ヤマユリ 鳥海山のふもとにて 2013.7.20 |
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秋田県と山形県の境にそびえる活火山。標高2236m)
今年の夏、北海道瀬棚地域での聖書集会からの帰途、各地の集会を訪問、聖書の言葉について語らせていただきましたが、その帰途に立ち寄ることができた山の一つに、この鳥海山があります。この山には、歩いて登る時間も余裕もなかったけれど、車で中腹の宿舎にてよき休みの時が与えられた所です。 そしてその山腹に分布する植物に接することもできました。このヤマユリは今まで東北各地で見た中で最も大きく、美しいものでした。このヤマユリとカノコユリ、そしてテッポウユリは世界のユリで最も美しいものとして高く評価されているもので、それらから多くの現代の園芸種のユリが作られています。大型のユリとして知られているカサブランカは、このヤマユリやカノコユリなどを交配して作られたものです。 |
カノコユリの野生種は現在ではごく少なくなっていて、私はかつて徳島県南部の海岸沿いの山肌に咲いているのを見たことが一度あります。それに対してこのヤマユリは、東北各地の道路際の日当たりのよいところでよくみられますが、この写真のものは、山道の木蔭に、ある限られた場所に、群生していたものです。 その長い茎、ゆったりとした大型の美しい花、そしてその花びらの模様、さらに香りも強く、花の大きさは直径20cmほどもあり、このようなみごとな花が野生種としてみられることは喜ばしいことです。花の色は白色で花びらの内側の中心には黄色の筋、紅色の斑点があって美しさを添えています。
世界広しといえども、このようなユリはほかの国々にはみられないとのことで、明治時代の初期にウィーンの万博で紹介されて注目され、それからヨーロッパに知られるようになったものです。
ユリという言葉は、その長い茎が風に揺られる→ ユリとなったと言われ、また漢字の百合は、その球根が幾重に重なっていることから名付けられています。
白いユリは数ある花のなかで、キリスト教においてもとくに復活や純粋、清さのシンボルとして用いられていて、ヨーロッパの絵画にもしばしばユリが記されています。13 世紀の画家ジオットやレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、エルグレコ他の作品にも見られ、また、主イエスも「野の百合がどのようにして育つかよく見よ」(マタイ6-28)と言われました。 なお、このイエスの言葉にあらわれる「百合」の原語クリノン(ギリシャ語)は、「花」とも訳されますが、現代の多くの英訳、日本の新改訳、文語訳なども百合と訳しています。 See how the lilies of the field grow .(NIV) また、讃美歌にも、白百合が、キリストの復活を思い起こさせるというのがあります。 うるわしの白百合ささやきぬ昔を、 イエス君の墓よりいでましし昔を(讃美歌496)
また、直接にキリストを明けの明星であり、百合にたとえている讃美歌もあります。
わがたましいの慕いまつる イエス君のうるわしさよ… 君は谷のゆり、あしたの星 うつし世にたぐいもなし (讃美歌512)
このように、ユリの姿とその白い色、さらにその美しさや香りは、古代から、神によって清められた美しい世界―神の国を思わせるものとして、またキリストの復活―さらに死にうち勝つという究極の力をも指し示す重要な意味を含んでいるものとして重んじられてきたのです。 (写真・文ともに T.YOSHIMURA) |
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