リストボタン186)…フランシスコは常に進歩しなければ、退歩するだろうと恐れ、すべての時間を心を高め、英知を得るために与えられた聖なる時として用いた。

(「アシジの聖フランシスコの第二伝記」第6194 チェラノのトマス著 )


 ○私たちは前に進むのでなければ、後退する。日々の生活のあらゆる時がそのまま前進の時となるようでありたい。


リストボタン190)アシジのフランチェスコの平和の祈り

主よ、私をあなたの平和の道具とし、

憎しみのあるところに愛を

傷つけあうところに、赦しを、

誤っているところに、真理を

疑いのあるところに、信仰を、

絶望のあるところに、希望を、

暗闇に、光を

悲しみのあるところに、喜びを蒔くものとして下さい。

聖なる主よ、慰められるよりは、慰めることを、

理解されるよりは、理解することを、

愛されるよりは、愛することを、

私が求める者となりますように。

なぜなら、私たちが、受けるのは与えることによってなのです。

私たちが(神から)赦されるのは、(人を)赦すことによってなのです。

そして私たちが永遠の命に新しく生れるのは、死によってなのです。


(これは、フランチェスコの名と結びつけられて伝えられた祈りであり、彼の精神をよく反映しているとされる。この祈りは、直接のフランチェスコの書いたもののなかには見られないということであるが、第一次世界大戦中の一九一五年にこの祈りが見出され、以後、「フランシスコの平和の祈り」として広く引用されるようになった。原文を次に掲げておく。)

Lord make me an instrument of your peace

Where there is hatred,

Let me sow love;

Where there is injury, pardon;

Where there is error, truth;

Where there is doubt, faith;

Where there is despair, hope;

Where there is darkness, light;

And where there is sadness, Joy.

O Divine Master grant that I may not so much seek to be consoled

As to console;

To be understood,as to understand;

To be loved, as to love.

For it is in giving that we receive,

It is in pardoning that we are pardoned,

And it is in dying that we are born to eternal life.


リストボタン303)キリストの寛大さは何と驚嘆すべきことか。

すこししか良いことを行わなかった者にも多く与えるばかりでなく、また彼を、"あふれる大水のように" その豊さにおいて守り、前進させるのである。(「アシジのフランシスコの第二伝記」41頁あかし書房刊)


 ・これと似たことはキリスト者となった人たちの誰もが実感するところであろう。良いことどころか罪深いものなのに、それを赦し、また心の平和というほかに代えがたいよきものを与えられてきたという実感である。 少ししか良いことを行わなかった者、そればかりか、まったく良いことを行わなかった放蕩息子にすら、ただ悔い改めたというだけで、最大のよきものを与えられるというたとえが主イエスによって語られた。


リストボタン304)…キロンは呻きをあげてパウロの前にひざまづき、手で顔をおおって動かずにいた。

パウロは星の方に顔をあげて祈りはじめた。


リストボタン 269)兄弟たちは、他の兄弟たちに対して悪を行ったり、言ったりしてはならない。かえって霊的な愛をもって、互いに仕え、従うべきである。…

だれも、院長と呼ばれてはならない。すべての兄弟が一様に、「小さき兄弟」 と呼ばれるべきである。また兄弟の足を互いに洗い合わねばならない。…

常によいわざをせよ。そうすれば悪魔はあなたにつけ込むことができないであろう。また、「怠惰は、魂の敵である。」と書き記されているとおりである。それゆえ、神のしもべたちは常に祈り、あるいは善きわざに専念しなければならない。(「アシジの聖フランシスコ(*)の小品集」7678頁より。中央出版社一九七四年発行 )

*)フランシスコは、一一八二年、イタリアのアシジという町で生れた。若いときには恵まれた家庭で金持ちの息子として自由奔放に生きた。しかし、二十歳の頃にアシジの町がかかわる激しい戦闘に参加し、死ぬかと思われるような危険に遭遇、その後牢獄に入れられる。

この後重い病気となり、苦しんだ。こうした経験を経て神からの呼びかけを聞き取り、全くことなる道へと踏み出した。その後もさまざまの困難を経て、貧しさの中で、ただ神にのみ従う生き方を徹底して生きた。アメリカ西部の大都市、サン・フランシスコとは、聖フランシスコという意味で、このアシジのフランシスコにちなんで付けられた都市名である。

・何かよきわざをなす必要があるのは、他人のためだけではない。自分自身の心がサタンに付け入られることがないためでもある。そしてそのためには、絶えず善きことの源である神に心を結びつけていなければできない。マザー・テレサの言葉で言えば、Something beautiful for God をいつもなすためには、神と結びついていることが不可欠になる。