「いのちの水」2023年3月号 第745号
(神の)愛は決して滅びない。 神の真実と希望と神の愛はいつまでも残る そのなかで最も大いなるものは神の愛である。(一コリント13より) |
目次
・心に残るみ言葉 H.H. |
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ウクライナとロシアの戦争、現在ではますます欧米とロシアとその同調国との世界的な戦争の様相を呈しつつある。ウクライナ軍がつかっている相当な部分がすでに欧米からの供与されたものであるからだ。
別項に書いたように、ウクライナや欧米の国々の政治の権力を委ねられている人たちが、合同してロシアに行き、武器でなく話合いで解決すべく努力をする道があるにもかかわらず、巨額の砲弾などを用い、たくさんの人たちや設備、建物等々が破壊され、人々の生活も心の世界も破壊されつつある。
そこに一人がどんなにしても そうした武力攻撃をやめさせることはできない。
しかし、キリストが約束した「主の平和」は与えられる。切実に求める人たちには…。
「求めよ、そうすれば与えられる」という主の約束がある。
どんな激しい敵意に出会っても、けっしてゆずらず、あくまで神の最善のご意志に沿った歩みをなされた主イエス、そのイエスが十字架処刑の前に、語った言葉として記されているのが、この「主の平和」である。
十字架上で両手を特大の釘で打ちつけられつつ、そんな気を失うような激痛のなかでも、その一人の重罪人は、主の平和を与えられて、主を仰ぐまなざしを与えられ、「あなたが御国に行かれるときに、私を思いだしてください!」との願いをイエスに訴えることができた。
その人は、イエスは釘付けにされて殺されても 復活して御国(神の国)へ行くのだ、との確信を与えられたのだった。
それこそ、「主の平和」である。
過去の数々の重い罪を犯したこの重罪人は、その罪をふりかえるだけでも、心苦しみ、耐えがたかったであろうし、釘で突き刺されているもだえ苦しみ、その悪行への裁き…等々、人生の最期に闇の力に翻弄されてしまう状況であったが、ただ単純に幼な子のような心もて イエスを仰ぎ見た。
そしてかれはそのイエスから「あなたは今日パラダイスにいることになる」と確言されたのだった。
主の平和が与えられるときには、そうした激痛と深い悔い改めの悲しみにもうち勝っていく力ともなるのだと知らされる。
戦争で日夜苦しみ、愛する人を失い、また重症を負い、家も破壊され…安住する場もなく駅で寒さに震えつつ過ごしている人たち…そういう人たちにも 神の国がきますようにと祈る。
主が示された祈り、「御国を来らせたまえ!」この祈りは、あらゆる人たちに、戦争や病気、家族の問題、自分の過去の罪、愛なきこと…そのような傷や悲しみ、苦しみのただなかに、神の国ー神さまの愛と真実による目に見えない国ー霊的な国を求めよと言われる。
そして、真剣に求め続けるものには、最善のものー主の平和が与えられる。
「主の平和」こそは、あの詩篇23篇がうるわしく表現している深い内容をもっている詩集だと思う。
キリスト教の宣教の出発点としての証し
聖書においては証しということは非常に重要な意味を持っている。
多くの人々は、キリスト教が全世界に広がっていったのは、キリストの教えを受けた人たちが、その教えを広めたからだと思われている。
しかし、そのような教えを3年間、すぐそばでつぶさに聞き、さらにイエスによる数々の奇跡を実際に見てきた弟子たちであったが、それらの教えや奇跡を見たことが弟子たちを世界の宣教へと導いたのではなかった。
すべてを捨ててイエスに従い、そのように三年間も教えを受けた人たちであったが、イエスが捕らわれるときには、みなイエスを見捨てて逃げ去っていった。
教えを受けたり、奇跡を見たりしただけでは、そのときは感動したり心に残ることもあろうが、宣教のための持続的な力ーあらゆる困難に直面してもなお福音を伝えようとする力は与えられない。流れさっていく。
キリストの弟子たちは、いかにして命をかけて危険を顧みずにキリスト教伝道へと進んでいくようになったのであろうか。
ペテロやパウロたちの使命ーキリストの復活の証人となること
それは、意外なことに「教え」を受けたり、奇跡を見たことによってではなく、復活のキリストが聖霊となって彼らが祈っているときに豊かに注がれ、その聖霊がいのちがけで福音を伝えようとする力を与えたからであった。
復活して聖霊となったキリスト(活きて働くキリスト)こそが、弱い弟子たちにそれまで全く知らなかった新たな力を与え、危険をも顧みずにキリストの復活の証しをすることから、全世界への宣教が始まったのである。
聖書を研究したり、あるいは長い人生経験があったから宣教の力が与えられたというようなことは聖書においては意外なことだが、全く記されていない。
最大の使徒といえるパウロも、当時の聖書(旧約聖書)を研究し、専門の律法の教師に教えられていたことを次のように証言している。
…「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。
そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていた…」
(使徒言行録22の3)
しかし、そのような厳しい学的研究にもかかわらず、パウロは、まったくキリストの真理はわからず、かえって、大祭司の認証を得て、キリスト者を遠く国外にまで追跡して捕らえて縛り上げエルサレムに連行するほどであった。
パウロがそのようなキリスト教迫害から根本的な転向をして、もっとも豊かに聖霊を受けて宣教する人になったのは、聖書を研究することによってではなく、ひとえに、活けるキリスト、復活したキリストに直接出会って、その命の光を受け、かつ個人的に語りかけられたことによってであった。
そのことは、次のように使徒言行録に明確に記されている。
…サウルがキリスト者の迫害のため、シリアのダマスコ(*)に近づいたとき、突然天からの光が照らした。「サウル(改名前のパウロ)、サウル、なぜ私を迫害するのか。私はあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ、なすべきことが知らされる。…」
(使徒9の1〜参照)
(*)エルサレムからダマスコまで、直線距離でも200数十qある。実際の道のりは、300キロ近くにもなる。そのような長距離をもあえて迫害のために出向いていくというのは、非常な熱心であったことがわかる。
この体験が、パウロの生涯の決定的な重大事であったゆえに、その後のパウロの宣教の働きのなかでも、繰り返しこの体験を証言している。
パウロが命の危険を知らされたにもかかわらず、決死の覚悟でエルサレムに出向いたが、神殿にてユダヤ人たちがパウロは神を汚す者だ、殺してしまえと激しい敵意をもって襲いかかった。そこで、警備していた千人部隊のローマ兵の隊長が、パウロを捕らえ、兵営に運んだ。
そして、そこでパウロは、律法について厳しい教育を受け、そのユダヤ人の宗教を覆すものだと思って、キリスト者たちを迫害し、殺すことさえした。それは大祭司や長老会という最高権威者も認めていることだ。
そうしてキリスト者たちをエルサレムへとはるばる連行していく途中で、天から強い光を受け、復活したイエスから語りかけられた。そして、主は、一人の信仰深いユダヤ人を用いて、パウロがイエスの復活について見聞きしたことを、すべての人にそのキリストの証人となるのだと、告げたのであった。(使徒言行録21の27〜22の16参照)
「復活したキリストの証人になる」、パウロの使命はひと言でいえばこのように単純なことなのであった。
さらに、この証しとほぼ同じことを、当時のユダヤ王であったアグリッパ2世の前でも証ししている。
…私は、多くのキリスト者たちを牢獄に入れ、彼らが死刑にされるときにはそれに賛成し、また至るところの会堂で彼らを罰して、イエスを冒涜するように強制し、彼らに対してしばしば怒り狂い、外国の町までも迫害をしていった。…
その途中、天からの光を見た。そして復活したキリストからの次のような語りかけを聞いた。
「起きあがれ、あなたが私を見たこと、そしてこれから示そうとすることについてあなたを 証人とするためだ。…
人々を救いだし、彼らの目を開いて、闇から光へ、サタンの支配から神に立ち帰らせ、彼らが私への信仰によって、罪の赦しを得て聖徒(キリスト者)たちとされた人々と共に恵みを分かち与えられるようになるためである。
(使徒言行録26章より)
復活が十字架によるあがないの信仰のもとにあったのは、次のパウロの言葉でも明らかである。
… キリストが復活しなかったのなら、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。
そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。(Tコリント15の14〜19より)
このように強い表現でパウロは、キリストの復活が根本的に重要なのだと熱のこもった言葉でのべている。
死者からの復活があったからこそ、言い換えると、すべてのものが死に呑み込まれていくなかで、ただキリストだけが、その死の力に勝利したゆえに、神の本質を受けていた存在(神の子)なのである。
さらに、罪は死に至らせるが死に勝利する力ある神の子であるゆえに、十字架の死によって死に至らせる罪の力にも勝利したのであって、人はただそのことを信じるだけで罪赦されるという福音の中心にもつながっている。
そしてキリストの復活の証人となること、それは、ペテロたちについても同様であった。
ペテロたちも、聖霊を受けて、最初のキリスト教宣教をはじめたが、そのときに次のようにのべて、イエスの復活をじっさいに体験し、そこから力を受けて、復活を証しすることからその宣教の働きをはじめたのだった。
…神はイエスを死の苦しみから解放して復活させた。… 神はこのイエスを復活させた。私たちはみなそのことの証人である。
(使徒言行録2の24、32)
単純明確なこと、「イエスは復活したのだ!」 という証し(証言)からキリスト教の世界伝道への道が与えられた。
これは、イエスのよき教えが原動力のように言われて、その教えが世界に広まったなどと思われているが、そのような一般的な観念とは大きく異なっている。
教えは一時的な感動や共感を受けても、すぐに消えていく。
しかし、聖霊を受けるということは、教えという一時的なイメージにない根源的な力が与えられることである。
キリスト教宣教は、イエスは復活したという証しから始まったというほど、証しが重要な力をもって、前進させるものである。
一般的には、現代の日本語では、証しというより、証言という事の方がずっと多く使われている。その証言というと裁判の席で証言をするといったような特別な場合しか使われないことが多い。
証しとは証言と同じ意味をもって使われるが、その本質は、本当のこと、真実なことという内容。 〜について証言した、とはその語ったことが人間の考えとか推察、予想といったことでなく、ほんとうのこと、真実であることを意味している。
聖書という本は、ほかの書物と根本的に異なるのはこの点である。
それは、人間の考え、思想、哲学、あるいは思いつきや伝統、習慣、一時のひらめきといったような特殊なもの、一時的なもの、偶然的なもの、また時代や民族環境あるいは人間の年齢、性格…等々、そうしたものに影響を受けない永遠的なもの、普遍的なものを記している書物である。
だからこそ旧約聖書も含めると数千年の寿命を持って今日もなお世界で最もよく読まれているし、出版されている書物であり続けている。
それなぜか、一言で言えば聖書が真実を証言する書物だからである。しかもそれが移りやすく変わりやすい人間が勝手に考えたこと、自分で考えたことを正しいとして言うのでなく、人間を無限に超えた神、この宇宙万物を創造し、しかも愛と真実に満ちたその神の証言である。
ヨハネ福音書における証し(証言)の重要性
ヨハネ福音書において、とくにこの「証し」という言葉が多く使われている。
この「証しする」、「証し」 という動詞と名詞を合わせると、マタイ、マルコ、ルカの三福音書を合わせてもわずか6回しか用いられていないのに、ヨハネ福音書とヨハネの手紙では合わせて60回も使われている。(*)
(*)「証しをする、証言する」というギリシャ語(動詞)は、マルテュレオー martureo というが、この言葉は、つぎのように、ヨハネ福音書において特別に多く用いられている。
マタイ 1回、マルコ0、ルカ 1回、ヨハネ福音書 33回、Tヨハネ手紙 6回
「証し」「証言」(名詞)というギリシャ語は、マルテュス martus であるが、これについても、ヨハネ福音書とヨハネの手紙で 21回も使われているのに対し、ほかの三つの福音書を合計しても4回である。
なぜ、このように多くの「証し」をするという言葉がほかの三つの福音書と比べて格段に多く用いられているのか、それは、著者が証しということをとくに重んじるようにとの神からの啓示を受けたからである。
ほかの三つの福音書では、主イエスが何を教え、何をなさったかということをできるだけそのままに書こうとする姿勢がある。ことに最初に書かれたマルコ福音書にはその特色がはっきりしている。
しかし、ヨハネ福音書は最後に書かれた福音書であるために、単に事実を書くということなら、すでに三つの福音書にあるので、それらを基礎とした上で、神からの聖霊による示しを受けたことが書かれているという特質がある。
それは、ヨハネ福音書の冒頭からすでにあらわれている。「はじめに言があった。言は神であった。…」ということは、イエスが行ったこととか、直接教えたこととは違って、著者のヨハネが神から啓示されたこと、聖霊によって示されたことが書き記されている。
このことがすでに「証し」である。ヨハネが神の霊によって示されたことが書かれている。キリストこそは、永遠の存在であり、万物の創造者でもあり、現在も生きておられるといったことは、肉体をもっていたときのイエスが教えたことでなく、復活して天に帰った主イエス(復活したキリスト)が、教えたことである。
そしてそれを実際に霊の耳で聞き取ったゆえに、「キリストは永遠の存在であり、神と同質である」と証言しているのである。
ヨハネ福音書はこのように見てくると、著者が受けたキリストの証しで満ちている書であると言えよう。
キリストは光である、それが暗闇のなかで輝いている。暗闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ福音書一・5)
これも、キリストがいかなるお方であるかという証言である。
私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
(ヨハネ一・16〜17)
これも同様なキリストについての証しである。考えたことを議論したり、意見を言っているのでなく、ヨハネや彼と同様にキリストを信じるようになった人々が、ほかでは決して与えられなかった、深い恵みを受けたということなのであり、ヨハネたちにとって最も重要な命の言葉であると証ししているのが、この文である。
そしてそのようなキリスト者たちの証しがなぜ、神の言葉と言えるのか、と思われるかも知れない。
それは、こうした証しや真実な信仰者たちの祈りや叫び、あるいは讃美を集めた旧約聖書の詩編が神の言葉として聖書に収められているのは、それが人間の祈りや讃美であっても、その背後に神がおられて、神がそのような祈りや讃美へと導かれたのであるから、それらは単に人間のきままな考えや感情でなく、神のご意志、お心の反映であるとみなされるからである。
キリストのさきがけとして現れて、人々の心を神の方向へと向け変えることになった洗礼のヨハネも、キリストのことを証言したことが記されている。
…ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。
「『私の後から来られる方は、私より優れている。私よりも先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことである。」
(ヨハネ福音書一・15)
さらに、このヨハネはキリストの本質を証言してつぎのように言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!(ヨハネ一・29)
この短い言葉は、一見なんでもないように見える。しかし、これは実に広く深い内容をわずかの言葉に凝縮したものである。
罪とは人間がだれでも持っている真実な愛や正しいことにそぐわない深い不信実な心、あるいは意志である。それがあるから、自然のままの人間は、主イエスが言われたような、「敵対する人を愛し、その人のために祈る」というようなことはだれもできない。
自分中心に考え、思い、そして行動することが罪であるゆえ、そのような深いところにある罪の問題をきびしく扱う。
人間がどれほどそのような深い罪を持っているか、本人も分からない。自分はそんな罪など持っていないと思い込んでいても、ふとしたときにそれが現れ、自分の罪深さを思い知らされる。
聖書にもそうしたことは多く記されている。
苦難の折り、敵対するものが次々現れてくるときには、ただ神に依り頼み、復讐とか憎しみなどの感情を相手に持つこともしないで、神の助けを祈り願う人であったが、そのダビデがそのような数々の困難のすえに王となって周囲の敵をも平定して安楽な生活となったとき、重大な罪を犯してしまった。ダビデは自分がそんな罪を犯してしまうとは夢にも思わなかったであろうと思われる。
また、新約聖書ではキリストの弟子ペテロのことも思いだされる。
主イエスが、まもなく自分が捕らえられ、十字架にかけられて処刑されると予告したとき、弟子のペテロは、自分は死ぬことがあっても、イエスに従っていくと、断言した。
しかしそれはまもなく全くの偽りの言葉になってしまった。命がけで従うどころか、イエスが捕らえられたあと、あまりの動転のゆえに三度もイエスなど知らないと否認してしまったからである。
このように、人間は自分の限界、罪ということすら分かってはいない。それゆえ、自分の罪を取り除くということは不可能であるのがすぐに分かる。他人の罪を除くことなど到底できないのはなおさらである。
しかし、洗礼のヨハネは、キリストだけは、世の罪、すなわちあらゆる世界のすべての人たちの罪を取り除くことを確信していた。世の罪とは現在の世界に生きる人たちだけでなく、現在の生きている人々、将来の人間など一切の罪を除くことができるということである。
何という大きなわざであろう。これは驚くべきわざであり、このようなことは人間がすることはありえないことである。
洗礼のヨハネは、そのことを自分の修行でも学問や他人からの教えでもなく、ただ神からの直接の啓示によって知ったのである。
さらに、そのヨハネの言葉にある、「世の罪を取り除く神の小羊」という言葉の後半のことも意味深い。「神の小羊」とは何を意味するのだろうか。
この一言を理解するにも、旧約聖書で「神に捧げられた小羊」というのがどんな意味を持っていたかを知る必要がある。聖書はたしかに、より正確に理解しようとすれば、旧約聖書が不可欠になる。旧約聖書において、小羊とは、次のような意味をもって記されている。
エジプトの奴隷の生活から解放されるという前夜の最後の食事としてとったのが小羊の肉であったが、その血を、家の入り口の柱と鴨居に塗った。それによって神のさばきが過ぎ越したという故事があった。これは、きわめて重要であったからこの月を正月とした。そして以後の歴史を通じてこのことが過越の祭として行われることになった。
キリストはまさにこの小羊の役割を果たして、信じる人が罪のために受けるはずの裁きを赦され、義とされるために来られたということを証言している。
…また、私をお遣わしになった父が、私について証しをしてくださる。(ヨハネ五・36)
このように、神ご自身が、イエスに特別な力を与え、神と一つになった存在ー言い換えると神の子であることを証ししている。それは次に言われているように、イエスが行っている業によって示されている。
…しかし、私にはヨハネの証しにまさる証しがある。父が私に成し遂げるようにお与えになった業、つまり、私が行っている業そのものが、父が私をお遣わしになったことを証ししている。
(ヨハネ福音書五・36)
このように述べて、主イエスのなさっている業(はたらき)は、神から来ていることを証ししていると言われている。
イエスの行った業、それはいろいろとあった。しかしそれは当時の人たちが、メシア(救い主)というものに期待していた業とはあまりにもかけはなれていた。それゆえ、イエスのことを証言した洗礼のヨハネですら、後になってイエスは本当に預言されていたメシア(救い主)であるのか、と大きな疑問を抱いたほどであった。
イエスはご自身の業の特質をつぎのように言われた。
…目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病(ハンセン病が多かったと思われる)を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
私につまずかない人は幸いである。(マタイ11・5〜6)
このように最も苦しむ人たち、さげすまれている人々、闇にある人たちが新しい力を与えられ、救われているという事実であった。このような何の権力も社会的な地位もないような、無視されている弱い人間が生きかえったようになったといっても、そんなことで、国全体がよくなったり、ローマの圧政から救われるのか、といった疑問がだれの心にも根ざしてきたのであり、それが洗礼のヨハネですらそのような疑問を持つに至ったということである。
このように、主イエスの業は開かれた目を持った人にはたしかにそれが、神の業であるということを示すものであったが、当時の旧約聖書の学者たちも理解できなかった。そしてそのあげくにイエスを殺そうとまで考えるようになった。
さらに、主イエスは、つぎのように言われた。
…あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ。
(ヨハネ五・39)
ここで言われている聖書とは、旧約聖書のことである。旧約聖書は、キリストについて証ししているという。このことは、表面的に旧約聖書を読んでもとても気付かないことである。しかし、よく読むと、旧約聖書はさまざまの意味でキリストを指し示しているのがわかってくる。
例えば、旧約聖書の冒頭にある、闇と混乱のただなかに、「光あれ!」と神が言われたら光が生じた、という記述は、ヨハネ福音書で言われているように、キリストご自身がたしかに闇に輝く光そのものであったことを指し示すものである。
…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光に打ち勝たなかった。(ヨハネ一・4〜5)
また、マタイ福音書においても、光とはキリストのことであるとして、預言者イザヤの預言を引いて次のように記されている。
…暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。(マタイ四・16)
また、使徒パウロも次のように述べて、創世記の記述はキリストにある新しい時代を前もって証していると
受け止めていたのを示している。
…「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、私たちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さった。(Uコリント四・6)
また、創世記の終りのほうに、次のような記述がある。
…ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。あなたの手は敵の首を押さえ
父の子たちはあなたを伏し拝む。
王笏はユダから離れず、
統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て諸国の民は彼に従う。
彼は、ロバをぶどうの木につなぐ。
彼は衣をぶどう酒で洗う。(創世記四九・8〜11より)
こうした文章は分かりにくいが、全体として言われているのは、つぎのようなことであろう。
ユダで表されるその子孫には特別な力と祝福が与えられ、その子孫から現れるメシア(キリスト)は、敵(悪)の力を支配し、王権が与えられ、世界の民が霊的な意味でそれに従う。
そして、そのメシアの時代には、貴重なぶどうの木の実をロバに食べさせるほど、服をぶどう酒で洗うという象徴的表現で言われているほどに、豊かなめぐみのあふれる時代になる。これは、ヨハネ福音書の冒頭で次のように言われていることを、遠い昔から証ししていると言えるのである。
…私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ一・16)
このように、一見関係なさそうに見える箇所であっても、驚くべきことにそれらはキリストを証ししているのが浮かび上がってくる。
まだメシアのことなど、ほとんど誰も意識しないような時代にあっても、神から特別に引き上げられた人には、闇のなかにきらめく光を見るように、はるかな将来に実現させようとする神の御計画の一端、しかも本質的な内容の一端が啓示されるのがわかる。
旧約聖書はキリストを証しする書
旧約聖書がキリストを証ししているということは、詩編やイザヤ書にもしばしば見られる。
主イエスが最期に息を引き取る直前に叫んだ言葉、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!」(わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!)という言葉は、そのまま旧約聖書の詩編の二二編の冒頭に現れる言葉である。
エリ、エリは、ヘブル語。レマ、サバクタニは、アラム語。マルコ福音書では、エロイ、エロイ、となっていて、前の部分もアラム語。 このように、旧約聖書の原語であるヘブル語や、イエスの時代に使われていたアラム語でこの主イエスの叫びが記されているのは、それほどに当時の弟子たちや人々の心にその叫びが深く刻み込まれたということであり、しかもその言葉が、イエスより数百年も昔の詩編の作者の叫びとまったく同じであり、その詩編がイエスのこの最後の叫びの預言となっている。
この詩編二二編は、ほかにも、人々があざける言葉なども、驚くほどイエスの十字架処刑のときの周囲の人たちのあざけりと共通している。
…私を見る人は皆、私を嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る。
「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」 (詩編二二・8〜9)
これは、先ほどの「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか」という叫びの後に現れる内容であるが、これは、次のように、新約聖書でキリストが受けた侮辱を予告するかのように似た内容となっている。
…そこ(イエスが十字架にかけられている場所)を通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。
「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『私は神の子だ』と言っていたのだから。」
(マタイ27の39〜43)
さらに、詩編二二編にある、つぎのような小さいことに見える出来事すら、キリストの十字架のときに同様なことが生じているのに驚かされる。
…彼らは私をさらしものにして眺め、
私の着物を分け
衣を取ろうとしてくじを引く。(詩編二二・18〜19)
これは、福音書の次のように記された出来事を預言するものとなっている。
…それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、
その服を分け合った、
だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
(マルコ15の24)
このように、詩という本来は個人の苦しみや嘆き、讃美や祈りを内容とするものが、キリストのことをそのまま指し示すものとなっているのである。
詩編が書かれて数百年という歳月が経った後で、このように実際にキリストに関することが現実にそのように起こるということは、到底偶然とかいったものでなく、時間を超え、歴史の流れのなかで御計画をなされていく神の御手を感じさせることとなっている。
さらによく知られているように、旧約聖書のイザヤ書では、いろいろの箇所でキリストのことが預言されていて、全体としてキリストを証しするものとなっている。
…彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い…。
私たちは彼を軽蔑し、無視していた。…
彼が打ち砕かれたのは、私たちの罪のためであった。
彼の受けた苦しみによって
私たちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、私たちはいやされた。…
私たちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。…
彼は口を開かなかった。…
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。…
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。 (イザヤ書53の3〜12より)
このような言葉が、実際にキリストの受難より五〇〇年あまりも昔にすでに言われていた。これはキリストの受難とその意味を深くとらえている。それは現代のキリスト者の心の深いところにある霊的な体験であり、またキリストを信じるに至ったのは、まさにこのイザヤの預言したキリストのことを信じて受け入れたからに他ならない。
これは、旧約聖書がキリストを証ししている、預言しているということのいくつかの例であるが、これら以外に全体としてみれば、旧約聖書は随所でキリストを指し示している、キリストのことを証ししているのが感じられる。
この世はまったく真実も愛も通用しないように見える場合も多い。武力や金の力、権力などで多数の人間を支配し苦しめることは、古来数知れない。またそれらとは全くことなるが、病気とか飢えによる苦しみや悲しみによってもどこに神がいるのか、と深刻な疑問を抱かせることも随所に見られる。
キリストの証しとしての聖書
しかし、こうした混乱と闇と疑いのただなかで、一冊の書物が星のように輝いてきた。それこそ聖書であって、それはすでに旧約のときから今まで述べたように、キリストへとレンズで光を一点に集めるように、キリストのところへと焦点が合わされているといえよう。
ヨハネ福音書において、主イエスが、「聖書(旧約)は私について証しをするものだ。」(ヨハネ五・39)と言われたのは、このような意味であった。
現在の私たちには旧約聖書とともに、キリストを直接に証しする文書である新約聖書が与えられている。それゆえ、このキリストの言葉は、そのまま全部の聖書についてあてはまることとなった。
そして新約聖書を知らされている私たちには、さらに聖書だけでなく、神の創造された自然の広大な世界もまた、キリストを証ししていると言える。
それは、キリストとは、一般的に言われるような偉人といったものでなく、神と本質が同じであり、神とともに永遠から永遠へと存在しているお方である。
…はじめに言があった。言は神であった。万物は言によって成った。
(ヨハネ1の1〜3より)
ここでいわれている言とはもちろん、私たちがふつう使っている言葉という意味ではない。今から二〇〇〇年ほど前に、人間の姿をして現れ、イエスと名付けられる以前から、実は存在しておられたのであって、その永遠の存在を、ギリシャ語でロゴスという歴史的にも重要な意味深い語を用いたのである。
ロゴス logos とは、ギリシャ語では、哲学における最も基本的な用語の一つである。それは、理性、原理、言葉、理(ことわり)など多くの意味がある。
すでに紀元前五〇〇年頃のギリシャの哲学者であったヘラクレイトスは、「万物の生成はロゴスに従っている」(「ギリシア思想家集」32頁 筑摩書房)と述べて、万物の根源にある目に見えない法則のようなものをロゴスと言っている。
こうした考え方は、後の時代にも受け継がれていったが、ヨハネ福音書の冒頭の言葉は、このようなギリシャの最高の知性が考えていた宇宙の根源たるロゴスが、実はキリストであったのだと言おうとしているのである。
そしてそれに加えて、旧約聖書の冒頭からいわれているように、神の言葉(ロゴス)が持つ、創造の力を重ね合わせたものとして、ロゴスという言葉を用いている。
こうした点から、キリストは単なるよい教えを説いた古代の教師というような存在ではなく、永遠の昔から存在していた宇宙万物の創造者でもあるというのが本来のキリスト信仰なのである。
これは、ヨハネ福音書だけでなく、ヘブル書にもやはり重要なので、その冒頭に記されている。
…この終わりの時代には、御子(キリスト)によって私たちに語られた。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。
(ヘブル書1の2)
このように、キリストによって世界は創造されたということであるから、私たちの周囲の自然もまた、キリストの本質がそこに刻まれていることになる。
新緑の初々しさ、野草の繊細な美しさ、そして年月を経た樹木の堂々たる姿、あるいは、はるかに連なる山なみの持つ静けさと力、そして、海の押し寄せる大波の力強さ等々すべてそれはキリストを指し示し、キリストを証ししていると受けとることができる。
私たち一人一人が、聖書の言葉やそれについての印刷物、文章などによって、それまでの神を信じない生活から根本的に変えられ、自分の罪深さを知り、そこからの救い主を知らされて新しい生活へと導かれていくのも、キリストの力であり、キリストを証ししている出来事である。
以上のように、ヨハネ福音書がとくに「証し」という言葉を多く用いているのは、実に多様なものがキリストを証ししているからである。それは、開かれた目をもって見るほど一層キリストを証ししているのに気付くようになってくる。
そして、使徒パウロは、キリストの存在が深く迫ってきて、キリスト教の迫害者から180度転換して、キリスト教の最大の使徒とせられた。
そのパウロは、神から特別に選ばれた存在だから、安楽な生活を送ったかというと決してそうではない。神様を信じていたら苦しいことに出会わないといったことは、聖書でも言われていない。
マリアは、キリストの母として特別に恵まれた存在と思われている。
しかし、だからといってマリアは、苦難もなく、安らかに過ごしたというのではない。イエスが胎内に宿ったといえども、天使から「あなたは剣で心を刺し貫かれる」という驚くような預言を受けている。
(ルカ2の35)
パウロは、宣教の過程で幾度も死ぬかと思うほどに迫害や、船の難破で苦しむことがあった。
…兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Uコリント1の8〜10)
このように、神からとくに祝福を受けて聖霊を豊かに与えられているからといって、苦難に遭わないのではなく、かえってさまざまの危機的状況に陥って死を覚悟するほどだった。
しかし、そこからパウロはそんな状態からであっても必ず神は救いだして下さったから、今後も救ってくださると神に希望をもち、確信している。
そのことが、証しとなっている。
以上のように、証し、証言 という言葉は日頃の生活ではあまり出会わない言葉であるが、聖書においては、神のわざの証しで満ちているといえるほどである。
それはみな、その証しのわざをとおして、いっそう神のもとへと導こうとされている神の愛を感じさせるものとなっている。
国の国境は歴史のなかでしばしば大きく変えられて今日に至っているし、次々と国は滅び、また別の国が領域も広くなったり、また小さくなったりしてさまざまの国となり、そこに住む民族もしばしば大きく入れ代わったり、混血したりしていった。
数千年前から、国境も民族構成もみな変わらないなどという国は皆無である。数千年前ということになると、日本も記録もない。世界では、同様な民族が多数を占めていたのであって、そもそも文字もなければ、そうした正確な記録もない。
国連で、ウクライナとロシアの戦争で議論がなされたとき、アフリカの国の代表は、もし、国境ということで不満があるといって武力で攻撃しあっていたら、アフリカではいまよりはるかに困難な事態となって激しい武力闘争がおさまることがなかっただろう、と言っていたのを思いだす。
アフリカの国境は、その多くが、地元住民の意見とかでなく、イギリスにおいて、アフリカを支配していた国々によって決められた国境を甘んじて受けて現在に至っている。
だから、 ロシア、ウクライナも、双方が国境のことで武力闘争などしないで、話合いをして双方に不満があっても、話合いを繰り返し尽くしてある程度のところで双方が受け入れたら、たくさんの人々が死んだりしなくてよいのだーといった意見を出していたのが心に残っている。
今回の戦争は、まったくの別の国に、突然に ロシアがウクライナに攻撃してきた、ということでなく、千年以上昔から、ルーシと言われたキエフ大公国の歴史をみれば、実に複雑な歩みをしてきたのだとわかる。国境がさまざまに変容してきたウクライナは、最大のときは、バルト海までその領域を広げた大国となった時期もあったが、モンゴルの侵略によって崩壊し、それ以後さまざまの支配がなされてきて、国境も大きな変動があった。
その後、近代となって、ロシア帝国が崩壊し、1917年にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生してウクライナもその連邦を構成する国となった。
また、西ウクライナと東ウクライナに独立、混乱が続いた。
1933年には、スターリンによって反ソヴィエト的であったウクライナの農民から徹底的に農産物、種も奪い取られ、作物もできず、人工的な飢餓状態とされ、数百万人が餓死するという信じがたいような残酷な政策が実行され、そうしたスターリンのきわめて非人道的な支配に深い悲しみと苦しみを味わったスターリンの妻が自殺するという事態となり、その以後いっそうスターリンはその悪魔的なやり方を強めていき、自分の部下の高官であっても、根拠のない深い猜疑心から、次々と処刑していったことが知られている。
スターリンは2500万人ものロシアの人々を恐怖政治で支配する目的で、殺害したと言われている。
そのような人の死を何とも思わないようなスターリンへの高い評価を与えようとしているのが、プーチン大統領であり、チェチェン戦争やジョージア攻撃などにみられるやり方は、いちじるしく強権的で、スターリンと似たところがある。
第二次世界大戦において、ウクライナ人は、数百万人がドイツに送られて強制労働された。
また、ソ連とドイツの大軍同士の戦場となり…第二次世界大戦でのウクライナの犠牲者は700万人にも達するという。
フルシチョフ政権となると大粛清の犠牲となったウクライナ人の名誉回復がされ、1954年にクリミア半島がロシアからウクライナへ移管されたことも歴史に記されているが、こんなことは、現在の状況からすると考えられないようなことと思われるほどである。
さらに、その後、2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命、ロシアによるクリミア半島支配、以後8年にわたって、ウクライナの西部はロシアとの戦争状態が続いていた。
このように、国境そのものが一定せず、たえず変更され、さまざまの国や民族が入り込む複雑な状況であった。
このようなことを書いたのも、日本が防衛力を一段と増強させるとして、敵基地をも攻撃する武力をもそなえたり、一発5億円余りもするというトマホークを400発購入したと報じられている。
日本がもしウクライナのように武力攻撃されたら…と言うが、もともとロシアとウクライナとは 長い歳月にわたって、何らかの紛争が生じてきたし、もともとは、ウクライナの首都のキーウ(キエフ)は、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどの国々の原点とみなされてきた。
ベラは白(ベリィ Белый)、ルーシはロシアであり、以前は白ロシアと言われていた。国名にもロシアの名がある。
現在のウクライナ、ロシアなどのキリスト教の出発点が、今から千年余りも昔の、キエフ大公国の大公の夫人オリガであり、ウクライナ、ロシア一帯の最初のキリスト者となった。そして、その孫がウラジーミル(*)で、キリスト教徒となり、ロシア全土にこれを導入した。
(*)ロシアにはこの名が多い。ウラジーは力、支配、ミル(мир)は平和を意味するので、ウラジーミルとは平和の支配、力ある平和といった意味。プーチンもウラジーミルの名であるが平和を壊すことに力を入れてきた。
このような複雑な歴史をもつウクライナであるからこそ、ロシアのプーチンが権勢欲から、8年も続いているウクライナ東部での戦闘を、一挙にウクライナを支配してかつてのソ連時代のように大国を構成する一国としたかったのである。
このようなウクライナ、ロシアとの対立や今回の戦争と 日本の置かれてきた状況と比べるとその違いは著しい。
日本は日本海と太平洋という膨大な堀というべきものがあり、しかもユーラシア大陸の東端であるから、元寇以外には、さまざまの民族や国々からの侵略がほとんどなかった。
そのような日本は、中国やロシア、朝鮮半島の国などからの攻撃を受けて九州とか四国が他国によって領土支配されるなどといったことを受けたことがない。
それゆえにこそ、日本は、世界のどの国にも増して、中立を守ることができる状況にあるし、かつての太平洋戦争での多大の害悪を朝鮮半島や中国、東南アジアの国々になしてきたこと、中国だけでも、一千万とか1500万人とも言われる犠牲者をだしたと言われているし、自国も300万を超える人々が犠牲となり、原爆投下という歴史上初めての悲惨な状況も経験した。
そのゆえにこそ、戦争はやらないとする憲法9条が生まれ、多くの敗戦時の国民にも喜びをもって迎えられたのだった。
中立的立場を堅持し、ふだんから軍事費にあてるべき巨額の経費を周辺諸国の福祉、災害救助、また世界の貧困、医療の欠如、紛争の仲介…等々に多額の人的資源と経費を注いで助けることに力を注ぐことによって、世界の国々から信頼を得て、攻撃される可能性をかぎりなく少なくできると考える。
こうした道こそ、高い科学技術力を発揮し、日本の独自のあり方を発揮でき、世界に、武器、弾薬などでない、福祉や農業、灌漑、水道…等々の生存に不可欠な方面への奉仕、提供、援助、また、貧困と病に苦しむ人々への配慮を注ぐという決して人を殺傷したりしないやり方で援助をするならば、相手国の人たちにも目には見えない良き心を提供することになり、それこそが、双方の国が互いに友として歩んでいくことのできる道である。
憲法9条を守ろうとするのは、空想的平和主義だと、ある大学教授が書いていたし、最近はそれに類する意見などが多くみられる。
しかし、現在の日本や欧米、そして北朝鮮や中国等々多くの国々がはじめたような、軍備増強、しかもいよいよ戦争が負けそうになると核兵器をも使うことを念頭におくなど、つねに核兵器をちらつかせ、世界に核兵器が増大し、その脅威がじりじりと増大する、そんな状況を世界で競争のようにやっていくなら、その行き着く先はどんな世界なのか。そんな状況のなかでいかにして静かな平和が得られようか。それこそ、空想的な平和である。
自国防衛のためとして、ウクライナは欧米から巨額の軍事費の提供を受けて、ますます双方の死者、負傷者は数十万人とも言われるほどに増大の一途である。
それでいったい守っているといえるだろうか。ウクライナだけでなく、世界を不安定な方向に突き進めていきつつある。
次々と毎日死傷者をだし、その重傷者は片足失ったり、内臓破裂、あるいは脳や内臓に深刻な打撃を受けて生涯、仕事もできず障がい者としてくるしみ続けねばならないという人たちが毎日生じていることであろう。
そしてその家族の悲しみや苦しみは当事者でなければわからないほど深いであろう。
ウクライナの広大な小麦畑などに、おびただしい地雷が付設され、その除去に何十年かかるかわからない。すでに、かなりの人たちがその除去のさいに地雷が爆発して両足失ったとかの重症を負った人たちを生じていると報道されている。
クリミヤをロシアが奪い取った最初の段階で、ウクライナもロシアに戦闘を続けるのでなく、大統領ほか国の高官たちが結束してロシアに行き、武力攻撃を止めるように、直接交渉に赴くといった行動になぜ出なかったのだろうか。
今からでも、政治の舵取りをになう人たちこそ、そうした勇気ある決断と行動をこそ、欧米が援助し、それらの国々の人たちも、国連の平和を求める国々の人たちとともにロシアへ行き、平和への道を模索すべきである。
そして、巨額の弾薬や大砲、ミサイル、ドローン等々を使えば誰かを殺す、あるいは発電所や水道、ガスなどの施設を爆破されるのであって、そんなことでたくさんの命を失わせることが起こるのであるから、そうしたことを防ぐことこそ、国を守ることであり、武力で相手を攻撃することで 現在ではますます国を守るどころか崩壊へと向かわせていきつつある。
クリミア半島にしても、前述のように1954年にソ連からウクライナに移管されたのであって、それ以後ウクライナ領となっていたのだから、それをまた武力で奪還する というが、そのようなことをすれば、さらに戦争は長引き、その過程で核兵器が使われたりすれば、双方の国の核兵器の応酬などになれば、クリミア半島の支配権をどうこういうより比較にならない甚大な犠牲、損失となるのは明らかである。
「剣を取るものは剣によって滅びる」とキリストが言われたことばは、意味深長である。
T/S.
「私をおつかわしになった方の御心は、私に与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
私の父の御心は子を見て信じる者が皆永遠の命を得る事であり、私が終わりの日に復活させることだからである」(ヨハネ6の30〜40)
1、はじめに
私の住んでいる姉ケ崎は大根の一大産地で、広大な畑に一面大根が植えられ、出荷されていきます。大根の収穫の様子を見て気になったことは、捨てられる大根のことでした。大きさや太さがそろった大根は収穫されますが、短かかったり細かったり、二股となっていて形が不ぞろいの大根は捨てられていくのです。流通される野菜は,見た目で判断され、市場価値があるかないかで選別されます。市場価値が無いと判断されると捨てられてしまうのです。
私は捨てられた大根をいただいてきて、ゆず漬けにしたらとてもおいしくできて、お分けした皆さんからとても喜ばれました。中身は全く問題が無いのに、見た目で選別し捨てていくのが経済中心のこの世の中です。大根の他、少しでも虫食いや傷のある野菜も、売れないので捨てられていきます。人間も同様に見た目や能力などで差別されているのがこの世の中だと思います。
2,一人も捨てない神の愛
しかし、神様の基準は,この世と全く違うことに気づきます。神様は見た目では無く,信仰という中身を大切にされるからです。私はここに神様の大きな愛を感じるのです。
この世は貧富、体や力の大小、能力の有無、社会的地位の高低、性別や年齢差など様々な違いを基準に差別し、そして上下関係が生まれるのが人間社会です。しかし、神様はこの世の選別基準を一切問題にされません。神様が重視されるのはただ一つ、「神様を信じるか」どうかということです。神様は信じる者を一人も捨てられません。そこに神様の愛の広さ、大きさ、深さを感じて、私は信仰を与えていただけたことに感謝の気持ちが溢れてきます。
信じる者を一人も捨てない神様の愛を感じたのは次の聖句からでした。
@神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も 滅びないで,永遠の命を得るためである。(ヨハネ伝3:16)
A私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えて下さった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は,子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。(ヨハネ伝6:45〜46)
独り子を信じる者が「一人も滅びないで」とか、「一人も失わないで」、「皆」という言葉から、神様は信仰の有無を大切されていて,この世で差別され低くされ苦しみ悲しんでいた者に愛を注いで下さり、目の涙を拭い取って下さっていることを強く感じるのです。貧富、体や力の大小、能力の有無、社会的地位の高低、性別や年齢差など様々なこの世の基準を無視して、信じる者はだれにでも愛を注いで下さるとのこの言葉は、まさに福音、良い知らせだと思います。
人も物も比較され、差別選別され,弱いものが見下げられ、捨てられる闇の世にあって、信じる者は一人も捨てること無く永遠の命をあたえて下さるという。これこそ福音です。闇夜に輝く星であり光であるイエス様の愛を、最後まで信じて歩んで行きたいと思います。
H.H.
「主に望みをおく人は
新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、
歩いても疲れない。」
(イザヤ40の31)
私は生まれつき浮腫があり、20歳まで原因も分からず、祖母と両親はずっと心配し続けてくれたことを思います。
召されて今年12年となる父は2つ仕事を掛け持ちしながら、なにか困ったことがあれば任せろというタイプでした。そんな父が肺がんと脳転移で、さいごは散歩にも行けないようになりました。胸の痛みや階段を降りることさえできなくなったつらさからの叫び声を聞いたこともあります。もう肺も脳も大変な状態となり、私が自分の治療を終えて病室を訪れてからの決断の時となりました。
母は自分に心の病がありながらも、私の通院に付き添い、食事指導も一緒に受けてくれました。母は2019年に腎不全に続き、悪性リンパ腫、また肺がんが見つかり、翌年には間質性肺炎で酸素マスクが必要になりました。次々と命に係わる病が見つかり、何度も深刻な状況を迎えました。母はさいごの一週間、もう酸素状態が安定せず、口から食べることもできず、ベッドから降りることもできませんでした。そのような状態であっても、病院に泊まって付き添う娘のアルブミン点滴の心配をして、病棟看護師長に相談してくれていて、翌日に大学病院で治療できました。
父も母もさいごの日はモルヒネ投与により反応がないままの別れとなりましたが、いちばん不安や恐れが大きかったと思われるときに、両親のそばにいることができました。もし父や母の闘病中に、私に胸水が溜まっていたら、付き添うことはかないません。私の外来治療が増え、母の外来と重なっていたら、さいごまで通院も付き添えなかったかもしれません。私が弱ることなく、疲れることのないように、神様が力を次々と与え続けてくださったこと、また娘が自分の治療をしてからさいごまで付き添えるようにと、両親がさいごの治療に入るまでの時間も神様が備えてくださったのだと、母が召されて丸3年が過ぎた今月はとくに強く感じました。
(ずっと以前に徳島聖書キリスト集会から出された文集などに書かれたものであっても、聖書にかかわる記述は御言葉についてのことなので、今も参考になりますので、時々以前の文集などから引用します。)
互いに重荷を担うこと O.E.
私は、1999年の出来事では、四国集会のテーマであった次の言葉が、心に残りました。
…互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を 全うすることになる。(ガラテヤ6の2)
私達が思っている重荷と違って、最大の重荷が罪であり、 その最大の 重荷を神様が担って下さる、と教えられたのが心にずっと残っています。
誰でも、自分の重荷を担っていて、 どうにもならないのに、他人の重荷を担う事は、不可能であると思います。
でも、神様のもとに行って自 分の重荷を告白し、委ねて真剣に祈ると、神様が自分の重荷を担って下さる。 そしたら、自分の重荷が軽くなって、他人の重荷が担える。自分が他の人の重荷を担う事で、他の人も重荷が軽くなり、こうして、祈りによってお互いに重荷を担い合うことが出来るのを思いました。
キリストの律法は、 愛の律法だと教えられた事も、心に残りました。
祈りについては、 自分一人だけでは弱い祈りになるし、 真剣に祈る事ができないので、神様に届かないと思います。
それで、キリストを信じる人の集まる、 この集会や、2〜3人、 神様のみ名によって集まる集会 へ参加して、祈りを共に合わせる事が、大事であると思いました。
私は、分かっていてもなかなかできないので、心苦しいのですが、この集会からは離れず、 ぶとうの木であるイエス様につながっていきたいと思います。(「ともしび」2000年2月 中途失聴者)
2月22日〜24日に開催された北海道瀬棚聖書集会の録音CD(MP3) あります。
1枚三百円(送料込、切手
で可)希望者は左記の吉村へ。
スカイプ参加希望の方は左記の吉村まで。
・主日礼拝… 毎日曜日、10時半〜12時半。集会場とオンラインでの集会。
徳島市南田宮1丁目1の47
(以下はオンライン集会)
・夕拝…オンライン集会
第一、第三火曜日19時30分〜
・北島集会…毎月第四火曜日午後1時〜2時半
毎月第二月曜日午後1時〜
・天宝堂集会 …毎月第二金曜日午後8時〜9時半(オンラインと綱野宅)
・海陽集会…毎月第二火曜日午前10時〜12時