ともしび
飾り線

第29号 2005年8月10日発行


まえがき             H.N

神様、私達の日常には様々な事が起こりますが、そのすべてを、あなたはご存知であり、それらのすべてを見つめてくださっています。
 私達の内にある罪も、あなたには隠れるところなくすべてあらわになっています。自分でも気づかない罪もあなたは、判断を下すことがおできになります。
 自分自身をふり返り、心をあなたの前に開示したとき。罪を含んでいないものがないほど罪にまみれている自分を認識します。ただ医者であるあなたの前に、この罪の身体を差し出し、治療してくださることを信じて委ねます。
 あなたは、裁くこともおできなる支配者でありながら、あなたはただ憐れんで見つめてくださいます。あなたの愛を信じた時。あなたの愛は心に流れてきます。あなたの愛と全能を信じたとき、あなたの力を受けます。
 罪のままで、そのままでいいから、私に任せなさいとみ言葉が浮かんできます。主は裁く方でなく、弁護者でした。私の罪を知りながら、私の弱さをご存知である主は、私を裁きに委ねないで、あなたの者として取り扱ってくださいます。
 どんなに汚れても、どろんこになっても、イエス様はその罪を見ないで、ご自分の愛で私を見て下さいます。 このような神様の愛、何という安心でしょう。神様の前に取りつくろう事も良い格好をすることも、無理をして背伸びする必要もないのです。私をそのまま、丸ままを受け入れてくださり、「わたしを信じて元気に生きていきなさい」と元気をくださるのです。
 自分の罪や世の中の実相を知るにつけ、神様の愛と真実を益々知る事が出来る事はお恵みです。嬉しいことも辛いこともすべてあなたの愛の中に流れ込むように仕向けてくださってあるあなたの法則こそ、愛であります。イエス様、神様本当にありがとうございます。

今回もここに「ともしび」を発行することができ感謝です

 
みことば

  わたしは門である、わたしを通って入る者は救われる。

ヨハネ福音書 10章9節

 

目次

ページ数

氏名

表紙

まえがき

H.N

目次

K.K

信仰の証し

S.T

四国集会に参加して

M.T

第32回無教会四国集会に参加して

Y.K

ルーペを通して「別世界」の発見

Y.S

四国集会に参加して

11

M.T

子連れで四国集会に参加して

12

K.T

かえられた私

13

M.O

「母の死に思うを読んで」

15

M.T

#わたしについてきなさい

17

E.I

ヒルティ先生と私

18

T.K

短歌

22

M.I

俳句

22

M.I

想い

22

O.M

霧が晴れるときを

24

T.M

遣わされて

25

S.O

本を読んで思ったこと

26

Y.N

最近感動したこと

32

S.M

小羊の声

34

E.T

海で

36

K.H

あとがき

37

H.N




  開幕                  K.K

朝、エレベーターで
5階の仕事場に向かう

5階までのエレベーターの中は祈りの小部屋
目には見えない主の祭壇
一人で静かに主に向かう。

5階に着いて
エレベーターの扉が開く瞬間
与えられた一日のオープニング
さあ!
幕が開いたら、今日の一歩を踏み出そう。

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信仰の証し                                              T.T

 私は普段教会に通っていますが、内村鑑三の本を読んだことをきっかけに、四国集会に参加させていただき無教会の方々の素朴なキリスト信仰に触れる恵みにあずかり、目が開かれたように思います。今になって思い出せば内村鑑三や無教会の存在を知ったのも私の尊敬する牧師さんの口から度々その名が出ていたことに始まっていて、そのことが信仰生活に悩んだ時の助けになるとはその時は思いもしませんでした。
 どんな時も神様が御手をもって私を導いて下さっていたんだなと思うと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

 少し、私自身の証しをさせていただくと、私の家族は全員クリスチャンで私自身も高校生の頃にバプテスマを受けました。しかしその後、様々な理由から教会に行かなくなり、イエス様にも背を向けていた時期があり、罪にひたる生活の中、「神様なんて必要ない」とまで思うようになっていました。
 そんな私が突然うつ病になりました。「どうやったら死ねるだろうか」とばかり考えているような毎日でしたが、ある日ふと何年も読んでいなかった聖書を開いてみました。文字など読めるような状態でなかったように思いますが、ただ一言「すべて重荷を負うて苦労している者は私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう」(マタイ福音書十一章二八節から)の優しいイエス様の言葉が目に入ってきました。「この方のもとで休みたい」と思った私はイエス様を裏切ったのも忘れて、すがるような思いで再び教会に通うようになりました。
 ちょうどその頃、教会で「ジーザス」というイエス・キリストの生涯を描いた映画の上映があり私もそれに参加していました。イエスが十字架にはり付けにされるシーンを見ていた時のこと、私の心に「私がこんなに痛い思いをしたのは誰のため?」というささやきのような思いが沸いてきたのと同時に瞬間的に「イエス様の十字架は私のためだったんだ!」と分かったのです。この時初めて本当に十字架を自分のこととして受け取ることができ、今まで私が神様と人に対して犯してきたすべての罪が赦されたことを感じ、またいのちを捨てたほどに私を愛してくださったイエス様の愛がわかり胸が熱くなって涙がとまりませんでした。
 不思議な体験でしたが、この出来事によって私は神様の深い愛と赦しを知ることができ、この愛を知って私はやっと本当に生き始めたように感じています。
 今はイエス様がどんな時も変わらず側にいてくださるのが分かります。イエス様が私の羊飼いであり、親友であり、理解者でいてくださることがとても嬉しいのです。
 これからもただ神様に喜ばれる子供のようで居られたらいいなと願っています。
「すべて彼を信じる者は、失望に終わることがない。」ローマ十章十一節
アーメン

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四国集会に参加して   永遠の日本八王子聖書研究会  M.T

 
恐れるな、おびえるな・・・
 わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。(イザヤ書四四章八節より)
 私はこんど四国集会で証することになっていたが、不信仰にも、内心、家族のことで、非常な恐れをいだいていた。 落ち込んでいた私に勇気を与えてくれたのは、骨髄腫瘍のために人工呼吸器を装着しながら証してくださったKさんの言葉だった。
「体が動かなくなったとき、どうにでもなれと思った。けれど、マタイの六章三四節の言葉が私の転機となった。これからも、生き難いことに変わりはないし、将来、よくなる見込みもない。けれど、今の自分が、神さまがなさる最善であると信じる。人は誰でも、思い煩いを全部神様にゆだね切るなら、一日一日を最善に生きていける。
 神様にゆだねることだけがポシブルで、他に何かできると思うなら、それは人間の無力な反動だと思う。人間側には罪を解決する手立ては全くない。ここまで来ては、私にできることは、岩なる神に依り頼み、ひたすら祈ることだけである。
 「主よ、私たち罪人を憐れんでください。」

     ………………………………………………………………………
 今回私は一稀少難病の家族としての立場から参加させていただきました。苦しみのなかで、人知れぬ重い困難を負いながら、同信の友と祈りあい、神さまから力を与えられたいものだと、強く願いながら四国に参りました。このわたしの願いは裏切られませんでした。むしろ四国集会の充実は期待をはるかに上回るものでした。私は兄弟姉妹から主にあ
る交わりをいただき、祈りと賛美の中を通して聖霊の賜物と力を私は四国集会から受けたとはっきり実感することができます。この思いは日を経つ毎に増しこそすれ減ることはありません。今、心から、四国集会をこのように祝福してくださった神さまに感謝を捧げるものです。
 特にこのたびの四国集会で印象に残ったのは、病や障害を負っておられる兄弟姉妹が
前面に出てくださって、その信仰生活を具体的実践的に表現してくださったことです。徳島で捧げられた賛美と祈りは、聖書の言葉を通しての聖霊の細い声として私は受けとめました。それにひきくらべて、どうしようもなく罪を犯してしまう人、ハンデイのある人にとって、大都市所在の無教会集会は何と学問的で、何と高踏的で、また何と敷居が高いことでしょう。そこは、大学教授や研究者や官僚や大企業のトップエリート達の高級サロンではありえても、かつてイエスの周りに集まっていたような、犯罪者・難病者・被差別者・生活破綻者・重度心身障害者・依存症者たちがほっと肩の荷を下ろして安らげる場所ではおそらくないでしょう。
 逆に自分は難病者の介護者として、また家族の問題でどうしようもなく無力のどん底を味わったものとして参加した四国集会に、同じような悩みを抱えながらも主イエスを生きる支えとして寄りすがっている大勢の愛する友を見出し、同じ仲間を得た気持ちで安らぎと共感を与えられました。特に障害をお持ちの方々とその支援者のお仲間のうちに明白にキリストが生きて働いてくださっていることを、私は目の当たりにして、感謝の念が心に満ち溢れました。

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32回無教会四国集会に参加して                    Y.K

 五月に徳島市で開催された四国集会に三回目の参加をしました。それも、宿泊参加ができました。過去二回の徳島集会では部分参加しかできなかったので、今回はホテルでの集会ということもあって、早い内から思い切って宿泊することを望んでいました。私は移動の制約上、徳島で開かれる時にしか出ることができません。それでも三回も参加できたのは、Sさんや母の協力があったのは勿論のこと、主催者の配慮によるものであったことに大きな感謝の気持ちを覚えています。
 私はご存知のとおり、五肢麻痺で車いすを使っている上、人工呼吸器を離すことのできない重度の障害者です。当然のことですが、24時間介護を必要とする者です。集会の二日間をSさんと母だけに介護を依存するのは難しいと思っていました。人工呼吸器を駆動するのに必要なエア・コンプレッサーや酸素ボンベ数本など持ち込む荷物も多くありました。それ以上に車いすとベッドとの移動には四・五人のマンパワーが要ります。ホテルにはあらかじめ人工呼吸器の使用者が泊まることを伝えてありましたが、停電にでもなったら命にかかわるので、下準備にかなりの時間をかけました。
 荷物の運搬などには「いのちのさと作業所」の人たちを頼みました。力のある人に依頼しておけば何とかなると思っていたからです。いざ会場に行ってみると、NさんやN・Yさんが付いてくれました。Nさんは車いすに慣れていて、またN・Yさんは神戸大学病院の集中治療室(ICU)で看護師をしていただけあって、人工呼吸器には精通していました。このことでは、障害者の集まりに参加するよりも万全でした。ここに主催者の配慮の深さと思いやりに、感心するとともに有り難さを感じました。
 この集会に参加する目的は、県外の参加者との交流を深めることと、証しをすることの二つがありました。全ての人に挨拶することは無理でしたが、多くの人たちとは知り合いになれました。そして、その人たちの信仰を学ぶこともできました。
 二日目の朝に「明日のことまで思い悩むな」とタイトルして、証しをさせて頂きました。私には、学問的な話や講話は到底無理なので、私の五十年間の人生を信仰とを結びつけて語ることに心がけました。私が信仰生活に入ったのも、福音を耳にしてからでした。だから、病気で苦しんでいる人や、かつて私がそうであったように、闇の中でもがいている人が少しでも気持ちが楽になれるようにと考えて、それがキリストの福音を伝えるのに役に立てばと思いました。どんな人にでもイエス様は来てくださると信じている私の体験を話すことができて、今回の四国集会は特別なものだったというような思いで今振り返っています。その証しが指の先ほどの役に立てば、私の参加は意味があったと思えます。
 今、I・Kさんのご愛労で録音されたCD-ROMをパソコンで聴いていますが、九百分を超えるものなので、思い出をたどりながら学び楽しみたいと思っています。ただし、私の証しの部分を聴いてみて、発声の悪さには愕然としました。発声の悪さのために全然聞き取れない所も多々ありました。酸素ボンベで発声をするのは、かなり無理があります。会場で聴いていた人には申し訳ないことをしたことをお詫びします。

(四国集会から、10日経って)

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ルーペを通しての「別世界」の発見    浦和キリスト集会  Y.S

 四国集会はとてもすばらしい時でした。たくさんの主にある共にお会いすることが出来ました。そのなかで、ひとつ、とても新鮮な体験んをさせて頂きました。それは二日目の朝のことでした。食事がすみ、次のプログラムまですこし間があったので、わたしは、会場に続く広いベランダに出て、朝の光を浴びて美しい新緑の眉山に見とれていました。ふと、ベランダに仕切って設けられた緑地帯で、どなたか一人のご婦人が、一心に草を摘んでいる様子でした。雑草なんか摘んで一体何をしておられるのか、と思って、近づいてみましたらI・Eさんでした。片手にいま摘んだばかりの
一握りの草の束を握り、もう一方に手に、なんと小さなルーペをもっておられました。Iさんが言われるには、「このルーペで見ると、全くすばらしい世界が開けてくるんですよ。」わたしは「へーっ!?」と、そんなことがあるのかしら、という思いでした。「ちょっとご覧になってみませんか。」という言葉に促されて、ル-ぺをお借りし、Iさんが差し出した一本の草を見てみることになりました。「ルーペはまず思いっきり目に近づけてから徐々に離していくんですよ!」と、慣れない手つきのわたしにIさんが教えてくれました。その通りにしてみました。驚いたことに、いままでてっきりただの草に過ぎないと思っていたその先端に紫色の小さな花のつぼみが付いているではありませんか!よく見ると、そのつぼみは、花弁がいくつもいくつも折り重なっています。その紫色のなんと美しいことか。わたしは全く感動してしまいました。次の伊丹さんが、わたしにしろい綿毛の茎に黄色の花を付けた一本の「草」を手渡してくれました。その時はもう、Iさんが摘んでいたのは単なる草ではなかったことが分かってきました。「これはハハコグサと言うんですよ」と教えてくれました。しろい綿毛がルーペを通してよく見えます。そして、茎の先端の黄色の花は今度は丸ちょうど両手をこぶしにして重ね合わせたような形をしていました。その黄色の、顎の白い綿毛との調和がとても初々しい感じでした。こんな訳で、わたしは伊丹さんによって思いもかけない別世界を体験することが出来ました。「Yさんはいつもこうやって、いろんな花を観察することを通して、神様のお造りになった自然のすばらしさを教えてくださるんですよ。」 わたしはこの体験んにとても感動したのです。たった一つのルーペを通して、ただの雑草だとしか思っていなかった一本の草に全く思いもかけなかった別世界を見出したのですから。そしてふと思いました。自分に別世界の体験をさせてくれた、伊丹さんが貸してくださったルーペは、言ってみれば、わたしにとってはイエス様を思わずにいられませんでした。イエス様を通して世界を見ると、世界はそれまでとはまったくちがったように見えてくる。それまでは全く表面的な価値判断でしか見えていなかった世界が、イエス様を通してみると、全く光り輝いて、全く違った世界に見えてくる。聖書もそうですね。世界中で何百という言葉に訳されて、世界一のベストセラーと言われている聖書も、読み方によっては随分違います。教養の書として読む人もいますし、文学書として読む人もいます。しかし、いま活きて働いていらっしゃるイエス様を信じて読むと、全く違った世界が見えてきたではありませんか。あの朝、Iさんから貸して頂き、教えて頂いたルーペを通しての別世界の体験は、わたしに、いま活きて働いていらっしゃるイエス様のすばらしさを、改めてもう一度心に刻みつける思いもかけない出来事となりました。Iさん、ありがとうございました。(2005.6.1)

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四国集会に参加して          T.T

 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、
「天地の主なるお父様、神の国の秘密に関する これらのことを この世の 賢い人、知恵者に隠して、幼児 のような人たち にあらわされたことを、讃美いたします。 
ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。」(ルカ福音書1021節)

 5月14~15日に開かれた無教会・四国集会より3週間経った今も、鮮やかに思い出すのは、障害者の方たちを中心に、身をもって讃美を捧げられた徳島集会の方々の姿である。
 閉会集会の時にある方が「信仰とは何か? それはすなわち祈りと讃美ではないか」と、言われたが論より証拠で、私は多くの参加者の前で、少しも臆することなく、神に祈り、声をあげてまた、手話により讃美を歌い、また証ししておられる姿に、只圧倒される感じを受けた。
 多くの方の感想にあったように、今回の徳島集会が示された形は無教会の新しい姿である。そこには幼児のごとき人々のすなおな信仰が生きいきと現れていた。
 それは、まさに神の聖霊の助けによるものであったと感じる。 これまでの専門の学者中心の無教会の集会とは、全く違った新しい無教会!無教会信仰の生命は、けっして固定化されたものではなく、その時と場所に応じて自由に働き溢れるものだから。
「各人が真実に、神とキリストに従って行くのであるなら、その信ずる処に従って進ましめる事が神の御意に叶っているに相違ない」
「無教会主義信仰のあるべき姿は、私たちがいかに神の栄光と、キリストの名誉のために、生き、働き、戦おうとしているかに掛かっている」と、我らの先達も語っている。
 もちろん、無教会主義信仰の原点は、「聖書の御言を通して活ける神を見、活けるキリストに接する。」聖書の学びにあることはいうまでもない。 しかし、一番大切なのは、イエスの言のように
「アーメン、わたしは言う、子供のようにすなおに神の国 の福音 を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ福音書10章15節)である。
今回の徳島における集会は、まさにこの幼児のごとき信仰の姿を、私どもに教えて頂いた、その喜びと感謝は尽きない。

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子連れで四国集会に参加して        K.T

夫の遠縁の幼い姉妹が来るようになって2ヶ月になる。我が家の近くに住んでいる事もあって、土曜日から父親が連れて来る。手話の学びにも喜んでT姉に連れて行ってもらい礼拝にも喜んで行く。
 そんな小さな姉妹を四国集会に連れて行こうと言いだしたのは夫。
 夫は夫の思いがあった。私はその子供たちを誘うつもりもなかった。子供は喜ぶでしょうけれど、小学校一年と四年の二人は、ふざけたり邪魔をしたり、うるさくも言ったり、走り回ったり等々考えると参加はやめた方がいい。それに私も疲れるだろうし、と幼い子供と神様の事より、私の勝手な思いで理由をつけていた。いつ来なくなるか解らないこの幼女に、イエス様の事だけは心に深く刻んでおいて欲しいと、いつもいつも願っているのに、行動は伴っていなかった。
 二人が四国集会に行けると解ると、とても喜んだ。申し込みもそれぞれに申し込みをさせた。
 会場で手話讃美をした事がとても嬉しかったようだ。夜寝る以外は私たちの所にはいなかった。優しくしてくれる人や、相手をしてくれる人の傍にくっついていた。
 この幼い子を連れて行って本当に良かった。イエス様はこの二人の魂に、最も良い物を与えて下さった事でしょう。
 イエス様が、前途多難な二人の道しるべとなって下さる事を切に切に願いつつ、これからも関わって行けたらいいのです。

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かえられた私                 O.M

 
思わぬ出来事あって夢中で過ごした1ヶ月半、四国集会の参加も危うい状況だったけれど、とにかく徳島空港に到着。
 初めての四国の地に立っていて不思議な気分だった。主人の「お証」がプログラムに組まれていたため、逃れたい思いもあっただけに、これも神さまのご計画のうちかなと思わず主人と顔を見合わせた一瞬だった。とうとう来られたといううれしい気持ちがこみあげてきた。主人の思いもかけぬ病気で視力を失って一変してしまった私達の生活に、徳島集会からの祈りとご愛労によって、「日曜礼拝に出席しよう、賛美も一緒にできそうだ」と一筋の光がさした。イエスさまの方に目を向けたら、色々な場面で前へ進める。少し顔を上げたら今まで素直に受けられなかったいたわりの援助の愛もうれしい、私達の姿から励まされるといってくれる友人もいる。毎朝わが家のスタートである祈りの「日日の聖句」も深く心に入ってくるように思う。
四年前の私、子育てで手いっぱい、主人の転勤の度に中断されてしまう習い事にも ようやく積み重ねてきて 自信もあり、ボランテァにも年期がはいり退職した主人と礼拝を守って・・・。私の生活設計はできていた。その矢先の発病だった。目の前が真っ暗闇になった時すぐにはイエスさまが見えなくて 「祈ってます。祈っているからね。」という方々の声はその時の私にはとてもむなしく思えた。
ひとりぼっちの私は苦しいまま。以前読んで心に残っていた本「イエスの足跡」を思い出して一緒に歩いていてくださるイエスさまがいる、主人と私の間にそっとおられるように気づいた。命は救われたが主人も私もこれまでの生活から一変し、失った物は大きいけれどもっともっと大切なものを戴いて素直な心で再出発。
今私達にはイエスさまを通しての友が近くから遠くから、そし息子のいるアメリカの教会からも暖かい祈りが送られていることをいつも背に受けている。イエスさまを見あげた時にこそ不思議な出会いがはじまり、道が拓けることを身をもって教えられた。これからもイエスさまを見失わないように、そしてもし迷ってしまった時イエスさまに捜していただける一匹の子羊となれますように。
「主は打ち砕かれた心に近くいます。」詩3419節「 目をさまして感謝をもって祈りなさい。」コロサイ4章2節

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「母の死に思う」を読んで」

               永遠の日本八王子聖書研究会  M.T

 清瀬通信(NO.288高橋重男記念号)を読み進むうちに、高橋重男さんという信仰者が、紙面を通して鮮やかに浮かんできました。私はこれまで無教会というと、肥溜めでもがく自分のような人間にはとても近寄り難い、偉い人物の集合体をイメージしておりました。ところが高橋重男さんという方は、大きいとか、目立つとか、強いとか、学問的であるとか、社会的地位が高いとか、有能であるとか、とにかくそのような類の人ではなく、寡黙で、表立たなくて、とても弱い立場の人だったように思われます。ご自身が病身で、お母さんと奥さんもまた病身で、いわば、本人も含めてご家族は三重苦ならぬ三人共苦のただ中で、高橋さんは自己の罪を打ち砕かれて、イエス・キリストを仰ぎ、イエス・キリストに全ての望みを託した、そのような人だったのではなかったかと思います。
私は、高橋さんの遺稿「母の死に思う」を、胸を突かれる思いで読みました。
「・・・私は孝行息子と言われてきたが、最近では自分の肩にかかってくる重荷に耐えかねて、一日も早く母が死んでくれればいいと思うようになってしまった。死ぬ前の晩、母は体が大儀だったのだろうが、しきりに泣いて、どうしても泣き止まないのでついに癇癪を起こし「うるさいな!そんなに泣くなよ!」と無理矢理に黙らせようとした。長年の親孝行も土壇場に来て自分の心の醜さが露呈されたようだ。あるいは神が私の心の罪をあらわされたのかもしれない。母の死体を安置したあと、昨夜、瀕死の病人に対してつれない仕打ちをしたことを思い、私だけを頼りにしていた母がどんなに悲しかったであろうと、心が痛んだ。」
お母様の死と、ご自身が死の直前にお母様に投げかけた痛恨の言葉とによって、打ちひしがれた高橋さんでしたが、集会のキリストにある兄弟姉妹が、愛の力を合わせて挙げた、お母さんを天に送るキリスト教式葬儀が、神様の恵み溢るるものとなって、高橋さんの心の重荷は取り除かれたのでした。
「憐れみ深いイエス・キリストは私たち家族や友人の切なる祈りを聞き入れて母の霊を天に受け入れてくださったことを信ずる。母は復活してキリストと共にある。やがて私たちはそこで再会するであろう。晩年の母は自分では何も出来ない人でした。しかし、人に世話を焼かせるだけの、自分はただ忍耐するだけの生活を通して神に用いられ,善き働きをしたのだと思う。・・・今、私は、土壇場になってあんなことをするような自分であることを知って、かえって気が楽になった。自分が愛のない人間であることは百も承知していたが、母にだけは孝養を尽くしていると思っていた。しかしそれさえも出来ないことが分かった。今はイエス様に前より親しさを感ずるようになった。」
自分自身も病気の妻を介護しておりまして感じますのは、肉親や配偶者への介護は奇麗事では済まされないということであります。骨肉へのケアの過程の中では、介護する者の醜さや、時には愛憎の念さえどうしようもなく露呈してくる、という現実があります。忍耐がその極限に達し、行き詰まりの果てで発した、あの高橋さんのお母様への発言を、誰が咎めることが出来るでしょうか!介護者と被介護者は有機的一体であって、ある時は介護している者が介護されなければならないこともあり、反対に患者さんが介護者に勇気を与えるというようなこともあります。しかしそのような支え支えられる関係が臨界点を超えて突然破綻してしまうということがあります。あの発言に至った時点で、高橋さんはすでに介護者の立場を離れ、介護者自身が外部からの支援を緊急に必要とする限界状況に達していたのではないかと、私なんか想像します。だからこそ集会の兄弟姉妹たちの支えが、あれほど高橋さんの心を軽くしたのではないでしょうか。のしかかる家族の病気の重荷に押しつぶされている困窮家族を、周囲のキリストにある信仰者たちが祈りにおいて積極的に介入して支えたところに、私は秋津集会の、福音に生きる愛の業を見たのでした。

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わたしについて来なさい            E.I

 「・・・シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(マルコの福音書一・16~18)
 「そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼らは立ち上がってイエスに従った。(マルコの福音書二・14)

 この他にも、イエスの弟子になった人みな、「わたしについて来なさい」とか、「わたしに従いなさい」と、イエスから呼びかけられています。
 その弟子たちの反応はと言えば、これがみな、まるで魔法にかけられたように、もしくは、その言葉を長い間待っていたかのように、「すぐに」、「網を捨て」、すべてを捨てて、従ったことがうかがわれます。イエスというかたのこの言葉が、全てを捨てるに値するか、しないか、などと少しも考えたりしないで、また、従って行ったらどんなことになるか、などと少しも考えたりすることも無く。
わたしは、イエス様のこのことばに、とても引かれるのを覚えます。ここのところを集会の聖書の学びで受けたとき、気が遠くなるようなとても不思議な気がしました。心がギュッと掴まれる感じです。
マタイのばあいは、召命を受けたとき、「すると彼は立ちあがって」とありました。目はイエスに釘付けになったまま、スッと何かに引かれるように、立ち上がるマタイの様子が目に見えてきそうで、これも不思議な光景です。けれど、イエス様のこの言葉は、わたしたちの日常の中でも繰りかえされているのではないでしょうか。
最近、イエスに従う道はとても美しい道なのだ、と思います。わたしたちの生きる意味も、結局はそこにしかないのだということも。(そこにしかわたしたちの幸せは無いのかも知れません)。
 一日のうち何度でも繰り返されるわたしたちの魂の内の出来事わたしについてきなさいーわたしたちはつねにこう呼びかけられているにちがいありません。そうしたら、その呼びかけを聞いて、すっと立ちあがって、他のことをしていても(他のことを考えていても)イエスさまの後に従うことが出来ますように。
そしてどうか、この声を、他の声からつねに正しく聞き分けることができますように。そのためにいつも清らかな魂の耳にしておけますように。いつもこの声に、魂の耳をすましていられますように。
「神さまのためになにか美しいことを」・・(ほんのちいさなことでいいから、ただ神さまだけのために)・・・というマザーテレサの言葉も、地上のわたしたちの側からの祈りとして響いているのが聴こえます。

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ヒルティ先生と私               T.K

はじめに
 昨522日に旧制第六高等学校(六高)の創立105周年記念祭が朝日高校の講堂で行われた。私は昭和1948年に第一岡山中学校(一中)を卒業し、六高に入学した1949年に学制改革が行われ、六高は岡山大学となり新しいキャンパスに移転し、その跡地に一中が移転し朝日高校となった。私は岡山大学に行かずに九州大学に進学し、農芸化学科農学部農芸化学化を卒業した。その後母校朝日高校の化学の教師となり39年間過ごした。以上のような経緯でこの度の六高の記念祭では講堂の鍵当番を命じられた。当日は日曜日であるので朝日高校からはT君が一人責任者として出席した。T君と話をするうちに私はすっかり失念していたが、T君は25年前の私の教え子である事を知った。T君は「香西先生の化学のことはすっかり忘れたが、ヒルティの事はよく覚えている」と言うのを聞いたとき私は驚いた。
 私は九州大学時代に松尾春雄教授から無教会キリスト教を教えられ、内村鑑三、塚本虎二、ヒルティの事を教えられ、救い主としてイエスが信じられるようになり聖書が自分の本となり、今日まで無教会キリスト者として日々を歩むようになった。
 因みに広辞苑によるとヒルティは次のように書いてある。『スイスの哲学者、公法学者
政治家、著「幸福論」「眠られぬ夜のために」など(18331909)
 私が最初に幸福論を入手したのは大学3年の時(1952)で岩波文庫、草間平作の訳である。
この度この原稿を書くために新しく岩波文庫の幸福論を入手したが初版は1935515日、私の入手したのは2004105日で88刷であった。70年にも亘って実に多くの日本人に読み継がれたかにおどろいた。以下わたしが授業中にはなした、青少年の教育にはストア哲学が最高であると言ったヒルテイの言葉を思い出して、『幸福論』の中のストア哲学者エピクテトスの事を書く事にする。
 エピクテトス
広辞苑によるとエピクテトスは『ストア派の哲学者 フリギアの人。初め奴隷、のちネロ帝に解放され、実践本位の哲学を説く。弟子編集の「語録」がある。(55頃~135頃)』
ヒルティはエピクトテスの語録をラテン語からドイツ語に訳している。
何事につけても「自分はそれを失った」と言ってはならぬ。自分はそれを返したとい
うべきである。君の息子が死んだら、それを返したのである。君の財産が奪われたらそれもまた返したのである。それを奪ったのは確かに悪人である。しかし贈り主が誰の手を通してそれを取り戻そうとしても君に何のかかわりがあろうか。彼はそれを君にゆだねる間はそれを他人のものとして所有するがよい。一夜泊まりの旅人が宿舎をそうするように。
死とか追放とか、その他恐ろしいと思う全てのことを、毎日目の前に思い浮かべるがよい。そうすれば卑しい考えもわかず、激しい欲望も起こらないであろう。
処世訓
1 君は模範とするに足る人物を心に描いて,私的生活に於いてもこれに習って生活するように心がけよ。
2 特に必要な場合のほかには、なるべく談話に加わらないほうがよい。その話題も
時事問題、試合、競馬、飲食など普通に話題となるものを避け、ことに他人のことは
誉めても腐しても、或いは互いに比較する場合でも一切話してはならない。
3 出来るだけ君の話題によって、君の仲間を常に上品な話題に導くがよい。また全く知らない人々の間では沈黙を守るがよい。
4 飲食 衣服 住居 使用人等すべて肉体に関するものはただ必要止むを得ぬ場合のみそれを利用せよ。贅沢の範囲に属するものは一切これをさけよ。
5 誰かが君に「だれそれが君に悪口を言っていた」と告げたら、そういわれたことに弁解せず、むしろこう答えるがよい「彼は私が持っているその他の欠点をしらなかったのだ。そうでなければただ一つだけを挙げることはしなかったであろう。
6 会合の席で君の行為や冒険について、度々そしてくどくど話さないように注意することがよい。なぜなら自分の冒して来た危険を回想することは、君にとっては愉快であっても他人がそれを聞くのは愉快ではないからである。
 以上ほんの一部を引用しただけであるが私は、ストア哲学は『忍べ、そして運命と諦めよ』であって 決して明るいものではないように思う。それに対してキリスト教は明るい喜びに満ちたものであると思うと必ずつけくわえた。
ヒルティは次のように言っている。自力による徳というものをキリスト教は全く信じない。そして神の御心による生活はそれに先立って、本来利己的に出来ている人間の動物的状態(それが上品であるか粗野であるかにかかわらず)を全く改造する。この変化によって以前は実のない努力であったものが、今や新しい本性に順応することによって自然となり容易なものとなるのである。(注たとえばイザヤ書55章、ガラテヤ書5章、ロマ書3章及び8章、特にヨハネ福音書3章を参照せよ)
 つづいてヒルティは次のようにいっている。キリスト教は人類のエリートばかりでなく、人類全体を動物的状態から安全な自由と平等の生活に高めうる事が出来る唯一の教えであり、そしてこの事を一層高度に、また一そう広範囲において実行することが出来るようにするものである。
4 俗衆や無教養の人々との宴会は避けよ。
5 飲食 衣服 住居 使用人等すべて肉体に関するものはただ必要止むを得ぬ場合のみそれを利用せよ。贅沢の範囲に属するものは一切これをさけよ。
6 誰かが君に「だれそれが君に悪口を言っていた」と告げたら、そういわれたことに弁解せず、むしろこう答えるがよい「彼は私が持っているその他の欠点をしらなかったのだ。そうでなければただ一つだけを挙げることはしなかったであろう。
7 会合の席で君の行為や冒険について、度々そしてくどくど話さないように注意することがよい。なぜなら自分の冒して来た危険を回想することは、君にとっては愉快であっても他人がそれを聞くのは愉快ではないからである。
以上ほんの一部を引用しただけであるが私にとって、ストア哲学は『忍べ、そして運命と諦めよ』であって 決して明るいものではないように思う。それに対してキリスト教は明るい喜びに満ちたものであると思うと必ず付け加えた。ヒルティは次のように言っている。
自力による徳というものをキリスト教は全く信じない。そして神の御心による生活はそれに先立って、本来利己的に出来ている自然的存在(それが上品であるか粗野であるかは実質的に区別がない)の全く改造する。この変化によって以前は実のない努力であったものが、今や新しい本性に順応することによって自然となり容易なものとなるのである。(注たとえばイザヤ書55章、ガラテヤ書5章、ロマ書3章及び8章、特にヨハネ福音書3章を参照せよ)
 つづいてヒルティは次のようにいっている。キリスト教は人類のエリートばかりでなく
人類全体を動物的状態から安全な自由と平等の生活に高めうる事ができる唯一の教えであり、そしてこの事を一層高度に、また一そう広範囲において実行することができるようにするものである。
おわりに
わが国においてヒルティを最初に日本に紹介したのは東京大学哲学教師ケーベル博士であった。一高(現東大)ドイツ語教師岩元禎教授が教科書にヒルティの『幸福論』を使う、その幸福論に塚本先生が非常な大きな感化を受ける。塚本先生はヒルティの
没後、遺愛エディート嬢からヒルティ自筆の家訓を贈られるそれは次のようなものである『名誉をもとめるな、(義務が汝に強要しない所では)それはいつも、あまりに 高価である。親切を求めよ、神の恩恵を』(18701220)
なお塚本先生は次のように言っている『道徳的世界秩序を信じ、愛と正義の最後の勝利に希望をおき、楽観的理想主義を堅持して今日まで生きてきた事は一にヒルティ先生の感化である。』(聖書知識299)
ヒルティがつねに望んでいたのは世界の平和であり、第一次世界戦争も知らず、ロシヤ革命も知らずに1909年に召されたことは私に安堵感をおぼえさせた。

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短歌                           .I

> ・白百合の一枝今朝は花開き職場の机主の香りして

>
・疲れたる心も身体も癒されぬ主の贈られし緑の自然

>
・ぬるま湯に浸る日々は神様を忘れこの世に我は沈めり

>
・そよ風の恵み感謝し歩く道賛美の歌が唇上る

>
・トンネルを抜けた向こうに主の光信じていけば平安のあり

>
・尖りたる母も母とし受け入れて車椅子押す青空の下

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>
俳句     M.I

>
・ホトトギスさえずり響く主のみ声

>
・野の花や見上げる先は神の国

>
・ハレルヤと叫びし声に風薫り

>
・びわの実に神の真実疑わず

>
・幼子が迷いてつつむ春の雲

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祈り                            O.M

主よ、あなたは、私がささげるべき羊をも
私に与えてくださりました。
貴方の愛を知って、貴方に愛されて、今、私は生きています。
この祈りを貴方への燃えつくす生贄として御前にささげます。

われ聞けり「彼方には麗しき都あり」
輝けるかの岸に、われはまもなく着かん
「ハレルヤ」と歌いつつ、歌いつつ進み行かん
わが足は弱けれど 導きたまえ、主よ

われ聞けり「かしこには、争いも煩いも、明日の憂いもなし」と
われはまもなく着かん
「ハレルヤ」と歌いなば、悲しみも幸とならん
われははやさ迷わじ、神共にいませば

われ聞けり「御冠と真白き衣をつけ、主を褒むる民あり」と
われも共に歌わん
「ハレルヤ」と叫びつつ、御声聞きて喜び
御国へと昇り行かん、わが旅路終らば

イエス様、貴方様の御名が永遠の栄光に包まれ、全ての民によって崇められますように。主よ、愛しています。アーメン。

母は「一日でも早く集会(教会)に行きたい」と言っておりす。僕の両親に、いや、全ての人に願うこと、それは、「その命尽きるまでに神に出遭うこと」これです。そうすると、父も母も共に、信仰が与えられると、ぼくは少しホッとした気分になれるでしょう。どうか、祈っていてください。僕のことも祈っていてください。

「認められたい」・「人のために」・・・という気持ちは時に恐ろしいものであると言うことを日々ひしひしと感じさせられます。これらの感情はともすれば、高慢へと自分を押し流してしまうかもしれないのです。しかし、「自分を十二分に活かせる場が欲しい」という願いは未だにそして日増しに強まるばかりです。これも主の御許しと祝福が無ければ、むなしい遠吠え、そして空回りになり下がってしまうことを僕は知っています。今は、「待つ」ことこそ僕に課せられた使命と感じられます。時々失敗して、デシャバッてしまうのが嫌でなりません。

低く、低く。皆に仕える者となれ。

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 霧が晴れるときを             Y.M

 「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこ
へ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ三・8)
 標高千メートル程の高原で暮して数年になります。若い時には山を見上げると、自分が押し潰されそうで、山に向かうのが嫌でしたが、今私は、この山里の自然の厳しさと優しさに包まれて、神様のまなざしに出会えるような気がしています。
 ここでは時々濃い霧が、アッという間のスピードで押し寄せて来ます。山道で運転しながら、霧に視界を遮られ脇へ落ちたこともありました。家の中に居ても辺りが濃霧に包まれると何も見えなくなり、私はひとり迷子になった感じがして落ち着きません。やがて風が吹いて来て、サーッと霧が引いて行った時は、なんとも爽やかで、心躍るようです。いつもの森も、山々も、前よりひときわ鮮やかに現われ、「ちゃんと見ているよぉ!」と、私に呼びかけているように見えます。
 人生の日々にも、思いがけず濃い霧に取り囲まれ、私は視界を失いかけてうずくまる時があります。そのただ中で耳を澄まし目を凝らして、人としての決断を迫られる事もあります。霧の中にいても、絶望ではない、キリストの光が燈されている霧であることを知らされています(ヨハネ四・4-5)から、この霧を無いものとせずに受けとめ、光の希望を見出して行くことができます。霧が深いほど恐れ慄きますが、いつかきっと、天の窓から風が吹いて来る時があると、私は待ち望んでいます。その風に、私は決断の結果を委ねます。
     
 詩篇二七篇五節~一四節(抜粋)
主よ、呼び求めるわたしの声を聞き
憐れんで、わたしに答えてください。
心よ、主はお前に言われる
「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。

御顔を隠すことなく、怒ることなく
あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください
見捨てないでください。

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「遣わされて」             S.O

 
今年(2005年)4月から日曜日の礼拝で、「レビ記」の講話を受け持つことになった。病から四年たち視力は失ったが体力は回復した今、使命を感じ月一回の挑戦がはじまった。何故「レビ記」なのか?そのわけは、この書はあまり読まれていない、読んでも面白くない、注解書も少ない。しかし、モーセ五書として大切であると思い、「レビ記」を選んだ。旧約聖書はイエスを指し示している。そのイエスを見ないで、指先を見るような読み方をせず読みすすめることに挑戦したいと強く思ったからである。(指先・・・細かい礼拝規定の説明にとらわれず、神の示したもう本来の御心はイエス様であること)
視覚障害者となった今、あえて、聖書を読み、イエス様を証することになったきっかけは、昨年10月に次男家族の住むアメリカに三週間滞在し、現地の教会での牧師の牧会姿勢に教えられたことである。この教会に通う日本人はアメリカ永住ではなく、二年とか三年もすると日本に帰国する教会員ばかりで絶えず動いていて、川の流れのようである。そういった教会での伝道活動を使命として福音を語る牧師の姿に「遣わされる」ことの厳粛さを感じ、自らを省みるキッカケとなった。アメリカから帰った後、徳島の篠原さんのご奉仕による榎本保郎著「一日一章」の「イザヤ書61章」を読んだ。福音を聞いて、次に福音を伝えないならここでとぎれてしまう。福音を宣べ伝える使命の重大なことを再び示された。
 このようなわけから冒頭で述べた、月一度の礼拝を受け持つことになったのである。家内の力をも総動員して月一度家内と二人三脚で「レビ記」第三章まで読みすすんだ。一章ごとに神様の助けを祈りながら、イエス様の福音を伝えていきたい。そして、福音の恵みにあずかった一人一人の口からさらに福音が広く宣べ伝えられることを祈っていきたい。

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本を読んで思ったこと      Y.N

「アンクルトムの小屋」ハリエット・ビーチャー・ストウ著

 「アンクルトムの小屋」は、小学校の頃に読んだと思っていたが、最近書店でこの分厚い本を見たとき、昔私が読んだのは内容をかいつまんでまとめたダイジェスト版であったことを知った。
 私が購入したこの本は、1998年9月に第1刷がされた新しい訳である。監訳者のあとがきにあったが、それまでこの本の全訳本を新刊で手に入れようと日本中探し回っても、どこの本屋でも見つけ出すことができないという状態であったらしい。
「アンクルトムの小屋」は日本では定着しなかった。この本が本当に面白いということを知らないのは日本人くらいのものだろうとのことだ。
 私がそうであったように、大方の日本人が子供の頃に読んだのはダイジェスト版である。しかし、この文学の中にはじめから終わりまで流れている信仰、愛、再臨や復活に対する希望は、とてもダイジェスト版で伝わるものではない。むしろダイジェスト版はそのような本当に大切なものを抜き去ってしまい、奴隷制の事実や黒人の苦労、単にトムの人格の良さを日本人に伝えるのにとどまってしまっているのではないかと残念に思う。
 同じことは他の文学でもたびたび感じた。ヨハンナスピリの「ハイジ」もアニメで日本に紹介された。あれはあれで大好きだったが、アニメのほうにはハイジの自然を愛する気持ちが信仰の表れであったことや、山に生きる人たちの素朴で貴い信仰がすっかり抜け落ちて紹介されている。
 この二つの物語の信仰の部分は、作者が読者に最も伝えたかった事でなかったかと思う。それは作者自身が長い信仰生活で得た証しである。世界ではそこが評価されているのではないか。日本にキリスト信仰が根付いていないからといって、その部分を抜き去れば、命のなくなったものを伝えることになってしまう。本当に良いものが日本に入ってこないのは悲しい。
 ストウ婦人がこの文学に込めたメッセージを思うとき、一つは奴隷制反対とすべての人の人権回復であると思うが、もうひとつは究極の信仰の姿について考えることであると感じた。
 奴隷制は昔のことであるけど、人権の回復は今も身近な問題であると思う。人権回復とは特別な状態にある人の解放のことではなくて、「隣人を自分のように愛しなさい」というイエス様の言葉を考えながら生きていくことだと思う。
 トムには愛する家族があった。小さい子供もあった。主人にも仲間にも愛され、奴隷ではあったがよい人間関係の中で暮らせていた。しかし主人が奴隷商人に借金をしたことから、家族と引き離されて売られてしまうことになった。
 主人の妻はクリスチャンだったので非常に苦しむ。自分の立場を恥じる。けれどもトムは売られて行く。トムは、特別な役に立つ奴隷だったので、何人もの仲間分の値打ちがあり、自分が売られることで他の仲間を助けることができると知っていたからだ。
 この物語にはいろいろな立場の人たちが登場する。奴隷の人たち、売る人、買う人、解放するために協力するクエーカー教徒、主人たち。それぞれが自分の置かれた立場でものを考える。主人の妻はクリスチャンで善良に生きてきたつもりでも、突然不幸が襲いかかると奴隷を売るという行為に手を染めなければならない。それ以前にすでに奴隷を持っている、ということに呵責を覚えて生きている。
 信仰を持つということは、単に善良であればよいということで終われない。他の人たちもしているから、こういう制度だから、この人たちを幸せな奴隷にしてあげているから、と思ったところで、本当に少しでも隣人を愛すという御言葉を考えるとひずみが出てくる。「人間」を売り買いし物として所有することが、どれほど残酷なことか、トムという人物を通してこの本は教えてくれる。そして自分がそれぞれの立場なら、「隣人を愛する」ということにどれほど真剣になれるだろうかと考えさせられる。
 トムは信仰篤い人物で、自分の小屋で家庭集会を行っていた。字が読めないのでジョージ坊ちゃまに聖書を朗読してもらったり、覚えた聖句を暗唱したりした。その家庭集会の描写は本当に素朴でほほえましい。奴隷たちは聖書の朗読を聞くと「こりゃ驚いた!」とか「そこんとこが大切なんだ!」とか「よーく考えてみるべ!」などと感嘆符付きの叫び声を上げるのだ。
 トム自身の信仰ははじめの方にこのように紹介されている。
 『アンクルトムはこのあたりでは、宗教的な事柄については一種の長老といってよかった。(中略)しかし、彼が特に優れていたのは、その祈りであった。(中略)その祈りは聖書の言葉がふんだんに散りばめられていた。というのも、聖書は彼自身の一部となり、唇から無意識に漏れ出てくるほどにまで、彼の存在に深くとけ込んでいたからであった』
 そしてこの本は二人の人物によって究極の信仰の形を表現している。ひとりは奴隷で善良なアンクルトム、もうひとりは可憐な白人の少女エヴァである。トムの信仰の話の前に、エヴァの紹介をしたい。
 エヴァはエヴァンジェリン・セント・クレアという名前で「福音」という意味が名前に入っているが、25章の題名でも「小さな福音伝道者(エヴァンジェリスト)」と紹介されている。
 エヴァの愛は子供であるためか、清らかで純粋でまっすぐであった。母親は自己中心的でちっとも顧みてくれないどころか、エヴァが病気になっても「自分のほうがもっと具合が悪い」と子供に嫉妬するような人だった。若い父親のセント・クレアは奴隷に対して甘やかすので、奴隷は主人の物と自分の物の区別もつかず勝手に身につけているほどであった。
 エヴァの愛はどこまでも深い。小説でもここまでまっすぐに人を愛する登場人物は見たことがない。どこか小説はよりリアルであるために人間の弱さに焦点を当てがちで、このような眩しいほどの少女は読者には嘘っぽく写りがちである。けれどエヴァの愛は、そんな風に斜めに見ることができなかった。
 私はエヴァの箇所を読みながら、ひたすら自分の愛のなさ信仰の乏しさが恥ずかしかった。聖書の教えを心から実践する姿を見て、サーチライトで自分の心を照らし出されたような気分であった。もし昔のイスラエルでイエス様にお会いしたら、その瞳を見たとしたら、同じような気持ちになったことだろう。
 ストウ婦人は人間の信仰の現実を知らない理想主義者ではないと思う。それはオフィーリア嬢という女性の信仰の描写によって分かる。彼女は熱心なクリスチャンで、善良できびきびしていて、簡素で、聖書の教えを実行しようとしていた。彼女はトプシーという黒人の少女の教育を任されて、なんとかやり遂げようとしたができなかった。トプシーは嘘つきでずるがしこく、手に負えなかったのだ。
 けれどそのトプシーの心をエヴァの愛が溶かす感動的なシーンがある。まるでイエス様にお会いしたザアカイが改心した時のように、トプシーの固い心もエヴァの愛にすっかり溶けてしまった。急によい子にはなれないが、善良になりたいという願いが生まれたのだ。そのときオフィーリア嬢は、自分も意識していなかった偏見をトプシーが見抜いていたことに気づかされる。愛だけが人に良い影響を与えられることを知る。このように、エヴァの信仰の姿はイエス様の愛を彷彿とさせるようなものだった。そしてその短い命が尽きるまで、ただ愛するが故に伝道するのである。
 主人公のトムの信仰もまた究極的で、殉教者の姿を表している。
 トムは彼の真の価値を知らない、悪い農場主レグリーの手に渡ってしまう。そこでのトムの姿は「世の中」対「神の国」のそれである。レグリーはトムを他の奴隷のように魂のない、自分のことだけ考える人間に変えようと試みる。過酷な労働や酷い環境によってトムの心を乾燥させていくのだ。すでに周囲はそのような奴隷でいっぱいになっていた。「ここに神様はいらっしゃるのか?」不正の横行するただ中でトムはつぶやく。『ああ、このような場所で「神様が存在しておられること、また神はご自分を求める者たちに報いてくださる方である」というキリスト教の偉大な合い言葉を固く信じ維持することは、容易だろうか?』それはこの物語で、ひとつの大きなテーマとして描かれている。
 悪行を見るだけではなく、強制させられそうになる環境で、トムは人間らしさ、イエス様にある自分を保とうと必死になる。
 はじめは役に立ちそうな奴隷の監督候補として買われたトムも、善良故にレグリーに嫌われるようになり、真理を曲げなかったために目をつけられ、散々酷い目に遭わされる。レグリーはトムに、他の奴隷を痛めつけるよう強要する。したくないと哀願したが聞き入れられなかった。「おまえは身も心も俺の物だ」というレグリーに向かってトムは叫ぶ『そうじゃねぇ!そうじゃねぇ!そうじゃねぇ!おらの魂はあなたのもんじゃねえです、旦那様!あなたはおらの魂まで買ってねえですだ!魂を買うことなんかできねえです!おらの魂を守ってくださる方によって、すでにおらの魂は贖われていますだ。どんなことがあっても、どんなことがあっても、あなたはおらを傷つけることができねえです!』
 そのトムにも、あまりに過酷な環境によって聖書の言葉が響かなくなってしまうという危機が訪れる。しかしレグリーとの魂の対決の後、ついにトムは本物の魂の自由を勝ち取るのだ。トムは傷つけられたイエス様の幻を見た。それによってすべての苦しみは消え失せ、トムは真の自由を得た。その場面は崇高で、とてもここには表せない。それは人間が地上で得られる信仰の最も高い極みであった。死をも超えた信仰の姿であった。
 ストウ婦人のこの本には聖霊の力を感じる。クワイ河のイギリス人捕虜が、日本人に受けた死の苦しみのただ中で信仰を得ていく姿もこれとほとんど同じような軌跡であった。私はこの共通点に本当に驚いた。このような状態で得られる究極の研ぎ澄まされた信仰は、自分のような普段の生活をしている者には想像もつかない。それなのにストウ婦人がその究極の信仰をまるで体験したかのように表現できたのは、きっと聖霊によって与えられたものに違いないと思うのである。
 トムは勤勉で、白人の主人に心から仕えた。しかしそれは愛ゆえである。真理を愛するゆえである。
 「アンクルトムの小屋」は一つの魂が非常に貴重であるということ、どのように過酷な中にも人知を越えた魂の救いがあるということ、それはたとえ目に見えなくても必ずある、そしてその向こうに真の自由があるということを教えてくれた。これは確かに最初から最後まで信仰の物語なのだ。
 白人であれ奴隷であれ、私たちは一つの魂として、一人一人が真理をつかみ取らなければいけない。それは奴隷制が終わっても続く。どこに住んでいても、どんな立場でも、目の前にある課題なのだ。トムはその真理をつかみ取った美しい魂の持ち主だった。

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  最近感動したこと            S.M

 一年ほど前から、kさんと一緒に、週に一度聖書を読んでいる。読むという言葉通り、ともかく読み続けている。

 kさんは高校の教師をされていて超多忙、一緒に聖書を読むような時間はとてもなかったのに、1年半ほど前、脳出血で倒れられた。病院を退院されてからも、その後遺症で右半身不随、言葉も出にくくなり、自宅療養をされるようになって、「一緒に絵を描こう、聖書を読もう」という豊かな時間が持てるようになった、というわけである。

 kさんは言葉がスムーズに出ないので、つっかえつっかえ聖書を読む。聖書を読むのは初めてらしく、一度読んでもサッとは分からないので、何度も読む。「もう、いちど、いい、ですか」と言われるので、「どうぞ、お願いします」と言うと、ゆっくりと考えながら読んで、「だいたい、わかり、ました 」と言って、次の段落に進む。そんなことをくり返している。

 そのkさんがマタイによる福音書20章1~16節「ぶどう園の労働者、のたとえ」の箇所を読んだとき、一度読んだだけで、ニッコリ笑ってうれしそうに、「ここは、よく、わかり、ます」と言われたので、びっくりした。

 この記事は天国のたとえ、すなわち、ぶどう園の主人と労働者にたとえて、神様が人間をどのように扱ってくださるかが描かれており、朝早くから働いた人も、12時から働いた人も、夕方の5時になって雇われ働いた人も、同じ賃金をもらったという話である。ここを読んで「やっぱり不平等だよ」と不審な顔をする人もいたし、ここを読めばホッとする言う人もいる。でもkさんのように実感をもって「よく、わ、かり、ます」と言われたのは初めてのような思いがして、「なぜですか」と聞くと、なつかしそうに話してくれた。

 kさんが高校で教えていたとき、授業に遅刻してきた生徒を、何分遅れで欠席扱いにするか、それぞれの先生が自分で決めることになっていたそうだ。5分でも遅れた者は出席と認めない先生もいたが、kさんは最後の5分でも来れば「ああ、よかった」と思って、出席と認めていたとのこと。ある日、ある先生が、あと1時間でも休めば出席時間が足りなくなって留年という生徒を、授業中ずっと待ち続けて、授業が終わっても一人ポツンと教室で待ち続けていたという。「その先生、きっと『わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』という、ぶどう園の主人の気持ちやったと思う」と話してくれた。

「そうやなあ、神様は最後の最後まで、私たちが神様を信じるのを待っていてくださるんやなあ」と言うと、kさんも声を詰まらせ、うなずかれた。

 何の解説もなく、注解書も用いず、ただ読み続けるだけの「聖書の時間」が豊かに祝福されているのを感じて、その後、うれしさいっぱいで白いムクゲの花の絵を描いた。

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  小羊の声         天宝堂鍼治療室から      E.T

  方向転換

 待合室にキリスト教の印刷物や心の安まるような本をいくつか置いてありますが、最近聖書もそこに置きました。誰か読んでくれるかなと思ってです。

それなのにそのことをすぐ忘れてしまっていた私です。

それが、この間治療に来られた人が突然「聖書っておもしろいですね。他のいろいろな本は読みたくなくなります。」と話始めました。

どこで読んだのかなと思ったら、待合室に置いてあったので初めて聖書を開きましたと言われます。びっくりでした。

それで他にもいろいろあるキリスト教関係の本や集会の印刷物を紹介したり、さしあげました。

自分の罪のことなど考えたこともなかったと言われるその中年の男性の心に神様のみ言葉がすっと入っていくのを知らされ、神様はすごいなと思いました。

治療に関わる期間はわずかなので、私とはもうこれっきりかも知れません。でも、その方と神様との出会いは一度きりでも永遠かも知れません。

私が自分の思いでこの人に伝えたいと思っても、その人には伝わらなくて、何気なく手にした聖書で心開かれる人がいるのです。

自分の思いや選びで話しても、そこからは芽生えないのに、心を神様に向けて祈ったことは、神様は覚えてくださり、ちいさな種を用いて成長させてくださるのです。

 また、別の人で集会の吉村さんが書かれている「今日のみ言葉」を手渡すと、彼女は野草のアップの美しさ繊細さに驚き、その説明にも心惹かれ、またみ言葉の説明もとてもわかりやすくて読みやすいと喜んで読んでくれています。

そしてそこに書いてくれていることはよくわかるけど、いつもそこでそうだなと思えなく、「でも、そうは言っても」という言葉が浮かんでしまうそうです。どんなに心に残るよいみ言葉に触れても、現実の生活のなかで、キリスト教で生きていくのは難しいと感じるそうです。「でも。」がまず初めに浮かぶのが私の悪い癖ですとも言われます。

私も自分の罪、弱さを思って足どりも重くなってしまうことがあるし、「でも神様これは無理です。だめです。」と祈れなくなったりします。

これは自分中心の後ろ向き、マイナスの生き方です。

そんなとき、この間の天宝堂集会での聖書の学びで、「人にはできないが神にはできる」というみ言葉をいただきました。

神様の御支配のなかに入れていただき救われるのは、自分が何かできるとか、何かを持っているとかの傲慢さでなく、そこから罪を知らされ、何の値打ちもないものとして、神様によりすがるとき、神様は救いの手をのべてくださり、すべてをなしてくださる。

日々の生活のなかで、自分自身の醜さや弱さを主にさしだし、また苦難のなかにある誰かのために祈るとき、人の力では何もできないが、イエス様が心に入ってくださり、主の霊が働けば、神様は何でもできる、御心にかなうことをしてくださる。

主の御心がなりますようにと祈りが生まれます。

自分の罪というマイナスから、イエス様によりすがり救ってくださいと見上げるだけでプラスに向きを変える。この方向転換を悔い改めと教えてもらっています。

 今はまだわからないけど、神様の御業がなされるのだと思います。

  「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。」(マタイ19章25~26節)
 このことをあなたも信じてともに神様の御支配のなかに入れていただき救われますようにとお祈りします。

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海で    K.H

海岸へ孫二人連れて夫と水泳に行った。

日焼けしてもいいやと平気で泳いだらまっくろ。

新しくキリストに生きたいそう思って波の中に飛び込む瞬間は恐怖心でおののく。

それでも何度も飛び込む。

浮き上がってきたときに「神様、イエス様」と叫ぶ。

生きていることが実感される。

この広い海が悲しみを消して汚れを洗い流してくれるように。

「神様、新しく生きたい。」

青い海と空と緑の山、神様が造られた自然の中で疲れるまで泳いで、孫と一緒に波と遊んで憂鬱も去った。

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あとがき              H.N

 四国集会が5月に行われましたが、四国集会に参加してくださった方達にメールで原稿を依頼しましたところ、原稿を寄せてくださる方に恵まれ、今年も「ともしび」を発行する事ができました。

 投稿してくださったお一人お一人に主が働いて下さり、どうか祝福がありますように。 またお一人お一人の文が神様を証しするものとして用いられますように。

 このように主が導いてくださったこと本当に感謝です。

 日本のほとんどの人が、まだイエス様を知りませんが、イエス様はこの世の王であり支配者であり、その御支配の元に宇宙も世界も支えられていると信じます。 

 王の王、主の主である、イエス様の御支配は目には見えませんが、聖書を信じる事によって隠された真理を受け取る事ができます。

 
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。  コロサイ信徒への手紙一章1317

 支えてくださるイエス様がいるので、今のすべてが支えられ生かされているのを感じます。
私達の運命を支える方でもあると詩編にあります。この主に支えられて、導かれて、最終的にイエス様の元に流れ込んでいきたいと切に祈り願います。

皆様の信仰もどうか主が祝福してくださり、守られ豊かな実を結んでいきますように。

                                                             
シャローム
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