昔はガラス製品はとても貴重なものであったし、長期の船旅での破損を防ぐための材料として日本に入り、後になってアカツメクサとともに牧草としても輸入されて各地に広まったと言われています。
アカツメクサのほうは、シロツメクサよりも大きく、徳島県など暖かい地方では、野生のものはわずかしかみられませんが、シロツメクサはよくみられます。アカツメクサは、北海道などの寒いところではたくさん道路際にも見られます。どこにでも見られる野草なので、とくに愛好するという人は少ないと思われますが、この地味な庶民的な花に、よき香りがあるので心を惹くものがあります。
人間は、老年になると外見はたいてい美しさが衰えてきます。しかし、そこに どこかキリストの香りを持ったといえるような人がいます。そのような人たちはただ存在するだけで、周囲によきものを静かに提供していると思われます。シロツメクサの蜜を吸うためにきたこのチョウはシジミチョウの仲間で、地味な色のものが多いなかでとくに目立つ種類です。私が小学校のころは、たくさん周囲にシジミチョウがいて、いろいろな種類を昆虫採集のときに標本にしたことを思いだします。このベニシジミも当時から私に親しいものでしたが、最近はわが家の周囲で少なくなっています。
蝶の仲間は、世界で2万種類近くいて、そのうちシジミチョウの仲間は、その4割ほどにもなるほど種類が多いということです。 チョウも花のように美しい色合いを持つのが多く、創造のわざの不思議さを感じさせてくれるものです。
しかし、その幼虫はこのチョウとは全く別の生物かと思われるほどにちがったもので、毛虫やワラジムシのような気持のよいものではない姿を持っています。このように全く異なる美しい姿に変容するゆえに、ハンセン病で長期にわたる苦しみののちに、身体を大きく損なわれた人が、復活後の自分がチョウのように美しくされ、自由にとびまわる姿を思い描いて俳句にしたのを印象深く読んだことがあります。
私たちもたしかに、汚れた土の器ですが、復活のときには、主イエスのような栄光のすがたに変えていただけるという大きな希望を与えられています。昆虫の幼虫から成虫への著しい変容もそうしたことの象徴的なこととして感じます。使徒パウロも、「蒔かれるときには、卑しいものでも、輝かしいものに復活し…」(Ⅰコリント15の43)と言っているとおりです。(文、写真ともT.YOSHIMURA)
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