福音 №332 2016年1月
帰れよ。信じよ。
「われに来よ」と主は今 やさしく呼びたもう
などて愛のひかりを 避けてさまよう
「かえれや わが家に 帰れや」と
主は今呼びたもう 讃美歌517ー1
にぎやかなお正月も過ぎて、さあ今年も出発だ、と冬空を見上げれば「わたしに帰れ」と、全地に呼びかける声が聞こえる。そうだ、この御声を、この限りのない神の愛を、今年も「福音」に書き続けるのだと、熱い思いが込み上げてくる。
こんな私が、と自分の足下を見ると一歩も進めない。だが私ではない、今も全地に向かって「かえれ、帰れ、わが愛に帰れ」と、キリストが呼んでおられる、このお方を伝えたい。どんなに拙くても、99人に笑われてもたった1人にキリストの真実が伝わるなら、それ以上の喜びはない。「かえれ、帰れ」と呼びかける大空に向かって、「そのあなたのみ声を伝えたいのです。助けてください」と静かに叫ぶ。
わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹き払った。
わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。イザヤ44:23
信じるなら、あなたは神の栄光を見る。ヨハネ福音書11:40
ヨハネ福音書11章、一連のラザロの記事は、死んだ人が生き返ったという復活が中心の記事だと思っていた。有名で復活祭にもよく読まれるし、「わたしは復活であり、命である。」25という聖句によって、硬く凍った私の心がよみがえったことも確かにあった。だが、それでも11章に特に心引かれるということはなく、「イエスは涙を流された」との一言によって救われた人の話を、読む度に思い出すくらいだった。
それが、今回の主日礼拝の学びによって、そうか、この記事は死んだ一人の人が生き返ったという、あっと驚く物語ではなく、読む者がイエスを信じるために書かれたものだと目が開かれた。何を今さらと言われても、自分で読んで発見した喜びは大きい。
ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。15
わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。25
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。26
もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか。40
あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。42
イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。45
ヨハネ福音書20章の最後に「本書(ヨハネ福音書)の目的」とのタイトルで
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じ るためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
とあるが、まさにラザロのよみがえりの記事も、イエスは命をも支配される神の子メシアであると読む者が信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためなのだ。
随分昔のことになるが、長男の同級生の女の子が10才くらいで亡くなった。お葬式も終わりに近づいた時、母親が「○○ちゃん、起きて、起きてよ、目を開けて、○○ちゃん目を開けて」と、わが子の頬をたたき続け、泣きながら棺にすがって離さなかった。何年たっても、何十年たっても、その光景を忘れることはない。その母親に、ラザロが墓から出てきた話をしても「私の子は出てこなかった」と答えるかも知れない。だが、イエス様がラザロをよみがえらせたのは、ラザロや家族だけを喜ばせるためではなく、それを見聞きし、読んだ人たちが「イエスは神の子メシアであると信じるためであり」、信じるすべての人が「イエスの名により命を受けるため」なのだと、今分かった。
死んだわが子が生き返ったら、どんなにどんなに嬉しいだろう。わが子の命を救うためなら、全財産だって自分の命だってさし出したい、もう他には何もいらない思うだろう。そしてその願いがかなった喜びの大きさは、誰にだって容易に想像できる。だが、聖書の告げる喜び、すべての人に与えられる最高の喜びとは、私たちが「イエスは神の子メシアであると信じ」「信じてイエスの名により命を受ける」ことだと言う。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きる ようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたち が神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえ として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。1ヨハネの手紙4:9-10
これからの世界、これからの日本、これからの人生、何が起こるかは分からない。だが、その独り子イエス・キリストを、ご自身の愛の結晶として世に遣わされた神の愛を、天に召される日まで信じ続けることができるなら、そして、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」との戒めを少しでも真実に守り、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」との戒めに少しでも従えるようになるなら、それこそ最高の喜び、最高の人生に違いない。
それにしてもイエス様の愛は計り知れないと改めて思う。「信じる者には永遠の命がある」と命の御言葉を与えてくださると共に、「イエスは涙を流された」と。今、苦しみもだえる者の痛みも辛さもすべてを知って、寄り添ってくださるイエス様、共に泣いてくださるイエス様。イエス様、確かにあなたはすべての人に、すべてのすべてとなってくださるお方です。