福音 №441  20252

「神は愛です」

 

信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。

その中で最も大いなるものは、愛である。コリントの信徒への手紙一13:13

 

私は聖書の神様を信じている。イエス・キリストをわが主と信じている。天気の良い日など道を歩きながら、青空に浮かぶ白い雲の向こうから「さあ、おいで」と手をのべてくださったら、喜んで神さまのもとに駆けて帰ろうと、一心に空を見る。でも、度々天を仰いでも、「おいで」とは言ってくださらないから、まだまだ準備不足で、その時ではないのだろう。

内村鑑三は、「後世への最大遺物」の中で、

「この生涯はわれわれが未来に往く階段である。ちょうど大学校にはいる前の予備校である。もしわれわれの生涯がわずかこの五十年で消えてしまうものならば実につまらぬものである。私は未来永遠に私を準備するためにこの世の中に来て、私の流すところの涙も、私の心を喜ばしむるところの喜びも、喜怒哀楽のこの変化というものは、私の霊魂をだんだんと作り上げて、ついに私は死なない人間となってこの世を去ってから、もっと清い生涯をいつまでも送らんとするは、私の持っている確信でございます。」

と話し、しかし、ここからが内村の内村らしいところで、

「しかしながら私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備校を卒業して天国なる大学にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのとき私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくない、との希望を起こってくる。・・・」と言い、ここから、では私たちはこの世に「何を遺すことができるか」が興味深く書かれていて、うん、うんと引き込まれていき、ずっしりと納得のいく話が続く。

内村の話はここまでで、(もしまだ「後世への最大遺物」を読んでいない方がおられましたら、青空文庫ですぐに読めますから、ぜひどうぞ)、私が書きたいのは、こんな高尚な話ではなく、ごく普通に考えて、「われわれの生涯がわずかに五十年、百年で消えてしまうものならば、実につまらないものである。」というセンテンスを言いたいから、ここに内村の文を引用したのです。

 

昨年末、遠くに住んでいる二男と旅先で会うことができ、久しぶりに心の内にあることをお互いに話すことができて、うれしかった。ところが・・・。

幼い日から「こども聖書集会」で聖書の話をずっと聞いてきたのだから、「今も聖書を読んでいるよ、毎日イエスさまに守られてありがたいです。」と言うかと思いきや、「生きる意味とか、難しく考えるからしんどくなる。そんなことより、今生きていることを喜んだらいい。」と分かったような言い方をするから、「今がどんなに楽しくても、充実していても、死んでしまえばおしまいの人生なんて、人生の意味を考えないなんて、むなしいねえ~」と思わず言ってしまった。自分でも、こんな言い方まずいなぁと思うと同時に、「そんな言い方だけは止めた方がいい。人の生き方をむなしいなんて、失礼だろう」と返ってきて、するとこちらも負けてはいられない、「自分がこれでいいと思っていたら、人からむなしいと言われたくらいで腹を立てることはないよね」と、似た者親子まる出しの会話。でも、さすがに(お互いに少しは成長したようで)、二男は「まだ人生に挫折したことがないから、こんな感じでいけてる」と言い、私も、「そんな人生むなしいね」なんて最低の言葉、ごめんねって心であやまりながら、すぐに楽しい話にもどって良い時間を過ごせた。

 

帰ってから、考えた。だいたい、子供に聖書を教えて、伝わってなかったらどうみても、親の言うこととすることが違うからだろう。言葉と行い、それが一致しない人の言葉なんて、だれも信じたくないものねって、自分でも思う。

ああ、イエスさまに出会って良かったと喜びが込み上げてくる。イエスさまは、言葉と行いが完全に一致された、世界で唯一のお方。愛を説き、愛のために死なれたお方、律法の大切さを説き、真の律法を究極まで守られ、律法による義は古い革袋に、信仰による義を貫かれ、「福音」として新しい革袋に満たしてくださった。

そうだ、私にも自信をもって言える言葉があった。「神様はあなたを愛している。変わることのない真実、母の私よりはるかに深い真実をもって、あなたは神様に愛されている。」

 

「神は愛です」ヨハネの手紙一4:16

この一言を信じるなら、人は生きていけると思う。

人が何に苦しむかというと、究極的には愛のないこと、

人から愛されないこと、人を愛する愛が自分にはないこと。

そのことに絶望するのだ、きっと。

愛がなければ、全世界を手に入れても満たされることはない。

人はそのように造られているのだと思う。

 

世の終わりには「愛が冷える」とある。

愛が冷えて、愛が亡くなれば、この世は自ずと滅びるだろう。

人を生かしているのは、愛なのだから。

大切な時に、たとえば死ぬ間際に会いたいのは、自分を愛してくれた人だという。

愛は永遠だから愛の記憶は、今日を生きる力となるという。

 

最強の愛、それは神の愛、

全ての人の罪を負うて死なれたキリストの十字架の愛。

幼児のように信じたらいいと、イエスさまは教えてくださった。