紅梅 Ⅱ わが家にて 2004.2.10
この紅梅は数十年前に、父が植えておいたもので、父が召されたあともこのように毎年、白梅とともに花を咲かせ続けています。
きびしい冬の寒さのただなかで、こうした美しい花を咲かせ、ほのかな香りを周囲に漂わせていること、それは、人間にもあることだとわかります。 神への信仰にかたく立ち、重いからだの障害や病気、あるいは当時の社会のおそろしい迫害にもかかわらず、信仰ゆえのうるわしい心を与えられた人たちを私たちは書物などによって知らされています。そのような魂は、寒さきびしいなかに咲く梅のようなものです。
この紅梅のような樹木も、神へのまなざしをもって見るとき、ひとつの泉となってくれます。 人間は心のなかにしばしば純粋ではない心が生じるものですが、こうした自然の草木はいっさいの汚れを感じさせないものがあります。それは神の心そのものを映し出しているようです。 こうした自然からもあふれてくる清いものを感じるとき、私たちは神のうちにあらたな泉を見いだしたという実感を与えられるのです。