福音 №339 2016年8月
「恵みと平和」
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。フィリピ1:2
今一つ一つ読み返してみて、驚いた。パウロの書いた手紙13通、どの手紙も「恵みと平和」を祈る祈りから始まっている。他にはペテロの手紙2通も、始めに「恵みと平和がますます豊かに与えられるように」とある。今まで、挨拶の慣用語のように思って読み過ごしていたけれど、「恵みと平和」、この言葉は限りなく深く、神様の御性質そのものなのだと、ふっと気づいた。明日も分からぬ弱く小さな人間に、恵みと平和をあふれるほどに与えることが神様の御意志であり、私たち人間は神様の恵みと平和を受けるときにだけ満ち足りた存在となる。もう一歩踏み込んで言うなら、神様の与えてくださる恵みと平和はイエス・キリストの内にすべて詰まっており、イエス様を思っていると、神様の与えてくださる恵みと平和が見えてくる。
神様の恵みと平和は変わらない。
私が迷ったって、
世の中が荒れ狂ったって
神様の恵みと平和は変わらない。
そうだった、本当にそうだった。私たちに神様の恵みとキリストの平和があえば、この世のどんな困難や、理不尽なことにも押しつぶされはしないだろう。だからパウロは手紙を書く時はいつも、まず「神とキリストの恵みと平和」を祈ったのだ。だが、どんなにパウロが祈ってくれても、その恵みと平和をすぐに忘れてしまう者は、いったいどうすればいいのか。
ああ、聖書を読んできて良かったと思う。聖書の中にはどんな問題に対する答えもある。必ずある。聖書がこんなにも分厚くて小さい字で一面に書かれているのは、私たちの人生に対する答えがすべて書かれているから。こんな聖書を読まないなんて、生涯の愛読書としないなんて、もったいなすぎる。
少し話がずれたが、すぐに恵みと平和を忘れて「大変だ、大変だ」とため息ばかりついている私でも祈れる御言葉発見。マルコ福音書9章24節「信じます。信仰のないわたしをお助けください」これなら祈れる。「主よ、信仰のないわたしをお助けください。」分かっているんです。たとえ何が起こっても、世界がひっくり返っても、あなたの他に頼るべきお方などないということ、あなたの他に、私たちの希望など無いんだってこと。だから、主よ、どうか信仰のない私もお助けください。
そう祈っていると、♪わが身の望みは ただ主にかかれり・・・と歌っていた。
わが身の望みは ただ主にかかれり
主イエスの外には 依るべき方なし
わが君イエスこそ 救いの岩なれ 救いの岩なれ 讃美歌280ー1
本当に、主イエス様が私の望み、救いの岩なのだから、どんなに落ち込んだって失敗したって、サタンに振り回されてクタクタになっても、そんなことで望みや救いが無くなるわけじゃない。大丈夫。♪わが身の望みは ただ主にかかれり
こんなふうに、弱り果てたとき希望を与えてくれる聖書の記事。そうか、そうだったのか。聖書には人間の失敗やどうしようもない罪の姿が赤裸々に書かれている。旧約聖書のみならず、喜びの訪れを告げる福音書にも弟子たちの情けない姿がありのままに描かれている。それは、一筋の道を歩みたいと願いながら、すぐに道をそれてしまう者のために備えられた、逃れの道なのだ。
マタイ福音書14章22節から。ガリラヤ湖で逆風に悩まされている弟子たちの舟に、イエス様が近づいてこられた。湖の上を歩いて来られるイエス様の姿に「幽霊だ」とおびえ叫ぶ弟子たちに
イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
「水の上を歩いてそちらに行かせてください」とのペトロの無鉄砲な願いにも「来なさい」とイエス様が言われたのだ。「来なさい」とはイエス様のお言葉なのだ。天地が滅びても決して滅びないイエス様の言葉によって歩き始めたのに、強い風に気がいくとすぐに沈みそうになる。イエス様の言葉よりも、この世の波風の方が強く大きく見えてしまう。でも、大丈夫。ペトロは叫んだ「主よ、助けてください」そうだ、私たちも叫ぶことが出来る。「主よ、助けてください。沈みそうです。この世の問題にため息ばかりついています。私の口からは否定的な言葉しか出てきません。主よ、助けてください」
この世の悪に勝利されたイエス様、あなたは言われます。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と。もうダメだと思うときこそあなたの御言葉を思い起こします。あなたの恵みと平和で満たしてください。
8月、暑い日が続きます。7月には子供バイブルキャンプをして、人生で忘れられない喜びの1ページになりました。9月には近畿無教会キリスト集会がひかえています。それが終わっても、秋にも冬にも絶やすことなく集会に参加したいです。今は、そんなやる気に満ちあふれているけれど、ちょっと油断をすると、日毎に世間を騒がせているサタンに乗せられて、虚しい思いになってしまいます。神様の恵みと平和から私たちを引き離し、やる気を無くし、悪の力を見せつけて、私たちを滅びに導こうとサタンもやっきです。さあ、今日もエフェソ6章10~18節を読んで、御言葉の剣をもって戦いましょう!