| (252)涙をもって食物をとったことのない者、苦しみ多い夜を
 ベッドにて涙を流しつつ過ごしたことのない者、
 そのような人は、天の力を知らない。
 (「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」ゲーテ著(*) 第二巻13章より。筑摩書房刊 世界文学体系 72頁)
 
 Wer nie sein Brot mit
  Tranen as,
 Wer nie die kummervollen Nachte
 Auf seinem Bette weinend sas,
 Der kennt euch nicht, ihr
  himmlischen Machte.
 (*)ゲーテ(一七四九年〜一八三二年)はドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。このような多方面に多くの業績を残した。ゲーテは特に語学に長けており少年時代には、すでに英仏伊の国語を習得し、さらに、古典や聖書の研究に不可欠なラテン語・ギリシア語・ヘブライ語をも習得していた。詩作も幼少時からで、最初のものは彼が八歳ものだという。
 
   
 (253)もし、ある人が「偶然」を、何等の原因とも結びつかない、でたらめな運動から生じた出来事、と定義するなら、私はこのような偶然は決して存在しないことを確言する。すべてを秩序の中に保っている神のもとにあって、でたらめが存在するどんな余地があり得ようか。
 (「哲学の慰め」ボエティウス著 第五部の一、 一九五〇年版、二〇三頁)ボエティウスは、四八〇年〜五二四年頃の人で、古代ローマの哲学者、政治家。右の書は、獄中にあったときに書いたもの。キリスト教の三位一体論やキリスト論についての神学的著作もある。
 ・万物を御支配なさっている神を信じるとき、偶然というのはなくなる。偶然というのは、どうしてそうなったのかその理由が分からないことである。
 しかし、万能であり、すべてを愛によって導かれる神を信じるときには、偶然ということは、あり得ないものになる。
 
   
 (254)受けとる者であり続けること―へりくだる心から。そしてお前の柔軟性を保て。受け取る者であり続けること―そして感謝せよ。
 耳を傾けること、見ること、そして理解することが許されていることを感謝すること。
 (「道しるべ」ダグ・ハマーショルド著 一一七頁 みすず書房刊)
 (著者は元国連事務総長)
 To remain a recipientーout of humility. And preserve
  your flexibility.
 To remain a resipientーand
  be grateful.
 Grateful for being allowed to listen,to observe,to understand.
 (Dag Hammarskjoprd:MARKINGS )
 ・「受けとる者であり続ける」とはどういうことを意味するのか、これは神を信じない立場にあれば、こんな受け身の態度ではよくない、というように理解するであろう。
 しかし、愛の神を信じるときには、まったく違ってくる。主イエスが言われたように、神の愛は、太陽の光のように、また降る雨のように、無差別に注がれている。私たちはただ心の戸を開いてそれを受けとるとよいのである。神の国は近づいてそこにある、魂の方向を転じてその神の国を受けなさい、というのが、キリストの宣教のエッセンスであった。十字架による罪の赦しも、永遠の命も復活もみなすでに誰でもが取り込めるように置かれている。これらの真理は、いわばこの世界の中心に置かれていて、誰でもがそこにアクセスして、自分の内に受けることができるのである。
 主イエスは私たちのために、その愛のまなざしを注ぎ、祈りをもって見つめておられる。そのまなざしも、私たちが魂の静けさを持って待ち望むとき、だれでもが受けられる。
 使徒パウロも、自分の意志とか考えでなく、主によって選ばれ、呼びだされ、遣わされたのだということを彼の手紙の冒頭にしばしば記している。ここにも歴史上で特別に重大な働きをした人が、魂の深いところで、受けとる者であり続けた、ことを示している。
 そしてこのように、神が与えようとしておられるものを受ける心の準備を常にしていることが、心の柔軟性を保つことになるというのである。
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