療養所での苦難の時が与えられたのだと感謝しています。

 当時の療養所では同室に京極さん(無教会)がおいでになり外部からは杣友さん(徳島聖書キリスト集会代表)や服部先生(無教会)、石黒先生(徳島大学工学部教授)がおいでになり、療養所内で、よく集会がもたれていたことを、聞いています。

 私は担当の医者から再手術として整形手術をするといわれましたが、この手術は肋骨を七本から八本取るので肺活量は一三〇〇CC位になりますので、私は徳島大学附属病院に肺切手術ができるか診察してもらいました。結果はできることになりました。この肺切手術は肺の病斑部を中心に手術をするので肋骨を除去するようなものでないので体の負担は少ないのです。

 肺切手術は当時の第二外科、高橋教授にしていただき順調に回復させていただきました。当時の大学付属病院は短期の入院患者が多いので宗教関係の集会はなかったように思います。

 私は、結核療養所に入ったのはイエスさまの救いの、お恵みをいただくための神様のお導きであったと感謝しています。

 神様は私の弱い体を守り導いていただき九〇歳の長寿のお恵みいただき感謝でいっぱいです。七年前に御許に召された妻・美代子をめざして、これからは復活の信仰に導かれて歩んでいきたいと思います。

徳島県

 


 

めぐみふかき、主のほか 讃美歌525番 

       ニー・ホークス作詞      F.S.

1めぐみふかき 主のほか、

 たれかわれを なぐさめん。

 (くりかえし)

 わが主、わが神、恵みたまえ、

 ただ頼りゆく わが身を。

2わが主ともに いまさば、

 あくまわれを いかにせん。

 3 きよきみむね おしえて、

 はたしたまえ みちかい。

 4 とうとき主よ、われをば

 きみのものと したまえ。

 

、この讃美によって心から恵まれているのを感じます。

私も毎日、歌っています。

 


 

 アモス書に学ぶ 

                   F.S.

 隔月開催の祈りの友会で現在「アモス書」を学び、後数回で終わる予定です。今も心に響く聖句とそれでどのような事を感じ考えさせられたかを記します。紀元前8世紀の世の人に臨んだ神の御言は、時間空間を超えて真理である事を痛感します。以下、口語訳。

 1章「彼(註:アモス)は言った、『主はシオンからほえ、エルサレムから声を出される。牧者の牧場は嘆き、カルメルの頂は枯れる』。」(2節)

 悪(人間の罪とが)を決して赦さない主なる神の権威に襟を正されます。

 2章「主はこう言われる、『ユダの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない。これは彼らが主の律法を捨て、その定めを守らず、その先祖たちが従い歩いた偽りの物に惑わされたからである。それゆえ、わたしはユダに火を送り、エルサレムのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす』。」(4~5節)

→ユダ、イスラエルのみならず世界のすべての国々に対し、神の恵みは御心(戒め)に背くなら遂には取り上げられる。背教は偶像崇拝、物質至上・人間中心の生き方と直結していることが刻印される。

 3章「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った。それゆえ、わたしはあなたがたのもろもろの罪のため、あなたがたを罰する。」(2節)

→選びはひとえに万物の創造者にして支配者である主の神による。神の義と愛により頼まず、それをないがしろにして人間中心に歩む者は、必ず罪に陥る故、すべて罰せられる。

 4章「それゆえイスラエルよ、わたしはこのようにあなたに行う。わたしはこれを行うゆえ、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」。(12節)

 その日その時が来ないなどと高をくくるな。約束通り、審きは必ず行われる。預言を通して熱く語られる主の神の愛を感じる。「イスラエル」は、今や全キリスト者、全人類であると考える。聖書の使信―福音―はもはや遍く知らされているから。しかしやはり、特にキリスト者に神の前に出る備えがあるか、と問われているように感じる。

 5章「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のようにヨセフの家に落ち下られる。火はこれを焼くが、ベテルのためにこれを消す者はひとりもない。」(6節)…「悪を憎み、善を愛し、門で公義を立てよ。万軍の神、主は、あるいはヨセフの残りの者をあわれまれるであろう。」(15節)…「わたしはあなたがたの祭を憎み、かつ卑しめる。わたしはまた、あなたがたの聖会を喜ばない。」(21節)…「公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ。」(24節)

 滅ぼすのが目的でない神様の深い愛が溢れている。しかし、われらの神の審判は徹底的である。信仰と生活が「真に」神の喜ばれるものになっているかどうか、わたしたちは常に問われている。「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ」―滅びを免れる唯一の正しい道が明示されていて救われる。

 7章「アモスはアマジヤに答えた、『わたしは預言者でもなく、また預言者の子でもない。』…「ところが主は群れに従っている所からわたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と、主はわたしに言われた。」(14~15節)

 アモスはただ全能全智、主の神によって立ち、それで必要十分と泰然たる姿勢。主にある私たちもこの確信と喜びを持ちたい。

 8章「わが民イスラエルの終わりがきた。わたしは再び彼らを見過ごしにしない。」(2節)…「主な る神は言われる、『見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。』」(11節)

 人間にとり「生命のパン」が何であるか、は苦難の中で知らされる。「主の言葉を聞くこと」「主とともにあること」は「富や肉欲の満足」とは両立しない事は、歴史に明らか。イエスさまの言葉の真実を思う。「苦難の中でも主により頼む信仰」を求められますようにと祈り進みたい。

 9章「わたしは祭壇のかたわらに立っておられる主を見た。主は言われた、『柱の頭を打って、敷居を震わせ、これを打ち砕いて、すべての民の頭の上に落ちかからせよ。その残った者を、わたしはつるぎで殺し、そのひとりも逃げおおす者はなく、のがれうる者はない。…』」(1節)…「『イスラエルの子らよ、あなたがたはわたしにとってエチオピヤびとのようではないか。わたしはイスラエルをエジプトの国から、ペリシテびとをカフトル(註:クレテ)から、スリヤびとをキルから導き上ったではないか。 見よ、主なる神の目はこの罪を犯した国の上に注がれている。わたしはこれを地のおもてから断ち滅ぼす。しかし、わたしはヤコブの家をことごとくは滅ぼさない』と主は言われる。」(7~8節)

 主なる神はすべての国民を平等に、それぞれに愛し導いておられる。但し、国が倒れるか否かは信仰者のあり方にかかっている。ああ、真にこの神を信じ御心を求め従って行く勇気を与えられますように。

   鹿児島県p

 


 

「ヨベルの年を待つ」 

                        H.M.

 「五十年目の年を聖別し、その地のすべての住民に解放を宣言しなさい。それはあなた方のためのヨベルの年である」

                    レビ記25の10

 

 2003年10月の日本YMCA同盟結成百周年記念式典に参加したミャンマー代表団の団長は、ミャンマーYMCA同盟の副理事長でカレン族のソーアウディン氏であった。関内の上海酒家で開催した歓迎晩餐会で、彼はその年にミャンマー首相になったキンニョン将軍が元彼の部下であった事、新首相はミャンマーの民主化を進めるであろう事、さらに永く確執が続いているビルマ族とカレン族との和解を達成するであろう事などを期待を込めて語った。

 1962年ネウィン将軍による独立後第一回のクーデターでカレン族をはじめとする少数部族は政府機関と国軍から追放されビルマ族の専制が始まった。ソーアウディン氏はカレン族のクリスチャンで国軍の大佐であったが、この時(同僚のボーミャ大佐と共に)軍籍を剥奪され、以後ミャンマーの民主化と多部族共生国家の回復を祈りつつYMCAの指導者として次代を担う青少年育成に邁進した。(ボーミャ大佐はタイ国境のアジトに隠れ、以後反政府活動を続けた)

 キンニョン将軍は首相就任早々、民主化への七段階ロードマップを発表して世界を驚かせた。翌2004年夏、キンニョン首相は永く反政府活動を指導してきたカレン族のボーミャ大佐をヤンゴンに招き和解会談を行った。キンニョン首相は2004年秋失脚したが、彼の第一秘書であったティンセインが後に首相となり、キンニョンの志を継いで2011年に民主化を達成した。1962年のクーデター(ソーアウディン大佐の馘首)から四十九年後の事であった。

 

 カレン族のメルビン牧師の父上と御祖父上(ネピドーYMCAのソージャクソン総主事の祖父と曾祖父)が日本軍の兵士に惨殺されたのは1943年のことと思われる。メルビン氏は、部族差別のため一般の大学に進学できず神学校に入り聖書を学んだ。ロマ12の19の聖句に出会い対日復讐を断念し、日本との和解を祈ってアジア学院に学んだ。彼が広瀬誠医師を団長とする横浜YMCAミャンマーモバイルクリニックを受け入れたのは1992年。かの惨劇から四十九年後のことであった。

 

 東京大空襲で戦災孤児となった私は幼な心にアメリカへの復讐を誓った。世界一高いと言われたニューヨークのエンパイヤステートビルに、ゼロ戦で神風特攻するアイディアを、独力で練りあげた。この計画を中国から復員して孤児であった私を引き取ってくれた旧陸軍大佐の叔父に打ち明けた。彼は私の復讐計画を絶賛し支援を約束してくれた。「男の約束」であった。私は計画実現のため進学した大学でYMCA寮に入り、ロマ12の19の聖句に出会って復讐計画を放棄した。叔父は私の約束放棄を咎めもせず私を養子にして1981年他界した。叔父の二十回目の命日の十五分前に、あの同時多発テロが起こった。私の特攻計画そのままであった。「男の約束」から丁度五十年目であった。

 

 毎週金曜日の晩にバプテストの牧師先生が中心となってAtutu(アトゥトゥ「一緒に」の意味のビルマ語)という祈祷会をZOOMで続けている。2021年2月のクーデター勃発の週から始めて去る10月13日で百四十回になった。クーデターが終わるまで毎週続ける約束だが、少しマンネリ化して参加者も百名以下に減り始めた。

「いつクーデターが終焉し、民主化が復興するか」が毎回の話題である。一日も早い終焉を皆願っている。しかし神様の正義の歯車はゆっくり廻る。私はソーアウディン大佐やメルビン牧師にならって五十年間祈り続ける覚悟が必要であると思う。

 ヨベルの解放の年を待ち続け、祈り続けた地の民の様に。 (技術士事務所所長)

 

       神奈川県

 

 


聖句 

                      H.Y.

「いかに幸いなことでしょう

 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」

 

       (詩編32編1節 ダビデの詩。マスキール)

    熊本市東

 


聖句 

                       M.T.

「主は与え、主は奪う」(ヨブ記1の21)

 

私を支えたみことば。失ったことを後悔し、できなくなってきたことを責められ辛く思うごとに、主に与えて頂いたことを主にお返ししたんだなあと思います。主が私の命を奪われるときが喜びの時となりますように。            (徳島県)

 

 


絶えず祈りなさい 

                      M.K.

 主人が亡くなって もうすぐ一年になります。日曜日にスカイプで徳島聖書キリスト集会の礼拝を頂いています。み言葉を頂き、讃美歌を歌い、集会に集まった皆様の大きなお祈りの中で、私も神様にお祈りを捧げています。この恵みを感謝申し上げます。また「祈りの友」と言って下さり 沢山の癒しと 真実なお祈りを下さる 信仰の友も頂きました。神様ありがとうございます。

 今週の主日礼拝で、「聖霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、真実、柔和、節制です。」(ガラテア5の22~23)この聖句に出てくる「寛容」の原語はペイシェンスで、正しくは「忍耐、苦しみに耐える力」と 吉村先生から教えて頂きました。「苦しみ」の周りを 愛、喜び、平和、親切、真実、柔和が とり囲んでいる事に気付きました。私も苦しい時に 同時にこの御言葉に満ちたお祈りで包んで頂いていた事を思いました。私も聖霊の結ぶ実に少しでも近づいて行けますように お祈りします。

 「絶えず祈りなさい」(テサロニケ1の5~17)

        松山市

 


聖句

                      M.K.

 

「神は愛なり」           第一ヨハネ四章十六節

 


 

イエス様はどんな方だったか 

                     M.T.

    もうしばらく、ニュース番組を見ていない。イスラエルのあのニュースを見てからだ。とにかく心が重くなる。ニュース番組の偏った解説を見るのも嫌だからだ。

現地の何の罪もない人達を思うとどうしようもなく、たまらない気持ちになる。

 「どうしてですか?神さま。世界に平和をもたらしてください。今すぐに」が、最近の祈りのテーマだ。

 「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

           (マタイ福音書5の9~10より)

 この聖書箇所を読むと静かな語りかけが聞こえてくるようだ。

私にできることは祈ること。今、周りにいる人と平和にすごす者であれ。という語りかけだ。

 また10節の記述も慰めを与えてくれる。神さまが全て知っているから大丈夫、という気持ちになる。

 こんな時イエス様ならどうするだろうか?と考えてみた。

心配性な私の弱点を知るイエス様なら共に祈るよう促され、きっとこう言うだろう。 「空の鳥を見、野の花を見よ」 と。

                        沖縄県

 

 


俳句

M.K.

 

神なくば われ戦場の 断崖に

荘厳な 夜明けの風よ 宇宙に葉

鵯の仔も 枝にさしたる 蜜柑に待たる

祈られぬ 日の続きをり 鉄線の蔓

秋いっぱい 柿の甘さで 日を満たし

我の持つ 罪なり今 戦争のなか          (東京)

 


 

  主われを愛す 

                       Y.K.

 今年も主日礼拝にスカイプで参加させていただいています。

 お世話いただいている数度勝茂さん、貝出久美子さん、林さんに感謝いたします。

 礼拝の時の讃美歌は、いつもいっしょに歌える時は声に出して歌っています。

 新聖歌の中の505番「主われを愛す」は、歌っていると気持ちもすっきりとします。

 

  「主われを愛す 主は強ければ

   われ弱くとも 恐れはあらじ

   わが主イエス わが主イエス

   わが主イエス われを愛す」

      いつも祈っていきたいです        (徳島)

 

 


 

 聖句とイラスト                            Y.Y.

 

サタンが来たら

イエスの御腕に  飛び込め!

 

 

   「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」    (ローマ5の20

 

 

 

 

 

 

 


「御翼のもとに」(新聖歌256番)に願う事 

                       Y.T.

 イエス様は 父なる天の神様との約束を信じ 罪深き私達人間を救う 為に 御身を捧げられました。主イエス・キリスト様を崇め信じる事で罪赦され 私達の明日が有ります。

 「平和と愛で心ひとつに」 賛美歌にも有ります。    

罪びとゆるす 恵みがある

あなたの光 あなたの愛

平和と愛で 心ひとつに    (世界のさんび31番1節)

 

 互いに、 思い思われ、 労りあって生きる。 そこには争いはありません。

 テレビのニュースを見ていました。イスラエルのガザ地区への攻撃によって 破壊された瓦礫の中で呆然と立つ人々を見ました。未熟児の新生児の保育器を前にした医師が もう少しで電気が止まる。 そうすれば この新生児達の生命維持が出来なくなります と。私は泣きそうになりました。戦乱の中 抗う術を持たない 年老いた者 幼子を抱きしめた母親 産まれたばかりの命、テレビを消して 目を閉じている時、新聖歌256番が心の中にわいてきました。

 ロシアとウクライナ そしてイスラエルのガザ地区への攻撃も 武器による争いは 解決の道にはならない事を 神様教えてあげて下さい。和平への道をお示し下さい そしてどうぞ  イエス様の貴き大きな御翼を広げて 弱き者を覆い隠して下さい お守り下さいと祈りました。主イエス・キリストの御名により感謝してお祈り致します。

                     アーメン

  「御翼のもとに」(新聖歌256番)

1御翼われを覆えば 嵐猛(たけ)る闇夜も

 イエスに頼り安きあり われは神の子なれば

 わが主の愛より離すものなし

 御翼に守られ永遠に安けし

 

2御翼われにとりては 悩む時の隠れ家

 癒す者のなき時も そこにわれは安ろう

 

3命の絶ゆる時まで 御翼の陰に寄らん

 イエスにありてわれ安し 損うものなければ

み翼のかげに   イラスト米田武子

あなたは必ずわたしを助けてくださいます。

あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。( 詩編63:8

 


 

代々木公園通路チャペルでのこと 

                        A.S.

 代々木公園通路チャペルに毎週参加するようになって、3年半くらいが経ちます。プログラムは、①挨拶、②賛美、③聖書のメッセージ、④スモールグループ、⑤その後に希望者に食料、飲料の配布を行っています。

 いまの自分の役割は、賛美のためのマイクや譜面台、スピーカーなどの準備、また当日の賛美の歌詞カードを作って配ったりしています。歌詞カードには、賛美歌の歌詞を解説する伝道的なメッセージを書いてお渡しするようにしています。

 午前7時30分から始まり、ぼくが会場につくのが、午前6時40分くらいです、そのころには、もうたくさんの人が来ています。

 自分一人の力では、できることが限られていますが、みんなで協力することにより、飲食物を配ったり、スモールグループで、対話したり、色々と充実するのがすばらしいと思っています。

 ホームレスの方や、生活困窮者の方も参加されています。

7時30分~8時30分がプログラムの時間ですが、その後も残って、一緒に朝食をとるようにしています。場合によっては、賛美をしたりしています。

 海外からの奉仕者や、色々な教会の方が、奉仕にきて成立しています。そのおかげで、色々な友人を与えられていることを心から感謝しています。

 ウクレレやギターを楽器として練習していますが、それをするための音感を成長させるソルフェージュというのも継続してやっています。音感が成長することで、楽譜を覚えやすくなったりします。いつかは、他の人にも、教えられるようにと思って、練習を続けています。

 法の改正が進んで、野外生活者の数自体は減っていると聞きます。しかし、貧困ビジネスなど、新しい問題も起きているようです。これは、法による限界、法がよくても人々の心がよくならないと、根本的に問題は解決しないことの良い例になっていると思います。人々の心をよくするのが聖書の福音であると思います。

また、それを伝えるのが自分の役割と自覚をもっています。

 NHKの心の時代で、大阪の西成区で、教会をしている西田好子牧師先生が10月29日に取り上げられました。録音も自分はできました。西田先生の教会には、ホームレスだった方など、様々なバックグラウンドを持った方がおられます。僕も大阪に出張に行ったときに一泊しています。関心がある方は僕に連絡を下さい。

電話090-1025-8108   E-mail:asa12361236@gmail.com

                                  (神奈川県横浜市)

 


日常のなかで 

                       A.M.

 息子が神さまの元に旅立って一年を迎えようとしています。今は写真のなかで穏やかに微笑んでいる息子に、取り留めもない話しをする穏やかな日常に感謝しています。

 マルコによる福音書16章7節に、復活されたイエスさまは、ガリラヤへ行かれるとあります。「ガリラヤはイエスが弟子たちと出会い、共に生きた日常の場所であり、だからこそガリラヤにいけばイエスに会えるであろうと。同じように、愛する人とどこで再会できるのか、それはそれぞれの人にとってのガリラヤ、つまり共に生きた日常のなかである」と教えてくれる言葉と出会いました。

 私が天国に行くまで待たなくても、毎朝、この部屋で、話しかける度に、はにかむように微笑む息子に会えるのです。

 願わくば、私の手に今も残っている、あの温もりをもう一度と思うのは欲張りでしょうか。           (徳島)

 

 


天つ真清水 新聖歌433 

                      I.M.

 

1天つ真清水 流れ来て

 あまねく世をぞ 潤せる

 永く渇きし わが魂も

 汲みて命に 帰りけり

 

2天つ真清水 飲むままに

 渇きを知らぬ 身となりぬ

 尽きぬ恵みは 心のうちに

 泉となりて 湧き溢る

 

3天つ真清水 受けずして

 罪に枯れたる ひと草の

 栄えの花は いかで咲くべき

 注げ命の 真清水を

 

 とりわけ身近な所では、生活の煩いでそればかりに気を取られていることが多くなります。その日は突然やってきます。目を覚ましているよう、一人でも多くの人を救って下さろうとしている神さまの愛にすがることができるような日々を送りたいと願っています。

              (徳島)

 


 この一年半を振り返って 

                       I.J.

 昨年の春から今日(2023年10月末)に至る迄の目まぐるしく変化したこの一年半の私の信仰生活と私的生活を中心に振り返って、簡単に述べたい。

 昨2022年3月末をもって敬愛する関根義夫先生が突如健康を理由に私共夫婦が20年近く通った「浦和キリスト集会」を閉じられた。先生は私と同じ歳で、私より遥かに元気そうにしておられたのだが。その後半年間ほど自宅での集会をもたれたが、それも10月末をもって終わりとなった。

 その間、夏頃に妻の和子が体調不良を訴え、検査の結果「大腸癌」であることが判明、同じ10月末に大学病院で手術を受けた。その際の術前検査で心房細動による不整脈があることが分かった。オンラインでの徳島集会の主日礼拝の感話の際にこのことを話したところ、直ぐに吉村さんから「祈りの友の会」入会のお薦めがあり、入会した。手術は無事終了したが、その際にリンパ節への転移が見つかり、今年の年明け早々から7月末までの期間「抗癌剤の点滴と薬の服用」が始まった。その副作用が予想以上にきつく、点滴したその日から気持ちが悪くなり、寝込んでしまい、指先などの感覚がおかしくなったりする状態が一週間近く続いた。それが3週間毎に8回予定されており、これが半年間も続くかと思うとその先が思いやられた。7月末でようやく終了、CT検査の結果は良好であったが、この原稿を書いている10月末から11月中旬にかけて右記、不整脈解消のための手術と残っている大腸のポリープの切除が続いて控えている。

 一方、信仰生活の方はその後暫くの間、この「徳島聖書キリスト集会」の主日礼拝へのオンライン出席のみの状態が続いた。関根先生が30年間灯してこられた浦和での無教会信仰の灯火を消さずに、何とか続けられないかと思い、コロナ禍が終息に向かい始めた今年の2月から公的会館の小さな一室を借りて10名強の人達と月に一回の割合で主日礼拝を持つことにした。礼拝の在り方については、まだ暗中模索の段階ではあるが、輪番制にして聖書講話や証しなど各人の判断に任せて礼拝を行うことにして進めている。月を追うごとに内容が充実してきており、これも聖霊の働きによるものと神に感謝している。私もこの歳になっていつまで続けられるか分からない。この集会の中から立ち上がって牽引してくれる若い人が出ることを心から願い、祈っている。それまでは私に健康が与えられるよう、これまた祈っている次第である。

 20年以上前から始めている約100平米の家庭菜園もこの夏の猛暑と妻や私の病気、それに体力低下が加わって畑作業がしんどくなってきたので一時は止めようかとも思ったが、神様から与えられる自然の恵みに浸り、且つ体力の低下を少しでも防ぎたいと思い、今暫くの間妻と共に面積を減らしてでも細々ながら続けることにした。

 一方、世界に目を向ければ、昨年2月末から始まったロシアによるウクライナへの侵略戦争、直近ではイスラエルとハマスとの戦争、それに伴う中東地域での不安定化の恐れ、中国の覇権主義的な動きの拡大など、昨今の世界の情勢に胸を痛めさせられている。また地球の温暖化に伴う世界規模での災害の発生や大地震による世界各地の災害など、心配は尽きない。神様が造られたこの美しい地球が平和で災害の少ない地球として存続するよう、私達の子供や孫たちのためにも祈っている。

 さいたま市岩槻区

 


 

目を覚ましていなさい 

                       I.M.

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれら全てのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21の34~36)

 気候変動、戦争、経済不安など今は私達を取り巻く環境は行き先どうなるか分からない不安を抱えています。聖書は二千年以上前から警告され、私達を良き方向へ導いて下さろうとしています。

 


 

キリスト教での永遠の命について 

                          I.Y.

 永遠の命とは、敵(罪人)のために死ぬ愛、命を捨てる愛を宿すこと、御子を持つということであり、肉の思いでは憎くて憎くてしょうがない相手のために命を差し出す愛を持つことであり、この愛を与えられることが御子(永遠の命)を持つということであり、この愛には恐れがなく、真の無敵の愛であり、これ以上の愛は無く、この愛から引き離せるものはなにも無く、死に打ち勝ち復活したキリストの愛だと言う信仰の初穂を与えられました。

「悪人(罪人)を罰するのが正義の道なり、悪人のために罰せられるのがキリストの道なり」(内村鑑三)

 このキリストの愛にいつもとどまれるよう自分のために人のために祈ります。お祈り 

                      U.N.

 私は、朝起きると、神様に「今日も起きることができました。ありがとうございます。」と、祈ります。次に、主の祈りを祈り、息子夫婦と子どもたち、そのご両親、娘夫婦と子供たち、そのご両親、そして一人暮らしの弟、妹夫婦の名を呼び、「皆が一日神様に守られ歩んでいけますように。神様の御言葉が与えられ、神様を信じることができますように、覚えてください。」と、お祈りします。そして、「私も今日一日ゆっくりと歩ませてください。」と、神様にお願いします。これが、私の毎朝の、お祈りです。     (徳島)

 


 

 感謝

                      O.E.

 主のみ名を賛美します。

 徳島聖書キリスト集会の主日礼拝に参加させていただいてから二年半になりました。

 その間、機械音痴の私に、徳島聖書キリスト集会の皆様、札幌の大塚正子姉の、ご愛労をいただき、傲慢で、自己中心の考え方しかできなかった、信仰の薄い私は、いつも救っていただきました。中学校時代からの友人、北川玲子さんと二人で、小さなスマホの奥から聞こえる聖書のみ言葉、賛美歌、吉村様の講話、兄弟姉妹の感話、を学びました。その北川さんも、年齢と共に足腰が弱くなり、やっと家の中を歩くのが精一杯になり、又その他の持病もあって現在は、一緒に参加できません。私一人で、大塚様、熊井様から呼んでいただいております。

〝いのちの水〟誌の二〇二三年十月号の〝献げる心〟十二ページより引用。

 誰でもできる献げもの、しかも最も大切なものがある。それが祈りである。良きことがあれば、感謝する。苦しみがあるとき、すべてのことがよきになると信じて祈る。誰でもができる道を備えてくださっている。

 祈れない時も、御国を与えてくださいと、祈る。愛がないからこそ、求めて祈る。聖霊を求めて祈る。

 どんな人でも、何歳になっても、一人であっても、どこであっても、真実な心もて神に祈る。

 そして感謝の祈りができる。それが神への献げものとなる。

 

「いつもあらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」

                (エフェソ5の20)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5の16~18)

                        (北海道)  

 


 

喜んで歳を取りたい

                       O.M.

白血病の発症後まもなく突然の失明宣告を受けた夫が「……目にみえるものによらず信仰による」(Ⅱコリント5の7)神の細き御声によって導かれて再出発して二人三脚で歩いてきた二十一年でしたが突然の別れとなりました。私に元気な声を残したまま骨折入院、苦しむことなく(入院の恐怖感が募っていたのが要因でもあり)コロナ対応で付き添うことならず、二日ばかりの出来事でした。人工透析と全盲で走り続けて「よく頑張ったね。」神様からのご褒美のように、主のみ元へ旅立ちました。 

   「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋の全てに心を配っておられる」(箴言5の21)

 主の光に導かれて歩いてきた道は、厳しくも言葉に尽くせぬほどに多くの恵みをいただき、病を得てからの年月こそ二人の人生の凝縮でした。

 この一年 取り残された私は一人で歩むことの不安、これまでの私の信仰は夫を支えるためだけの信仰だったのではないか、夫の傘の下でしか私の信仰はなかったのではないか自問自答する中で、書棚を整理しながら失明前に夫の遺した書き込みある聖書、多くの書物を手にして私のこれからの一歩をふみ出すためのエネルギーが詰まっていることに気付かされてます。いつもわたしと共に歩いてくださる主の細きみ声を聴いて喜んで歳を重ねていきたいと思います。今 私が一歩を踏み出すにあたって「これから喜んで歳を取るために」聖書と共に一枚のプリントを大切にしています。              

         最上のわざ

 この世の最上のわざは何

 楽しい心で年をとり 働きたいけれども休み

 しゃべりたいけども黙り 失望しそうな時に希望し

 従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのをみても、ねたまず、  人のために働くよりも、謙遜に人の世話になり、       弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。   

 老いの重荷は神の賜物。古びた心に磨きをかける。まことのふるさとへ行くために……。

 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつ外していくのは、えらい仕事………。

 こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。

 神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。

 それは祈りだ………。

 手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために……。

 全てをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。   「来よ。わが友よ、われなんじを見捨てじ」と……。

 (「人生の秋に」ヘルマンホイヴェルス著)  北海道

 


 

病気になったら

                    O.E.

病気になったら 必ず治ると信じよう

原因がわからず長引いたとしても

治療法がなく悪化したとしても

現代医学では治らないと言われたとしても

あきらめずに道をさがし続けよう

奇跡的に回復した人はいくらでもいる

できるかぎりのことをして 信じて待とう

またとないチャンスをもらったのだ

信じるよろこびを生きるチャンスを

     「ポケットのなかの祈りより」

 普段、片付けしてない所を整理していたらこの本が目に留まった。いただいた本なのに読んでいなかった。パラパラとめくってみると晴佐久昌英の詩が目に留まった。丁度、娘が入院して難病と闘い始めたばかりでしたから励みになると思いすぐ病院へ届けました。読んだと思った。治療法はない言われたけど1つだけあった。脳死肝臓移植であった。これを望んで待っていたが移植はできなかった。でも医師が最善に尽くしてくださったし、兄弟姉妹のお祈りによって3週間生かされて天に帰りました。

 私の試練は9月の半ば娘の難病と聞かされてから始まって、9月下旬、同居の孫(娘の子)がコロナ感染。10月の娘の死。夫の入院、手術と窮地に立たされていた。

 こんな絶望の中、神さまは私を見捨てることなく来てくださいました。 信仰の弱い、身体の弱いこと知ってくださって神さまの力を十分注いでくださり今日まで助けて守ってくださったこと感謝でした。

 このいくつもの試練を通して多くの聖書のメッセージにより感謝すべきことがありますが、文章で書けませんので箇条書きで書いています。

 ①どんな苦しみの中であっても、愛であり真実な神さまを信じて祈る大切さを知らされ感謝です。

 ②「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12の9)と言って神さまの力によって支え守られたこと感謝でした。

 ③多くの試練、困難に遇いましたが逃れる道も備えてくださり感謝でした。

 ④神さまを信じて祈り続けていたら、叫びは必ず聞いてくださる。兄弟姉妹の切なるお祈りを神さまは聞いてくださり最善なものに与えてくださったこと感謝でした。

 ⑤神さまからの苦しみや試練は恵みとして受けとめることができた思いで感謝でいっぱいです。

  神さまいつもお守りくださってありがとうございました。

                    (中途失聴)

 徳島県板野郡

 


みことば  主の平和 

                      K.K.

ヨハネ14章27節

 「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」

 

ヨハネ16章33節

 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

 


 

  聖句 

                      K.I.

「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力のおよばないことが、ひとつでもあるだろうか。」(エレミヤ書32の27)

    東京都

 


 

CD「主の平和」より 

                     K.H.

 主よ、おわりまで(讃美歌338)

1主よ、おわりまで 仕えまつらん、

 みそば離れず おらせたまえ。

 世のたたかいは はげしくとも、

 御旗のもとに おらせたまえ。

 

2浮世のさかえ 目を惑わし、

 いざないのこえ 耳にみちて、

 こころむるもの 内外にあり、

 主よ、わが盾と ならせたまえ。

 

3しずかにきよき みこえをもて

 名利のあらし しずめたまえ。

 こころにさわぐ 波はなぎて、

 わが主のみ旨 さやに写さん。

 

4主よ、今ここに 誓いをたて、

 しもべとなりて 仕えまつる。

 世にあるかぎり このこころを

 つねにかわらず もたせたまえ。

 

 これは北田康広さんのCDの「主の平和」の最初に賛美されているところです。とても心に響いてきました。この世にあっては常に悪との戦いです。そのようなとき 賛美は心が癒され穏やかにしてくれます。感謝です。

 世界のあちこちで戦争があり、たくさんのひとが亡くなり、食べるものもなく、家が壊されています。また自然が壊され、温暖化や洪水などで被害にあっておられるかたもたくさんおられます。

争いのあるところに平和を、食べ物がないところに食べ物が与えられますように祈ります。主の平和がありますように。互いに助け合い祈り合っていけますように。        (徳島)

 


 

  「イスラエルの戦争」 

                      L.S.

「また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたかたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ13の4~5・新改訳第三版)

 

 イスラエルは、ホロコーストの歴史や、今もイスラエル消滅を宣言する敵に囲まれており、すべてのことの背後に神様がおられるなら、神様はこの戦争を容認されているのだろうか?という疑問がありました。御心がわからず、どう祈ったら良いのかわからないままに、その事をお祈りしていました。

 そして

「主はこう仰せられる。朝ごとに公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。

在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。」(エレミヤ22の3)

 「…わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14の9)

 「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10の30)

 「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。『主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。』しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。」

                                 (ルカ9の54~55)

 今、イエス様を通して現されたことが神様の御心と確信し悔い改めと救いを祈っています。

 また恥ずかしいのですが、愛と憐れみの神様が介入され、御自身を現わされた戦時中の兄弟姉妹の証を本や映画で観て聞いて知っていたのです。最後に兄弟姉妹の証の本や映画のご紹介をさせてください。

本「わたしの隠れ家」コーリー・テンブーム著

同 映画(DVD)

本「たといそうでなくても」著者 安利淑さん

映画「炎のランナー」の主人公、エリック・リデルさんとの出会いを通して、敵国日本の宣教師となられた、メテフィカフさんの本「闇に輝くともしびを継いで」

映画「ハクソー・リッジ」   以上です。

 福岡市東区

 

 


 破れ口に立つ

 LYRE(リラ)(詩:塚田献、曲:若林栄子) 

                         K.M.

 引用聖句:イザヤ58の12

 Your people will rebuild the ancient ruins and will raise up the age-old foundations; you will be called Repairer of Broken Walls, Restorer of Streets with Dwellings. (Isa 58:12 NIV)

 聖書協会・共同訳

 「あなたがたの中のある者は とこしえの廃虚を建て直し 代々に続く礎を据える。あなたは「城壁の破れを直す人」「住めるように道を修復する人」とも呼ばれる。」

 

1主の愛の御手で造った 

 輝き映すこの世界

 今でも聞こえる     

 痛み嘆く人の声

 罪なき神の子主イエスは

 われらの涙を担った

 罪ゆえ壊れた 

 この世界を救うため

 

 夜明けの岸辺に立つ主が 

 われらを赦して遣わす

 憂いは讃美に 

 その打ち傷のゆえに主は

 われらに平和をもたらす

 だから痛むこの世界の

 破れ口に立つ

 

2われらの叫びの祈りに

 心を震わせ答える

 苦難の時には

 わたしを呼び求めよと

 地に撒かれた主のいのちは

 たしかな望みを掲げる

 イエスこそわれらの

 破れ口に立つお方

 

 夜明けの岸辺に立つ主が

 われらを赦して遣わす

 御跡に従う

 その打ち傷のゆえに主は

 われらにいのちをもたらす

 だから痛むこの世界の

 破れ口に立つ

 

 夜明けの岸辺に立つ主が

 われらを赦して遣わす

 憂いは讃美に

 その打ち傷のゆえに主は

 われらに平和をもたらす

 だから痛むこの世界の

 破れ口に立つ

(そのとき 光が 主の光が輝き

 そのとき 主を呼ぶと主は言う

 ここに わたしは ここにいる)

菊池参照聖句

 And I sought for anyone among them who would repair the wall and stand in the breach before me on behalf of the land, so that I would not destroy it; but I found no one. (Eze 22:30 NRS)

 【新共同訳】エゼキエル書 22の30

 「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった。」

     (破れ口:弱点・傷口) (コンビニ店員)

 東京都

 


 

祈り

                      K.T.

 2023年9月に久しく、日本バプテスト連盟 所沢キリスト教会に導かれて 子供の父親の召天記念礼拝に一人で参加させてもらった。

 この教会で息子の康広は東京バプテスト神学校 神学科に入学することになり、その行き帰りは白杖で 一人、夜学に通うことになった。大学を出たものの仕事はなく 妻、陽子が一人で働いていた。 そこで母親の私のできること ただひとつ、夜学の送り迎えだった。しかし徳島から出てきて 間もなし 東京の方には一人で車を出す勇気も頭の知恵もない。私の考えたこと、それは、所沢から、東京の神学校までの道のりを、夜中に練習することだった。

 毎夜、車を出して、無我夢中だった日…ある時には、お茶の水女子大学あたりで道に迷い 入ってはいけない場所に迷い込んでしまった。すぐにパトカーに見つかり、停止! 色々ときかれて 思わず、本当のことを言ってしまった日。 一瞬にして頭が まっ白になった日! しかし思わぬ結末だった。それは、2人の若いおまわりさんは、口をそろえて、「今日のことは 見のがしてあげる。点もとらない。罰金もナシ。大通りまで誘導してあげるから、気をつけて所沢まで帰りなさい。」と。泣きながら帰った、あの日のことを今、思い出しています。

 あれから何十年経ったのか? 今月、10月22日は 所沢キリスト教会は60周年記念礼拝とのこと。北田康広、陽子夫婦は導かれるのか。ただ、ただ私は神に祈るばかりです。  2023.10.16

埼玉県

 

 


 

苦しみを通して

                          K.R.

「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」(詩編119の71・新改訳)

 もしも神様を知らなかったなら、私はこれをどうやって乗り越えていたのだろう。そう思うような出来事が列を作って私を次々に襲ってきた50年でした。神様の支えなしには乗り越えられないものばかり。毎日、毎秒、心の中で主を呼び叫び「助けてください」と泣いていました。そして、必ず私の叫びに答えて神様の時に私を助けてくださる…。主は、私に試行錯誤の時も与えてくださいました。そしてその苦難を経験を通して、私はまた一層、神様を信頼し御手の中で安心して生きる幸せを学びました。これまで起こった出来事全てが神様の愛を知り、神様を第一とすることを学ぶためでした。

 私は私の子供たちがこれから先の人生で必ずや訪れる困難に遭った時に困らないように、毎日出来る限り神様の話をするようにしています。この地球の全てが創造主からの私たちへの贈り物であり、それらは美しく完璧であること。私たちの心を癒してくれるものはこういった不変的なものであること。人間や自分自身が作った掟や言葉を信じすぎるよりも、こういった不変的な神様の言葉を信じ、植物や生き物の美しさを見て感動し癒される事に熱心になることが大切だと伝えるようにしています。  (沖縄県)

 


 

CD「主の平和」を聴いて  

                       K.Y.

 現代は地上においては戦争の悲劇が絶えず絶望的になりがちですが、2700年も昔から「彼こそ、まさしく平和である」 (ミカ書5の4) と旧約聖書で神様が啓示されている「主の平和」は神様を信じて祈ることによって約束されていることを学び、希望のある光の道へと導かれ、ご愛、恵みに冨み給う神様に感謝いたします。

 北田康広氏制作のCD「主の平和」を聴かせていただきました。

「主の平和」を祈り願う北田康広氏の思いが心のこもる美しい歌声に託された讃美歌曲集にとても慰められ、希望や力をいただいております。

 世界中にご聖霊が豊かに注がれ、まことの 「主の平和」が訪れますよう信じて祈ります。

 

(世界のさんび27)

1.主の平和主の平和

  復活の主の平和

  あなたにも わたしにも

  すべての人に

 

2.主の平和主の平和

  復活の主の平和

  今ここで 受け入れる

  備えをしよう

 

3.主の平和 主の平和

  復活の主の平和

  与えあい わかちあおう

  すべての人と

                                    

千葉市

 


 

弱さの中に働いてくださる神様 

                       K.N.

 今年の夏はとても暑く、夏の終わりには風邪を引いてしまいました。だいぶ治ったのですが、元気になりたいと思い、漢方薬を出してもらいました。

それが発端となり、おなかの調子が悪くなり、二日間トイレに行ったり来たりして、食事がほとんどできずに、衰弱していきました。このままではいけないと思い、カレンダーを見ると、三連休の入り口だったので、インターネットで専門病院を探したら、比較的近くに見つかりました。予約は土曜日の午前中最後の時間に取れました。

 しかし、一人で歩くことは無理だし、いつもトイレに行きたくなるのでその病院にどうやって行こうかと思いました。タクシーを利用することにして、電話をすると、予約が取れました。今は予約が取れないと聞いていたので、ほっとしました。夫も付いてきてくれる事になり、ほっとしました。行く前に無事着けますようにと祈りました。

 タクシーの運転手さんがいろいろ話しかけてくれて、無事着くことが出来ました。専門医の先生に診てもらい、だいぶ楽になりました。

 「あなた方の中で知恵に欠ける人がいるなら、すべての人に惜しみなく与えて不平をもらしたりしない神に願いなさい。そうすれば(知恵)が与えられるであろう」(ヤコブ1の5・岩波訳)

本当に神様はどうしたらいいか、困っている者に知恵を与えて下さいました。その病院で先生に診てもらい、ずいぶん楽になりました。ご飯も食べれるようになりましたが、なかなか回復しません。

今まで当たり前のようにできていたことが、本当は違っていたのだと思いました。

 「私の兄弟たちよ、さまざまな試みに陥ることがあれば、その時にはこれを大いなる喜びと思いなさい。あなた方は自分たちの信仰の試練が忍耐を生み出すことを知っているからだ」(ヤコブ1の2・岩波訳)

つい最近この個所を集会で学んだばかりでした。大いなる喜びと思いなさい、忍耐しなさい、全く私には無理でした。そして上よりの力を与えて下さいと祈りました。

主イエス様の名を呼びました。それが私が出来るたった一つの事でした。しかし、私にできることがもう一つありました。それは「祈り」です。

 「同様にして霊もまた私たちの弱さを助けてくれる。なぜならば私たちはしかるべき仕方で何を祈るべきかを知らないが、しかし霊自らが言葉にならないうめきをもって、執り成しをしてくれるからです」(ローマ8の26・岩波訳)

私の弱さを知って助けて下さる、そばにいて励まして下さる聖霊様に、こころから感謝しました。      (主婦)

   福岡市

 


 

み言葉

                      S.Y.

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」( ローマ八・28)

 どんなことがあっても、すべてのことを良きにしてくださることを、信じて祈っていけますように。

 徳島市

 


 

 慈しみ深き友なるイエス様

                     S.K.

 引用:詩編36編8節 私の好きな聖句であります。「神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ」ておられ、神様の深い愛を感じております。

 私の好きな賛美歌をハーモニカで演奏、試みます。讃美歌312番。

  いつくしみ深き 友なるイエスは、

  罪  とが  憂いを とり去りたもう。

  こころの嘆きを 包まずのべて、

  などかは下さぬ 負える重荷を。

 今日の「野の花」文集の題名は、「慈しみ深き友なるイエス様」であります。

 その下敷きは現に元気な女性の方で、立派に伝道を続けておられます。八王子出身の高校教師をしておられた恩師、岩島公先生。国語教師をしておられ、その方と私は一つ違いの同級生です。この方が手紙を下さいました。

岩島先生の集会で語られたお言葉の中の〝宝石〟を書き留めてみました。懐かしくも新鮮に味わってみて下さい。

 語録集は1959年5月2日から1999年7月18日閉会、解散まで。

 永井さん、岩島先生への思いでまとめたい。

1996年からのノートは誤って処分したようです。先生ご自身の体験も含めたお言葉の数々は、どれも私への戒めと受け留めて記録し続けました。またパソコンが出来るうちにと、語録集を作成しました。かつての岩島先生の集会に入会時は、その言葉は神が先生を通して私に語ってくださっていると、受け留めていました。

 私も先輩に見習って朝の礼拝の時に、岩島公先生の語録集、内村先生の「一日一生」の祈祷等をテーマに祈りの友の方々と祈りの課題を祈っています。イエス様がその時にはご一緒してくださっていると信じています。その歩みが続けられますようお祈りお願いします。 2023年9月23日

 立川市

 


 

 今年、集会に参加して感じること  

                      S.K.

主日礼拝、夕拝に参加して与えられることが ヨハネによる福音書、詩編またそれぞれ参照箇所など同じ聖句であってもその全体像、また一句一句が、同じ意味以上のものが新しく、増し加えられてくる不思議さに感嘆させられています。

 最初は創世記のアダムとイブの記事はアダムの犯した罪のことばかり思っていて、全能者である神がなぜ罪を犯すことを黙認したかのように記されているのか 不思議なままでした。しかしイエス様のみ言葉や比喩から赦しや神様の御心を知り、知らされ、赦され、神から離れた心を再び結び付けられるように、新しく神様によって生きることができるように育て、支え、守り、成長させてくださっていることを自分以外のものを裁き利己的になるのでなく、イエス様の言われた「人の子には赦すことのできる権威」力が与えられているという神様の偉大な力、愛・慈しみの力が与えられているのを強く感じる今日この頃です。

 神様は初めから裁くことをせず、ご自分を与えるほどに慈しまれた(イエス様は最後まで弟子たちを愛し抜かれた。)ヨハネ伝はイエス様(キリスト:イエス様)を信じることができるようになった私にとっての最初で、他を必要としない宝物」になってきています。これからも私は罪は犯すのだろうとは思います。しかし、み言葉をさらに与えられて私の心はイエス様の「みことば」神様のみ声で満たされ、変えられていくのだろうと祈念しています。

神の兄弟姉妹がイエス様を中心に喜び、集え会えますように。

          アーメン。   職業:鍼灸師     (徳島)

 

 


 みことば

                      S.M.

「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」

                   (ローマ5の3~4)

 どんな時にでも、いつも神様の内に留まり、歩んで行くことができるようにと祈り、願います。           (徳島)

 


 

二種類の悲しみ 

                      S.H.

 「神の御心に適った悲しみは取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(第2コリント7章10節)

 私にとって今年の秋は格別悲しみに襲われる秋となった。

 1年前大切な母を亡くして孤独を感じる悲しみ、いつも互いに何でも分かち合っていた親友と会えなくなった悲しみ、「久しぶりに顔を見にきたよ」と時々会いに来てくれる姉とも霊的に交われない悲しみ、何の働きもできないでいつも誰かに助けてもらうばっかりの悲しみ…。

 でも、悲しむことが罪だとは気づかなかった。 でも、神の御言葉に出会って、愛の神様、全能のイエス様がいてくださることを知っていながら感情に流されて悲しみ続け希望を失い、与えられた人生を懸命に生きることをあきらめてしまうことこそ、罪なのだと気づいた。

 感情をコントロールすることは私にはできない。意思を働かせ神の御心に適う方向へ思いを変えて悔い改めるようにと導かれた。                  (徳島)

 


 

「ガリラヤのイエシュー」より  

                    T.K.

 2021年11月から始めた聖書通読も2年目となり、2023年夏の終わり頃には旧約聖書から新約聖書へと進みました。新約聖書の「マタイ福音書」を1日1章ずつ毎朝読んでいくうちに、他の福音書ではどのように書いてあるのかと読みたくなります。また現在、徳島聖書キリスト集会で「ヨハネ福音書」を読んで現在12章ですので、それ以前に読んだ1章の「洗礼者ヨハネの証し」、2章の「神殿から商人を追い出す」、4章「役人の息子を癒やす」、6章「5千人に食べ物を与える」を何回も読み返しています。聖書は読めば読むほど広く深く高い書物だと思わされます。

 またケセン語訳福音書で有名な山浦玄嗣訳『日本語訳新約聖書四福音書―ガリラヤのイエシュー』では、聖書ということを忘れてドンドン読み進んでしまいます。

マタイ14の15「こごア人里離れだどゴで、~遅ぐもなりゃした。みんなばおゲアしなさりゃんせ。~~」ところが、イエシューさまは弟子たちに言いなさった。「この人達が行ぐまででもねアさ。この人達に食わせべし、おめえだちで、何が都合してけろ。」弟子たちとイエス様はケセン語を話しています。一方ファリサイ衆は武家言葉、イェルサレムの人々は京言葉、商人は大阪弁。サマリア人は鶴岡弁……と日本各地の言葉で聖書の登場人物が語り出すのです。

 そうこうして毎朝 聖書を読み比べていたら「マタイによる福音書」からちっとも進んでいきません。11月に入ったらもうまる2年です。これからマルコ ルカ ヨハネ 使徒行伝……と歩みを進め、また「創世記」に戻り、アブラハムやイサクの物語をまた味わいたいと考えるこの頃です。

 2023年10月28日  北海道

 


 

 聖書通読 (5)

                       T.H.

 一日一章、楽しみつつ読み進めています。

 今は、『歴代誌 第一』です。

『歴代誌 第一』は、人名の羅列で無味乾燥に思えますが、これほど多くの人名を書き連ねているのは、一つ一つの人名にそれぞれの人生が包み込まれているのだ。と味わいつつ読んでいます。

声に出して読むことによって、その思いが深まります。

「旧約聖書に強くなる本」(浅見 定雄著)日本キリスト教団出版局

 分かりやすくとても参考になります。     (岡山)

 

 


日々いただく御言心に刻みけり

        神の居ますを悟らされゆく 

                T.Y.

 私は23歳の時に交通事故に遭い、全盲となりました。それから早や45年が過ぎようとしています。

 私の信仰は、全盲となってから友に導かれ、教会に通ようになりましたが、当初、「罪」ということが分かりませんでした。本当に分かるまで中途半端に「分かる」と言うまいと思ってきました。

 カウンセリングの勉強をしている時に「内観」という心理療法に出会い、「これだ」と思い、内観道場に行き、約一週間、間をあけて2回に渡り、さらに日常内観をするようになりました、

 この「内観」(※注)と言うのは、一つの自己探求法で、浄土真宗の一派に伝わる「身調べ」と言う求道法から宗教性を取り除き、老若男女、誰でもができるような形にした精神療法です。私はこの内観を通して「罪の自覚」に至りました。

 その時のことを短歌にしました。

 内観し黒き深淵見つけたりガラガラ音たてわれくずおれし

 深淵は溢れる涙に隠れけりただ逃れんと光を求む

 罪知りて涙にくれぬただ独り砕けしこころに自由を得たり

 罪知りてクリスチャンになるを決めにけり見えぬ奇(くす)しき先達知りて

 「内観」を通して信仰を求め、自由を得た私は、「私も罪に砕かれたクリスチャンと結婚して幸せになりたい」と思うようになりました。この願いは聞き入れられ、キリスト者としての学びが始まりました。

 嫁ぎ先は竹下家。竹下の両親は無教会の小田丙午郎先生に師事するキリスト者で、息子が全盲の妻を迎えることに反対せず、「これ以上イエス様に重荷を負わせてはいけない。竹下家が責任を持って娶(めと)ります」と言ってくださり、竹下の母の傍で少しずつキリスト者として育まれていきました。子どもたちもキリスト教福音派の教会付属幼稚園で育まれ、小田先生の召天後は、縁あって日本キリスト教団北白川教会に集い、キリスト者としての育みを受けています、

 そして、この数年来、幼稚園で一緒だったお子さんのお母さんのYさんから日々御言をいただくようになりました。いただいた御言を点字にメモして覚えようとしましたが、身につかない歯がゆさを持ちつつ、日々、御言をいただき続け、自然にメールを通して互に祈り合うようになりました。また、月に一度Sさんからも福音の説き明かしをいただいています。その中でこれはと思うものをYさんに転送し、共に読むようになりました。Yさんの読み方はその一文一文を丁寧に心に刻むように読まれ、一文一文に

どのように心に受けとめたかが記されていました。今、私はYさん、Sさんの信仰の姿勢に感化を受け、共に育まれたいと願いつつ、3人でメールを通して共に祈り合う恵みをいただくようになっています、

 福音を拝聴するということにおいては、その前から吉村孝雄先生の「いのちの水」誌をテキストデータで毎月いただき、先生のますます明解に説かれていく福音の説き明かしを通して、目が覚まされていく思いです。

 そしてさらに、それらに加えて、コロナ感染症の拡大をきっかけに、教会の礼拝記録がメールでいただけるようになりました。礼拝に集うだけでは難しくて、一度では理解できなかったことが、家で再度拝聴できることは幸いなことです。

 こうしたことがすべて合わさり、次のような短歌を詠むようになりました。

 

 イエス様わが罪のため死なれたり蘇られてわれを導びく

 わが恵み足りて滴る神の愛御霊の働きありてこそなり

 明日のこと思い煩うこと無かれ主がすべてを満たしたまえり

 聖霊は生きて働くイエス様傍に居まして恵いただく

 福音を求め読み知る復活の主は聖霊となりて働く

 御言を日々いただきて確信す目には見えない神の存在

 盲目の歳月顧み証せんしかと覚ゆる奇跡の数々

 (詩篇 139の14)

 「私はあなたに感謝を捧げる

 私は恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている

 御業がどんなに驚くべきものか 私の魂は良く知っている」

 

 (※注)内観とは自己の内に沈潜して過去から現在に至るまでの対人関係の中で、自分がどのような在り方をしていたかを、「してもらったこと、してお返ししたこと、迷惑かけたこと」の観点から具体的に観照することです。(三木義彦著「内観療法入門」吉本威信序文より)                    (京都)

 


 

「谷川の流れを慕う鹿のように」

                                  T.K.

鹿のように リビングプレイズ69

 

谷川の流れを慕う鹿のように

主よわが魂あなたを慕う

あなたこそわが盾

あなたこそわが力

あなたこそわが望み

われは主をあおぐ   アーメン。

 

 聖霊もまた弱い私たちを助けます。私たちがどう祈ったらよいかわからない時、聖霊は言葉にあらわせないうめきをもって、私たちのとりなしをしてくださるのです。ローマ8の26

 私たちは暫しば自己の卑しさを意識して神に祈る勇気を失うことがあります。その時、私たちの心を、引き立てて神の助けを祈り求めさせてくれるのも、私たちの心が世のわずらいに思いみだれて、何を祈るべきかわからなくなった時、祈りの言葉を教えてくれるのも、また聖霊自身の愛のささやきです。悲しみの中にひとり泣くみなし子の耳に、病床に静かに横たわる少女の耳に、聖霊は神の愛をささやかれます。それによって祈りをする道を心の中に得るとき、天国の喜びはその人の前に開けてゆくのです。

        矢内原忠雄による「日々のかて」より

 

 私たちの弱さ、罪深さ、私たちの傷、苦しみ、悲しみをすべて知っておられる主イエス様は、私たちの理解をはるかに超えた方で、永遠の愛をもって私たちを愛し決して見放さず、見捨てない慕わしいお方、主は私たちを御翼の蔭に憩わせてくださって、いつも共にいてくださるお方であることを心から感謝致します。

 その愛に十分に応えられていない自分ですが、日々の祈りが神様の前にすべて届いており、日々、イエス様のゆえに神様の前に差し出し続けることを喜んでくださることを感謝致します、神様が愛の御手をもって働いてくださっていることを信じます。

主の前にへりくだります。主イエスさま、あなたの子どもたちを聖なる御手と聖霊によって祝福し、見守ってください。

 主を待ち望みつつ、私も日々、ほんの少しでも、どこにいてもキリストの香りをはなてる人、それにふさわしい者になれますように、つくりかえてください。神様の助けを求めてへりくだりつつ、願い祈りつつ。

            仙台市

 


 

   終末の心構え 

                      T.Y.

 ウクライナ戦争が始まり、1年半以上が経ってもまだその終わりが見えない時に、またパレスチナ自治区のハマスとイスラエルの戦争が起きました。大切な命の奪い合い、何の罪もない子供、そして民間人まで無差別に殺され、負傷し、街が破壊されている悲惨な情景をテレビ報道で見ますと、これは今が世の終わり、終末の時ではないかと感じさせられます。この終末の時、最後の審判の日を前にして、私たちキリスト者はどうしたらいいのでしょうか。唯ただ神・キリストを信じ、神・キリストと共にある生活をし、目を覚まして「汝、殺すなかれ」、「隣人を愛し、敵を愛せよ」という言葉に従って、どんな理由の戦争も神の目には悪であるので、わたしたちは戦争が即時停止されることを強く祈ると共に、平和を実現する者、義を守り抜く者として、世と戦う心構えをしていなければならないと思います。

 それがマタイによる福音書5章9~12節の言葉だと思います。

9節「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

10節「義のために迫害される(殉教する)人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」

11「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。」

12「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害された(殉教した)のである。」

 以上の山上の説教のところは、終末に当たって、最後の審判の日を前にしている私たちに、イエスが世の不義と戦え、悪魔の所業である戦争を止めさせ、平和を実現する者として迫害されても戦え、そうしてたとえ死んだとしても天国では大いなる喜びをもって迎えられる。と教えられた言葉だと思います。  (千葉県)

 


 

マザーテレサのことばより 

                     T.T.(徳島)

 「報いを求めない働きこそ

 人を育て くつろがせ、平和をもたらすのです。」     

 


 

ヨハネ福音書の力 

                      T.H.

 ヨハネ福音書の「魂を惹き付ける力」に驚く。4つの福音書の中では、違和感が強く、正典であることにさえ奇異を覚えていた書であった。しかし、今では慕わしい書になっている。そもそもの躓きは、他の福音書の中のイエス像との違い、また1章1節から5節の始まり、全く人間の理性を受け付けない書き出し等にあったと思う。

 ところが、徳島聖書キリスト集会、前の代表者の「杣友豊一文集」の中で「孤島欲知での回心」が語られていた。何も無い建設現場で、時間潰しのために新約聖書を始めから読み始め、次第に引き込まれヨハネ福音書に入ってゆく。「聖書読みは毎夜続いて、ヨハネ福音書に入り、一層深い優雅さが加わり、心の底を強く打つものがある。その後半に入ったあたりから感極まってもう黙っていられなくなった。『神さま、お赦しください。お救い下さい。いのちをお与えください。生涯苦労してもよいから従います』。」その回心の真実性は疑わなかったけれども、熱心に読み続けただけで回心にいたるものなのか、しかもあのヨハネ福音書が決定的な書になったというのだ。合点がいかなかった。

 わたしも確かめるために読んだと記憶する。しかし駄目であった。他の3福音書とは雰囲気がまるで違うのだ。

 徳島聖書キリスト集会のスカイプ集会員になってから1年が過ぎ、ヨハネ福音書の講話が始まった。あの躓きの第1章の始めをどのように過ぎ越したのか。ノートでは関連個所も含めて4回にわたって語られていたが。何時頃からヨハネ福音書に引き込まれるようになったのか分からない。2022年8月に、わたしはフランシスコ会訳でも読み始めている。日記では、「読みやすい、イエスの言葉が詩文のようなレイアウトになっていてよく分かる。訳文と活字のレイアウトが『読みたい』という欲求を起こすことに気づかされる」とある

 しかし、今でもそうなのだが、特に、イエスと人々の対話の場面に引きつけられるのだ。ニコデモ、サマリヤの女、生まれつきの盲人、パンを求める民衆、マルタとマリヤ、それらの問答は、かみ合わない問答になることが多いのだが、よくよく読めば大事なことが語られている。肉なる世俗の人間と神の子、人の子イエスの会話、問答なのだ、かみ合うわけがない。しかし、そのことがあらわになることを通して、「永遠の命」に触れ始めるのだ。

 ヨハネ福音書の原語ギリシア語はその道の専門家によると、中学生の英語のレベルだという。伝承によれば、著者ヨハネはイエスの弟子でイエスの死後70年ほどもたってから、「聖霊に促されて」語り、書き記された。かれは若い時漁師であった。ルカ、マタイのような文章は書けなかった。マルコにも及ばなかった。しかし、聖霊によって活き活きと永遠の命について語ることが出来た。そこに命・力が込められたのだ。

〇ボイラーマン(冬期間だけ)

   青森県

 


 

 「私は弱いときにこそ強い」   

                        T.S.

「思い上がらないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。サタンからの使いを過ぎ去らせて下さいと三度主に願いました。主は『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で十分に発揮されるのだ。』と言われました。…私は弱いときにこそ強いからです。」(Ⅱコリント12の7~10より)

 

1 弱い時とは

 聖書ではこの世の価値観とは全く逆で、弱いときにこそ強いと、全く不思議な言葉が書かれています。その弱いときとはどんな時か具体的に考えてみました。その一つに、病気や怪我で体が傷つき、思い通りに体を動かせなくなったときがあります。また、老化が進み、肉体的にも認知的にも衰えを感じ、自信が剥ぎ取られていくときもあります。他人から批判や仲間はずれや差別されたりして、孤立したとき。また、大事な人を喪い、一人残され、寂しさを感じるとき、食べ物を買うお金や移動する為の電車賃が無く心細いときも、弱い自分を思い知らされます。

 

2 自分の体験で弱いときとは

 私が自分の弱さを実感するのは、自然の中で活動しているときです。

 たとえば山登りをしているときです。山では荷物を自分で背負って、自分の足で山を登らなくてはなりません。重い荷物を背負うと登るのがとても辛らくなるので、山の荷物は、どうしても無くてはならない物に厳選し、少しでも荷物が軽くなるようにしていきます。こうして減らした荷物であっても、それを背負って一歩一歩山道を登っていると、途中で疲れてきて苦しくなったりします。山の中では、電気・ガス・水道、そしてトイレといったライフラインが使えません。また、自分の力のように錯覚していた文明の象徴である、車の力も剥ぎ取られて、裸の自分となるからです。その時はじめて、自分の無力さ、小ささに私は気づかせてもらえるように思います。同時にそこで、山の自然の美しさや計り知れない大きさ、豊かさ、強さを私は実感します。そして、神さまがこの自然を造られたことを思うとき、神様の計り知れない力の大きさを私は心から実感します。

 また、畑仕事も自然が相手です。暑さや寒さ、日照りに大雨や大風との関わりの中で、どんなに人間が頑張っても限界があります。たとえば日照りの夏に、里芋の水やりがあります。一輪車に20リットルのポリタンク2本と如雨露に入った水を積んで何往復もして、全身汗だらけになって一本一本に水やりをしていますが、人間が努力して水やりが出来る量は、たかが知れているのです。乞い願っていた雨が久しぶりに降ると、人間の何十何百、何千何万倍と計り知れない量の水が土に浸み込んでいるのです。シトシトと静かに降る雨、一粒一粒は小さいようですが、畑の土の奥深くまで差別無く、広く全体に水が浸み込んでいきます。久しぶりの雨に嬉しさを感じている時に私が気づくのは、微弱な自分の力と神様の計り知れない力の大きさです。そして神様の愛の広さです。

 

3 強い時と弱い時の心

  強いときと弱いとき、自分の心はどうなっているかを見つめてみました。

 強いと思っているときの自分は、自分の力に頼り、自分を誇り、高ぶる気持ちに満たされています。そして、強いときは、神様への祈りを忘れ、神様に感謝することも忘れてしまっています。まさに自分が神になっています。

 私が弱くされたときは、神様に頼らざるを得ません。「神様、助けてください!」と真剣に祈り求めています。弱くされたときは、強いときに忘れていた、神様を仰ぎ、真剣に助け求める心が与えられています。そして、ほんの小さなことにも神様の愛に気づかせてもらえて、感謝が湧いてきます。弱いときは祈りのときで、感謝と恵みのときであると示されました。

 

4 聖書から

 弱くされて神様に心の向きを変えることは、恵みのときだと言えます。最初にあげた聖句Ⅱコリント12の10と同じく、Ⅱコリント4の16~18も、詩篇51の19、ヨハネ伝9の2~3も自分が弱いときにこそ、神様の恵みが感じられるときだと示されました。

・Ⅱコリント4の16~18「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

・詩篇51の19「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません」

・ヨハネ伝9の2~3「弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』

イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」 

5 終わりに

 肉体的に衰え、弱くされて主を仰ぐとき、また、精神的にも打ち砕かれ、悔いるとき、主は決して侮られません。肉体的にも、精神的にも弱くされて自分の心が打ち砕かれ、主に依り頼む謙遜な心に、主の愛は豊かに注がれている。弱くされているときこそ、主を仰いで心が新たにされ、主の栄光が見え、主の細き声が聞こえてきて、感謝と祈りの恵みのときとなるように思います。

                     (畑仕事)

千葉県p

 

 


野の花を見よ 

                   T.Y,

 私のもうすぐ4歳になる孫は、野に咲く花や月を見るのが大好きです。わが家で咲いている花を保育園の先生や近所の人に渡すことも大好きです。私にもシャリンバイの実、白バラの花をくれたりします。忙しい毎日ですが、いやされます。

 孫のそんな行いを見て、新聖歌290番「『野の花を見よ』と」の歌詞を思い出します。

  

1「野の花を見よ」と 主イエスのたもう

 罪に死せるわれら 御声 聞きぬ

3「人を愛せよ」と 主イエスのたもう

 平和をつくるわれと なしたまえり    (徳島)

 


 

親の祈り  

                      T.M.

 子どもが小さかった子育ての頃、私は、長期休みになると子どもを引き連れて実家で長々と過ごさせて貰っていました。大概はバタバタと子供を追いかけて実家での時間が過ぎていく毎日でしたが、その中で、両親がお祈りをしている場を偶然に見て、聞いた事が一度だけありました。聞こえてきたのは子ども達・孫達の一人ひとりの名前を挙げてお祈りをしている声。私たち兄弟姉妹は7人もいるのに、皆、両親から遠く離れた所で生活して居たのです。その時に私は初めて、両親が遠くに居る私たちの為に毎日祈っていてくれたのだ、という事を知りました。そして、私は、自分の力で自分の勝手で生きているのではなく、両親が祈ることで、神さまに守られて、今ある生活が守られてあるのだという事に気付きました。自分が祈られていたという事は、本当に感謝な事でした。

 親の住んでいた静岡県は50年も前から大地震がくる、と言われていた地域です。子ども達は、遠くに住んでいて何があってもすぐに駆けつける事が出来ない距離。両親は「大地震があっても、お祈りしてくれればいいよ。心配しなくてもいいよ」と常々言っていました。結局、両親が生きている間には大地震は来なかったのですが、遠く離れていても祈りによって、神様が間に入ってくださる事によって、繋がる事が出来ると実感したことでした。

 また、私が4人目を妊娠していて体調を崩して寝込んで居たときの母の祈りを忘れられません。「あなたが始められた事ですから…」との言葉が今でも響いてきます。神様が計画された事なのだから、神様が責任をとって下さって、一番良い方向に持って行って下さるはずだという神様への信頼の態度を教えられた思いでした。詩編の作者たちも神様に向かって強烈に訴える人たち。神様は必ず振り向いて下さるからとの強い思いを持っていたからだと思います。今度は私が遠く離れた子ども達・孫達の事を祈る毎日となりました。祈りはリレーのようです。 

 何年も前の事ですが、2019年の台風15号の時に千葉県は被害が大きく電気や水道が長く復旧しなかった事がありました。台風の後の片づけに追われていた時に遠くの方が電話を下さったのです。本当に嬉しかったことを覚えています。その方は心配をしてお祈りをして下さっていたと思いました。

 「祈っていてくれる人がいる」という事は本当に自分を力づけてくれます。祈って遠い相手の事を思う時に神様がその間に立ってくださって、自分と相手の方を結び付けてくれます。こうして自分が祈ってもらって支えられ、力を頂いている事実を思う時に、今度は遠いほかの方への祈りが湧いてきます。

「愛し合いなさい」とは「祈り合いなさい」と同じだとの事は本当にその通りだと思います。        職業 主婦

 千葉県市

 


 

ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを

                      T.K.

 「後の者が先になり、先の者が後になります。」

                            (マタイ20の16・新改訳)

ぶどう園の主人が労働者を雇うイエス様のたとえ話です。 主人は朝から夕方まで働いた人にも、夕方 一時間だけ働いた人にも

同じ賃金を払います。

 「私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」                                             (14節)

 主人は自ら「私が気前がいいので、」(15節)と言います。

神様は本当に気前の良いお方です。神様は、何をした、どれだけ働いたよりも「ぶどう園へ行く (神様へ心を向ける)ことを望んでおられます。親が子を無条件に愛するように、神様はご自分が創ったいのちを目の玉のように、慈しんでくださっています

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3の16・新改訳)

 私の夫は亡くなる二時間前に神様を心にお迎えし 天国へと迎

 えられました。もう話すこともできない状態でしたが、神様は妹の口を用いて夫の魂の叫びを叫ばせました。私には思いもよらない展開でした。 神様がどんなにかわが子()を愛し、滅びることなく 永遠のいのちを持つことを望んでおられたかを思い知りました。そして神様はひとりの魂を救うために、先に神の子とされた者を用いられます。神様のときに神様のやり方で。そのために先に救われた者がしなければならないことはありません。ただ喜んで神様に用いていただこうと思います。

 「後の者が先になり、先の者が後になる。」

 夫が亡くなったとき「このみことばのとおりだわ。」と語ってくださった方が、今施設で生活しておられます。神様の平安と守りをお祈りします。        (徳島)                    

 

 


 

祈りと音楽の共同体、聖グレゴリオの家で与えられた恵み  

                       T.M.

   2018年9月、私は導かれるようにして、東京・東久留米市にある宗教音楽研究所「聖グレゴリオの家」で教会音楽を学び始めました。聖グレゴリオの家。それは、祈りと研究と教育の場。かつて、その場所には聖公会の修道院が建っていたようで、急峻な坂を昇った丘の上にあり、都会の喧騒から少し離れ自然が残された場所にある静かな祈りと音楽に満ちた場所です。

 当時の私は多くの人生問題に直面し、心身共に大変な時でした。辛い時、毎週の礼拝で聞くみことばやメッセージ、そして賛美に支えられました。たくさんの人の祈りに支えられ回復していく中で、音楽を学びたい、特に賛美について深く知りたいという思いがあることに気づきました。度重なる偶然によって聖グレゴリオの家に通いはじめ、パイプオルガン、グレゴリオ聖歌や合唱、声楽や典礼といった教会音楽に関わる学びが始まりました。神様は、最も良い時に、最も良い場所へ、私を置いてくださったと思います。

 本科と専攻科の計5年の学びは、コロナ禍で十分に授業を受けられない時期もありましたが、先生や共に学ぶ友人たち、また家族に支えられ充実した学びの時間でした。そして今年6月には、提携校であるドイツ・レーゲンスブルクカトリック音楽大学の先生も見えて、ローマ教皇庁が認可する教会音楽家という試験を受けました。オルガン試験だけでなく、声楽試験、グレゴリオ聖歌やルネッサンス期そしてモーツアルトのミサ曲といった合唱の指揮の試験、即興演奏の試験などを2日間にわたって受けるため長い時間にわたって集中力を要し、肉体的にも精神的にもハードな試験でした。

 試験期間中、私は研究所に宿泊して、毎朝夕、聖堂で一人静かに祈る時を持っていました。緊張と不安に包まれていた試験前夜、暗くなった聖堂で一人長い祈りを捧げました。祈った後に顔をあげると、十字架のイエス様が目に飛び込んできました。これまで、いつも見てきた釘打たれた十字架のイエス様の手が、私たちを招いてくださる形をしていることに初めて気がつきました。ここに集う全ての人が共同体の一員として呼び集められ、十字架によって破れた姿のままのイエス様に招かれている。そのイエス様の御手が、営み全てを包み込み、守り導いてくださっているのを感じ、音楽も共同体の一つの営みであると示されました。それぞれが自分勝手に自由にやりたいようにやるのではなく、キリストの体の一部(Ⅰコリント12の27より)として互いに弱い所を補い合い、支え合い、信頼しながら音楽を作るのだと十字架のイエス様から教えられたのです。胸が熱くなり、何も心配することはないと安心して試験に臨み、無事に試験に合格することができました。イエス様の招きの手は、いつも私たちを迎え入れ、開かれています。自分の行いによるのではなく、誰でも既に招かれ、受け入れられ、愛のうちにいること、これこそイエス様の示す真実(まこと)であり救いであると感じました。

 かつて、教会の中では神様からいただいた御言葉を言葉が読めない人でもわかるよう、また、御言葉がよく響くように音楽が用いられました。教会音楽の作曲家たちは、音楽家である前に、神を信じ従う人でもありました。『ドイツ・レクイエム』を作曲したブラームス(1833-1896)は、いつもポケットに新約聖書を入れていたというし、ハインリヒ・シュッツ(Ⅰ585-1672)は30年戦争のさなかに妻や弟、娘など家族を17人も失いましたが、音楽をもって神様を賛美し続けました。音楽家の人生や信仰に触れると、音楽の源泉には神様への信頼や信仰があると気がつき、自分もそのような作曲家たちのように賛美や音楽を作り、演奏したいと感じます。混沌としたこの時代にあって、音楽によって国籍も人種も宗教も言葉も性別も乗り越え、平和が与えられることを切に望みます。

「私たちに与えられた賜物はそれぞれ異なります。弱い部分を支え合い、受け入れ合い、補い合い、認め合い、許し合い、あなたの栄光を輝かすために用いてください。人知れず悩む者、孤独を感じている者、涙を流す者、悲しみや苦しみの中にある人を、主がどうか速やかに助けを与えてください。御言葉によって生かされ、御言葉に促されますように。あなたの御手の中でお守りください。アーメン。」(毎朝の祈りの一部抜粋)

千葉県

 


 

 「神の民」の讃美

                      T.E.

 礼拝の時にこの讃美を選んでくださって初めて歌ったとき、ちょっと歌い方がむつかしいけど、歌詞がいいなと思いました。みんなで一緒に歌っているうちにだんだん歌えるようになりました。この歌の歌詞はみんないいですが、特に2番が私の心にそのとおりですと思いました。

 試練にあうと揺れ動き信じ切れず泣いて祈る。不信仰な私を赦してくださいと。どうか御国への道を目指して歩んでいけますように。

 つかわしてください 世界のさんび・2の15

「神の民」 (ブラジル・ポルトガル語)

          原題 O povo de Deus no deserto(砂漠での神の民)

 神の民 荒れ野の中

 さまようとも 主が先立つ

 神の民 持てるものは

 砂ぼこりと 主の約束

 主よ、わたしもまた あなたの民

 恵みに立ち かたく生きる

 神の民 時には揺れ

 時に迷い 時に沈む

 神の民 泣いて祈り

 不信仰の ゆるしを乞う

 主よ、わたしもまた あなたの愛

 信じきれず 揺れています

 神の民 飢えた時に

 主は天から パンを与え

 神の民 恵み受けて

 高く歌う 感謝の歌

 主よ、わたしも今 気づきました

 あなたこそが いのちの糧

 神の民 はるかに見る

 あなたからの 約束の地

 神の民 主の力を

 歌いながら その地を踏む

 主よ、わたしも今 希望の地へ

 日ごと日ごと 近づきゆく  (鍼治療院 天宝堂)

           徳島市

 


 

主に感謝 

                       T.K.

「感謝します」 リビングプレイズ131番

1 感謝します こころみにあわせ

  きたえたもう 主のみちびきを

  感謝します 苦しみの中に

  そだてたもう 主のみこころを

 

2 感謝します 悲しみの時に

  ともに泣きたもう 主の愛を

  感謝します こぼれる涙を

  ぬぐいたもう 主のあわれみを

 

3 感謝します 試みにたえる

  力をくださる みめぐみを

  感謝します すべてのことを

  最善となしたもう みこころを

 

  しかし願う道が 閉ざされた時は

  目の前が暗くなりました

  どんな時でも あなたの約束を

  わすれないものとして下さい。                        

「どんな事にも感謝しなさい。」(一テサロニケ五の18)

「主に感謝することは あなたがたの力。」(プレイズ&ワーシップ35

 私の一番の感謝はやはりイエス様に出会い、ずっと一緒に歩み続けている事です。神様の所に行く時まで離れる事なく近くにおらせて下さる事を切望しています。                徳島県板野郡

 


 

ダンテ『神曲』に学ぶー『神曲』と太宰文学

                 T.K.

 ダンテは、世界文学史上の頂点に立つ文学者だが、明治以降日本にも紹介され、多くの思想家、文学者、宗教家(内村鑑三など)に多大な影響を与えた。太宰は、短編「道化の華」の中で、

ダンテの「神曲-地獄篇」第三歌を二度にわたって引用している。

 

「『ここを過ぎて悲しみの市』 友はみな、僕からはなれ、かなしき眼もて僕を眺める。友よ、僕と語れ、僕を笑へ。ああ、友はむなしく顏をそむける。友よ、僕に問へ。」

(太宰治:太宰治全集:1、晩年、筑摩書房1988、p121)

 

「あの一行(ここを過ぎて)を消すことは、僕のけふまでの生活を消すことだ。」とまで太宰は言っている。ダンテの言葉に太宰は自分の来し方行く末を重ねているのだ。とりわけ、心中に失敗して、相手を死なせてしまったことに対する悔恨と罪責は深かったであろう。

 

「我は悲しみの市への入り口なり。我は永久なる悩みへの入り口なり。我は失われたる者らへの入り口なり。(「神曲」生田長江訳:一部省略)

「ここすぎて うれへの市に。ここすぎて 嘆きの淵に。ここすぎて 浮かぶ時なき。」(森鴎外、即興詩人、ちくま文庫 森鴎外全集10、筑摩書房、1995、p96)

 この二つの訳を比較すると、生田長江訳の方が原文に忠実であることが分かる。

 地獄の門に掲げてある碑銘には、原文では「我」:Per Me という言葉が、はっきり書かれていて、しかも、三回も連ねて出てくる。PER ME SI VA NELLA CITTA DOLENTE―…私を通して(突き抜けて)人は悩みと憂いの巷に行く、というのだ。これは、各々深く己が身を省み、胸に手をあてて考えてみれば思い当たる非常に恐ろしい言葉である。

 太宰は「私さえいなかったら、すくなくとも私の周囲の者たちが、平安に、落ちつくようになるのではあるまいか。」(太宰治全集9、ちくま文庫、筑摩書房1989)と告白しているが、これは、おそらく太宰の生涯を貫く、恐怖感、罪責感であったろう。 ダンテを引用したのは、その罪責感を表白するためであったはずだ。しかるに、太宰はなぜ、「ここ過ぎて」という、原意を歪曲した(和らげた)鴎外訳を採用したのだろうか。

 彼は、明らかに「我は」 という生田訳が正しいことを知った上で、敢えて、この訳を避けているのである。このさりげない文学的技巧の中に、太宰の心の屈折を垣間見たような気がする。

 おそらく、太宰は、この地獄門の「一人称単数形」が自分自身のことを指している、と読み込んだに違いない。彼は正確に、ダンテの意図をくみ取っていたのだ。しかし、幼いころからお寺の地獄絵を見せられて地獄を恐れていた彼は、あまりにも恐ろしい原意を和らげようとして、鴎外訳を採用したのではあるまいか。

 ダンテは、「神曲」のなかで、地獄の恐ろしさを徹底的にわれわれに突きつけている。地獄の門に掲げてある碑銘の締めくくりに、「汝等ここに入らむもの、一切の望みをすてよ(生田長江訳)」とまで刻んでいるのだ。

 ところで、近代人にとって地獄などは空想の産物に過ぎない、という考えが一般的な常識であろう。しかし、果たしてそうであろうか。2歳のわが子を虐待した挙句、ゴミ箱に捨てた両親、3歳の幼児が陵辱されているむごたらしい児童ポルノ画像がインターネットを通して世界中に配信されるという驚愕の事実、アフリカの大地に繰り広げられる壮絶な貧困と飢餓の世界、ロシア・ウクライナ戦争の阿鼻

 現在、ダンテが、欧米において盛んに研究されているといわれるが、その理由は、現代の人間世界が、まさに、地獄としか言ようのない状況のなかで、呻きの声をあげているからである。我々にその呻きの声は聴こえているであろうか。(ロマ書8章)

 太宰文学が表現しようとした「人間恐怖」の現実、人を愛そうとして愛せない、という人間の「存在論的悲哀」は、ひとり太宰のみならず、人類共通の問題であるはずだ。ダンテおよびその系譜に連なる(と私は思うのだが)太宰文学に学ぶことの現代的な意味、それは、このような「現代の地獄」に真摯に向き合うことなのではなかろうか。

 

いと聖き波よりわれは立ちかへりけり、

新なる葉もて新にせられたる

新なる草木の如く生れかはり、

清くなり、心そなはり、仰ぎ見る星。

(『神曲』(竹友藻風訳、創元社)

 

著書『銀河鉄道の夜と聖書』の在庫があります。ご希望の方がおられましたら無償(書籍代のみ、送料別)でお送りいたしますのでご連絡ください。

    福島県郡山市 あだたら聖書集会

 


 

「たとえばわたしが」(新生讃美歌570番)

   本田 路津子 MY PORTRAITⅡ「足跡」より

                     T.M.

1.たとえば私が 歩けなくなっても

  私を背負って ともに歩いてくれる

  たとえば私が 道をはずれても

  私とともにいて そこを歩いてくれる

   *繰り返し

  ともに生きる喜び

  かみしめながら歩いていく

  私のそばにはいつも

  もうひとつの足跡

 

2.たとえば私が 涙を流す時

  ともに涙流し 悲しんでくれる

  たとえば私が 一人になっても

  私をなぐさめ 励ましてくれる

 

   *繰り返し

3.イエス様とともに 歩き出す時に

  あなたも気づくだろう もう一つの足跡

  砂の上に続く 二人の足跡は

  あなたとイエス様の 足跡なのです

   *繰り返し

徳島市

 


 

人を新しくする道  

                       T.Y.

「わかった、わかったと言うだけで少しも変わらないのでは、何もわかっていないのと同じ」子供たちによく注意していました。

 私もわかっていながら、なかなか変えようとしませんでした。

 吉村さんの緊急入院、手術の時、所属していたルーテル教会より徳島聖書キリスト集会の方に強く心があることに気付き、導かれ、礼拝、夕拝、各集会にスカイプ参加しています。

 多くの気付きや罪も示され、感話でも感謝と感動を私なりに表わしています。

「力がない」「力が足りない」と教えられ、日常生活の中で自己中心で、思いやる力や理解する力が足りてなくて、夫も神様からの力をいただいていないので、古い自分のまま、お互いの違うところばかりが目につきストレスになっていました。

 トラブルや痛みの強い時、疲れで不満がピークになると、早く天国へ行って楽になりたいと、短絡思考に陥りました。それでは何も解決しないのに逃避していました。

 長年捜し求めていた人生の答えがイエス様だと確信し、魂の飢え渇きは全てなくなり、信仰の喜びも感じているのに、砕かれていない自己義認。自分らしさとなっている長所であり短所である部分。聖書に照らすと全て罪であると気付きながら、捨てられないでいました。

 二〇二三年一月一日元旦礼拝の主題「人を新しくする道」 礼拝の初めからいつもより真剣な心持ちでした。「新しい年を迎えて」(讃美歌21の368番)3節の「み恵みがあふれるような生きかたを今年はしよう」この賛美は私の切なる願いでした。

「誰でもキストの内にあるなら その人は新しく造られたもの 古きは過ぎ去り すべてが新しい」(プレイズ&ワーシップ45番)も賛美しました。

 「御名が聖とされますように」

「いかなる人間も神としない」

「神様の御意志が行われますように」

「神様からの力、めぐみ、支え がありますように」

「霊的な食物を与えて下さい」

「愛と真実にかなった歩みをする」

「神様から新しい霊をいただく」

「新しい霊が与えられるように祈る」

「とどまれ、わが内におれ」

「愛することは祈ること」

「良きものが流れていきますように」

「イエス様 聖霊様 聖なる風を吹かしてください」

 

 メッセージを聞きながら「変わりたい」と強く祈り願いました。

 そして夫にもその決意を話し十ヶ月、五月に尿酸値を下げる薬を二回替えたことで、痛風三回、痛みと腰痛にもなり立ち上がれなくなり、歩きかねるような四ヶ月でした。

その間もスカイプ礼拝を聞いていたので守られ、楽になりたいという負の感情が不思議に取りさられました。 私の決心や努力や頑張りでなく、主のあわれみによって罪の縄目を解いて下さって自由にされたと思います

 罪は神様に赦していただかなければいつまでも残る。赦されることによって人は変われる。日々悔い改め、日々新しい命をいただいて、みことばを聞き続けることの大切さを教えていただきました。

「しかし わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神はわたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。

 この救いは聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

 神はわたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。

 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」

(テトスへの手紙 3の4~7)徳島聖書キリスト集会 (徳島)

 


 

新しい集会   

                        N.N.

 2021年2月末日に、「いずみの森聖書集会」は閉会・解散しました。

 「二人または三人いるところにわたしもいる」とありますが、先生という立場の人を持たない少人数で、「多摩集会」を発足したのは2000年10月でした。15年後に集会名を「いずみの森聖書集会」と改称しました。

初期には、講師をお招きしてクリスマス講演会を7回開催できました。借用していた市の施設内の会議室は、一般の人の参加者も多く、ほぼ満席になりました。

 また、集会では招待者のお話をお聴きする機会も数多くあり、その逆もあって、集会員一同で他の集会に出席させていただいたり、クリスマス講演会に全員で参加することもありましたので、少人数の集会でも「たこ壺」になることはありませんでした。

 入会者の増減はあり、若し最後まで加わっていれば10人位は増えたところですが、解散時は6名でした。

 少人数の利点は、自由に質問でき、十分に話し合いが出来、親密な関係になれることでした。特に、陳野さんという男性がおられたことは、心強くありました。

 最初の頃は、輪番で聖書講話をしましたが、後に、吉村さんの講話がCDで拝聴できました。賛美も、讃美歌だけだったのが、新聖歌のCD(勝浦さんがパソコンを操作して伴奏データを作成されたもの)を吉村さんから送っていただいて、大いに活用できました。私が徳島キリスト集会のスカイプによる集会で覚えた新しい賛美の数が増えていきました。

これらの恵みの数々は神様の御計らいでありますが、吉村さんには感謝に堪えません。

 集会では15周年、20周年と、2度手作りの記念誌を作ることが出来ました。

 スタートした時の4名は健康も守られ(特に陳野さんは90歳でもバスで通われ)、その集会の役割を終え、各自は自由に、置かれたところで礼拝を守ることになりました。

 20年間、小さな集会の一人一人を守り導いてくださった神様に感謝します。

 解散後、私たちはキリストにつながっている証しとして日曜日は、各自が選んだ(示された)聖句の交換を、メールまたは電話で行なっています。安否の確認もでき、「ご無沙汰しました」の挨拶は不要となり、持続可能な方法となっています。

 そうしたなかで、個人的に電話で(かけ放題利用)、聖書を学び合っている姉妹がいます。二人の新しい集会は、週一回。「続一日一生」の感想を述べ合い、聖書はこれまで、黙示録、使徒言行録を学び終え、エゼキエル書、と進行中です。

 聖書を学び確認し合い、信仰を語り合い、讃美歌を沢山歌い、祈り合えることが、なんでこんなに楽しいのだろう。待ち遠しいのだろう、と不思議です。     (八王子市)

 


 

解決をもたらすもの

                  N.Y.

「打ちひしがれた心は、草のように乾く。

 わたしはパンを食べることすら忘れた。

 わたしは呻き骨は肉にすがりつき、荒れ野のみみずく、廃虚のふくろうのようになった。」(詩編102編5~7節)

  2023年10月7日、ハマスがイスラエル(ユダヤ人国家)に侵入、侵攻し、ひどい行いをしたことで、大きな戦争に発展しています(10月27日現在)。

 パレスチナ分割やイスラエルの建国の歴史について、時系列や事実関係を正しく知ることは大切なことです。ユダヤ人は、カナン(現パレスチナ地方)を与えることを神から約束された民です。一方周辺国はユダヤ人国家に反対する国々です。ユダヤ人は、天には大きな希望と期待を抱きつつも、地においては緊張と不安の中にあります。

 ハマスによるイスラエル侵攻直後から、イスラエルのネタニヤフ首相はハマスを滅ぼすための反撃を開始しました。ハマスの所業は看過されるべきものでは決してありませんが、反撃は聖書的でしょうか。圧倒的な軍事力でガザ地区に攻め込んでいます。イエスはというと、悪魔から試みを受けたとき、聖書の言葉を用いて対抗しました。

 今、ウクライナ、イスラエル、そしてニュースに取り上げられない無数の紛争、迫害。なんとかして停戦、あるいは解決の道を模索しています。武器か、政治か、国連か、金か。

 ある範囲において、ある場面において、それらは解決をもたらし、人々の平安と休息と憩いを与えてくれます。しかしそれらは一時的でもあります。戦争で儲けようとする一部の悪魔的な人々を除くすべての人が、いつも、解決してくれる人や物を探しています。

 1978年、エジプトのサダト大統領は、アラブ諸国の一国でありながらイスラエルと和平を結び、ノーベル平和賞を受賞しました。しかし1981年に暗殺されました。アラブ諸国の敵意を買ったからです。裏切り者とみなされたからです。悪の力は恐ろしいです。一時的な解決は、一時的な慰めにはなりますが、恒久ではありません。

 キリスト者はどこに解決(者)を見つけられるか。それは聖書の中に見つけられ、イエス・キリストの中に見つけられます。見つけなければならないと思います。

イエスは「人はパンだけで生きる者ではない」と言い、神の言葉は、道を切り開く力であることを示されました。イエスがサタンの誘惑を退けた言葉には力があり、権威がありました。

 私もまた、「ノー」という力、「イエス」という力と権威を、聖書から頂けることを感謝します。神の言葉は世界を支配します。国家観や法律や武器や経済理論は朽ちても、聖書は残ります。神の力が本当に世界を支配していることを確かにします。

 

…主はすべてを喪失した者の祈りを顧みその祈りを侮られませんでした。

後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。

「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102編1819

                                       (高校数学教師)

高槻市上土室3‐31‐206‐401

 


 

主からの言葉  

                      N.M.

あなたに伝えたいことがある。

それは10万円の腕時計より、40万円のコートより素晴らしいものだ。

それは私を信じる信仰である。辛い時、お金がなくて惨めな時、人に強く言われて落ち込んでいる時、喜びの時であっても。

私に祈れ、私に全て話してみよ。

祈りの中で私はあなたを慰め、行くべき道を教えよう。

私を賛美せよ、私に祈れ、すべてを私に任せよ。

見よ、あなたの行く道に光が見える。

一筋の光があなたを照らす。

温かいものが心を満たす。

あなたの目指すものは何か。

それは愛である。そしてその先には素晴らしい純金の天の御国が、あなたの家が用意されている。

東京都

 


 

「いのちのきずなの」

  フランシス・J・クロスビー 

                         N.K.

 この一年も日々聖書を読みつつ、また様々な讃美をしながら心に力と慰めを受けてきました。そのなかで次の讃美は最も震えるような感動があったので紹介したいと思います。

 讃美歌518番「いのちのきずなの」作詞 ファニー・クロスビー

1 いのちのきずなの 絶たるる日はあらん

  そのとききたらば みくににのぼりて

   (おりかえし)

  したしくわが主に 告げまつらまほし 

  「すくいをうけしは みめぐみなりきと」と

 

2 地にある幕屋の くちゆく日はあらん

  そのとききたらば わが家にかえりて

 

3 ともしびともして つつしみ待たばや

  主かどにきまさば よろこびむかえて

 

 ファニー・クロスビー(正式名 フランシス・J・クロスビー)は生涯に6千以上の讃美歌を書きました。幼少の頃失明、父を一才で亡くしますが信仰篤い祖母に育てられます。母も失明した詩人のミルトンやホーマーなどのことを娘に語り、詩を読んで聞かせていました。祖母は自然の世界や精神の素晴らしさ、 日の出 日没 虹や小鳥のさえずり、花々の美しさなど自然の美なども伝えつつ、それ以上に聖書の話を語っていました。またクロスビーは記憶力に長けていて、旧約のモーセ五書、詩編、箴言 ルツ記 また新約聖書の多くを暗唱していたそうです。そして言います。

「何と私は幸せでしょうか!目には見えないのですが、一つの決意に支えられています。この運命に満足して生きようという決意に。」また「何と多くの祝福を受けていることでしょうか。他の人々が知らない恵みを。失明を嘆き悲しんで生きることはできませんし したくもありません。」と語っているのです。盲学校に入ってからテニスン、ウエスレーなど讃美歌作家の詩、言葉を心に蓄えていきました。

 そして30歳 ついにクロスビーの回心があるのです。讃美歌138「ああ主は誰がため世にくだりて」を聴いていた時です。

1節 ああ主は 誰がため 世にくだりて かくまでなやみ(苦しみ)をうけたまえる

5節 なみだも めぐみも むくいがたし この身をささぐる ほかはあらじ

「初めて私は理解しました。それまでの私は片手でこの世にしがみつき、もう一つの手で主イエスにすがっていた。主よ私自身を捧げます。天の光が洪水のように満ち溢れた」と。

 それから20年 代表的讃美「ああうれしわが身も」「イエスよ この身をゆかせたまえ」「イエスのみうでに」「十字架のかげに」などを書いていきます。

 徹底した十字架と復活信仰をもっていくのです。いかに十字架を誇りにしていたか、地上の生を終えて天国に上る日の自分を歓喜に満ちた魂と喜び、と表現しています。

 死は悲しむべき事ではなく、天国でイエスと会える喜びがある、と。「十字架のかげに」の歌詞をみると、1節「いかなる罪も清め尽くす」4節「みくにのかどにいる日までは十字架のかげをいかで離れん」と歌い上げています。

 そこで 始めに書きました「いのちのきずなの」の歌詞を改めて見てください。特にくりかえしの所です。

「いつの日か私の命が絶えて今のように歌うことはできなくなるでしょう。

 しかし何という喜びでしょうか。王の王なる方の宮で目覚めるとは!

 その時私は主と顔と顔とあわせて、申し上げましょう…み恵みによって救われたということを」と歌っています。

「天国に昇ると親しい者たちが私を手招きするだろうが 真っ先にイエス様に駆け寄ってお話ししたい!私が救われたのはあなたの恵みによってだということを。」

 私はこの讃美をそれから何度もなんども歌っています。「天国に行ったらまずイエス様のところに駆け寄ろう、そしてお伝えするのだ。あなたの恵みによって私は救われたのです。」

 クロスビーは救いの確信、十字架による救いの恵み、天国でイエスに会う喜びをこのように歌い上げているのです。

 ああ私もそのようでありたい、これまでぼんやりと天国のことを考えていたのに 真っ先にイエス様にお目にかかって 恵みによって救われました、とお伝えすることができるというのです。 深い平安と慰め、希望そして、何より生きる力が湧いてきます。有名な讃美歌529「ああうれしわが身も」も ヘブライ10の22「信頼しきって真心から神に近づこうではありませんか」から深い霊感を受けて書いたそうです。

 クロスビーは95歳まで生を受けました。いつも心に喜びが湧いていたので顔が輝いていたそうです。収益は 貧しい人々に分け、自身はスラム近くの貧しい家に住んでいたそうです。従兄弟で牧師だったハワード・クロスビーのメッセージ

「私たちがキリストに与えられた恵みに忠実であるならば、どのように生きるべきかを教えてくれる主の恵みは、どのように死ぬべきかも教えてくれます。」これはきっとクロスビー自身の思いだったに違いありません。

 夜 あまりにも 辛い現実ばかりで空の星を見上げて祈っている時、変わらずに暗闇の中で輝き続ける星の光を見ながら「ああそうだ イエスのみうでの中に私たちはいるのだ ただ信じていればいいのだ」と深い安らぎが与えられます。

 このようなことを思っているとき、イスラエル、パレスチナでテロ組織の武力攻撃から戦いが勃発した。ロシア、ウクライナの戦火がいまだ収まる気配のない中でありながら、またもや始まった武力闘争に心がはりさけそうに痛んでくる。多くの尊い命が失われている。同じ死でもこのように理不尽に人の命が奪われていいはずがない。イエス様も人間のどうしようもない罪の姿と人の死に 憤って涙を流されているにちがいない、どうか一日も早く罪を悔い真の神の愛に立ちもどる人が増えますように、人の世にも主の平和が来ますように祈り続けたい。 2023年 10月16日(高槻聖書キリスト集会) 

参考図書「賛美歌・聖歌ものがたり」大塚野百合

  大阪府

 


 

「眞珠の歌」より心に残った短歌 

                     B.Y.

・灰色のみ瞳の奥に臥す我のうつる距離にて説き給ひたる

                   (スターキィ師)

・下々の下の下根のいのちここにして安らに保つわがのがれの里

・一呼吸一呼吸ごとにわが胸の痛めばしのぶ主が十字架

・聖旨をと委ねまつれば吾が病癒さるるよし癒えざるもよし

                      (酪農業)

      北海道

 


 

「お前は土の器だ」と教えられて 

                       N.M.

 8月31日午後、突然、目が染みて痛みを感じた。翌日の9月1日は、自動車を走らせ友人二人の家に行く予定があって病院へ行けず、2日の朝、かかりつけの眼科医を受診した。

 目に光を当て医療機器の画像をじっと診ていた医師が、「あ~、あ~、これは角膜がかなり損傷していますね。瞳の上です。家に帰ったら、直ぐ、コンタクトレンズを外してください。」 

 穏やかな医師が、普段と違って神妙な低い声で説明されたので、今回は大事だな、と直感した。「目薬を1日5回点してください。来週もう一度受診に来てください。家に着いたら直ぐレンズを外してください。」 きっぱりとした口調で説明された。

 帰宅し、右目のレンズを外し家の中を眺めると、全ての物がぼやけ、家の中に置かれた見慣れた物が何一つ確認することができなかった。大変ショックだった。これからどうなるのだろうか…。視力が徐々に衰え、その内、右目は全く見えなくなるのではないか。そんな悪いことしか想像できなかった。恐怖に襲われ、暗闇へ引っ張られていく自分しかなかった。

 以前、もし病気や怪我に遭遇したら何が一番嫌か、そんなことを何度か考えたことがあった。半身不随より、聴覚を失うより、視覚を失うことが最も嫌だと思った。

 今まで見えていたものが見えなくなることを想像しただけでも耐えられないことだ。空の色、雲の形や流れ、夜空に輝く名もない星々の金色の輝き、小さな赤いライトを点滅させながら真っ暗な夜空を一直線に進む飛行機、朝焼け・夕焼け、山の風景、四季折々の樹々の彩、見慣れた街の景色、そして何よりも家族、友人の笑顔が、姿が…これら全てが見られなくなってしまう生活が、どうして簡単に受け入れられようか。

 1週間が経って受診した時、先生の「ああ、少し良くなっていますね」の小さな声が耳に入った。「エッ、でも先生、未だ全く物の確認ができませんが!」と、あらわに不安な気持ちをぶつけてしまった。「今日から目薬をもう1種類増やします。最初の目薬をさしたら3分後にもうひとつの目薬をさしてください。1日4回、朝起きて、昼食の時、夕食の時、そして寝る前に、必ず点してくださいね。また1週間後に来てください。」 妻の付添いと送迎により受診できていることが、只々有難かった。

 家に帰り、「少し良くなっています」の言葉を信じるしかなく、気持を奮い立たせ散歩に出かけた。左目はよく見えるが、右目はぼやけている。足元がよく見えず、道端に転がっている大きな石や地表に出た根っ子に幾度となく躓いた。時々、右目を手のひらで覆い、左目片方だけで歩いた。この方が安心して歩くことができた。というのは両眼の視力がとてもアンバランスアのため気持が落着かなかった。イライラが募り、自分でも自分が嫌になり、鬱々とした精神状態に陥っていることが分かった。視力を失ってしまうのではないかの恐怖心は、日を追うごとに強くなり、暗闇の世界に引きずり込まれていると分かっても、気持を切り替えることができず、散歩の回数も減り、この先どうなるのかと考え込む回数が増えた。

 自分がこんなにも弱く小さい者であることを思い知らされた。しかし、どうしようもなかった。夜、祈る気力も失せ、手を合わせ「おやすみなさい」で布団にもぐりこむ始末であった。

 そんなある夜、ふと、徳島聖書キリスト集会へ訪問した折、全身マヒで寝たきり状態でありながら人懐こい顔でお会いした勝浦良明兄、弱視であるものの笑みが絶えない熊井勇・ちづ代ご夫妻と中途失聴の櫻井保子姉、笑い声が絶えない浜松聖書集会の相原夏江姉(全盲)たちの姿が思い出された。この方々の姿を思いながらいつの間にか励まされている自分がいて、徐々に力が与えられているのを感じた。

 初診から2週間が経ち、3回目の受診日、医師から「あ~、良くなってます。」とはっきりした声をお聞きした時は、心の底から喜びが湧いて来たのだった。2週間振りに恐る恐るコンタクトレンズを着装したところ、見えた。以前の様に見えた。只々嬉しかった。

 正直なところ、徳島、浜松の方々の姿が、スーと心に浮かんでから後、やっとまともに神に向って祈りができるようになった。視力を失わず、今までと同じように生活できる喜びが、心の中にふつふつと湧いてくるのを感じた。右目が完全に失明する恐怖感から解放され、今まで通りの生活ができる喜びを通し、私自身の肉体と精神の両方の弱さ、もろさをこれでもかと見せつけられたのだ。

 パウロが「わたしは弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント12の10)と言っています。「強い時」とは、自分の中には頼るものが全くないと自覚できた時であり、神、キリスト・イエスが私の直ぐそばに居てくださると感じられる時であり、また、これからは自分の命を神に委ねて生活していこうと心が固まった時であることを教えられました。

 今、視力が戻って2週間余の日々を冷静に振り返ってみれば、「お前は土の器だ」と教えられたように思う。自分の命のもろさ、はかなさを強く感じ、「我が人生、先が見えたな」と思った。何時までも健康でいられると思うな、ここでもう一度、自分自身の信仰をしっかり見つめ直せ、今まで何が足りなかったのか振り返るようにせよ、そのような御声が聞こえてきました。

「生きている」のではなく「生かされている」ことを、改めてしみじみ思いました。聖霊に包まれ、そして聖霊に導かれ、聖霊と共に、私自身に示されたイエスの教え、御業を、私に示されたところで証ししていきたい。それが再び正常な視力を与えられた私の神への感謝の応答である、そのように思っています。

職業:清水聖書集会代表 

静岡市

 


 

 ダビデの方向転換 

                      N.M.

 私どもの瀬棚地区の利別教会に金鍾九牧師が赴任しました。最初の金牧師の礼拝の祝祷で「これで礼拝は終わります。これから一週間の生活の礼拝を始めましょう。」と祈られました。自分には、生活の礼拝と言う意識がなかったので、それを聞いて目が覚めるおもいをしました。

 金先生とお話しがしたく訪ねました。私は、いつも堂々巡りをして抜け出せないことがあります。「いつも喜びなさい。」ができません。それは「心の罪」の問題が私から離れないからです。詩篇40編13節「罪は私に絡みつき数え切れません。私は自分の罪に捉えられ何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多く私は、心がくじけています。」私はこのダビデと同じですと、金先生に言いました。

 そこで先生はダビデの話をしてくださいました。ダビデは、取り返しのつかない罪を犯しました。ウリヤの妻バト・シェバを忠実な兵士のウリヤから奪い取り、しかもその夫ウリヤを戦いの最前線に送り殺してしまいました。

 その後、主がナタンをダビデの元に遣わし、ダビデに己の罪を気づかせました。ダビデは罪を悔いました。主からは「あなたは死の罰から免れる。しかし、主を甚だしく軽んじた故、あなたの子は必ず死ぬ。」と告げられます。そしてウリヤの妻だったバト・シェバがダビデの子を産みますが、弱っていきます。

 弱っていくこの子のために、ダビデは神に願い求め、断食をし、引きこもり地面に横たわり、周囲の者が起き上がらせようとしても聞き入れません。ダビデは願い続けました。そして7日目にその子は死にました。子が死んでしまったことを家来は、ダビデを恐れて言えません。

 しかし家来が囁き合っているのを見て、ダビデは「あの子は死んだのか。」と聞きます。家来は「お亡くなりになりました。」と告げます。するとダビデは、自分から起き上がり香油を塗り、衣を変え、主の家に行って礼拝しました。それから王宮に戻ると、命じて食べ物を用意させ食事をしました。家臣は尋ねました。「どうして、このように振る舞われるのですか。お子様が生きておられる時は断食をして、お泣きになり、お子様が亡くなられると、起き上がって食事をなされます。」

 それに対して、ダビデは「子供がまだ生きている間は、主が私を哀れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食をして泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで何になるんだろう。あの子を呼び戻せようか。私は、いずれあの子の所へ行く。しかし、あの子が私のもとに戻ってくる事は無い。」

 この話を金先生はしてくださいました。ウリヤの妻の話は知っていましたが、この箇所は、先生にお聞きするまでは、ダビデが罰を受けた位にしか思っていませんでした。先生はこの箇所を取り上げて、ダビデはしっかりと方向転換をしたのだ、と教えてくださいました。

 それはサタンを見るのではなく神に従うと決断することです。サタンに囚われてはいけません。サタンに支配されてはいけません。サタンとは縁を切らなくてはいけません。サタンに目を向けるのではなく、サタンをはっきりと拒絶して、神様に目を向けるのです、と教えてくださいました。

 それまでの私は、罪を嫌うが故に、自分の罪のことを指摘されると、自分でも制御できないほどの怒りに襲われます。私は罪を嫌うが故に罪を見つめ続け、罪に支配されていることに気づかされました。しかし、サタンと決別することで救われるのでしょうか?今までも、生き方を変えようとした事は何度かありますが、抜け出せませんでした。

 ダビデの詩の続き14節には「主よ、走りよって私を救ってください。主よ、急いで私を助けてください。」ダビデは自分の犯した罪、子を亡くした事をとうして、誰よりも大きな権力を持った自分に頼るのではなく、神に全てを委ねました。己の考えで自分を救う事はできません。ダビデの詩は、主に依り頼む以外救いの道はない事を示しています。

 これからも私は、迷うと思います。しかし何度でも気を取り直してサタンと決別して、主を信じ主にお委ねする生き方をしたいです。私は歳をとって、若い時にできたことが、目に見えて出来なくなっています。今までできたことを一つ一つ手離さなくてはなりません。そこに、神様からの恵みをいただけたら、どんなに良いでしょう。神様がどんな時でも、最善に導いてくださることを信じ遂げたいと願っています。

職業 酪農業  

北海道

 


 

神様に感謝

                         K.R.

 私はネパールで生まれました。生まれたとき、小さくて、生きられるかどうか母が大変心配したそうです。

 それでも子供の頃は元気に育ちました。元気すぎて危険な目に遭ったことがありました。また、恐ろしい出来事にも遭いました。

来日してからも苦しい出来事が次々とありましたが、神様を信じるようになって、どんなときにも神様に守られていたのだと気づきました。

 現在、4人の娘たちと、8人の孫たちにもいろいろ問題はありますが、神様が、一人一人の道を開いてくださることを信じています。

 天のお父様の優しさを思うと、心配したり恐れることは何もなくなります。毎日、毎日、神様に感謝して過ごしています。

                                              (東京)

 


「主よ、主よ、み民を救って下さい! 

         「私の好きな讃美歌より」

                                   Y.K.  徳島(農業)

 

 現代の混乱した世界にあって、この讃美歌は「苦しむ人々を救うため、闇の世の光として、主よ来てください!」という切実な願いが歌われています。

 これはクリスマスの季節(待降節)に愛唱されてきましたが、どの季節にあっても、歌いたい内容です。

 

 久しく待ちにし(讃美歌九四、新聖歌六八)    

 

1 久しく待ちにし 主よ疾く来りて

  み民の縄目を 解き放ち給え

  主よ主よ み民を 救わせ給えや

 

2 明日の星なる 主よ疾く来りて

  お暗きこの世に 御光を賜え

  主よ主よ み民を 救わせ給えや

 

3 ダビデのすえなる 主よ疾く来たりて

  平和の花咲く 国を建て給え

  主よ主よ み民を 救わせ給えや

 

4 ちからの君なる 主よ疾く来りて

  輝く御位に 永遠につき給え

  主よ主よ み民を 救わせ給えや

 

 

み翼のかげに   イラス ト米田武子

 あなたは必ずわたしを助けてくださいます。

あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。( 詩編63:8

 

 


 

  私が受けた召命                      A.A,*

 

 神戸改革派神学校3年生の安崎嗣穂(つぎほ)と申します。今回機会を頂きましたので、私の牧師への召命について寄稿させて頂きます。

 私が召命を初めて意識したのは大学2年生の時です。私は信仰深い両親のもとに生まれました。両親は私が主のみ恵みを受け継ぐように、嗣穂という名をつけてくれました。

 又私が喘息という病を患った時、両親は祈りながら看病してくれました。次のみ言葉が母を通して私に与えられました。

「私の恵みはあなたにとって十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(Ⅱコリント 12の9)

 み恵みによって喘息から回復した後、私は教会学校に通い、3歳のときに、幼児洗礼の恵みにあずかりました。しかし私はキリスト者の自覚を持たず、ただ何となく教会に通っていました。

 そのため、私は成長と共に主のみ教えを遠く離れた、利己的で傲慢な人間になっていきました。自らの能力と努力を誇り、他人を見下していました。そんな中にも、主の御手は働いていました。高校2年生の時、私はひどい頭痛のため学校を休みました。

 この頭痛が、私に大きな恐怖をもたらしました。幼少期に喘息で学校を休みました。幼少期に喘息で苦しんだ記憶を、この時まで私はほとんど忘れていました。

 しかし、この頭痛を通して私は幼少期の苦しみを思い出したのです。その苦しみの中で、私は主の聖名を呼びました。 幼少期を振り返り、自らを支える理念として、主のみ教えを再確認できたのです。私自身は気づいていなかったのですが、利己的に、傲慢に振る舞うことは、私にとって苦痛だったのです。

 この時私は主のみ教えを現実に反映するべく社会を改良する志を抱きました。 そのため、キリスト教主義を標榜する関西学院大学の文学部で歴史を学ぶことにしました。

 大学では、賀川豊彦など、キリスト教社会改良家の思想を自分なりに学びました。

 又、縁あって学生YMCAに参加し、東日本大震災などの現実の悲惨を学ぶ機会が与えられました。

 しかし、学びが深まるにつれ、私は混乱してしまいました。私が混乱したのは、主に二つの原因によってです。まず第一に、有名なキリスト教社会改良家の中にも戦争に協力した人がいたということです。その人は、経済的に困窮した日本の若者を救うために、占領地に開拓者を派遣する運動に関わったのです。

 主は全人類を愛しておられる、と私は信じています。ですから、自国民の利益のために他国を損うことを、主が肯定なさるとは、私には信じられませんでした。しかし、困窮した人を救うためになら、自分も戦争に賛成してしまうかもしれないと思い、大いに悩みました。

 私を悩ませたもう一つの原因は、優生思想の蔓延です。私の学友たちの多くは、優勝劣敗を当然とし、過度な弱者救済は勤勉な一般市民の意欲を削ぐので廃止すべきだという意見を、私はよく耳にしました。先述の通り、私は主が全人類を愛されると信じていました。その主が、優勝劣敗を肯定なさるとは、私には信じられませんでした。しかし、論理に拘泥する限り、このような意見を完全に否定することは困難です。

 社会改良家たちの戦争協力と、優生思想の蔓延のために、私は大いに悩みました。この2つは私の信仰に明確に反するものです。私は何とか論理を用いてこの2つを明確に、かつ完全に否定しようと試みました。しかし私の乏しい能力ではそれは不可能なことでした。この経験は、私にとってまさに、魂が引き裂かれるものでした。

 ついに私はこの悩みに疲れ、主に祈りました。

…主よ、私はあなたのために苦しんでいます。あなたのみ教えを知らなければ、今日の苦しみはなかったはずです。どうして、あなたのみ教えを心から信じることも、実現することもできない私に、み教えを示されたのですか。あなたのご期待には沿えません。どうか私を解放して下さい。…

 私は主と決別し、信仰を捨てるつもりでこの祈りをしました。もはや信仰ではなく、論理に従おうと考えていたのです。

 しかし、この祈りの後、私は主のみ恵みのうちに、主が私に望んでおられることを悟りました。主は私に、弱さを抱えたまま信仰に立つことを望んでおられたのです。論理に拘泥し、戦争や優生思想を容認してしまうことは、私の弱さであり、人類の罪なのです。 まずその弱さを、罪を認めることを、主は求めておられるのです。

 そしてその上で、主が全人類を愛しておられるという信仰に立たなければならないのです。まさに幼少期に与えられたみ言葉の通り、「力は弱さの中でこそ、十分に発揮される」(Ⅱコリント 12の9)のです。

 私はこの時、罪を認めて主を信じる、という考えこそ、真に社会を改良すると確信しました。

 そして、この考えを宣べ伝えるつとめとして、初めて牧師を意識しました。それまで牧師になることなど考えたこともなかった私はためらい、何とか違う道を行こうと模索しました。しかしこの祈りをした次の日曜日に、主は再びみ言葉を与えてくださいました。

「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はない。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる。強く、雄々しくあれ。」

                      (ヨシュア記 1の5、申命記 31の6)

こうして私は主を信じ、牧師を目指そうと思いました。それからも弱い私は悩み、迷い、他人に迷惑をかけました。そして傲慢な私が想像もしなかった長い時を経て、今回の機会が与えられました。罪深く弱い私を鍛えて下さった主のみ恵みに感謝し、全てを御手に委ねて学びの時を持ちたいと考えています。

           (大阪府 八尾市山本町 日本キリスト改革派山本教会)

 

*)(編者注)筆者の安崎嗣穂さんについて

  吉村が、 安崎さんにお会いする機会が与えられたのは、彼の

ご父君の安崎和男さんから2023年8月に届いた次のメールによってでした。

----------…

 私、安崎和男と言います。先生が徳島工業高校で勤務されていた時に無教会の集会にご一緒させていただいた者です。覚えて頂いているでしょうか?

 その後私は香川県のミッション系の大学に進学し、そこで聖書研究のサークルに所属し、教会にも通い20歳の時に洗礼を受けました。大学卒後は大阪で塾の講師をずっとしておりました。クリスチャンの女性とも結婚し、二人の男の子が与えられました。そして昨年徳島に帰ってきました。

 先生が現在でもご活躍中であると知ったのは、改革派の徳島教会に転籍した時です。長老の方で先生のお名前をご存じの方がおられたのです。そのときから一度はご挨拶をしようと思いつつ、ついつい無精してしまい、今に至りました。

 ただこのタイミングでよかったように思います。といいますのは、次男が牧師を志して神学校に在籍中で、今、改革派の徳島市の西部教会に夏季実習に来ているからです。神学校在籍中に色んな教派のところに行ってみたいと言っているので、先生とお会いできれば、無教会のことをいろいろとうかがえるチャンスだと思います。本人も、父親に福音の種をまいてくださった先生に会いたがっております。…

 ----------

 このメールの発信者の安崎和男さんは、今から五十年余り以前、私が徳島工業高校で数学と化学を教えていたときの生徒であった方で、私が、授業の中でも時々、教科の内容とは異なる心の問題、また政治や社会の重要な問題について紹介したりするとき、聖書のことも折々に触れ、また部活動として聖書、ヒルティ、プラトンなどを学ぶ読書会を開いていたこともあり、そのことで信仰を持つようになっていた人です。

 彼は高校卒業の前後のころに、徳島聖書キリスト集会に参加していて、その後、四国学院大学に進んだ方で、その後長く連絡がなかったのですが、数十年ぶりにこのメールが届き、主のふしぎな導きをあらためて感じたことです。

 その後、安崎さん父子と個別に会ってお話しする機会も与えられ、そこで語られたことを、息子さんの嗣穂さんが今回「野の花」に投稿されました。主の導きの一端が証しされていると感じます。

 与えられた場所で福音の種を蒔いていると、主の御心にかなったときにはこのように主が人の心にその種を発芽させ、成長させる人々をその近くに置かれて信仰を育てられるのを思います。

 私は、大学卒業後、最初の赴任高校では数学と物理を担当しましたが、そこでも教科と直接に関係のないのですが、世の中で大きなニュースになったり、心の問題に関する記事など、時折新聞や書物での内容を短い時間をとってお話しすることを心がけていました。そしてさらに関心ある人は、放課後にヒルティ、聖書を学ぶ読書会をしているから参加するようにと言って続けていたのです。

 そこにとても難しい問題をかかえた方々が放課後に相談に来たりするなかで、読書会にも加わり、現在に至るまで信仰を続けている方々もあります。

 それは、私が信仰を与えられてちょうど一年後から始めたことでしたから、聖書の深い知識や聖書の原語であるギリシャ語、ヘブル語などはもちろん知らなかったことです。

 それでも、主の御手がはたらくときには、そのような信仰の道を歩み始めたばかりの者をも用いて福音の種を芽生えさせ、成長させていかれます。

 ここにあげた、安崎和男さん父子のことも、私との関わりが途絶えた後も、私の知らないところで、主がキリスト教の大学や教会の方々を用いて導いてこられたのでした。

  私は理科教育に携わりつつ、自然の創造者である神のこと、キリストのことが何とか伝わりますようにと、祈りつつ理科、数学などを教えていました。

 私が理科、数学の教師だからといって聖書関係のことを一切話さなかったら、生徒や同僚教員にキリスト教のことは、伝わらなかったと思われます。

 

…信仰は聞くことによるのであり、

聞くことはキリストの言葉から来るのである。

                                   (ローマ信徒への手紙1017

 自然科学をいくら学んでも、真のいのちをもたらす神の言葉には全く達しないからですし、今日の科学技術の発達は便利な機器をつぎつぎと生み出す反面、人類の存亡にかかわる重大な問題を次々と生み出しています。科学技術は口から入るパン(食物)にかかわる問題には、次々と新たな方法を生み出しますが、本当のいのちー霊的な命にかかわることは生み出すことはまったくできないのです。

 主イエスの次の言葉は、現代の問題な深層を見抜いたうえで言われているのです。

「人はパンだけでは生きることはできない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ福音書4の4)

 今日、科学技術の産物である核兵器やさまざまの高性能の爆撃機やドローンによって、また兵器としてのロボット、また生成AIを用いての新たな攻撃、あるいは偽りの情報を大量に流して攪乱する等々、生成AIによって核兵器にならぶような危険が到来するのではないかとも言われるようになっています。

 そして、環境問題も世界全体に関わる重大問題となっています。

 こうした現実は、人間に本当に大切なものは、科学技術でなく神の言葉であることを忘れるところから生じています。

 人類の今後は、イエスの言われた、パンだけでは生きることはできない、神の言葉によって本当に生きることができるのだ、ということをいっそう思い知らされていくでしょう。

 それゆえに、これからますます、神の言葉を証しし、伝えていく人達が増やされますようにと願っています。

 主イエスもそのことを次のように言われています。

…「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 (ルカ10の2)

 しかし、福音のための働き手となることは、単に誰かに言われたり組織などから命じられてできることでなく、直接に内なるキリスト(聖霊)にうながされ、力を与えられて初めてできることです。それは使徒たちを見ても明らかです。

 そしてそのような聖霊、活けるキリストを与えられることは、「求めよ、さらば与えられん」とのみ言葉どおり、真実に求めるときには誰でも、その程度の多少はあれ、与えられるものであり、万人に向けた賜物です。

  今後とも、互いに祈られ、祈って主からのそうした賜物をさらに与えられ、みずからがまず、「主の平和」を豊かに受け、そこから周囲に流れ出ていきますようにと願っています。

 

 


〇以前の文集「ともしび」から

 

十字架の赦しの福音     T.t.(沖縄)

 

  私はふだん教会に通っていますが、内村鑑三の本を読んだことをきっかけに、四国集会に参 加させていただき無教会の方々の素朴なキリス ト信仰に触れる恵みにあずかり、目が開かれた ように思います。今になって思い出せば内村鑑三や無教会の存在を知ったのも私の尊敬する牧師さんの口から度々その名が出ていたことに始まっていて、そのことが信仰生活に悩んだ時の助けになるとはその時は思いもしませんでした。

どんな時も神様が御手をもって私を導いて下さっていたんだなと思うと、感謝の気持ちで胸 がいっぱいになります。

少し、私自身の証しをさせていただくと、私の家族は全員クリスチャンで私自身も高校生の 頃にバプテスマを受けました。しかしその後、 様々な理由から教会に行かなくなり、イエス様にも背を向けていた時期があり、罪にひたる生活の中、神様なんて必要ない」とまで思うよ うになっていました。

 そんな私が突然うつ病になりました。「どうやったら死ねるだろうか」とばかり考えているような毎日でしたが、ある日ふと何年も読んで いなかった聖書を開いてみました。

文字など読めるような状態でなかったように 思いますが、ただ一言「すべて重荷を負うて苦 労している者は私のもとに来なさい。あなた方 を休ませてあげよう」(マタイ福音書十一章二 八節から)の優しいイエス様の言葉が目に入っ てきました。

 

「この方のもとで休みたい」と思った私はイエス様を裏切ったのも忘れて、すがるような思いで再び教会に通うようになりました。

 ちょうどその頃、教会で「ジーザス」 という イエス・キリストの生涯を描いた映画の上映が あり私もそれに参加していました。イエスが十字架に磔にされるシーンを見ていた時のこと、私の心に「私がこんなに痛い思いをした のは誰のため…というささやきのような思いが沸いてきたのと同時に瞬間的に「イエス様の 十字架は私のためだったんだ!」と分かったの です。

 この時初めて本当に十字架を自分のこととし て受け取ることができ、今まで私が神様と人に対して犯してきたすべての罪が赦されたことを 感じ、またいのちを捨てたほどに私を愛してくださったイエス様の愛がわかり胸が熱くなって涙がとまりませんでした。

不思議な体験でしたが、この出来事によって 私は神様の深い愛と赦しを知ることができ、この愛を知って私はやっと本当に生き始めたよう に感じています。今はイエス様がどんな時も変わらず側にいてくださるのが分かります。イエス様が私の羊飼いであり、親友であり、理解者でいてくださること がとても嬉しいのです。  これからもただ、神様に喜ばれる子供のようでいられたらいいなと願っています。

「すべてイエスを信じる者は、失望に終わることはない。」

                                            (ローマ1011

*)編者注 この文は、 玉栄千春(現在は、宮城千春)さんの2005年の文章。現在は、徳島聖書キリスト集会のオンライン集会に参加されています。、

 


 

再出発へと変えられた私(2005年8月)

                                                O.M.

 

 思わぬ出来事あって夢中で過ごした一ヶ月半、 四国集会の参加も危うい状況だったけれど、と にかく徳島空港に到着。

 初めての四国の地に立っていて不思議な気分 だった。主人の「証し」がプログラムに組まれ ていたため、逃れたい思いもあっただけに、これも神さまのご計画のうちかなと思わず主人と顔を見合わせた一瞬だった。

 とうとう来られたといううれしい気持ちがこみあげてきた。主人の思いもかけぬ病気で視力を失って一変してし まった私達の生活に、徳島集会からの祈りとこ 愛労によって、「日曜礼拝に出席しよう、賛美も一緒にできそうだ」と一筋の光がさした。イエスさまの方に目を向けたら、色々な場面で前 〈進める。少し顔を上げたら今まで素直に受け られなかったいたわりの援助の愛もうれしい、 私達の姿から励まされるといってくれる友人も いる。毎朝わが家のスタートである祈りの「日 日の聖句」も深く心に入ってくるように思う。

 四年前の私、子育てで手いっぱい、主人の転動の度に中断されてしまう習い事にもようやく積み重ねてきて、自信もあり、ボランテァにも 年季がはいり、退職した主人と礼拝を守って…。私の生活設計はできていた。その矢先の病気だった。

 目の前がまっ暗になった時、すぐにはイエス様が見えなくて、「祈ってます。祈ってい るからね。」という方々の声はその時の私には とてもひなしく思えた。

 ひとりぼっちの私は苦しいまま。以前読んで心に残っていた本「イエスの足跡」を思い出して一緒に歩いていてくださるイエスさまがいる、主人と私の間にそっとおられるように気づいた。

 命は救われたが主人も私もこれまでの生活から一変し、失った物は大きいけれどもっともっと 大切なものを戴いて素直な心で再出発。

 今私達にはイエスさまを通しての友が近くから遠くから、そして息子のいるアメリカの教会からも暖かい祈りが送られていることをいつも 背に受けている。

 イエスさまを見あげた時にこそ不思議な出会いがはじまり、道が開けることを 身をもって教えられた。

 これからもイエスさまを見失わないように、そしてもし迷ってしまった時イエスさまに捜していただける一匹の子羊になれますように。

…主は打ち砕かれた心に近くいます。 (詩編3419)

…目をさまして感謝をもって祈りなさい。 (コロサイ4の2)

 


 

秋思  (一九七七年一〇月 「いずみ」第一四号より)

                                         Y.E.

 

 百舌のけたたましい鳴き声が聞こえてきて、今年もこれで秋になったのだなと思います。「 もずが枯れ木で啼いている」という歌を 若かった頃はよく歌ったものでした。

  秋の深まりとともに モズの声も一段と賑やかになっていきます。 柿の実は 日 1日と色づき ザクロの硬い殻にもひびが入って赤い実が中からのぞいています。 花壇にはサルビアが真っ赤に咲き  ホトトギスの錆びた味わいのある花が咲きこぼれています。

 刈り取られた田、 どこまでも深く 青い空、澄んだ大気… 目に見えるもの、耳に聞こえるすべてのものの中に、神の栄光が満ち溢れているのを感じます 。

 今は実りの秋、 人は 四季の秋を愛するように、人生の秋をも愛することができるのでしょうか。

  この夏も 私は3人の子供と福岡に帰省しました 。夏の夜、 母と二人きり 今にいると網戸を通して涼しい 一陣の風。

「もう秋ね」と私が言うと母は「秋は嫌い。 お父さんがいなくて 一人でいる時 なんか寂しくて寂しくて…」と答えました。

  これからの人生で今より若返ることはなく、 一歩一歩着実に 死に近づいているのですから 寂しいのは 実感に 違いありません。

 

 草も時が来て 枯れるように

木も葉も散るように

自分の肉体も日々衰えゆく

 気力も視力もなくなる

自然現象だろう

 やがて春が来て 草木が芽生えるように

復活の希望に心を輝かせよう(小野勝蔵)

 

 この世の生の終わりが 永遠の命の門出であることを信じることができない限り、 真の心の平安はないのです。家族の救いを切に祈る毎日です。

 


 

  あとがき

 

  この「野の花」第37号も、イエス様から受けた歩みの一端が記され、証しとなっていることを感謝です。それが短い一言や、讃美歌などの言葉であっても、また短い俳句、短歌また、イラストなどであっても、そこにも主の御手の働きがあり、そこには神の国の何らかの響きを反映しているのを感じます。

 私たちは自分と神様(イエス様)だけでなく、他のキリスト者が受けた神様からの賜物にも響き合う敏感さを失いたくないと願います。神様は、さまざまのキリスト者の歩んだその心から奏でられるものを大切にされています。

 植物にしても多種多様な形、花の色、いかに素朴で小さき花も、ルーペで見ると驚くべき繊細さや美しさのあるのも多くあります。

 暗雲漂う世界、しかし、そこに、主は絶えず、語りかけ、夕日や朝日、大空の姿、花々、またさまざまの御国のために働く方々を配して、暗い動揺する世界へのメッセージとされています。

 今回は過去に書かれた文章の一部を最後に掲載しました。そこにも主の導きが証しされています。

 この文集作成にあたって、原稿を描いてくださった方々、そしてそれを集めること、編集、レイアウト、校正と多くの方々の協力が与えられたことを感謝します。

 

 (なお今号の原稿掲載の順は、「は行」からです。)

 

                                           T.YOSHIMURA

 

 

  静けき河の岸辺を

 

   しずけき河の きしべを

  すぎゆく ときにも

  憂きなやみの 荒海を 

  わたりゆく おりにも、

  こころ安し、神によりて安し

 

   むらがる悪は 迫りて 

  かこめど せむれど

  闇の力 ひしめきて

  のぞみを くだくとも

  こころ安し、神によりて安し 

 

   うれしや 十字架の上に

  わがつみは 死にき

  すくいの道 あゆむ身は、

  主のみちびき 受けて 

  こころ安し、神によりて安し   (讃美歌五二〇より)