20056

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ことば

210)愛によってのみ「見える」ものが世の中にある。だから私たちは聖書のなかに出てくる盲人と同じく、「主よ、見えるようにして下さい。」と祈らなければならないのだ。日常生活の随所にいらっしゃる主のお姿に気づくように。(「愛をつかむ」渡辺和子著)

この世では逆に「愛は盲目」であるという。それはこの世の人間的な愛、自分中心の愛はまさにそうである。ふつうの男女の愛というのはたしかにほかのことが分からなくなるようになってしまうことが多いし、親子の愛なども同様にほかの子供は見向きもしないで、ただ自分の子供だけが成績がよかったらいいなどと願う、狭いものである。
しかし、神からの愛を受けるとき、それはすべてを見通す神に由来する愛であるから、そのような愛を受けるほど、燃えるような心であると共に理性的となり、また相手の心を理解し、あるいは見抜き、本当に大切なことが見えてくる。また周囲から無視されているような人や敵対するような人間の中にすら、そこに大切なものが神のお心を通して見えてくる。
たしかに学問などを通しても、また経験を通しても見えてくるものがあるであろうし、それは数々の自然現象を科学的に説明できるようになったことでも分かる。
しかし、病気や障害のために弱い人、老齢のため死が間近にせまっている人や、苦しみや悲しみにうちひしがれている人、あるいは敵対する人、さらには自分自身にふりかかってくるさまざまの苦難のなかに大切なものが見えてくるというようなことは、学問をいくらしても、経験がいくら豊かであってもそれだけでは決してできないことである。
それはただ神の愛によってのみ可能となってくる。

211)モーツァルトへの感謝の心は、次のことにつきる。彼の音楽を聴くとき私はいつも、夜であっても昼であっても日の光を受けているときも、嵐のときも、いつでも、善にして秩序ある世界の入り口に立たしめられる。そして聴くたびに、勇気を与えられ、純粋さと平和を贈られるのを実感する。(「モーツァルト」カール・バルト(*)著16頁 新教出版社 )

*)バルトは、宗教改革を導いたルター,カルヴァン以来最大のプロテスタント神学者といわれ,その影響力は世界の教会に及んでいる。

音楽のよさは、バルトが述べているように、この世のよごれたところから別の世界へと導いてくれるところにある。キリスト者とは聖霊によって導かれる者だと言えるが、キリスト教をその源泉として持っている古典音楽もまた、私たちの心を引き上げ、導いてくれるものとなる。


20055

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ことば

209)祈りは力である。また、祈りは働くことである。私たちは生きて働く神に向かい、行動へと送り出される。…祈りは、ことばを最高に用いることである。(フォーサイス著 「祈りの精神」26頁 )

祈りは、神からの力を与えられ、その力によって働くことへとうながされる。神はむだには力を与えられないからである。そしてそれが小さな行動であっても、そのことを通じて新たな力を与えられる。 人間の言葉の最もよき使い方は、祈りだと言われている。神に向かう言葉、人への愛のこもった祈りこそは、言葉が最高に用いられていると言える。