ともしび
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徳島聖書キリスト集会員(H.N)編集の文集(季刊)

2002年11月号

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み言葉


だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、
ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。
死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。

(ローマ人への手紙 8:35〜39)
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リストボタン内容・もくじリストボタン
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小題

リストボタンまえがき

H.N

リストボタンみ言葉・目次

リストボタン

K.K

リストボタンこんな本読みました

Y.N

リストボタン復活祭の感話より

U.I

S.U

M.O

R.O

H.K

K.K

リストボタン短歌

M.IA,M

リストボタン聖書から学ぶ

A.I

リストボタン聖書から学んで

T.O

リストボタン入佐明美さん講演要旨

A.I

リストボタンS.Tさんインタビュー

S.T

 リストボタン集会に参加するようになって
リストボタン主と共にあゆむ

H.N

リストボタンあとがき

H.N

表紙の字/杣友 豊市

発行責任者 H.N

所属集会
 徳島聖書キリスト集会
(徳島市南田宮
1-1-47

ハンゲショウ







































































































































































カラタチバナ





































































































































































































































































































































































































































タツナミソウ



























































































































ウメ
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リストボタンまえがき      H_.N

 今まで聖書を読んでも充分に分からなかったことが、実際に試練を受けることでよくわかるようになりました。聖書のみ言葉は苦しい時、私を受け止めてくれ、慰めと力を与えてくれます。順調にいっているときは現実の方がずっとリアルでみ言葉にすがらなくても生きていけるので、み言葉はあまり力を発揮しません。自己中心で、自分勝手な解釈で、自分勝手な道を行きたがります。
 でもとても苦しいことが生じると、自分を頼りにできなく、すがるのはみ言葉だけです。神様の救いを信じて聖書を開くと、私に対して大きな祝福や約束が用意されていたのがわかります。み言葉の方が現実よりリアルに感じられ、聖書の世界の真実に出合います。そして心は慰めを受け立ち直ります。
 神様はいつも祝福を用意して私を待っていて下さっているのですが、信じる気持ちにならないと受けられないのです。
謙虚にされなければ受け取れないのです。
聖書は悲しむ人、苦しむ人、悩む人の味方なのを理解でき、福音と言われている意味が分かります。この聖書からもれる人は一人もいないのを感じます。みんな祝福にあずかることができます。
ほかのものは誰も人間を救えないけれども聖書の中のキリストは差別なく誰をも救ってくださいます。
人を救うためにキリストは来てくださったのですから、救われたいと願いキリストにすがると、その手をキリストがつかまえてくれます。悲しんでいる人、苦しんでいる人は幸いなのです。
イエス様だけは人を裏切りません。苦しみから救ってくださるだけでなく、私たちに永遠のいのちをくださいます。地上の命のあとに御国に住むことが約束されているのです。

 心の貧しい人たちは幸いである。
 天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は幸いである。
 その人たちは慰められる。

神様苦しんでいる人、悲しんでいるいる人、悩んでいる人がどうか主に出会い、求めている以上のものを受けることが出来ますように。どうか救いを体験することができますように。

 こんな私が編集した「ともしび」をお届けします。

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リストボタン  k.K

大海原をつかんで白い波を轟かせる

その御手が、わたしを救い上げてくださった。

次から次に

白い波は起こされる

その力が、わたしを捕らえて下さった。

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主の御手が、大海原から波を起こし、海原の上、波を動かす。

大波を岸に打ち付け、真白く砕き、神の力を示される。

命の御手よ。神の力よ。

純白の力に満ちた大波を海原からおこされたその御手が、世界と宇宙を支配する。

純白のしぶき轟く大波を岩に打ち付けられたその御手が、わたしを支え、導き続ける。

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リストボタンこんな本を読みました  Y.N

レッツロール! 9・11夫からのファイナル・コール
リサ・ビーマー著
いのちのことば社フォレストブック

「レッツロール!」とは、英語で「行きましょう!」という前向きな言葉だそうです。アメリカの同時多発テロでピッツバーグに墜落した飛行機に乗っていた、トッド・ビーマーという人の口癖でした。
子供たちによく「さあ、用意はいいかい?コートを着て、くつを履いて、さあ出発だ!レッツロール!」と言っていたそうです。
そしてあのテロの日、自分の乗った飛行機がワシントンへ突入しようとしていると知ったとき、犯人と戦う為に人々にかけた号令も「レッツロール!」だったと言います。
彼の妻であるリサ・ビーマーさんは、その言葉が大好きでもあり大嫌いでもあるそうです。彼女の好きだったこの言葉は、事情が人々に知れるとスローガンにされたり歌にされたり、政治の道具にされたりしました。
 でもこの言葉は、大事な夫の遺言であり、彼女の家族のライフ・スタイルそのものなのです。
著者のリサさんには、身近にいる人のような親近感を覚えます。信仰によってとても冷静なときもあるし、辛くて不安で泣き崩れるときもあります。彼女は熱心で素朴なクリスチャンです。子どもの頃から「大草原の小さな家」みたいな家庭で育ったそうです。
どんな時も神様に語り掛け、辛くても不安でも、祈ったら結局神様を信頼する方の道を選んで、そちらへ進んでいきます。この本は普通の書店で売られていたので、テロの事を書いたノンフィクション物と思って手に取りましたが、内容はリサさんの信仰の「証し」と言えます。
彼女はあのテロのとき、3人目の赤ちゃんを妊娠していたので本当に大変でした。
神様に「なぜあのような出来事が起こるとあなたには分かっていながら、私は妊娠したんでしょう?」と問い掛けます。独りで3人の子どもを育てなければいけない不安に押しつぶされそうになります。けれど、祈るとき、いつも彼女は主を信頼する方を選び、実行するのです。私の好きなエピソードもそのようなシーンです。彼女が冬になる前に庭の手入れをしようとします。2人の子どもを庭で遊ばせながら、草むしりをするのですが、身重であり一向にはかどりません。悲しくなって泣いていたら、丁度その時友人が訪れて「庭の掃除をしにきたのよ!」と言います。
神様がいつもリサさんを気にかけ、どんな小さな事でも助けてくださると実感できるシーンです。
彼女は大統領と会ったり、テレビのインタビューに答えたり、社会の波のなかに容赦なく押し出されます。アメリカの英雄の妻として、時には利用されているのではと思う場面もあります。彼女自身も普通の生活を望みながら、そうはいかない現実に困惑している様です。レッツロールという言葉をある意味嫌うのも、そういった事情からです。このテロが戦争へと続く事を懸念し、夫の「レッツロール!」という言葉が利用され、それを引き起こすのではと心配しています。
彼女はトッドが敵を赦して死んでいったと信じています。それには明確な理由があるのです。
トッドがあの飛行機でハイジャックされたとき、電話会社の交換手の人と15分にわたって携帯電話でやりとりをしています。また他の乗客の人々も携帯電話で家族や友人と連絡を取り、自分たちの運命を悟っていくのです。これは普通のハイジャックではない、私たちの飛行機はどこか(多分ホワイトハウス)へと突入するのだと。
トッドは他の乗客と相談し、それを阻止する計画を交換手に伝えます。熱いお湯や武器になりそうなものを持って、犯人に立ち向かうのです。その決行まえに彼は交換手の人に家族を愛していたと伝えて欲しいと頼み、「主の祈り」を一緒に唱えて欲しいと頼みます。リサさんは、彼が熱心なクリスチャンだったけど、そういう特別のときに「主の祈り」を唱えた事に強い意味を感じました。彼はここ何ヵ月か主の祈りについて特に学んでおり、「敵を赦したように私の罪をもお赦し下さい」と言う所を特に熱心に学んでいたからです。それで、彼女はトッドが敵のことを赦したと感じたのでした。
トッドはその後、「詩編23篇」を暗唱しています。また他の乗客も声を合わせました。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」

とても、厳粛な気持ちになります。これを本当に死ぬかもしれないとき、主を信頼して暗唱するのです。敵を赦し、神に信頼することは、勝利なのだと知らされます。リサさんは、「トッドは、信じて死んでいったのではなく、信じて生きようとしたのだ」と言います。「信じて死んでいったのはテロリストのしたことです。」と。
敵を赦し、主を信頼したこの夫婦の本当の意志がアメリカに尊重されればいいと思います。そして自分にもこの夫婦のように主を信頼した生き方が出来ることを知らされました。

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リストボタン復活祭感話より
 1992年の復活祭も、徳島聖書キリスト集会ではたくさんの参加者があり、神様のみ名がほめたたえられ、主の復活をお祝いしました。その時感話に当たった方の発表を以下に掲載します。

       U.I
 私は昨年末からちょっと体を痛め、首も痛め腰も痛め歩きにくいので復活祭の集会に参加を迷っていましたが、感話があたっているという電話で、吉村さんの背後にイエス様がいらっしゃる、復活して下さったイエス様が私を招いてくださっているのでこれはどうしても参加しなければと思い出かけてきました。こうやって信仰生活を続けていられるという事は、兄弟姉妹たちの温かい眼差しとお祈りとに支えられているからだと思います。復活されたイエス様が皆様の背後におられるんだという事をつくづくと感じる。天国はこういう所かな、ここはこの世の天国かなと思える2時間を過ごさせていただきました。

       S.U

 愛の賛歌や手話賛美も交え楽しく過ごし、復活のメッセージでも「わたしは道であり真理であり命である」のみ言葉を感謝。イエス様は真理そのものであるという事が心に残りました。
 今、私は朝夕の祈りの時、ヨハネの手紙を読んでいます。この中には、永遠の命という言葉が出てくる。永遠の命で思い出すのは生前の杣友豊市さんで、いつもこのことを言っておられ、その念願が叶って今天国で見てくださっていると思います。ヨハネの手紙は御子についての証。神が永遠の命を私たちに与えられたこと、そしてこの命が御子の内にあるということとあります。神の内に留まる、御子の内に留まる、神に結びついていなさい、私たちはぶどうの枝であると、非常にこの強い御言葉が焼き付けられ、私たちは、イエス様に留まる事が永遠の命であることをしみじみ感じている。私くらいの年になると、近親者や親しい者の不幸に合うが、つらいのは肉親との死別。私たちはどのような場合にあっても、神様につながっていると最善をしてくださり、永遠の命を与えられるのだと信じて信仰を続けたい。

       E.O  
 今日は参加できないと思ったのですが、参加できて感謝です。今日教えられた事は、私たちが歩むべき道はヨハネ福音書の4章の「わたしは道であり真理であり命である」という事です。それとヨハネ福音書の12章の24節「はっきり言っておく一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままである。死んだら多くの実を結ぶ」というところで深い意味を学び心に残りました。一粒の麦というのは、古い自分であって、それは罪であり、それを死なせるには自分の考えや意志ではどうしてもできない。罪を滅ぼすためにキリストが来られた。キリストを信じる事によって自分に死ぬことができる。私たちはキリストを信じて、聖霊を注がれて新しくされ、神様を信じていく事が大事だと思いました。

       R.O

 皆様に久しぶりにお会いできて感動しています。去年、アメリカの同時多発テロの事件が衝撃的でした。私の知り合いの日本人でニューヨークに住んでいる人がいます。その人はテロの現場から少し離れたアパートで住んでいるが、ビルの崩壊後、ゴミや灰が飛んできているそうです。私たちはテレビで状況を見るだけですが、当事者の苦しみや悲しみは計り知れないものがあると思います。私はアメリカという色々な人種が集まった国に興味を持っていて、行ってみたいと思っていたので、この事件を身近に感じ、いろいろ考えさせられました。この事件によって、アメリカがアフガニスタンを攻撃したことは悲しい事です。アメリカ人もアフガニスタン人も家族を失ったりお、互いを非難しあって、今回の事で罪のない子供たちがどれくらい犠牲になったかと思うといたたまれない。アフガニスタンはその後の地震で被害もあった。しかし、このテロ事件が招いたすべての事で、はじめて自らの国を知り、そのあり方を考えようとしょうとしているアメリカ人もたくさんいるようで、私たちも国際社会の中で生きていて、外国で起こる事も身近な問題として感じたいと思いました。ただ一つ分かっている事は「目には目を歯には歯を」というやり方では、お互いにもっともっと悲惨な運命が待ち受けるだろうと思います。一日も早く今苦しんでいる人たちが癒されるようにと祈ります。

       H.K
 復活祭に導かれ参加できたことを感謝。聖書の箇所で、心に残った事を話します。ローマ信徒の手紙12章9〜21の「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み善から離れず兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」生活の中でこのような事を心がけたいと思いますが、なかなか自分の力ではできないという事を思い知らされます。どれ一つとっても復活したイエス様が共にいて下さらなければ良い事などとてもできない。幸福論の第3部でヒルティが言っていますが「善は必ず悪に対して勝利を収めると信じなければならない。」というところも印象に残っています。毎日の生活の中では自分の中の悪との戦いであると思います。復活したイエス様を信じて、必ず悪が滅びるのだという事を信じて良い事を求め続けていきたいと思いました。

        K.K
 ちょうど一年前に私の母は81歳で、それまで元気だったが、家の前で転倒し骨折し入院となりました。それから父も入院して、私は兄弟がいないので、とても忙しい毎日が始まりました。確かに忙しくてしんどかったのですが、その事を思い出していた時、しんどかったよりも、大変で祈った時いつもイエス様が力と平安を与えてくださいました。大変な中で不思議な力を与えてくださった事がいろいろと思い出されて感謝と喜びの事を思い出しました。
 今年1月に父が召されました。その時も神様の大きな御手が臨んでくださり、“どうしよう困った”という時に主が共にいて下さった事を思いました。苦しい中や真っ暗な中にこそイエス様が来てくださるという事を思います。主は生きて働いてくださいます。少し前に自分の心がある事から真っ暗な中に落ち込んで、祈っても神様と通じないと思わされた事がありました。その時に自分の元気はすべて神様からいただいていたということがよく分かりました。何かをしようとする力も喜びも平安も生きる力は全部神様から貰っていたのです。自分の力では元気に平安に生きる事はできないという事も分かりました。その時に神様は私に少しエネルギーの供給を切って私の力が神様から全部来ているという事を私に教えてくださったのだと思います。その時はとっても苦しかったけれど、神様が再び手を述べてくださって力をまた貰って、前よりももっと神様が近くなったように思っています。その時に祈る事ができるという事はそれはなんと大きい恵みだろうという事を思わされました。祈るという事はただごとでないという事を思って、もし神様を知らされていなかったら決して祈る事はできないし、空が青い事や草花の美しさも知らなかったと思います。神様を知る事ができ、イエス様を知る事ができ感謝です。

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リストボタン短歌  M.I

☆ この重荷神が背負いて下さると
       信じて見上ぐ 明けの明星

☆ 心から人の喜び祝福する
       者となりたく みこころを聴く

☆ 許すこと妥協にすり替え安堵する
       われに十字架 まぶしすぎたり

☆ あまりにも昨日と違う今日だけど
       主のご計画 変更されず

☆ 失せしもの嘆く事より残されし 
       ものを数えて生きて行きたし

☆ 見舞う度又来てよと母のいう
       孤独は時に病より怖く
 

    東京 A.M

☆ 涼求めベランダに立ち今日一日
       主と共にあり風のさわやか

☆ 秋空を仰ぎて我は主に叫ぶ
       世界に平和を来たらせ給え


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リストボタン聖書から学ぶ   ヤコブ書1の19〜27  A.I

わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに 早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。 人の怒りは神の義を実現しないからです。 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。

 このヤコブ書は神様を信じて神様と自分との関係をいかに保つかという事が分かりやすく具体的に書かれています。今日の所は神の言葉を聞いて、実践するという所です。19節には、「わたしの愛する兄弟たち」と書かれています短い挨拶文のように思うところですが、神様に罪が赦されて、愛されている者たちへという書き出しになっています。これは神様を信じている人、罪が赦されてイエス様の愛が充分わかって、喜びをもって生活している人、そういう人にあてた手紙であるという事がわかります。なかなか神様の愛がわからないという人がいるかもしれませんが、自分にとって自分を一番大切に考えてくれる人、思ってくれる人はなかなかいないように思います。両親にしても限りがあるし、自分が本当に求めている愛とか、慰めとかいうものは、やはり神様から来る。ですからヤコブはクリスチャンたちが豊かに成長して神様から祝福をうけるために必要な事としてこのような事を書きました。
 まず最初は「聞くに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」という事が書かれています。まず神様の言葉を聞くのに早く聞きなさい。そして早くとはぼんやりではなくじっくり聞くようにという事です。そして話しをする時にはゆっくり考えてしなさいと言っています。また怒るという事もおそくしなさいと言っています。普通、話しをすぐしてしまうと、無駄な事を言ったり、後で反省するような、怒りを引き起こす事を言ってしまったりしやすいものです。
 人の怒りは、神様の国とかイエス様の正しさを実現させないものです。また「あらゆる汚れや、悪を素直に捨て去りなさい」とありますが、実際クリスチャンになったから、すべて神様の愛で生活でき、み言葉通りに生きられるかっていったらそうではないと思います。そこには以前からあった習慣のようなものがあります。汚れた思い、悪い行い、悪い考えがまだ残っているという訳です。そういうものをこれだけは捨てられないと思いがちなのですが、それを自分から離れ去って、捨ててしまいなさいと言っています。神様に反するもの、イエス様が嫌われるようなものは捨ててしまいなさいと言っているのです。
 クリスチャンの基準というものがあるとすれば、「今自分がしようとする事は、イエス様が喜んでくれるだろうか?」この一つだけで、この事をいつも頭に置いていると、自分の考えることや、する事がイエス様に喜ばれない事があるとすれば、それを素直に捨てなさいと言っている訳です。
そして捨てた後、どうなるかというと空っぽじゃなくて、そこにはクリスチャンとして毎週、集会とかで聞いている聖書のみ言葉が心に植え付けられているので、それが成長するのです。植え付けられていると書かれていますが、それは聖書のみ言葉という種は、一個自分の中にあるだけだったら何にもならないけれど、それが発芽して、心の中に徐々に根を張っていくときに、種が成長していきます。ですから聖書の言葉を「いいな」と思うだけだったら何もできないけれど、常に心に植え付けられるというように、考えて深く掘り下げて自分と神様の関係を深めていく事が大切です。それをしないと自分自身の救いに行き着かないように思います。ですから心に植え付けられているみ言葉を常に受け入れなさい、信じなさい、そして自分のものにしなさという事です。受け入れるか、退けるか、それは私たちの自由意志にかかってくるわけです。そしてこのみ言葉は「あなた方の魂を救う事ができるのです。」と書いています。聖書の言葉が働く所は必ず神様が一緒に働く所なのです。聖書の言葉が読まれる時、そこに聖霊の働きがあります。ですから一番身近な所で、神様のみ手のわざ、神様の働き、栄光を見ようとするなら、聖書のみ言葉が一つの鍵になってくるように思われます。

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リストボタン聖書から学んで  広島 T.O

 
はじめに

 パウロの道のりを知ろうと使徒行伝10〜15章を読む。ガラテア書1章と2章を読む。内容を読みとり、かいつまんで書きたいと思う。私が心とらわれた文面は「母の胎内にいる時から恵みによって召されたという」ところです。パウロは両親に大事に育てられ、学問のおいても最高教育をうけ、ユダヤ民族として、指導者として高く期待され親族の誇りであった。イエスの教えに対し、ユダヤ教徒の立場から反対し、迫害に加わり聖徒を獄につないだ。その呪われた行為がダマスコ途上で改心に導かれ、旧約と新約とが一人の体に宿った。律法は死に福音のみが義とされた。「母の胎の時から召されていた」との確信が脈動となって伝道へと動き出した。律法を守りつつ福音を取り入れ、キリスト信者になって、律法と福音との橋渡しをしようとする者へ変えられて、パウロは論議を敷いたのです。

ガラテア書  1章〜2章

 主による恵みあふるる教会、聖徒たちの愛による伝道によって始まったガラテアの教会、そこにパリサイ人から信者となり回律を重んじるキリスト者がいた。彼らは「あなた方はモーセの慣例に従って割礼を受けなければ救われない」使徒行伝15章5「異邦人にも割礼を施しまたモーセの律法を守るべきである」とこの問題について使徒たちと長老たちが会議をし激しく論争が行われた。パウロが紛争し、ペテロもヤコブも福音の信意は明確に確信に至っていた。「今、我々の先祖も我々自身も負いきれなかった、くびきをあの弟子たちの首にかけて神を試みるのか」ヤコブも「異邦人の中から神に帰依している人に煩いをかけてはならない」と言っている。(使徒行伝15章7)
しかし、「モーセの律法を宣べ伝える者がいて安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」使徒行伝15章21節、ユダヤの習慣を福音に反するとは考えない人もいた。使徒たちは紛争を避けたかった。福音にはさほどさしつかえのない程度の習慣やモーセの教えを守ろうとするユダヤ人を容認していた。
ユダヤ人たちは使徒が認めているので、自分たちの行う律法の行事や儀式をガラテヤの諸教会に広めようとした。
 パウロの忠告に従おうとしなかった。生前にイエスと直接対面のなかった点で使徒たちよりパウロを下に見ていたと思われる。パウロも人から選ばれ召し出された者でなく、自らを神より召された者として、もし福音に反するなら自分は呪われた者であると1章の9節に宣べている。
10節には「神に喜ばれようとしているのか、人の歓心を買おうと努めているのか」パウロ自身、もし人の目をうかがい歓心を買い自らの主張の為に論争はしない神の僕となる。神に真意を問いただし神のみ心と信じる事のみを言う。12節「私の宣べる福音は人間から受けたのでもなくイエス・キリストの啓示によったのである。」パウロの以前の迫害は激しいものであり多くのキリスト聖徒を獄につなぐものであった。それすらも赦され恵みにあずかる者となり、迫害もこれまで一切が罪赦され救いの福音に入った新しき生命としてキリスト・イエスの内に入る者「母の胎内に宿しし時より聖別されみ恵みをもってお召しになった方」律法に育てられ、今キリストの血によって清められし者として福音にたずさわる。「血肉にも相談せず、また先輩の使徒にも会うためにエルサレムにものぼらず」モーセの山シナイ山のあるアラビヤに行き、おそらく古い自身を新しくされた生命として確保し、ユダヤの律法に死に、新しい生命、罪赦されたキリスト者となった確信をもってダマスコに帰った。後、3年してペテロに会うためエルサレムに行く。使徒行伝15章に詳しく出ている。最初に書いた事柄が1回目のエルサレムに出かけた時に論争があったのかはよく分からないが、とにかく律法については3章に詳しく述べられている。律法にしろ割礼にしろ偽キリスト者が好むところであり、儀式と偶像を生むパウロの戦いはその後も世界人類の問題として残る。今日の教会にも、人の歓心のみを買おうとする偽クリスチャンがいる。パウロの戦いは今も続いている。2章から第2回目のエルサレムにのぼる使徒より遣わされたバルナバとパウロに従うテトスと3人でのぼる。使徒11章からバルナバ、サウロの名が出てくる。ガラテア2章5節「私は福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。」主だった人はわたしに何も加える事をしなかった。」そこで「ヤコブ、ヨハネ、ペテロとはわたしをバルナバとに交わりの手を差し伸べた。」この会議もこのように済んだ後3名は、異邦人の地方へと伝道に向かった。ところがペテロがアンテオケに来たとき問題が起きた。異邦人と共に食事をとり一つになって伝道していた。ヤコブのもとから、とあるのは、たぶんエルサレムから来た「ある人々」であろう。ペテロやバルナバまで彼と共に偽善な行為をした。パウロは衆人の前でなじったと書いてある。パウロは見て見ぬ振りは出来なかった。大聖徒ペテロをなじった。事は食卓を共にしなかったとはあまりにも小さいことのように見える。偽善な行為とは何であったのか。いずれにしても律法にあたる何かであろう。さすがに聖徒ペテロは反論しなかった。神はパウロもペテロも怒れなかった。パウロが正しいかもしれないがペテロの尊厳は真に憂うべきである。「ユダヤ人でありながら異邦人のように生活しながら異邦人にユダヤ人の律法を強いるのか」エルサレムの会合で話し合い和解したではないか、それなのに律法の問題は取り除かれていなかった。16節、人の義とされるのは律法によるのでなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によるのである。」パウロの堅い決意である「いったん打ち壊したものを再び建てる」やはり後の世に偶像礼拝の論争であった。3章へと続くがガラテヤの信徒をこよなく愛したパウロは惑わされないように「御霊で始まったのに肉で仕上げようとするのか。」偽キリストは肉すなわち儀式や律法の行事を守ることで仕上げようとするのか。得てして世は儀式を好むものである。荘厳な宮や教会を建てたがるものである。現代でも残る問題である。聖書は3章で律法と信仰との問題に入っていくが、いよいよ本題に入るようである。ユダヤ人がキリスト(救い主)をメシヤとして認め、信仰に入りながら律法を捨てきれなかった、旧約の教えも正しく守るべきである、とよく聞かされてきたが真の神の言葉、約束された部族の信仰の何かを知るためには旧約聖書から学ぶべきではあるが、イスラエルの宗教のありかた部族の行事など行っているクリスチャンはいないと思う。あるとすれば偽クリスチャンである。

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リストボタン日雇い労働者の人たちと共に
   
釜ヶ崎での働き  A.I

 2002年の近畿地区無教会キリスト集会が去年に続いて今年も京都桂坂で行われました。
大阪狭山の宮田咲子さんが軸になって、計画してくださり呼び集めてくださり、講演や聖書のメッセージ、賛美、祈り、交わりなど主を中心とした二日間の恵まれた時を持てました。
 最初に入佐明美さんの講演がありました。
 信仰を形に表した生き方をされているお話に感動し、主に導かれたらそのような生き方も可能になるのだと主の御名を讃えました。以下に講演の要旨を紹介します。
 
自己紹介

 大阪の西成区にある釜が崎という日雇い労働者の人たちが住んでいる所でボランティアとしてケースワーカーの仕事をしている。今年で23年目。当時は若かったので多くの人に「若い女性がなぜ日雇い労働者という男の人ばかりの場所でボランティアのケースワーカーをしているのか」と質問された。

ネパールへの夢
 私は中学生の頃、毎日学校に行ってあまり好きでもない勉強をしたり、また、将来自分はどうなっていくのだろうか。人間は結局死んでしまうのに、なぜ今こうして頑張って生きていかなければならないのだろうと思いながら生活していた。生きている事が空しくて意味がないというふうに感じていた。
 そんな時、ネパールで医療奉仕をされていた岩村昇先生の事を道徳の本で知った。その生き方にすごく感動して、私もこんな生き方ができたらいいなと思った。それでネパールに行って医療奉仕をするには看護婦になることだと思って、地元の高校を卒業して、その後姫路にある赤十字看護専門学校に入学した。

キリストに出会って

 その看護学校の1年の時に友人に誘われてキリスト教会に行くようになった。教会に行くうちに、私が中学校の時から悩んでいたこと、本当に追い求めていた事は聖書の中に解決の糸口があることを知った。また聖書を読んでいくうちに、自分の内面が見えてきた。表面的にはいい子でいるが、心の中にはドロドロしたものがあるんだという事も気づいた。それで十字架の意味を知った時に、頭だけではなく、私の罪の為に神様の独り子が十字架にかかって下さった。私の罪は赦されているのだ。そして全宇宙を造ってくださった神様に私の存在が覚えられ受け入れられているんだという事を少しずつ感じるようになった。それで神様を信じて生きていこうと決心して洗礼を受けた。中学校の時からネパールに行きたいと思っていたことが、憧れとか夢とか人の役に立ちたいとかというだけでなく、私を愛してくださっている神様の為に、私も自らを捧げていきたいと思うようになった。看護学校の3年間の勉強は大変だったけれど「将来はネパールに行こう。ネパールに行って、医療奉仕をしよう」という夢が私を引っ張ってくれて、何とか卒業できた。そして精神科の病院でしばらくは働いたが、その仕事もとても大切だが、中学校からの夢が段々膨らんできて、はちきれそうになった。岩村先生がネパールから帰ってきた時、集会があったので参加させていただき、集会が終わってから勇気を出して岩村先生に直接相談した。「先生私をネパールへ連れて行ってください」とお願いしたら「それはすばらしいですね。あなたは見るからにネパールにぴったりだから早く準備をしなさい」と言ってくださった。私はむしょうにうれしく、それからはネパールへ行けるんだと思ってワクワクして生活していた。
 
 釜ヶ崎へ

 そこへ直接岩村先生から電報が来て、「何月何日に大阪で会いましょう。」ということだったので、ネパール行きの大事な打ち合わせだと思い込んで、その日が来るのが楽しみだった。当日先生と会ってお話すると「将来的にはネパールに向けて発ちたいが、その前に」・・・と言われたのでドキドキしながら聞いていると、「その前に大阪の釜ヶ崎という所でボランティアとしてケースワーカーをしませんか」とおっしゃった。私は鹿児島生まれて、大阪の事は知らないし、日雇い労働者と聞いてもピンと来なかった。ネパールと釜ヶ崎と一体どういうつながりがあるのか全く見当がつかなかった。そしたら先生が「釜ヶ崎は広さが800メートル×800メートルで0.62平方qくらいあって、その中に日雇い労働者の人が2万人から3万人住んでいるのですよ」とおっしゃった。そしてその中の10人に1人は結核だという事で、さらに驚いた事は、0.62平方qという狭い所で1年間に300人の人が道端で死んでいっているという事。冬の寒い時に、栄養失調と寒さで衰弱し切った体で、寒さに凍えながら息を引き取る人が300人もいることに驚き、先生に聞いた。先生は「繁栄の裏には犠牲になる人がいるんですね」悲しそうな眼差しでおっしゃった。先生は「もし私が20年前、ネパールへ行く前に釜ヶ崎の結核の状況を知っていたら、ネパールには行かなかったかもしれません。」とおっしゃったので、このように岩村先生を語らしめる釜ヶ崎という所が、日本の中にあるという事に驚きショックを受けた。それから1年間ものすごく悩んで考え、友人や人生の先輩に相談すると「結核がうつったらどうするの。」とか「男の人ばかりのところに女の子が行ったらあかん」とか「喧嘩に巻き込まれたらどうするの」とか反対意見の方が多かった。釜ヶ崎に行ってみたら、男の人ばかりの世界だし、歩くだけでも足がふるえて緊張し、声をかけようと思っても緊張して言葉が出てこないので、私がここで働くのはやっぱり無理だと思った。それでまた姫路の病院へ行って、もう一度釜ヶ崎へ行ってみようと思って、やっぱり無理だなと思ってこんな繰り返しであった。ある日、釜ヶ崎に行ったら、アルコール依存症、工事現場でけがをして障害を持っている人、結核の人、栄養失調の人など病気で苦しんでいる人が私の目に飛び込んできた。そして考えさせられた事は、日雇い労働者という重労働の為に体を痛めている。そして仕事が出来なくなって食べることや寝る所もなく、野宿せざるをえなくなり、そうしたら体力が落ちて病気の人が多いのだと思った。ここでは、医療者が必要だが、放置されている場所だと思いながら釜ヶ崎を歩いている時、聖書のみ言葉が心に響いてきた。「これらの最も小さい者のうちの一人にしたことはすなわちわたしにしたことである。」このみ言葉で、ここで、一人の苦しむ人に私がする事は、すなわち神様にさせていただくことなのだ、私自身の信仰のあり方として、一つの献身なのだと受け止められた。それまで、釜ヶ崎で働く事で不安と恐れがいっぱいあったが、このみ言葉が心に響いてきた時、不安と恐れの変わりに平安が心に満ちてきた。そして釜ヶ崎で働こうと決心できた。2年か3年、釜ヶ崎で働き、将来的にはネパールへ行こう、中学生の頃からの夢を実現させるのだと思っていた。とろこがこの23年間釜ヶ崎でずっと働いてネパールには一度も行っていない。
 
釜ヶ崎での働き

 毎日、日雇い労働者の人たちとの関わりの中で、多くの事を教えられたり、気づかされたり、反省させられたり、いっぱいある。 私は4畳半2間の文化住宅に事務所を持っている。基本的に朝9時から10時まで事務所にいて、あとは地域を巡回するやり方を最初からしている。聖書を読むとイエス様も病気の人や差別をされている人の所に自ら足を運んで行かれたが、私も相談にこれない重病者やお金がない人、自暴自棄の人などの為出かけて行った。しかし最初の頃は、声をかけて歩いても若女性だという事もあり受け入れて貰えなかった。今までの病院の患者さんに対する経験は役に立たず、労働者の土俵に入り、こちらから声をかけていくという事を繰り返し繰り返しして、人間関係を作っていかなければ駄目だと考えた。来る日も来る日も言葉をかけ声をかけていったら、少しずつ関係ができてきた。そんな時ある結核の重傷者に会った。入院を勧めたが、話を聞くと、病気になったら生きること自体が厳しい現実があった。退院してもすぐ働かないと食べていけない、働くと再発する。働かないと野宿せざるとえないが、そうしたら体力が落ちて道端で年間200人から300人の人が死ぬという結果になる。その方を前にして、元気になりたいという気持ちを持ってもらう為にどうしたらいいのか考えつつ1ヶ月くらい関わったら、突然「元気になりたいので良い病院を捜して」と言ってくれた。すぐ役所に行き、福祉事務所に行って入院となった。「ねえちゃんが話を聞いてくれた事が一番うれしい。人間はたった一人でいいのでホントにしゃべれる相手がいたら何とか生きていける。そうでなかったらわしらやけくそやで」病院でそんな話を聞き心に響いてきた。そしてその言葉をこの23年間の土台にさせていただいている。どんな労働者との関わりの中でも、まず話を聞いていくという事、相手の気持ちに耳を傾けていくということ。なるべく本音に近い部分に耳を傾けるという事が大事だと思い、それを心がけながらやってきた。相手の目の高さに姿勢を合わせて聞く。最近はその上に相手との距離の持ち方が大事だと思う。たとえば相手の方が衰弱しきって生きるか死ぬか、精神的にも肉体的にも弱り果て神経がぴりぴりしている時、元気で勢いのある言葉は疲れさせる。かといってあまり離れていたら聞こえなかったり気持ちが通じなかったりするので間の取り方が大切だ。

 
主が私を変えてくださった

  釜ヶ崎の人たちとコミニケーションがとれるようになると、その人達がなぜここに住むようになったかが分かり、それぞれの方が苦労しながらもそれを乗り越えて生き抜いてこられたのだなあと思い、労働者の方たちに対する尊敬の気持ちが湧いてきた。それまで私はその人達に何かしてあげようと思い、相手が変わらなければと、口に出さなくても思っていたが、変わらなければならないのは自分だと思った。労働者の人たちから学んで、変わっていこうと思っていた時に、タイの国に2週間行った。そこで神学校の入り口にこういう言葉が書いてあった。「わたしはあなたを用いたい。けれどあなたは偉すぎる」この言葉に出会っただけでもタイへ来て良かった、まるで私を待っていた言葉だと思うくらい心に響いてきた。それまでの信仰生活が根底から変えられるように思った。それまでの私は口や頭では神様に祈って仕事をしている、神様に仕えていると言っていたが、本質は自己実現が一番だった。自分の自己実現の為の釜ヶ崎でありネパールであった。神様と口では言っていたが、神様は私の協力者で都合の良い時だけ使っていた。「わたしはあなたを用いたい。けどあなたは偉すぎる」と神様が私に語りかけてくださっていると思った。その時から、釜ヶ崎の労働者を単に自分の自己実現の対象者として受け入れるのでなく、本当に伝えるという事は何なのかを考えていかなければならない、私の師は神様なのだと思った。その時、初めてキリスト教に入信したと思えるほど人生観が変わった。そして肩の力も抜けていって自然体で生きてもいいんだと思えるようになった。タイから帰ってきて釜ヶ崎を歩いていたら不思議な事が起こってきた。それは労働者の人たちが近づいて声をかけてくださる。自然と近づいてきて私の労をねぎらう言葉をかけてくださる。仕事もとてもやりやすくなって人間関係が楽になった。

 
現在力を入れている働き

 そして真剣にその人達の生活の方法を祈って考えた時、その人達にお金を貸してアパートに入って生活していただき、生活保護の手続きをするという事をするようになった。いまその相談業務に力をいれている。私が保証人になって必要な経費を貸し、契約をしているが、お金も一生懸命返してくださる。岩村先生が病気を治すことは生活をなおす事だと教えてくださったが、皆さんの元気になっていく姿に、これは本当だと思っている。そしてアパートで生活が落ち着いたら、人間関係の回復が見られる。
また家族と連絡がつくようになった方もいる。その人達が「今が一番幸せだ。こんな安心して安定した生活は初めてだ」と言われる。そして「ねえちゃん、不思議やけど今が幸せって思えたら、今までの過去の事が全部ええように思われてくるんやなあ」と言われた。老後は人の総括期、その最後が一番幸せと思えたら過去の事は肯定的に受け止められると思った。一人でも多くの人がそういう最期を迎える事ができたと思う。

 
開拓伝道

 そういう中で「ねえちゃん、何でクリスチャンになったん」とか「聖書買ってきて」と言う人、私が教会に行ったら捜し当てて付いてくる人が出たりするようになった。ところが一般の教会では、なかなか継続できない。せっかく神様を求めて来られた人たちが今の教会では敷居が高いようなので、教会の牧師と相談して13年前から開拓伝道をしている。どんな立場の人でも胸をはって堂々と来れるような教会を作っていきたい。人数は4〜5人と少ないが一人でも二人でも一緒に礼拝ができるという事は有り難い。その人たちが神様を信じることで、生き生きとなっていく姿を見たらうれしくなる。こういう感じで日曜日は午前中開拓伝道をしている。私は祈りの中で、私の為に神様の独り子を十字架にかけて私をあがない救ってくださった、という信仰の原点に立ち返って、欠点もあったり弱いところがあっても、私もかけがえのない存在として生かされているんだなあといつも感じながら生きることが大事だと思っている。

 
私のネパール

 最後になりましたが「ネパールはどうするのですか」とよく質問されるが、私は釜ヶ崎で働きながら少しずつ、わざわざネパールに行かなくても。釜ヶ崎で労働者との関わりを大事にしたいと思うようになった。ある人が「あなたは本当に求めていたネパールに釜ヶ崎で出会いつつあるのですね。」と言ってくださり“ああ、そうなんだな。私が中学の頃から思い続けていたネパールは”場所そのものではなかったんだ”と気が付いた。

 講演は以上ですが、入佐さんの活動をもっと詳しく知りたい方に本の紹介をします。
 また、ボランティアで奉仕されている入佐さんの活動を支えたりと思われる方も本を購入してくださればと思います。

 地下足袋の歌
  歩く生活相談室 18年
  著者 A.I    東方出版  定価 1500円+税

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リストボタンS.Tさんに聞く

 近畿地区無教会キリスト集会の夜、宿舎のお部屋に富田せつさんをお迎えして貴重な体験を聞くことができました。たくさんの人が富田さんのお話を聞きたいとのことで集まってこられました。命がけの信仰をしてこられた富田さんのお話は感動を呼び、現代に生きる私たちには奇蹟を聞くような感じでした。今また、平和憲法があやしくなってきている時代に、戦時中のことを聞けたことは意義があったと感謝です。主に導かれたら、どのような事態になっても強さが与えられると少し思えてきました。
 
 
矢内原忠雄先生との出会い
 私は18歳で東京女子大へ入学したが、その少し前、大阪で矢内原忠雄の講演があり、その時初めて先生の講演を聞いた。
 母が連れて行ってくれた。私の母は、東京女子大の1回生で当時、新渡戸稲造が学長していたが、母はとても尊敬していた。矢内原忠雄は、その新渡戸稲造のお弟子だったから、母が講演を聞きたいと思い一緒に連れて行ってくれたのだ。
 その時、先生のお話を聞き真実な言葉がとても心に触れた。その時先生が書かれた「嘉信」という伝道誌を売っていたのでさっそく買って読んだ。

 
女子大にて導かれ
 女子大に入って親しくなった大沢としこさんという方が私の寮に遊びに来て「嘉信」が置いてあるのを見て、自分の兄と姉が矢内原忠雄の集会に行っていると話してくれた。そして月に1回YWCAで先生がお話しているので良かったらそれに行ったらと勧めてくれた。そしてあなたが行くのだったら私も行くと言うのでそれから二人で行くようになった。

 
矢内原先生の集会
 先生は1937年、昭和12年に東大に勤めておれらたが、先生の信仰から戦争というものは本当に悪いという事で「この戦争は必ずうまくいかない」というような事を発言された。その事で、東大を辞めることになり、自宅で青年たちに真理を伝えたいという気持ちで日曜は家庭集会、土曜は土曜学校をされていた。その時先生は反戦者という事で、自分の生命も危険な状態だったので、人を巻き込んで、その人の一生を台無しにしてはいけないという思いから、家庭集会の方は人をお入れにならなかった。私は土曜学校に入れていただいて、今も本が出ていると思うが、アウグスティヌスの「告白」「神の国」「三位一体」そういう講義を聞きに行った。東京女子大でも土曜日は礼拝があり、それが終わったら土曜学校にとんでいったら何とか間に合った。夏に山中湖畔で聖書の講習会もあり、初めは矢内原忠雄先生と黒崎幸吉先生との二人でしていたが、先生一人でなさるようになり、私が初めて参加した時「ヨブ記」の講義だったが感激した。その時、先生に「これから聖書のお話が聞きたいので家庭集会に参加させてください」とお願いした。すると先生は「あなたはよく考えなさい。私のところに来る事であなたの生涯が台無しになるかも知れない。そしてあなたの命も危ないかもしれない。それでも聖書のお話が聞きたいのであれば3日間よく考えてもう一度頼みに来なさい」とおっしゃった。母は矢内原先生の事を知っているのですぐ許可してくれたが、父は信仰を持っていなかったので非常に心配してなかなか許してくれなかった。熱心に私が願ったので、父も自分の命を捨ててまでも行きたいと言うのであれば仕方ないという事で許してくれ、私もその時に祈って祈って考えたがやはり神様の導きがあり、先生に手紙を出した。先生から「それだけの決心がついているのであれば日曜日に聖書の勉強をしに来なさい」と許可された。世の中の人は全然怖くなかった。どんな敵が来ても死んでもいい、刑務所に入ってもいいという気持ちに神様がさせてくださった。それから先生の家での家庭集会に参加するようになった。先生の家は古い二階建てで二階で集会をしましたが、大変な時期にも50人くらいの若い人が集まっており、先生は「二階が落ちるんではないか」と心配されていた。が確かにそういう心配があった。一校生が多く、「みつばさの陰に」の本になっている川西瑞夫も同時期に入信された。それよりももっと前に私の主人の富田とかたくさんの人がいた。

 
警官に尋問されて
 ある日、先生の家の庭に警官がいて、先生は本当に危ない状態だった。国家主義の日本は先生を刑務所に入れようとしていた。礼拝が終わり降りてきたら私も尋問された。「どんな勉強をしてきたのか。あなたが持っている本を見せろ」とうので、聖書を渡し、警官に説明したら聖書を返してくれた。その時も解放してくれて結局先生も捕まると思いながら、普通の生活を続けておられた。先生も刑務所に入る覚悟はされていたし、命も神様に捧げていた。他の無教会の方は何人か刑務所に入れられた方もある。先生の「嘉信」は命を注いで書いておられたがそれが警察によって目の前で全部燃やされてしまったときは、大変痛手を受けた様子だった。しかし不思議に土曜学校、日曜学校とも終戦までずっと続き、先生は主に守られていた。

 
終戦を迎え
 終戦を迎えた途端に、先生は皆さんの知っているようにその平和主義の業績が認められて東京大学に再び迎えられ、集会にもたくさんの人が集まるようになり、今井館で集会をするようになった。

 
結婚生活
 私はまだ終戦にならない1944年に富田と結婚して兵学校へ行ったんです。富田は大学を2年半で卒業させられて、そして軍隊に入った。技術、理科系なので呉の工場で技術の方をやって、海軍の兵学校で教官として青年を教えていた。当時兵学校の教官は結婚しても良かったので、結婚し、そこの官舎にいた。海軍は外国をよく知っているので、ある程度柔軟で、日曜ごとにうちに生徒が遊びに来ていたので、わたしもお汁粉を作ってあげたりしていた。結婚するとさっそく官舎で日曜集会を始めたが、生徒は誘ってはならないことになっていたので、小川いわおさんという一高時代の友人が参加して大体3人でしていた。

 
北白川時代
 終戦の年には京都に住んでいて、京都の家で北白川集会をしていた。かなりたくさんの人が集まったので家には入らなくなり会場を借りてするようになり今も続いている。富田は京都大学に勤め、そこでも「京大聖書研究会」を開き、学生と聖書の勉強会をした。それは現在でも続いていて、富田はいなくなったが、私が参加している。学生が自分たちで一生懸命聖書を読み、当番制で発表しているが、学生だからよく勉強する。みんなで質問や感じた事など話し合う時間も持っている。京大会館でしているが、参加を誘うチラシを京大のあちこちに私が貼っている。学生達が率先して手伝ってくれる。不思議な事にそのチラシを見て、入ってくる人がいる。対象は学生だけでなく一般の人も自由に参加できるので学生でない人も二人いる。私はずっと出席している。

質問
☆ 
今までの人生で苦しかった事は?
  矢内原先生の所へ行く前に自分の罪というものにすごく苦しんだ。苦しんで苦しんで矢内原先生に話した時、「あなたの罪は赦された。安心して行きなさい」というみ言葉を先生からいただき、その時から新しい道に歩みだした。後で分かる事ですが、今考えるとイエス様の一筋の導きがあるということ。それ以後は余り悩まなく楽天的。命をかけて信仰したので、後の事は楽に考えられる。

☆ 
若い人へのアドバイスは?
 とにかく神様に自分の思いをすべて述べてその人と共に祈ります。私たちには何も出来ないから、「どうぞ導いてください」と祈るだけです。神様は私たちの真剣な祈りに、必ず応えてくださると言っている。

☆ 
ご自分の子供さんへの伝道は?
  一人一人の人格を神様が導いてくださいますから「主の道を歩む者にしてください」と祈り続けてきた。幼稚園は教会の付属の幼稚園に皆入れたが、その後は普通の学校。上の娘もその長男も導きを受けて信仰の求道者とされている。下の娘も夫婦で信仰によって歩んでいる。

☆矢内原先生は文章で非常に優しい人格を想像するが実際は?
 優しい、温かい、愛の方だった。戦いの時は絶対譲らない強い方だが、厳しいだけではない愛の方だった。

☆ 
K.T先生の厳しい時代何を優先していたか?
  自分の信仰をしっかり守って伝えるという事を優先していた。また学生紛争の時も局面に立たされたが、とにかく対話を重視した。理学部の学部長の立場だったので、私の家にも学生が来たが、とことん信仰を持って話した。そして学生の言い分で理屈に合っている事は言い分を受け入れて改善したので、理学部の紛争は医学部や農学部のように荒れなくて済んだ。その改革で理学部が変わった。学生の方が先に進んでいるので紛争が起き、良いように変わった。信仰によって理学部は無事再生されたと信じている。

今一番求めている事は?
イエス様の愛。イエス様のみ心を人々に伝える事。主の平和を伝える事が世界の平和につながる。私たちに主が求めている事はこれだと思う。イエス様が人の姿をとって地上に来てくださりみ言葉を残してくださったので、私たちがこれから何をしなければならないかを教えてくださっている。イエス様が地上に来られた事が世界の平和につながる。一人一人がイエス様の心をいただいたらと思う。集会を重んじる事がそのために大切。それぞれの所にある小さい集まりは大きい力のもと。物ではない人の心が大切。そして神と共にある教師が必要。神の働きをする教師のため、集会のために祈っていきたい。

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リストボタン主と共にあゆむ  H.N

7月20日
 今日は仕事が休み。朝は6時40分ぐらいに起きた。疲れていたのかぐっすり眠れたがまだ体がだるくてしんどい感じがする。昨夜もずっと眠りつつも主の御名を呼んでいた気がする。職場の事で気になる事が一つ。どうも良い解決策が浮かばない。しばらく祈りつつ様子を見てはっきり示されたときに発言することにしよう。
夏の朝は外が気持ちいい。この前買ってきて植えたハナスベリヒユや友達が持ってきてくれたサルビアが気になる。昨日主人が肥料をやってくれたので、ふさふさ肥えて花をいっぱい付ける日を夢見て、今はやせっぽっちの苗たちに声をかけ見回る。
この家に越してきたとき主の姉妹が持ってきてくれたブドウがはや色づいている。その中でも特別濃い色のを一粒口にいれると、「甘い」本格的な味である。主よ、私もあなたというブドウの木につながって良い実を結ぶことが出来ますようにと祈りが自然と起こる。庭のどの木も成長が早い。植えて3年に満たないのに、葉が茂って枝と枝がすでに手をつないでいる。これ以上大きくなったらこの庭はどうなるのか予想できない。でもとりあえずみんな元気ですくすく大きくなってくれることがうれしい。神様が成長させてくださっている。気が付いたら虫にかまれたのか腕がジカジカする。神経系を刺激するイヤな痛みが腕に走る。木に虫がいることや、虫にかまれることは喜べない。
 主人と二人の朝食、私がいつも食前の祈りをするが、気になる事や気になる人の事を祈っているとついつい長くなるが、主人は一度も長いと言ったことはなく、終わると心を込めて「アアメン」と言ってくれる。これも感謝なことである。
 今日は虫にかまれていたので、食事の時の話題は虫の事。そして今日は私が休みなので「祈祷会」に行くことなど今日の予定を話す。主人が出かけた後、聖書を読む。マラキ書、捧げ物の事が多く書いてある。今日の祈祷会では福音書から選びたいと
イエス様がたとえを用いて人々に話された内容のところを選んだ。イエス様の直接のお言葉である。真剣に内容を受け取りたい。
7月21日(日)
今日は主日だけれど仕事があたっているので礼拝には参加できない。何となく体がだるくて何か不安感がありやる気がおきてこない。み言葉を読んで祈りに祈って進ませてもらおう。主がいなければ、こんな倦怠の世界に入るのか。何が備わっていても主が居て下さらなければ、何の目的もなく空虚な世界。主よあなただけが全てです。私の全てであってください。祈って祈って主から力を貰おう。今日一日どうか主にあって生き生きと進ませてください。
仕事場に11時頃Iさんが訪ねてきてくれた。この前の移動夕拝の時誘ったらTさんと一緒に参加してくれて私の祈りの対象になっている人だ。本を返してくれたが、「今までキリスト教とは無縁で来たので今更全然違うので受け取れない世界だった」とのこと。魂がイエスさまの事がわかるというのは奇跡に近いことなのだと自分の体験からも思った。私もまだ十代で価値観やいろんな事が確立されていない年代だったけれども、キリスト教の世界に触れても全然わからなかった。それから七転八倒してやっと信仰の世界に入れてもらえたのだ。狭き門と言われているがIさんのように道徳的にも考え方でも主と非常に近いところでいるような人にも信仰の世界はなかなか開かれないのだ。救いという事はなんと高価なものなのだろう。それが分かるという事は本当に主の恵みなのだ。信じるだけで救われるという単純な事で永遠の命まで保証され、この世でも祝福のうちに歩んでいける。Iさんの事を祈っていこう。主がとらえてくださるまで祈り続けていこう。

7月22日(月)
 夜勤のため昼まで家でいた。ふっと昨日のIさんの事が気になり、主人は御言葉をどう受け止めているのか聞いてみた。「お父さん、昨日の礼拝のお話ようわかったで?」と外でいるのに大きな声で聞くと「うん、よう分かったよ」と言ってくれた。その答えで充分。やっぱり救われている人はここが違うのだ。御言葉がわかるという事は主の試験にパスしていることなのだ。昔はそうでなかった。キリスト教って道徳と思うとる・・・といって信じるってどういうことなのか分からないと言っていた。いつ頃からか、自然に主の世界に入れられていたのだ。本当に目には見えないけれど世界があって、入り口もあるのだ。私の力で主を知らない人にどう伝えたら良いか。主よ、私を主のご用のために用いてください。
 グループホーム、Sさんは91歳のおばあちゃん。働き者で、けなげにちぎり作業に精を出す。仕事をさせてくださいといつも仕事を求めている。楽をすればよいものをせっせせっせと、好きこのんで働く。こんなに良い魂が滅びることは忍びない。永遠に生きていてほしい。「Sさん、イエス・キリスト様を信じたら永遠の命がいただけるんよ。Sさん、なんぼ生きても100歳くらいが来たら人間は死ぬけど、天国があるけんキリスト様を信じたら、天国へ行けるんよ。信じてよ。」というと「ほんなん聞いたことないけど、信じるだけで天国へいけるん。ほれはありがたいな。心で信じるだけでええん。ほなに簡単な事でええってほれは有り難いな。ほれうれしいになってくるでえ」ととても素直に受け入れてくださった。そして食事の時みんなに「天国に行けるんよ。信じるだけでいけるけん、ありがたい。ええ話きいてうれしい」とにこにこ笑顔で話していた。
痴呆症のためにすぐ忘れるかもしれないけれど、信じると言ったSさんの告白を主よ聞いてくださって天国まで導いてください。Sさんの魂を滅びに渡さないでください。今後何度でもSさんとこの単純な真理を語り、共に祈っていきたい。
幼子のように受け入れる者が神の国の者であるのを感じる体験であった。主よ、隠されているマナが単純な人にはすっと見られる不思議。感謝です。

10月4日
 つらいつらい事が起こった。今まで生きてきて、このように人に誤解されるつらい体験は初めてのような気がする。なぜ自分にこんな事が起こったのか。分からない。苦しい。助けてくださいと叫んでも主は聞いてくださっているのだろうか。状況は一向に変わらず、苦しみに取り囲まれている。どう考えても、この件で一度も人を苦しめたこともなく、一生懸命尽くしてきたつもりだ。何も悪い事など思わず、真実で有り続けた結果、このような苦しい事が発生した。なぜですか。主よ。一度黒と言われた者には、白になる道はないのですか。神様、助けてください。私を誤解からといてくださって、光の中に置いてください。元の平和な日々が帰ってきますようにたすけてください。主よ。

10月5日
 夕べは近くのたんぼ道へ祈りに行った。神様のご意志がどこにあるのかどうしても答えが欲しかった。主は私の事を見ていてくださっているのだろうか。主は私の悲しみを知ってくださっているのだろうか。
夜空にはまばらな星、私を力づけ慰めるものは見えてこない。この苦しみが私の自我を砕いて、もっともっと神様の御心に叶う者へと造り替えられる事を願う。この苦しみが私に有用となりますように。その事を私が耐えていけますように。だれがどう思うかでなく、主が私を導き、闇の中からも光を掲げる者として用いられて行きますように。

10月6日
 仕事が休みで主日礼拝に参加できた。アブラハムの生涯を学んだ。アブラハムへの祝福は確かなもので、3000年の歴史の中を確実に流れ実現されてきた。神様は真実なので約束は必ず実現する。主を信じる者への約束も必ず実現させてくださると信じられる。神様が聖書の中で約束してくださった事は確実に現在のクリスチャンに適応できる。信仰によってそれを受け取る資格が与えられているのだ。約束を盾にして祈っていこう。祝福を奪っていこう。天の国は力ずくで襲われており、激しく襲うものがそれを奪い取ろうとしている(マタイ11の11)と書いてある。襲う者が手に入れるのだ。大きな大きなものが用意されているのに、小さな小さなもので満足しようとしている。不信仰は神様の約束を嘘だと決めつけている。信仰によって一つ一つ丁寧にこなす事で今を歩いて行こう。

10月9日
 私の心の中に石のような大きなものが居座ってどうしても動いてくれない。それが私の自由な心の働きをとどめ、それが私を支配する。重い重い石。いつから私にこの重たいものがとりついて、心の一部を支配するようになったのか。それが偽善に働いたり、自己憐憫に働いたり、甘えとなって表れたりする。飢えており執拗に執着する。「神様、これを取りのけてください」と叫んでもびくともしない。これを動かす力があったらこれは奇蹟と言える。イエス様が「この山に向かってあそこに移れ」と言ったら移るというが、どのような信仰を働かせたらこの山は動いてくれるのか。これがある限り、どこへ行っても私は罪の奴隷だ。黙らせようと思って、押しとどめておく事もできるが、心の中ではいつもそれがものを言っているので、その存在から逃れる事はできない。神様助けてください。どうかこの罪を打ち砕いて私を平安で満たしてください。私は疲れています。どうか休ませてください。

10月10日
 不思議だが祈っていたらある程度私を支配する呪縛が衰えた。私は少し自由になり元気になった。角度をかえて見たら今まで正当だとして主張していたことが間違いだったと分かる。神様感謝です。どうかまだ少し残る火を消して完全に私を自由にしてください。再び罪にとらわれる事のないように私をあなたのものにしてください。心が少し自由になった隙間から光が見えてくる。自分の力では何もできないが、希望がある。主がしてくださる。復活の主が、永遠の主が私を立たせてくださる。この道を歩いていこう。苦しみを避けないで、苦しみの中を通って行こうと思う。十字架の道を行こう。主よ、どうか導いてください。

10月14日
 夕拝のお話の当番が当たっているので聖書に向かう。聖書を開いていると私への啓示に満ちたみ言葉に出会う。
み言葉は信じる一人一人に与えられている神様からの手紙だと言われているが、本当にそうだと思う。今生きて活動しているこの私たちを愛おしんで、神様が開き示してくださったいのちの言葉。時宜にかなった助けがみ言葉によって与えられる。何か他のことを指針にするのでなくクリスチャンはみ言葉がいのち。たとえその通りにならないように見えてもいつか必ずみ言葉通りになる。時期は神様が決めること。信じて行こう。委ねて行こう。

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リストボタン集会に参加するようになって  S.N

 最近神様の導きがあって徳島聖書キリスト集会に参加するようになった。
ずっと以前、徳島市内に住んでいた頃、妻の勧めがあって小さい子供たちも連れて集会に参加していた時期があったが、いろんな思いがあっていつの間にか遠のいていた。
それからは、いつも集会に行っていた妻の話を聞くだけになっていた。
ある日、大阪のS.M姉が家に来てくださり、妻と3人で神様のことや、み言葉の話をしていたとき「ご主人も集会に出られたらいいのに」と話しになった。そこから主に導かれ、再び参加するようになった。
6年前に仕事が変わり、家でしていた仕事から外に働きに出るようになった。勤務が変則で、日曜出勤や遅出があり主日も火曜の夕拝も出られないこともあるが、夫婦で参加できたときは帰りの車の中でいつも神様の話やみ言葉の話をして
以前に分からなかった聖書のことがよく分かるようになった。
今の生活の中で神様からの導きがあること、いつも神様の元で平安がある喜び、不十分な私でもいつも神様とつながっていれば一方的に罪をつぐなってくれることなど恵まれていることがいろいろある。
私の今の職場(精神科の看護助手)には聖書を持っている患者さんが数名いる。
いつか聖書や神様のことを話し合える時がくると思うので祈っていきたい。

    テサロニケ信徒への手紙1より 5章15節〜18節

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

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リストボタンあとがき   H.N

 もうすぐ、2002年の全国集会がありますが、去年の全国集会は山形で開催され、あれからはや一年が経ったのだと時の流れの速さに驚きます。とても印象の強い全国集会でした。
いろいろな集会に参加するたびインパクトがあり、もっと考えもっと祈らなくてはとその時課題をいただきますが「後でじっくり・・」と考えていると、いつの間にか時間がたって忘れてしまい記憶の奥に流れ去ってしまいます。
その時その時祈り考え、整理して進むためには書くということが大事だと思います。
「ともしび」の原稿がないので発行できないなどと後ろ向きでなく、これだけ主の世界に置かれているのだからいくらでも書くことはある筈と前に向いて進みたいと思います。いろいろなことを主を通して見て、感じ、書いて祈っていこう。人間に対する依存心からは何も生まれないので、神様に依存して力をいただいて進んでいこうと思います。
私にも私の働きがある筈。主からのメッセージを心の耳を澄ませて、聞き取り、聞き取ったものを、発信していきたい。
どうか、主よ、私を用いてください。
 今回ともしびに原稿を寄せてくださった方々に感謝します。その方々に
祝福がありますように。また読んでくださる方にも祝福がありますように祈りつつ
シャロ−ム。

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