「いのちの水」 2023年12月号 第754号
いと高きところに 神の栄光 地上にては、御心にかなう人々に平安。(ルカ2の14) |
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平和はだれしも望むところである。平和という言葉でまず連想するのは、戦争がないこと、である。(*)
(*)トルストイの大著にも「戦争と平和」というのがある。国語辞典にも平和とは、「戦争がなく穏やかなこと」。(学研国語辞典)、広辞苑では、「やすらかにやわらぐこと」、「戦争がなくて世が安穏であること。」。 平和憲法というときも、同様で、戦争をしない精神を持つ憲法ということである。
戦争によっておびただしい人命が失われ、傷つき、また自然も破壊される。ベトナム戦争の時のように、大量の枯葉剤が使われたり、劣化ウラン弾など放射性物質などが使われることもあり、そのような場合には、戦争が終わったあとも、長期にわたる苦しみを戦場となった地域の人たちに与え続けることになる。
それゆえ、戦争を好む人はだれもいないはずである。自分の家や家族が好んでそのような戦争に巻き込まれたい、などという人はまずだれもいないだろう。
にもかかわらず、戦争は古代から数知れず生じている。民族間、国家間といった広範囲の戦争はどのような民族においても生じてきたと考えられる。
古代ギリシャの特に重要な作品はホメロスのイリアスであるが、これも戦争の文学である。
それに対して、平和ということはどのように考えられてきたのであろうか。そのことについて聖書の記述を見てみたい。
聖書では全体として見るとき、現在私たちが絶えず目にするような社会的な平和という言葉はわずかしかない。
それはなぜなのか。
戦争とは、一般的には国家が武力を用いてなす戦いであるが、相手への敵意からなる戦いということからみると、小規模のものは民族同士の戦いがあり、さらには個人の敵意、憎しみによる戦いまで、ありとあらゆるところで生じている。
そしてその根源にある人間同士の争いは何が原因で生じるか、それは、他人より上になりたい、ほめられたい、認められたい、見下されたくないという本能的な欲求がある。
これは見下され、ひどい扱いが強まると、傷つけられ、さらには殺害されるということになり、それゆえに本能的に人間は自分中心となる。
動物は自分を守る本能に従っていきているので、自分中心であるが、人間も動物なので、その本質は同様である。
そこから、支配されるのでなく、自分が力をもって支配したいという欲望、権力や物に関する欲望がそうした争いのもとにある。
それゆえ、聖書は戦争の根源にあるそうした自己中心の本質をいかにして変革できるのかという問題に最初から光をあてているのである。
それは、聖書の巻頭の言葉にも示されている。
闇と空虚、混沌に包まれていた状況にあって、そこに最初に記された神の言葉が、「光あれ!」であるのも、それは究極的な平和を指し示すものとなっている。
自分中心の欲望は、神の光に照らされて初めて静まっていくという真理が聖書の冒頭から指し示されているのである。
人間世界は、現在の世界を見てもはるか古代からの出来事を見ても、闇と空しさ、混沌に満ちている。
それは、神の真実や愛が見えなくて、自分の欲望という本能的なものに従ってしまうという状態である。
しかし、人間は神のかたちに創造されている(創世記1の27)ゆえに、愛や真実なもの、美しいもの、永遠的なものといった目に見えないものに感じる心、またそのようなものを願い祈る心がその程度は少なくとも何らかの形で魂に刻まれていると考えられる。
他の一部の動物ーことに犬や馬なども、また猛獣といわれる動物であっても、人間の愛に感じる能力が与えられていて、愛情もって扱う人にはその愛に感じて従順となるが、目に見えないものを愛するとか求めるということ、また美に関する感性などは持ち合わせていない。花や美しい夕焼けをうっとりと見つめている動物など、だれしも見たことはないであろうし、眼に見えない神への祈りなど全くできないのは、人間と根本的に異なる点である。
しかし、人間は、そのような神のかたちが与えられているといっても、動物としての自分中心の本能が根底にあるために、自分を超えた神のご意志に従うということができなくなっている。
それが罪ということである。 その罪が清められるのでなければ、人間は動物的な本性ー自己中心ということから逃れることができない。
そのために、神は天来の光を与えたのである。
その神のご意志が、聖書の巻頭の「光あれ!」であった。
ここで、平和と訳されるヘブル語の原語である、シャーローム!という言葉の本来の意味は、平和というもともと中国語である言葉のように、平らで和やか という意味とは異なっていることに注目したい。
このシャーローム(*)という言葉そのものは、戦争がない、何も混乱がない、といった否定的な表現を持っているのでなく、そのもとにあるヘブル語の動詞、「シャーラム」という語は、「完成する、満たす、全うする」というように訳されていることからもわかるように、戦争がない状態というのは、そうした完成された状態からおのずから生じる状態だと言える。
(*)シャーローム shalom というヘブル語は、旧約聖書では 267回用いられている。また、その動詞形である、シャーラム shalam は、「完成する、満たす」という意味を持っていて、これは236回用いられている。
「完成する」という本来の意味では、「こうしてソロモンの神殿は完成した。」(列王記上9の25)のように用いられ、「満ちる」という意味では、例えば「アモリ人の罪はまだ満ちていなかった。」(創世記15の16)
シャーラムという動詞は、口語訳聖書では次のような言葉に訳されている。
「完成する」、「終わる」、「栄える」、「平和を得る」、「償う」、「果たす」
また、ヘブル語の辞書(米英のもの)には、シャーロームには、次のような訳語をあてている。 completeness, soundness, welfare, peace
日本語訳聖書(口語訳)では、次のような訳語をあてている。
「平和」、「平安」、「安心」、「安全」、「穏やか」その他の訳語は、「親しい、繁栄、善、真理、幸福、好意…」等々の言葉があてられている。この日本語の訳語には、原語の本来の意味である、「完成する」というニュアンスが感じられない。
聖書は、「まず国家や民族同士の戦争のない平和な状態を求めよ」というようには記していない。
それは、人間が根本的に自分中心であるゆえに、いろいろな争い、闘い、戦争が生じるのであって、表面的に戦争が一時的に止まっても、必ず戦争の根本原因である人間の自己中心性があるかぎり、何らかの争い、戦争はなくなることなく、またどこかで生じていく。
人間が求めるべきこと、そして地上の人間に与えられることは、一人一人がまず神からの光を受けることなのである。
その光こそは、神の本質が内在していて、命の光とも言われる。
…この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 (ヨハネ1の4)
こうした神のいのちそのものである光をまず求めていくこと、そうすれば与えられるという約束をイエスはされた。
「求めよ、そうすれば与えられる。
扉をたたけ、そうすれば開かれる。」(マタイ7の7)
そして、真剣に求めるものには必ず与えられる、というのがこの有名な言葉の意味するところである。。
聖書全体にわたって一貫して言われているのは、国々の戦争を止めよ、ということでなく、愛と真実の神に立ち帰れ、神の言葉に聴き従えということである。
そして、いうことである。
闇と混沌、混乱のただなかに、神が「光あれ!」と言われたことが聖書の最初に書いてあるが、これが平和についてもその根源的真理を深くついたものとなっている。
どんなに闇が深くとも、神が「光あれ! 」と言われるなら、そこに光が存在し、秩序が生れていく。それはまさしく本当の平和への道が暗示されていると言えよう。
その意味で、真の平和への道はすでに創世記から記されているのである。
この究極的な平和への道は、人間の努力とか計画、会議、あるいは武力などによってはなされない。ただ、神が時至って、「光あれ!」と言われたとき、神の御手が働いたときに、いかなる闇であってもそこに光が及ぶ、ということなのである。
そしてそれによって、混沌から秩序へと向かうことが創世記第一章では示されている。
戦争とは、大量殺人、強盗、欺き、破壊、暴行などありとあらゆる悪がそこから生じる。それはまさに闇とその果てしない深み、そして混沌とした状況である。
しかし、そこに光が与えられることにより、闇の力は退き、混沌は、秩序となっていく。これこそは、神に由来する平和である。
創世記にはもう一つの天地創造に関わる啓示が記されている。それは、第二章である。そこでは、最初にあったのは、渇ききった状況であり、草木もまったくなかった。それはこの地方のあちこちに広がる砂漠地帯の状況を反映している。
このように、創世記の第一章〜二章にかけて、人間の最も困難な状況は、闇と混乱、あるいは水がない渇ききった状況ということで描写されていると見ることができる。
そして闇と混乱のただなかに光あれという神の言葉によって光が生じたように、第二章では、砂漠の状況のただなかに水が地下から湧き出て、潤すようになったと記されている。その水は、エデンにその源があり、エデンに造られた園を潤し、さらに、四つの川となって世界を潤していった。(*)
(*)四という数は、全世界を象徴するものであり、四つの川が流れていくということは、世界中を潤すという意味がこめられている。
憎み争う心、復讐やねたみといった心はうるおいがない。人間が闘争的になるのは、渇いているからである。深いところで満たされないからである。こうした渇きこそが、人間同士の争いの根源となる。もし、私たちが、魂の深いところで神からのいのちの水によって満たされ、潤されているなら、他人からの攻撃や不正を受けても、打撃を受けず、それを静かな心をもって受けとることができるだろう。
このように、深い闇の心、そして渇ききった心こそは、戦争の根源であるといえるが、その二つの究極的な解決の道があることを、聖書はその巻頭にはっきりと示しているのである。
そしてそれははるか後になって、キリストが現れるときまで、地下深くに流れる水のように時折表面に現れるものの、大多数の人間にはなかなか気付かれないものとなった。
神による平和への究極的な道を人間は拒み、神に聴き従うことをせずに歩んできた。そのことは聖書にもはっきりと記されている。それが、最初の家庭の状況である。 アベルとカインは、アダムとエバの間に生れた、初めての兄弟であったのに、カインはアベルを殺してしまった。兄弟の命を奪うという悲劇は、これから歩む人類がいかに神の光と、神の命あふれる霊的な水を無視していくかの象徴として記されている。それは、憎しみやねたみ、あるいは欲望のゆえに、武力、暴力によって相手を打ち負かすことであり、それが肥大したのが部族や国家の間の戦争なのである。
その後、ノアの記事によって記されているのは「地上に悪が増して、常に悪いことばかりを心に思い計っている」ということであった。
こうして平和の道は閉ざされ、多くの人間が裁かれ滅んでいく。しかし、神の光を仰いで信仰によって生きたノアからは、その信仰を受け継ぐ人達がつづき、聖書の記述はアブラハムへとつながっていく。
そして神は、カナンという特定の地を選んで、そこへとくに選んだ人間、アブラハムを導くことによって、神に導かれる人間の生き方を後の人類に指し示したのである。アブラハムはもともとは、今のイラク地方にいたと考えられる。そこで、最初にカナンへ行くようにとの示しを受け、さらに、そのカナンへの旅の途中にあるユーフラテス川の上流へとさかのぼったところにあるハランという所まで来てはっきりと神の祝福と導きの言葉を聞き取った。このアブラハムに語りかけられた神の言葉、そしてそのみ言葉に従って祖国や慣れ親しんだ人達、総じて古いものを離れて、神の示すところへと歩んでいくこと、それは、あらゆる人間の地上での歩みのあるべき姿を指し示すものとなった。
アブラハムは、自分自身も神による豊かな祝福を受けるが、アブラハム自身は他者の祝福の基にもなると約束されている。神からの祝福を豊かに受けることこそ、本来、シャーロームという言葉が内に持っている内容である。
シャーロームとは、すでに述べたように、「完成された状態、満ち足りた状態」を表す言葉だからである。人間が完成された状態になる、それは自分の努力や生まれつきの才能でなく、神からの祝福を受けることによってである。
アブラハムが受けた祝福は、その子孫に及んでいく。
子孫は飢饉のためにエジプトにわたってそこで大いなる民族となるほどに増えていった。
しかしそこでの四百年にわたる奴隷の苦しみからの解放はモーセによって行なわれることになった。
何一つ武器を持たず、兵力を持たずにモーセはただ神の力、神の祝福と導きだけを信じてエジプトへと向かった。当時の最大の帝国に向かってその圧倒的な力と戦うのに、素手で立ち向かったのである。
ここに、武力によらずに大いなることがなされるということがはやくも示されているのである。この世の巨大な力と戦うために、武器、そしてそれを使う人間の数が多いほどよいというのが、普通の考え方である。しかし、聖書においては、真の戦いは、そのような人間の数や武器によるのでなく、神への信仰によって、神ご自身が戦われるということが繰り返し現れる。
実際、モーセはエジプトの権力や武力などを前にして、ただ信仰のみによって近づいていった。そしてその信仰によって不思議なわざが行なわれ、ついにモーセは何一つ武器を使うことなく、この世の最強の権力や武力に勝利して民が解放されることになったのである。
これは、はるか古代の単なる物語ではない。この基本的な信仰的姿勢こそ、永遠なのであり、現代まで無数の真剣なキリスト者たちがその道を歩んできたのである。
さらに、モーセが、アマレクという民族と戦ったとき、モーセは神の杖を手に持って、丘の頂上に立った。そこで、彼が手を上げている間は、優勢になり、手を下ろすと敵が優勢になったとある。(出エジプト記十七・11)
この記事も戦いに勝利するのは、武器や兵士の数ではなく、神への信頼と祈りであることが暗示されている。神の民が勝利するのは、神の力によってなのである。
また、ヨシュア記においては、エリコに初めて攻撃するときに、神は、あらかじめその町をモーセたちに渡すと約束した上で、七人の祭司が七日間、神の箱を前にしてエリコの町の城壁のまわりを回ること、その七日目は、町を七周回ることなどが命じられた。町はこの城壁に囲まれているので、この城壁を崩すことは最大の戦いなのであった。
その城壁を崩すのに武力とか人間の数でなく、ただ神の言葉を納めた、神の箱を七人の祭司に先導させて町を回るという、驚くべき仕方を命じられたのである。そして、その言葉に従ったとき、エリコの町の城壁は神の力によって崩された。
ここにも、本当の戦いは、神の力による、ということが素朴な形で表されている。
それから後の時代になって、まだ王が現れていない頃、ギデオンという人が特に神から召されて、指導者となった。彼は、ミデアン人たちと戦うために呼びだされたのであったが、いざ戦いがはじまろうとするとき、神はとくにギデオンに言われたのである。
…あなたの率いる民は多すぎる。そのままでもし戦いに勝利すれば彼らは自分の手で勝利したと考えて高ぶるであろう。
それゆえ、兵士たちの数を減らせといわれたのである。そしてもともと集まっていた兵士たちの百分の一という少ない数に減らした上で、戦うように命じられた。神は、ギデオンに、「私があなた方を救うのだ」と繰り返し約束された。
そしてその少数の兵士たちによって、たしかに神は勝利を与えられたのである。
ここにも、武器、兵士たちの数や策略によって勝利するのでなく、神の力によることが示されている。
また、ダビデはイスラエルの歴史では最大の働きをした王であったが、彼もその王位を獲得したのは、まったく自分の武力とか部下を統率する能力などではなかった。
彼が仕えたサウル王は、ダビデが並外れた勇者であり、多くの敵に次々と勝利していくのを目の当たりにして、ダビデに強い憎しみを持つようになった。 そして繰り返しダビデを攻撃し、殺そうとする。
しかしそのようないかなるサウルの悪意ある攻撃にもかかわらず、ダビデは一切武力で対抗しようとはしなかった。ただ、神にゆだねて自分は殺されることすらも覚悟して、荒れ地をさまよった。
あるときには、敵地へと入り込み、気の狂った真似をして、敵の警戒心を失わせ、それによってサウル王からの迫害を逃れたことすらもあった。
そうして長い忍耐と苦しみの生活は、ついにダビデが何一つ武器や人間を用いて攻撃することもなく、敵対するペリシテの軍によってサウル王は殺害され、その王子も死んでいく。
そしてダビデは、ただ神に頼り、神に叫ぶのみであったにもかかわらず、サウル王の長い執念深い攻撃から逃れて、ダビデが新しい王となったのである。
ここにも、武力によって敵を滅ぼそうとするのでなく、神への信仰によって待ち望むという姿勢がはっきりと示されている。
旧約聖書においては、戦いを神ご自身が命じられているところも、モーセからダビデに至る記述の中にしばしば見られるし、敵を滅ぼし尽くせ、といった命令もあり、私も数十年前に初めて聖書を通読していったときにも、驚かされたものである。 このような記述があるゆえに、旧約聖書は聖戦を神が命じている、ということだけが取り上げられ、一般的にもそのような内容だけだと思われている傾向がある。
しかし、すでに見てきたように、そのような聖戦の記述とともに、武力によらない神の力による霊的な戦いが示されており、モーセの時代、すなわちキリスト以前千数百年も昔から、すでに神ご自身が戦うゆえに、ただ信頼をしていることの重要性が記されているのであって、それは、聖書を一貫して流れる川のようなものである。
この流れが、ダビデより数百年あとの預言者にも流れ込み、イザヤ書やミカ書という預言書につぎのように記されている。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
(イザヤ書二・2〜5)
このように、かつて創世記で預言的に記されていたこと、エデンから一つの川が流れ出て、園をうるおし、さらに全世界をうるおす流れとなっていくということ、その流れに浸された人々は、世界の各地からエルサレムに向かうという。エルサレム、それはそこに神の言葉があり、神がおられるところだとされていた。
要するに、世の終わりには世界の民が神の言葉へと、神へと集められてくる大いなる流れがあり、そこに身を浸す者たちは、もはや武器をとらず、戦争によって互いに殺し合うということを廃し、主の光の内を歩むようになるというのである。
神の言葉が中心になって、そこに向かう大いなる流れが生じるという。
この大きな流れは、形を変えながらも現在も見られるのであって、一部の人たちには、特にその啓示がはっきりと示され、歴史のなかにも刻まれている。
それは、例えば、クェーカーやトルストイ、ガンジー、マルチン・ルーサー・キング、そして無教会の内村鑑三などに啓示され、現実の世界のなかで、武器をとらず、もはや戦うことを学ばないで、主の光の内に歩んだのであった。
そのうち、クェーカー(*)のキリスト者たちにおいては、新約聖書の非暴力による戦いを支持する箇所(**)を根拠としているが、それとともに、抵抗することなしに、十字架の道を歩まれたキリストの模範と、キリストを信じる人に同じように歩むことを指し示す新約聖書の精神全体が、この平和主義の根底をなしている。
彼らは、周囲の状況や意見などよりも、新約聖書そのもの、キリストご自身を単純率直に受け入れたのである。
旧約聖書は新約聖書に記されているキリストを指し示すものであり、キリストを見て初めて究極的な真理がいかなる内容なのかが明らかになる。
武器をとる闘いは、「剣を取る者は、剣によって滅ぶ」とのイエスの言葉に示されているように滅びに至るものでしかない。
キリスト者の闘いは、敵の内に神の国がきますようにとの祈りにおける悪の霊との闘いとなった。(エフェソ書6の10〜18)
究極的な真理は、つねにキリストにあり、キリストからの啓示を書き綴ったのが新約聖書であるから、彼らの主張は単に一つの教派の主張というのでなく、キリストご自身、新約聖書それ自体に根ざしている。(**)
それゆえにその平和主義の主張は、迫害に遭っても消滅することはなかった。
(*)クエーカー(Quaker)は、キリスト教の教派の一つであるキリスト友会(ゆうかい、Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称。この派の創始者は、ジョージ・フオックス(一六二四〜一六九一)。 クエーカーというのは、神の言葉(キリスト、聖霊)によってふるえる(quake)ほどの感動をしたからと言われている。会員自身はこの言葉を使わずに、主イエスが、「あなた方を友と呼んだ」と言われたことから、友会徒(Friends)という呼称を用いている。
(**)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ(マタイ五・44) 、「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ二六・52)他。
彼らの考え方をさらに引用しておく。
… 友会徒(クェーカーのキリスト者)は、平和の世界をもたらす唯一の方法は、たとえそれが危険をはらんでいてもそれを恐れず、今、ここで始めることだ、と信じている。
一人の友会徒が、その平和の原理を説いたとき、聞いていた人が、「もし、世界があなたのような心がけだったなら、私はその考えに従おう」と言った。そのとき、ホーグは「それなら、あなたは一番最後によい人になろうと考えているのです。私はいち早くよき人になって、他の人に模範を示したいのです。」と言ったという。
大きな問題を照らす光は、まず、はじめは、神の選んだ人の中に起こって、そこから徐々に広まっていくということは、無限の英知のお方である神の御旨なのである。(*)
(*)(ハワード・ブリントン著 「クェーカー三百年史」212〜213頁より)
It seems to be the will of Him who is infinite in wisdom that light upon great subjects should first arise and be gradually spread though the faithfulness of individuals in acting up to their own convictions.
(Howard H. Brinton
「 Friends for 300 years」162P )
真理は、まず一人の中に示され、さらに、そうした一人一人の、真実さ、ーそれは神、主イエスと結びついて与えられるものであるがーそれによって波のように広がって伝わっていく。これは、主イエスが、パン種のたとえで言われたことを思い起こさせる。
… イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
…天の国はパン種に似ている。女がこれを取って粉に混ぜると、やがて全体が膨れていく。
(マタイ十三・31〜33)
たしかにこの真理のパン種、あるいはからし種のような小さな、目に見えない真理は、まずキリストのうちに明確に宿り、それをはじめは理解できなかった弟子たちのうちにも伝わり、さらに次々と厳しい迫害と苦しみを受けるなかにおいても、広がっていった。そして、その流れは、このクェーカーのキリスト者たちにも及んでいったのがこのような記述を見てもうかがえるのである。
そしてこの真理は、歴史の中では目立たないようになることもあるが、神の定めたときに再び歴史の前面に現れてその流れを世界に知らせることがしばしば生じる。クェーカーのキリスト者たちが命がけで主張し、その真理を生きた非暴力ということは、意外なところへと伝わっていった。それはロシアのトルストイである。
トルストイは、一八八四年に書いた「わが信仰はどこにあるか」という著書のなかで、次のように述べている。
… 私は五十五年間、この世に生きてきた。そして幼年期を除いては、…一切の信仰を失ったという意味での、ニヒリスト(*)として生きてきた。
(*)真理・価値・権威、制度、超越的なものの実在などをすべて否定する考え方。
五年前、私はキリストの教えを信じるようになり、私の生活は突如として一変した。…
十字架にかけられた盗人がキリストを信じて救われた。…私もちょうどこの十字架上の盗人のように、キリストの教えを信じて、救われたのだ。…
私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章39節の「目には目、歯には歯をと言われている。しかし、私はあなた方に言う。悪しき者に手向かうな」という箇所であった。
私はいきなり、しかも一度でこの一節をじかに、素直に理解できた。…この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、全く新しいものに思われてきた。…
キリストは決して頬を差し出せ、苦しみを受けよ、と言っているのではなく、「悪もしくは悪しき者に逆らうな」、と言っているのである。この言葉こそ、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。これらの言葉を素直に理解しただけで、キリストのすべての教えの中で、もやもやしていたことがことごとく理解しやすくなったのである。…
幼少のときから私は教えられたーキリストは神であり、その教えは聖なるものであると。しかし、同時にまた、悪しき者には抵抗すべしと教えられ、悪しき者に対して忍耐するのは恥ずべきことと吹き込まれた。戦うことも、すなわち、殺人によって悪しき者に反抗することも教えられた。…
しかし、悪への無抵抗ということこそは、人間の共同生活の基礎たるべきものであり…
キリストは、言う、「あなた方は、法律が悪を矯正するものと思っているがーそれはただ、悪を増大させるだけである。悪を根絶する道は、ただ一つ、一切の差別なしに、万人に対し、悪に報いるに善をもってすることである…。」と。
…悪に対する無抵抗というキリストの教えは、私がそれまで全く知らなかったもの、全く新たなものとして私の前に立ち現れたのである。
(「わが信仰はどこにあるか」河出書房新社 トルストイ全集第十五巻6〜34頁より)
この文章は、いかにトルストイが福音書の主イエスの言葉のうち、とくに「悪人に手向かうな、敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉から、革命的な変化を受けたかを情熱的に表している。
彼は、十字架による罪の赦しということは十分な啓示を受けなかったとみられるが、この悪への無抵抗ということについては、当時の多くのキリスト教の指導者以上に、特別な啓示の光を受けたのがこうした著作ではっきりと示されている。
神は、とくにご自分のご意志をはっきりと人間に示すときに、特別にその目的に合った人を選び取る。トルストイはこの悪への無抵抗ということに対する、神の特別な選びの器であったと言えよう。
その著作から、七年ほど経って書き始められたのが、「神の国はあなた方の内にあり」という著作である。この書の冒頭に、次のようにある。
…私の著書に対する最初の反響の一つは、アメリカのクェーカー派からの手紙であった。クェーカーは、これらの手紙の中で、キリスト教徒においては、あらゆる暴力や戦争をしてはならないという、私の主張に対して共感を表しつつ、二百年以上も事実上、暴力をもって悪に抵抗するな、というキリストの教えを信じ、過去においても、現在においても、自分を守るために武器を用いたことがないという自分たちの派の方針の詳細を私に知らせてきた。…(「トルストイ全集第十五巻158頁より」河出書房新社刊)
このように、トルストイの前述の著作にいち早く反応し、その共感を示したのがクェーカーであった。
そして、さらにトルストイは、ロシアにおいて生れたキリスト教の一つの教派(ドゥホボール教徒)で、徹底して非暴力を主張した人たちが、迫害され、千人あまりも処刑され、さらに彼らは、国外追放されることになったことに強い関心を示した。
彼が、最後に書いた大作、「復活」は、この二万人以上をロシアからカナダに移住させる費用を生み出すために書かれたほどであった。トルストイは、五十七歳のときに、著作物に対する印税を受けとらないという決断をしたが、それをあえて破って印税を受け取り、それを彼らの移住資金にあてたのである。
このような、全く芸術とは無関係の、社会的な援助という動機で書かれた世界的な名著というのは、古今を通じてこのトルストイの「復活」しかないであろう。そうした目的での著作であったにもかかわらず、この作品は、高い評価を受けることになった。(*)
(*)ロマン・ロランは、次のように評した。
「…『復活』は、ある意味でトルストイの芸術的聖書である。それは最後の華であって、恐らくは最高峰であり、その見えざる山嶺は、雲の中に没している。」
また、ロシアの思想家クロポトキンは次のように評した。「七十歳にも達したこの作者が、この小説において示した力と若々しさに接して、単に、驚嘆すべきものがあると言っただけでは言い足りない。もし、トルストイが『復活』以外に何も書かなかったとしても、なおかつ,彼は大作家の一人として認められたであろうと思われるほどに、この作品の絶対的な芸術性は高いものである。」(世界文学全集第二八巻「復活」 一九二七年 新潮社刊 より」)
こうして、全身全霊をあげてというべき、驚くべき情熱をもって、トルストイはキリストの無抵抗のあり方を主張し、擁護し、そのために、新たな大作を生み出したのである。
彼の著作はロシアでは次々と発行禁止となっていったが、そうした弾圧にもかかわらず、次々と写本などによって広がり、国外にも知られるようになった。トルストイが広く世界的に知られるようになったのは、「戦争と平和」とか、「アンナ・カレーニナ」といった大作によってより、まず、こうしたキリスト教に関する著作によってであったという。
内村鑑三もトルストイの持つ深い意味を、とくに彼の非戦の立場からも特別な共感をもっていたのは次のような言葉からうかがえる。
〇トルストイ一人は、ロシアの一億三千万の民よりも大である。
キリスト一人は世界十三億の人よりも大である。
米のルーズベルトとイギリスのチャムバレーンとが戦争の利益を説いても、我々は彼らに聴く必要はない。 全世界の新聞記者は筆を揃えて戦争に賛成をしても我らは彼らに従う必要はない。
われらはただ主イエスキリストの言に聴けば足る。世がこぞって戦争を讃美するときに、われらは天よりお降りになった神の子の声に聴いて、我らの心を静めるべきなのである。
(「聖書之研究」一九〇四年九月)
〇今の世界に二大偉人がいる。その一人はロシアのトルストイであり、他の一人は米国のカーネギーである。前者は終生、非戦を主張し、後者は廃戦を生涯の業としている。
この二人に比べるならば、法王は光を失う。もしキリストの弟子であるにもかかわらず、戦争を認めるというのなら、その者はどんな罪悪をも認めることになる。…今のいわゆるキリスト教の指導者たちは戦争を認めて、軍旗を祝福して恥じるところがない。
ここにあげた二人のような人物は、誠に人類の現在の王と称することができよう。(同一九〇九年 九月)
〇トルストイ翁逝く。…彼の存在によって日露戦争に破れたロシアはなお、世界に重要な位置を占めることができた。
彼のような者がいない日本は、戦争に勝利したといえども、なお戦いに勝ちし日本になお劣った点を感じさせる。そして、今やこの人は逝(い)った。
トルストイが忌み嫌ったものが二つあった。その一は戦争であり、もう一つはロシア正教会であった。かれは戦争を嫌ったゆえに戦争を助けた教会を嫌ったのである。ロシア正教会はかれを破門した。…
ロシア正教会はトルストイを破門したが、神はその正教会を破門されたのである。(一九一〇年一二月)
このように、内村鑑三は、周囲のあらゆる政治的、宗教的な圧力にもかかわらず、非戦を貫いたトルストイの姿に深く共感しているのがわかる。
最後に引用したのは、トルストイが死去したのが、その年の十一月二十日であったから、ただちに内村はこの文章を書いたのがうかがえるし、そこに彼のトルストイへの強い関心が現されている。
このトルストイの著作に強い影響を受け、世界的に大きな影響を与えたのが、インドのガンジーであった。
彼は若いとき、アフリカにいるときに、ひどい人種差別を受け、その撤廃のために非暴力の方法によってそのような差別的法律に反対する運動を始めた。ガンジーは、イギリスで学んだときにキリスト教に触れていたが、その後も南アフリカで、クェーカーのキリスト者たちとも強いつながりを保った。
差別に非暴力の手段で抵抗するうちに多くの人たちが逮捕され、その家族を支えるための場としてつくられた施設が、「トルストイ農場」と名付けられたことをみてもトルストイの影響の大きいことがうかがわれる。
彼は、次のように言っている。
…新約聖書からは、(旧約聖書とは)全く違った印象を受けた。とくに山上の垂訓(マタイ福音書五〜七章)は、私の心に直接に通じるものがあった。…
「しかし、私はあなた方に言う、悪しき者に逆らうな。もし人があなたの右の頬を打つなら、左をも向けよ。」という一節は私の心をこよなく喜ばせた。
このような態度は、宗教の最高のあり方として、非常に強く私の心に訴えるものがあった。…
トルストイの著作「神の国は汝らの内にあり」は、私をとりわけ惹きつけた。それは私に永久的な印象を残した。」
(「ガンジー」89頁、131頁 スタンレー・ジョーンズ著 一九五五年刊)
ガンジー自身は、ヒンズー教徒であると言っているが、このように彼の生涯を決定的にした非暴力による戦い、ということは新約聖書のキリストの教えと、それを情熱的に説いたトルストイの影響が最も大きく働いたのであった。
彼は、非暴力の教えを、インドの書物からも学んだが、こう言っている。
「その教えー悪に対するに善をもってなすーが、私の指導的原理となった。私はそれに強い熱情を感じた。…私の心の中にしっかりとこれを結びつけたのは、新約聖書である。」(同右 )
また、ガンジーに最大の影響を与えた書物、または人物は誰か、との問いに答えて、
「書物では聖書、人物では、ラスキン、及びトルストイ」と答え、後年になってインドの古い書物であるギータを付け加えたという。
そして彼が終生の住み家とした小屋のような家には、電気もなく、小さな机、書棚があり、そこには、インドの古い書物ギータと共に、ヨハネ福音書が置かれ、文鎮には、「神は愛なり」という、ヨハネの手紙にある言葉が刻まれていた。また、壁の一方には、キリストの絵がかけられていた。
(「ガンジー」カルヴィン・カイトル著 二二四頁 一九八三年刊)
このようにして、キリストの非暴力による戦いの精神は受け継がれ、さらにこのことは、アメリカの黒人の差別撤廃運動に決定的な足跡を残した、マルチン・ルーサー・キングにつながっていく。
キング牧師は、ガンジーの影響を強く受けたことを繰り返し述べている。
こうした大きな流れ、もとをたどっていくと、結局はキリストにその源がある。 そのキリストに二千年を超えたそのような現実的な力を及ぼすのは、「悪人に手向かうな。敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と言われた主イエスの教えが、単なる教えでなく、背後に神の力と権威があるからである。
大地の下を地下水が流れているように、この世界の奥深いところに神の真理がその力とともに流れているからである。
主イエスが、「天地は滅びる。しかし、私の言葉は滅びることがない。」と確言された通りである。
アメリカはキング牧師の働きを国家的重要性を持つものとし、永久的に記憶に残すべきとして、彼の誕生日(一月十五日)を記念して、一月の第三月曜日を国家の祝日にしている。
誕生日が祝日になっているのは、他にはワシントンとリンカーンだけだから、アメリカの歴史で特に重要な位置づけがなされているのである。
キング牧師は、その短い生涯の終りに近い頃、はっきりと平和への道を聖書にあるように、啓示されていた。
…今日も、そして明日も困難に直面するとしても、私にはなお夢がある。それはアメリカの夢に深く根ざした夢なのだ。
つまり、いつの日か、この国が立ち上がり、
「我らは、これらの真理を自明のものとして承認する。すなわちすべての人間は平等に造られている」(独立宣言の一句)というこの国の信条の持つ真の意味を生きるようになるという夢なのだ。 …
私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。
So even though we faces the difficulties of today and tomorrow,
I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed. "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood. I have a dream !
…ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか!
そして、私たちが自由の鐘を鳴らす時、
私たちがアメリカの全ての村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴らすその時、
全ての神の子たち、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、
皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。
「自由だ!ついに自由だ!全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由になったのだ!」と。
Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every mountainside. …
When we let freedom ring, when we let it ring from every tenement and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old spiritual,
"Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last."
このキング牧師の演説には、彼が、すでに引用した、旧約聖書の次の箇所と相通じるものがある。
…終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」 (イザヤ書二章より)
キング牧師のあの数々の危険に直面してもあくまで、キリストの精神に従って非暴力の抵抗を示したその背後には、このように、神からの啓示を受けていたという事実がある。
啓示は単に未来のことを知らされるということに終わるのでない。それは、力を伴うのである。
このように、聖書の表現では、啓示を受けた、ということを、キング牧師は、より一般的にわかりやすい言葉、「夢がある」という表現を用いた。
旧約聖書では、しばしば、「幻」と訳されているが、これは適切な訳語ではない。原語としては、ハーゾーンが、主として用いられていて、ハーザーという「見る」という動詞の名詞形であって、英語訳聖書では、vision と訳されている。これは、日本語の「幻」という語は、「実際にはないものが、あるように見える」 のであるが、聖書に言う預言者が見ることを許された「幻」はそのようなものではない。
例えばイザヤ書の冒頭に、「イザヤの見た幻(ハーゾーン)」とある。これは、イザヤが霊的に引き上げられて、普通の人には見えないものが、見えるようにされたのである。これは霊的な現実のことを、ベールをとって見させていただいた、ということなのである。
キング牧師は、一九六八年四月三日、暗殺される前夜におどろくべき演説を行なっている。
…私自身、自分の身の上に何が起こるか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。しかし、私はそんなことはもう気にならない。
私はすでに山の頂きに登ってきたからだ。…
今はただ神の意志を現したいという気持ちでいっぱいだ。神は私を山の頂きまで登らせて下さった。
その頂きから約束の地が見えた。 …分かって欲しいのは、私たちは一つの民として約束の地に行くのだということだ。
だから今私は喜んでいる。私はどのようなことにも心は騒がない。
主が栄光の姿で目の前に現れるのをこの目で見ているのだから。
この生涯で最後の演説は、差別と悪に満ちた現実と、神の究極的な喜ばしい世界とが重なり合った緊張ある内容となっている。
暴風雨警報の出ている中、立錐の余地もない一万一千人の人たちを前に、準備する時間もなく、原稿も用意することなく、彼は演説に臨んだ。そして霊に導かれるままに語ったのであった。
彼は、「すでに山頂に登ってきた」といった。これはモーセが、約束の地を前にしてヨルダン川の東の山の頂きからその場所を見つめたという聖書の記述が背景にある。
しかしそれにとどまらず、預言者たちが霊によって引き上げられたということと同じであって、彼の魂の目は、はっきりと神の約束の地、そして世の終わりのときに、すべての差別もなくなって、真理のもとに流れてくる、という預言者イザヤと同様の啓示を受けていたのであった。
この神の国を目指す流れが歴史の中においても確固として存在し、それは多くの名も知られない人々の心の中を流れ、適切なときにすでに述べたような特別な証し人が起こされてきた。
旧約聖書において、イザヤ書やミカ書以外にも、詩篇においてもこうした最終的な平和が預言として記されている。
「地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き矢を折り、盾を焼き払われる。力を捨てよ、知れ、私は神。国々に、そして この地であがめられる。」(詩編46の9〜10)
しかし、それが地上において現実になるためには互いに憎み合い、攻撃しあうような本性そのものが打ち砕かれねばならなかった。
その目的のために、人々の罪を担って、自らの命を捨てるようなお方が現れることが預言された。このような人間が現れることが、不可欠であるのを、イザヤ書五十三章は述べている。
… 彼は軽蔑され、人々に見捨てられた…
彼の受けた懲らしめによって
私たちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、
私たちはいやされた。
…わたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
屠り場に引かれる小羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。…
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。(イザヤ書五三章より)
こうして真の平和のためには、特別なお方の犠牲による死があるのだということが預言され、ずっと後になって、たしかにキリストが現れ、この預言通りに生きられたのであった。
イザヤ書で預言され、キリストにおいて完全に実現された平和への道、それは、他者の罪を担うために、自ら命を捨てるというキリストの犠牲によって成就された。
さらに、イザヤ書には、最終的な平和ということも記されている。それは、世の終わりを見つめてのことである。
それは新しい天と地という言葉で表現されている。
… 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
(イザヤ書六五・17〜18)
わたしの造る新しい天と新しい地が
わたしの前に永く続くように
あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと
主は言われる。(イザヤ書六六・22)
しかし、このイザヤ書の箇所とその前後を読むと、「新しい天と地」は、まだイスラエル民族や彼らの信仰の中心であったエルサレムのことと結びつけられて記されている。しかし、この箇所は、将来の全世界、さらに宇宙に生じる最終的な状況を預言するものとなった。
このことは、主イエスが次のように言われたことと深くつながっている。
…その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子の徴が天に現れる。(マタイ二四・29〜30より)
このように、すでにあるこの世界(宇宙)が過ぎ去るということが言われている。主イエス自身も、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(同35)と言われた。
この目に見える天地宇宙は滅びる、と言われる。しかし、滅びないものがある。ここでは、キリストの言葉である。キリストの言葉とは、神の言葉であり、神のご意志に他ならない。
そしてその神の万能のご意志によって、世の終わりには新しい天と地が創造されるということが、聖書の最後の巻である黙示録に記されている。
わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。 (黙示録二十一・1)
これは、主イエスの言われた言葉、「太陽も月も暗くなり、星も光を失う」ということは、「天地が滅びる」ということであり、その上で、新しい天と新しい地が生じる、ということである。
ここに、聖書における平和の究極的な姿がある。今の人間や世界をどれほど改善しようとしても、人間の本性はよくならない。
これは、戦後六〇年を振り返っても分る。教育は戦前よりはるかに普及し、物質的にも世界最高レベルといえるほどに豊かになっている。しかし、だからといって平和が来るのではない。
イザヤ書や黙示録で言われているように、この世の延長上に究極的な平和が人間の努力や会議などで来るのでなく、神の万能の力によって新しい天と新しい地がもたらされることによって来るのである。
それは、キリストが来られてからは、キリストが再び来ることによってであると記されている。このように、世界の平和というのは、信仰によって啓示されるものなのである。
そのように、究極的な平和ということを指し示しつつ、この世に生きる人間にその平和の本質的なものを実感することができるような道を開いて下さった。それが次のよく知られた意味深い言葉である。
、
…わたしは、平和(平安)をあなたがたに残し、わたしの平和(平安)を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心配するな。恐れるな。 (ヨハネ十四・27)
日本語の「平和」という言葉は、戦争がない状態ということを主として連想し、「平安」というと心の安らかな状態を意味する。
平和憲法を、平安憲法などとは決して言わないし、平和会議、平和主義とは言っても、平安会議とか平安主義などとは言わないことからわかるように、この両者に意味の違いが明らかに存在する。
ヨハネ福音書のこの箇所についても、訳語によって、社会的平和、戦争のない状態を意味するように受け取ることになったり、平安と訳されると、精神的な安らぎを意味するようなニュアンスとなる。
しかし、原語ギリシャ語のエイレーネーの持っている意味は、そのさらにもとになっているヘブル語のシャーロームという言葉の意味が根底にある。
ここで約束されている「平和」とは、戦争のない状態を意味するのでなく、キリストの平安である。
この、主の平和を与えるという約束と、主イエスこそが闇に輝く光である、ということとは深くつながっている。神の光を受けるならば、私たちの魂は平和を与えられるからである。
…わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。… (ヨハネ福音書八・12)
これは、この同じ福音書の最初にある次の言葉と響きあう言葉である。
…光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ一・5)
光はいかなる闇にあっても、そこに注がれることができる。聖書の最初にある、果てしない闇が空虚(混沌)と深淵を覆っていたが、そのただなかに「光あれ」との神の一言によって光が生じたという箇所は、このキリストの存在によって完全なかたちで成就したのである。
平和への道、それは聖書の最初から、一貫して示され、いかなる時代の変革や状況にもかかわらずに続き、存在してきた。私たちはこの永遠の平和への大道を示されているのであって、それは、夜空の星のごとくに、今後とも、消えることなく、輝き続けていくのである。
(2006年12月 大阪でのクリスマス講演をもとに修正、加筆。この文は「原子力発電と平和」2011年8月刊に掲載 現在、平和への道はとくに重要なこととなっているので、今回「いのちの水」誌に掲載しました。)
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〇クリスマス特別集会
・日時… 12月24日(日)午前10時〜12時半(いつもは10時半からですが、クリスマス集会は10時からですのでご注意ください。)
・会場…徳島聖書キリスト集会 オンラインも併用。
・内容…クリスマスメッセージ、参加者による1年間の感話、感謝。キリスト者としての証言、希望者による楽器、讃美など。
〇「野の花」文集は 1月に発行予定です。
〇冬季聖書集会 ( 次に、キリスト教独立伝道会からの会報の内容を転載しておきます。)
テーマ: 御言葉の飢饉を克服する道
最も恐ろしい飢饉は食べ物に飢えることではなく御言葉に飢えることなのだ、ということについて学びたいと思います。「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われているように、人間は実に、御言葉が無ければ生きていけない存在です。
家族の問題も、学校でのいじめも、職場の人間関係も、御言葉が無ければ悩み苦しみは深まる一方で生きる力を奪われてしまいます。
戦争も環境破壊も、御言葉に聞き従わない人間の歴史の末路と言えます。
人類は御言葉に飢え、そのために絶滅しようとしているのではないでしょうか。
御言葉こそなくてはならないもの、そのことを心に刻む集会になればと願っています。
今回は徳島聖書キリスト集会場で開催いたします。
オンライン(スカイプ)も併用します。皆様、どうぞご参加ください。
・主催…キリスト教独立伝道会(徳島での開催ですが、企画、プログラムも伝道会の方々によるものです)
・期日…2024年1月6〜7日(日)
・会場…徳島聖書キリスト集会。(徳島市南田宮1丁目1の47
・問合せ先:キリスト教独立伝道会事務局 小舘知子
・冬季聖書集会は、ずっと以前は伊豆半島の会場にて、その後は、神奈川県の郊外にある「森の家」にて開催していましたが、今回は、初めて徳島での開催で、対面とオンラインの併用の集会となります。
徳島の主日礼拝のオンラインに参加されている県外の方は、その当日にスカイプがオンラインになっていたら接続しますが、徳島市の会場に参加の方は昼食や夕食の注文がありますので、必ず申込書に必要事項を記入して小舘知子さんに申込ください。
プログラム
〇1月6日(土)
13:30 Skype 接続開始・会場受付
14:00 開会式
14:15 アモス書読書会(2 時間 45 分)
アドバイザー:吉村孝雄
17:00 賛美タイム 解説:吉村孝雄
18:00 *夕食会(*会場参加者のみ)
お弁当を配達してもらいます。
19:00 (Skype 再開)参加者自己紹介
20:00 お祈りの会(祈りの友課題集使用)
小グループに分かれて、祈ってほしい
ことを話し、お互いに祈り合います。
21:00 一日目終了
会場参加者はホテルへ。
〇1月7日(日)
9:20 Skype 接続開始・宿泊者移動
10:00 主日礼拝 講師:吉村孝雄
12:20 *昼食会(*会場参加者のみ)
お弁当を配達してもらいます。
13:15 (Skype 再開)
聖書講話 講師:吉村孝雄
14:30 閉会式
14:45 終了
・主題…み言葉の飢饉
・講師…吉村孝雄
・アモス書全体の学びからの複数の方々によるメッセージ他。
・1日目の6日(土)は、夕食後の交流会もあります。
なお、会場までの交通に関する問い合わせは、吉村まで 080-6284-3712、または0885-32-3017 会場の電話は 088-631-5123、)
一日目 6日(土)の宿泊をビジネスホテルで予約している方々は、集会場での夜の交流会ののちには、集会員がそのホテルまでお送りすることができます。
・主催…キリスト教独立伝道会
(徳島での開催ですが、
企画、プログラムも伝道会の方々によるものです)
・期日…2024年1月6〜7日(日)
・会場…徳島聖書キリスト集会。(徳島市南田宮1丁目1の47
問い合わせ、申込は小舘知子さんまで
・冬季聖書集会は、ずっと以前は伊豆半島の会場にて、その後は、神奈川県の郊外にある「森の家」にて開催していましたが、今回は、初めて徳島での開催で、対面とオンラインの併用の集会となります。
徳島の主日礼拝のオンラインに参加されている県外の方は、その当日にスカイプがオンラインになっていたら接続しますので申込は不要ですが、徳島市の会場に参加の方は昼食や夕食の注文がありますので、必ず申込書に必要事項を記入して小舘知子さんに申込ください。
なお、今回の冬季聖書集会は、初めての徳島開催ですが、寒さ厳しいなか、遠く県外から18名ほど参加されるとのことです。
・主題…み言葉の飢饉
・講師…吉村孝雄
・アモス書全体の学びからの複数の方々によるメッセージ他。
・1日目の6日(土)は、夕食後の交流会もあります。
なお、会場までの交通に関する問い合わせは、吉村まで
一日目 6日(土)の宿泊をビジネスホテルで予約している方々は、集会場での夜の交流会ののちには、集会員がそのホテルまでお送りすることができます。
〇元旦礼拝
2024年1月1日
午前6時30分〜8時
・新しい年に向けてのみ言葉を受け、ともに讃美、祈りによって新たな一年の祝福と導きを祈ります。
コロナ以前は、会場に早朝6時半に集っての礼拝でしたが、コロナのためオンライン礼拝となっていました。
今回は、4年ぶりに会場での対面での礼拝ができるようになりましたので、オンラインの併用の元旦礼拝となります。
〇「野の花」文集は1月に発行予定です。
〇北田 康広の「主の平和」
CDを希望する方は、左記の吉村まで電話、メールなどで申込ください。吉村(孝)の不手際により、申込したのに送られてこないという方もありましたので、さらにそのような方がありましたら御連絡くださいますように。
なお、以前に発売された北田 康広のクリスマスの讃美集「聖夜」のCDも在庫ありますので、ご希望の方は吉村まで。これは定価3千円ですが、千円(送料込)でお届けできます。他にも北田さんの「人生の海の嵐に」アメイジング・グレイスCD、藍色の旋律などのCDもあります。
〇「祈りの友」新規入会
新たに、北海道のS・Dさん、千葉県のY・Tさん、埼玉のM・Iさんたちが加わることになりました。
ともに、それぞれの方々がより主に引き寄せられ、聖霊が与えられ、担っている困難や重荷に耐える力を与えられ、身近な人々のため、また日本や世界の困難にある方々のために祈りを合わせることができますことを感謝です。
〇主日礼拝 毎週日曜日10時半〜12時半。オンラインと集会場での対面集会の併用。
〇夕拝…毎週第一、第三火曜日夜7時半〜9時
〇家庭集会
・天宝堂集会 …毎月第二金曜日午後8時〜
・北島集会…毎月第四火曜日午後一時〜 第二月曜日午後1時
・海陽集会…毎月第二火曜日 10時〜12時
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〇http://pistis.jp (「徳島聖書キリスト集会」で検索)