ライを病む我が身かなしく事ごとに楯つきし日よ母も老いたり
むらさきの花穂したしく手を触るる 垣根の下のヤブランの花      (宿里禮子)


・このことば(短歌)を残した著者は、十一歳の時に発病し、長島愛生園(ハンセン病療養所)に入所した。母もハンセン病者。自分のつらく悲しい運命を同じ療養所にいた母にこんな病気になるくらいなら生まれて来なかった方がよかったと言って何度も母に楯ついていたことを深い悲しみをもって思い起こし、歌ったもの。そのような彼女を慰めたのは、夏に咲くヤブランであった。