福音 №344 2017年1月
「キリシタンの地を旅して」
昨年末25日、クリスマス礼拝を終えた夜、大阪南港から九州別府港に向けてフェリーで旅立った。以前から一度行ってみたいと思っていた長崎、雲仙、島原、天草とキリシタン歴史の地を訪ねるために。
地理にも歴史に格別うといので少しでも予習をしておこうと「日本二十六聖殉教者」という本を読んだり、インターネットで調べて、二百五十年も隠れていた浦上キリシタンが大浦天主堂にやってきてプティジャン神父に信仰を告白、奇跡の「信徒発見」と言われていること、しかしその後、明治政府になっても「キリスト教は禁教」として三千三百九十四人が日本各地に流罪となったことなども知った。キリシタンであれ、クリスチャンであれ、カトリックであれプロテスタントであれ、この世に人として生まれ、十字架について死なれ、三日目に復活されたイエス・キリストをわが主、わが神、わが救い主と信じる一点においては違いのあろうはずもなく、私たちは今「イエスは主、生ける主、死からよみがえられた主」と大声で歌っているけれど、「イエスは主」と、その一言に命をかけねばならない人もいたのだと、何とも言えない思いになったりもした。
26日朝、予定どおり大浦天主堂、日本二十六聖人記念館と周り「ザビエル」という文庫本を購入。日本にキリスト教を伝えたのはザビエル、イゴヨク広まるキリスト教で1549年くらいしか知らなかったので、夜には本を読んでザビエルの生きた信仰にいたく感動。でもその頃すでに、ルターの宗教改革は進んでいたのだと複雑な気持ちになったが、ザビエルやイグナチオ・ロヨラたちは「プロテスタント運動を批判するより、まず自らを戒め規則正しい宗教生活をしよう」とイエズス会を設立したのだと知って、少し了解。いろいろ分からない問題にぶつかった時は、神様はすべて知っておられるから大丈夫、と天を仰いで前を向く。
次の日は雲仙から島原へ迫害の跡をたどりながら、南島原の「有馬キリシタン遺産記念館」では覚えきれないほどの展示を見、説明を聞き、その後、島原・天草一揆の最後の戦いの場となった原城跡へ。ここに立てこもって死んでいったという2万7千人の人を思いながら、海を背景に高く掲げられた十字架の前に立った。
次の日は、フェリーで30分かけて天草へ。天草町大江はキリスト教の村だと聞いていたのでぜひ訪ねたかった。ナビの言うまま走り続け到着した大江天主堂には、この地で49年間、司祭として貧しい人、弱き者の友としてキリストの愛を生きたというガルニエ神父像があったが、来日後82才の生涯を終えるまで、故国フランスの土を踏むことは一度もなかったと記されていた。信仰も、伝道も、やはり人なのだ。建物でも、マリア像でもない、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との、イエス様の御声を聞いて従った人なのだ。神様が用いられるのは、ご自身の似姿に造られた「人」なのだと、心奥深く感じとった。
そして、すぐ近くにある「天草ロザリオ館」に立ち寄り、私は今回の旅行で最高の喜びを得た。入り口で「まず、天草における隠れキリシタンの歴史をごらんください」と映像ホールに案内され、それを見終わると待っていたように一人の人が近づいて来て、展示物の説明などしてくださるのだが、「権力者は、何百年も、どうしてこれほどまで迫害せねばならなかったのでしょうか」という私の言葉に、「それは、キリスト教が本物だからでしょう、真理だからです。」とボランティアの説明員としてはあまりふさわしくないような答えをする。ふと聖書の言葉を口にすると急に顔を輝かせて「あのう、もしかして、クリスチャンの方ですか、私クリスチャンなんです。天草にはプロテスタントの教会もあって、私、60才になってキリスト教を知って、これこそ本物だ、残る生涯イエス様を信じて生きようと、7月に洗礼を受けてまだほやほやなんですが。いや、私はそれまで仏教徒でした、母も仏教徒でした、妻は熱心な創価学会でした。でも、分かったから、キリスト教こそ本物だと分かったから、母と妻と私と3人で回心して、7月にプロテスタントの教会で洗礼を受けてクリスチャンになりました。もう、うれしくて、うれしくてしようがないのです。仕事も退職したので、ここで説明員をしているとクリスチャンの人に会えるかと楽しみにしているのですが、ほとんど出会えません。うれしいです、お会いできて。私は聖書の勉強も始めたばかりですが、ずっと学んでおられるのですか、どこの教会ですか、イエス様を信じてどれくらいになるのですか、ご主人も信じておられるのですか・・・」と、その一つ一つの質問に笑顔でうなずくだけで十分で、それこそ隠れキリシタンがプティジャン神父に出会ったように互いに喜び合った。この方も、私も、この方のご家族も、私の主人も、イエス・キリストを信じたのは神の業であり、この出会いもまた主が与えてくださったもの。今回の旅でキリシタンの歴史が少しでもわかればと思っていたのに、かつてキリストのために生き、キリストのために死ぬ人を起こされた主は、今もキリスト信仰に生きる人を刻々と起こしておられるのだと、ご自身を信じる者を起こされるのは主ご自身なのだと、大きな深い平安に包まれて、最後の訪問地を後にした。
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「教えてください、主よ、わたしの行く末を
わたしの生涯はどれ程のものか
いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
御覧ください、与えられたこの生涯は
僅か、手の幅ほどのもの。
御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
すべて空しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
ああ、人は空しくあくせくし
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。 詩編39:5-8
「わたしはあなたを待ち望みます」。これほど大きな喜びが、確かな希望があるだろうか。神を信じ、神に希望をおき、神の愛に生きる。そんな生き方が自分でできるとは決して思わない。でも主イエス様が言ってくださる。「さあ、わたしと共に神を待ち望もう。わたしはそのために人となったのだ。あなたがたと共に神を待ち望むために。」