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― 松田 敏子姉の証し


ハレルヤ、イエス様の御名によってお証しさせていただきます。台湾に十八年ほどいまして思いがけず日本に帰ることになりました。いまは浜松の老人ホームに入っております。そのときの健康診断で、肺ガンがあることがわかりました。それから三年ほどはあまり痛いところもなく方々旅行したり集会に参加したりしておりました。
しかし、去年から喀血しまして、胸に胸水がたまってきて呼吸が困難になって歩けなくなってきました。入退院を繰り返しておりました。
どういうことか、たくさんの方がお祈りくださいまして、沖縄から石原さんが手作りの酵素を送って下さったり、抗ガン剤を飲むようになり、胸の水がたまるのが遅くなりまして、四国の全国集会になぜかわかりませんけれど、ぜひ参加したいと思ってきました。
一週間ほどまえに胸の水をとってもらってちょうどタイミングがよくて、参加させていただきました。イエス様の憐れみと多くの方の祈りに支えられて来ることができました。
何で徳島に来たかったのかなと思ったら、30年ほど前に徳島に半年ほどいたことを思いだしました。
そして吉村先生の「いのちの水」誌のなかに、とてもいい詩がのっていました。徳島には詩を書かれる人が二人おられます。なんかその方々にも会いたいと思っていました。今度きましたらいろんな人に会えるような気がしました。新しい出会いがあるような気がしていました。
いくつになってもイエス様がいてくださったら、どんなドラマが起きてくるか分からないという気がします。生きていてよかった、命が与えられている素晴らしさをしみじみ感じています。
今まで呼吸ができることがありがたいとか歩けることがありがたいとか思ったことが全然ありませんでした。しかし、どんどん失われていって、話すことができる、歩くことができる、呼吸ができる、お箸で食べることができること、今まで思ったことのないことに感謝できるようになって、ガンになって晩年がとても豊かにさせていただいています。
ここに参加できたのはイエス様の憐れみと、多くの人のお祈りに支えられて参加することができたと心から感謝しています。何といっていいかわかりませんけれど、生きていることが素晴らしいということを、病気になって、晩年になり九十歳に近くになっても、いくつになっても、イエス様がいてくださったらどんなことがおきるか分からない、生きていることは素晴らしいとしみじみと今感謝しますす。 イエス様の御名によって終わります。
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これは、去年二〇〇八年五月十日~十一日に、徳島で開催された、無教会 全国集会での第一日の夜の時間に話された内容をほぼそのままを記録したものです。松田さんは直前までかなり重い病状であったため参加可能かどうか危ぶまれる状態でしたが、武井陽一兄たちの支えによって参加できたのです。そのような状況でしたから証しを事前にお願いする状況になかったのですが、この日の証しの予定の方々が予定より早く終わり、十分ほどの時間があったので、予告なしに松田さんにマイクをまわして話してもらったのがこの内容です。

○松田 敏子姉のことについては、浜松の武井兄が詳細な年譜を送って下さいましたのでそれを短くして次に引用しておきます。
・一九二一年広島生まれ。中国の満州に家族で移住。 敗戦後帰国し、京都の仏教の学校に入って僧籍を獲得。三五歳で和歌山刑務所に刑務官として囚人の矯正にかかわる仕事に二五年間従事した。一九七〇年キリスト者となる。一九八四年 日本聖書学院卒業。一九八七年台湾に渡り、十六年余り台湾で伝道。その間、高橋三郎、榎本保郎、高俊明の諸氏と出会って、無教会に連なるようになった。一九九四年頃、同信会、高橋集会、アシュラムなどの支えで再度台湾に行く。二〇〇四年帰国。翌年浜松のもくせいの里に入居。二〇〇九年六月二五日召される。