コバイケイソウ 福島県吾妻連峰(酸ケ平―すがだいら―湿原)標高約1700m 2013.7.22
コバイケイソウは、以前にも取り上げたことがありますが、この写真は、周辺の初々しい緑と水がその白い花と溶けあうようにして私たちの心に入ってくるものです。 高山に咲く植物は、夏の間のごく短い期間にしか生育できず、また厳しい寒さや氷雪に埋もれてしまう環境にあります。 平地に咲くものとはちがって気品のあるもの、また色が鮮やかであったり、その彩りもまた印象的なものが多くあります。 それと対照的に、平地の草原や道端にみられるオオバコ、エノコログサ、メヒシバ、ヨモギ、スズメノカタビラ等々は、花は目立たず、ほとんと注目されないのですが、それらの花は暖地では春から秋にかけての長い期間、咲き続け、多くの種子を散らしていくため強く、どこででもみられるものとなっています。 そしてそのような 目立たない植物たちが生育することで、昆虫や地中生物も豊かになり、樹木も育ち、全体として緑の環境を造り出しているのです。 そうした地味な植物たちとちがって、高山の美しい花々は、人の心に直接に訴えかけてくる力をもっています。 しかし、それらの美しい花たちもさまざまのほかの植物や土中の微生物たちによって支えられています。 そうした大きな自然の営み、それは人間が存在するはるか以前から、創造主たる神によって備えられたものです。 このコバイケイソウの白い花の周辺や、水の向こうの山々を緑に染めている目立たない植物たちもまた自然のオーケストラの一因として、コバイケイソウとともに私たちに語りかけています。 緑と白、そして水のある風景…それらはいずれも私たちの心の本質にかかわるものを象徴しています。 緑、それは希望のシンボルであり、私たちの誰もが日々必要としている生きる力を指し示しています。 白、それは汚れない心の姿であり、人はどうしてもさまざまの汚れに染まってしまうゆえに、こうした白色の花に心惹かれます。 聖書にも、「私を洗ってください、雪よりも白く…」(詩篇51の7)とあります。 そして 水―これは渇いた私たちの魂をうるおし、いのちを与え、そして清める力を指し示しています。
自然のすがた、それはそこに人間の営利とか経済活動といった考えがまったく入っていないゆえに、私たちの心にまっすぐ入ってきます。 そしてそれによって私たちは、それらを創造した神のお心の一端に触れることができるのです。 (文、写真ともT.YOSHIMURA) |
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