風の歌
2003年度.
写真撮影、詩: 灯祈 道
(とおきみち・徳島聖書キリスト集会員)
今日は です。 更新は です。 |
小題 | 小題 |
2003年1月 | 天使の羽根 |
詩集第四集 | 神は愛です |
2003年1月最新版 14 ツタ 確かなものにすがりついて ひとあし、ひとあし、 天を見上げて登っていくと いつの日にか まぶしい光の中に、きっと行き着く。 ツタの葉は黙って登っていく。 そのときに、つぶらな小さな 花が咲く。 15 イヌドクサ 夏にツクシ!・・と思ったら イヌドクサだという。 川辺に並んで 黙って立っている。 おこるでなく さわぐでなく 静かにしたまま 朝も夜も 晴れても雨でも 主の命じられるまま 並んで黙って立っている。 16 アガパンサス この花の名前が アガパンサスだと聞いてから それは「アガペー」から来ているときいてから 急に目にとまるようになった青い花。 神は愛ですよ、と 出会うたびに教えてくれる。 やまかげに舞い降りているかと思えば
ガクウツギの白い花 神の御むねをそのままにうつして 光のように清らかに咲いている。 じっと向かい合えば まぶしくて 目を離せないような 目を閉じてしまいそうな どうしてそんなに清らかなのですか? 答えのかわりに 目には見えない光の滴を こころにひとつ落としてくれた。 17 入り口 この入り口から、はじめて入った日 ここで、主イエスに出会うとは思わなかった。 この入り口を、初めて入った日 わたしは似合いもしない派手な格好をしていて それが、やたらと恥ずかしかった。 この入り口を何度かくぐってわたしは、救われた。 それから、何度もこの戸をくぐった。 もう、派手な格好をしなくなった。 慕わしい、尊いこの入り口よ。 命の道に通じる門は小さかった。 しかし、入り口の向こうは永遠に通じていた。 18 ニワウメ 聖霊の結ぶ実は 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制。 小さな赤いこの実には 言葉も、文字もないけれど 黙って結ぶ赤い実に、これらのすべてのことがある。 風に揺れる赤い実が 言葉以上に教えてくれる。 |
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詩集第四集 ともしび天使 灯祈 道 ともしび天使 わたしの心に小さな灯火 赦しと愛のキリストの光 ともしび天使のいのちが注がれ 光の中で生かされている。 主日礼拝 主日礼拝が終わって、集会場の庭にでる。 車に乗ろうとすると、 一匹のトカゲが驚いて チョロチョロと逃げていった。 よかったね。きょうは主の日。 おまえも一緒に ここで讃美をしていたんだね。 天使 野草について学んでいるときに 赤ちゃんを連れた人がやってきた。 野の花も天使 赤ちゃんも天使 部屋に天使がいっぱい。 野草の祈り どんなにきれいに咲こうとか どんなに大きくなろうとか 野草はひとつも求めない どんなに咲いたらいいですか? どんなに散ったらいいですか? 野草が問うのはみ旨だけ おかれたところで歌うだけ 問題 思いがけない出来事に 思いがけない出来事が続き 祈る言葉もわからないとき 立ち止まって この出来事がどこから来たか考えてみよう。 悪魔から来たのか 偶然か 神様から来たことなのか 3つの内からさあ、選びなさい。 神様から出された問題。 祝福か、滅びか 選び取ったときに道が決まる。 つながれている犬に つながれている犬に吠えられて こわいこわいと泣いている子供がいたら 大丈夫だよ、と言えるのに つながれている悪の力に吠えられて もうだめだ、とうなだれている。 タンポポ 月が昼間、地の上に 降りて咲いたらタンポポの花 雪が春、地の上に 舞って降りたらサクラの花びら 星の光を 雨のように降り注ぐ この清らかな星の光を 天を仰いで両手に受けよう。 あふれるほどに光を受けたら この世の闇に届けに行こう。 夜空の闇の深いほど この世の闇の深いほど 星の光は強く輝く キリストの光は強く輝く。 朝が来て 朝が来て アサガオがそっと咲くように キリストの花 心に開き、今日を生きる。 夜が来て マツヨイグサが咲くように キリストの花 心に灯り、今日を閉じる。 自転車で 自転車で走りながら祈るとき 電柱は十字架になる。 職場の片隅で祈るとき 壁の模様は十字架になる。 ベッドで寝たまま祈るとき 部屋の柱は十字架になる。 白いムクゲ 一本の木に 白い小鳥がいちめんにとまっているのかと思えば 白いムクゲの花だった。 近づけば、小鳥の歌が聞こえてきそうな。 風が吹けば いっせいに空に飛び立って行きそうな。 誰も知らない ツメクサの白い花は 3ミリほどの小さな花。 だれも目にもとめないけれど ルーペでそっと見てみると 天使が座ってほほえんでいる。 誰も知らない小さな世界 神様の国は人知れず広がる。 滑走路 地上の人生は、駆け抜ける一瞬の滑走路 飛び立てば 終わりのない永遠が始まる。 砕かれて 砕かれて 神の愛がそそがれる。 こころが再び 神様のもとに帰るとき わたしの居場所はここしかないと 子供のように父に泣く。 鍵 イエス様を信じたときに ひとつの鍵が与えられた。 縛られていた重い過去に鍵をして さあ、新しい扉を開けてゆきなさい。 見たこともない世界に入る鍵。 何と言うことだろう! わたしはどこへも行かないのに アルプスの高原より清い風が吹き わたしは家にいたままで 天からの交響曲が聞こえてくる。 この鍵は前進のみ。 光から光へ 御もとに行くまで扉を開け続けてゆく。 ユキノシタ ユキノシタは目立たない 小さな白い花だけど ルーペで見ると その清らかな美しさは 主の栄光を語っている。 天の御座で 主イエスの足もとに咲いているのは この花かも知れないと思った。 映像 ひとつひとつの出来事は 小さな事から大きな事まで 主からわたしに示されたメッセージ 今の電話のひとことも 今朝の新聞の記事さえも そのことを通して 主がわたしに語りかけられる。 この世にあるものはもしかしたら わたしと主のみで あとは全て、神様がわたしに見せられる 映像なのかも知れないと そんなことを考えたりする。 大根を切りながら わたし自身を どのようにしたら 完全に捧げ尽くすことができるのだろうかと 考えながら大根を切っている。 ひたすら繰り返される日常の中 全てを主にささげるのはどうすることだろうかと 考えながら大根を切っている。 主がいて下さる。 主がいて下さる。 目の前に、主がいて下さる。 どんなときにも、主がいて下さる。 恐れることはない。 案じることもない。 心騒がせ、あれやこれやと思い煩うことはないのだ。 ただ静まって、ひれ伏せばいい。 そのとき、全ての心配は不思議と消え去る。 状況は全く変わらないのに いったいどうして、安心するのだろうか。 主の平和 主の喜び わたしはただ、主によって動かされる道具。 わたしの魂よ、この事を見失ってはいけない。 主がわたしをもっとよい道に導こうとしておられる。 主がわたしを祝福しようと思って下さっている。 ただ静まってひれ伏せば、静かに御旨が流れてくる。 歴史が語る 歴史が語る、ひとつのこと 人は正しく生きられない。 独裁があり、貧困があり、戦いがあり、差別がある。 やっと落ち着いたと思えば、今度は人は堕落する。 美しい山々が連なり 清い川が流れていようとも 人はねたみ 人は苦しむ 悪魔は火のようだ。 しかし、キリストはそこに立ってくださる。 十字架が立ち、キリストの救いが現される。 人は正しく生きられない。 十字架だけが人を生かす。 犬が鳴いたので 犬が鳴いたので夜更けに外に出た。 空を見上げた。 くらい夜空に、星が見えた。 わたしは今、生かされている。 ここに立って星を見ている。 生きている。 神を知らされ、命を注がれて生きている。 あがなわれ、罪赦されて生きている。 何のために生きているのか どこから来たのか そしてどこに帰るのか。 知らされて生きることの確かさ。 夜空の向こうの天の国よ あこがれてやまない光の世界よ わたしのふるさと わたしの家 わたしの命の生まれたところ 主からいただいたこの命を 主にお捧げして生きることができますように。 わたしの全てが主のために 燃やされながら終わりますように。 犬が鳴いたので外に出た。 空を見上げて主と向かい合い わたしは夜更けに立ちつくす。 木の讃美 雨が木の葉の鍵盤をたたく 風が小枝のバイオリンを弾く 風が通り抜ける木立はフルート 思い思いに木は讃美する。 この世には この世には闇の世界に引っ張ろうとする おおきな引力が働いている。 確かなものにつかまっていなければ 闇に吸い込まれてしまう。 目を凝らしても 目を凝らしても見えない 手を伸ばしても触れることができない どこにいるのか 本当にいるのか どうしてわかるのか なぜなのか ああ、しかし主よ どうしてあなたはこんなに確かに 在ってくださる。 ひとすじの道 一生懸命あるいて走って ときどき転んでまちがえて 右に行ったり 左に行ったり 思わぬところに立たされていたり イエス様を信じて生きても うまくいかない、でこぼこの道 「ごめんなさい」「助けて下さい」「主よ来て下さい」と叫びつつ それでもやっぱりわたしは走ろう。 でこぼこの道、ひとすじの道。 父が逝って 父が逝って、遠かった父が近くなった。 父が逝って、話しにくかった父と、話せるようになった。 主と共にいる者同士。 父は死んでから、わたしの中で生き始めた。 「今年の年末には、七日間くらい外泊しようと思っている。」 そう言っていたのは、十二月の初め。 その父が、年が明けたらすぐに召された。 人間は、自分の命もわからない。 神様のご計画は、本人さえもわからない。 信仰など、関心もなかった父が 聖書も読んだことがないままに 「キリスト教で葬式をしてくれ。」 と言い残した。 ヨハネもパウロも知らないままに 「神さんの所に行く」 と言い残した。 そして、「ちっとも恐くない。行ってくる。」 と言って本当に逝った。 いったい誰が、予想できたであろうか。 神様は父に何を示してくださったのか。 父が見えていたものは、どんな世界だったのだろう。 八十一歳の気難しい老人に、福音の意味も知らぬままでも、 主は天国の戸を開いて招いてくださった。 父は、「バイバイ、ありがとう。」などと、 おおよそ父らしくない言葉を残して、安心して昇っていった。 主の憐れみと、主の御業 人にはできなくても神にはできると 証を立てて、父は召された。 ヒガンバナ さあ、 あなたに赤い冠をあげよう。 迷いながらも 恐れながらも 倒れながらも 泣きながら 主イエス様に叫び続けた一筋の道。 旅の終わり。 さあ、 あなたに赤い 主の血の冠をあげよう。 階段 この階段を登って 目の前にひらけるものはなんだろう。 行き着く先はどこだろう。 わからなくても 信じられる。 行き着く先のなつかしさ 行き着く先のいとおしさ。 主を呼ぼう 風が吹く。 ドアを閉めないで、窓を開け、 心を開いて、主の風を呼ぼう。 日々の生活は、喜びの時ばかりではないけれど うなだれたときはうなだれたまま。 疲れたときはぐったりしたまま。 目の前の苦しみや、自分自身の苦しみに なす術もなく心がもつれるその時も 包み隠さず、もつれたままで イエス様、イエス様、イエス様を呼ぼう。 不思議な力を与えて下さる方が他にいるだろうか。 心に愛を下さる方が他にいるだろうか。 かたくなな心になるのはやめよう。 主に背を向けるとそれは、闇に続く道。 平和も歌も喜びもなく、知らない間に埋もれてしまう。 イエス様を呼ぼう。 イエス様に叫ぼう。 信じて祈ろう。 主は来て下さる。 うなだれたときはうなだれたまま 膝を抱えて主を呼ぼう。 野原の風より命に満ちた イエス様の風を必ず下さる。 ともしび天使 わたしの隣で歌っている。 わたしの隣で笑っている。 主の御もとから来た ともしび天使 清らかな羽をはばたかせ つねにわたしを主に連れ戻す。 わたしと一緒に祈っている。 わたしと一緒に泣いている。 主のあがないの 命の天使。 どんなときでも離れずに 愛と赦しを示し続ける。 一九九七年の八月。目には見えないイエス様が、わたしの手を取り、背中を押し、はじめて徳島聖書キリスト集会の集会場に導いて下さいました。暑い夏の日でした。 あれから五年。イエス様は同じようにわたしの手を取り、背中を押して今日まで守り 導き続けて下さいました。 この赦しと救い。畏れをもって主に感謝します。 わたしの小さな詩集を手にしてくださり、ありがとうございました。 皆様おひとりおひとりの上に、主の祝福がありますように。 二〇〇二年八月一日 (徳島聖書キリスト集会所属) |
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4年前の冬 わたしの心の中に灯った 小さな光があります。 この灯火は強くなったり弱くなったり 消えそうになったりするけれど それでも決して消えないで燃え続けている。 イエス様が消えないように まどろむことなく見ていて下さる。 わたしは、この光によって生かされ この光のために生きています。 尊い犠牲の血によってわたしに灯された小さな火 終わりまで主のために燃え続けますように。 この小さな光の恵みのひとしずくをお届けします。 神は愛です。 |