2009年度らら2010年度を掲載

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○第12回 近畿地区無教会 キリスト教集会 8月26(土)~27日(日)
毎年の夏に行われている京都市西部の桂坂での集会で、今回のテーマは「再臨」という、一般の無教会や教会などの特別集会でも、取り上げられているのはほとんど見ることがないものであった。しかし、再臨ということは、十字架による罪の赦しの信仰、死にうち勝つ復活の信仰とならんで、キリスト教信仰の根幹をなすものである。罪の赦しは個人的な意味が強く、復活も人間が死んだあとのことであるが、それなら、この世界、宇宙全体は最終的にはどうなるのか、ということについては、再臨の信仰によらなければ解決がない。そして新約聖書はそのことについて明確な啓示を記している。
今回の集会によって参加者は改めて、あるいは初めてこの、「主イエス再び来たりたもう」 という二千年前から変ることなく伝えられてきた真理の一端に触れることができたということで大きな意味があったと思われる。
参加者は、部分参加を合わせて五十数名。近畿地区以外では、遠く青森県や東京、広島、徳島、岡山、愛媛などからの参加があった。
土曜日の講話は、青森からの岩谷香、「内村と矢内原の再臨信仰に学ぶ」では、前者を那須容平、後者は新山靖彦(いずれも大阪府)が担当、主日礼拝の聖書講話は、吉村孝雄が担当し、特別讃美のプログラムでは中川陽子(徳島)が担当した。

○愛農聖書研究会(愛農聖研)への初めての参加
第108回の愛農聖研に今回初めて参加する機会が与えられた。8月28日(火)~30日(木)までの三日間であった。プログラムは、聖書講話、自己紹介、早朝祈祷、聖書の学び、讃美の時、証し、座談会、分かち合いなど。そのうち聖書講話は、佐藤全弘―関西合同聖書集会代表(Ⅰコリント11章1~4)、犬養光博ー日本キリスト教団無任所牧師(Ⅰコリント9の19~23)、日高伴子ー蘇原教会牧師(Ⅰコリント6の19~20)、吉村孝雄(ローマ5の1~3他)の4名によるものであった。
讃美のときは、聖書の引用文を交読しつつその間に、「つかわしてください-世界のさんび 1」から讃美を多く歌っていくという形でなされ、祈りとみ言葉と讃美を一つにしたものであった。
私が担当させていただいたのは、聖書講話以外に、三日目の早朝祈祷の1時間で、司会と20分ほどの祈りについての聖書からのお話し、それから夜の座談会での発題であった。夜の座談会は次の三つに分かれてなされた。カッコ内は担当者。①小谷純一読書会(佐藤全弘) ②原子力発電と聖書(吉村孝雄)③信仰のイロハ(日高伴子)。
私は、原発それ自体に関する本は現在では多数のものが現在も発行が続いており、いくらでも読むことができるが、聖書やキリスト教から見た原発というテーマでの書物はごくわずかであるので、そのことについて発題をさせていただいた。
早朝祈祷の讃美のときには、霜尾共造さんのピアノ伴奏のほかに、野村行生さんのチェロが加わって伴奏がなされるという、早朝祈祷の讃美としては異例のこととなり、その二つの伴奏によっていっそう讃美が豊かにされ、心がうるおされる思いであった。
今回の参加者は、部分参加も合わせると35名ほどで、地元の三重県以外からは、長野県、沖縄県、長崎県、大阪、舞鶴市、和歌山市、愛知県、岐阜県、愛知県など各地の何らかの愛農学園と関わりある方々であった。
毎年二回もこのような集会を開催すること、しかも50年以上にわたって継続されてきたことのなかには、背後に多くの愛農にかかわる方々の祈りと具体的な開催のための準備の働きが積み重ねられてきたことを思ったことであり、そうした長い歳月を導かれた神の御手が感じられた。聖霊社代表の堀田新吾さんは、「!!愛農聖書研究会に御参加を!!」と題したB4用紙一枚に、次のような言葉が書かれてあった。

「…愛農に連なる皆様。 私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ誰も父のもとに行くことはできない。」と言われています。…愛農運動は人類救済、救地球運動です。 小谷純一先生が起こした愛農運動は、人づくりからはじめて一歩一歩目標に向って前進する土台となる運動です。その基礎にキリストを通して神のみもとにいき、あふるきる希望と喜びに満ちた歩みをさせていただくことであります。…」

このような文の最後に、一人一人にコメントを書いて送っているとのことであったが、これは小谷純一がかつて行っていたことを踏襲しているということであった。これは一例であるが、背後でのこうしたいろいろな方々による、主にあるご奉仕のゆえにこの愛農聖研も長く続けられてきたのだと感じた。
今後ともこの愛農聖研が、主の祝福を受けて続けられ、若い年齢の方々や初めての方々にもより参加しやすいものへと主によって導かれるようにと願ったことである。


○青年全国集会の報告
11月20日(土)~21日(日)の二日間、東京の今井館にて、第二回の青年全国集会が開催されました。
今回の主題は「聖霊」。
一日目(土)の内容は、聖書講話(「聖なる風と水―聖霊のはたらき」吉村孝雄 50分)、自己紹介、証し「私にとっての聖霊」(京都府舞鶴からの添田 潤、東京の小舘 知子)、ゴスペルを歌おう(松永晃子担当 45分)、三つに分かれたグループ集会(60分)、その報告、

2010年
○近畿無教会集会
 八月七日(土)~八日(日)の二日間、京都市西京区の桂坂で、第十回の近畿無教会集会が開催されました。今回は、とくに「聖霊」というテーマで聖書講話もなされ、参加者が聖なる霊を受けることができるようにとの願いがありました。 登戸学寮長の小舘 美彦さんと吉村 孝雄の二人がこの聖なる霊について語り、確かに、多くの人たちの祈りと求めによって聖霊の風をいただいた集会でした。

○四国集会
第三七回 キリスト教四国集会(無教会)は、五月十五日(土)~十六日(日)の二日間、徳島市のセンチュリープラザホテルにて開催されました。今回のテーマは、「主を仰ぐキリスト者の交わり」ということで、主を仰ぐこと、キリストの十字架を仰ぐことの重要性、そしてそこから生まれるキリスト者の交わりということでした。
そしてこのことを単に聖書で学ぶだけでなく、実際に、少しでも、二日間の集会を通して主にある交流を深めて、今後の互いの祈りを交わし、励まし合う一助となればと願って開催されました。
今回の四国集会は、徳島以外の四国の三県からは、香川は四名、愛媛は六名、高知から二名の参加でしたが、四国外から多くの方々が参加されました。北海道、山形、千葉、東京、静岡、大阪、兵庫、和歌山、岡山、鳥取、島根、広島、大分、沖縄といった都府県からも参加者があり、また、病気の状態であるにもかかわらず、主の不思議な力によって引き寄せられるように参加された方々もありました。
そのうち、鳥取や島根からは今回初めての参加でした。
また、全体の参加者は、インターネットによる大学病院に入院中の方の参加者一名を含めて百十八名で、そのうち視覚障がい者十二名(内全盲の方八名、弱視四名)、手話を要する聴覚障がいの方は三名、肢体障がいの方二名、(車いす、歩行器)、知的、あるいは精神の障がいの方々も複数名と、何らかの障がいを持つ方々も多く参加され、九十歳近い老齢の方から小、中、高校生といった若い世代の人も加わり、み言葉を学び、賛美、祈りをともにすることができたのは大きな恵みでした。
インターネットの無料音声通話ソフト(スカイプ)を用いて、徳島大学病院に入院中の勝浦良明さんも二日間参加できたことも感謝でした。 発病以来三〇年ほども寝たきりで入院している勝浦さんは、二年前の徳島での無教会全国集会には介護の方々とともに、酸素も持ち込んでの参加でしたが、今年はからだの具合がそうした参加に耐えられないということで、参加できなかったのでしたが、スカイプを用いて、病院での映像も全体会場に映され、四国集会の聖書講話やキリスト者の証言などだいたいのプログラムに参加できたこと、そして直接に会場の参加者も彼の肉声を聞いてともに礼拝と学びをすることができました。
今回は、一日目、二日目、それぞれに旧約聖書と新約聖書から、主を仰ぐことの重要性とそこから生まれる交流について二名ずつ,合わせて四名が語りました。
第一日は、旧約聖書の詩篇一三〇、一三三篇から愛媛県の冨永尚兄(松山聖書集会代表)が、続いてローマの信徒への手紙の十五~十六章によって、大分県の渡辺信雄兄(別府聖書研究会代表)が語られました。そして二日目の主日礼拝には、徳島の吉村孝雄がとくにイザヤ書四五の二二節により、次いで埼玉県の関根義夫兄(浦和キリスト集会代表)が新約聖書のヨハネ十三章などから「昨日も今日も永遠に変わらないお方」と題して語られました。
それぞれ、三十分という短い時間でしたが、それくらいの時間がかえって聞いている人においても緊張が持続してよいと考えられます。
また、今回は、主を仰ぎつつ交流するということが少しでも実際にできるように、早朝祈祷やグループ集会ではメンバーが異なるように組み、さらに二日目の昼食時は、地元徳島からの参加者と県外の参加者とができるだけよく交わることができるようにと、地元徳島の人をバランスよくそれぞれの机に配置し、県内外の六人が机に向かい合わせて食事をし、そのあとも一時間ほど自由な語らいを県内と県外の方々でする時間としました。 これも県内や他県の人たちがせっかくの機会に同じ人たちとだけ交流することなく、多様な方々との交流ができるためでした。
これによって視覚障がい者、聴覚障がい者といった自分からはコミューニケーションがとりにくい方々もいままでよりも効果的にいろいろな人たちと語り合うことができたようです。
また、参加者は一〇〇人を越えていましたが、持ち時間一分で自己紹介をする(賛美や演奏でもよい)時間も持ちましたが、これは顔や名簿が見えない視覚障がい者に声によって参加者のことを少しでも知ってもらうためであると共に、も互いをよりよく知って交流を深めるためです。東京での全国集会などでは、だれが、どんな気持ちで参加しているのか、分科会で一緒になった人以外は全く分からないままになるということがほとんどです。目が不自由な人たちは、名簿もなく、姿も見えないのでは、壇上に立つ人しかわからないことになりますが、こうした全体の自己紹介によってどんな方々が参加しているか、がわかるのです。
キリスト者の証言としては、島根県の養鶏・農業の方(宇田川光好兄)、沖縄西表島での友和村での経験(石原つや子姉)、中途失聴の聴覚障がい者(桜井保子姉)、高校教員(那須 容平兄)、信仰を与えられた若者として(楢崎 聖子姉)、中途失明の闇からの導き(大塚 寿雄兄)の六名が十五~二十分語られました。 今回語っていただいたのは、二十歳台の方が男女一人ずつ、後の方々は、五〇歳台から七〇歳前後までの方々でした。
グループ集会は、八つに分かれて今回の四国集会で印象に残ったこと、学んだこと、またそれと関連して思いだす聖句なども出し合ってより今回の四国集会が印象に残るようにという目的でなされました。
全国集会や、従来の四国集会では、教育や伝道、医療、憲法、温暖化など環境問題等々の分科会に分かれての話し合いでしたが、そこでは知識や議論にたけた一部の人たちが議論をして、救いを求めて苦しみや暗い心を抱いて参加人たちには、パンの代わりに石を与えるようなことになったということがしばしばありました。
社会問題は、新聞やテレビ、インターネットなどを開けば洪水のようにさまざまの意見や知識などがあふれていますので、今回の四国集会では、そうしたマスコミなどが取り上げようとしないみ言葉の学びやみ言葉をもとにした交流を目指したのです。社会的なあらゆる問題も実は、真理そのものの飢饉、み言葉の飢饉のゆえだと考えられます。議論でなく、み言葉そのものが参加者に留まりますようにと願っての企画でした。
土曜日夜の青年・若者の会は、一〇人ほどの集まりとなり、若い世代だけで信仰にかかわることを話し合うという機会が与えられて、少しでも、そうした人たちにみ言葉が留まり、相互に覚えあって歩むことができるようにと願ったことです。

聖霊の風
今回の四国集会では、いままで参加したことのなかった心身に何らかの痛みを持っておられる県外の方が直前まで参加可能かどうか迷っておられたけれども、参加できたという方々がありました。そして参加してよかったと、言われていたのは主の導きと感謝です。
また、日頃の集会には参加していなかった人が、うながされて参加したという方々もいます。こうしたことは、このような特別集会がなかったら経験できなかったことで、ここにも普段は吹いていない聖霊の風を感じたことです。
どんなに学んでも、人生長く生きてきても、私たちの罪深い性質はなかなか変わらないものですが、聖なる霊を受けるときには、いつもと違った心となり、力が与えられます。
そのような聖なる霊こそは、あらゆる人が待ち望んでいるものと言えます。

○イースター特別集会の報告
四月四日(日)のイースターは、愛媛、香川、大阪などからの七名も加えて七四名ほどの方々が集められ、主の復活の恵を感謝し、復活のいのちをともに受けることができました。プログラムは次のとおりです。午前十時~午後二時。
☆第1部 子供とともに 司会 中本(裕)
・「いざ人よ」 聖歌168 ・祈り
・「帰ってきた弟」紙芝居 月岡 多恵、貝出 久美子
・ハーモニカ「ふるさと」 吉村 孝雄 ・
いのちのさと作業所による賛美 春の小川、どんどこどんどこ、やさしい目が ・ 「ビリーブ」 全員 伴奏 福原 愛
☆第2部 み言葉に聞く 司会 月岡 信裕
・賛美 「人生の海の嵐に」 新聖歌248・聖書朗読 ヨハネ福音書5の24-25 祈り・
聖書講話「死からいのちへ」 吉村 孝雄・祈り
☆第3部 賛美のひととき 司会 熊井夫妻
①デュエット「球根の中には」讃美歌21-575 鈴木益美、中川陽子②ギター賛美「ドロローサ」(*)友よ歌おう11 綱野悦子、数度春代 ③手話讃美 「ありがとう」「輝く日を仰ぐとき」 ④コーラス 「栄えを捨てて」、 「天には御使い」讃美歌158
(*)via dolorosa(ヴィア ドロローサ)「悲しみの道」 の via(道)を省略した形。
☆第4部 感話会(一人3分以内)司会 伊丹 悦子 綱野 真智子 戸川恭子 内藤静代 中本コトエ 中川春美 楢崎聖子、福原 愛、福原 真理 
☆第5部 食事と交わりタイム 司会 中川 陽子

○今月の読書会は、四月十八日(日)の主日礼拝の後の午後行います。ダンテの神曲 煉獄篇第二五歌です。
○移動夕拝
今月の移動夕拝は、吉野川市の中川 啓、春美ご夫妻宅で午後七時半からの開会です。
今回も、二月に熊井宅で行ったようにスカイプを用いて、遠距離にある方々も加えられて夕拝を持つ予定です。インターネットをされている方でスカイプを使っておられる方も加わって学ぶことができればと願っています。
スカイプを使えるようにするのは、難しくありません。ヘッドセットという、マイクとイヤホンがついたものを購入し(千円前後からあります)、スカイプをそのサイトからダウンロードして(無料)、スカイプ名やパスワードを設定するだけで使えるようになります。
スカイプというソフトのダウンロードには、グーグルなどの検索窓に「スカイプ」と入力をすればそのサイトに入ってダウンロードできます。 県外の方で27日(火)の夕拝に加わりたい方は、吉村まで申し出て下さい。
なお、スカイプの使用は、何時間つかっても無料です。


○元旦礼拝
今年の元旦は寒さ厳しいけれども満月に近い月が輝いている時刻に開会。
午前六時三十分~八時まで。イザヤ書の中からの聖書講話。二〇数キロあるいは十五㎞を越えるところからの人も含め、参加者十九名。はじめと終わりの祈りのときには、まだ祈りに慣れてない人以外、ほぼ全員が短く祈りました。


2009年


○十二月二十日(日)クリスマス特別集会。

 午前十時から午後二時ころまで。内容は、こどもと共に、賛美、聖書講話、有志の感話、食事のときの交流などです。申込は、貝出久美子姉(090-1176-9040)、不在のときは、中川春美姉(090-3784-1277)、その両者も連絡できないときには、吉村 孝雄まで。(050-1376-3017、または、090-8282-3622)会費は食事代金として五百円です。

○十二月二四日(木)キャロリング 午後六時三十分に、徳島市南田宮の徳島聖書キリスト集会場に集合です。

○十二月二七日(日)午後から四国集会についての話し合い。その後、大学病院の勝浦さん個室でのつゆ草集会。

○以上のような行事予定があり、今月のダンテ神曲の読書会はできなくなりました。


九州、中国地方の集会と訪問

 十一月二十日(金)から二十七日(金)までの八日間、ほぼ例年通りに九州、中国地方のいくつかの集会や「祈の友」の方々を訪れ、み言葉を語る機会が与えられました。多くの方々の祈りに支えられ、また訪問地の方々の御愛労によって集会がなされたことを感謝です。

 

 九州にわたる途中、四国の西端地域にある、愛媛県南部の大洲市で、冨永さん宅をお訪ねした。ご夫妻とのお話しで、私のかつて経験してきた神の助けと導きを具体的な出来事をお話しして、生ける神のはたらきの一端をお話した。

 奥様は、キリスト教信仰を持つには至っていないということであったが、こうしたお話しを聞くのを好むとのことで、今後もいっそう主がご夫妻に近づいて下さり、奥様も信仰の道へと導かれますようにと祈った。

 二十日(金)の夜、七時~九時すぎまで、大分市の梅木 龍男宅での集会。梅木さんご夫妻は全盲であるが、デイサービス・介護予防、鍼灸マッサージを内容とした、独立ケアセンターを運営されている。

 この集会には、今年三月で、島根県のキリスト教愛真高校長を退任された、渡辺信雄氏ご夫妻もずいぶん久しぶりに参加され、また最近ずっと集会には参加していなかった方も参加しておられ、今後とも主の導きのもとにあるようにと祈った。

二十一日(金)には、朝大分を出発し、竹田高原を経由し、阿蘇のふもとを通って熊本市の集会場に向かった。集会は、河津卓宅で今年も行われた。河津さんご夫妻も全盲でやはりハリ治療院を経営されている。参加者として、熊本市にある、ハンセン病の療養所、菊池恵楓園からの参加者も毎年二名が参加しておられる。長い間の闘病生活のなかで、信仰によって支えられ、また療養所の外の人たちとの定期的な交わりが与えられていることも双方にとって恵みだと思われた。また、以前徳島に数年いたルーテル教会の方が、「いのちの水」誌を知っていて、初めて参加されていた。こうした印刷物は意外なところに伝わり、新たな主にある交流が与えられることが今までにもしばしばあった。

 熊本を出て、福岡に向かい、途中にある「祈の友」の九州地域の世話人を長くされていた野口さん宅を訪問、ご夫妻との交流のときを与えられた。「祈の友」ということで与えられる主にある交わりを感謝。

 二十二日(日)の主日礼拝は、福岡市の県庁跡の建物というアクロス福岡にて、福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の礼拝集会。「神の言葉とその力」というタイトルでお話しさせていただいた。(その大体の内容は、今月号に掲載した。)

 その後、福岡市内の「祈の友」の内村さんを訪問。高齢となって、神を信じてその守りを感じて一人生活をすることを選びとっておられるのを知ることができ、たしかに主がそのお一人の部屋にもおられて内村さんを守っておられるのを感じた。

 翌日は、島根県浜田市に向かった。途中で島根県鹿足郡 津和野町を通ったので、時間的余裕がなかったが、以前からその名前を知っていた津和野の乙女峠が途中にあるのがわかったので、短時間であったが、寄り道をした。

 明治政府によって、厳しい迫害を受けてキリスト教信仰を捨てるように強要され、改宗しなかった人たちに残酷な拷問が行われたところである。

 そこから、島根県浜田市の栗栖さんご夫妻と中山賜子さん(以前の「祈の友」主幹であった故中山貞雄氏の長女)たちとともに小さな集まりを与えられた。栗栖さんご夫妻は中山元主幹によってキリスト信仰に導かれたとのことであった。「祈の友」に加わっているということがなければこうした主にある交流は与えられないことであり、全く会ったことのない方であっても、主を信じ、祈りをともにするというだけで親しく交わりのひとときを与えられることの幸いを思う。 

 そこから、奥出雲地方(出雲市、JRの出雲駅から二五キロほど中国山地に入ったところ)にての集会に向かった。目的の集会場のすぐ近くの、JR日登駅を目的地として、当然のことながら、日本海岸沿いに走行すると思い、安心してカーナビに任せて、その夜の集会での話すべきことを思いめぐらせていたら、大きく中国自動車道(高速道路)を通って迂回していくルートを走っているのに気付いたが、もうすでに暗くなっていて、引き返すともっと時間をとることから、そのまま走行し、予定時刻を四十分も遅れて会場の土曜会館に着くことになった。初めて訪問するところに大幅に遅れてしまい、とても申し訳ないことであった。

 参加者は、私にとっては初めての方々ばかり七名が来られていた。その地域には、数十年の昔、加藤歓一郎という人が、熱心に福音伝道をされたことを以前から「無教会史」などの書物や印刷物で知ってはいたが、今回初めてその方々とお会いすることになった。

 加藤はキリスト教信仰を基として小、中学教育にたずさわり、同僚教員や生徒たちにキリスト教が伝えられていった。大阪府高槻市で自宅を集会の場として、キリスト教集会を続けておられる那須佳子さんは、その加藤に信仰を学んだ稲田誠一氏が中学教員のとき、その生徒として信仰を学んだということである。

 私は偶数月の第二日曜日にその那須宅での集会で聖書講話を担当しているので、今回の奥出雲の集まりに参加して、加藤歓一郎氏にはじまる流れが今日もずっと受け継がれていることを実感することができた。

 その夜の集会で、加藤の出していた「荒野」誌の合本(がっぽん)を贈呈して下さった。今月号に、その中に、校長であった加藤のもとで教員を五年つとめ、彼の影響を受けてキリスト者となり、若くして召された女教師にかかわる記事が印象的であったので、文を一部引用した。

 なお、ここでも、老人性の難聴の方がいて、普通の声では会話が十分には聞き取れない方がおられたが、私が持参していた集音器でよく聞こえるとのことで申込をされた。高価な補聴器を落として紛失していて不便していたが、その補聴器よりもよく聞こえるとのことであった。老齢の方が増えていて、高価な補聴器でもなかなか聞こえにくい方が多いのに、私が紹介しているような安価で操作なども簡単な集音器がなぜ、作られないのか不思議なことである。

 

 翌日は鳥取に向かい、砂丘の近くの国民宿舎での集会で、長谷川さんとのつながりがある方々やその関連の人たち十名ほどとの集まりが与えられた。私たちの集会の録音CDを用いて集会をされている方々が何人かおられた。初参加の方々もあり、また五十数キロを越えるところから参加した椿さんは以前から無教会のキリスト者との関わりがある方であるが、ほかの方々は教会での信仰生活を続けてきた方々。そのような以前には全く関わりのなかった方々と、み言葉を中心としての集まりがなされたことを主の導きとして感謝した。

 翌日は、今年鳥取に移転された「祈の友」の稲村さん宅を訪問し、松本さんと三人での主にある交流が与えられて、さらにそこからの帰途に森本さん宅があったので寄り道をして賛美歌のピアノ伴奏の一部を聞かせてもらい、またそうした伴奏をMP3形式でデジタル録音することなどについて説明する機会があった。

 次の二十七日(金)の午前十時から、岡山市内の三光荘にて、初めての集会が与えられた。岡山聖書研究会の香西民雄氏ご夫妻の御愛労によって会が準備され、初めての方々ともお会いできた。

 香西氏ご夫妻とはもうかなり以前からの主にある交わりをいただいているが、それは無教会の全国集会や四国集会などにおいてともに参加する機会がしばしばあり、そこから交流が与えられた。

 自分の集会だけに留まるのでなく、可能ならば、ほかのところにも参加することで、予想していなかった恵み、出会いや学びが与えられ、新たな人との出会いにもなっていくことを思う。

 キリストにかかわることでエネルギーや時間を注ぐことは、いずれにしても主からの賜物をいただくことになるとあらためて感じている。

 なお、前述の鳥取の長谷川さんは、香西さんからの紹介によって知らされた方で、ここにも主にある横のつながりが新たな恵みにつながることを知らされている。

 岡山から四国・高松市に出て、そこで久しぶりに徳島出身の西岡公明兄と会っていろいろ最近の状況を聞くことができ、さらに、高松市の佐々木宅での集会に参加している塩田さんとその上司の方と三人で食事をしながら話し合う機会も与えられた。

 今までにもそうであったように、主を信じる者が、ともにみ言葉を学び、祈りや賛美を共にしつつ語り合うこと、主にある交流は、予期しない新たな恵みにつながることが数々ある。

 そこで語ることや祈り、賛美は小さきものであっても、二人三人主の名によって集まるところには主イエスがいて下さる、という約束が与えられている。そして、私たちでなく、そこにおられる主が大きなわざをなして下さると信じることができる。

 今回の各地での集会、訪問、交わりも主が用いて下さって、今後の御国への歩みに何らかのかたちで恵みがもたらされるようにと願っている。


○徳島聖書キリスト集会の礼拝内容を全部録音したCDについて(以前にも書いた内容ですが、折々に現在も問い合わせがありますので書いておきます。)

 活字になった印刷物はゆっくり繰り返し読めるという点で、また録音されたものは、仕事や移動中でも(車や電車など)、さらに目が悪い方には負担にならずに内容が理解できるといった点で好都合だと思われます。

 私たちの集会では、数十年前から主日礼拝の録音をカセットテープで希望者に送付してきましたが、近年では、カセットテープよりはるかに便利で、返送の必要がないCDへの録音という形で希望者に送付しています。(一部にカセットテープの方もおられますが)

 これは一枚のCDに一か月分の主日礼拝と火曜日夜の夕拝の全部の内容(聖書講話、祈り、賛美、感話など)を録音しています。そのために、普通の音楽CDの形式では、1枚のCDにはとても入りきらないので、MP3という圧縮したかたちで収録しています。これは、パソコン、または、MP3対応の機器(プレーヤ)が必要となります。

 パソコンは使っていない、MP3対応の機器もないという方には、従来通りカセットテープでの送付もできます。

 また、MP3対応機器としては、何度か紹介してきたMP3対応 CDラジカセのものは、次々と購入希望があり現在では在庫はなくなりました。(現在ではもう生産終了品です)

 インターネットで調べても、もう一万円以下でMP3対応CDが聞ける機器はないようです。

 しかし、MP3対応のミニコンポタイプのものと、手のひらにのるような携帯型のCDプレーヤのものなら、まだ私のところに在庫がありますので、希望者は申込してください。価格は携帯型のCDプレーヤは五千円、ミニコンポ型は八千円です。(送料当方負担)市販のものですと、メーカーもちがいますが、数万円以上の価格となっています。


○静岡での集会
九月十九日(土)~二十日(日)の二日間、静岡市清水区に出向きました。十九日(土)の午後は、静岡市の四カ所に立ち寄り、短い時間でしたが祈りや賛美、そして交流の時を与えられました。その日の夜、七時~九時までは、石原新聞店の二階集会場での集会。
翌日の二十日(日)には、JRの清水駅近くの公共の建物にある会議室にて、「たたけ、そうすれば開かれる」というテーマにて、約一時間ほどの時間でお話しさせていただきました。今月号に掲載したのは、その内容です。

○集会員の高橋 英明・ルツ子夫妻に、男子が生まれました。高橋 祐(ゆう)と名付けられたとのことです。この名前の漢字「祐」は、示す偏と右から成り、神を表す示す偏に、かばう意味の右という字から成っています。 語源辞典によれば、かばう働きをするみぎ手を示すので、祐は「示(かみ、まつり)+右」で、神がかばってたすける、ということで、神の助けを意味する漢字です。
その名のように、神のゆたかな祝福を受け、神によって人生のさまざまの困難において助けられ、そこからその力ある助け手である神のこと、キリストのことを証ししていく人にと育っていきますようにと祈ります。

○イースター特別集会
四月十二日(日)はイースター特別集会でした。こどもたちと共に、賛美やミニ劇、いのちのさと作業所の人たちの賛美、それから聖書講話、特別讃美として、全盲の人と健常者とのデュエット、二人の全盲の人によるギター賛美、手話讃美、そしてコーラス、有志八名ほどによる感話、そして参加者との会食、そのときにも感話などを司会者が随時指名して話してもらうといった交流のときなどが内容でした。
今回の特別集会では、徳島聖書キリスト集会のホームページを見て、香川県から家族で参加された方があり、またいつものように、ふだん参加していない人も加わってキリストの復活の意義、十字架の罪の赦しと復活を与えて下さった神への感謝と賛美、そして私たちにもその復活の命を与えられたいと願い祈るときとなって感謝でした。 (参加者は七十四名。)
○第一回 キリスト教・無教会青年全国集会について
五月五日(火)~六日(水)の二日間、名古屋市の金山プラザホテルにて、初めての青年全国集会が「信仰とは何か」ということをテーマとして開催されました。ちょうど一年前の徳島での無教会・キリスト教全国集会の全員の自己紹介のときに、小舘 美彦さんが、青年の全国集会が必要だ、と開催への志を公言されてから、私自身は青年でないから、参加することはないけれども、そのような集まりがなされればと祈り、願ってきたところでした。
しかし、思いがけないことに、聖書講話の担当ということで、五十歳を超えた者としてはただ一人参加することになって、初めての出会いもいろいろ与えられて感謝でした。
全員の自己紹介、石原野恵さんによる証し、信仰とは何か、との講話(吉村孝雄)、小舘 兄による内村鑑三の信仰論。また、信仰に関する聖句(那須 容平兄担当)、多様な賛美として、ゴスペルを数曲歌うとき(佐藤晃子さん担当)、また、二日目には心にひびく静かな祈りと賛美(の時間中川 陽子さん担当)もありました。
グループを四つに分けて、信仰についての自由な話し合いがなされ、初めての人もまだ信仰の十分でない人も気後れすることなく参加できたようです。
参加者は、千葉、東京、神奈川、愛知、奈良、兵庫、大阪、徳島、福岡の九都府県からで、二七名が参加しました。そのなかには、キリスト教の集会や聖書の学びの会などはまったく初めての人、病気があって今までの全国集会なども参加できない状態であった人、また仕事がとても忙しくて聖書を読む時間も少なくなっているという人、あるいは結婚して二カ月もたたないフレッシュな夫妻での参加の方、まだ罪というのはよく分からないと率直に言われた方、教会に参加しているので、無教会の集会には初めてという人、きょうだいでの参加の方…いろいろな方々でした。
とくに、私たちのキリスト集会の戸川茂雄、恭子ご夫妻が三五年以上も昔、信仰も持っていなかったときに、淡路に住んでいたときの友人の娘さんが、いままでキリスト教の集会には一度も参加したこともなく、知っているひとも誰もいないにもかかわらず、今回の青年全国集会に参加されたことも感謝でした。 主が働いて下さって、このような参加もあったのだと感じました。
だれも今まで無教会としては考えたことのなかった、このような集会なので、参加者もどんなものになるのか、予想しがたいなかで何かに押されるようにして、このようにいろいろな地域から参加されたと思いますが、二日間終わってどなたも参加してよかったという気持のようでした。
やはり神の国のために思い切って決断して一歩を踏み出すということは、主が予想しない形で助けて下さり、導いて下さるということを実際に今回も知らされた思いです。
来年もぜひ開催してほしいという希望が多かったと思われます。主が今後とも、この青年全国集会を見守り、導いて下さり、福音がより多くの若者、青年たちに届くための集まりとして前進していきますようにと祈ります。
なお、この青年全国集会の録音は会場録音で聞き取りにくいのもありますし、一部欠けていますが、大体の雰囲気はつかめる程度の録音はしましたので、USBメモリ、またはCDで希望の方には送付できます。いずれもMP3のファイル形式です。CD、またはUSBメモリいずれも、送料ともで五百円です。

聖なる霊のはたらく場
― 無教会全国集会に参加して

天よりの風
無教会(*)の全国集会が徳島で開催された。今ふりかえってみると、そこでは確かに神の言葉が語られ、神の愛と導きが語られ、さまざまの出会いが与えられた。そして会場に参加者に聖なる霊が送られてきた会だったのを感じ、深い感謝を捧げる。

(*)無教会とは、江戸時代の末期に生まれた内村鑑三(一八六一~一九三〇)に始まるキリスト教信仰のあり方であり、そのあり方に共鳴して集まった人たちの集まりをもいう。それは新約聖書の福音の本質であるキリストの十字架による罪の赦しの福音を根本として、霊と真実をもって神を礼拝しよう(ヨハネ四・23)とする信仰の心である。言い換えれば、人間的な組織やいつのまにかつくられていった伝承を重要視することなく、聖書とキリストの原点に帰ろうとするあり方である。これは一つの教派というべきものでなく、真理そのものに帰ろうとする精神である。そうした原点復帰への主張は、歴史のなかで繰り返し現れてきた。旧約聖書のエレミヤなどの預言者たちもまさにそのような精神をもって神から遣わされた人であったし、主イエスご自身がそうした精神を完全に持っておられた方であった。

こうした集まりは、神の大いなる憐れみなくば、人間的な議論や自己主張の場となり、議論や知識の強い者が時間をとってしまう後味悪いものとなってしまうだろう。
今回はそのようなことはなく、静かに主の霊が、またいのちの水が流れているのを感じることのできた集会であった。
参加者や私たち受けいれる側の多くの祈りが捧げられたと思われるが、その祈りがそのようなよき賜物を受けることにつながったと感じている。
今まで私は過去四〇年間にわたって、全国集会や四国合同集会、あるいは近畿地区無教会集会など、数多くの合同の集会に参加してきたが、今回の全国集会は、それらの中でもとくに神の愛と聖なる霊のはたらきを感じることのできた集会となった。
もとより、今思えば不十分な点もあり、時間と体力的限界があって、私の知らないところでいろいろ不都合が生じたこともあるのではないかと思われる。
そうしたことはあったにしても、今回は、全体として講話や証しをする人も全体会での発言も司会者によってきちんと時間オーバーしないようになされ、参加者のほとんど全員の信仰や人柄の一端に触れることができた。
それは自分の言いたい主張を言ってすっきりしたとか、多いに議論をたたかわせて啓発された、といったのとは違ったものである。それは、目には見えない何かによって参加者がうるおされたという実感であった。それこそ、聖なる霊によるものだと感じた。
それは日本のさまざまの地から、さらに地球の裏側からの参加者もあり、その方々が祈りとともに天よりの風を運んできて下さったからでもある。
受けいれる側の祈りと合わさって、目には見えない風―聖なる霊の風が静かに吹いているのを感じさせてくれた。
ある近畿地方からの参加者が、次のように書いておられた。
「会場のどこからかイエスさまがほほえみながら見ていて下さった…そう感じました。人ではなく、神様、イエス様を讃美するこのような集会にまた参加したいです。」
このように、主イエスのまなざしと微笑みが感じられた集会であったとすれば、それはひとえに神の愛ゆえの恵みであった。
私たちに注がれる太陽が欠けたところ多いものにも小さな者にも大きなものにも同様にその豊かな光を注いでいるように、神がこのたびの全国集会にその慈愛の雨を降らせて下さったのだと思われる。

今回の全国集会は、五月十日(土)午前十時~十一日(日)の午後五時までであった。二日目の日曜日の早朝六時三十分から三十分間の早朝祈祷会もあった。今回の参加者は二百十七名であり、遠い北海道からは四名、台湾に近い西表島を含め沖縄県から七名、さらに太平洋を越えてアメリカ・ニューヨークからの参加者もあった。
その他岩手、宮城、山形などの遠方からの参加もあり、そのような遠隔地からの参加の方々を見るにつけても、そんな遠くからこの四国・徳島にまで引き寄せられる神の不思議な御手のはたらきを感じずにはいられなかった。
また土曜、日曜の二日間では開会や閉会までの全体プログラムに参加できないから、前日の金曜日から徳島に来て、さらに全国集会終了後も一泊余分に宿泊して全日程を参加された方々も多く、そのようにして、金曜日から月曜日までの四日間もそのために費やされた方々もかなりあった。
また、開会前夜の九日(金)の夜には六〇名を越える参加者によっての交流会があり、さらに全国集会終了後の十一日(日)の夜にも徳島聖書キリスト集会の集会場において交流会(参加者約三〇名)が行われたから今までの全国集会のなかでは、最も参加者との交わりの時間が多くとることができた集会となった。
こうした多様なプログラムにおいて、ふつうの会社や勤務先での会食とか交流とはまったく異なる雰囲気を感じた。
それは私に寄せられてきた個人的感想など(別稿のメールでの感想文を参照)からも感じられる。
たしかに、主は活き活きとしたその見えない霊をおくって下さった。それは驚くべき「風」であった。風は思いのままに吹く、と主イエスは言われた。
たしかにかつて私自身の魂に吹き込んできた霊的な風は、ある時突然吹いてきたものであり、誰一人予想もしなかったことである。
まさに神の思いのままに吹いてきたのであり、それによって私は天の国の消息を初めて知ることになったのであった。
しかし、他方、天よりの風は、人間の側の真実な祈りによっても吹いてくる。じっさい初めてキリスト教がその世界に向かっての伝道をはじめるときには、主イエスご自身が「祈って約束のもの(聖霊)を待て」と命じられたのであり、そのみ言葉に従って人々が集まり日々祈りをもって待ち続けていたとき、時が来て大いなる天来の風―聖なる霊の風が吹いてきたのである。

テーマについて
今回の全国集会ではテーマを何にするかについては、はやくから考えていた。それは今年は徳島が四国集会の担当であったからで、そのため、まだ今年の全国集会のことは何も聞いていないときから、テーマを何にするかと考えていた。それで、去年五月に高知での四国集会が終わってすぐにテーマについて私たちのキリスト集会の方々の意見を聞くため、ほぼ全員からアンケートをとった。そして最も多い内容を中心としつつ、ほかのテーマについてもそれらをできるだけ含むようなものとして今回の「神の愛とその導き」というテーマとなった。
このテーマはたしかに誰にとっても切実な問題である。世の中の数々の問題はみんな、神の愛と導きを受けていないから生じていると言えるからである。
愛なくば、白熱した議論も「騒がしいシンバルの音」にすぎない。(Ⅰコリント十三・1)
また、グループ別集会(分科会)にどんなグループを作るか、それをどのようにして二時間を用いるか、ということも、集会の人たちに意見を出してもらい、さらに文章にも書いてもらってその希望の多いものを採用した。 今回初めて、キリスト教信仰をもっていないとか、基礎的なことを知りたい、聖書の疑問などを出してもらうグループをつくったのも、その際に出されたことだからであった。
今回の全国集会でまず重要と考えたのは、人間の頭で考えた研究や調べたことの発表などでなく、一人一人が神に聞いたゆえのメッセージであり、神によって動かされたという確信が語られるように、ということであった。 そして、だれにでもわかる内容、初めての人、いま苦しんでいる人、闇にある人が励まされるような講話、証し、あるいは交わりを…ということであった。
これは、主イエスがそのような人々を第一に重視されたゆえに、そのイエスのご意志に沿ったものとなる必要があるので、そのことに従ったのであった。
それは主イエス中心であり、神のお心を少しでも表したいとしてなされたことであり、神のわざ中心ということである。ふつうの庶民に分からないような論理的あるいは知的な研究や議論など、それは知的にすぐれた人だけを相手にしようとしているという点で人間的である。
そのような人間的なものを前面に持ってくることでは、人は救われないし、苦しみに置かれた人たちには何の喜びもない。
それから、全国集会というのは、全国のキリスト集会の代表者の会でなく、すべてに呼びかける集会であるから、当然初めての人、まだ信仰がよく分からない人も含まれるのであって、その人たちへの伝道的視点も含まれていなければならない。また何十年の信仰の歩みがあっても揺らいでいる人、固まってきている人もいろいろとある。離れていこうとする人もいる。それゆえ、多様なキリスト者に呼びかける集会では、大学でなされるような研究の発表でなく、神からのメッセージがわかりやすい言葉で語られねばならない。

キリスト中心のわかりやすい内容 今回の全国集会は、主イエスを中心とすることを明確にした。それは主イエスがとくに心を注がれた、弱い立場の者、ごくふつうのどこにでもいる人たちを対象として語られ、証しされるようにということである。
今回の全国集会に関して、県外からのある参加者が、次のように書いておられた。
「今までむつかしいご講義を聞いて、わからないことが多く、自分の不信仰、不勉強のためと思わされてきた。今回やさしく心にしみる聖書でした。」
このような難解な「講義」によっては、今、心の重荷に苦しむ人、また現代の若い世代の人たちの心にも届くことは難しい。それは知的な頭の中だけの理解に終わって、燃えようとする霊的な火を消してしまうものとなってしまうことすら多いであろう。
そもそも、日曜日ごとに語られる聖書からのメッセージは「講義」といった用語はふさわしくない。これは大学のような場でしか使われないからである。主イエスは「講義」というようなスタイルで語られたであろうか。否、であることはすぐに分かる。
だれでもが使っているわかりやすい言葉で、今苦しむ人たちへの喜びのおとずれとなるメッセージであり、通行人にも無学な人にも分かるような表現でしかも無限に深い意味をたたえ、それを神の力をもって語られた。み言葉を語る立場の者はだれでもこうしたことを常にあるべき姿として見つめていたいと思う。

弱さのなかに
今回の全国集会で多くの人たちに証しをしていただいた。そのうち、何人かの重い障害を持った方、聴覚や視覚の障害を持った方々にもキリストがいかに働いて下さったかという証言をしていただいた。
今回の全国集会では、全身の障害のために人工呼吸器を装着し、日々寝たきりの方、そしてもう一人は歩行器につかまるようにすればなんとか歩けるが、ふだんはベッドに寝たきりという二人の方の参加があった。
また、視覚障害者は九名(ち全盲五名、弱視四名)また、聴覚障害者は三名(ろう者一人、中途失聴二名)
そして知的障害者は五名で、合計十九名の障害者の方々が参加していた。
さらに、今回はガンの末期で、胸に水がたまって苦しい状況になっている方も遠いところから参加いただいた。
そして、そのような弱さの中にキリストの力は働いたのを私たちは実感させられたのである。「わたし(キリスト)の力は弱いところに完全にあらわれる。」 (Ⅱコリント十二・9)
今回の全国集会で聖霊を招き寄せるようなはたらきを、そうした方々がとくにして下さったのを感じる。
そのような弱い立場の方々、病気や障害の苦しみにあっても主の愛に生かされ、支えられ、導かれてきたことは、わずかな言葉を聞くだけ、いや彼らのすがたに接するだけでも、私たちはそこに神の深い愛と導きを実感させていただけるのである。そこには何等の学問やむつかしい表現も不要である。
その方々のなかでも、とくに苦しみや涙を伴う生活を送った方々も多いと思われるが、そこから深められた信仰、そこから滴り落ちるしずくを受けるだけで、接する者にはふしぎな励ましや慰めを受けることができる。それこそが、聖なる霊のはたらきであり、神の愛を実感させてくれるものなのである。

一人一人の発言の重要性
今回は二〇〇人を越えるような多くの人たちが、だれもが何かを発言し、何かを主にあって表すということを考えた。それは神は一人一人を大切にされるゆえに、その神の心を少しでも反映させたいと願ったからであった。
そのような多くの人たちが一人一分語っても、二〇〇分すなわち三時間以上もかかるのであるから、時間配分を厳密にしなければ、とうてい決められた時間には終わることができない。一人二〇秒余分に語っても、二〇〇人ともなれば、一時間以上も余分にかかってしまう。三〇秒という短時間でも、その人の心に一番あることは語れる。祈りをもって語れば、ひと言でも心に何かが残る。
全員による自己紹介はそのように時間をきちんと守ってなされ、司会者の適切なやり方によって予定の二時間という枠内に収まり、短時間ではあるがどんな人たちが参加しているのか、主はどのような人たちを集められたかをじっさいに見ることになった。

讃美のこころ
讃美のうち、コーラスについては、日曜日の礼拝に参加する人はいつも参加するとは限らないために、全員が練習する時間をとることがなかなか難しいことであったし、まったくの素人ばかりであるからコーラスの練習も難しいことであったが、よく担当者がそのために労力を費やして県外の人たちもともに祈りをこめて讃美することができた。
全国集会における、コーラスやほかの讃美の時、それは音楽会ではない。それは祈りなのである。あくまで信仰のため、聖なる霊を呼び起こし、神の国からの風を集会の場に吹きいれていただくためのものである。
それゆえに、どれだけ上手に歌えたか、でなく、どれほど祈りをもってその歌詞を心から自分の信仰の心として歌ったか、が第一に重要となってくる。
いくら上手に歌ったとしても、その歌い手の心のなかにひそかな誇りがあれば神はそうした不純なものを見抜き、そこには祝福を与えないであろう。そうした祈りなき歌は単に楽しませるためにはよくとも、聖なる霊を呼び覚ますことはできない。そして聖霊の働かないところでは、本当に魂を揺り動かすことにはならないのである。祈りあるところには神が働いて下さり、たとい歌唱力が貧弱であっても、相手の魂に届く何かを神がなされるのである。
旧約聖書の詩編とはまさに讃美集である。それは、上手に歌え、などという指示はまったくない。あるのは、主に向かって歌おう、であり、感謝と喜びをもって歌おうということなのである。主に向かって歌うとはすなわち祈りなのである。
主イエスは言われた、「神殿とは祈りの家であるべきだ」と。(マタイ福音書二一・13)
神殿とは神がそこにおられると信じられたところである。全国集会の場も神がおられるところであり、ひとつの「神殿」であった。
それゆえそこでなされることはすべて祈りを伴うのでなければならない。単に楽しませるための音楽(*)などはキリスト教の集会では無縁のことなのである。

(*)この点で、昨年の青山学院大の礼拝堂での全国集会で夜のプログラムでのオペラ歌手の歌は、祈りとは何の関係もない、まったくこの世の歌であって、本来あのような聖なる場でなされるべきものではなかった。

キリスト者がその集会でなす讃美は、コーラスであれ、手話讃美や全体讃美であれ、歌や演奏は主に向かって讃美、演奏し、それによって聞くものも皆が、神へのまなざしをもつようにという願いをもってなされるべきであり、そうして初めて御国からのいのちの水が参加者の魂に、その讃美、演奏とともに流れてくるのである。

キリストの証しをする重要性
証し、これはキリスト教伝道の出発点にあったことである。キリストの福音を伝えること、それはイエスの教えを聞いたからではなかった。イエスの教えがよい教えだから、それを伝えようなどという気持で全世界に伝わったのではないというのは意外に思われる。しかし、三年間もイエスのよい教えを聞いていた弟子たちは、いよいよイエスが捕らえられていくときみんな逃げてしまったし、筆頭弟子というべきペテロは三度も激しくイエスなど知らないと否認した。それは三年間、あらゆるイエスの教えを聞いて、奇跡をも数々見てきた人間が単なる教えを聞いたから伝えるなどということには到底ならないということを示すものとなった。
それどころかイエスの死が近づいたときに、十字架で殺される、そして三日目に復活すると予告されたとき、弟子たちはみんなそれを理解せず、ペテロはイエスを諌めようとしたほどだった。
こうした状況を見てもわかるように、単なるイエスの教えを聞いたから世界に伝道をはじめたということでは全くないのである。
そうした教えや奇跡を見たり、イエスの命がけの熱心に触れていてもなお、弟子たちは福音を伝えるという力を受けることはなかった。
彼らが根本から変えられたのは、そうした教えとか命がけの模範を見るとか、奇跡を見るといったことでなく、復活のキリストに出会い、そのキリストと同じ本質である聖霊を受けて初めて福音を伝える力が与えられたのである。彼らの宣教はきわめて単純であった。

「神はイエスを復活させられた。私たちは皆、そのことの証人だ。イエスはたしかに復活したのだ」(使徒言行録二・32)ということが、命がけの伝道の出発点なのである。このように、みずからが魂に体験した復活のキリストに出会うこと、聖霊を受けること、その証しこそが、伝道の根底となる。
すなわち、生きたキリストを知らされたという証しはきわめて重要なのである。使徒パウロも最初に語った伝道の言葉は、復活の主イエスに出会ったことなのであった。

…しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださった。
このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっている。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせている。つまり、神はイエスを復活させて私たち子孫のため約束を果たして下さった。」(使徒十三・30~33より)

このように聖書に即してみるなら、復活のキリストに出会ったことを確信をもって証しすることは、福音伝道の根底にあることだとわかる。それは議論でなく、研究でもない。他人の本の解説でもない。自らの魂の最も深いところでの現実の出来事をそのまま語ることなのである このような考えによって、今回の全国集会でもキリストに出会った、キリストによって変えられたじっさいの証しを重視したのである。

人は計画し、神がことをなす
いかに私たちが計画しても神がそれを祝福してくださらないなら何にもならない。私たちは今後とも、主の憐れみと主のわざを待ち望み、主が闇にいる人たちにその光を届けて下さるように、聖霊の風を吹かせて下さるようにと願い、祈りを続けたいと思う。

○三月二三日(日)のイースター特別集会は、いつものように、特別プログラムでなされました。クリスマスとイースターの二つはキリスト教行事としての特別集会ですが、これらの特別集会だけに参加される方々、久しぶりの方もありみ言葉につながる機会となっています。
○九月二四日(月)の午前十一時~午後四時まで、祈の友・四国グループ集会が徳島聖書キリスト集会場で行われました。
聖書講話は、二十分ずつ、松山市から参加された、冨永 尚兄と吉村 孝雄が担当し、その後、自己紹介、近況報告、そして昼食と交わり、その後、参加者全員による午後三時の祈りがなされました。参加者は31名。

○集会員の伊丹 悦子さんの「星」と題する詩(今月号22頁)を書いた絵はがきを希望の方には、一部一〇円でお送りすることができます。代金は切手などでお送りください。一〇枚単位で申込下さい。(送料当方負担)--------------------------------------------------------------------------------
2006年10月8日(日)は、吉村 孝雄は、福岡市での、第12回信愛ホーム九州地区同窓会集会にて、「主はわがいのち、そして光」と題して語りました。14時~15時30分。「参加者は40名余りで、他に付き添いの方やボランティアの方々も加わっていました。
なお、信愛ホーム」とは、視力に障害を持つ人のための施設。創立者は内村鑑三の信仰の弟子であった平方龍男(ひらかたたつお)。ハリ治療の学習と実技指導を行うとともに、キリスト教信仰にもといを置いた、精神的な成長をも重視している施設です。