リストボタン(353)私は自分 の限界を自覚している。この自覚こそ、私の唯一の力なのである。
私の人生で、いかなることがなし得たにせよ、それは何にもまして、自分の限界を知っていたということから生まれたのである。(ガンジー )

I am conscious of my own limitations.That consciousness is my only strength.
Whatever I might have been able to do in my life has psroceeded more than anything else out of the realization of my own limitations.(「Gandhi- ALL MEN ARE BROTHERS」35P)

・ガンジーは、インドという広大な面積と人口を持つ国をイギリスの支配から独立させるのに最も大きな力を及ぼした。しかも、いかなる武力や権力を用いず、非暴力、断食、祈りといった信仰にかかわる手段によってこのような社会的、政治的な広範な規模の日々を動かして独立へと導いたということは、前例のないようなことであった。
その彼の驚くべき力の根源は、自分の力の限界を深く知っていることにあった。これは、一般的に、自信をもてといわれ、強い自信と実行力を持つ人が大きなはたらきをするように思われていることとは全く異なる。
自分の限界を知ればこそ、自分という人間を超えた存在の力を真剣に求めるようになる。これはそのまま、キリスト教における「弱きところに神の力は現れる」、「神の国は、心の貧しい者のものである」といった真理と通じるものがある。
キリスト教における最大の使徒パウロは、「自分は罪人のかしら」であるいう実感を持っていたし、自分はよいことを意図してもどうしてもそれができない死のからだをもった存在であること―自分の決定的な限界をいつも自覚していた。そこにあの大いなるはたらきの根源があった。

リストボタン(198)私が固く信じていることは、神はあらゆる人々に日々ご自身を啓示しておられるということである。
しかし、私たちはその「静かな細い声」(*)に自分たちの耳を閉じており、目の前にある「火の柱」(**)にその目を閉じているのである。(ガンジー著 「若きインド」一九二五年五月二五日(***))

My firm belief is that He reveals Himself daily to every human being but we shut our ears to the 'still small voice.' We shut our eyes to the Pillar of Fire in front of us.(Young India )

(*)今月号の「はこ舟」でも触れた、列王記上一九・12に見られる言葉。
(**)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記一三・21)
(**)インドの政治家・思想家。(一八六九〜一九四八) イギリスに学び、弁護士を開業。初め南アフリカでインド人に対する人種差別政策の撤廃運動に従事。一九一五年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。アメリカのキング牧師は、ガンジーの非暴力の精神に深く影響されて、黒人差別撤廃運動にその精神を取り入れた。

○今月号で述べたように神の愛は太陽の光あるいは、雨のように万人に注がれているゆえに、万人に語りかけておられると言える。そうした神ご自身に私たちがいつも接しているために、私たちは「目覚めていなさい」、と主イエスからも繰り返し教えられている。(マタイ福音書二四・42、二五・13)

(106)祈りとは、単に何かを頼むことではない。

それは、魂の切なる願いである。

それは日々、自分の弱さを認めることである。・・

 集会における祈りは力あるものとある。私たちがしばしば一人でなしえないことを、私たちは共にすることによってなすことができるからである。(ガンジー・「Young India」誌 1926.9.23)

○「心の貧しい者は幸いである。天の国は彼らのものであり、心に飢え渇きを感じる者は満たされる。」と言われた主イエスの言葉が思い出される。祈りとはこうした心の弱さと渇きを日々感じる者の呼吸に似ている。私たちは自分の弱さを強く感じるほど、日々祈らずにはいられない。
リストボタン(276)いわゆる悲惨なことというのは、決して悲惨でないし、いわゆる富もまた本当の富ではない。
神を忘れることこそ、本当の悲惨であり、神を覚えていることこそ、真の富なのである。
(「目には見えない力」ガンジー著)

Misery so-called is no misery, nor riches so called riches.
Forgetting (or denying )God is true misery,remembering(or faith in)God is true riches.
(「The Unseen Power」M.K.Gandhi 31p INDIAN PRINTING WORKS )
この確信に満ちたガンジーの短い言葉は、現代の私たちにおいてもそのままあてはまる。
神を魂のうちに絶えず覚えていること、そこから永遠の富 が与えられること、それは聖書で一貫して述べられている。
私たちは、表面的な悲惨のかげで本当の悲惨なことをあまりにも知らないし、知ろうとしない。

(198)私が固く信じていることは、神はあらゆる人々に日々ご自身を啓示しておられるということである。
しかし、私たちはその「静かな細い声」(*)に自分たちの耳を閉じており、目の前にある「火の柱」(**)にその目を閉じているのである。(ガンジー著 「若きインド」一九二五年五月二五日(***))

My firm belief is that He reveals Himself daily to every human being but we shut our ears to the 'still small voice.' We shut our eyes to the Pillar of Fire in front of us.(Young India )

(*)今月号の「はこ舟」でも触れた、列王記上一九・12に見られる言葉。
(**)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記一三・21)
(**)インドの政治家・思想家。(一八六九〜一九四八) イギリスに学び、弁護士を開業。初め南アフリカでインド人に対する人種差別政策の撤廃運動に従事。一九一五年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。アメリカのキング牧師は、ガンジーの非暴力の精神に深く影響されて、黒人差別撤廃運動にその精神を取り入れた。