2009年2月
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(305)不当な苦しみ
...だから彼らは無益に死んだのではありません。神は依然として悪から善をうみだす道を備えておられます。歴史は繰り返し繰り返し不当に受ける苦難には、贖罪の力があることを証明しています。この少女たちの罪なくして流された血は、この暗黒の町に新しい光をともす贖罪の血として奉仕しているといってよいのであります。(「マルチン・ルーサー・キング自伝」二七七頁。日本キリスト教団出版局)

・このキング牧師の言葉は、一九六三年九月一五日にバーミングハムの教会において、日曜学校出席中の四人の少女がダイナマイトによって爆殺された事故に関して言われている。こうした事件による死でなくとも、キング牧師が言おうとしているのは、不当に受けた苦難、迫害、事故などは、他者の罪による罰を身代わりとして受け、他者を救いへと導くはたらきをするということである。キリストの受難こそはこの贖罪の完全なすがたであるが、のちの時代に生じているさまざまの不当な苦難とみえることもみな、このキリストの受難の小さき形なのである。
(306)愛
愛はこの世で最も長続きのする力である。この創造的な力は、私たちのキリストの生涯のなかに実に見事に例証されている。この力は平和と安全を求める人類にとって、手に入れることのできる最も強力な手段である。(「キング牧師の言葉」七四頁 日本キリスト教団出版局)

・ 一人一人の人間もまた、国際的な問題においてもだれもが平和と安全を求めている。しかし、人間社会では、金や権力、地位、あるいは国際的問題においては、駆け引き、不信などが横行し、武力を行使することもつねにはらんでいる。だが、最も永続的に力のあることは、キングが述べているように、神の愛である。その愛の力こそが今日最も必要とされている。
(307)歴史の中枢
私は歴史をひもとき、国は興きてまた滅び、民族は一時的に栄えてもまた衰えるのを読む。 そうしたなかにただ一つ、時代がすべてを破壊していくなかにあって、揺るぎなく天に向かってそびゆるものがあるのを見ることができる。
これこそ、キリストの十字架である。
世はいかに変わろうとも、十字架はその光を放って止むことがない。万物ことごとく砕かれようとも、十字架のみはひとり残って世界を照らすであろう。
十字架は歴史の中枢なのである。人生のよって立つ不動の岩である。これによるのでなければ、強固なるものはなく、永遠の命もない。ほかのものはみなすべてカゲロウのごとくはかないものである。十字架のみが、限りなく存在し続けるものなのである。(内村鑑三著「聖書の研究」一九〇四年五月)

・キリストの十字架は、神の愛とは何か、また人間の根本問題とは何か、そして人間はいかに生きるべきか、救いとは何かといった最も重要な問題をすべて包み込んでいる。神の人間へのお心が最も端的に現れている出来事であり、それゆえに永遠的なのである。