リストボタン(259)戦いに勝ち、敵を倒すということより、大きな満足がこの世にあるとでも言うのか、もしくはこれに比べられる喜びがあるとでも言うのか。何一つないということは、いささかの疑いもない。)→「ドン・キホーテ」セルバンテス著 筑摩書房版 三一三頁 世界文学体系10


・この戦いというのは、聖書にあるような霊的な戦いを指し示している。セルバンテスの「ドン・キホーテ」は、単なるユーモラスな物語りなどではなく、その全体が比喩的、象徴的な内容といえる。
ロシアの大作家ドストエフスキーはその著作「作家の日記」の中で『ドン・キホーテ』を次のように評している。
「…ここには、人間の魂の最も深い、最も神秘な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、見事にえぐり出されている。 これは、偉大な書であって、今どき書かれているようなものではない。このような書物は、数百年にようやく一冊ずつ人類に贈られるのである。」
(ドストエフスキー全集第15巻「作家の日記」下巻 二八二頁 河出書房新社刊)


ドン・キホーテのまたの名は、「憂い顔の騎士」(「ドン・キホーテ」 第一九章)ということも、キリストが「悲しみの人」であったことを思い起こさせる。
「私たちの戦いは、血肉を相手にするものでなく、悪の諸霊を相手にするものである」
(エペソ信徒への手紙六・12)
主イエスはその伝道の生涯のはじめから、激しい霊的な戦いの連続であった。
私たちも、聖書にいう霊的な戦い、目には見えない悪との戦いに、主によって日々勝利していくことが、最もさわやかな喜びであり、満足をもたらすことを知らされている。 罪が赦されたという平安や喜びは、罪という霊的な悪に対して、信仰によって勝利を与えられたゆえである。