2012年4月
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(355)あなたは、暗い部屋を明るくするために、暗さをポンプで追い出すようなことをしますか。
部屋を明るくする方法はただひとつ、それは電灯をともせばよいのです。(スパージョン)

まさにこのために、キリストは来て下さった。闇の中の光として。
私たちもただ自分や他人、あるいはこの世の闇や混乱を見つめ、それを言葉や強制で追い出そうとするなら、ますます闇は深まる。
ただ心の窓を開いて神の光を受けいれるだけで明るくされる。私に従うものは命の光を持つ、と主イエスは約束してくださった。私たちもただ信じてキリストを仰ぐだけで、光を受ける。そして、この闇の世界に、ともしびをともすことができる。
主イエスが、「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。」と言われた。
それは、私たちの心の窓というべき魂の目が澄んで、まっすぐに神に向けられているなら、神の光を豊かに受けることができ、私たちの存在が明るくなる、ともしびとなることを意味している。
(356)神は私たちが神の御前では、無にひとしい者であり、何も持っていないという貧しさの思いだけを求めておられる。
そして、それは信仰によって生まれる。(「悩める魂への慰め」ブルームハルト著 69p 新教出版社)

このような思いを強めるためには、イエスの山上の教えは役だつと、著者はこの後で書いている。
主イエスは、貧しき者は幸いだ、悲しむ者は幸いだ、正しさに飢え渇いているものは幸いだと言われた。また圧迫された者(柔和な者と訳されたもとの詩篇の原意)の幸いも添えられた。
これらはみな、無い者へのメッセージである。私たちはいつもたくさん物質的なものや人間的なものを求めている。そしてそれが満たされなくて苦しんでいる。
しかし、神はその豊かな神の国の賜物を、その貧しさのただなかから求めることを望んでおられる。自らに関する貧しさの意識が深いほど、神はゆたかに神の国の賜物を注いで下さる。