2010年4月
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本文
(334)静寂から生まれた心の静けさの中にいること。
しかしこの自由は行動のさなかにおける自由であり、この心の静けさは人々のさなかにおける心の静けさである。
現代にあっては、聖化の道は必然的に行動のなかを通っていく。(ハマーショルド著(*)「道しるべ」みすず書房 一一九頁)

(*)ハマーショルド(1905-1961) スエーデンの政治家。外交官。国連事務総長(1953 - 1961)父親は、スエーデン首相であった。1961年9月17日夜、コンゴ動乱の停戦調停に行く途中、アフリカで飛行機が墜落。事故死した。死後、ノーベル平和賞受賞。母方には、学者、聖職者がいてその影響を強く受けた。
ハマーショルドの航空機事故による死は、当時高校生であった筆者の記憶には鮮明に残っている。コンゴの動乱の解決の日夜活動を続けていたことでその名前は当時の私にも親しかったが、その突然の死はとても強い印象を残した。

・国連事務総長という激職のなか、とくにコンゴでの動乱が起こり、休むひまもないような仕事のただなかにあって、彼はつねに魂の一点に静けさを保ち続けていた。そして日記風にこのような文章をだれに見せるという目的でなく、内なるうながしに従って書き続けた。この「道しるべ」(英訳のタイトルは、Markings)という本の内容は、彼の死後、さまざまの書類などとともに発見された。
彼の真実な働きは、広く知られていたが、その原点は心の内に神とともにある静けさを常に持っていたことにあった。
主イエスこそ、そうした行動のなかの静けさを完全なかたちで持っておられたお方であった。
(335)イエスはユダのうちにその敵意を見ず、かえってみずからの愛する神の命令を見た。
敵意を見なかったからこそ、イエスはユダを友と呼び給うのである。(「パンセ」(*)パスカル著 第七巻より)

(*)パンセ pensee は、「考える、思う」という意味のフランス語の動詞(penser)の名詞形で、「考えられたもの、思索、思考 といった意味。
パスカル(1623 - 1662)は、フランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家。早くから数学、物理方面の天才を現した。中学、高校の理科で必ず出てくるパスカルの原理や「人間は考える葦である」という『パンセ』の中の言葉によっても広く知られている。

・自分を裏切ろうとする者のなかに、敵意でなく、神が自分にむけられた言葉を見たという。これは、私たちも、周囲の人間や自然についてもいえることである。さまざまの人間、子供や、老人、病気の人、死の近い人等々、そしてここに言われている敵対する人...そうしたなかに、単なる偶然や自然法則とか悪意などを見るのでなく、神がそれらに託して接する者に向かって言おうとする神の言葉があるとして受け取ろうとするなら、すべては大きく変わってくる。
神の言葉は、どのようなものの内にも存在し、私たちが聞く耳さえ持っていたら語りかけてくるものである。
旧約聖書 続編から

・英知は、人間を慈しむ霊である。(知恵の書一の六)
英知の原語は、ソフィア。このように、単なる知識や考え方の緻密さとかでなく、人間を愛する霊だと言われている。愛こそは、最も深い洞察をすることができるからである。

・神を信じない者の希望は、風に運ばれるもみ殻。嵐に吹き散らされる消えやすい泡、風に吹き流される煙、...このように彼らの希望は過ぎ去っていく。 しかし、神に従う人は永遠に生きる。(同五の十四〜十五節より)

・英知を求めて早起きする人は、苦労せずに自宅の門前で待っている英知に出会う。 (同六の十四)
主イエスが言われた「求めよ、そうすれば与えられる」ということは、英知に関しても言える。神にかかわる真理を求めるときには、すぐ近くに与えられているのに気付くというのである。身近な何を見ても、さまざまの日常的な出来事からも英知をくみ取ることができる。