リストボタン (355)あなたは、暗い部屋を明るくするために、暗さをポンプで追い出すようなことをしますか。
部屋を明るくする方法はただひとつ、それは電灯をともせばよいのです。(スパージョン)

まさにこのために、キリストは来て下さった。闇の中の光として。
私たちもただ自分や他人、あるいはこの世の闇や混乱を見つめ、それを言葉や強制で追い出そうとするなら、ますます闇は深まる。
ただ心の窓を開いて神の光を受けいれるだけで明るくされる。私に従うものは命の光を持つ、と主イエスは約束してくださった。私たちもただ信じてキリストを仰ぐだけで、光を受ける。そして、この闇の世界に、ともしびをともすことができる。
主イエスが、「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。」と言われた。
それは、私たちの心の窓というべき魂の目が澄んで、まっすぐに神に向けられているなら、神の光を豊かに受けることができ、私たちの存在が明るくなる、ともしびとなることを意味している。


リストボタン(109)霊は言葉がなくとも祈ることができます。主を見上げるまなざしは、言葉がなくとも祈りを運んでいきます。言葉で言い表されない、人知れぬ思いは、主を仰ぐまなざしを伴っているときには祈りと、他者のための祈りを含むことができるのです。(ブルームハルト著「悩める魂への慰め」より)


○ブルームハルトは、一八〇五年生まれ。ドイツの宗教家、牧師。病気をいやす賜物を与えられていた。

私たちは具体的に名をあげて祈ることができるのはある程度限られた人です。もし、一人一人名をあげていくと限りなく時間を要することになります。しかし、ここでブルームハルトが述べているように、神への真実な心をこめた眼差しと祈りの心があればそうした多くの人たちのための祈りを同時に含むことができるというのです。そのような祈りは霊的なものとなり、神がその祈りを霊でもって広げていくからだと思われます。


リストボタン(104)クリストフ・ブルームハルトの祈り

愛しまつる在天の父よ、

この世においては不安がありますが、あなたのうちにわれらは平安を得ています。

み霊によってあなたの天の国のよろこびを与えてください。

あなたに仕えることによって自分の人生に対する力を与えてください。

苦痛を忍び、悲しみ、不安、かん難の道をなおあゆむすべての者たちをおぼえ、賜物を与え、助けを与えてみ名を讃えさせてください。

あなたの大いなるあわれみと誠実さによって期待し、のぞむことを許されているものによって、われらをすべて結び合わせてください。
                                    アーメン

(クリストフ・ブルームハルトの祈祷集、九月三〇日の祈りから)


○私たちは祈りは自分の心のままに祈ったらよいという考えがあります。しかし、どんなことにも正しく導かれる必要があるはずです。すでに聖書においても、キリストに従うためにいっさいを捨てたほどの弟子たちすら正しい祈り、神に聞き入れられる祈りや願いはどんなことなのかと尋ねたことが記されています。有名な主の祈りはその答えであったのです。主の祈りは私たちの毎日の祈りとなるべきものですが、それを土台としつつ、さらにより具体的に祈るために、祈りを集めた書(祈祷集)がよき導きとなってくれます。

 この祈祷集はそうしたもののうちで優れたものの一つとして用いられてきました。

 なお、ブルームハルトは、一八四二年生まれ、ドイツの牧師。神学者カール・バルトやブルンナーなどにも強い影響を与えた人。また父親のブルームハルトも特別ないやしの賜物をも与えられていた優れた牧師として知られていますし、同時代のキリスト教思想家ヒルティもとくに高く評価していた人です。


リストボタン(326) 主は、神の御前では、無に等しいものであり、何も持っていないという貧しさの思い―それは信仰によって生じる思いです―だけを求めておられます。 …幼な子のようでなければなりません。
恵みに導くあのもの、つまり、自分が貧しく、無であるとの思いが、自ずから適切な行動へと導くのです。
(「悩める魂への慰め」ブルームハルト著 七十頁 新教出版社)

・主イエスは、「ああ、さいわいだ心の貧しき人たちは! なぜなら神の国はそのような人たちのものであるからだ。」と言われた。心貧しき人とは、ここで言われている 自分が無に等しいものであることを自覚している人である。また、幼な子らしい心というのも同様で、そうした心をもって神を仰ぐ姿勢を持っているときに、神は私たちを最善に導いて下さる。


リストボタン(280)死者への祈り
 先祖のための祈りはおやめなさい。というのはそれが正しいと言っている聖書の箇所は一つもないからです。まず、自分の罪のことを考えなさい。罪は息絶えることを望んではいないのです。
ですから、生きている人のために祈らねばなりません。
死者は、主の御手のうちにあります。主の御名は、憐れみ深く、恵み深く、忍耐深く、大いなる恵みと真実に満ちている(出エジプト記三四・6)ということで満足するのです。(「悩める魂の慰め」ブルームハルト(*)著六四頁 一九七五年 新教出版社刊)


人が死ぬ直前にどのような思いを抱いて死んだのか、それはだれにも分からない。そしてその人が生きている間にどのようなことを思い、苦しみ悩み、また見つめ、そして行ったか、そのこともだれも分からない。人間の本当の思いは、結局のところどんなに身近な者であっても分からないのである。しかし、神はそうしたすべてを見抜いた上で、その人を死後の世界へと導かれる。
善いことをしたように見えても心のなかではどんな思いがあったのか、また逆に悪いことをしてきた人も死に近づいてどのような心になっていったか、それも神のみがご存じであるから、私たちはどんな人に対しても、死後はどうなると裁いたりすることはできない。ただ、万能の神、愛の神が最善にして下さることは確実なのであるからその神に信頼をすることだけが求められている。
悪の力、罪の力はつねに私たちを誘惑しようとする。それゆえブルームハルトは、そのような罪の力に負けないように祈ることをすすめている。私たちの勝利とは罪の力に勝利することだからである。
それゆえ祈りは、死者でなく、今生きている人のためになされるのが主の祈りの意味するところでもある。「御国が来ますように。御心が天に行われるとおり、地にも行われますように。」というのもそのことである。


(*)ブルームハルトは、一八〇五年ドイツ生まれ。牧師。スイスのバーゼルでも教えた。ヒルティ(一八三三年生まれ)もスイス人でほぼ同時代の人。ブルームハルトはその子とともに大きな影響をキリスト教世界に与えた。神学者バルトもその影響を受けた一人として知られている。ブルームハルトは、深い祈りの人であったとともに、病をいやす特別な賜物を与えられていた。
ヒルティは「…今日では、おそらくこの時代の最もよい神のしもべと思われるブルームハルト…」としているし(眠られぬ夜のために上 七月三〇日)、ヒルティが最もよく理解した人の一人として、キリスト、ヨハネ、ダンテ、トマス・ア・ケンピス、タウラーなどとともにあげている。(同三月二六日の項)


リストボタン(288)自分が無であるという自覚によって、あなたは出かけていく所で光となるのです。
一方自分がひとかどの者だと思っている人は、全くの闇を持ち出すのです。
(「悩める魂へのなぐさめ」72頁 ブルームハルト著 新教出版社 1973年刊 )

Vermittelst Ihres Gefuhls des eigenes Nichtsseins sind Sie ein Licht,wo Sie hinkommen,wahrend Leute,die etwas von sich fuhren,lauter Finsternis vor sich hertragen.(Seelssorge 44p Siebenstern-Taschenbuch 1968)


(*)ブルームハルト(1805年-1880年)ドイツのキリスト教指導者。ヒルティとほぼ同時代の人。その子のクリストフ・フリードリヒ・ブルームハルトとともに、ヨーロッパのキリスト教に大きな影響を与え、バルトやブルンナーなどの神学者などもその影響を受けた人たちであった。

・自分が無であると実感するということは、自分の罪深さと弱さを思い知り、同時に神の無限の大きさ、その愛と万能、導き、創造と支配等々を深く実感していなければ、あり得ないことである。主イエスも、「ああ、幸いだ、心の貧しい者たち! 天の国は彼らのものだからである」と言われた。心貧しいとはここで言われている、自分を無であると実感する心にほかならない。