NO.144
タイトルと聖書箇所

(2023年改定・最新版)

「イエスへの信仰、主にある平安」

ヨハネ16章25〜33節

-2024年8月11日
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新共同 ヨハ 16:25-33

16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。

16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。

16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。

16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」

16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。

16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。

16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」