|
カワラナデシコ 徳島県名西郡神山町 2005.7.7 今回はいつも通っている国道が通行止めであったために、長く通ったことのない、昔からの山道を通ったゆえにこの野草に随分久しぶりに出会うことができた。 柔らかなピンクの花びらがその先ではいくつかに切れ込みが入り、見えざる御手によって天然のはさみが入れられたようである。花びらにこのような切れ込みがなくてもこの植物は何の不自由なく生きていける。それなのになぜ、このような特別な切れ込みが入り、花の姿や色あいがこのように美しくできているのだろうか。 こうした植物を創造された神は、人がその花の美しさに触れることによって、人間の心にもその美しさが伝わり、そこから神の創造の力や究極的な美しさ、清さを見出すようにとの御計画をもっておられるように思われる。 |
その素朴な美しさのゆえに、この花は日本でも古く、出雲風土記という紀元733年のころにできた書物に記されているというし、万葉集の山上憶良の「秋の七草」の歌にも出てくる。 ナデシコ(撫子)という名は、その可憐な美しさのゆえに、愛する子供を撫でるような気持で接したくなるということから付けられたという。 中国からきたナデシコをカラナデシコ(唐撫子)または、石竹といい、ヨーロッパ原産のものを、アメリカナデシコというのに対し、この花はわが国に昔からあるので、ヤマトナデシコ(大和撫子)とも言われ、その控え目で清楚な美しさに満ちた花の名が、日本女性を意味する言葉としても用いられてきた。 しかし、この花のもっているような美しさは、日本女性だけをあらわすのでなく、神の国の美しさをあらわそうとして神が創造されたものであり、その美しさは、神と結びつくならば、どこの国の人であっても、だれにでもその魂に与えられるのだと言えよう。 (文・写真ともに、T.YOSHIMURA) |
|
2005年7月 |