2002年2月

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ことば

122)真に善いことや偉大なことで、最初は小さなところから出発しないものはまれである。そればかりか、たいていは、その前に蔑み(さげすみ)と屈辱とが加えられる。
 そこで、春先の嵐から春の近づくのを予感できるように、屈辱からその後に来る良き結果を確実に推測しうる場合が多い。もしあなたが屈辱のなかに、あとでそれだけ多くの恵みを授けようと願っていられる神の御手をみとめて、その屈辱をよろこんで受けいれることができるならば、あなたはすでに大きな進歩をとげたのである。(「眠れぬ夜のために 第一部 九月十五日の項より」)

この最大の例は、いうまでもなくキリストであった。キリストは、生まれたときも、家畜小屋で生まれるという最もみすぼらしい所であったし、死ぬときも、最も重い犯罪人と同じ辱めと筆舌に尽くしがたい苦しみを受けられた。キリストの生涯は、そのような蔑み(さげすみ)と屈辱の淵から出発したのであった。
 そしてキリスト教自体も、はじめは、キリストを裏切った弱い人たち、しかも漁師とか取税人といった社会的には当時は下層とされていた人々の小さい集まりから出発した。さらに、ローマに広がっていったときも、そこで重罪人として捕らわれ、磔(はりつけ)にされたり、飢えたライオンに食べられるとか、さらしものにされて最大の辱めを受けたのであった。そのような屈辱とさげすみのただ中からキリスト教徒の集まりは出発したのである。
 また、日本において最も影響力を持ち続けてきたキリスト者は、内村鑑三であるが、彼もまた若いとき、最初の結婚にて大いなる苦しみを味わい、二番目の妻はわずか二年足らずで病死してしまった。そして一高にて教職にあったとき、教育勅語への敬礼が足りなかったということで、各地の新聞にも掲載され、自宅も石を投げられるなど侮辱も受けた。それは日本中の問題となったほどで、一高をも免職となった。その他いろいろの苦難、悲しみに直面していったが、それが後のキリスト者、伝道者としての生き方に大きな力を与えることになった。
 私たちも何か真によきことを少しでも手がけるときには、そうした辱めやさげすみを受けることすらも覚悟しておくべきなのだと知らされる。

(123
)感謝の回想
 私はかつてエレミヤとともに嘆いて言ったことがある。「ああ、私はなんと不幸なことか、誰もかれもがみな私と争い、われを攻めて、皆が私をねらっているのだ」と。
 しかし、今になって私は感謝していう、「ああ、私はなんと幸いなことか、人がみな私と争い、私を攻め、私をのろったので、私は神に結ばれてその救いを受けることができたのだと。
 人に捨てられることは、神に拾われるであったのだ。人に憎まれるとは、神に愛せられることなのである。人に関わりを絶たれるは、神に結ばれることなのだ。
 今に至って思う、わが生涯にあったことのうちで、最も幸いであったことは、世に侮られ、嫌われ、辱められ、斥けられたことであったことを。エレミヤ記十五章十節。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇八年)

この内村鑑三の言葉は、右のヒルティの言葉と通じるものがある。そしてこの言葉は、主イエスが言われた言葉にその源を感じさせる。信仰を持っていても、世の人や職場の人たち、さらには家族にすら退けられ、憎まれることすらある。しかし、そのようなこともすでにキリストは預言的に言われている。

私は、(人間的な、妥協的な)平和でなく、剣を投げ込むために来た。
人はその父に、
娘はその母に、
嫁はそのしゅうとめに、敵対することになろう。
こうして、自分の家族の者が敵となる。(マタイ福音書十・3436より)
 
 しかし、このような事態になったときの悲しみはいかばかりであろうか。その深い悲しみに対しても主イエスは、必ず慰めと励ましがあることを約束しておられる。

ああ、幸いだ、悲しむ者。なぜなら、その人は(神によって)慰められるからである。(マタイ福音書五・4


2002年1月

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ことば

118)聖書と活けるキリスト

 聖書は大である。しかし活けるキリストは聖書よりも大である。我らがもし聖書を学んでキリストに接することがなかったら、われらの目的を達したと言うことはできない。聖書は過去における活けるキリストの行動の記録である。
 われらは今日キリストの霊をうけて、新たに聖書を作るべきなのである。古き聖書を読んで新しき聖書を作らない者は聖書を正当に解釈した者ではない。聖書はなお未完の書である。それゆえわれらは、聖書にその最後の章の材料を提供すべきなのである。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇四年十二月号)

新しい聖書をつくるべし、といわれてキリスト者の中には驚く人が多いと思われる。聖書は完結したものであってそれは神の霊が書かせたものだ、それに付け加えるなどととんでもない、と思う人がほとんどのはずである。内村は人間がさらに書き加えたものを聖書として出版せよなどとはもちろん言っていない。
 ここで内村が言っているのは、キリストは今も活きて働いておられる。過去に聖書を書いた人たちは活きたキリストに働きかけられて、み言葉を与えられ、それを書いたのが聖書となったのである。それなら、今も活きたキリストが働いて、キリスト者に語りかけているのであるから、キリスト者はその神からの語りかけを受けて何らかの各自ができる方法によって、世に提供するべきだし、そうできると言っているのである。今も活きておられるキリストの言葉を受けて、この世のなかに聖書のいわば終わりの章を、祈りや言葉、文章や行動という形で書き加えていくべきなのである。それほど神は昔も今も永遠の命を人々に注ぎ続けておられる。

119)不幸の極

 病気になってもよい、私はただ神の聖意を知りたい。貧しくともよい。私はただ神の聖意を知りたい。人に憎まれてもよい。私はただ神の聖意を知りたい。
 私の不幸の極(きわみ)は神の聖意を知ることができないことにある。私は病気を怖れず、貧困を怖れず、孤独を怖れず、私はただ神に棄てられてその聖意が私に伝えられないことを怖れる。
 神よ、私にいかなる苦しみを下されようとも、あなたと私との間に霊の交わりを断つことがないように、と祈り願う。(同右 一九〇二年六月)

この世には、人間の意志と神の意志がある。人間の意志、それは至る所にみられる。まず自分の利益、自分の楽しみ、自分が評価されること、自分を守ることを第一にしようとする心、それは人間の意志である。しかし、神の意志とは、最善のこと、最も愛に満ちたお方の心である。
 宇宙を創造されたお方、万能の神が最も求めておられることは何だろうかと尋ねる心、それは神のご意志を第一にしようとする考えである。神のご意志がわかるということは、神にまっすぐに向かっているということであり、そこから正しい判断力とか、苦しみに耐える力、汚れたことに染まらない勇気、弱い立場の者への共感などが自然に与えられる。それゆえ、内村はまず神のご意志を知ることを第一の願いとしているのである。

120)菜食主義的な生活法は原則的にいえば、たしかに最良のものである。けれども、なによりも先ず、文明化した人類をもう一度そういう暮し方にもどし、また一般に、生活法をもっとずっと簡素なものに慣れさせねばならないだろう。いわゆる文明こそが、この単純な生活から人類をひき離してしまい、そのことが結局、人類の損害となったからである。(「眠れぬ夜のために・第二部 一月十一日」ヒルティ著)
 
今回の、狂牛病問題は政府のやり方のずさんさがまたしても露呈したが、このような機会にこそ、食物の問題を考え直すことは重要である。牛肉を生み出すには、アジア、アフリカの貧しい国々から大量の食物を輸入し、それを牛などの家畜に与えて肉を作るとい方法を取っている。そのためにそうした国々の飢餓状態がなくならないということにもつながっている。菜食を主とする食事というと、従来は単に個人の健康維持法といった狭い範囲のことと考えられていたが、今日では世界の貧困や飢えている人々とのつながりにおいても考えねばならない状況となっている。
 タンパク質を摂るのに、肉でなく、大豆などの植物で摂るということ、豆腐、納豆、みそを多用することなどが今後ますます重要になってくるだろう。
 ヒルティはすでに百年も前に、このように文明化した人類をもう一度、簡素な生活に戻って行かねばならないことを説いている。最近では、自転車道路を造り、自転車をもっと多く使うことなどが提唱されているが、冷暖房を使う時間をなるべく少なくし、寒いときは暖房を強めるのでなく、服を多く着る、暑いときはなるべく扇風機で我慢できるようにする…など具体的に一人一人が真剣に考えていかねばならなくなっている。

(121
)愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも戦いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、ついにはべシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。
 しかしながら、愛の実行はつねに、初めそれを決心するのはむずかしく、やがて神のみ手に導かれてそれを行いうるまで長い間たえず習得すべきものであって、愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがものとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。なぜなら、愛は永遠の実在と生命の一部分であって、これは、すべての地上のものとちがって、老朽することがないからである。(「眠れぬ夜のために」 第二巻 一月九日の項)

ここでの愛はもちろん人間の愛でなく、神の愛、神から受けた愛のことである。それはこの「愛は決して自然に生まれつき備わっているのでない」と言っていることからもわかる。神の愛を受けてそれをもってすれば、あらゆるものにうち勝つ。ヒルティのこの確信は彼の生涯の結論でもあった。それゆえ彼は、その墓碑銘にこの言葉(ラテン語)を選んだのであった。次にその原文をあげておく。
AMOR OMNIA VINCIT」 アモール(愛) オムニア(すべて) ウィンキット(勝つ)