リストボタン(393)1を無限の上に足しても、少しも無限を増加させない。1センチを無限の長さに足しても同様である。有限は無限の前では消え失せ、厳密に無となる。

 われわれの精神も神の前では消え失せ、われわれの正義も神の正義の前では同様である。

(「パンセ」二三二 中央公論社「世界の名著 パスカル」(*)162頁」)

*)パスカル (16231662)フランスの数学・物理学者、キリスト教思想家、著作家。物理のパスカルの原理で知られるが、16歳ですでに当時の幾何学の先端を行く学者となっており、微積分学の先駆となる。さらに計算機の発明他でも知られている。パンセ penséeとは、フランス語で、考え、思想を意味する語。

・神は無限の愛であり、正義であり、清い。それゆえに、そのような神を前にするとき、人間の正しさとか心の清さ、愛などというものは厳密に無となる。

 聖書において、主イエスが 「ああ、幸いだ。心貧しき者は!」と言われたとき、その心の貧しき状態とは、自分が神の前に無であることを知っている心を意味している。

 あるいはやはり主イエスが、「幼な子のような心」の重要性を強調されたが、それもみずからを神の前に無と実感している心であり、その心をもって主を仰ぐことである。

…幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(ルカ18の16〜17)

 そしてそのような人間の精神、思考などは神の前では純粋な無となることを知るとき、たとえいかに私たちが考えても分からないことであっても、その無限の英知をもつ神にゆだねる信仰が生まれる。


リストボタン(161)向こうのくぐり門が見えますか。あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。(「天路歴程」新教出版社版 42頁 バニヤン著)


○聖書以外では最もよく読まれた本の一つとされるのがこの書物で、それは数々の苦しみを経て、目的地なる神の国に導かれていく歩みを記したもの。その出発点に書かれているのがこの言葉である。信仰を持つとは、ここで言われているように、彼方へ続く道とその方向に輝く一点の光を見つめて生きていこうとすることである。


リストボタン(178)十字架
それから彼はしばらくの間じっと立って十字架を見つめ、そして驚いた。十字架を見たために、このように重荷から楽になろうとは実に驚くべきことであったからである。それで彼は何度も見ているうちに、ついに頭の中の泉から涙が湧き出て頬を伝わった。
彼が涙を流しながら十字架を見つめていると、見よ、三人の輝ける者が彼のところにやってきて、「平安あれ」と挨拶した。第一の者は彼に言った。「あなたの罪は赦された」。第二の者は彼のぼろの服を脱がせて着替えの衣を着せた。(「天路歴程」86頁 新教出版社刊 参考のために、英語の原文を添えておきます)

He stood still awhile to Iook and wonder,for it was very surprising to him that the sight of the cross should thus ease him of his burden. He looked therefore, and looked again, even till the springs that were in his head sent the waters down his cheeks.
Now as he stood looking and weeping, behold three Shining Ones came to him and saluted him, with "Peace be to thee." So the first said to him,"Thy sins be forgiven." (Mark 2:5) The second stripped him of his rags. and clothed him with change of raiment.


○人間にとって最も重荷となるのは何か、それは本人が気付いているかどうかに関わらず、赦されない罪こそその重荷のもとになっている。人間はふつうの動物とちがって何が正しいか、真実かを直感的に感じ取る能力を与えられている。それゆえ、自分や他人が正しくないと感じること、すなわち罪の意識ははっきりと分からなくとも奥深くに眠っているように存在し続けている。その罪の意識は隠れたまま、人間を苦しめ、重荷と感じさせ、心に晴々とした軽い心を与えないようになっていく。それが人間の根本問題だと感じるときに、それを逃れさせてくれるものこそ、最大のもので、それこそ罪の赦しなのであった。この天路歴程においても、その罪の赦しこそが中心に置かれているのがわかる。ただ、十字架を仰ぐだけで、赦しを受けて心は軽くなるという実に不思議な体験をこの著者も与えられて、それこそが人生の転機となった。