いのちの水  2024年 8月号  第 762号 

目次

 ・人生の荒海をー

       津田梅子の詩から

・小さきものを用いる神

・光あれ!求めよさらば与えられん

・闇のただ中の命

・お知らせ  ・集会案内

 

リストボタン人生の荒海を

 ー 津田梅子(*)の詩から

 

荒れすさむ広い大海

目の前に横たわる

ほの暗い空と

深く黒ずんだ潮のほかには

身の周りには何も見えない

 

カモメの鋭い鳴き声が、

しじま(**)に消えていった

恐れをもて、うすれゆく日の光を見た

夕闇をとおして荒れ狂う風と波が

我々の船を 木の葉のように弄ぶのを

私はじっと見守った。

 

しかし、嵐の海をこえて

手慣れた水先案内人は、とまどう船を導いて

ほどなく約束の、遠い島にたどりつく。

我々もまた

風向きの定まらぬ

人生の荒海を、

闇に帆をかけて進む

 

信仰もて、みちびきの御手のまにまに

 

*)(1864〜1929〉 津田塾大学創設者。

**)静寂、物音しない状態

 

 津田梅子は、今年5千円札に採用されたために、多くの関心が寄せられている。

 彼女は、江戸時代末期に生まれ、六歳のときにほかのより年長の少女たち五名とともに、はるか太平洋を超えてアメリカに留学生として親元を離れた。

 そのような小さき子供が、ヨーロッパのような陸続きでなく、三週間もかかる広大な太平洋を船で本人の10年間にもわたる留学のため渡航するなど、前代未聞であろうし、それ以後も例を見ない。

 途中大嵐が吹きすさぶことにより大波を受けて難破するかも知れず、また全く言語のわからぬ未知の人たちに育てられるのであり、すべてがだれも予見できない不安が満ちていた。

 この不思議な子供たちの留学は、その背後に神の導きを感じさせる。

 その津田 梅子が二度目のアメリカ留学のとき、二十七歳のときに作った詩がここにあげたものである。

 それは、すでにだれも経験したことのない人生の大波を受けつつ、困難や未知のことに満ちた歩みを続けていく途中でふりかえった感慨である。

 人生は大いなる海を渡るようなもの、そこでは日が沈み、希望の光も見えなくなり、恐れおののくことも生じる。しかし、津田 梅子は、いかなる困難が降りかかり船が沈みそうになろうとも、確たる水先案内人を知っていたし、それに頼ることの確実性もまた体験から魂に刻まれていた。

 最終行にあるように、人生の荒海を超えて目的へと達することができるように、生ける神が私たちを導いてくださるのだー。

 梅子は詩はほとんど書かなかったようだが、この残された詩は、彼女の魂の奥にあった導きの主への信仰とそれに従う決断が感じられ、これあればこそ、日本の女性教育史上たぐいまれな足跡を残すことにつながったのであった。

 なおこの詩は、新聖歌248の「人生の海の嵐に」を思い起こさせるし、同時に多くの人も自らの過去、そして現在を静かに見つめるとき、数々の嵐にもまれ沈みそうになった歩み、そしてそこから主によって導かれてきたことを思い起こすであろう。。

 

人生の海の嵐に もまれ来しこの身も

 ふしぎなる神の手により 命びろいしぬ

 いと静けき港に着き 

われはいま安ろう

 救い主イェスの手にある 身はいとも安し

 

 悲しみと罪の中より 

救われしこの身に

 誘いの声もたましい 

ゆすぶることえじ

 


 

リストボタンさきものを用いる神

 

 人は大きなことに目を注ぐ。

しかし、愛の神は、小さきものに目を注いでくださる。

 この世は大きいものほど重んじられる。会社の力、株価、また学校やそうした会社などでも いろいろな意味での成績という数で表されるものが大きいほど評価される。

 スポーツはその典型で、ボールをゴールに入れたり、遠くにボールを飛ばしたり、力の大きく技量も優れて点数が大きいものがつねに有名になる。その人間の心がどうなのか、真実なのか弱き者への愛、配慮を持っているのか、そのようなことは、金メダルには全く関係がない。

 オリンピックでだれかが金メダルをとったとしても、それがいつまでそれぞれの人の心に力となったりするだろうか。日が経てば、たちまち忘れて、この世の仕事、思いがけない出来事や苦しみ、悲しみに翻弄されてしまうであろう。

 しかし、この世には、そうした力あるもの、数で大きいものなどと逆に、小さきものが重んじられる世界がある。

 それは、ほんとうの神様を信じる世界である。

 残念なことに、テレビ、新聞、数々の映像、スマホ…等々の世界は、その世界には全くといってよいほど触れようとしない。

 それは、心を静めないと感じられない世界であり、この世界はますます騒然とした音楽や踊り、また発言等々で渦巻くようになって、それらの渦に呑み込まれていくばかりである。

 しかし、人間は必ず、徐々に小さくされていく。老年ということがそれである。

 以前活躍していた人も、病気となって入院、介護の生活になると、いちじるしく小さくされ、食事もトイレなどさえも自分でできなくなり、全面的に他者によらずは生きていけない。しかもそうなると訪問する人もごく少なくなる。コロナのような状況があると家族友人とさえ会うこともできなくなり、日々施設やベッドで隔離された何もできない小さきものとなる。

 そのように、家族、知人からさえも顧みられることがなくなっても、なお顧みてくださる御方が存在する。それこそ、ほんとうの神様であり、その神様のほんとうのすがたは 二千年前にイエスと名付けられた方が、実際に生きて示されたのだった。

 そしてそのイエスは、この世の闇の力で十字架で処刑されたけれど、全能の神の力によって復活され、いまも、信じる人々の心のなかで、またこの世界のただ中で働いておられる。

 神の国はいつ来るのかとたずねた人に、イエスは言われた。

 

…神の国は、実にあなたがたのただ中にある。

       (ルカ1721

 私たちのただ中ーそれは一人一人の心の中であり、また人間が生活し、至るところでさまざまの問題が生じているこの私たちの世界のただ中 でもある。

 さらに、そこから、神は目に見えないが全能であるゆえに、人間社会の中だけでなく、自然界、さらには宇宙全体のただ中にも働いているということになる。

 そのような無限大に大きい神であるにもかかわらず、小さき私たちのただ中にあって働いてくださる。それは何という驚くべきことだろう。

 大空の雲の動き、美しい朝日や夕日の情景などにも神は働いている。

 しかし、それだけでなく、私たちの心のうちにも働いて、朝日のような光を暗い心のただ中に心の目で感じ取るようにしてくださり、絶望的になった心にもほかのどこからも与えられない力を注いでくださることもある。

 次の讃美歌にあるように、そよ吹く風さえ神を語る。語っていると心に感じるようにしてくださる。

 

ここも神の御国なれば

あめつち み歌を歌い交わし

岩に木々に空に海に

妙なる御業ぞ 現れたる

 

ここも神の御国なれば

鳥の音 花の香 主をばたたえ

朝日夕日 空に映えて

そよ吹く風さえ 神を語る(讃美歌90

 

 ここも神の国なれば…、イエスが言われたように、私たちの生きるこの世界のただ中に神の国はある。それは、周囲の自然を心して見つめるとき、おのずから実感してくる。

 この詩の三行目に、岩に木々に…とある。

 山々や海岸などにみられる大きな岩ー何もいわず人間と何の関係もなく、太古の昔から存在しているだけのように見えるが、そこにもいにしえの詩人も歌ったように、主こそわが岩…、その岩の堅固さが、神の愛や真実の堅固さに結びついて語りかけてくる。

 讃美歌の源流ともなった今から三千年ほども昔の王かつ詩人、音楽家でもあったダビデは次のように、神はわが岩なり と繰り返し歌っている。

 

…主は我が岩、砦、逃れ場

主のほかに神はない。

神のほかに我らの岩はない。

主は命の神。我が岩をたたえよ。

我が救いの岩なる神をあがめよ。

(サムエル記下22章2、3247

 無言で冷たく存在しているだけのような岩さえも、わが魂の生きた救い主、不動の助け主としての神の生き生きとした象徴として浮かび上がってきて語りかけるのである。

 また岩と対照的な そよ吹く風 さえも神を語る と言われている。

木々の葉を少し揺らせてさらさらと音を立てる風…そのようなものは何の力もなく、無視されてしまう日常のことである。

 しかし、生きて働く神を信じるとき、そのようなごく小さな弱々しい風であっても、神の聖なる霊の働きを指し示すものとなってくる。 私たちの魂の内に吹いてくるのはそうしたそよ風のようなものでもあるが、それが大きな転機となることさえある。静かなる細き声を伴うゆえに。

 しかし、そよ風も、ときとして、大きく変貌して大木をもなぎ倒し、莫大な量の海水を持ち上げ大波をも起こすほどの力となる。風は目に見えないけれど実に千差万別の働きをする。

 同様に魂の内にそよ風のごとく小さな風であっても、その聖なる風(聖霊)の力は、それがひとたび力強く吹き募るときには、使徒たちに吹いた聖霊の風のように、いかなる困難も超えて人間の魂に吹き込み、また歴史を変えていくほどの力となる。

 ルターの宗教改革という世界の歴史に絶大な働きを及ぼしたことも、そのもとはといえば、聖なる風が彼の魂に吹き込み、そこに大いなる力を与え、迫害にも耐え、聖書のドイツ語への翻訳をなす機会となった。

 それが後に現在みられるように千を超える多数の言語への訳となっていったことにつながった。 

 また、讃美歌もそれまでは聖歌隊だけが歌うものであったが、ルターによって会衆のだれもがうたうものという本来の讃美の歌の精神が発揮され、それも世界に及んでいった。

  ルターと別に、1650年ころにイギリスで生じた、水の洗礼でなく聖霊の洗礼こそ重要とし(*)、「内なる光」に導かれることを与えられてそのことを伝えはじめたジョージ・フォックスにはじまるクェーカーと言われる人たちの単純、率直な信仰とその信仰に基づく生活は、武力を用いない平和主義を強く主張する流れとなった。

 また黒人とか原住民などの民族にこだわらないで、しかも銃なども携帯せず、聖霊のことや内なる光の真理を伝えようとしたことーそれが日本にも内村鑑三や新渡戸稲造、さらに五千円札にも用いられるようになった津田梅子などにも大きな影響を与えることになった。

 

*)イエスこそ真のメシアだと証しした洗礼のヨハネは、「私は水で洗礼を授けるが、私の後から来られる方(イエス)は、聖霊による洗礼を授けるのだ」と予告した。

 さらに、復活したキリストは40日の間弟子たちにいろいろなことを教えたが、使徒言行録ではその一つだけを残してその重要性を示している。それが、次の言葉である。

 

…ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる。

… あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1の5、8)

 

 このように世界にキリストの福音が伝えられるに至ったが、それもまた、聖なる風(聖霊)(*)の力であった。

 

*)中国語の聖書で、ギリシャ語のプネウマ、ヘブル語ではルーァハである言葉の訳として中国語聖書では、霊、と訳した。

 しかし、本来ルーァハとは、「風」を意味する言葉であって、実際に創世記でも、「風」と訳されているところがある。

 

・その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。

      (創世記3の8)

 神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。       (創世記8の1)

 中国語訳では、こうした神からの風を霊と訳し、聖なる風という言葉を聖霊と訳するようになった。それは、そのまま日本語訳聖書にも採用されて、今日に至っている。

 

 ペテロ、ヨハネ、ヤコブという重要な弟子たちにも最初は漁師であったが、その仕事や家族をもおいてイエスに従った。

 そのときにも神の風が吹いたといえるが、彼らも何年もイエスに従っていても、まだ自分たちのうちだれが一番偉いのかといった議論をしたと記されているように、この世の風にもあたっていた。

 しかし、イエスの復活ののち、そこに神の御手が働くとかつてのそよ風は大いなる風となって彼らに吹きつけ、命をかけてその福音を伝えることに一身を捧げるほどに大きく変えられた。

 それゆえに、ペンテコステといわれる聖霊が激しく注がれたときの状況も、次のように、激しい風が吹いてきたような音として記されている。

 

…一同が一つになって(祈りのために)集っていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、家中に響いた。

    (使徒言行録2の2)

 そして国外にも波及し、他国の歴史にも影響を与える大いなる力となっていった。

 また、「内なる光」 ということも、主イエスの次の言葉に含まれる。

…わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。      (ヨハネ812

 私たちが健康で体力もあり、仕事も十分にできるとき、私たちは自分の小さきことになかなか気付けない。

 老年となり、また病弱となって歩く、立ち上がる、といったことさえ難しくなっていく、小さきものになっていくとき、ようやくそのような日常の小さきことがどんなに感謝すべきことであったのかに知らされる。

 家族ーとくに配偶者のやってきてくれた小さきことに見える数々の家事…そうしたことも自分が元気な時は、自分の仕事にばかり心が向いていて、身近な妻のやってくれているそうした小さきことに目も触れなかった。感謝もしていなかった。

 自分自身も体力が衰え、だんだんと小さくされていくとき、妻が病気となり、家事というたくさんの小さきことどもができなくなり、私が全面的にせねばならなくなって、初めて日常の小さきことの重要性に目が開かれていく。

 また、イスから立ち上がる、食事で箸が使える、座る、衣服や履物の着脱、排泄といった毎日元気な人には感謝などまったく思いも寄らないことが、夫婦の双方が弱く小さくされていく過程で、それらの日常の小さき当たり前だったことが、できなくなっていくと、かつてはまったく感謝などなかったことにも、ありがたいことだ、と自然に感謝が湧いてくる。

 さらに、過去の数々の不十分なこと、罪、に関しても、もう取り返すことのできないことであるゆえに、それを赦してくださるということがいかにありがたいことであるかを、身に沁みて感じさせられてくる。

 罪を知らされるほどに、自分が小さきものだと深く知らされる。

 キリストの福音、十字架にかかったキリストがそうした私たちの数限りなく重なっている罪をもすべてただ信じるだけで赦してくださるーこのキリストの福音がなんとありがたいことかと感じる。

 文字通り、福音ー幸いなる(福)音ずれ(知らせ)であることを実感する。

 

 


リストボタン光あれ! 求めよ、さらば与えられん

 

  「神」と言ってもなにが神様なのか、人によって時代、地域、国々によって全くことなる。

 しかし、ほんとうの神様は、全能、かつ完全な愛や真実で満ちていて、全能であるゆえに現在の万物をも支えておられる御方である。

 そのような神様を信じるか、信じないかで私たちの日々、そしてその積み重ね、連続である生涯も全く異なるものとなる。

 何も信じないという人も多い。しかし、その場合には日々に生じることは、偶然に生じるとしてその偶然を信じ、もしくは運命というものを信じているのであって、何も信じないということではない。

 そうした立場は、この世界、宇宙が生じたのも偶然に生じたし、私たちのいまの生活に生じることも運命という得体の知れない力によって生じていると信じることになる。

 人間の愛や清い心、また人間から生み出された美しい芸術作品ー音楽や美術…等々もみな、偶然にそうした才能ある人が生まれ、そこから偶然的に与えられた環境や時代の状況によって育った感情や意志によって制作された、ということになる。

 また生まれつき、あるいは何らかの事故などで体の障がいがあること、苦しい病気になること…等々もみな、偶然あるいは運命なのだと受けとるしかない。

 しかし、もし、この宇宙も地球やその上に生じている出来事もみな、神の創造によるものであり、その神は愛と真実、そして完全に清く、正しいことに満ちた存在ならば、いっさいが変わって見えてくる。

 その神が最初に、言われたのが、「光あれ!」であった。その神の言葉によって光が存在するようになった。

 そのことと、イエスが言われた「求めよ、そうすれば与えられる」ということ、その二つの言葉だけあれば、私たちはいかなる困難をも超えていくことができる。

 そうした意味で、私たちの目には絶えず移り変わり、だれも予測できない複雑怪奇極まりないこの世界であるが、それらすべての状況にあって、真理は単純である。

 聖書で「光」というとき、それは物理的な光と心に輝く光(霊的な光)の双方を含む。

 イエスは、言われた。

「私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

      (ヨハネ8の12

 この光は、どんな暗い状況にあっても、与えられることができる。闇と空虚のただなかに、神の光あれ!という言葉は出され、それがじっさいに光が生じる。

 私たちがその光を受ける道は単純である。ただイエスの言われたように「求めよ、そうすれば与えられる」である。

 求めずして与えられる場合もある。私自身はそんな光があるとは、21歳の春までまったく知らなかった。周囲の誰一人そんな光のことなど語らなかったからである。

 しかし、突然一冊の古びた本の立ち読みでその光を知った。それは研究や体験、また人間の教育、といったものでなかった。それらとまったく関係なく、聖書のごく短い個所とその簡潔な解き明かしによって私のうちに光が生じたのだった。

 神は、愛、かつ全能ゆえにありとあらゆる多様性をもって人間に語りかけ、目覚めさせようとしておられる。

 それゆえ、両親やキリスト教の学校、友達、また信じている人たちとの関わりなどからもそれらを用いてその光あれ!という語りかけがなされ、そこからイエスのところに行き、直接的に今も生きて働いておられる神と同質になっているキリストからの語りかけを受けるようになる。

 また、神の全知、全能はあらゆる美をも含むゆえ、この天地には、日替わりで壮大な美術作品が目に見え、触れ、また感じ取ることができるようになっている。

 そうした周囲の自然、またとくに健康な人は、身近な野山を歩き、登ることで、いっそうその無限の神秘と美、また力を感じ取り、それらから、「光あれ!」との静かなる細き語りかけを聞き取ることができるようになる人も多い。

 求めずして、与えられた神への信仰。神様が実際におられていまも真実と愛を行なわれていると実感できるようにさらに導いてくださる。

 さらに、求めていなかった、あるいは知らなかった良きこと、よき人、よき機会…等々も一方的な恵みとして与えられるようになる人も多い。

 しかし、他方、イエスは「求めよ、さらば与えられん」と言われ、神様に求めていく意志の重要性をも語られた。

 その求める意志は、人間には与えられている。

 動物たちは、目で見え、音や嗅覚でわかるものにしか反応できない。目に見えない存在とかに祈るなどはできず、心に届く美しいメロディーや美しい夕焼け、数々の美しい花などの美やハーモニィ、メロディーには、反応できない。

 しかし、人間には、はるか遠くの大空の星々や夕日、雲のさまざまのかたち、色合いなどからも、心は栄養分を受けとることができる能力が最初から与えられている。

 与えられていること、そこからさらに求めることの重要性をイエスが言われたのだった。

 野の花や星々、あるいは木々にそよぐ姿やその風の音…等々にも神は全能かつ愛や真実の本質ゆえに、そうした自然の姿からも、語りかけている。

 その自然の姿の背後には、無限に深く広い神の愛の世界がある。

 その無限の世界から汲み取ることができるようになっている。ただ心から神を信じ、求めるという本来だれもが、ただちにできる手段によって。

 それは道具も能力、お金、経験…等々なくして、ただ人間であればできる。

 この世で有名になったり、競技で一番となったり、何らかの業績をあげるには、まず生まれつきの能力、多額の経費、経済力、本人の特別な努力する能力、教師や親、友人など、そして健康など恵まれること、…等々の条件がいる。

 しかし、天地宇宙を創造した神様を信じるということは、そうした何らの条件が不要であり、幼な子でも信じることができるし、本を一冊も読んでない無学な人ー数千年昔は本などごく一部の人しか見ることもできなかったのであり、学校さえもなかった。

 聖書の世界にあるように、アブラハムもモーセ、そしてダビデといったきわめて後の世界の歴史に重要な影響を及ぼした人たちも、神からの呼びかけを受けたときは、学問など関係ない羊飼いをしていたのである。

 それゆえに、不平等に満ち満ちているように見えるこの世界は、ひとたび目に見えない世界に導かれるとき、驚くべき平等な本質が見えてくる。

 大国を支配する者も、ノーベル賞やオリンピックで金メダルを獲得するような、世界でもごくわずかの人にしかできないものを与えられている人も、目に見えない「命の光」を受けることとは全く関係がない。

 この世の賛辞や権力、金の力で取り巻かれているときには、静かに語りかける愛と真実の神からの語りかけはますます聞こえにくくなるであろう。

 そして有名人となるとき、じつに忙しくなる。つねに人間が近寄ろうとする。会社は宣伝に利用しようとするし、つねにどこにいっても人が注目してしまう。

 神からのまなざしを感じるより、無数の人間の目がいつも注がれているのを日々感じてしまうであろう。

 そのうえ、科学技術の進展によって遠くのこともただちにわかるようになり、映画もじっさいの人間でなく、人工的に描かれたアニメなどの映像があふれる状況となり、さらに近年はスマホのめざましい普及によってどこにいてもさまざまの遊び、事件、ニュース、悪しき事柄…等々に触れることができるようになってしまった。

 それらによってますます、神の約束された光ーその光こそあらゆる問題を解決するにもかかわらず、その光を見つめる時間もスマホによって奪われていく状況にある。

 しかし、そうした中でこそ、このはるかな昔から知られている、「光あれ!」 との神の言葉と、「求めよさらば与えられん」というイエスの言葉は、そこからの救いの道となっている。

 

 


 リストボタン闇のただ中の命ーハンセン病の玉木愛子

 

 玉木愛子(1887〜1969年)は、ハンセン病が6歳の子供のときに見つかり、その後女学校へ通うころには、校医の検診でハンセン病と宣告され、自宅療養となった。しかし、家族は、自宅で遠くへ行ったとの偽りを来訪者に告げて、その場をしのぐ状況となった。

 自分は何のゆえに、友達からも離れ、教育の場も強制的に奪われ、自宅で来訪者にも会えず、しかも、自分のことを、家族が遠くに行ったなど嘘を言わねばならないほどの不要な存在であり、家族にとっての重荷なのだ、と日々思い知らされ、自宅も安住の場でなくなるとともに、病気は進行し、20歳のころには、両手も自由に動かなくなり、力萎えて食事の箸を取ることさえ困難になった。

 そして十年あまり、周囲の多くの人々からも忌み嫌われ、どこへも行けず、自分の存在が家族、親族のいやしがたい悲しみと心労の原因となっていることを日々思い知らされ、身の持っていきようがなく、孤独と悲しみと苦しみにおしつぶされそうになっていく生活が続いた。

 しかし、三十一歳のころ、ようやくその生ける屍のような生活のなかに、ひとすじの光が射し込んだ。それは、イギリスの女性ハンナ・リデルが熊本にハンセン病の人たちのために開いた回春病院を知ることになり、そこに入院することができるようになったからである。

 しかし、それから十年余り、右足に重い潰瘍が生じ、手術しか治療の道がないことを知らされて、右足の切断手術となった。

 そのような足がなくなるという恐ろしい前途を前にして、神は適切な導きを与えられる。それが、聖書との出会いとなった。玉木愛子が初めて聖書を手にしたのは、その入院まえに従兄弟からもらった一冊の聖書だった。

 玉木は、吸い込まれるようにその聖書を読んでいったが、とくに心に残ったのは次の一節で、とくに心惹かれたという。

…「すべて労する者、重荷を負う者、我に来れ。我なんじを休ません」

     (マタイ1128

 深い孤独、悲しみ、そして苦しみ、どこにも行けない閉じ込められた生活…そのままであれば精神の病となって果てた可能性が大きい。

 それが、回春病院にいって初めて隠さなくともよい場所が見つかったのだった。

 しかし,十年ほど経って、右足の重度の潰瘍のために、切断せねばならなくなり、歩けなくなった。

 そうした苦しみの増すなかであったが、回春病院での、とくにキリスト者たちとの交流も与えられ、新たな生活は、彼女を精神的にも立ち直らせることになった。

 そこで、ようやく玉木は、本来の能力を働かせる場が与えられ、幼少期間は、豊かな家であったゆえに、琴や三味線、また舞踊などを教えられていたので、讃美歌の歌唱を指導する場所が与えられた。

 そこから、その療養所においても、讃美歌をともにうたうことに力を注ぐようになった。療養所で聖歌隊を作って、熱心にそれを指導するという手伝いをはじめた。

 暗くて悲しみあふれるような療養所のなかにあっても、讃美歌はその歌詞とメロディー、ハーモニィなどによって難しい学問や研究的な才能なくとも、直感的に受けいれることができるゆえに、受けいれられてきた。

 そうした中、左の眼に激痛が生じるようになり、その眼球を摘出することとなった。その翌年には、右の眼にもやはり激痛のために、一夜にして失明。その眼も失うこととなり、両眼が摘出されるという、ハンセン病の苦しみの上に、完全な盲目となって以後、30年という長い歳月を、歩くこともできず、にじりよるだけというカタツムリのような状況となったのだった。

 けれども、そのような中でも、讃美歌にうるおされ、俳句という詩的作品を生み出すことに喜びを感じるようになり、精神世界は深められていった。

 キリストを信じ、聖霊を受けるとき、そのような考えられない状況にあっても、道が開け、文字通り完全な闇にもかかわらず、霊的な光、魂に見える光が与えられていくのがわかる。

 そうした俳句の中には、次のようなものが心に残る。

 

…聖書あり

迷うことなく 行く花野

 

 この短いひと言のなかに、作者の積年の言うに言われぬ悲しみと苦しみ、また差別、絶望といったものが霧が取り払われるように除かれ、さらにそこに麗しい神の花園が現出し、歩んでいく…という世界が表されている。

 幼いときからハンセン病となり、後に学校をも中退、家で閉じ込められたかたちで、自分の存在が否定されてしまった状況を全身に浴びつつ闇のなかを忍耐を重ねて、ようやくそこから脱出したときの喜びがここに感じられる。

 しかも、そのような力を与えてくれたのが、聖書であった。それは神の言葉であり、眼に見えず、普通の音声としては聞こえない。

 しかし、魂に聞こえ、眼に見えざるものを見る霊的視力を与えられた者には見えるーそのような特別な感覚が与えられていた玉木愛子には、その最重度の障がいのただなかで、何にも束縛されない広大な神の国の花園を歩む心地を与えられたのがわかる。

 その境地は、今から三千年前に、羊飼いであったが王となったダビデが詠んだ詩に通じるものがある。

 

…主はわが牧者なり

われ 乏しきことあらじ

主は我を緑の野に伏させ

憩いの水際に伴いたもう

主はわが魂を生き返らせ、

御名にふさわしく、正しい道へと導きたもう。

      (詩編23より)

 この作者ダビデは、壮健で、武人かつ王となり、詩人かつ竪琴も演奏できる音楽家でもあった。

玉木愛子は、最も忌み嫌われたハンセン病の重症者であり、足切断、両眼球失い、手もマヒ…およそことなる二人であった。

 しかし、真実の神を心に信じてその神との霊的交流を与えられたときには、同様な世界ー神の国を与えられるのがうかがえる。

 それゆえに、現代の私たちも、いかように世情、生活が変化していようとも、神の全能とその完全な愛によって、こうした霊的パラダイスを歩む者とさせていただけることを信じることができるし、信仰を長く続けてきた人で、こうした体験を少しでもしたことがない人はいないであろう。

 信仰が続けられた人はみな信仰を与えられて本当によかったと生涯の終わりになって告白できるのはこのような麗しき霊的花園、命の水を与えられるみぎわへと導かれていくからである。

 玉木愛子は、すでに触れたように讃美に関しても強い惹かれるものがあり、その歌詞とメロディーとが相俟ってそのような重い障がいをも乗り越えていく力となっていた。

 後年、彼女が最も好きな讃美歌は何かと問われたとき、即座に答えたのが次の二曲であった。

・「いさおなき我を」讃美歌271

・「わが生けるは主にこそよれ」讃美歌337

 

 彼女のような絶望的状況にあった人の魂に語りかけ、そのメロディーがしみ込んでいった讃美歌とはどんな内容であったのか。

 ここでは、彼女のような闇にも光を与え続けたその詩(歌詞)について見てみたい。 それはもともとは詩であり、文語で表現された讃美歌も詩的表現として訳されている。

 この詩は、現代の私たちの心の内にも深く、年齢を経ても変ることなく響いてくる。

 

 いさおなきわれを 血をもて贖い

イエス招き給う 御許にわれ行く

 

罪、咎の汚れ 洗うによしなし

イエス潔め給う 御許にわれ行く

 

疑いの波も 恐れの嵐も

イエス鎮め給う 御許にわれ行く

心の痛手に悩めるこの身を

イエス癒し給う 御許にわれ行く

 

頼りゆく者に 救いと命を

イエス誓い給う 御許にわれ行く

 

いさおなきわれを かくまで憐れみ

イエス愛し給う 御許にわれ行く

 


 リストボタンお知らせ

 

〇9月23日(月・休日)は、例年のように「祈りの友」合同集会です。

 「祈りの風」や「祈りの課題集」によって折々に近況が報告されていますが、一年に一度、できれば会場に集まり、顔と顔を合わせての祈りの集まりとなればと願っています。

 会場とオンラインを併用して行なわれます。

開会は午前11時〜午後4時ころです。

 昼食の休憩、また午後三時の祈りの時間もあります。

 なお、遠隔地からの参加者など、希望者は、集会所から百メートルほど離れた家にて宿泊も可能です。今年一月に伝道会主催の冬期聖書集会での分科会に用いたところです。(宿泊費用は不要ですが、寝具の準備のためがありますので、宿泊希望者は事前に必ず連絡をお願いします。) 

 

〇多くの方々からのお祈り、た協力費をいつも感謝です。なかなか返信ができずにいますことをお詫びします。

 

〇貝出久美子さんの詩集を同封しましたが、もし同封されていない方で希望の方あれば連絡くだされば、お送りします。また、複数部数を希望の方にもお送りできます。費用は自由協力費です。(古い切手も可)

 

〇今月号は校正する時間なかったので、入力ミスその他があるかと思います。気付いたところはお知らせください。

 


リストボタン集会案内

 

〇 主日礼拝 毎週日曜日午前1030分から。徳島市南田宮1丁目の集会所とオンライン併用。

以下は、天宝堂集会だけが対面とオンライン併用で、あとは、オンライン(スカイプ)参加希望の方は、吉村まで連絡ください。

〇 夕拝…毎月第一、第三火曜日夜730kara9

〇 家庭集会

@ 天宝堂集会…毎月第二金曜日午後8時〜930

A 北島集会…・第四火曜日午後730?9時、

・第二月曜日午後1時〜

B 海陽集会…毎月第二火曜日 午前10時〜12

 あなたの御言葉は、天にて永遠に定まっています。あなたの真実は、永遠です。(詩編119の89)

あなたの御言葉はわが足の灯火、わほが道の光。(同105)

 

主筆・発行人

http://pistis.jp (「徳島聖書キリスト集会」で検索)