野の花
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「野の花」は徳島聖書キリスト集会の文集です。
2009年 「野の花」第22
(2009年1月10日発行)

シャガ
シャガ
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我はぶどうの樹、汝らは枝なり、人もし我におり、
我また彼におらば、多くの実を結ぶべし。
汝ら我を離るれば、何事をもなしあたわず。

父の我を愛したまいしごとく、われも汝らを愛したり、
わが愛に居れ。

(ヨハネ福音書 十五章より)




主よ、あなたはわたしの希望。

今に至るまでわたしは驚くべき御業を語り伝えて来ました。

わたしが老いて白髪になっても神よ、どうか捨て去らないでください。

御腕の業を、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。


神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。

あなたはすぐれた御業を行われました。

神よ、誰があなたに並びえましょう。


あなたは多くの災いと苦しみを

わたしに思い知らせられましたが

再び命を得させてくださるでしょう。

地の深い淵から

再び引き上げてくださるでしょう。


わたしもまた、わたしの神よ

あなたのまことに感謝をささげます。    (詩編71篇より)


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主こそわが希望-詩編より

やはり神は愛なり

徳島滞在点描(日峰山の家で)

修業

大いなる星

近畿地区無教会キリスト教集会に於いてー
アスペルガ-障害の証しを読んで

「香油を注ぐ女」 に寄せて

あなたの罪は赦されたーある日の礼拝の説教から

名曲の中に示された神を証しする人々

なぜ、何もしないでここに立っているのか

主われを愛す

「荒れ野で恵みを受けるJ

苦しみを担う者の信ずるところ

聖書を偶像化していないか

ころんで

み言葉は神の力

十字架を負ってM.Aさんの思い出

山にむかいて目をあぐ

愛の波動

三カ月の道のり

無教会全国集会二〇〇八(徳島)における証しより

賛美は祈り

神のおとずれの時

Rejoice in the Lord! (主にあって喜べ)

主イエスによる導き

星と百合-ある日の思い

はじめに言があった

不思議な夢

神様がしてくださったこと

「野の花」 によせて

西津兄の講話から

感謝

キルケゴ-ルについて

「福音」

近況報告

聖句から

心に残る聖句

感謝しつつ

ハッピネスわらいがお

絶えず祈りなさい

七十三歳の感謝

人生という名の旅の地図

「静まること」

賜わりし恩恵

危ない所で

心に残っている聖句より

今心に響いているメッセ-

格差社会に想う

近況報告から

二〇〇八年のニユ-スから

讃美の中から

最近感じること

見よ。世の罪を取り除く神の小羊

ヨナ書からの学び

御言葉に従うことの祝福

LYREの曲を聴いて」

生きつなぐもの

私にとつての実験

散歩

小林寿子さんを覚えて

祈る事-

「イエスとの出会い」

短歌

歳言 四章I節 父の諭し

平和の主-

「神曲・煉獄篇」の世界に触れて

今も流れる真清水

聖句から

私の聖句

高槻集会の学びから

深い交わりを通して為し続けていく業

ナルニア国物語を読んで神の国と永遠の命

職場から近況報告

試みは、はぐくみ

心に響く讃美歌

キリストの復活に与る

神様からの贈り物

「アンヌと不思議なダイヤモンド」

1の物語を読んで

ともしびを読んで

主よ、信じます。

「救われること」について

ある家族葬に出席して

あとがき


 

リストボタンやはり神は愛なり     長野   M.M

 二~三年前から年に二回ほど、胸と背中が急に痛むことがあった。一〇分ほど我慢すれば治ってしまうので、「大したことはない。」と勝手に思い込み、何の処置も予防もせずにいたが、毎月の「独り暮らし会」が昨年暮れ近くにあった時、血圧を測るのに二十人ほどの中、私だけ高かった。上が一六〇でおかしいからと時間を置いて三度も測定しても同じだった。ヘルパーが「医者に診てもらうと良い。」と言ったが、軽い言葉だったので受け流したままにしていた。

 昨年の暮れはことのほか冷え、極寒の冬だった。でも明けて正月はまだ元気だったので、伊豆の「新年聖書講話」に独りで参加できた。二泊三日だったが講習の途中で気持ちが悪くなり、部屋で独り休んだようなこともあったので、予報だったと思える。二月に入って、いつも信州の冬は寒いが、特別の極寒で、「狭心症」になってしまった。独り暮らしの食事は美味しくないので、自分で漬けた「お菜漬け」とみそ汁で簡単な食事をした日が多かった事を後になってとても反省したが。

 無知な私はニトログリセリン(その名は耳にしてはいた)の舌下錠が初めてだった。この年まで、用がなく、また身辺にも見たことがなくて居たのだ。無知は罪である。無関心だったので知ろうともしなかった。が、二月一二日になってから医者からの舌下錠で、狭心症が少し治っていたのに遂に救急車で飯田市の病院へ運ばれる始末。急性心筋梗塞の処置を受けることにより、ようやく命拾いできたのだった。付録に脳梗塞があり、右目の視野に異常が起こり、歩行困難で、そのリハビリで三ヶ月近く他の病院へ移ったりと大変な目に遭ってしまった。これは、軽率な私の不注意。家族や教友の方々にも多大な迷惑を及ぼして罪深いことだった。

 多くの祈りに支えられて、また、与えられた命と時間を主のご用に捧げなくては。用いていただけるようにと悔い改めて祈り求める毎日である。

 退院して余り時期がたっていない(七月三十一日)頃に、吉村先生が北海道伝道の帰路に立ち寄って下さった。去年は突然だったのであいにく外出中で残念な申し訳ない事だったが、今年は集会する程友が呼べない状態でもったいない事だった。何時もの同級生のS.T姉、病院で隣のベッドだったが二十才年下の、I.M姉が二〇Km離れているが初めて参加したいと三人だけで先生をお迎えすることになった。

 去年は年に三回独立伝道会より派遣して頂いて「集会」をさせて頂けたのに。私が病気だったため今年は断念していたところだったのでとても感謝な時を与えられた。

 集会は、讃美歌三一二番、聖書ロマ書八章十四~十七節「神の霊に導かれる者は皆、神の子なのです。」の箇所でした。

 新聖歌四六五番「いつかは知らねど」を歌詞を持って来て下さって皆で讃美出来た。

『人間の感情や思い(考え)で行動しているか否か。霊に導かれて歩んでいなくてはならない。罪の奴隷となっていてはよくない。将来の事などに不安を感じているようではダメである。私達は神の国の相続人なのだ。

 求めよ さらば 与えられん栄光を与えられあらゆるよいものを私達に与えられる。全てがなくなったように思える時も全てのよいものを下さる神様の愛なのである。心の中に電源があれば受けることが出来る。

 私達の本国は天に在ります(ピリピ三章20節)

 久しぶりの御講話は病後の私も元気づけられほんとに恵まれて、神様の御愛(吉村先生の尊いお働き)に感謝讃美出来たのだった。

 先生はご多忙の中でCDの「ラジカセ」を送って(CDコンポの故障と交換して)下さり、何時も徳島の方々と共に生の声を拝聴しながら礼拝できる幸を与えて頂けて感謝です。

 終わりに多くの病める方、苦しみの中に在る方、貧しい方に神様の御恵みが豊かならん事を!

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リストボタン徳島滞在一週間点描(二)

(二〇〇七年九月)

 日の峰山のY家で(ご自宅)        M.M

   金魚 

 徳島に一週間ほど滞在したとき、日峰山という低い山を少し登ったところにあるお家を訪問しました。そこは徳島市から10㎞ほど南にあります。
 「金魚に餌をやるから」と呼ばれてお庭に出てみますと、先生は、丸いコンクリートでできた古い水槽のそばに立ち、その位置から餌をパッと放るように撒かれるのですが見事に水槽の金魚の上に均等に広がって、金魚が美しい姿で生き生きと嬉しそうに食べています。先生は、「たくさん与えすぎると危ないからこれくらいで」と適量でその見事なわざを終えられました。遠くから給餌なさるのは、影をつくらないためと。物音に敏感な金魚を脅かさないためなのだろうと思いました。まんべんなく撒くのに最適な位置なのでしょう。(科学的な金魚への愛情)ふとイエス様がその様子をご覧になっておられる気配を感じたような気がしました。水槽のかたわらにシュゥカイドウの可憐な花がおもむきを添えていました。私の好きな花の一つです。

 青鷺

  その後、四人で食事中のことです。話題が金魚に及んだ時、以前、青鷺が金魚を襲ったというのです。何か気配を感じて二人で出て行って見た時にはもう青鷺が金魚をくわえて飛び立っていたのだとか。それも、一番大きいのを。私達二人は、「えっ」と絶句。S姉は思わず、「蓋をしないのですか」と尋ねました。蓋をしたら死んでしまうと先生。 「網目のネットの蓋です」と慌ててS姉。 「いや、しない」と先生。仲良しの金魚たち。その仲間が目の前で襲われて残る四尾はおびえて四日くらい底の方に固まって浮上しなかったと奥様。

  お二人は、水槽をオアシスとして、提供されて金魚を可愛がっておられるのです。私達二人は脱帽でした。離れた位置からの給餌の理由が納得できました。私だったら金魚にとって一番迷惑なことをして自己満足するだろうなとまた、ひとつ教訓をいただいたのでした。

  イエス様のご愛を思い出しました。

  「主は天から見渡し

  人の子らをひとりひとり御覧になり

  聖座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。

  人の心をすべて造られた主は

  彼らの業をことごとく見分けられる。」詩編三三 1315

  ここ「ペリデ長田」の私の部屋の眼下を流れる丸子川にもいろんな野鳥が集まってきます。青鷺も二、三羽来ます。「Yさんの家の金魚を捕った青鷺のようなことはしないでね。あなたたちは恵まれているのだからね」と私は独り言を言います。

 青鷺を見ると、あの水槽の金魚を思い出します。ことに大雨の時など大丈夫なのかしら

 あの大自然の中での恵まれた、神様がくださった大切な時間。今も続いて流れております。主に感謝です。聖名を崇めます。

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リストボタン修業   M.M

 私はこの世は修業の場だと思います。だから、大変なことが多いのだと。尼崎での生活は、まさしく修業の日々でした。体調が悪く自分に余裕がなくて自分本位になって自己嫌悪に陥ったり。人の言葉や行動に一喜一憂して自分を見失っていた時もありました。

 自分の未熟さや弱さを思い知らされました。それに、周りの人に支えられているんだということを改めて思いました。感謝です。

 いろいろな人と出逢い、貴重な体験をさせて頂き神様ありがとうございます。

    「切なる願い」マックス・アーマン

 あわただしい世間の喧騒のなかに、心を鎮めて入っていきましょう。あなたの魂が静かであれば、どれほど毎日が心安らぐものとなるかを思い出しなさい。他人に媚びへつらうことなく、できるだけ、出会ったすべての人と仲良くしなさい。本当のことを淡々とはっきりと語りなさい。そして、他人の言うことに耳を傾けなさい。無知の人の言うことにも耳を傾けなさい。彼らには彼らなりの人生の物語があるのですから。あなたは木々や星々と同じように、天から命を授けられた、宇宙の子供なのです。だから、この世に存在する権利を持っています。まやかしが横行し、いやな仕事に追いまくられ、何度、夢が破れても、世界はやはり、美しいのです。あなたの人生は、すばらしいのです。顔を上げ、陽気に微笑んでいなさい。あなたの幸せをつかむことに貧欲でありなさい。

 よく読んでいる詩です。読んでいると、すっと心が軽くなりました。

 何があっても、顔を上げ陽気に微笑んで、人生を歩んでいけましように。

 大切なものを見失いませんように。

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リストボタン『大いなる星』   M.H

夜明け前師走の空に大いなる星は瞬く意志もつごとく

手術前に届きし絵ハガキ ネパールの 少女のまなざし 深く掌を組み

風になってあなたは大空翔けてきた谷間のたんぽぽ ぽぽっと咲いている

「大きな手術です。」ひとごとのように聞き そのあとはただ黙しおり外科医の前に

音もなく降りくる雪の花ふぶき風にひかりつつ天使は躍る

白木蓮祈りの姿のきわまりに純白の花青空かざす

娘のピアノ聴こえくる瞬間(とき)塞ぎいしこころ自在に野をかけめぐる

(バッハの「主よ人の望みの喜びよ」のピアノ演奏)

手術受くると決断し夜ききぬ小さきみ声 「わたしには乏しいものはありません。」

ラジオよりバッハのコラール流れきて涙流るるまま天を見上ぐる

そばにいて微笑(ほほえみ)くるる君がいて冬の斜陽は長くたゆとう

百合一本荒野の中に咲きいたり 画廊のそこのみ金色に光る

手を繋ぎ歩みしあとに吾を抱きて「May God bless you」愛しきリディアはケニアに帰国す

(ケニアから家族四人で鳥取大学留学の夫と共に来日していた。)

あかつきの稜線凛々と茜に染まる 今日も平安でありますように

わが苦難ゆだね立ちたる丘の風 合わせて呼吸している不思議

あこがれと涙とほほえみ抱きしめて ひとすじの道歩みてゆかむ

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08近畿地区無教会キリスト教集会に於いて
  リストボタンアスペルガー障害の証しを読んで     S.T

 集会で話されたアスペルガー障害の御子息との証しは、私が関わっている問題とよく似た点を多く含んでおりまして、共感とその問題点を深く考えずにはいられませんでした。

 御子息の障害名が判明する迄の歳月、筆者の負われた苦しみの重さが痛いように伝わってきました。自分では、どうする事もできない苦しみの故です。殊に心に残ったのは、次の症状です。

 ①こだわりの強さが尋常でないので、社会生活や人間関係を築き、維持することがとっても困難な事。②極端な自己中心性。③殊に、心を割って話せば分かり合えるとか、人間は必ず信頼関係が築けると信じて来た筆者にとってそれが幻想であること④彼等の行動が普通に考えたら人間として決して許されない反社会的行動である。⑤罪の自覚が困難で謝罪に至らない。との事です。それは隣近所で村八分のような状態に追い込まれる事であり、又、自分の息子なのに心が通じない、信頼関係が築けない言いようのない辛さと思います。

 ともしび誌上のTさんも同じく重度の病の御子息に誠実を尽くして歩んで来たが「人間のどんな無償の愛も愛する人間を助ける事は不可能である。人の愛は無力である」事を知らされたと書いておられます。私が心を痛めたのは、信仰が深いと思っている人から、「あなたは現実を見ようとしていない」「何故家族の秘密を他人にもらすのか」と言われてきた。その矢は的を射たものであった故に私の心臓を直射し、私の魂を死に至らしめた」と言われている事です。(註一)

 お二人共、最後は十字架の主のみが救いであることに御子息を通して導かれ、御子息の救いと祝福を祈る平安の道へ歩んでおられます。

 私も息子が中学の時、暴言と暴力にあって、咄嗟に間に割って入ったことがあります。その時、古い信者の方から「たとえ子供の片目、片足がなくなったとしても、横に座って黙って神に委ねて祈っているのが信仰である」と厳しく叱責を受けた事があります。事情により対処法は異なるでしょうが、私はそれは彼女の信仰であって、私は出来ない。自分が信仰を誇る為にそれをするとしたら、それは愛ではない。それを他者に強いることは、彼女の信仰の自己絶対化であり、人となり給うた主は、暴力から人を守る事を咎められないだろうと思いました。罪のない者は一人もなく私もその事を苦しみます。しかしヨブや詩篇の作者の悲しみ、苦しみ、神様へ向けての叫びを神様は決してなおざりにされず、聴き、彼らを導かれたことを思います。

 又障害だけでなく「子供が幼い時に体験するものが信頼か不信か、愛か恐怖かによって、成長してからその子供が他者に向かって示す反応が決定される」(註二)という事も心理学では言われています。しかし聖書に「喜ぶ人と共に喜び泣く人と共に泣きなさい」(ロマ書十二・15)とあります。神は見捨てられた者、苦しむ者に光と救いを与え給う方です。苦しむ人の傍らにあって話を聴き、共に神に祈ること、喜び悲しみを主に在って共にする愛が、傷ついた者の心を癒し、苦しむ者を立ち上がらせる力となるのです。P.トゥルニエは「キリスト者の中に支配、優越の思想が生きており、表向きの立場、働きとは別に、驚くほど暴力的で人間的感性の鈍い人が少なくない」とも、述べています。こうした共感性の欠如や精神的暴力というものは、神の前に自分の無力を知るよりも、強くなること、自分を高めてゆく上昇思考、忍耐よりも権力、支配を望むものを人間が本質的に持っているからでしょうか。 

 そうした人間に本当の愛を教えるために神は長い忍耐の末に一人の御子の命を私達に下さいました。障害を負った者、今、自分の姿が見えなくなっている者、悪に囚われている者の上にも主は同じく救いの手を差し伸べていて下さる事を思います。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる」(イザヤ五十五・8)とあります。私達の目には見えなくとも主は私達と共にいまして神の義と愛を貫徹されている事を私は信じます。自分の無力に泣く時は主の恵みの時、主はいつも御言葉や人、本や出来事を通して主の御臨在を示して下さり、行く方向を示して下さいました。

 主は神であり人であられる二重性をお持ちの故に、私達が人として生きること、その弱さをも憐れんで下さいました。障害のある方も、病む人も、今苦しんでいる人も、自分の心の闇に気付かぬ人にも、私達が受けたように同じ主の憐れみの心をもって対し、共に「主よ、我らを憐れみ給え」の祈りを持ちつつ、祈ってゆける者になりたい。主の祝福を相手のために祈り続け、救いにつながることを心から願っています。

(註一)柿の木坂通信(第四の九号)

(註二)人生の四季(ポール・トゥルニエ)

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リストボタン「香油を注ぐ女」に寄せて   Y.E(主婦)

 聖書を開く度に読みたくなる箇所や絶えず心に浮かんでくるところがあるものですが、わたしにとっては香油を注ぐ女のお話がそのような箇所の一つです。

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(マルコ14:3

 このナルドの香油は非常に高価なもので、弟子たちは「300デナリオンで売って・・・」と言っています。1デナリオンは成人男子の日当に当たるということですから、どんなに高価なものであったかがわかります。

 ルカ伝を除く3つの福音書に載せられているこの出来事の最後にイエス様のことばがやはり3福音書に記されています。

そばにいた何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油を300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ福音書14章4~9)

 私たちにとって、香油をそそぐとはどういうことなのかと、思ってきました。この女性の行為が世界中で記念として語り伝えられる、とイエス様がいわれた程の行いなのです。初めはただ文字通り、この女性がどんなにかイエス様を愛していたのだろうと思いました。それから一人一人の信仰によっていろいろな行為として現れてくるのではないかとも思いました。でもそうしたことではなく、「壺を壊す」という言葉のなかに深い意味があることを知らされました。

 C・S・ルイスはこぼたねばならぬ石膏の壺はわたしたちの心を意味すると書いています。ルイスのあるアメリカの婦人にあてた手紙のこの文を読んで、「本当に!」と思いました。「壺を壊す」とは自分を捨てることだと知らされました。するとふっとマザー・テレサの姿が浮かんできました。また「救ライの使徒」と言われたダミアン神父を思いました。

 マザーテレサのことは亡くなって10年余経ちましたが、知らない人はいないでしょう。マザー・テレサは介抱しているその病人の中に、死に行く人の中にイエスを見ていました。彼女の行為の対象はいつもイエスさまだったのです。

 ダミアン神父はベルギー人で「救ライの使徒」言われていますが、33歳の時、ハワイ群島の一つのモロカイ島に希望して渡ります。その島はライ病の人の島で、シスターが週に一度やってきて、食糧を運んで来てはすぐ帰って行くというような島でした(だったと思います)。彼がモロカイ島に行くと決めた時、家族やまわりの人たちは猛反対しました。しかし彼は1873年、モロカイ島に渡り、一人でそこに隔離されていた600人のライ病の人たちの看病をし、家を建て、子供たちのために学校を建てました。そして人々に見放されていた人たちに神の愛を説き、実践しました。

 モロカイ島に渡って10年目、ダミアン神父は感染し、1889年彼は亡くなりました。周囲の反対を押し切ってモロカイ島に渡った彼は、今度は国葬をもって迎えられたのでした。ダミアン神父もまたモロカイ島に住むライ病の人々のなかにイエス様を見ていたのでした。

 マザー・テレサもダミアン神父も石膏の壺を壊して、自分の全てを注ぎだしたのでした。すべての行為の中にイエス様がおられたのでした。

「壺を壊す」とは、ルイスが言っているように、自分を愛する心、自我をすっかり捨てることでした。これは確かに人間には出来ないことです。自我との戦いは死ぬまで続くと思います。終には主が勝利させてくださいますように!

 そうして初めて、「家は香油の香りでいっぱいになる。」(ヨハ12:3)のでしょう。

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リストボタン最も大いなる風   Y.T

 秋のさわやかな風、また厳しい冬が過ぎたあとの春の暖かい風、真夏の木陰で暑さに弱ったときに吹いてくる風の心地よさ等々、風そのものは特別なものを生産するわけではないが、心にも何かよきものを吹き入れてくれる働きを感じる。

 けれども、そうした戸外の風を全く感じることができない人たちもいる。それは長期の入院患者、また自宅でほとんど寝たきりのような生活をされている方々、また一日中室内の仕事をして、その後は電車で夜遅く帰宅するといった繰り返しの人たち等々である。そうした人たちは、風だけでなく自然のさまざまの美しさや清さにも接することができない。

 あるいは、たとえ外での生活をしていても、そのような風のよさを感じて受けいれる心を持っていない場合もある。

 しかし、だれもが共通して体験することができる風がある。それこそは、「聖なる風」である。旧約聖書の原語であるヘブル語、新約聖書の原語であるギリシャ語、さらにラテン語なども、風という言葉は、息、さらに霊という意味も持っているのは興味深いことである。(*

 それほど、古代の代表的な民族はみな、風とは単なる空気の動きだけでなく、人間にもある種の風(息)が吹いているのでなければ死んでしまうという共通の考え方があったのが分かる。

*)ヘブル語では、ルーァハ、ギリシャ語ではプネウマ、ラテン語では、スピーリトゥス(spiritus)という語であり、いずれも、風、息、霊といった意味を持っている。

 たとえ自然の風が吹き込まない病室であっても、締め切った部屋であっても、神の国からの聖なる風(聖霊)は吹き込むことができる。

 主イエスが処刑されたのち、弟子たちはどうしてよいか分からず、自分たちもとらえられるのではないかと恐れ、家にこもって内から鍵をかけていた。

 不思議な力をもって自分に呼びかけたイエスをメシアと信じて、すべてを捨ててイエスに従ったのに、そのイエスがむざむざと捕らえられ、鞭打たれ、ひどい侮辱を受けた末に十字架刑という最も恥ずべき刑罰によって殺されてしまった。その後イエスは復活したことを知った。しかしそれでも彼らの恐れは静まることがなかったのである。

 そのような絶望的な状況にある弟子たち、それはまさに彼らの魂に鍵がかかっているような状態であった。

 しかし、そこに入ってこられたのが、復活のキリストであり、それは聖なる風(聖霊)と同じお方なのである。神からの風はいかなるところにも、鍵を堅く閉じたところにでも、どこからともなく吹き込んでくる本質を持っていることか示されたのであった。

 このヨハネ福音書の記述は、この世に最も尊い風、力ある風の存在をはっきりと指し示している。たとえ私たちが病気になり、また老年になり、あるいは仕事の多忙のゆえに、さわやかな秋風や谷間を吹きわたる涼しい自然の風を受けることができない状況に立ち至ったときであっても、その聖なる風は吹いてくる。私たちの心が堅く閉ざされているときですら、主のお心のままにそこにも吹き込むのである。

 それは使徒たちに吹きつけて、世界にキリストの福音を伝えるようにと導いて、後の歴史を動かすほどの強力な影響を世界に波及させる力をも持っていたし、個人の誰にも訴えることもできないような心の深い悩みや悲しみ、あるいは傷をもいやしてくれるデリケートな働きをも持っている。

 この風こそは、部屋にいても、歩いていても、また病院や死が近づいたときですらも、どこからともなく吹いてきて受けることができるものなのであり、今日も二千年前と変ることなくその大いなる力を伴って吹いているのである。

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リストボタンあなたの罪は赦されたある日の礼拝の説教から    Y.J

人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。(マタイ第九章17節)

 イエス様のもとに中風で寝たきりになった人が運ばれてきました。皆、彼が癒されることを期待していました。

イエス様はその人々の信仰を見て、中風の人に「あなたの罪は赦された」と言われました。

 人々が呆然としている中、一人の律法学者か事の重大さに気づきます。彼は心の中で考えました。神の他に誰も罪を赦すことはできない。それなのに罪の赦しを宣言するとはどういうことだ。この人は神を冒とくしている

 これはもっともな考えです。確かに、神の他にだれも、罪を赦す権威も力もありません。ただし、この律法学者は罪の赦しを宣言したイエス様が何者であるか知らないため、結論が違ったのです。

 人々もイエス様が誰であるか分かっていません。そのため「罪の赦し」の言葉だけでは、不満を覚えたでしょう。イエス様は御自分には本当に罪を赦す権威があることを知らせるために、中風の人に「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われました。すると彼は起き上がり、家に帰っていきました。イエス様の言葉に驚きました。神のなさる業を目の当たりにして、恐れを覚えました。人々は神を賛美します。

 ここには人々の願うことと、神様のなさりたいことの違いが現れています。人々は病気の癒しを願います。しかし神が人々に与えたいと一番、願っておられるのは、罪の赦しです。イエス様が頼まれもしないのに「罪の赦し」を宣言されたのは、それが人間に一番必要なものであり、それを与えるために地上に来られたからです。神の与えてくださるものを、感謝していただきましょう。

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リストボタン名曲の中に示された神を証しする人々    I.E

 一九一二年四月一四日、処女航海の豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して沈没しました。死者一五一三人、生存者七0五人となった大惨事は絵や文字や映画にもなり、まるで伝説のように今も人々の記憶に刻まれています。イギリス出身の作曲家ギャビン・ブライヤーズ(一九四三~)は、一九六九年頃{タイタニック号の沈没}と言う曲を作曲しました。彼は生存者の中にいた副操縦士の証言を聞いてこの曲を思いついたのです。

証言によると、船のバンドの人達が沈没する最後の最後まで讃美歌の演奏をし続けたそうで、そのことに大変感銘を受けて作られたのがこの曲です。

 曲は深い祈り一色に包まれています。讃美歌は途切れることなく水嵩のふえる効果音の中でも清らかに響きます。作曲家は死の寸前まで楽器を離さず演奏を続けたバンドの姿を神の御業と捉え、彼らのことを証言した副操縦士も神が証し人として生存させたと思ったに違いありません。作曲家の脳裏には清らかな調べの中で主の御心に全てを委ねて黙祷する乗客たちが映ったでしょう。私自身もこの曲を聞いていると、乗客の一人になって船内で静かに祈っているような気分にさせられてしまいます。

 しかし時折船体のきしむ音やなにかが倒れる音が混ざり、切迫した臨場感は凄じいものがあります。船中は当然ながら予想だにしなかった事態に動揺し、死の恐怖に怯える人も大勢いた筈で、私は船体のぎしぎしした音にそれらを感じずにはいられません。讃美歌はイギリス国教会の{オータム}と{オートン}が重ねて使われているようです。豪華客船の沈没と言う大惨事も、神様の御手が触れて敬虔な祈りの曲が生み出されたのだと思っています。

 次に同じ作曲家による{イエスの血は決して私を見捨てたことはない}と言う曲を紹介します。彼の友人がロンドンの路上で苦しい生活をしている浮浪者たちをテーマにした映画を撮ったのですが、撮影中に浮浪者が突然思い思いに歌い始めたそうです。歌はオペラありフォークありバラードありとさまざまだったようですが、一人の老人が歌っていた歌が{イエスの血は決して私を見捨てたことはない}と言う讃美歌でした。これらの場面は映画には使われなかったので、作曲家は録音されたテープを貰いスタジオに持ち帰ってスタッフと共に聞きました。彼は次のように書いています。「・・・私はコーヒーを取りに下の階に行っている間スタジオのドアをあけっぱなしにしていた。帰って来た時私は、いつもは活気ある部屋が不自然にも静かになっているのを発見した。

人々はいつもより静かに動き、幾人は全く泣いて一人で座っていた。私のテープはまだ演奏していて彼らは老人の伴奏なしの歌にうちひしがれていたのだとわかるまでなぞだった。」歌詞は「イエスの血は決して私を見捨てたことがない 決して見捨てたことがないイエスの血は決して私を見捨てた事がない それは私が知っている一つのこと彼は私を愛してくださる」これが全てです。時間は七四分四三秒もの長さですが、ロック歌手トム・ヴェイツのヴォーカルで初めから終わりまでさまざまな表現で繰り返されています。矢内原忠雄氏の講演記録の「生死の問題」の中に人が生きると言うことは「キリストの御栄えがあがれば、それで自分の生きた意味、目的が達せられる。・・・」とありましたがギャビン・ブライヤーズの作品にはいつもこの言葉を思います。タイタニック号のバンドも副操縦士も又絶えず「イエスの血は・・・」と口ずさんでいた老人もはたまた彼らを曲にした作曲家も、神様の証し人だといえるでしょう。「私の口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り、なお、決して語り尽くすことはできません」(詩七一・一五)

この御ことばに老人の真情が重なります。

 全て神様の御業と気付かされ、これらの曲に出会わせて頂いたことにも感謝です。

(茶の湯)

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リストボタン「なぜ、なにもしないでここに立っているのか」      I.E

 マタイ福音書二十章に「ぶどう園の労働者」のたとえがあります。 雇い主はぶどう園の主人。この主人は神様です。神様はぶどう園で働く人を探していました。それで早朝から、何度かに分けて広場に行った。だが、どうして、もう働く時間が少くなってしまった五時頃になってまでも探しに出かけたのであろう。

  わたしは神様を知らない時、よくぼんやりと思っていました。二度と繰り返すことのない時が、足もとを流れていく。いのちが削られていく。わたしは今日何をしたのか。夜になる前、薄暮のころが一番不安でした。ほんとうは、もっと他にしないといけないことがあっただろうのに、何もしないまま日が暮れていく。でも本当にしないといけないこととは何だろう。どこへ行けば見つかるのだろう。

 夕方五時頃、一日の終り。それは、人生で言えばちょうど五十歳くらいの年齢になるのか、どうか。ぶどう園の主人は、早朝、九時、十二時、三時、五時とに分けて人を探しに出ている。一日をそんなふうに分ける分け方があるのか。「一日一生」と言う・・これが神様の、わたしたちへの命の区分なのかも知れない。

 その頃の自分を見てみると、昼の十二時頃は、大概は夢中で、とりあえず何かこの世の仕事をしていましたが、ホッと一息つくと同時に、疲れと、甦ってくるかすかな不安。まだ半日残っている。いや、もう半日過ぎたのか。わたしがここにいるのは何のため?  どっちつかずの午後三時。ほんとうに居るべき場所はどこ?あてのない旅人はどこへ行くのか、どこへ帰るのか。答えはない、どこにもない。人生とはこんなものか!何かが足りない、何が足りない?何のために生まれてきたのか。望洋とした宇宙、果てしない。その中心はどこか。何かが見えない。

 そんな日々の繰り返し。やがて疲れとあきらめの埃にまみれて灰色になり、人生の夕暮れどきに途方にくれて佇ったのはあの「広場」。神様が「なぜ、何もしないでここに立っているのか」と問いかけた「聖書」の中のあの場所、あの時間であったのかもしれません。

  「なぜ、何もしないでここに立っているのか」、この言葉。しかしこの世の誰が、そんなことを問うでしょう?この世の別空間のような所で、別の言葉で語りかけられた。わたしの心を見透かすように、向うから言われたのでした。問われたときは戸惑いました。これは驚くべき言葉でした。一方でそれは父親が幼い子供に、その目線にまでしゃがんで気づかわしそうに問いかけるあの姿、その心ではなかったかと思うのです。大人になっても迷子のよう。そしてどれだけ待っただろう。誰かがそう聴いてくれるのを。それは、いつのまにか親からはぐれてしまった幼児のようなわたしたちすべての魂に対して問いかけているように思います。

  五時頃に雇われたその人・・本当になすべきことを知りもせず、人生の大半を無為に費やし、あとはうす闇迫る魂の飢餓の中で消え行くばかり。眼に見えないところで(霊的に)おそろしく不幸だった。しかし「なぜ、なにもしないでここに立っているのか」、この問い、この言葉。それは、人一人が存在するためにどれほど重要なことだったか。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい(マタイ十:28)」とある。だからだ。救えるのはただこの方ひとりだけ。

  だからこんな遅い時間になってもこの方は、はぐれた者を待っていられた。この世に入っていくこともできず、神にも見放されたようなまま消滅していかねばならなかったかも知れない魂のために。このとき雇われた人はどれほどの感謝をささげても足りないと思ったにちがいありません。神様を知らなければこの世の誰もが、無辺の宇宙空間に放り出された赤ん坊。置きざりにされれば死ぬしかない。

  しかし自分自身、人生の大半と言ってもいいくらいの長い年月を、引き戻せないほど遠くは来たけれど、その間ひどく道を外させることもなく、罪のため滅ぼしつくすこともなく、導き通してくださったということにも、ふと思い当たるのです。以前はそれが誰であるかわかりませんでしたが、後ろになり前になり、確かにずっとある影が、つかず離れず共に歩いて、あの夕暮れの広場までいざなったこと、今になって気付きます。

  神様はわたしに、先ず魂の欠乏感を与えられた。 何のために。ご自分を知らせるために。なぜか今はあの虚しい中を過ぎた日々も懐かしくさえ思えます。「なぜ、なにもしないでここに立っているのか」、それには深い憐れみの響きがあり、永遠の魂の故郷へのいざないがあります。(ザーカイが、イエス様を一目見たいと思い、いちじくの木に登っていたとき、イエスはザーカイをじっと見て言われた。「ザーカイよ、急いで降りてきなさい(ルカ十九・5)」)イエス様の、永遠を貫き見通すまなざしは、魂の飢餓にあるものをよく知っておられて、宇宙に放り出された赤ん坊のような者を残さず御手のなかに集めていく。日暮れになっても、夜が来ても、深い淵の底から天を仰いで父を求めて哭き叫ぶようなときも・・・たとえそれがこの世の外れのような、そんな寂しいところであればあるほど、イエス様はその赤ん坊から眼を離さない。

  ー神の内に安住するまで、人の心は平安を得ない。(アウグスチヌス)

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リストボタン福祉への道   I.M

 私たちはしょうがい者の人達が地域で生活し、働き生きる場として「いのちのさと」を聖書とキリスト教を土台として運営しています。

 名前も聖書にある「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ誰も父のもとに行く事は出来ない」(ヨハネ一四・6)と言う御言葉から取りました。

 1975年末に会社を退職し取り組み始め30数年になります。

 今は知的、精神、身体の三しょうがいの人達が農業、酪農、椎茸栽培、うどん店、パン、菓子、豆腐、牛乳製造などの仕事に従事しています。

 利用者は30人少々で、宿泊している人も9人います。

  この仕事を始めたきっかけは色々ありますが、振り返ってみると原点は35年ほど前に他界した祖母の影響が非常に大きいと思います。

 自分の父は戦後農地解放で多くの土地を没収され、残った家屋敷、土地も他人の連帯保証人になった為、総て失い(先祖代々の墓だけは残りましたが)家族全員母親の実家に転がり込みました。

  自分が生まれて間もない頃です。

 そこで両親は小さい借家で縫製を始めたのと、叔父夫婦が家を新築し引っ越した為  中一の終わりまで祖母と二人で暮らしました。 と言うのも祖母は戦後医者の治療ミスで全盲になり、住み慣れた家がよいと希望した為です。

  明らかに誤診で、後から診た専門医に訴えるよう言われたのを断ったそうです。

  よく「他人を恨んじゃあいかん。恨まれた者が苦しむだけで目が見える様なる訳   じゃあない。これが自分に与えられた運命じゃけん」とよく言ってました。

 その運命を黙って肯定的に、受け止めていました。

  それでも祖母は明るく、料理をし、歌を口ずさみ,字や算数を教えてくれました。

  特に銭湯へ一緒に行く時は、1㎞ほどの道のりを童謡を歌いながら行き、又匂いにも敏感で、道端に咲いている花の名前を匂いで当てるので、理由を聞くと、「興味を持って好きになればわかる」と言っていました。

 キリスト教に接した事はなく、少し意味が違うかわかりませんが「神さんは、きれいな景色を造ってくれた。感謝せないかん」と自然を敬い、朝はいつも太陽に向かって手を 合わせていました。

  その祖母と一緒に生活した事が福祉に関心を持つきっかけになったと思います。

  そして若い頃ふとしたきっかけでキリスト教を知り、細い糸でずっと切れずに繋がっていたのが、今は神様無しでは考えられない事業所になってしまいました。

 長い間色々な事がありました。

精神的、経済的にも苦難の連続で、今年は正月早々受け入れていた自称クリスチャンのホームレスの人が飲酒で交通事故を起こしその支払いに追われ、又4月には出荷していた直売所が自己破産し、滞っていた売上10ヶ月分が無になり、そして支払いのお金を盗まれたりと、金銭面では散々な年です。

  しかし聖書の御言葉には「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者には、背を向けてはならない。」(マタイ五・39~42)と有名な箇所があり、又「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせる事はなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃がれる道をも備えて下さいます。」

(コリント第Ⅰ一〇・13)と言う御言葉もあります。

 本当に神様を信じていれば絶望はありません。よき道を示して下さり、常に希望を持つ事が出来ます。

  今の世の中暗い方向に向かっています。人の心も傷ついています。

  しょうがいのある人達も同じです。

  その様な人達の憩える心安らぐ場として神様を中心とした事業所であり続けたいと  思います。

  今利用者も増え続け、職員不足で忙しい毎日ですが、どうかこれからも皆様のご支援、お力添えをお願い致します。

(NPO法人いのちのさと)

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リストボタン「時」    I.M

年を重ねるに従って、月日の流れるのが速く感じられます。

神様から一方的に与えられ、人間がどうすることも出来ない、有効期限のある「時」を今年も怠惰に過ごし自分のためだけに使ってきた時間の多さに自分の弱さを感じています。

    キリストを仰ぎて黙す

    けわしい路をおもう

    キリストにつかまろう

    キリストにつかまろう

    ふりはなされても

    ふりはなされても

  八木重吉 詩

少しでもイエスを真ん中にして長い時間を過ごす日々でありたいものです。

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リストボタン主われを愛す     I.U

主われを愛す

主は強ければ われ弱くとも
 恐れはあらじ
 わが主イエス わが主イエス
 わが主イエス われを愛す

      新聖歌五〇五

 眠りにつくまで心の中で歌っております。過ぎた年月を振り返って見ると、悲しいこと苦しいことの多い年月でした。若い時イエス様にお会いしていたら、このように苦しむこともなかったのではと思ったり、苦しみにおうた故イエス様が杖をさしのべて下さった、近づいて下さったと言うことが分かるようになりました。

 わが罪のため さかえをすてて

 天よりくだり 十字架につけり

自分がいかに罪深き者であるかを分からせていただきました。

 みゆるしあらずば ほろぶべきこのみ

 わが主よあわれみ ゆるしたまえ

 イエス君よ このままに

 われをこのままに 赦したまえ

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リストボタン「荒れ野で恵みを受ける」     U.J

 五月に行われた徳島の無教会全国集会に参加させていただき、多くの方々と主を賛美し、礼拝できたことを感謝しています。

 この四月から新たな仕事にチャレンジしています。以前長く携わっていた事務と全く畑違いで、小学校の図書室で子ども相手に司書をしています。

 仕事の内容は、私の得意なことや与えられた賜物を生かすことのできるもので、感謝でした。特に絵本の読み聞かせに持ち味があると言われていて、用いられています。子どもも自分で苦手だと思い込んでいましたが、いまだに慣れないことも多いものの、彼らのことばや態度に笑わされたり、癒されたりすることもあって、初めてかわいいと思えるようになりました。

 二校兼務で、一校は田舎にあり、そこの子達は野生児のよう(?)で子どもらしく、関わりも濃いので、特にかわいいと思えます。でも、そこは通勤に時間と体力を非常に要し、家に帰ると、へとへとになります。

 また、両校とも教職員との関わりで非常に神経を使います。拘束時間は結構長いものの、アルバイトですし、教員の補助的な立場のため、言葉は悪いのですが、こき使われているという感じがするのが、疲れの一番の原因です。

 一年目なので、修行と思って耐えなければと思うのですが、ストレスがたまって、この一年持つかしらと日々不安になります。それとともに、年齢的なものも加わって、心身が不調となり、生きているのが苦痛に思うこともしばしばです。

 以前の事務職も人間関係で大きくつまづいて、心身ともにダメージを受け、やめることになったのですが、こうしたことは主にあって勝利するまで、試練としていつまでも与えられるのでしょう。

 最近、昔なじみのクリスチャンの先輩と再会し、エレミヤ三十一・1~4を示していただきました。その中の、「荒れ野で恵みを受ける」と、「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し変わることなく慈しみを注ぐ」、「再び、わたしはあなたを固く建てる」というみことばによって、大きな慰めと励ましをいただきました。

 それにより、実はまたしても遠ざかっていた信仰がよみがえりました。神様から与えられた使命がある限り生かされるということも示され、今さらながら、私の使命は何かということを主に示していただきたいと思っています。

 その方から、日々、イエス様を着て出て行きなさいといわれ、頭ではわかっていたのですが、できていなくてずっと負け続けていたことにもう一度気づかされ、出かける前に祈るようになりました。

 クリスチャンになって長いのに、全然信仰が成長せずに常にアップダウンを繰り返しているのが情けないですが、そんな私を見捨てずに、主はいろんな機会を通して立ち返るように働いてくださっていることを思わされています。

 弱さの中で完全に働いてくださる主により頼んで、先のことを思い煩わずに歩んで行きたいと願う今日この頃です。こんな私のために覚えてお祈りいただけたら幸いです。

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リストボタン苦しみを担う者の信ずるところ    O.S

 大事をなそうとして

 力を与えてほしいと神に求めたのに

 つつしみ深く従順であるようにと

 弱さを授かった。

 より偉大なことができるように

 健康を求めたのに

 より良きことができるようにと

 病弱が与えられた。

 幸せになろうとして富を求めたのに

 賢明であるようにと貧困を授かった。

 世の人々の賞讃を得ようとして

 力(チカラ)を求めたのに

 神の前にひざまずくようにと

 弱さを授かった。

 人生を享楽(たのし)もうと

 あらゆる者を求めたのに

 生命を授かった。

 求めたものは一つとして与えられなかったが

 背ける身にもかかわらず

 言い表せなかった祈りもすべて叶えられた。

 私はあらゆる人の中で

 もっとも豊かに祝福されたのだ。

    (作者 不詳)

主婦

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リストボタン聖書を偶像化していないか      札幌市  O.S

 聖書は神の霊感によって書かれたものである。神聖なものとして受け止め、粗末な読み方をしたり、粗末に扱ってはならない。

 しかし、その聖書の真理そのものを重要視せず、表面的に神聖視していることがある。例えば、戦争に徴兵されて、戦地にいった兵士が敵の弾丸を受けたが胸のポケットに入っていた聖書のお陰で、負傷しなかったとか、よく、耳にしたり、読んだりするが、なんとも思わないで、至極当然のように納得してはいないだろうか。

 聖書を、自分に都合のよいように解釈していないだろうか。

 キリストの名をかたって人々を惑わしている新興宗教も、表面的には敬虔な姿を装っているが、実は真の神をないがしろにしている。それは神の最も嫌う偶像礼拝ではないだろうか。

 ここに、かしこに、真理からそらそうとする声、「ほら、ここにキリストがいる」(マタイ二四・4)という声があり、人々は真の平安がなく、心を騒がせている。

 サタンは、心の隙をついて、神ならぬ神を仕立てて人を真の神から目を反らさせてしまう。

 私たちは、聖書を読んで、そのなかに今も生きて働き給う生ける神の聖霊に触れることができるように導かれたいと思う。

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リストボタンころんで    O.T

 八月十八日犬の散歩に出る隣の犬と喧嘩をする。綱に足を取られ、いやと云う程腰を打った。其れから二ヶ月床の身となった。一ヶ月頃から畑に行ったり草刈りをしたり、どうにか動いていた。朝食の時マルコ伝を読む事にしている。癒しや奇跡が多く書かれている。多くの人々が求めるものは癒しである。それでも痛い時「助けて下さい」心から叫ぶ、もう十分痛がりましたから、体が動かせない分霊的に高められる今朝は手を付いて起き上がる事が出来た感謝する。七十七才毎日どのように生きるかは私にとっては大変な日課である。今朝は孫娘が加わって四人で聖書を読む。マルコ伝パンの奇跡である。男五千人すごい数の人々である。イエスは数名の輪をつくりパンを祝福された。食い残りが七箱もあった。

 今の世界を考えて見た、アメリカの不況から初まり世界は大変な混乱におちいっておる。世界には金は有り余っている。金の動きが無くなっているから、経済がうまくいかない。ガソリンを高くして金もうけをした其の裏が来ているガソリンは安くなって来ている。安くなっても世界の指導者は困っている。食べる人がいなくなったらパンはいらないのである。祈りのある生活には余るパンはいらないのである。孫娘が聞く株と為替は何かと。金は無くなるから紙に書いたお金を使う。株は会社の元金を集めて動かす、為替は国と国の金の値段であると云うが株も為替も世界の金満家によって踊らされている。余った金は必要をなしていない。祈りの生活には興味ない事である。

 パンの奇跡で幸い不信も無く済んだ「助けてください」キリスト・イエスに何の疑いもなく歌のように口ずさむ。

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リストボタンみ言葉は神の力     O.E

 月一回、「いのちの水」の発送の日は北島夕拝に参加しています。旧約続編を学んでいますが、その中でも知恵の書の学びは初めてだったように思います。

学びで印象に残っているのが、み言葉は神の力であると教わった箇所です。

 「主よ、彼らをいやしたのは、薬草や塗り薬ではなく、すべてをいやす

あなたの言葉であった。」 (知恵の書十六・12

そのすべてをいやしてくださるみことばを私たちは受ける必要があります。

そのために主のもとに出かけていき、みことばを聞かねばならないと

教えてくださっています。

 「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って魂に命を得よ。」      (イザヤ書五五・3)

命を受け取るにも聖霊によらなければ心に入ってこない。

聖霊よ、来てください。とお祈りし、み言葉を与えられたいと思います。

 (主婦)

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リストボタン十字架を負って   K.K

 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。(マタイ十六・25

十字架を負って生きる

重い十字架を負って生きる

十字架は

神の裁きと赦しのしるし


償うことのできない罪

それは

どのようなことをしても償うことができないから

わたしの行く先

最終的には絶望しかなかった


十字架を負って生きる

重い十字架を負って生きる

ある日

神様の光によって

わたしの罪が鮮明に示された

しかし

何と言うことだろう

罪と共に赦しも示された

神様が全ての罪を赦してくださるという

罰は主イエスが身代わりとなって受けて下さった


十字架を負って生きる

重い十字架を負って生きる

さまざまな苦しみもある

かなしいできごとも次々おこる

こんな事なければよいのにと思う

しかしその

ひとつひとつが

自分の罪のために

神様から与えられた十字架

罪を思えばなんと軽い罰であるか

そしてその痛みによってさえも

神様は良きことを教え与えて下さる


十字架を負って生きる

尊い十字架を負って生きる

主イエスがわたしを赦してくださり

主イエスがわたしを愛してくださる


清い十字架

慕わしい十字架

わたしの十字架

主の十字架

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リストボタン2008年10月7日 M.Aさんの思いで  K.K

 わたしがAさんと親しく話しをするようになったのは、Aさんが入院してからでした。入院中のA子さんとの面会を重ねる内に、だんだん心が打ち解けてきて、親しくなってきました。会うたびにいろんな話をしました。わたしはA子さんに仕事のこと、家族のことなど、素直にいろいろ話しました。話しやすい人でした。A子さんもいろんなことを話してくれました。

 一緒に、窓から見える大麻山を見ました。夜が来ると頂上に点灯する話しをしました。A子さんはそれから、夜が来ると、大麻山に灯が灯るのを見ていると言っていました。また、一緒に治療のことを悩みました。それから一緒に子供の話もしました。夏未さんのことをうれしそうに話していました。

 ある日、わたしは、私自身の救いのことを話しました。わたしがどれほど、恐ろしいような闇の中でいたか、苦しくて、気を紛らわせようとして、いっそう孤独になっていったこと、もうだめだと思っていたところにイエス様が来てくださったこと。それから、全てが変わっていったことを話しました。そのとき、A子さんが、しみじみと「よかったなあ」と、言ってくれたことを思い出します。それからずっと、そのことについては話さなかったのに、最近になって、ある時、「Kさんの苦しかったときのこと、思い出した」と言ってくれたことがありました。A子さん自身も苦しい中にあるときだったのに、A子さんがわたしの苦しみを思っていてくれたことがとても心に残りました。

 また、以前、入院中に一冊の詩の本を持って行ったことがありました。「病気の時は、どんどん泣こう、そして病気の時こそ大きな全能の神様の御手にすがろう」という、ある、大きな病を経験した牧師の書いた詩でした。後になって知ったのですが、A子さんはその本で励まされて、同じ部屋の人に勧め、部屋の中で次々と回覧され、そして、誰かに差し上げたようでした。また、同室者の方が、知り合いの病気の人にわたしたい。ぜひ、購入したい、と言われたとのことでした。このこともA子さんの優しい人柄を感じました。

 最後の訪問は10月3日、自宅に行ったときでした。楽しく話をして、帰り際にお祈りをしました。そして、みんな祈っているから、と伝えると「ありがとう。こんな私のために祈ってくれて申し訳ない」といって、涙ぐんでいました。それから、顔一杯の笑顔で見送ってくれて、手を振ってくれました。それが最後になりました。二日後に召されるとは思いませんでした。

 心の貧しい人は幸いである。天の国はその人のものである、と聖書にあります。自分を誇ろうとしない心、傲りたかぶらない心に神様が来てくださる。A子さんを思うとき、この聖書のことばがうかびます。わたしはA子さんからは、一度も、傲ったり、自分を誇ろうとするような心を感じることはできませんでした。そしていつも、笑顔でした。

 A子さんに出会えてよかったです。A子さんに出逢わせて下さった神様に感謝します。

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リストボタン山にむかいて目をあぐ      K.T

 われ山にむかいて目をあぐ

 わが扶助(たすけ)はいずこよりきたるや

 わがたすけは天地(あめつち)をつくりたまえる主よりきたる

 主はなんじの足のうごかさるるをゆるしたまわず

 汝をまもるものはまどろみたまうことなし

 視よイスラエルを守りたまうものはまどろむこともなく眠ることも なからん

 主はなんじをまもる者なり

 主はなんじの右手をおおう蔭なり

 昼は日なんじをうたず

 夜は月なんじをうたじ

 主はなんじを守りてもろもろのわざわいをまぬかれしめ

 またなんじの霊魂(たましい)をまもりたまわん

 主は今よりとこしえにいたるまで汝のいずと入るとをまもりた まわん(詩篇第一二一篇 文語訳)


 『主はなんじの右の手をおおう蔭なり。ひるは日なんじをうたず夜は月なんじをうたじ』この詩が第一二一篇との出会いでした。聖書を学んでいるとはいえ、当時二十代の私に『神の義』のみ厳しく、鞭と裁きそのものでありました。そんな時このひとことが胸に飛び込んで熱い力となりました。その後次第に詩篇は身近な心の糧になっていきました。

 私の旅路はもう終わり近くなりました。神のエルサレムの門近い丘に辿り着いているのかもしれません。ここまでの途上のさすらいはその都度暗く長い苦渋と痛みと孤独。幾度足をとられ、すべろうとしたことか。しかしみ手は私を支えて立ち直らせ、ここまで持ち運んで下さいました。丘の階に佇んでふと振り返るとそんな歳月も一瞬のようであり苦悩の幾山河が美しい風景となって足もとに連なりひらけ、我執(がしつ)の固まりのような私さえその眺めの中、点描のように融けてしまっているふしぎをみる心地がします。

 いつも共にいて支え清め続けて下さる時空をこえたみわざみ力。ハレルヤ。

荒野を神殿礼拝に 上り行く 巡礼者。

それは今の私、山に向かって眼を上げながら祈りつ、声を合わす賛歌、それは私の歌。

今しばらく神の宮エルサレムに着く日までこれらの人たちに伴われてどうか巡礼を続けさせてください。

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リストボタン愛の波動    K.M

「ある人、神の愛に感じ、これに励まされてわれを愛せり。われその人の愛に感じ、これに励まされてある他の人を愛せり。かれまたわが愛に感じ、これに励まされてさらにある他の人を愛せり。愛は波及す、延びて地のはてに達し、世の終わりにいたる。われも直ちに神に接し、その愛をわが心に受けて、他に愛の波動を起こさんかな。」内村鑑三所感集より

 私もある人から、神の愛を知らされ、励まされた。他の人に神の愛を伝え、その人も、神の愛を感じ励まされたとのこと。本当にうれしいことです。

 一番身近な人に神様の愛に触れてほしいと思います。

 「神様なんかいない、自分は運が悪い、努力しても報われない、世の中が悪い、不満ばかり。」と思っている人に神様が伝わりますように。

 私もそうだった。神様に出会うまでは。

 今のこの仕事も神様があたえてくださったと信じた時から感謝し愛することができるようになりました。

 神様の愛を伝えたいと思いながら、私は弱くて自分では清い心にはなれません。けれども、今はその人に試練があっても神様のご計画の中にあって、時が来ると良き方へと導いて下さると信じています。

 神様の愛が大波のように流れて行きますように。(美容サロン ルカ)

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リストボタン三ヵ月の道のり  K.S

 水曜日の読書会に参加させて頂くようになって 早、三ヵ月が過ぎようとしています。

 十月八日、御言葉の講話の後、内村鑑三の『秋酣なり』というタイトルの詩の輪読がありました。最初の二・三行を私に読誦するように指され、久し振りに小学生に戻ったような心地で、〝庭前の竜胆・・・〟おや? にわまえなんてことば日本語にあったかしら?

その時点で 吉村先生に教えて頂いたら良かったのに、気になり乍らその日は家路につきました。然し昼間の庭前が頭から離れません。ああそうだ!若い時、兵庫県の夢前の町を旅したときの町の名が夢前であった。広辞苑で〝前〟を調べました。

ありました。庭前・庭先、双方とも同じ読み方で前という字はさきとも読むことを知りました。やっと庭前は、心の?にストンとおちました。間違えて読んでしまって本当に皆様に申し訳なく、すまなさでいっぱいでした。無知の愚とはこれだからこまります。

最近、頓に長女から「お母さん、丁寧に生きて」と言われていたのに、また大雑把な性格が露呈してしまいました。

 丁寧に読むことも 生きることも すべて私には欠けている所ばかりです。

〝三つ子の魂百まで〟といいますが、幼い頃の性格はなかなかなおらないものです。

丁寧に生きるなどとはこれ迄考えたことはありませんでした。丁寧に生きる、娘に言われたこの言葉は私の琴線にふれました。

 必死で生きることしか知らず、還暦を過ぎてもどう生きていいかわからず、もがき苦しんでいる母親の姿を目のあたりにして、娘は自らの姿を重ねていたのでしょうか。母親に厳しく、痛いところをついてきます。

 母と娘はコピーのようなところもあり個々には似てないと思っても相似形であることは実母と私の関係でもあきらかです。

 戦後の混乱と無秩序の日本に団塊の世代として生まれ、教養も躾も身につけることなく育った母親の私を見るにつけ危なっかしく思ったのでしょう。

 六十年以上生きてもなお、不安と焦燥感に苛まれ、どう生きたらいいか、自分は価値のない人間だと自らを位置づけて生きてきたこの私の苦しみを知ってか同じ団地に住む、伊丹さんが「一緒に集会に行ってみませんか。」と誘って下さり、参加させて頂くようになりました。

 聖書をわかりやすくひもといて解説して下さる吉村先生の講話に、静かに耳を傾けるうち、こんな世界があったのかとうれしく次に集う読書会を心待ちにするようになりました。まだ聖書も内村鑑三の所感集も借り物です。

 ある日、聖書をめくっておりますと、こんな御言葉がしるされていました。

「創造主の前では 存在価値のないものなど一つとてない」

まさに、創造主である神さまは 生きとし生けるものみな何憚ることなく生きてよいと言って下さる気がいたしました。創造主の前での『存在価値』この世の中で何も役に立っていないように思って生きていた私の処世訓が根っこから覆された気がいたしました。

私という人間も神さまの創造物だったのだ。神さまの存在を決定的に感じた瞬間でした。その後、不思議な体験や幸運に繋がる予兆、みんな神さまから頂いた賜物で徐徐に神さまの存在を感じるようになりました。それから以後、不安や焦燥は消え去り、安定した毎日を送ることができていると思います。

 キリスト者になるなんて一生の計画には入っておりませんでしたので驚いております。

 三ヵ月経った今では、何もかも神さまを基準に考え手を合わせて相談しています。

 どうか御もとにおいて下さいまし。と祈る心の中はいつも平和でいられます。

 あのとき、神さまの御もとに道すじをつけて下さる方がいなければ私はどうなっていたのだろうと思うとき、苦しみの行方が神さまの御もとで大きな安らぎにかわり、身にあまる心の財産を賜りました。

 まだ、まだ、うすい信仰で神さまのおそばに近づいたなどということはおこがましくて恥じるばかりです。

 しかし、この三ヵ月で私は変わりました。鬼に金棒、畏れ多いのですが、天のおとう様がなによりの大きな味方です。

 こうして生きられるように導いて下さった田宮無教会の吉村先生はじめ会に誘って下さいました伊丹さん、会に集う皆さまに感謝を申し上げます。

 家庭の事情で水曜日しか参加することができませんが、できるだけ休まないよう、生活を調えていきたいと思います。

(ケーキ店経営)

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リストボタン2008キリスト教無教会全国集会(徳島市) 証しの抜粋      K.Y

 2008年の5月に徳島市で開催された全国集会で証しをしましたが、その中の一部を次に記したいと思います。

 人間には他人に言えることか言えないことかは別にして、誰でも弱い部分を持っています。私は私の弱さをここで告白したいと思います。今日の証しで一番言いたいことです。それがキリストを証しすることになると思ったからです。

 私には麻薬を使わなければならないくらいの脊髄の病気特有の全身の痛みが30年以上続いています。焼け火箸を束ねて体中をかき混ぜられるような強烈な痛みです。一瞬たりとも消えることはありません。実際に強い薬を使っていますが、充分には痛みを取り除くことができません。自分では解決できないどうしようもない痛みです。今の医学でも解消できません。自己解決出来ないからにはあきらめるしかありません。

 そんな痛みを和らげる方法が一つあります。クリスチャンならもうお解りだと思います。イエス様の十字架の痛みを思い浮かべることです。イエス様は私たちのどんな大きな痛みより、想像もできないような絶望的な苦しみを味わわれたのです。私たちの痛みなどは、それに比べるとちっぽけなものです。そう考えると自然と痛みも薄くなり、信仰も深くなってきます。

 クリスチャンは神様に委ねるという特権を持っています。今まで苦しみも痛みも悩みも担って下さった神様だからこそ、これからもそうして下さるだろうと言えるのです。

 カール・ヒルティは述べています。「どんな苦痛でも、それにすこしの罪も混っていなければ、堪えられるものである。」と、痛みはいつかは安らぐものですが、そうならない時は天に召されるのです。そう強く信じて生きています。

 私は信仰の友の祈りを必要としています。どうか私の友になって下さい。そして私のためにもお祈り下さい。私には熱狂的な信仰は必要ありません。静かな信仰で充分です。御国よ、早く来て下さい、イエス様来て下さい、といつも祈っています。

 聖書に出てくる多くの障害者や病人たちはイエス様に癒されたり清められた時、神を讃美しています。私たちは実際の病気や痛みは治らなくてもイエス様を信じた時にはすでに癒されているのです。神を讃美する姿勢が必要なのだと思います。それが信仰だと思い、最期までそれを全うしたいと思っています。私は自分自身の力で生きている、などと言う思い上がった考えは持っていません。委ねて生きるという気持ちでいます。これからも、目立たぬように静かに静かにいるつもりです。

 最後に、私の好きな讃美で、心から慰められる歌詞を拝読して、この証しの終わりとします。

新聖歌 442 「病の床にも」第一節

「病の床にも慰めあり

 われらに代わりて血を流せる

 主イエスの苦しみ思い見れば

 痛みはいつしか忘られけり」

  アーメン

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リストボタン賛美は祈り    K.H

主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ。

わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す

                 賛美歌21-484

あなたの御言葉は、わたしの道の光

わたしの歩みを照らす灯(詩篇119;105)


 今年2008、5月10~11日無教会全国集会がセンチュリーホテルで開催された。

 聖霊に満たされ祝福された集 会だったことが心に残っています。

お一人お一人の証をお聞きし弱い所にこそ主の力が働くということを感じ、そして力づけられたこと本当にありがとうございました。

この世をみていると悪の勢力が強いように見えますが、歴史を学び聖書を学んでいると悪は必ず滅びることを思わされます。

イエス様も私は既に世に勝っていると言われています。

そのイエス様を信じ正しい道が歩めますように祈りもとめていきたいと思います。

また賛美をしているとこころが安らいでくるのを覚えます

一つになることは難しくとも互いに助け合い祈り合っていくことをも求めていきたいと思っています。

お祈りありがとうございます。

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リストボタン神のおとずれの時     K.S

 毎週夫婦で徳島集会のCDで家庭礼拝をしております。先週の学びはルカ十九・3744。中でも最後の部分が心に響きます。「四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。」

 世界中の金融が崩壊しつつある今、破綻の理由を指導者達は運営の方法の失敗によるものと考えているかのようです。

だから貧しいものから吸い上げてきた富を更に支配層の人々へ無条件で注ぎ込もうとしています。


 今、エルサレムの崩壊を予言して言われたこの言葉が強く迫ってきます。ここではその理由が「神のおとずれの時を知らないから」と書かれています。強力な軍隊による弾圧、陰謀による戦争、国家の規模をはるかに超える賭博、真実の隠蔽、弱者の命の軽視。これらの悔い改めなくして罪は大きくなるばかり、


 一方、私達の生活は支出が増すばかり。手数をこなす事で何とか乗り切らねばなりません。ともすると神のおとずれを知らないもののごとく振舞っています。しかし、目を転じるとそこには果てしない神様の恵みが満ち満ちています。日々の祈り、心にイエス様を迎え入れる時間がより大切に感じられます。心の底から暖められるようで感謝です。

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リストボタンRejoice in the Lord! (主にあって喜べ!)  K.H

 北海道の瀬棚町で養豚業を営んでいます。 養豚業と言いましても、母豚合わせても30頭ほどの超小規模。大きな農機は無く殆どが夫婦の人力での作業。農作業に加え豚肉の生肉販売加工までやっているので日々慌しく毎日が過ぎ去ってゆきます。

 忙しさのあまり心の渇きを感じたり荒れたり、明らかに神様から離れてしまっている心のバロメーター。

 幸いにして、我が家は神様が創られた大自然にすっぽり覆われています

 一日の仕事を終え、日々見飽きる事の無い海に沈み行く夕陽に目を留め、神様に立ち返る時間。

 Rejoice in the Lord! 

 私の内にとどまれ!

 主において常に喜んでいなさい!


今日も一日、感謝。


 マタイ6.33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」

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リストボタン主イエスによる導き     K.S

 私が松丘保養園(青森県にある日本最北の国立ハンセン病療養所)に強制収容されたのは、一九三八年六月十三日でした。しかし、私の発病は小学校三年生の時で、小児麻痺と診断され分かりませんでした。小学校六年生の春、姉と私は校医にライと宣告されました。これから新学期が始まろうとしていた矢先でした。受け持ちのI先生とS校長先生より、直ちに退校を命じられ、翌日より登校出来なくなりました。

 その日より、母の嘆きは深く、私たちの悲しみは大きく、誰も私たちを慰め救ってくれる人はおりませんでした。

 今まで私を登校・下校の時、グループで苛めていたガキ大将や友だちは、もう誰も遊んでくれなくなりました。その苛めとは、生きた蛇を帯にくくりつけたり、馬乗りになってくすぐったり、島流しにされたりしました。その時、私は苛められてもいいから遊んでくれたら嬉しいと思いました。

 青森へ出発の朝、母はあんパン一つを買って来て、姉と私に半分ずつに分けて、弟や妹に隠して食べさせてくました。貧しい母の唯一の愛のごちそうでした。

 八戸警察署から白い制服を着てサーベルをさげた巡査が、「診察が終わったら必ず連れて帰るから」と母を騙して、私たちを松丘保養園に強制収容に参りました。その頃、全国的に無らい県運動が盛んに行われていたことを知りませんでした。その時、親戚の人が青森の病院に行くと殺されるから、騙されないようにと、母に注意してくれたことを覚えております。

 いよいよ故郷の種差を離れるとき、長男の私は一九三四年に結核で亡くなった父の遺骨を抱えて、神子沢霊園にある先祖の墓に埋葬した日が、悲しく思い出されました。また、脊髄カリエスでギプスに嵌められて寝ている弟に心を残しながら種差駅を発車し尻内駅で乗り換え、終着の青森駅に到着し、間もなく松丘保養園に着いたのは、ちょうど正午でした。やがて病院の診察室に案内されると、宇宙服のような服装で中條園長先生と看護婦さんが、私たち姉弟を大きな台帳に記録しながら診断して下さいました。最後に写真を撮って終わりました。結果はらいと診断され、巡査は姉を少女舎に、私を少年舎に連れて参りました。

 その時、巡査は「五年位一生懸命に治療したら、病気がなおって家へ帰れるから、病園にある学校でよく勉強し、友だちと仲良く遊んで下さい」と励まし、五十銭銀貨二枚を姉と私に渡して帰ってしまいました。

 その夜、私は布団を被って母を恋い慕い、弟や妹のことを思い眠れない夜を明かしたことを忘れることはできません。

 私はその日に見た病園や病者の様々な顔や姿が思い出され、同じ病気なのに恐れと不安を覚えました。

 病園の門から桜並木が続き、第二の門には青森警察署の請願巡査が監視の目を光らせ、また、看守あがりの巡視が二人アカシヤと熊笹が繁っている高い土塀に囲まれた園内を巡回し一日二回、必ず点呼を取っておりました。

 園内にある松丘学園は、寺子屋方式の教育で、患者の中から学問と教養のある人が教師に選ばれ、教室が尋常、高等の二つに分けられ複式教育で教えておりました。

 卒業式には中條園長先生が校長を勤め、卒業証書を下さいました。

 このようにして、私たちは病気の治療と勉強に一生懸命励んでおりました。 

 私も翌年の三月、松丘学園卒業を機会に姉がお世話になったIさんを通して、中條園長先生に退園願いを出しましたが、間もなく、病気が再発して体全体に斑紋が現れ、口が歪み、右手が脱肉して曲がり、左足に傷が出来て退園を断念しなければなりませんでした。

 私の希望は、故郷に帰って漁師になるか、母の行商を手伝いながら弟妹たちを助け親孝行をすることでした。しかし、すべては絶望でした。

 少年舎の近くに大きな沼があり、その岸辺に松林に囲まれて火葬場がありました。病友が亡くなると同じ病友が交替で火葬しておりました。その火葬場に失明を前にした友人ST君が、猛吹雪の日、真っ裸になって自殺のために行ったことがありました。

 私もその火葬場で死にたいと思いました。しかし死にきれずに、第二次世界大戦を挟んで少年時代と青年時代を過ごして参りました。

 戦前の松丘保養園は教会とクリスチャンが烈しい迫害を受けた受難時代で、一九二八年七月三十一日教会に放火され全焼しました。

 また一九三六年十月二十二日には礼拝堂より失火し松丘は再び全焼し、私が収容され た時はちょうどバラック建ての松丘でした。戦時中は国家より弾圧を受け、私たちの教会(ホーリネス・メソジスト)は解散させられました。少年舎から大人舎に移った私は、園内のいろんな職に就きました。最初は慰安会が経営する売店でした。次に、園と自治会の作業規定により、不自由舎の付添看護や病棟看護に就きました。戦争中は松丘火防団に血書して入団し、アメリカ空軍の空襲に備え防空壕掘りをしました。

 一九四五年、日本はアメリカに敗れ敗戦の年を迎えました。この年の二月には積雪二メートル以上の豪雪のため、松丘保養園は埋没してしまいました。七月十五日には米空母艦載機グラマンによって、青森湾の青函連絡船・貨物船が撃沈され、農園室で作業中の寮友が機銃掃射を受けました。私たちも戦争の恐ろしさを目前で経験しました。

 さらに、青森市はB29爆撃機により激しい焼夷弾攻撃を受け、多くの市民の生命が奪われ焦土と化してしまいました。まるで生き地獄を見ているようでした。

 この年、私は左足の傷が悪化して病棟に入室し切断しなければならなくなりました。しかし、松葉杖を長く使用することによって指二本を切断しただけで助かりました。日本の敗戦によって、らい園にも平和が訪れ、新しい時代を迎えました。一九四六年十一月三日には日本国憲法が公布され、ハンセン病者にも初めて選挙権が与えられましたが、悪法ライ予防法は廃止されませんでした。

一九四八年、青森市出身のクリスチャンドクター・石館守三博士が日本とアメリカが戦争中、中立国スイスよりフアーゼット博士の論文を入手し、日本製プロミンを開発し多摩全生園と長島愛生園で臨床実験しておりました。そのプロミンが松丘保養園でも六月から使用されるようになり、私はその第一号に選ばれました。一時的には反応が顔と頭に現れましたが、すぐに落ち着いて二~三年後には完全に治癒してしまいました。この石館プロミンは日本全国のハンセン病者にとって第二の福音となりました。

 このような恵まれた時代に、新しく再建された入園者自治会より指名され、私は先輩たちの教師より指導訓練を受けて子供たちの教育に励んでおりました。

 かつて、松丘学園の習字の時間に少年よ、大志を抱けBoys be Ambitlous!)と書いていた私は、その後に続く -in Christ-(キリストによって)の大切な真理を知らないまま、子供たちに教えておりました。この有名な言葉はクラーク博士が、札幌を去るとき、馬上より札幌農学校の学生たちに贈った言葉です。

 その頃、失明して不自由舎で看護を受けていた無二の親友・ST君を、心から師と仰ぎ尊敬していたSS先生の所に背負って行き、哲学・心理学・芸術・音楽を、特に彼はゲーテやパイロンの詩集を、私はパスカルのパンセとダンテの神曲を学んでおりました。このように、私はらい園で良き師・良き友が与えられました。

 ちょうど同じ頃、IKさんが松丘学園を訪ね、私に旧・新約聖書をプレゼントし、イエス様に癒されたらい病人やラザロの復活を通して、さらに、旧約聖書ヨブ記や新約聖書のロマ書を開き、ヨブの信仰とパウロの祈りをもってキリストの福音に導いてくれました。

 この頃、私は天文学を通して四季の星座を調べ、子供たちに宇宙の神秘を教えておりましたので、天地宇宙を創造した神を信じることができても、イエス・キリストが神であることを信じることができませんでした。しかし、泉さんよりライ病人を癒し、ラザロを墓より甦らせて下さったイエス・キリストが私の罪と病と死のために、十字架について死んで甦って下さった救主であることを教えられ、信仰告白へ導かれました。

 昭和一九五〇年の秋、私は体育の時間にふとした不注意によって、右肩鎖骨を骨折して病棟へ運ばれ病床生活を余儀なくされました。

 私はこれを機会に松丘学園を辞任し、キリスト教の求道生活に励むことに致しました。一九四九年、Iさんが始めた教会学校を手伝いながら、聖書を学び信仰の指導と訓練を受けて、一九五一年六月二十四日七人の兄姉と一緒に洗礼と按手を受けました。その時、ミス・スペンサー先生が「KSさん、本当によいお名前ですね。今度は本当に神様の子供になりましたね。」と心から祝福して下さいました。

 私にとってライになって松丘保養園に強制収容されたからこそ、Iiさんと松丘聖生会を通してキリストの十字架と復活の福音に導かれ、現在、天国に救われていることを信じ心から感謝しております。私にとってライは神の摂理であり、神の恩寵でありました。

(本稿について「野の花」の編集者吉村 孝雄が二〇〇八年七月に、青森県の松丘保養園のkさんご夫妻を訪ねた折り、今までの経験の一端を「野の花」の文集に書くことをお勧めしました。しかしk兄は、老齢化のために十分なことが書けないから代わりにこれを用いて欲しいと、二〇〇三年七月に青森戸山教会で「イエスは私を救った」と題する証しを文章にしたものをコピーして手渡して下さったのです。その中から一部をここに収録しました。)

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リストボタン星と百合ある日の思い―     K.M

 今、夕空に見える木星と金星と三日月の三重奏に心奪われております。

 妙なる調べが聞こえるようです。創造のみ業を賛美するばかりです。紅葉の美しさと共に。

 「タカサゴユリ」がこの寒さの中で、一本返り咲きました。嬉しくて暖かな部屋に飾りました。 集会の皆様にも喜んで頂きました。

 ふと、このユリから、「受胎告知の名画のユリ」を思い出しました。清純なユリは、受胎告知という厳粛な場所に、相応しい植物として、多くの画家が描いたのでしょう。あんなに沢山咲いていた夏の日には、こんな思いにはなりませんでしたのに。(二〇〇八年晩秋)

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リストボタンはじめに言があった      K.R

    わが子よ、わたしはあなたの救いのために天からくだった。

    やむを得ないのではなくて、愛にひかれてわたしはあなたの悲惨を身に受けた。

                                トマス・ア・ケンピス「キリストにならいて」より

十月から聖書を学ぶ会を神戸で新しく始めました。数年前に徳島聖書キリスト集会の主日礼拝で吉村さんが語られたヨハネによる福音書をもう一度聞いて学んでいます。

一章一節に書かれている「はじめに言があった」という短いことばは、以前テープで初めて聞いて、私がイエス様を神様として信じるようになった衝撃の一言でした。

それまで意味不明だった『言』というのはギリシャ語でロゴスといい、これは世界宇宙の根底にある真理という意味もあり、肉体と名前を持つ前のイエスを指し示しているのだと知ったのです。

新約聖書になって初めてイエス・キリストが登場したのではなく、天地創造の時から既に存在し、イエス自体が神であり、光であり、宇宙創造にかかわり、世界宇宙の根底にある真理であることを改めて学びました。

そして私達人間への愛ゆえに人としてこの地上に生まれてくださり、私達の悲惨を身に受けてくださったのだと聖書のはじめから一貫した神様の愛を感じました。

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リストボタン不思議な夢      K.M

 夜中の二時頃、寝床についた。

 そして不思議な夢を見た。

 とにかく逃げ回っていた。何かに追われていた。

 死にたくない。主のことは全く忘れて、ただ逃げるのに必死だった。

そんな最中、とある見知らぬ伝道者に出会った。その伝道者曰く「何故主に委ねないのか。だから、心に平安が来ないのだ!」と一喝された。

私は主を仰いだ。そして言った。「主よ、お助けください。私を憐れんで下さい。」


 そこで目が覚めた。時計は午前四時であった。寝苦しかった。

暫くぼーっとしていて、今の夢は何だったんだろうと考えた。

 私は「一時の命」に執着して、不安に苦しめられ、恐怖におののいていた。

「一時の命」を偶像崇拝して、神・主イエスを第一に置いていなかったのだ。だから不安や恐怖から必至に逃れようとしたのだろう。

 主イエスを第一に置く者はマタイ十六:2425「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」これを実践することが出来よう。

 この世の命すなわち「一時の命」を第一に置く者は「永遠の命」を得ることはできない。

ローマの迫害を受けた基督者・日本のキリシタンなどはこのことがわかっていたのだ。

 だから主にすがって前向きに不安・恐怖と対峙したのだ、できたのだ。

 また迫害した者自身が、その罪のゆえにやがて悪夢にさいなまれることもきっと知っていたのだ。だからこそ、その者のために敢えて祈りもしたのであろう。夜の闇の中でそんなことを考えていた。

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リストボタン神様がしてくださったこと        K.R

「主は私たちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』 使徒行伝13章47節

この何カ月ものあいだ、主が私に送られている御言葉です。

私は去年の暮れから、家族で暮らすための家を探していました。 祈りながら歩みつつ、進んだ先に 現在、住んでいる家がありました。この家を私たち家族のために、前々から主の計画の中で備えとしてあったのだと家を見た瞬間にわかることができました。

「見つけた」と簡単に言っても半年以上、毎日、職場のお昼時間も仕事帰りも、新聞やインターネット、雑誌で土地と中古物件を、大げさかもしれませんが「狂ったように」探していたのです。週末となれば見つけた土地や物件を確認する事にほとんどの時間を費やしました。ここまで急いだのには、家の事情がありました。家探しを実行に移したのは去年の暮れからですが、親と同居できるための家に住むことは私が高校生のころから密かに願っていたことでした。祈りながら過ごす日々には、必ず家は与えられると確信がありました。なぜなら、諦めそうになる時には必ず励ましの御言葉が与えられ キリスト者の友から「絶対大丈夫!」と言葉がありました。神様が人や場所を用いて、私に家探しのために必要なパワーをくれるのを感じながら歩めたのです。

しかし、徳島集会に参加させていただいた1週間後、私が妊娠していることが発覚しました。お腹の子を喜ぶと同時に、子供がお腹にいての家探しは無理じゃないのか?と始めて諦める気持が心に浮かぶようになりました。 今までの事は私の強引な思い込みであって、「主の御心だ」と勝手に信じ込んでいたのを、このタイミングで妊娠ということで道が閉ざされたのだと「諦めよう」と決心。 家族で話し合い、その結論に達し契約寸前だった土地も、建物の設計もすべてキャンセルしました。

しかし、その直後に、とても心が軽くなったのです。朝の台所で、いつもより綺麗な朝の光が全身を照らしているのを感じて「ああ、神様が喜んでいる。もう、大丈夫だ」と心の底から喜びがありました。これまでの時間が、無駄になる結果なのに、不思議と安心感が心を満たしたのです。 その3日後、新聞広告で今回購入した家を見つけました。朝いちばんに見に行き、家族で即決でした。次の日には契約の手続きに入っていました。あまりの急展開に不安もあり「御心でないなら、止めてください」と祈り続けましたが、すべてのことが無事に進みました。感謝です。

沢山の土地や建物を見て、これまで知らなかった事を学ぶことができました。人々がどんな思いで家を持つのかも知ることが出来たと思います。だから中古物件であっても、ここまで希望を満たした物件はそうないということを知り、この家を建てた人たちの気持ちを感じて、建ててくれたことに感謝しました。 そして、この家に引き合わせてくださった神様の愛に十分に感謝して移り住むことができました。

引っ越しにあてた時間も、後になって知ったのですが妊婦の最も安定した時期で、その前と今のような妊娠後期には体力的にも精神的にもやりとげることは難しいことでした。このように、振り返ってみれば多くの計画の上に、私たちの歩みがあったことを知ることができます。

たとえば、私のような物の証しでよければ、用いてほしいという願いが5月の徳島で開催された全国集会で実現し(実際には泣いてしまって、少しも役立ったように感じなかったのですが)その後に、子供が授かったことを知って、集会前に分かっていたら妊娠初期に旅は控えたほうがいいと言われているので、集会への参加も証しも断念していたと思います。集会への行き帰りの道を、お腹の子が守られたことに感謝です。その後、子供のために無理に家を建てることはやめようと決めたところで移り住むだけでいい中古住宅を見つけることができました。今は、何の心配もなく年明けの出産予定日を迎えることができそうです。おなかの子供を通して神様がいつでも、どんな状況でも、全てのことを良い方向へ備えてくださっていることを教えてくださいました。

引っ越しも落ち着き、新しい家での生活に慣れた今日この頃、冒頭の御言葉がさらにいっそう心にこだましています。私のように、何の知恵も力もなく小さな私を愛してくださって、聖書に親しむことを許してくださって、これまでの沢山の罪も許してくださって 神様と共に歩む新しい人生を与えてくださった。 その大きな愛への感謝と恩返しとして、神様の栄光を私のこの先の人生をすべて使って表し、生まれてくる子供にも伝えていかなければと、思っています。どんな形で、私にそれをさせてくださるのでしょう? これから先の神様の私と私の家族への計画を知ることがとても楽しみです。

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リストボタン野の花」によせて   K.K

 今年はというか今年も 本当に色んなことがありました。嬉しいこと哀しいこと、悲喜こもごもでした。ほんとうに人生は永遠の途中なのだということ 実感しております。相変わらず日常に追われてる日々です、信仰的にも 全く成長が自覚できず不安になることも度々です。ただただ ささやかな祈りと折々に「神様イエス様」と声を出すことしかできていません。人の生死・泣くこと・笑うこと・・・光と影 その両方が必ず人生にはあるということ、そして主導権は神にあるということ。どうか謙虚さの中に生き抜くことができますように。

何事にも時があり

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時

植える時、植えたものを抜く時 ~ 

愛する時、憎む時

戦いの時、平和の時。~

神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。

(コヘレトの言葉 三章一節~十一節 より。)           病院事務

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リストボタン西澤兄の講話から      K.I

 今年の夏も静岡から西澤正文兄を集会に迎えて礼拝が行われ、マルコ福音書52535節から「あなたの信仰があなたを救った」と題して講話がありました。

 信仰は神様に向かう積極的な姿勢、神様を見つめる純粋な目、神様の前に立つのは一人一人である。ことの大切さを学ばせていただきました。

 また、長患いの女性が書かれているが、現実にもお仕事で接する障害児を持つお母さんが、障害者手帳を受け取る、それは障害を受け入れなければならないという辛さを持ったたくさんの人がいることを語られたことも残りました。

 この話を聞いて、私自身は障害があってもそれほど悲しみ苦しみをそれほど感じずに生きてこられました。特に神様と出会ってからは、障害者で良かったとも思えるように変えていただきました。しかし、障害者を持つ私の両親の心の内を思うことができていなかったことを思わされました。神様と出会って、障害者で良かったということを伝えておけば、両親の心の内も変えられたと思いました。

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リストボタン感謝        K.T

神様感謝します。

今、受けてる恵み

日々いただく恵み

感謝して歩む時

悲しい時、悩む時、

御言葉思い、十字架担い

神の力、安らぎ、渇くことのない

命の水を下さい。

素直な心に聖霊を注いで下さい。

神様ありがとう。

いつも、このまま過ごせるように、

祈り、讃美します。

神様感謝します。


 この原稿を書いて、もう提出しようとしていた

日が10月18日、午後の祈祷会の日でした。その日の学びで、

すべての事に感謝していると自然に感謝ができて溢れ出ることを

学び、同じ思いを書いていたので驚きました。これも神様の導き

心にとどめて歩まねばと思いました。


卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。

詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。(エフェソ5:4、19ー20)

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リストボタンキルケゴールについて      岡山  K.T

 キルケゴールの『死に至る病』は岩波文庫で1939年斉藤信冶によるヒルシェ訳からの日本語訳第一刷出版から2008年第95刷まで69年に亘って読まれてきた。

 キルケゴールについて 広辞苑には次のように書かれている「デンマークの思想家合理主義的なヘーゲル的弁証法に反対し人生の最深の意味を世界と神・理想と現実・信と和との絶対的対立のうちに見、個的実存を重視、のちの実存哲学と弁証法神学とに大きな影響を与えた。著書に『あれか これか』『不安の概念』『死に至る病など』(1813~1855)

 これに私の解釈を加えると 実存と言うのは 誰でもないこの私 弁証法というのは対話術ぐらいに理解しておこう。もう少しこれに追加するとキルケゴールはコペンハーゲンの裕福な商人の7番目の子供として生まれた。20歳でコペンハーゲン大学神学部に入学 27歳で神学の国家試験に合格、10歳年下のレギーネに結婚を申し込み承諾の返事をうる。28歳で学位論文を印刷しレギーネに婚約指輪を送り返し婚約を解消する。32歳の時コペンハーゲンの諷刺週刊新聞「コルサー」は毎週文章とともに挿絵を持ってキルケゴールを町中の笑いものにした。婚約解消とコルサーの事件はキルケゴールを深く傷つけた。その結果一層著作活動に精進した 185510月 42歳の時路上で倒れ11月病院で死去した。告別式はコペンハーゲンの聖母教会で行われた。大勢の会衆の前で長兄 ぺーター、キルケゴール牧師が告別の説教を行い。故人の業績を讃えた、しかしながらその生涯の最終局面で混乱した判断が見られたのはいかんであるとものべた。

 第一次世界大戦の後に キルケゴールの価値が見直され いわゆるキルケゴール・ルネサンスがおこる。神学者バルトやハイデッガーなどに深い影響をあたえた。

 私は キルケゴールの 単独者の視点についてのべることにする。

キルケゴールは無責任な大衆から離れ、単独者になることが一番大切なことであると強調する。全世界においてただ一人の神に対してただ独りになることである。

 単独者になる事は マタイ福音書の『狭い門から入る者』になることである。大衆は広い門から入るもので、それは 滅びにいたるものであ。(マタイ7:18)

 キルケゴールの生涯はイエスの生涯に似ている、イエスを預言したイザヤ書53章の苦難の僕そっくりである、キルケゴールの単独者はイエスのようになることである。

 単独者は個人主義者とは異なる。個人主義者は単独者のように見えるが一切の関係、契りを断ち切り自我を絶対者と宣言し、他の全てのものをこの自我のために利用するのである。

 次に単独者の視点としてアブラハムとソクラテスについて考えてみよう。アブラハムは人を離れ、親元を離れ 友人とも離れ、孤独の中にただ一人神の命に従ってイサクを生贄に捧げるためにイサクに薪を背負わせ、自分は火と刃物を持ってモリヤの地に行った。(創世記22章)

神は一匹の雄羊を息子の代わりに生贄として準備した。

 ソクラテスも単独者であったが、それは真理探究のための手段であり独白的で、ソクラテスにはアブラハムのような絶対者神はない。キルケゴールの単独者は絶対者神の前での単独者であり、ソクラテス的な単独者ではなく、アブラハム的単独者である。

 最後に単独者イエスの最もイエスらしい様子を示す場合として十字架を前にしたゲッセマネの場合を考えてみよう。

 イエスは十字架にかかる前にゲッセマネに於いて弟子たちから離れ、ただ一人跪いて神に祈り「アバ父よ、あなたには出来ない事はありません、私からこの杯を取り除けてください。しかし私の思いのままではなく、おぼしめしのままに」(マルコ14:37)まさに神に対しての単独者の姿である。無責任な大衆はイエスを十字架につけて殺してしまう。

 私はキルケゴールのように、大衆を気にせず、ただ神のみを見上げて生きる単独者になりたいと思う。

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リストボタン「福音」   K.K

 私たちの子供の名前は「福音(ふくね)」という。この名前はご想像どおり聖書からいただいた。私たち夫婦にとって子供の福音の存在はまさに神様からの「よき知らせ」であり子供にも神様からの「よき知らせ」を隣人に知らせる存在であってほしいという願いから私が名付けた。

 最初は反対していた主人もいつからか「自分も実は大学生のときに子供ができたら「福音」にしようとしていた。」と不思議なことをいいだした。

 この名前を神様いただいたときから何かとてつもなくびっくりするような出来事をやらかしそうな気がしてい

たが4才にしてもう少しで命をおとす事故にあうとは考えてもいなかった。

 福音はいう。

「私はね、本当は「福音」という名前より「きらら」っていう名前が可愛くてよかったんだけど。」と。

 そのたびに私は必死に「福音の名前はね、神様からいただいた特別な名前なんだから。神様の本にいっぱい名前がのっているよ。大きくなったらママと一緒に神様のために世界中の人にいいことをいっぱいしよう。」と。

 最近は「きららブーム」も少しおさまりつつあるがなぜかエコ活動と手話に興味をもっているみたい。

子供とは不思議な存在だ。

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リストボタン近況報告   K.K

 九月二十一日は聖日なので、武 祐一郎兄の送って下さったピリピ書三章1112節の「キリストを知る絶大な価値」のテープをお聞きして、パウロの大転換のお話しを伺い、パウロの大転換に及ぶことはできないけれど、芥子種一粒の信仰を与えられましたことを、感謝いたします。

 新天新地のときまで、信仰がなくならないように、聖書のお導きをいただき、白い衣を与えられますように祈り居ります。

 先日は、集会讃美集をお送りくださいまして、讃美の内にひそむ信仰に心の洗われる思いです。とくに、その讃美を聞いていて、「まず神の国と神の義を求めよ」「一日の苦労は一日で足れり。明日のことは思い煩うな」などの聖句を思いだし、本当によい讃美で心に沁みました。

 「いのちの水」誌により、岩手の向中野の田口先生のお話し、仙台の集まり、埼玉の集まりなどお名前を存じあげて居ります方々を思い、各地のエクレシアの交わりあることは本当に嬉しいことと思いました。

 混沌とした世界、日本ですが、歴史はゆるやかに廻り、父なる神様が支配なされ、「一人子をお与え下さった」愛に満ちていることを思い、サタンにまどわされないようにさまようことのないように祈って参りたいと思い居ります。

   (山形市)

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リストボタン聖句から       K.K

私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。(コリント八・6




リストボタン心に残る聖句   K.K

「主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませて下さい。」(詩編五・9)




リストボタン感謝しつつ      K.M

 集会には参加できない日々が続いていますが、感謝の日々を送らせていただいております。主人に付添って病院に行き、いくつかの科を回ります。また、デイケアの施設に行きます。全くと言ってよいほど、自分の時間はありませんが、毎日が新しいことの発見、そして感謝に溢れております。

 一日に何度となく「主の祈り」を祈り、また讃美を口ずさんでおります。


1 天の神、祈ります、あわれみと祝福を。

  その民をひとつとし、愛される み神よ。


2 救い主、み子イェスよ、十字架と復活の

  み恵に感謝して、歌います、わが主よ。


3 来てください、聖霊よ。悩むもの力づけ、

  傷ついた人々を いやすため、今すぐ。  (讃美歌21)354

 この讃美を毎日歌っております。心に喜びと平安が溢れて来るように思われます。

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リストボタンハッピネスわらいがお  S.H

 今年一年も体調が守られ、主に感謝です。

 五月には『無教会全国集会』にも参加することが出来て、県外の兄弟姉妹とも交わりを持つことが出来ました。その時の写真もよい記念になっています。

 一年を振り返ると、いろいろ良い変化がありました。

 実家でしていたインターネット環境を自宅に移したこと。ブログやアルバムの公開を始めたこと(集会での学びを中心に書いています)。

 治療に関しては、週に一回摂取するアルブミン点滴を民間病院と徳島大学病院の二カ所で交互にすることになりました。今までは民間病院で毎週出来ていたので近くて良かったのですが、健康保険の関係で方針が変わりました。総合病院は待ち時間も長く時間が取られますが、行き帰りのバスの中や点滴の時など讃美歌を聴く時間が長く出来たと思えば、これも主から与えられた恵みと思えます。

 日曜日は特別集会の時だけしか参加出来ていませんが、【手話と植物・聖書の会】から始まり、小羊集会・つゆ草集会・水曜集会と参加できる集会の数が少しずつ増えていること、続けて参加できていることに感謝します。体調が守られていなければ難しいことです。体調が守られていることがうれしくて、いつも笑顔になって弾けてしまいます。

 力を与えてくださる主イエスの恵み、兄弟姉妹のお祈りに感謝しています。

 神の恵みに感謝して、友よ歌おう六十六番「ハッピネスはしあわせのこと」が最近のお気に入りです。歌詞の「わらいがお」を引用して私のブログタイトル『晴れやか心deわらい顔』を付けたことを話すと 水曜集会で三回賛美してくれました。

 歌詞を書きたいと思います。

 ハッピネスはしあわせのこと

 主イエスを知ったとき

 悲しみはよろこびに

 ハッピネス わらいがお

 ハッピネスはしあわせのこと

 主イエスに祈ったとき

 心の悩み消え

 ハッピネス わらいがお

 幸せうばうものはない

 イエスさまが こころにあるからさ

 ハッピネスはしあわせのこと

 主イエスと共にゆく

 心から歌うたい

 ハッピネス わらいがお

 ハッピネス わたしに

 ハッピネス あなたに!

(主婦)

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リストボタンM.Aさんの思い出      S.Y

徳島聖書キリスト集会のSです。

 
私が初めてA子さんにお会いしたのは、今から二十七年ほど前に、私が勤めていた会社に入社された時です。いつも明るく元気いっぱいで走り回って仕事をしていました。みんなから親しくA子ちゃん、A子ちゃんと呼ばれていたことを思い出します。みんな仲が良く楽しく仕事をしていました。五年ほどで退社されたかと思います。その時榎本保郎牧師のことを書いた本「ちいろば」を記念にとプレゼントしました。

 今から十年ほで前にお姉さんであるS.Mさんが、集会に参加されるようになり、しばらくしてから私に「妹が会社を辞めるとき、Sさんから本をもらったと言っていたけど、妹を知っていますか?」と言われびっくりしました。Mさんの妹さんでした。不思議な導きを感じました。

 Mさんの家で毎月一回集会が開かれていますが、私も三年ほど前から参加させていただくようになり、私の娘や孫も参加して、明ちゃんやNちゃん、Sさんの御家族の方々とのお交わりが与えられました。

 入院されて何度か病院に行きましたが、いつも笑顔で喜んで下さいました。私は耳が悪いので、口を大きく開けてわかりやすくゆっくり話してくださり、いつも気を使って下さいました。いつも周りのお世話をして下さる人に感謝し、また集会の方々のお祈りを感謝していました。神様から不思議な力を与えられて、支えられていることを感じました。

 最後にお会いしたのは、天に帰られる二日前でした。A子ちゃんの家で、集会のKさんと三人でお祈りをしました。A子ちゃんも涙を流してお祈りを合わせ、心の重荷を神様が負って下さったと感じました。帰る時には平安な笑顔で玄関の外まで見送って下さいました。また会えると思いました。

 ほんとうに急で驚きましたが、最後まで御家族に支えられ、神様の不思議な力に守られて天に帰られたことを思います。又御国でお会いできることを楽しみに、神様につながって希望を持って歩んで行きたいと思います。

 残された御家族の方々に、神様からの慰め励ましが与えられますようにと願います。(十月七日の葬儀のときの感話)

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リストボタン絶えず祈りなさい    S.Y

 九月二十三日の高知での祈りの友の集会に、参加するかどうか迷っていた時、自分の無力さ、愛のなさ思い知らされて「絶えず祈りなさい」とをのみ言葉に励まされて参加しました。 遠く山口県から参加されたM姉、K姉は前日から一泊されて参加されたとの事で、集まることによってお交わりを深め、祈りを合わせることがいかに大切であるかを教えられました。私も今まで多くの人に祈られ、支えられて今日まで守られて来たことを思い、参加出来る時に思い切って行かないと、いつ病気とかいろいろな事情で参加できなくなるかも知れないと思い、参加出来ることはほんとうに恵みであると思いました。会ったこともない人の為にも熱心に祈っておられる方々を目のあたりにし、そのような見えざる祈りが周りの方々にも流れ、広がって祝福されていることを感じました。

 どんな祈りであっても、神様に心を向けて祈った祈りは無駄にならず、必ず神様は聞いてくださることはほんとうに感謝です。無力だからこそ祈らなければと思いました。

 すべては祈りから始まります。

 ほんとうの祈りは、たくさんの言葉でなく

 イエス様に心を上げて熱心に願うこと

    マザー・テレサのことば




リストボタン七十三歳の感謝    S.Y

 「神は御自分にかたどって人を創造された。」(創世記一・27節)との御言葉は、キリストに従って生きようとする者にとって、基本となる御言葉であることを思わされます。造られた人は、造り主のご意志・お思いのままに生かしていただくのが当然の事で、人の本分と思います。本分を生きてこそ神からの平安を、充分にいただくことが出来るのだと、体験を通して又、著書によっても教えられました。

 「神から造られた人は自分を生かすためでなく、神に仕えるために生き、仕えるために死ぬ」「この世の一切のものが空なものになってしまって、何一つ自分を助けてくれないことを知らされる。すっかり裸にさせられて絶対者であり給う神の前に、絶望のわが身をそのまま、投げ出さなければならなくなる。その時本当の悔い改めが出来る。神はそのような時を一人一人に備えて愛の限りを尽して、人を苦しみの谷底につき落とされる。神なればこそ、人には考え及ばない方法で、まことの救いを実行されるのである。神に立ち帰った者には、自分の意思による行為もなくなってしまう。あるものは神のご命令のまま行動するだけである。こうして信仰人は完全に自分に死なしていただいて、ただ神のみ心を行うものになる。」(「素人の聖書の読み方」白井きく著)

 七十三歳の今、いよいよ幼子のような頼りない歩みですが、主イエスに従って日々生きるとは、日々自分は死ぬことであると、少しずつ分らせていただいて喜びと平安と感謝があります。

(主婦)

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リストボタン人生という名の旅の地図  S.Y

  今まで行ったことのない知らない土地へ旅に出るとき人は地図を持って旅に出る。  ところで人は一体どこから生まれてきて  やがてどこへ去ってゆくのだろうかとかつてよく思った。  人生の道案内はあるのだろうかと。

  聖書と出会ってからの私は  それがここにあると思うようになった。

  聖書とは人生という名の旅の地図なのだと。

    生きている人生も  未知の明日へと続く旅なのだから。  …  聖書には  自分のいのちを愛する者はそれを失い  この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る  と書かれている。  何という深遠なことばだろう。  自己を捨てよと迫られているようだ。  自分にはとても実行できないと思う。  しかし神はそのひとり子イエス・キリストを十字架につけてまで神がお創りになったすべての人を愛して下さった。  そしてキリストは十字架につけられたとき自分を十字架につけた人々を許して下さい

と神に祈りを捧げられた。

  何という深い愛だろう。 神がこの上なく愛して下さっていることを知るとき はじめて自らのすべてを神に明け渡すことができるような気がする。

  平和への道はここにあるのかも知れない。  …

  私は弱い存在だから  祈ることしかできない。でも神さまは救う力を持っておられるから人に試練をもお与えになられる。

試練を与えても必ず責任を持って救って下さる。

  そう信じて私はただ祈ればよいのだと思う。

  祈れば平安と力が与えられるのだから。水面がキラキラと輝いているのを見るなら
 
空を見上げなくとも 
太陽がニッコリと微笑んでいるのが分かる。
苦しみの中にあって
 
心に平安が与えられているのを感じるなら  たとえ目に見えなくとも神さまが優しく見つめて下さっているのが分かる。
  … 
神さまはひとりひとりに違う個性をお与えになった。
 
ひとりひとりの人を100%理解できるのは神さまだけ。
 
だから孤独を感じるときは
 
神さまに呼びかけよう。
 
孤独とは  神さまの愛で満たしていただくための神さまからの大切なプレゼントなのかも知れない
  …  こんな夢を持ちたいと願う。
 
すべての人は神さまによって創られたのだからこの地上のすべての人が本当の兄弟姉妹のようになる日が訪れること。
すべての人の願っている平和が現実に訪れることを。
 
人生という名の旅の地図をしっかりと心の中に抱きしめて歩みつつ。

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リストボタン「静まること」    S.Y

 今年の八月にもたれた、近畿地区無教会キリスト教集会は「永遠の命」をテーマに、神様の祝福のうちに行われました。そこでは聖なる風が吹き、一人一人が感謝して永遠の命をいただき、満たされた時となりました。この私も確かにそうでした。ところが、会が終わった時、ふとしたことがきっかけで私は心がざわざわし始めました。ついさっきまでの喜びとはちがって、心の中に黒雲のようなものが広がっていくようでした。すると、みんなはあんなに喜びで満たされているのに私はどうしたのだろう・ みんなはあんなにすばらしいのに私は何もできていないではないか こんな私はだめだと自分を否定する思いでいっぱいになり、何もかもが色あせてしまったようでした。何とか静まってみ言葉が与えられたいと思っても、心ここにあらずの祈りでした。

 苦しい数日が過ぎ、家庭集会の日のことでした。私の心の状態を何も知らないはずの姉妹でしたが、一緒にこの本を読もうと出してくださった本が、ヘンリ・ナウェン著「静まりから生まれるもの」でした。そこには、マルコ一章から、イエス様が、独りになれる所で、自分の思いではなく神様の御心に従う決断をする力を得たことが書かれていました。また、静まりとは反対の活動的な生活の中では、私たちは自分のしたことの結果を自分の価値を測る物差しにしてしまうとありました。なんと神様は、その時に読んだ数ページを通して今私に何が必要なのかを教えてくださったのです。神様は私のことをすべてご存知だったと胸が熱くなりました。

 自分はまず静まって、神様を見上げることが必要だと気づかされ、ゆっくり心を落ち着けてひたすら静まることだけを求めて祈っていくうちに、自分の心の状態が明らかにされていきました。

 尽きることなくあふれている命の水を飲み、永遠の命に生きる喜びを味わおうとする時、サタンが、お前にその恵みをいただく価値があるのか?とささやきました。私はその声に心を奪われたのでした。「昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者」と黙示録にあるように、サタンの攻撃は主に親しく近づこうとする時、それをさせまいと強く働きます。でもそんな弱い私のために神様は大きな愛をお示しくださいました。ローマ八の31、32「神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」35節には「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。」とあります。

 サタンに攻められたら、目を自分に向けないですぐにイエス様を見上げて信仰の宣言をする。以前こう教えられたことを思い出すとともに、実感したことでした。

 「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」エフェソ一の3

主よ、あなたのみ言葉を信じます。

(高槻聖書キリスト集会、大阪狭山聖書集会)

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リストボタン賜わりし恩恵   S.R

 私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私の為に身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

        (ガラテヤ二・19~20)

 私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

        (フィリピ一・21)

 私は現在九十二歳、妻は八十七歳で受けて居ります。今年三月初旬脳梗塞を併発、認知証に罹ってしまいました。昼夜をわかたず患者は目を離すことが出来ません。肉体的、精神的、経済的、如何に困難を伴うものか、共間老、老看護で疲れ果て、悲劇が生じた事が報じられますが理解できます。

 私は小学生時代は虚弱児、青年時代も兵役の招集、徴用もなかった劣等者でしたが、現在の苦しみの環境は恩恵の目録の中にあることを悟らされ、あなたが、わたしを選んだのではない、わたしがあなたを選んだのだと言う恵み、身体の甦り、永遠の命を信じて生きていくことが感謝です。

 此の恵み平安を一人でも多く人が浴することができるようにと「命の水」誌を五部づつ毎月送付して居ります。

 私達の生活が神の栄光に用いられますように。

「主よ 来たりませ」

(静岡聖書集会)

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リストボタン危ない所で   S.M

 十月五日、妹が八歳の娘を残して天に召されました。三年前に病気が見つかり、どんどん症状が悪化して苦しく辛い日々でした。医者から助からない病気だと宣告されていました。私は目が見えないので、妹のために何も手を貸してあげることができませんでしたが、妹が救われ平安でありますようにと、ただひたすら祈るだけの日々でした。集会の兄弟姉妹にも またその他会う人ごとに「妹が救われるように祈ってください」と、お願いしました。多くの方が共に祈って下さることが、私にとって、どんなに力強いことだったでしょう。月に一度私の家で開かれている小羊集会という家庭集会に娘を連れて参加している時には、はっきりとは神様を信じることができなかったのです。病状が悪くなって精神的に不安定になったとき神様に近づいたようでした。心に波風が立ち、意識が混乱したときもありました。集会の姉妹達が病院や自宅にまで何度もお見舞いに来て下さり、神様のことをお話して共に祈って下さいました。私がお見舞いに行くと、そのことをとても喜んで話してくれました。亡くなる一ヶ月くらい前に「私やっと神様が分かったんよ。私の所に神様が来てくれたんよ」と言いました 。その時から、平安が与えられたように思います。息をひきとった翌朝、姪が「お母さんが死んだっていうことはかみさまがお呼びになったんやな。マザーテレサの本に書いてあったわ」と言いました。お葬式が終わって家に帰ると、その本を持ってきて読んでくれました。

そこにはこう書いてありました。『アグネス ゴンジャ マザーテレサが九歳のとき、お父さんを亡くして泣いていると、お母さんが「アグネス 大丈夫よ。神様がお父様をお呼びになったのよ。悲しいことではないのよ。」と言うと、「お父様は神様がお呼びになったのね」と答えて泣くのを止めました。』という箇所を覚えていたのです。神様は幼い心に必要な言葉を刻んで残して置いてくださいました。

 お葬式はキリスト教式で行われ、多くの方が参列して下さいました。集会の姉妹がお二人代表で、妹が最後には神様を受け入れ喜んでいたことや、亡くなる二日前にも、いっしょにお祈りをしたことをお話下さいました。この話も姪はしっかりと聞いていて「おばちゃん、お母さんは危ないところやったなー。前にはお母さんは神様とか天国とか信じてないって言うとったけど、良かったなー。あのままだったら、なっちゃんは、おかあさんが地獄に行くってずっと心配しとったんよ」と話してくれました。今、姪は母親が天使になって神様の傍で自分をいつも、見守ってくれていると信じ切っています。妹が救われますように、幼子の心が守られますようにと祈っていたことは完全に神様が聞き届けて下さいました。妹は夕方五時にぶどう園に雇われた労働者のように、恵み深い神様の呼びかけによって天国に行くことができました。心も体も弱くて思い通りに生きることができなかった妹ですが、最後の最後に神様が来て下さり、逆転さよなら満塁ホームランを打ったように神様が勝利して下さいました。私の思いと祈りをはるかに超えて神様が大きな御業を表されたのです。年老いた母ももう一人の妹も姪も天国で妹と再会できるという希望を持って歩んで行けることは、大きな慰めです。私達家族のために お祈り下さった多くの兄弟姉妹にほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

(鍼師)

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リストボタン心に残っている聖句より      S.K

 地上であなた(神)を愛していなければ、天で誰がわたしを助けてくれようか。(詩篇 七三・25

 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。

赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ七・47

 聖書は求める人の心の状態によって、私たちに現れる姿は、たしかに変貌することを思わされる。聖書はそういう意味で生きている。

 私たちが、憐れみを求めるときには憐れみを、恵みを求めるものには恵みを与えて下さる。

 イエス様が私たちを愛してくださったように、それぞれの人が、その与えられたところで周りの人たちを愛することができますように。アーメン。

 職業 鍼灸師

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リストボタン今心に響いているメッセージ  S.H

今私の心に一番響いてくるメッセージを記します。


いのちの水、 2002年 11月号 「ことば」から。

あなたの悩みを全て主に委ねよ。

主はあなたに代わり配慮される

あなたの家族のための心配を

われらの信ずる主に委ねよ

主は思い悩むことを好まれない

しかし

あなたが捧げ天に向かっての祈りは

喜んで聞き給う

あなたを苦しめるために

理由無く苦難が与えられたのではない。

信じなさい

真の生命は悲しみの日に植えられることを。

ヒルティ 「眠られぬ夜のために」 上3月 15日より。

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リストボタン格差社会に想う    S.F

 労働者派遣法は今から20数年前制定されました。当初は一部の専門的業務のみを派遣の対象としていましたが、段階的にその対象が拡大され、その後規制緩和によりどの業務でも派遣事業を行なってよいとされ、2003年には製造業にまで拡大されて来ました。しかし派遣労働者にとって雇われている会社と

実際に働いている会社とは異なっているため、雇い主ではなく指揮監督する監督者の下で働く事になります。

経営者は仕事の効率のみが念頭にあるため、このような雇用形態では労働者に対する監督者の責任や思いやりは希薄となり、労働者の不満と苦悩は派遣元との狭間で日々増幅しているという実態があります。

さらに日本を代表する大企業の工場(自動車、家電、カメラ、電子機器メーカー等)では「偽装請負」が蔓延し、どんなに技術力のある工員でも正規社員の半分ほどの給与で働いています。その他毎日細切れで働く「日雇い派遣」などワーキングプアーが格差社会の原因となっています。

 今多くの貴重な若い労働者の将来が使い捨ての手袋のように捨てられてゆく現状は見るに忍びありません。派遣労働者の労働期間は原則として1年、処遇面では賃金も福利厚生面でも正社員とは比較にならないほど不利な条件下で働く事を余儀なくされています。

 このような状況の中ではたして日本は文化的、経済的発展国家と誇れるのだろうか、派遣社員という言葉を聞くたびに「聖書マタイによる福音書20章に記載されている「ぶどう園の労働者のたとえ」を思い起こします。

聖書ではある家の主人がぶどう園で働く労働者を1日1デナリオンの約束でぶどう園に派遣しました。朝9時頃、正午12時頃、3時頃に仕事を求めて路上に立ちつくしていた人を送り込みました。しかし夕方5時になっても誰も雇ってくれず、もう今日も仕事がないのだと絶望して立ちすくんでいた労働者にも「あなたもぶどう園にいきなさい」とやさしく声をかけた話です。夕方6時になって最初に来た労働者から5時ごろ来た労働者にまでその家の主人は約束どおり1デナリオンを支払ったのです。この話しからぶどう園は神の国であり、そこに入るには後先はなく、神様は誰でも差別なく受け入れてくださる事が分かります。神様の国では格差はないのです。

 一方私たちの社会では古くから近代を経て、戦前戦後に至るまで格差社会は依然として存在し、そこでは一部の資本家、権力者が国益のため、国民のためと欺瞞に満ちた言動を繰り返し、その下で働く労働者の忍耐と困苦の上にあぐらし、自らの保身や冨の集積にのみに目が眩んでいた状況でした。最近若者の間でプロレタリア文学の代表者である小林多喜二の「蟹工船」や「党生活者」がよく読まれているのを見ても、それは派遣労働者への労働の過酷さ、不公平さを体験し、戦前の非常な資本主義者の強制的な人権を無視した労働や搾取に対して、当時の労働者に共感を寄せると同時に現在の差別的な不公平さを痛感しているのです。そしてそれらを派遣先の監督者や経営者に照らし合わせて社会の歪に失望しているのではなく、むしろ無言の中に現代の若者は確たる社会が実現するよう告発しているようにも思われます。

 
 格差社会を少しでも是正していくためには政治的な社会改革を待つのではなく、私たちの心のなかに潜む独尊的な誇り、優越感、驕り、偏見や差別意識を払拭しなければなりません。政権を投げ出した一国の総理が自らの辞任の会見で記者に質問されて「私はあなた方と違うのです」と考えの違いを述べたつもりのようだが、残念ながら国民にはそれはあたかも「あなた方とは人間がちがう」と受けとめられた感がありました。いま私たちにできる事は早くこの地上にも格差社会のない神の国が来るようにと祈るばかりです。しかしこのような社会の不正に対しては先人が生命をかけて戦ったようにひるむことなく静かに戦い続けるキリスト者でありたいと日々思います。

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リストボタン近況報告から       T.Y

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。

だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

(ヨハネ十二・24)


 キンモクセイの花の香りのする頃に、家庭集会に参加されていた女性が天国に帰られました。

私の母を通して交流があり、彼女の娘さんとも仲良くしていたので、とてもショックでした。


 私は、子供を授かったことで、神様の存在について考えるようになったものの信仰を持つまでになりませんでした。

しかし、彼女が天国に帰ったことで、「神様は本当にいる」ということを教えてくれました。

正直に言えば、まだ信じるというところまで至っていませんが、信じる方向に進んでいきたいと思います。

 少し近況報告させて下さい。

4月から息子は保育園に通っています。

私の耳が悪いこともあり、息子がいろんな人と接する機会を作るのが難しかったので、入園することにしました。

 まだ2歳前だったので、入園させるか悩みましたが、息子の心の成長を願って入園することを決めました。

そして、息子が保育園に通っている間に食の資格を取りたいと思い勉強を始めました。

 耳の事で、今まで助けてもらうことが多かったので、私も人の助けになりたいなーと思ったのがきっかけです。

野の花の締め切り翌日が試験で、発行される頃に結果発表です。

どーか合格していますよーに!

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リストボタン二〇〇八年のニュースから   T.Y

 2008年のニュースで、もっとも印象に残ったものといえば、東北での、相次ぐ地震でした。特に、6月に発生した、岩手・宮城内陸地震では、温泉旅館が流出するなど、かなりの被害が出たもので、残念なことに、犠牲者も出てしまいました。

 聖書にも、地震にまつわる個所がありますが、1日も早い復興を祈りたいものです。




リストボタン讃美の中から         T.H

愛する主よ わが君よ


愛する主よわが君よ 君が恵み受けしより

この世の富 うち捨てて 君を慕う身となりぬ


初めに主がいのちもて 買いたまいし我が身なり

君をおき何人に この真心をささぐべき


生ける限り主よ君を 慕いまつりほめまつらん

死の手われにのぞむ日も 愛する主の御名をよばん


この目をもて主の御顔 見まつる日に我は言わん

「初めの日と変わりなき この愛をば受けませ」と(新聖歌 三三七、聖歌601)

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リストボタン最近感じること    T.R

子育てをしてもうすぐ二年。子育てをするまで、もう何年も外をゆっくり歩くことなどなかった。きっと、小学校以来だ。外に出るのは子どもを外遊びさせるためであるが、神様のすばらしい御恵みを感じるきっかけを与えられた。

子どもとお散歩などと聞くと子育てをする前は、ゆっくり楽しい時間を味わっているように想像していたが、実際はなかなか手ごわいものだった。子育てを経験された方は思い出されるかもしれないが、赤ちゃんが歩けるようになると優雅なお散歩どころではない、ましてや走れるようになると、追いかけるのに必死になることもしばしば。

とにかく幼児は屋内でも屋外でも自分のペースをまっしぐら。怖いもの知らずであるし、ちょっとしたことでけっこう大きな怪我をしたり、知らない大人や子どもが集まる中に飛び込んで行ったり、好奇心のかたまりであるし、体力は無限にあるのではとさえ思うときがある。個人差もあるのだろうが、娘はこのような元気のかたまりを神様からいただいたようだ。

毎日、外遊びさせて追いかけるのに大変な私だが、そのような中でも神様は不思議と安らげるものをくださっている。それは外で見られる自然だ。春のまるで楽園かと思えるような陽気な暖かさと野の草花。日差しの強い夏でさえ、水遊びなどを通して自然に触れられる、最近の秋といえば山のほうに登ってさまざまな種類の植物やどんぐり拾いを楽しみ、冬はどんなに寒くても子どもは外で遊びたがり、大人も子どもも寒さに強くなり、木の葉についた霜や水たまりが凍っているのをみたり、自分たちの白い息を見たり。そんな中、無意識に感じたことは、子どもも大人も人工的なものより、神様が創られた自然を好む。確かに娘は外に行きたがる、遊び道具より、落ち葉やどんぐりでずっと遊んでいたり、山や空、動物たちが大好きだ。屋内でも窓から夕焼けを見たり、夜には月や星を見たいと言う。それに加えて、人にも会いたがる、まだ、一緒に遊んだり話をするわけでもないのに人の顔を見ると喜んでいる。考えてみると、神様がすべて創られた自然のもの、そして、最高傑作と愛された人間を幼児は教えられたわけでもないのに求めている気がする。私たち大人も神様を知らないひとでさえ、心のどこかですべてを創られた神様という存在を求めているのではないかと感じた。

歌に興味を持ち始めた娘とよく歌う賛美歌、輝く日を仰ぐとき(新聖歌二十一)が最近いつも感謝と共に私の心が主を求めて歌っている。

(主婦)

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リストボタン見よ。世の罪を取り除く神の小羊      盛岡聖書集会 T.S

 
 イエス・キリストとはどういうお方なのであろうか。今回私はヨハネ福音書の1章29節の「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」という言葉をてがかりに考えてみたい。

 
 ユダヤ人は「殺すな」「盗むな」などの道徳を神様の戒めだと考えた。そして、その戒めを破る罪を犯したときに、それを赦してもらうために、「神様。私たちはあなたの戒めを破りました。自分たちの一番の財産である羊をお捧げしますから赦して下さい」と羊を殺して神様にささげていた。

 
 その考えが発展して、神の子イエスが自分の命を神様にささげて、人間の罪を赦してもらう道を開いた、という信仰が生まれた。だからイエスは「世の罪を取り除く神の小羊だ」というわけである。それはすべて神様の、人間に対する愛と正義から生まれたことである。

 
 例えばイエスは、神様が、正しい人だけでなく、罪人をもお救いになろうとする愛をお持ちの方だとお教えになった。

 
そのことを表す有名な言葉「丈夫な人には医者は入らない。いるのは病人である。

 
わたしが来たのも正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」がある。

 
また、ルカ福音書15章1~7節 見失った羊のたとえも有名である。イエスはここで

 
「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」とおっしゃている。

 
イエスはすべての人間が一人残らず自分の罪に気がついて、悔い改め、神様に受け入れてもらえるようになること つまり救われることを深く望んでいた。たった一人でも神様の救いから漏れることを悲しまれた。ちょうど親が病気の子どもを心配するように。

 
 このことをもう少し考えてみる。まず「ゆるす」という言葉を漢字に書くと「許す」と「赦す」と書くことが出来る。「許す」の方は許可する、という意味である。だから、罪を許してはいけないのである。一方「赦す」のほうは、誰かが悪いことをして、「ごめんなさい」と謝ってきたときに、「いいよ。赦してあげるよ」と言って相手の罪を赦免してあげるという意味である。この場合は自分の被害を我慢して赦すことになる。

 
以上のことをまとめてみると

 
悪人も救われて幸せになりたい。悪人をも救ってあげたい正しい人間が救われて天国にはいるのは当然のことである。しかし、悪いことをした人間も赦されて、刑罰を逃れ、幸福になりたいと思っている。また、親であれば、自分の子供が悪人であっても、なんとかその罪を赦されて、幸せになってもらいたいと思うものである。

 
 実はキリスト教の神様は、正しい人間だけでなく、悪いことをした人間も救ってあげたい、という愛の心を持ったお方なのである。

 
神は不正を行わない。

 
 しかし、悪いことをした人間を処罰しないでただそのまま赦してしまったら、神様は不正な方だということになる。たとえば警察が悪いことをした犯罪者の犯罪を見て見ぬ振りをして逃がしたら不正な警察ということになるように。

 
罪人の身代わりになって苦しむ神の子

 
 それで神様がお考えになったことは、自分の子ども(イエス)を、罪人の代わりに処罰を受けさせ、悔い改めてそれを信じる人を救うという道であった。イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」である、というのはそういう意味である。

 
全ての人は罪人(ファリサイ派の間違い)

 
 ここで忘れてならないことは、我々は自分は正しい人間で他の人が悪人だと考えているが、それは自分の罪に気がついていないことなのである。キリスト教の考えでは実は全ての人間が罪人で、神様の赦し無しに救われることの出来る人は一人もいない、ということである。ファリサイ派々というのは、自分の罪に気がつかないで、他の人の罪だけを攻撃した人たちなのである。

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リストボタン御言葉に従うことの祝福    T.K

「人の心を見抜く方は、の思いが何であるかを知っておられます。

は神の御心に従って聖なる者たちのために執成してくださるからです。」(ロマ書8.27


 幼い頃から、私は、とても気が小さい。なのに、日常生活では、あれもこれもしておこうと欲張ってしまいダウンすることが多かった。

 そんな私に信仰の姉妹が、誕生日に美しい祈りをプレゼントしてくれた。「主よ、あれをする時間、これをする時間がほしいとは言いません。あなたがわたしにくださった時間の中で、あなたがわたしに「せよ」とおっしゃったことを心静かに行うことのできる恵みを、ただそれだけをあなたからいただきたいのです。」

 この祈りをいただいた後、今年、兄の教会の新年礼拝に参加したとき、聖書ルカ十・41「あなたは多くのことに思い悩み心を乱している。しかし必要なことは ただ一つだけである。」と言う御言葉を聞いた。その後、徳島全国集会の吉村さんからのお誘いを受けたことを真剣に考えられるようになり、参加させていただき、兄弟姉妹とともに交わした会話は、本当に大きな恵みであり、信仰生活を積み重ねていく上での励みになり感謝している。

 御言葉を与えられ、御言葉に賭け実行するとき、その時神様は様々な方法で、愛し守り導いてくださるお方であることを経験的に知ることができる。

 本当に、そこに神が働かれていることを感じ、心から賛美することができる。自分をかえりみては自ら愛想が尽きているこんな言葉もつたない小さな土の器でもという思いがあふれてくる。

 今朝の御言葉は「それを果たす事を延ばしてはならない」(使徒言行録五・4)でした。榎本保郎先生の一日一生に、「信仰の秘訣はこれだと思う」。と書かれていて、「はっ」としました。

「あなたがわたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことはこれを実行しなさい。そうすれば平和の神があなたと共にいますであろう。」

 実行することは、私にとって一番むつかしい事ですが、私に語りかけてくださる聖書の御言葉を個人への語りかけとして受けとめ、困難があっても必ず守ってくださる神様を信じて一生懸命それに従っていく一日一日でありたいです。(仙台聖書のつどい・主婦)

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リストボタンヨナ書からの学び    T.M

「あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」

 ヨナ書42

 わたしは日曜礼拝の当番にあたり、ヨナに対する共感が少なからずあったのか、ヨナ書を選び学び始めました。そこからの学びを少しお話しします。

 まずはその共感のわけですが、ヨナは信仰を知識として理解していても、結局はニネベの人たちへの不満や憎しみの中で生きていたということからです。そしてヨナが神からの充分な恵みを受けながらも、それを信頼できない生き方をしていたからだと思います。

 私もこの実社会の中で、社会に関わろうとすればする程、なかなか思うようにならない事があるということです。頭ではキリスト教的生き方をしようと試みても、実際には不平不満がわいてきてしまうことや、他者を受け入れることができない暗く頑固な部分があるとういことです。人を裁く自分をいやおうなく見ることができるわけです。拭い切れない罪を実感したわけです。

 しかし、このヨナの生き方を客観的に見ることにより、ヨナにこそ神の深い恵みがあることを理解することができます。つまり自分にも充分な恵みが与えられているということです。他者と比較する必要のない充分な恵みが与えられているということです。しかし、現実はどうしても他者との比較で生きていることを自覚せざるを得ません。もう一度何のために生きているのか自問自答しながら信仰生活を再スタートしたいと思います。

 (仙台:聖書の集い)

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リストボタンLYREの曲を聴いて」       T.T(沖縄)

自分から何かを語ることを恐れた 言葉の重さ知り

黙って過ごせば 傷つかないし

だけど 何も変わりはしない

本当に伝えたいことは? 私が歌いたいことは?

人を愛する故 十字架を選んだ イエス・キリスト


伝え方とか 生き方とか 私を取り巻く霧を払って

たったひとつだけの 大切な

あなたの十字架 掲げてゆく

LYRE5thアルバム「かけがえのないもの/9.ひとつだけのこと」から引用)


先日、LYRE(リラ)のCDを頂きました。

その歌詞を聴きながら、毎日、十字架に立ち、十字架を喜び、十字架に心から「ありがとうございます」と言えたらいいなと、思いました。

本当に大切なことを見失わないように、イエスさまが心を守ってくださいますように。アーメン。

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リストボタン生きつなぐもの      T.T

「私はキリストと共に十字架につけられたのです。生きているのはもはや私ではありません。キリストが私の内に生きているのです。私が今肉において生きているのは、私を愛し私のために身を献げられたかみの子に対する信仰によるものです」(ガラテア二・19~20)

 無教会全国集会が、二〇〇八年五月に徳島で行われ、多くの方々が祝福の時を持たれておられました時、私もまた神様から、生涯忘れぬ御恵み溢れる体験をさせて頂いておりました。私は腎不全もすすみ透析をすすめられておりましたが、末子の受験までは入院できないと思い、この春県外進学を見届けて入院し、5月腹膜透析導入の手術をしました。

 手術の最中のことです。予定外予定外という声が聞こえ騒然としました.開腹したお腹から腹水が溢れたのです。私はその時、十字架上のイエス様のわき腹を槍で突くと血と水が流れたという聖句が思いだされ、イエス様の十字架がはっきり浮かびました。イエス様・・・。イエス様に出会ってから頂いた恵み・・・。

 罪の中で滅んでいた私死ななければならなかった私を十字架上のご自身の死をもって贖ってくださった。そしてイエス様の死は、死で終わらず復活され私に命を与えて下さった。いつも私のそば近くにいてくれて、私の荷物を担い代えてくださった。・・・なんともいえない不思議な力と喜びが湧き上がりました。それと同時にこんなに溢れる恵みを頂きながら、子育ても終えさせて貰うまで生きさせてもらったのに更に私は延命しようとしていることに心苦しさと後ろめたさを覚えました。

 その時です。イエス様は示されたのです。祈るために生きよと・・・。すぐにはよく分からない言葉でしたが、とにかく祈るために生きよと生きることを許してくださったような平安が訪れました。(現実に、皆様に多くの負担をおかけしてこの世に留まっておりますことへの心苦しさは今もあります。どうかゆるしてください。)

 透析を始め、体は楽になり入院中は復刻された賀川豊彦の「死線を越えて」を読みました。死線を越えると言えば、私が膵機能をなくしたのも17年前の全国集会と同じ時で、不思議な一致です。

 退院後、私が腹膜透析をするようになって一番よかったと思うことがあります。何より御言葉を毎朝一番に聴けるということです。腹膜透析は、一日4回朝昼夕夜と、自分で約1時間かけて透析液を交換するものです。痛みもありません。薄暗い時起きて、その1回目の透析をする時間を静かに椅子に座り、聖書を聞く時間にできたことです。

 聞くというのは読む時とまた違って、神様から直接語りかけられたように胸に迫ります。この時間は何にも勝る尊い時間です。四半世紀新改訳だけを読んでいた私が新共同訳の学びに導かれ、CDにMP3で録音された聖書の朗読を聞くための機器をも使えるようにしてくださったことがなければ、いただけなかった恵みかもしれません。

 徳島聖書キリスト集会でのこの数年間でのご指導に感謝いたします。生きて働かれる神様の手足となって主のお働きをされる方々を通して頂いた恵みであります。

 塵の様ななきに等しい私でありますが、一日数回自己注射をし今また1日8?の液で生きつないでいる体と同じように、心も「命の水」そのものである御言葉に潤されて、生かされていることをゆるしていただいています。命も望みも全てキリストにあるのです。その希望は死を越えてあるのです。イスラエルの望み、主が再臨されるという約束。私はそれを信じます。この方に望みを抱いて喜びのうちに生きる幸いに感謝いたします。

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リストボタン私にとっての実験  T.M

 私は、内村鑑三のロマ書の研究を毎週一講ずつ読み進める形で家庭集会を持ち、朝食前に「一日一生」を読み、夕食前に「続・一日一生」を読んでいます。このごろ気になる言葉は、内村先生の「実験」という言葉です。内村先生は立派な理論と信仰を持ち無教会の信仰を伝道された方ですが、「心霊的実験」を日々の生活の中で行い信仰を歩まれていた方だと気付かされています。しっかり座学として聖書を読み研究されたことを机上の信仰に終わらせることなく、実生活の中で日々信仰を歩まれていた方だったと身近に感じています。(ロマ書二十五講、二十八講、三十三講、三十五講、三十八講、四十講)(一日一生十月十日、十月十二日、十一月八日等々。)

 私の信仰生活上の「実験」は、「愛敵行為」です。敵とは私の事を分かってくれない人のことで私に上から目線で馬鹿にしてくる人であり、私の心にトゲのある言葉を投げつけてくる人です。「汝の敵を愛せよ」、「敵の為に祈れ」と教わっていても、心から敵を「愛する」ことはもちろんのこと、敵の為に「祈る」こともとても難しく、できない私がいました。

 でも、「イエス様ならどうされるだろう?」「イエス様だったらどうおっしゃるだろう?」と考えているうちに、自分を十字架につけた兵士達の為に祈りを捧げているイエス様の事が思い起こされました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と執り成しの祈りを捧げているイエス様の事が思い出されました。(ルカ伝23章34節)自らの命を奪おうとしている兵士に執り成しの祈りを捧げているイエス様に比べれば、私の悔しさや苦しみなど取るに足らない物でしかない。十字架上のイエス様の苦しみを思えば「何をしているのか知らないのですから、赦してあげてください」と敵の為に心から祈ることは、なんとたやすいことだろうと思えてくるのです。祈ることができると、赦しの心も自然と生まれて来るのを感じます。そして心の固さがとろけて、元の柔らな心が、自由で光を仰ぎ見る心が戻ってきます。そしてその時、聖霊の働きを実感として感じることができました。

(特別支援学校教員)

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リストボタン散歩      T.Y

私は、最近夜、犬と一緒に散歩をしています。最初は、ダイエットのつもりでした。

3000
歩、歩くのに、声を出して、1,2,3、と数えながら何にも考えずに、ただひたすら歩くだけでした。

街灯が道を照らしていますが、シーンとして寂しい気持ちなります。今までは、夜の散歩も行ったこともなく、

夜、外にでる時は、いつも車を利用していましたが、それでも怖くて嫌でした。

今では、散歩の前には、神様はどんな時でも、共にいてくれる、私の横にいると信じて、安心して歩いています。

、夜空の星を見たり、虫の声をきいたりして、散歩を楽しんでいます。風が吹いてくると、

こどもさんびか改訂版九四 ふしぎな風の讃美が自然と鼻歌が出てきます。暗い道を行く時には、新聖歌 五〇五 主われを愛すを

歌いながら歩きます。上を見上げると、星が輝いています。

星の名前は、なかなか覚えられませんが、今は、木星が輝いています。星をみながら、神様今日も1

過ごせました。ありがとうと心の中で言いながら散歩します。道路には、コンクリートのひびがあるところから

草花が白い花をさかせています。人に踏まれてしまうのにと思いつつ見ています。花を見て新聖歌二九〇「野の花を見よ」と、

言う讃美歌を思い出しました。少しづつですが、讃美歌が私の心の中に入ってきます。

自転車では、いろいろな景色が通り過ぎていきますが、歩くといろいろなことが、目に入ってくる。

これからもいろんな所を歩きたいし、歩きながらの讃美歌を歌うのも気持ちがいいものです。

(主婦)

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リストボタン小林寿子さんを覚えて      T.E

 私が無教会の集会に導かれたのが小林寿子さんのテープ集会でした。

 約1年程夜のテープ集会に続いて参加していましたが、自分の罪と律法の裁きで苦しくなり、しばらくお休みさせてくださいとお願いしました。

その時の私は失明しつつあったので、集会に参加するしないにかかわらず、あなたとの個人的な交わりはずっと続けていきたいから、困ったことがあればいつでも言ってねとやさしく笑顔で話してくれました。

 実際具体的に悩みを聞いてもらったり助けてもらったり、お家に泊めてもらったりと支えてくださいました。

 大阪の盲学校を卒業する時に、その進路についても相談にのってくれて、関東なら平方流の学校に紹介したいし、大阪に残るならこちらで住むところとか探してあげるからといろいろ細かく調べてくださったのですが、結局私は自分の古里の徳島で鍼の治療院を開くことにしました。

そして、徳島に帰ってきてから、自分の罪と神様の愛を深く知らされ神様に立ち返りました。私はその夏の愛農聖研に参加してすぐり徳島での無教会の集会を探してほしいと小林さんにお願いしました。

 すると、直ちに四国集会につながる方に連絡して探してくださったのです。

 ほんの数日後に徳島聖書キリスト集会の吉村さんが我が家を訪問してくださりそれからは徳島の集会に導かれました。

 この小林さんのすばやいお働きによって、私が大阪にいてテープ集会を離れている間も徳島に帰ってからも、ずっと背後で祈ってくださっていたことを強く感じました。

 それからも何かの折りには電話をくださり霊的に支えてくださっていました。

具体的なことだけでなく、何も話さなくてもいつもこころに覚えて祈ってくださっていることがよくわかりました。

 ご自分のことはいつも苦しいところを通り過ぎてから話してくださるので、きっと大変だっただろうと思いつつ、かえって私が力を与えられていました。

癌を患ったことも手術が終わってからだったし、再発して残された日々があとわずかになってからお電話でお話した時も、ご自分のことはさらりと笑って受けとめておられました。

人間関係の重荷で押しつぶされそうになって霊的な苦しみを抱えているときに、ご自分が癌になり、そのことによって命を生きること、神様にゆだねて生きることだけにこころを向けることができ、それまでのこの世の苦しみから解放されてスッとこころが軽くなったのよと言われたのです。

それは、くったくのない笑顔というよりは、内的な霊の戦いのなかでイエス様に力をいただいた笑顔でさわやかなお声でした。

 昨年11月に日阪 栄子さんに同行していただいて久しぶりにご自宅にお訪ねしたときに、もし体調が悪ければすぐに失礼するつもりだったのが、その時だけとても体調がよくて、信仰の証をしてくださいました。

 若い頃苦しみのなかから神様を求め、自分の罪や弱さのなかにあって主が生きて働かれ、ご家庭でのテープ集会の思いが起こされたこと、そして長い間のテープ集会も主が守られ導かれたことをお聞きしました。

 また、小林さんに讃美を聞いてもらおうと思っていたのですが、ご自分も讃美が大好きなので、せっかくだからと三人でともに何曲も讃美しました。

 酸素をしながら、それも呼吸が苦しくてお話しているときは咳で苦しんでおられたのに、讃美し始めると咳が止まって最後まで歌えるのです。とても不思議でした。

いろんなジャンルの賛美をよくご存じで、その時に私の知らない讃美歌21の42番の「感謝せよ 主に めぐみふかい主に

感謝せよ 主に ハレルーヤ」を歌ってくれました。

このすばらしいひとときを導いてくださった神様に感謝のお祈りをしました。

 徳島に帰ってから「父の涙」を私が歌ったのを送らせてもらったら、毎晩横になると苦しいのでそれを聞いて寝るのよとよろこんでくれました。

 身近なものの素朴な歌が用いられたのだと主に感謝しました。

 今年の1月になつかしい何人かの親しい人たちと一緒に再度お会いしたとき、思いがけないエピソードを伺い、小林さんがどれほど主に祈って多くの人にイエス様のことを伝えようとされ、またそのために歩んでこられたかが改めてわかりました。

 これは小林さんに働かれた主の御業だったのです。

 最後にご自分の葬儀のときに歌ってねと選ばれていた何曲かをともに讃美したこともこころに残っています。

 何回かお電話でお話しましたが、途中で咳き込まれるので遠慮するようになりましたが、こころにかかる友のことを二人で話しているときに、小林さんは私が死ぬことによって祈りは聞かれるし、神様は最善にしてくださると信じることができると言われました。

 そして、御国に召されてからも祈っているから大丈夫と言われました。

「一粒の麦が」のみ言葉が確かに実現することを私も確信することができました。

小林さんの好きな讃美を教えてもらって病床で聞いてもらおうと私が歌ったのを録音していたのですが、三月に召され地上では聞いてもらえませんでしたが、主の御許にあってともに声をあわせてくださっていることでしょう。。

 小林さんはいつも祈りのなかで神様から示されたことを「ただちに行われた人」、まっすぐに神様に向かう「幼子のような人」であり、そして、ご自分が罪赦されたものとして周りの人への「とりなしの祈りの人」だったと思います。

 それによって私を含めて多くの方が福音を知らされ、神様へと導かれていったのです。

 最後までみ言葉を愛し、主日礼拝に参加したいからとホスピスよりご自宅での生活をと望まれそのように生き抜かれたとお聞きし、人間の思いだけではできないこと、主の霊が生きて働かれたのでできたことだと思います。

 弱い私にもイエス様にゆだねていけば大丈夫、イエス様がともにいて永遠の命へと導いてくださることを信じて身近な人のためにも祈っていきたいと思いました。

小林さんに働かれた主を褒め称えます。


 最後に葬儀で希望された讃美歌のなかから一つを書きます。


    讃美歌518・いのちのきずなの

1・いのちのきずなの 絶(た)たるる日はあらん その時きたらば 御国にのぼりて

(折り返し)

したしくわが主に 告(つ)げまつらまほし 「救いをうけしは みめぐみなりき」と


2・地にある幕屋(まくや)の くちゆく日はあらん その時きたらば わが家(や)にかえりて


3・ともしびともして つつしみ待たばや 主かどにきまさば よろこびむかえて

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リストボタンころに残る讃美歌       T.E

 この一年もこころに残る讃美歌がありましたが、特に口ずさむ讃美歌があります。

 それは二〇〇八年三月に七十七才で天に召された大阪の小林 寿子(ひさこ)さんとの地上での残りわずかの時に歌ってくれた讃美歌第二編の二三二番です。

 私は初めてだったので、じっと耳を傾けていました。

 Kさんは癌が転移していて、肺ガンの末期でもう地上の命はあとわずかというとき、酸素をしながら「この歌が好きなの」とこころをこめて歌ってくれました。若いころは讃美が好きでコーラスもされていたそうです。痰が絡むので声が出にくくなっていましたが、とても清らかでこころうたれるものでした。

 初めて小林さんとお会いしたときのことなども思い出してお話しました。

 私が大阪にいて失明しつつあるときに(一九七五年頃)、Kさんの家で行われていたテープ集会で無教会を知りました。その集会に一年ほど参加し、その後郷里の徳島に帰ることになり、そのテープ集会で、徳島の無教会の集会を探してもらい、そのことから徳島聖書キリスト集会に参加するようになりました。

 そして、私に蒔かれた信仰の種がなくならないようにといつも背後で祈ってくれていました。徳島から送られてくる「いのちの水」誌に同封される「野の花」の文集や「ともしび」、集会だよりを読んで近況もわかって、集会で導かれていることをよろこんでくださっていたそうです。

 私は時々小林さんと電話でお話しして、いつも環境が大きく変わっていくことに驚かされていました。癌を患ったことも再発したこともです。

 そして、癌を患ったことですべてを神様にゆだねて生きておられ、周りの人のためにとりなしの祈りをされ、ご自分の身の回りの整理をしながら主日礼拝に通い、また、最後の葬儀のための準備も着々と整えていかれていることを伺いました。復活の命に希望をおき、本当に主の霊に支えられているからと思いました。




     悩みのときに

 1 悩みのときに たれにぞたよらん、

  うれしきときにたれに告ぐべき、

  ああ主よ、主こそわが救いなれ、

  悲しみを去り なぐさめたもう。

 2 主のいまさずばこの世はむなし、

  望みは消えてよるべはあらじ、

  行く手をしめし みちびくは主ぞ、

  この世に幸を満たすは主ぞ。

 3 されども罪にそみたるわれは 

  いかでみそばに近づきうべき。

  みゆるしこいて祈るしもべを、

  わが主よ、み手にとらえたまえ。

 4 主のみことばはさやかに聞こゆ、

  「悩めるものよ、来たりていこえ、

  うれいをのぞき安きをあたえん」。

  招きのみ声胸にひびく。

          (讃美歌第二編二三二 番)

 この讃美の歌詞を家に帰って点字の本で読んでみて、Kさんのこれまでの信仰の歩みのすべてが凝縮されていることを感じました。

 罪の重さにただ祈るほかないものをあわれんでくださる主。

 病苦の夜もゆだねて、御国へと招いてくださるイエス様の平安。

 小林さんが歌って下さった讃美歌を通して、主によりすがるしかない私をも赦してくださり、信仰の歩みを導かれる主の恵みのすばらしさを知らされました。


 「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

  悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」

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リストボタン祈る事   T.K

 五月一〇・一一日と徳島の地で全国集会が行われた。その事が決まってから、祈りと準備が始められた。

参加される方が申し込まれてからは、体の弱いかた、初めて参加されるかた、遠方から来られる方々の事を個人的に祈る事になった。数名の人の事を責任を持って祈る事になった。プラス別の人の事を祈るのも自由だ、

私が当たったのは、一度も出会った事のないかたばかりでした。心に留めて祈り続けていた方も入っていました。

お会いした事のある方の祈りは、容易ですが、全く出会った事のない方の祈りは????と思って初めましたが、朝の祈りに、散歩している時に思い出して祈りる時にも、夜の祈りにも、お一人お一人を思い起こして祈っていると、祈る言葉も次々に浮かんで来るし、神様は聞いていて下さるのだと確信が与えられるのです。

そして当日、祈ってた方にお会いしたのです。「○○さん、よくいらっしゃいました。お体の方は大丈夫ですか」とフルネームで呼びかけていました。まるで前々から知っている人かのように。我ながら驚きました。

また別の方との交わりの中でも、思わず心の内で、○○さんとフルネームが出て本当に参加出来て良かった。と晴れやかな気持ちで、笑みが沸いてきました。

 話を聞いて知った人の事や、顔を知っている方、これを祈って欲しいと言う祈り、「祈りは呼吸するが如く」といいます。呼吸が止まらないように、いつも祈り心を持って歩んで行きたいものです。

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リストボタン「イエスとの出会い」    T.T

 福音書の中の「エマオで現れる」の話。二人の弟子がエマオへ歩いて行くところに、イエスが近づいて来て一緒に歩いておられたが、二人はそれと気づかなかった。そのあと「一緒に食卓について、いつものようにパンを手に取り、神を讃美したのち、裂いて渡されると、その時二人の目が開けて、その方(イエス)とはっきりわかった。するとまたその姿が見えなくなった。二人は語り合うのであった、『道々わたし達に話しをされたり、聖書を解き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか』と。」(ルカ福音書24・13-35)わたし達が聖書のみ言葉がわかるのは、普通にいろんな本を読んで、その内容を頭で理解して解るというのではなく、はじめにイエスとの「出会い」があり、その時わたし達の心の目が開けて、聖書に書かれていることがわかるということではないかと思う。

 イエスは伝道を開始された時に「神の福音を説いて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ』と。」(マルコ福音書1・14)

「悔改める」(メタノエオー)とは「考え直す、心を変える、改心する」の意味(岩隈直「新約ギリシャ語辞典」)。イエスとの「出会い」はすべての人にその機会が与えられていて、その人に一番ふさわしい時に、復活のイエスとの真の「出会い」が起こり、今までこの世のことばかりに占められていた「心の向き」が、その時、神の方へと変わる。このことをイエスは、「人は(霊によって)新しく生まれなおさなければ、神の国に入ることは出来ない。」と言われた(ヨハネ福音書3・3-6)。

 この変化は「使徒言行録」の中のパウロの改心のように急激に、劇的に起こることもあれば、「春雨が静かに大地をうるおしてゆくように」、その人が気づかないうちに起こっていることもあるという。このイエスとの「出会い」により、わたし達は心の目が開かれて、聖書のみ言葉が素直に受けいれられるように、神によって変えていただくのである。

 エレミヤ書「新しい契約」(31・31-34)「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。・・・」

 ヨハネ福音書(6・45)「預言書(聖書)に、人は皆神に教えを受けるであろう(イザヤ54・13)と書いてある。」

 ヨハネ第一(2-27)「しかしあなた達は、キリストから戴いた油すなわち聖霊が留まっているのだから、誰からも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。」

 わたし達が神から戴いた霊により「一人ひとりが自分で聖書を読み、自分で解釈をし、それを自分で生き、また隣人に伝える」ときに、真の無教会主義がこの国において進展すると信じる。

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リストボタン短歌      N.S

暗闇と混沌の中に一条の光造りし神がわが神

御父の御心すべてを知る御子が夜通し祈る尊き神秘

全能の神が御力出し尽くし罪の我等をみ国へ招く

御父は今も働くみ赦しも救いも知らぬ罪人のため

神を知らず動けぬ人を主の前に一緒に運ぶ友をください

悲しむな今日は聖日主を祝い喜ぶことが力の源

命綱はすべての人を救うのが主の御心と信じる恵み

しかし主のお言葉ですからしてみます先ずは信じて行なって知る

任されし一タラントを地に埋めて時を失う無知と愚かさ

午後五時の仕事は一つ執り成しの祈り続けんたどたどしくも

道遠しわが幸求める祈りから命を削る執り成しするまで

わが罪を悔いつつそれでも主の御目その憐れみに涌き出る賛美

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リストボタン全国集会で     N.N

  コーラスに参加しました。コーラス担当の中川陽子さんが事前に、歌を録音したCDや曲目の歌い方の注意事項などを送ってくださいました。県外の参加者が分かるように懇切丁寧に書いてありました。そして、「だれか一人の声が目立つのでなく一人ひとりが声を合わせてイエス様に届ける「一致」の気持ちで讃美できたらと願っています。」と、讃美する時の心の持ち方まで記されていました。

 いわゆる普通のコーラスとは違うのだ、それは祈りと同じことなのだと、私は改めて教えていただきました。私には初めての曲もありましたが当日は迷うことなく、歌詞の意味を深く思いながら讃美できました。

 新聖歌224

 ああ驚くべきイエスの愛よ……

 み名をたたえよ、たたえよ。(新聖歌224)

初めと終わりは力いっぱい神様を讃えました。

全国の方たちと一つになってコーラス讃美できて、大変よい経験をさせていただきました。

 次に、心に残っているお話から。吉村兄の「旧約における神の愛と導き」の中の「回り道をさせる神」について。いのちの水5月号より抜粋させていただきます。

 「わたしたちが出会う数々の苦難や悲しみも人生の大いなる回り道にほかならないが、それはやはりこの人生の荒れ野において神のわざを体験し、闇の中に輝く光を深き淵から仰ぎ見るようになるためなのである。……長い苦しみという回り道を経て主の平安に到達するようにというのが神のなされる導きなのである。……私たちもまた世界がどんな状況にあっても、また周囲の人たちの個々状況がどんなに闇にあるようにみえても決して望みを失ってはならないといえる。それらは神の愛の御計画が表されるための回り道のように見えるだけなのだ、その背後において神が必ず最善のところへと導いておられるのである。」

 私の信仰の歩みもまた、回り道であったことを思い返されました。神様にはすべての人を救うための御計画がある。順序がある。闇を歩いている人はまだ救いへの途上にある。闇を歩いている人は神に回り道をさせられているだけ。決して裁いてはいけない。希望を捨ててはいけない。その人達のために祈ることをあきらめない。私はただ先に信仰をいただいただけ。私のなすことは、神と共にいること。必要ならば働かせて下さる。

 吉村兄のお話から以上のことを再認識させられ、主の平安をいただけました。

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リストボタン箴言 四章1823節 父の諭し       N.T

神に従う人の道は輝き出る光

進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。

神に逆らう者の道は闇に閉ざされ

何につまずいても、知ることはない。

わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。

見失うことなく、心に納めて守れ。

それらに到達する者にとって、それは命となり

全身を健康にする。

何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。

(看護助手)

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リストボタン平和の主   N.H

イザヤ書二章四節
主は国々の争いを裁き、
多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

完全な平和は主によって来ることが預言されている。
心から望むその日は必ず来ると主が告げる。
今争いに満ちたこの世界が、
主のその時一瞬に改まる。

戦うことがどんなに間違ったことか、
そのために、どれほどの辛酸をなめたかを
日本人は経験している筈なのに、
今また、戦争のできる国にしようとしているらしい。
兵器を作るお金を困っている人や平和の為に使ったら、
どれ程素晴らしいことができるであろう。

世の中の状態に絶望せず
目を神様に注ぐことで
祈りへと心が開かれていく。

私達が願う平和の為に
一人一人の心に平和の主をお迎えすることで
主の良しとされた時、

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リストボタン「神曲・煉獄篇」の世界に触れて  N.Y

 「次の読書会はダンテの『神曲』の煉獄篇です。」と聞いて、最初に思ったのが「え!難しそう!」でした。子供の頃から家の本棚にあるのは意識していたけど、読みたいと思ったことはなく、あまりに難しそうで自分には無関係に思え、本当に読む日が来るとは思ってもいませんでした。
 自分用の「神曲」の本を買うことになり、ドキドキしながら中を覗いてみましたが、難しい表現・・・。意味不明の言葉が並んでいるように見えました。この本はこれまで読んだ本とは随分異質な感じだと思いました。ついていけるのかなと心配になりながらも、恐る恐る第一回目に参加しました。
 意外や主人公ダンテは、この本の最初で今の私と似た年齢であることが分かり、とても驚きました。そして「ふと気付くと、人生の半ばで、私は暗い森の中にいた」という書き出しの内容に、急にこの本に親近感が沸いてきました。
 人間が人生の半ばで迷い込む暗い道。ダンテも、そんな道に迷い込んだと書いてあります。遠い遠い存在の、偉い人だけが分かる物語ではなく、これは人間の内側の、誰にでも関係する魂の問題が書いてあるんだな、と分かりホッとしました。この道はどこへ続いていくのだろう?この先がとても見てみたい気がしました。ダンテの舟は大海原を帆を上げて進みます。わたしの心も、一緒について行こうと必死です。地獄篇では自分達の力で力強く漕いでいた舟が波をかぶり、岸を目前に沈んだ箇所があると学びました。そこを学びながら、自分の意思のみを頼みとして進む危険を知りました。神様の意思、御心に沿うことのみが安全で確実な航海です。
 気付いたら、色鮮やかに、壮大に繰り広げられる煉獄の世界に入っているような気がしました。そこに出てくる歴史の深い意味や、科学的なこと、大昔の外国の人物のことはよくは分かりません。けれど、深い意味を持つ天使の羽の薄い緑色の美しさや、抜いてもすぐに生えてくると言う「謙遜」の象徴イグサの様子、煉獄の門の手前にある美しい花畑や讃美は、私にも想像できます。素晴らしい色鮮やかな世界。私には意味不明の暗号のように見えた文章は、吉村さんの、何種類もの言語の訳を読み比べた上での丁寧な解説で、目が開けたように心に感じることが出来るものに変わりました。
 その文章の一つ一つが、謙遜、謙遜、と教えてくれます。謙遜と悔い改めと讃美の世界がそこにありました。そして何より嬉しく思うのは、大事な局面では、いつも自分の力ではなく、神様からの力、天使の助けによって入り口が分かったり、崖を引き上げられたりするところです。あくまでも上からの助けによって、自力で登ることが不可能な罪深い人間にも、道が備えられて進むことができるのです。
 まだ煉獄の、門をくぐって少しのところしか上がっていませんが、読書会に参加するたびに深い魂の世界に驚きます。これまで私はなんて浅い事しか考えずに生きてきたんだろう。脳もほとんどの機能を使わずに終えると言うけれど、魂もこんなに深い世界があるのに、今まで目に見える生活の世界に囚われすぎてきたんだな、と気付かされる思いです。
 ダンテの「神曲」に出会えて、本当に良かった!と、心から感謝です。

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リストボタン今も流れる真清水   N.K

毎月、「いのちの水」誌、徳島キリスト聖書集会の礼拝CD、吉村兄の「ヨハネ福音書聖書講話」CDなどによって、いのちの糧が与えられていますこと感謝です。
 日本の社会は、今、汚水の沼そのものですが、その地下深く、清らかな、真清水が流れていることを思わされています。 罪の増すところ、恵みもいやませりという言葉がありますが、その御言葉を実感させられております。なによりも、神様がお立てになった、真の預言者の確信に満ちた言葉こそ今求められていると思います。

 獅子がほえる
 誰が恐れずにいられよう
 主なる神が語られる
 誰が預言せずにいられようか(アモス書、3章8節)

 吉村兄の言葉には、この確信に満ちた力があります。語られる、あるいは、書かれたものを通して、御聖霊が働かれているのだと思わされます。かっては、内村鑑三、矢内原忠雄などの傑出した人物を主は預言者として日本にお遣わしになりました。その恩恵の露が今も流れ流れて新たな人を起こし、この国に、福音を伝えようとされています。徳島の地からも、その恵みの露はあふれ出て多くの人を奮い立たせている事実をみています。
 十字架を仰ぎ、己の罪を示される時、いつこの罪との戦いが終わるのであろうかと思いますが、しかし、毎日、主と真向かいながらの歩みをさせていただく時、己の罪をより深く思わされると同時に、そのようなものの罪をも赦し、暖かく、主の愛の御手につつんでくださる恩恵の深さ、篤さをも感じさせられています。御聖霊が、今も、今、この拙文を書いている時にも私をじっと見守っていてくださることを、いや、わたしの気がつかないでいるときも、常に、かたわらに離れずにいてくださることを、このことを、貴誌をとうしてて教えられております。
 最近、読んだ矢内原先生の著作集の中に感銘深い言葉がありましたので紹介させていただきます。

こう考えている中にわたしは、自分が他人に対して愛の乏しかった数々のことがらを思いだしていた。一つ、二つ、三つ。今度はそれを押さえることができないで、冷たい液体ががまなじりから頬に伝わっていた。
 そうすると"grace,grace,grace"(恩恵、恩恵、恩恵!)という合唱の歌声が、障子の向こうからしずかに聞こえてきた。私は、すぐにその声を聞き知った。これは、前日駿河台の講演会で、集会の有志の青年たちが私の誕生祝いのために歌ってくれた"Rock of Ages"という讃美歌の中の言葉であった。これはグラッドストーンの愛唱歌だったという。
その三節は

 Nothing in may hand I bring;
Simply to Thy cross I cling;
Naked,come to Thee for dress
Helpless,look to Thee for grace
Foul,I to the fountain fly;
Wash me Savior,or I die.

わが手に何も携うるものなし、
ただ汝の十字架にすがる、
はだかのまま、衣を求めて汝に来たり
助けなきまま、恩恵を求めて汝を仰ぎ
汚れたるまま、我は泉に飛び行く
我を洗いたまえ、救い主よ、さらずば我は死す

皆が、この歌を歌ってくれた時、四行目の"grace"という言葉の韻が、実に美しく私の耳に残ったのであった。
涙は乾いた。そして私は機嫌よく起きて、今年の誕生日を、また生き始めたのである。(矢内原忠雄全集十四巻、428頁)

矢内原先生の罪意識の深さ、恩恵の受け止め方の深さに感銘を受けました。
日々、かたときも離れない主の御恩恵を深く学びつつ、感銘を新たにしつつ、主の恵みを証しするものとされたいと願っております。

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リストボタン私の聖句   N.K

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」マルコ十一、二四

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リストボタン聖句から   N.H

私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる。
生きていて私を信じる者は、だれも決して死ぬことはない。

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リストボタン深い交わりを通して為し続けていく業    N.Y

今年の8月に京都桂坂で無教会キリスト教集会が開かれました。その集会でFさんから紹介頂いた、安積力也さんについて。
頂いたのは録音CDでした。その内容は、東京にある日本聾「話」学校での校長としての体験を通して、人間の言葉は、「愛の関係性の産物」であり、そして、自分がこのように言葉をしゃべられるのは、こんな自分を、誰か「特定の他者」が愛してくれたという証拠なのだというものでした。
とてもすばらしい話でしたので、自分一人で聴くのはもったいないと思い来年もし担任をするならば高校生に聴かせる機会がないだろうか、と思っていました。
そんな折、「教育の力」と題して安積力也さんが岩波ブックレットで書かれているのを見つけました。
その本の中で印象的な箇所を引用します。
われわれに求められていることは、たぶん、単純です。「個としての生徒」を大切にする教育を、いままで通り、なおも、どこまでも、貫くこと。・・・なおも「ひとり」という人間のもつ多様性と尊厳を、他のいかなるものよりも大切にする教育を貫くこと、なんだと思います。それしかないし、それでいいのだと思います。
私は、キリスト教信仰を与えられた教師です。後は神様がしてくださる。後は「歴史を支配したもう」神様がしてくださる。そう信じ、そう思い定めるとき、私の弱い腰も座ります。・・・子どもは「された」ように「する」ようになります。・・どんなに愛されず思いやられずに育った子も、いま一度、愛され、思いやられていけば、いつの日か、自他を愛し、思いやる子に変わっていく。(引用終わり)
学力テストなどすぐに出てくる結果で教師も生徒も振り回されてしまいそうですが、時充ちてはじめて開花するもの、いつの日か、の変化を期待して行なうことのできることがあるのだ、と改めて気づかされました。
先日、ある科目の定期テストに作文を課しました。作文の採点作業に想像以上の時間がかかりましたが、ある子が
「『自分の一生を捧げても良いと思えるものは何ですか。』という問いを初めて聞いて驚いた。そういう風に物事を見たことがなかった。」
と書いていました。
子どもは「された」ように「する」ようになるのであれば、踏み込んで言うと、私が一生を捧げても良いと思えるものの見方・生き方によって、深い交わりを通して、伝えたいことが伝わっていき、それにとどまらず、また誰かに伝えていくようになればと思います。この人と人との交わりによる「関係性の産物」が、神のみから与えられる真に良いものであることを願っています。
高校教員

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リストボタン高槻集会の学びから    N.K

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月の高槻集会に吉村さんに来ていただき「コへレトの言葉〔伝道の書〕」を学んだ。「空の空、一切は空」、「何事にも時がある。」「水の上にパンを投げよ。」などのみ言葉でわたしたちには以前から印象深い書である。最後の12章を通してこの書の主題を学ぶことができた。
 この書の作者は人生はなにをしても空しい。何をしても意味がない、労苦を重ねても何になろう。みんな死んでいったではないかと虚無感におそわれる。聖書という書物に何故このようないっさいの希望のないような記事が組み込まれているのか。わたしたちはこの書から何を学び取ったらいいのかを学んだ。この書が旧約と新約の橋渡しになっているということ。空しさを通って新約に引きつがれるということを。新約でイエス様があらわれ私たちは生きて応答してくださる神様を知った。どんなに孤独であってもだれひとりにも認めてもらえなくてもイエス様だけはわたしたちを見捨てることはしない。生きた存在としてわたしたちに応えてくれる。
 パウロがどんなにこの喜びに満ち溢れてイエスにある喜びを語っていったか。どんなに多くの殉教者たちがこの喜び,平安に満たされていたか。そこには迫害に耐えながらも天の門が開かれるのをしっかりとみつめ喜んで召されていったその死の証があった。
 しかしこのコヘレトの言葉は決して人事ではない。わたしたちは信仰をもっているからといっていつも喜びにあふれているだろうか。朝起きた時言うに言われぬ虚脱感をもったり今日一日どうしようかと悩むこともある。またこの世の生活において些細なことでなやんだり家族や他人の一言で腹を立てたり落ち込んだり 途方に暮れてしまうこともある。このコヘレトの作者は自分の罪を深く知っていたからこそ空しさを感じていたのではないかとも思う。生きていくうえで悩みや苦しみが多ければ多いほどまたそれに傷つけば傷つくほど空しさや虚脱感を感じるのではないかと思う。
 そんな時わたしたちはどこに望みをおくのか、途方にくれ空しさを感じた時、目を閉じて祈りイエス様を思いたい。わたしたちのこうした重荷や罪の一切を背負って代わりに神様に罰せられてくださったそのイエス様にすべてをゆだねて前を向いて生きていきたい。この世の毀誉褒貶から離れてイエス様だけみつめていけたらいいと思う。そういう信仰をもちたいと祈り願い続けていきたい。
 清らかな秋の青空の聖日の午後、集められたそれぞれの兄弟姉妹の魂に真実で大切なものを刻みつけられた。

追記
 「あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。」(伝道の書十二・1)

私は近年、毎年新卒の若い先生と担任を組んでいる。今年一緒に組むことになったその先生も例にもれず毎日学校の閉まる九時近くまで残り、日々の業務に追われているがなかなか慣れないこともあって思うように仕事がはかどらない。毎日のように夕方ごろから少しの時間でも話をする時間をもつようにしている。そんなある日、薄暗くなった職員室で二人で話している時彼女がふとこんなことを言ってきた。「たくさんの大学時代の友人が仕事を途中で辞めてしまっている。親友だった子も気持ちが不安になっているがなかなか会って話す余裕がなかった。そうしているうちにその子が最近自死していたのを知りとても後悔した。私自身も家族のことなど多くの悩みがある。なぜたくさんのこれからという人がこんなふうに生きることを暗い方向に考えていっているのか。何か自分の中に確かな信念がほしい・・・・。だれにも簡単には言えないことだから・・・。」と。いつもにこにこしている彼女が苦悩しながらも何か真剣に生きることを考えている気持ちが伝わってきた。表には内面を現さなかった彼女のことを思ってその夜は深く祈った。
 以前から集会のことを話していたが、ふっと興味をもったのか、「行かせてもらって勉強してみたいなあ・・・。」とつぶやいていた。大学時代友達とフランスに行きいくつかの教会を立ち寄った時、一心に祈り続ける人の姿をみて自然に涙が出てきたのだと言う。
 あまりにも多忙で課題の山積している教育現場、今後ますますそれは大きくなっていくことだろう。真剣で一生懸命な若い先生は多い。しかしそういう人であればあるほど、抱えきれない悩みやしんどさを内面にためて精神的につぶれそうになっていく。そうしたことがないように残された数年間微力だけれど若い人たちと共に悩みを共感しつつ、イエス様を伝えていきたいとおもう。何ものにも動かされることのない真実なもの、希望があるのだということを。今は遠方から通っているために参加がむずかしい彼女がいつか近いうちに集会に参加できる日が来ることを祈り続けている。
                            (小学校教員)

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リストボタンナルニア国物語を読んで神の国と永遠の命      N.H

 以前「いのちの水」誌で紹介されていた、ナルニア国物語のライオン(アスラン)がイエス様を表しているということに興味を持ちナルニア国物語全巻を読んだ。その中で「さいごの戦い」の巻には、神の国について聖書では想像できないイメージが与えられているのでここに紹介したい。

 神の国については、この世=もとのナルニア国と比べて以下のように書かれている。

 『もとのナルニアとは、まことのナルニアではない。そこには始めがあり、また終わりがあった。そこはまことのナルニアの、ただの影の国、まぼろしの国、ひきうつしの国だったのだ。まことのナルニアはつねにここであり、つねにこのまま変わることはないだろう。さながら、わたしたちの世界、イギリスやあらゆる国々のある世界もまた、アスランのまことの世界の夢かまぼろしの国、影かうつしの国であるようなものだ。かかわりのあるよいナルニアのいっさい、親しい生きもののすべては、あの戸をふみこえて、まことのナルニアへひっこしてきたんだ。そしていうまでもなく、ここは違うところだ。本物が水の鏡と違い、目をさましている時が、夢みている時と違うように、違うのだ。』

 『この日の照る国が、どのように違っているかを説明しようとなると、その国の木の実の味をお話しするほどに、難しいのです。きっとこう考えると、いくらか見当がつくでしょう。みなさんが、窓の一つある部屋にいて、その窓から美しい入江か、山々の間に続く緑の谷間が見えるとしましょう。そしてその窓と反対側の壁に、鏡がかかっているとします。もしみなさんが窓からふりむいて、ふとその鏡の中に、全く同じ入江なり谷間なりを目にしたら、どうでしょう。鏡の中の海、鏡の中の谷は、ある意味では、本当の海や谷と同じものです。けれどもそれとともに、どこか違うものなのです。まだ一度もきいたことがなくて、知りたくてしかたのない物語の中の景色のように、はるかに奥深く、はるかにふしぎなものです。

 もとのナルニアと新しいナルニアの違いも、そのようなものでした。新しいナルニアは、ずっと奥深い国でした。どの岩も花も、木の葉も、はるかに意味の深いおもむきがありました。わたしは、これ以上は説明ができません。みなさんがそこにいらっしゃれば、わたしのいうことが一目瞭然なのですが……

 この新しい国で、一同は疲れを知らず走り続け、さらに高く、さらに奥へと進みました。とてもよじのぼれそうもない高い崖の大滝も垂直に泳いで上っていったのです。

 『一同は、ますます早く走って、とうとう走るよりは、とぶようになり、頭上をとぶワシでさえ、一同より早くとべませんでした。道は曲がりくねる谷から谷へとつづき、一同はけわしいこちら側の山腹をのぼって、それよりも早く山のむこう側をくだり、川すじについて奥へはいって、時には川をわたり、さながら生きているモーターボートになったように、いくつかの山の湖の水面をすれすれにとんで、さいごに、トルコ石のように青々とした、細長い湖のはずれにつきました。そこから一同は、草の生えそろった緑の丘を目にしました。その山腹は、ピラミッドの斜面のようにけわしくそそりたち、頂上のまわりは、緑の築地がぐるりと、とりかこんでいました。しかし、築地の上から、木々の枝がのび、その葉は銀のよう、その実は金のようでした。』

 『正面に大きな黄金の門がたちふさがっていました。黄金の門をくぐって、その庭からかおってくる、えもいえぬにおいにそまり、木々の下かげと日ざしのおりなす涼しさにひたって、白い花を点々とちらしている、はずむような芝生の上を歩いていきました。

 だれの胸にもまず第一に浮かんだことは、この庭がそとから見たよりも、ずっとひろく大きく見える点でした。しかしだれもそのことをよく思いめぐらすひまがないうちに、ひと群れのひとたちが、あちこちから、新しくきた者たちをむかえにやってきました。

 いままで話にきいていたひとびと(もしみなさんが、ナルニアの歴史にくわしければ、ごぞんじのはずの)は、だれもかれもここにいるようでした。』

 このエデンの園は、ただの庭ではなく、ちゃんと川あり森あり、海あり山もある、一つの完全な世界でした。神の国は、まるでタマネギのようでした。でも、奥へ入れば入るほど、その皮が、まえにむいた皮よりずっと大きくなるところが、違っていました。

 彼らの視力にも素晴らしい変化が起りました。どこを見ても、どんなに遠くでも、ひとたび、じっとそこに目をそそげば、望遠鏡をのぞくように、はっきりと近くなって見えるのです。今、南の砂漠をありありとながめ、その先にある都をはっきり見ることができました。また海のかなたに、島々をみつけましたが、島から島へそれはつづいて、この世のはてにいたり、そのかなたに、みんながアスランの国と呼ぶ大きな山があるのを、見ました。

 『しかし、これからはじまることになるいろいろな出来事は、とうていわたしの筆で書けないほど、偉大で美しいものでした。そこで、わたしたちは、ここで、この物語を結ぶことにいたしましょう。けれどもわたしたちは、あの人たちがみな、永久に幸せにくらしたと、心からいえるのです。とはいえ、あの人たちにとって、ここからが、じつは、ほんとうの物語のはじまるところなのでした。この世にすごした一生も、ナルニアでむかえた冒険のいっさいも、本の表紙と扉にあたるにすぎませんでした。これからさき、あの人たちは、地上の何人も読んだことのない本の、偉大な物語の第一章をはじめるところでした。

 その物語は、永久につづき、その各章はいずれも、前の章よりはるかにみのり多い、りっぱなものになるのです。』

 この世が鏡に映った世界であり、神の国はその実物であると作者は言っている。この世で流した涙をぬぐわれて、亡くなっていた人々とも再会し、ともに神の国の奥にあるエデンの園で幸せに永久を過ごすのだ。永遠の命を与えられた人々は、それにふさわしい素晴らしい体をいただいた。死というものはもう無い。本に例えると、この世が表紙と扉のようなもので、これから本文ともいえる永い永い物語がはじまる。

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リストボタンヨハネ伝第21章から        N.H

 ヨハネによる福音書は20章までヨハネにより書かれ、21章はヨハネの弟子たちによってその後に書かれたものだと言われています。

 21章で、主イエスはぺトロに三回「私を愛しているか」と問いかけます。新共同訳では、同じ「愛しているか」とありますが、ギリシア語では、一回目と二回目はアガパオーを用い、三回目はフィレオーを用いています。それに対してペトロは三回ともフィレオーで答えています。そして主イエスは三回目にはフィレオーで尋ねています。このことは何か意味することがあるのでしょうか。多くの人が考えてきたことだと思います。今までの研究の結果では、20章より前や他の福音書で、この二種類の「愛する」あるいは「愛」という語を区別して使っていないから、ここでも区別する必要はないのだとなっているようです。

 私は、この後から追加された章では区別して使われたのではと考えてみました。そうすると、主イエスのユーモアが感じられました。三回というのは主イエスが捕縛されたとき、火にあたりながらペトロが主イエスを「知らない」と言った数に相当します。困って泣きそうになるペトロを見て微笑んでいる主イエスが想像されます。

 アガパオーとその名詞アガペーは神に対する愛、フィレオーとその名詞フィリアは友フィロスを語源としているので友達に対するような愛と区別できるようです。そう考えると、主イエスは最初、ペトロに「私を、神を愛するように愛しているか」と問われたのでしょう。そしてペトロは今までどおりにフィリアの愛で愛していると答えたので、主イエスは復活したご自分をペトロが何度も見て、もう主イエスの実体がわかったのではないかと、「私をアガペーで愛しているか」と重ねて言われた。しかし、二回目のペトロの答えも同じでした。そうかと三回目は、主イエスは「あなたはフィリアの愛で愛しているんだな」と言われた。ペトロは主イエスの気持がわからなかったのでしょう。なぜなら、使徒たちは主イエスが天に上げられたのち、天から聖霊が降り、力を受けるまでは主イエスの本質がわからなかったようなのですから。

 なお私の見ている英訳ではこの箇所について、アガパオーの愛をLove、フィレオーの愛を Affection  と訳しています。 Affectionには友達に対するというニュアンスはないようです。英語では Love はいろんな場面で使われすぎた言葉のようで、Affection  というのは、慎み深い愛のようです。

 いずれにしても、この場面では主イエスのやさしい眼差しを感じます。この世に残してきた私の子羊と羊たちの世話をし、飼いなさいと命じています。その結果ペトロが苦難にあうこともわかったうえで「行きたくないところへ連れていかれる」という間接的な表現でペトロをいたわる慈しみの表情を感じます。

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リストボタン職場から近況報告    N.M

 秋がやって来ると、わたしの職場静岡市(私の所属課は障害者福祉課)は来年度予算編成の要求資料作りのため、一年を通し最も忙しい時期を迎える。直接障害者のための事業を持たない私は、専ら若い職員のまとめ役であるが、この私でもこの十月の帰宅は十時、十一時の日が多かった。ましてや若い職員は私以上に退庁時間が遅く、土・日を返上して職場通いをする者も多くいた。財政課へ提出する日が刻々迫ると、職場の雰囲気は更に緊張感が高まりピリピリした雰囲気に包まれ、その中に身を置くだけで神経が疲れてしまう有様である。

 この雰囲気を作っているのは、ひと言で言えば景気が後退し、市の財政状況が厳しいことに尽きる。そのため財政当局の予算編成に当たっての指示が極めて厳しいもので、示された数字以下に要求額が納まっていなければ、資料は受け取ってもらえない。課内予算を取りまとめる担当は多忙を極めている。そんな中、とりまとめ担当が各担当に数字を出してもらうために作成した書式そのものが間違っていることが、作業終了後発覚し、はじめからやり直しとなってしまった。

 
これも忙しさの余り生じてしまったことではあるが‥‥。職場は暫くの間、何とも言いようのないやるせない空気に包まれた。忙しさの余り生じたミスと心の内で皆が理解しているため、とりまとめ担当を深く追求し非難することもなく、ことが納まった。「置かれている立場は皆同じ」と言う共通の認識があってこそ許せるものであった。例えどんな忙しい中にあっても、「御互い様」の広い心、他人を思いやる優しさを感じた。本気で一生懸命取組めば、言葉は無くても気持ちは通じることを改めて教えられた。

 こんな私の職場に、夏以降一ヶ月、二名の割で学生が一週間のインターンシップ研修にやって来る。大学生、特別支援学校(養護学校)の高校生である。一週間という短い期間であるが、自身の目で、体で、市役所の仕事を体験する現場研修である。

 九月、療育手帳を持たれた特別支援学校2年の女性が実習にやって来た。人懐こく、大きな声で「Nさん、○○の書類を持ってきました。Nさんでよろしいでしょか」と言われると、それにつられて私も大きな声で「はい、私でいいですよ。ありがとう。」とついつい合わせて返事をしてしまう。この返事を待ってましたとばかり、更に大きな声で「ありがとうございます」と隣の課にも届く大きな声で嬉しそうに応えてくれる。例え小さな行動であっても、気持ちを込めて精一杯取組む姿は、理屈ぬきに爽やかで美しく映る。時間に追われる職員にとり、彼女との会話は、さながらコーヒーブレイクで一息ついたような時間となる。

 先週はまた、上下肢・言語に障害のある車イス利用の特別支援学校三年の女性が研修にやって来た。彼女のために車イス用の机を運び、パソコンを配置し、インターンシップ担当の若い女性職員は受け入れ態勢を整えてくるのを待った。月曜日の朝礼時、全職員の前で彼女は、彼女なりに「○○です。一週間よろしくお願いします。」のひと言を全身の力を込めて話された。

 
ほんのひと言であったが、実に長い時間を掛けてひと言ひと言、上体を揺り動かし全身から声を搾り出すように自己紹介をされた。彼女は、パソコンによる書類作成が主な仕事であった。車イス利用ということもあり動きの少ない仕事をしていただいたため、研修中は職員との会話も少なかった。そんな中、職場は相変わらず喧々諤々の厳しい会話、殺気立った空気に満ち溢れ、彼女の1週間の研修も最終日を迎えた。

 
彼女に気遣うことも少なかったと感じた若手職員四人が、彼女を取り囲んで昼食を共にした。私もそれ程遠くない自席で食事をしていたので、若い職員の会話を聞き、笑いに誘われた。研修生に少しでも楽しい体験を持ち帰ってほしい、の若い職員の優しい気持ちの表れであった。はじめはぎこちなかった会話も時間が経つに連れ、軽快なやり取りとなり、食事をする暇も無いほど笑い転げていた。もちろん研修生も職員に負けない位の大声で気兼ねなく笑っていた。

 
夕方五時十五分退庁の時を迎えると、お別れの挨拶があった。月曜の朝と違って、彼女の独自のゆっくりペースは同じであったものの実に分かり易く、感想と感謝そして将来できれば市役所で働いてみたいとの自身の希望を披露して挨拶を結んだ。スローペースの話し振りに慣れると、話もしっかりとした一本の流れがあって、大変分かり易い内容で驚いた。

 
渾身の力を込め、体を揺すりながら精一杯話す姿は、聞く者の胸を打つ。彼女の話をお聞きして私は、目頭が熱くなった。終わって顔を上げ周囲を見渡せば、私同様何人かの職員もハンカチで涙を拭いていた。

 今、私は私なりに厳しい職場に身を置いているが、若い職員が互いの立場を理解しつつ他人のミスを非難することもなく精一杯働く姿、また障害のある女子生徒が、小さな仕事にこれまた精一杯に取組む姿は、時間に追われつつ仕事の奴隷となっている職員にとり、置き去りにしそうな優しさ、労わりの大切さを暗闇に輝く一筋の光線の如く回りを照らしている。

 職場の若者、研修生の女子高校生、この人たちこそイエスが最も愛された人々であろう。私自身、このような若者と共に、厳しい現代社会の中で共に過ごすことの出来る喜びをかみしめている。そして、神様から与えられた私なりの輝きを現在の暗い世の中に、また、職場の中に放っていけたらと願っている。          清水聖書集会

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リストボタン試みは、はぐくみ     H.Y

 去年三名でスタートした集会は、一年目は平穏無事であった。今年は、「まさか、こんなはずではなかったのに」とまさかの坂道信仰であった。

 それは、ある日のこと一緒に礼拝している姉妹の上に、死という闇が襲いかかり、彼女は、もだえ苦しんだ。しかし彼女は、しっかり神にしがみつき、神も彼女を離さなかったので、死は逃げ去り守られた。彼女は今、回復途上であるが、以前のように神様を賛美している。

 私は、一息ついて腰を降ろしていた。すると神様が、「私にも苦しみが必要である」といわれ、私は腰につよい痛みを生じ動けなくなった。仕事も、家事も、礼拝も、一切できなくなった。

ただ、ベットの上で、「痛い、痛い」と叫ぶだけ。聖書を読むことも、祈ることもできず「神様、あなたはいったいどこにおられるのですか・・・どうして助けて下さらないのですか」と言った。

 何も出来なくて、哀れで、どうしようもない、弱い自分自身を見せつけられ、今迄強気だった自分が恥ずかしくも思えた。

「榎本保郎の著書」から、次の箇所が心に残った。

 イエスが、バプテスマのヨハネから、洗礼を受けた時、「これは、私の愛する子、私の心にかなう者である」と天からの声があり、イエスは、悪魔によってではなく、御霊によって荒野に導かれ、試みを受けられた。 だから、私達も、現実の生活の中で、試みを受けたとしても、それは、悲しむことでも恥ずかしいことでもない。試みを、悲しみ、恥ずかしがるのは、聖書のメッセージからはずれている。

 使徒行伝一三章一八節に「そして、約四〇年にわたって、荒野で、彼らを、はぐくみ・・・」とあり、荒野の試みを受けることを、パウロは、「はぐくみ」を受けたと記している。「試み」は「はぐくみ」の時である。

 ヘブル一二章八節「誰でも受ける訓練が与えられないとすれば、それこそあなた方は、私生子であって、ほんとうの子ではない。」

 試練を受けることは、その苦しみにおいて神のみ心が示される時なのである。そういう点で、私達は、荒野で試みを受けることを、恐れてはならない。 とかく私達は、できるだけ損はしないように、苦しむことは皆避けて通り、楽なことだけしていこうとする。聖書を読むとか、祈るとか、信仰の証しをするとか、神のすすめに従って愛の業を

するとか・・・そういうことをできるだけ少なくしていこうとする生活の中では、そこには、試練はないし、神がどんなに私達を愛して下さっているかが分からない。(「榎本保郎著・一日一章」より抜粋)

(祈り)

主なる神様、試みにある時、それは、はぐくみの時であり、み心が示される時であることを覚えて、あなたに任えていくことができますように助けてください。

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リストボタン心に響く讃美歌    H.T

 
誰でも一番とは決められなくとも心に響く大好き讃美歌はあることと思います。私にも数ある讃美のなかに心に響くものが沢山ありますが、なかでも私は「独り(ひとり)の御子を」(新聖歌八八番)を讃美するといつでも、何度讃美しても、涙が溢れてきます。何故かといえば、この讃美のなかに神様の深い憐れみと限りない深いご愛を私自身に語りかけてくださっていると我が事として思い受け止めることができるからです。

 
全体的にそうですが、まずは、「かかる恵みの父をも知らで 長く闇路にわれは迷えり」、このところは神様が自ら父として語りかけて下さっていること、そんなことも知らずに長く闇のなかを彷徨っていたあわれな自分と重なります。

 
次に「帰れわが子よ 帰れわが子」と「愛の御手もて招き給えり」です。

 
愛の御手で持って、帰れわが子と二度も呼んでくださる!ああ、偉大なお方がこんな私を子と見なして下さっている。「悔ゆる心を父は憐れみ 走り迎えてわれをば抱き」 の箇所です。

 
特に神様が憐れみを持って走り寄ってまで迎いいれてくださる大きな、大きな愛に包まれている。

この讃美歌によってこのようにどうしょうもない無力の弱い自分を知っていて下さっているお方がいるをわからせて下さることが本当に不思議ですが、これは御聖霊様の働きによることに他ならないのではないかと思います。

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リストボタンキリストの復活に与る    H.G

 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

      (コリントの信徒への手紙一・一五:二〇)

 私が若いころ勤めていた銀行にKさんという課長がおられました。わたしの直属の上司ではなかったのですが、ある時お茶をご一緒することがあり、伺えば大学で矢内原忠雄先生の講義を受けられた、とのことでした。私は無教会の集会(高橋聖書集会)で聖書を学んでいる、矢内原先生の本も読んでいると申しましたら、Kさんはクリスチャンではなかったのですが、私のことを憶えて下さり、折にふれて声をかけて下さるようになりました。

 やがてKさんは重要なポストの部長になられました。それでも超多忙な中私には変わらず笑顔で接して下さっていました。

 ある日、「お客さんから夕食に招待された。暇ならこないか?」との電話。カバン持ちで付いて来い、とのことなのです。私はそのお客さんとは全く面識がありません。ご馳走になるいわれは無い、お客さんの役に立つことなど何もしていない、その立場にないものなのです。でも、付いて来いと言って下さったので、一夜ホテルの大ご馳走を楽しませていただきました。Kさんのご好意によって「お相伴(しょうばん)に与った」のでした。

          * * *

 コリントの信徒への手紙でパウロは、キリストが復活されて自分に現れて下さったことを証しし、キリストが復活されたのに死人の復活がないと言うとは何ごとか、と言っています。キリストの復活があった以上、私達も復活するのは当然だ、さもなくば私たちは惨めな存在だと言うのです。

 私も永らくキリストの復活が私自身に関係することが良く分かりませんでした。でも、あのお相伴に預かったことを思えば良く分かるように思えます。

 私自身には復活の栄誉をいただくいわれは全く無いのです。み国のお役に立つことなど何もしていない、その立場にない、ましてやその権利など微塵もないものです。

でも、キリストが「付いておいで」と言ってくださる、そのお言葉によって「キリストの復活のお相伴に与る」のです。

       *  *  *

 私たちは人間を、然り自分自身を神としてやまないものです。その極みとして神の子イエスを十字架につけて殺害しました。神様の目からご覧になれば赦しがたい罪の存在そのものでしょう。

しかし、イエスはその罪を一身に負って十字架上に処分してくださいました。そして永遠の命をお持ちのイエスが復活されたのは当然でした。それは私たちの救いのための愛のみわざでした。

かくて私たちが何と言おうと、罪と死の世界から永遠の命の世界に奪還されてしまっているのです。キリスト・イエスを復活の初穂として私も後に続くものとされているとは、本当に驚くべきことであります。

(福岡聖書研究会)

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リストボタン神様からの贈り物      F.A

 私の耳は 神様の御声をきくためにあるんだ

 私の口は たくさん賛美を歌うためにあるんだ

 私の目は 神様の造られた物を見るためにあるんだ

 私の体は 神様を感じるためにあるんだ

 神様は 私の全てをお作りになられた

 神様は 私を愛してくれた

 神様の愛を受けて 今 私は生きている

 私が 良いことをしたり 悪いことをしても

 全て 神様は見ていてくださる

 どんなことがあっっても

 ずっと神様はそばにいてくださる

 見えないようで すぐとなりにいる

 大人になっても ずっとずっと・・・ 

 神様 私にたくさんの贈り物をありがとう

 私はずっと 神様を信じます

 神様は ずっと私を守ってくれるから

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リストボタンアンヌと不思議なダイヤモンド」の第一の物語を読んで    F.M

 
私は読んでみて、最後に近い所の、「この石は、神さまがダイヤモ ンドに変えたもの。曲がった心を持つ人がみがいてもひかりませんよ」という言葉が心に残りました。だから、私は神さまを信じていない人は、心が、だめな人なんだなぁと思いました。

        好きなさんび

私の好きなさんびは、まず、「こどもさんびかかいていばん」では、「にひきのさかなと」「かみさまのあいは」「むぎのためまきます」「ふしぎなかぜが」「やさしいめが」などです。

赤いこどもさんびかでは、「ふくいんのきしゃ」です。

新聖歌では、「慈しみ深き」「主われを愛す」です。

ほかにもいっぱい好きなさんびがあります。

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リストボタンともしびを読んで    F.T

 ともしび32号をまことに感銘深く読ませていただきました。
 今日はその内の一方の記事が気になって、心から離れませんでしたので、失礼かな?どうかなとためらいながらもペンを執りました。ご両親様をはじめ御一家の皆様には、どんなにお辛い毎日でいらっしゃいます事か、徳島聖書キリスト集会の方々の内には、既にご存知でいらしてもうお祈りを合せていられるのかもしれないけれども私は初めて知った事なのだから、今日から私のお祈りの時、今からは夜眠る時、その前の感謝の祈り、朝は元気で目覚められた感謝と今日一日のご加護と共に神様、イエスキリスト様の永久のご栄光をお祈りします時、合わせてお祈りをさせて頂きますと共に、皆様とご一緒の祈り祈られる午後3時にも心を込めて祈らせて頂かねばならないと心底思っています。

 実は私も十七年前に、嫁が天国に召されました時、3人の孫、末孫は4歳でした。いきなり母親役になり困難もありましたが集会の皆様の祈りのお蔭様で重い荷をキリスト様が共に担って下さり、まことに有難い事でした。
 荷の重さを考えます時軽々しい言い方をしてしまいました事お詫びを申し上げねばなりません。

 どうか私も集会の皆様と心を合わせてお祈りをさせて頂きます。

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リストボタン主よ、信じます。   F.M

 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると、わたしは信じております。(ヨハネ十一・25~27)

 ヨハネによる福音書は、どこを開いても、その情景が、くっきりと浮かんで来るように思われます。イエスに、「信じるか」と聞かれ、マルタは「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じています。」とはっきり答えました。

 私も、マルタのように、はっきりと「主よ信じます。」とイエス・キリストを仰いで歩む者でありたく、心から祈っております。

(主婦)

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リストボタン「救われること」について        F.T

 保証人になっていた友人の負債まで背負い込むことになった私達に、その後も試練は容赦なく訪れました。夫の癌の手術。これはかなり危険なものでしたが、御手の内に守られて無事に退院することができました。ほっとする間もなく、仕事の大口契約の中止。これで負債の返済どころか生活の目途も立たなくなってしまいました。家を売るしか途がないことはわかっていながら、他人の借金のために何もかも失ってしまうのが無念でなかなか決心がつきませんでした。

 債権者の中に、Kさんという在日韓国人の人がいました。幼い時から日本人にいじめられ通しで、日本人に対する憎しみは異常なほど強く、少しでも返済が滞ると即座に差し押さえ、夜逃げしないように見張りを住み込ませるという噂でした。しかし、私達に対しては礼儀正しく物静かで親切でした。それに何よりも長い間返済を待ってくれていました。金融業の他に不動産も扱っているというので、私達は家の売却を彼に依頼しました。でも何故か彼は、いつまでたっても事務的な手続きをしませんでした。不動産業界にも不況の風が吹き始めた頃で、新聞に広告を出してもなかなか買い手がつかず売値は下がる一方でした。そんな頃、整理屋という人が訪ねてきました。彼は、「いろいろ調べさせてもらったけど、これではどんなにうまくいっても引っ越し代も出ませんよ。任せてくれるなら債権者一人ひとりと話しをつけて、全部綺麗に処理します。次の日から一人も取り立てには来なくなります。」と言って、かなりの金額を提示しました。一文なしの私達にその条件は魅力的でした。神の助けのようでもあり、また、サタンの罠のようにも思えて迷いました。しかし口約束とはいえ、任せた以上、Kさんを裏切ることはできません。他にも裏切れない理由があったのです。それは、彼が韓国人であるということでした。

 私はかつて「朝鮮・韓国」が日本の植民地であった頃、彼らに対して日本が何をしたかを、日韓キリスト者の交流誌「むくげとさくら」で知った時の衝撃を忘れることができません。命を奪われた人も多く、国を奪い、名前を奪い、言葉を奪い、人格も信仰も奪ったこと。また、天皇を神として拝まないという理由で、教会で礼拝をしている韓国のキリスト者達を閉じこめ、それに火をつけた日本軍の憲兵のことなど、迫害の数々が具体的に書かれていて、最後に「私達韓国人は、こうした日本人の行為を決して忘れない。赦さない。」という韓国人の牧師の言葉で結んでありました。整理屋にはよく理解できないようで、そんな昔のことであんな悪辣な高利貸しに何故気兼ねするのかとあきれ、明日返事をくれと言って帰りました。Kさんが手続きを進めないのは、私達への思いやりであり、信頼であることは百も承知していながら、私達夫婦は結局彼を裏切ってしまったのでした。次の日、夫が整理屋から受け取ってきた現金を見た時、一番に思ったことは、裏切られたKさんの失望や悲しみでもなく、神様の罰でもなく、「ああ、これでやっと生きられる。」ということでした。

 こんなところに人が住めるのかと思われるようなあばら屋が見つかり引っ越しました。「人の子には枕するところもない」と言われた主のみ言葉を思い。それなのに私達にはこのように備えて下さっていたのだと涙が出ました。誰も訪ねて来ず、電話もかかってきませんでした。そんなある日、チャイムが鳴ったので出てみると、玄関にKさんが立っていました。一瞬、心臓が止まるかと思いました。私達夫婦は畳に手をついたまま顔が上げられませんでした。Kさんは消え入らんばかりに小さくなっている私達を見て、「そんなに恐縮しないで下さい。顔をあげて下さい。今日はそんなことで来たのではないのです。」と言って意外なことを話されました。「あれからあなた達のことが気になって仕方がなかった。体の具合はどうなのか、どんな暮らしをしているのか、仕事はあるのか、何か手助けできることはないか、もしよかったらうちの事務所の机と電話を無料で使っていいから、一日も早く立ち直ってほしい。いつもの私ならとっくの昔に差し押さえて片をつけているのだが、あなた達にはどうしてもそれが出来なかった。自分にもなぜか分からないけど出来なかった。こんなこと初めてです。」と言われたのです。

 私はその時、背後に神様が働いておられるのを確信しました。彼は私達の裏切りのことにはひと言も触れず、ただ黙って許し、逆に救いの手を差しのべてくれたのでした。裏切った相手に助けられ私の心は痛みました。居たたまれない程の申し訳なさです。十字架の救いというのは、この辛さ、申し訳なさの上に在るものだと初めて分かりました。

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リストボタンある家族葬に出席して    H.S

私の自宅の方の家族の主婦がガンを再発させ、50才台の若さで亡くなりました。

その方の子供達は立派に成人し、社会人として活躍していました。

最近良く見られる家族葬へ私は参加致しました。誠にさっぱりとした飾り付けと平服での参加者で、なごやかな雰囲気と共に、式も終了し母の思いを各々が語り始めました。その家族の次男が、「大好きなお母さんなんで死んだ」と叫び、母が好きだった歌だと言い「千の風になって」を歌い、なみだまじりの歌は参加者の心を打ちました。

私も今年の五月に四十日間の、消化器外科に入院し、大腸ガンの開腹手術を受けました。ベッドの上で、なんで私がこの病気に選ばれたのかと、神様をうらみました。

ある日にテーブルの上の賛美集を見て、看護師が、私も主につかえる者ですといい「早く発見され生還出来るのは幸せと思いなさい」と言われ、その言葉が胸にせまり、福音の喜びと感謝の祈りに生きることが大切と改めて、思い感動いたしました。

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リストボタンあとがき

 今回の「野の花」は、二〇〇八年五月に徳島で開催された無教会(キリスト教)・全国集会に参加された方々も一部が投稿され、より広い地域にあるキリスト者の方々の文章が集められています。

 これらは、内容や表現、文章の長短もさまざまで、野にある野草の花には、大小さまざまのものがあちこちにに散在しているのと共通した感じを受けます。

 どこを開いても、なにか神の国に関すること、み言葉やみ言葉を生きた経験、あるいは聖書と関連した生活の中からの思いなどが見出されるようにと願っています。

 主は、健康な人、病弱な人、また若い人、老年の人、学問のある人、また無学な人、そして民族や国籍にも関係なく、御国のために用いられます。

 同様に、こうした文章もまた、主がもちいられときには、いかに短い文でも、長い文章でも、論文のようなものも、また短い聖句や短歌など、変わりなく用いられることを思います。

 この「野の花」により、一人一人が、主にいっそう結ばれ、また、ここに書かれた文章を通して主にある交流も深められますようにと願っています。

 今回も、多くの方々にパソコン入力、一部原稿のスキャナ読取、校正、編集、レイアウトなどの作業にかかわっていただきました。その御愛労を感謝です。今年の配列は名前の 「マ」 行から順になっています。

 なお、去年は追加で申込み者をされた方がだいぶありましたが、部数が不足して十分ご希望に添えなかったのですが、今回は多くの部数を印刷していますので、追加を希望の方々にお送りできると思います。左記の発行者宛てに、電話、メ-ルなどで申込して下さい。

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