2008年9月

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294)福音を説くべし

世に惨事多きや、福音を説くべし。
世に罪悪多きや、福音を説くべし。
国を救わんと欲するや、福音を説くべし。
社会を改良せんと欲するや、福音を説くべし。
福音は世を救うための神の能なり。
福音によりて救われずして国も人もいまだ救われざるなり。
福音によらざる救済ほすべて偽りの救済なり。
(「「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇二年十二月号」)

・救いとは人間の心の根源の問題を解決することである。そしてそれは確かにキリストの福音によって解決される。どんなひどい状態の人でも、ひとたびキリストの福音を受けいれることで新たにされる。それこそ救いである。 キリストが私たちの魂の病根である罪を除くために十字架にかかって死んで下さった、と信じて十字架のキリストを見つめるだけで根本問題の解決となる。
一人の人間のこうした解決によって周囲の人間社会にもそれが及ぶ。
複雑な神学的な議論とか多方面の聖書関係の知識、あるいは政治社会的な問題そのものをいくら知っても、たった一人の魂の苦しみを救うことはできない。それは二〇〇〇年伝えられてきた単純な福音そのものが救うのである。私たちの最大の願いは、この福音が伝わるようにということであり、人間の根本問題は必ずこの福音によって解決されるという確信にもとづいて伝えることなのである。
そのために、福音のための働き人が起こされるように、との強い願いがある。


295)何かにつけて、怒ることがある限り、まだ自分を支配しているのではない。
どのような悪に対しても、静かな抵抗が最もよく勝利をおさめるものである。
(「眠られぬ夜のために 第一部」九月二十一日)

Solange man sich noch uber etwas erzurnt, ist man seiner nicht Meister geworden.Allem Bosen gegenuber ist ruhiger Wiederstand das Siegreichste.

・感情的に怒ること、それは私にも時折生じる。そしてそれは確かに自分で自分を支配できていないことを知らされる。人間的感情によっては悪の力には勝利できない。主の力によってのみ勝利できる。そして私たちが主に結びついているときには、主の平和を内に持ちつつ、神がその悪しきことに勝利して下さることを待ち望むことができる。
「静まって、神のわざを見よ、主が戦われるのを見よ」と神がモーセに言われたことが思いだされる。(出エジプト記十四・14