福音 №354 2017年11月
神の約束
その光は、まことの光で
世に来てすべての人を照らすのである。 ヨハネ福音書1:9
心が萎えてしまって、もう進めないなと思う時がある。誰から何を言われたって、それが本当の自分なのだとわかるから、黙って涙をのむしかないけれど、でもやっぱり心は弱いから「辛いよな」って暗くなる。いつものように「生きるって素晴らしい。主よ、この地はあなたの慈しみに満ちています」と、まっすぐに天を仰げない。
でもそんな時にもどうすればいいのか、少し分かってきた。本当の自分を知らされて落ち込んでいるのなら、この暗い自分が本当なのだから、それを自力でどうこうできるはずがない。でも大丈夫、待っていればいい。
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。詩編12:1~2
うなだれて上を向けない時も、山々を仰げなくても、待っていればいい。「あなたの心は暗いから、わたしの光で照らしてあげよう」とイエス様の光が心に届くまで、待っていればいい。どんな暗い世の中にも、真っ暗な自分の心にも、「わたしの光で照らしてあげよう」と、そっと近づいてくださるイエス様を、待っていればいい。
そのうち私の心は歌い始める。
♪赤子に等しき か弱きわれは
ただ主にすがりて いのちに歩まん。
ひと足ひと足 主にすがりて
絶えず絶えず われは進まん 新聖歌355-2
水曜集会では新約聖書の学びと共に旧約聖書も1章ずつ読む。遅々とした歩みであっても集まって聖書を読み続けることの恵みは計り知れない。一人では読み取れないことも、何人かの感想を聞いているうちに気づかされたり、教えられたり、どんどん内容も深まっていく。ちっとも深まらない時もあるが、良く分からないねって分かっただけでいい。声を出してみんなで読むことで、次回読むときの下準備になるし、分からなかった箇所ほど印象に残ることもある。ともかく、神様はご自身を(御言葉を)求めて集まる者を、空手で帰されることは決してない。
先日、創世記18章後半、アブラハムが「ソドムのための執り成し」をする記事を読んでいて、あっこれだと気づいた。
アブラハムの所に降って来られ「来年の今頃、妻サラに男の子が生まれているでしょう」と告げられた主は、その後、「ソドムとゴモラの罪は非常に重い」と訴える叫びを確かめるために、ソドムに向かわれた。ソドムの町を見下ろすところに来た時、一緒について来たアブラハムに、神様の遠大なご計画を告げられた。
「アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである」
この祝福の約束を聞いても、アブラハムの心は穏やかではない。罪の故に滅ぼされるソドムには甥のロトとその家族もいる。アブラハムは進み出て執り成しを始めた。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
その後、アブラハムは「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、50人の正しい者に5人足りないかもしれません。それでもあなたは、5人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか」と問い、主は「もし45人いれば滅ぼさない」と言われ、アブラハムは「もし、40人では?30人では?20人では?10人では?と問い続け、「その10人のためにわたしは滅ぼさない」と言われた主の言葉で、アブラハムの執り成しは終わっている。そして10人も正しい人のいなかったソドムとゴモラは硫黄の火によって滅ぼされてしまった。
ここを輪読した後、順番に心に残ったことを話すのを聞いているうちに、ふと、ロマ書3章10節の「正しい者はいない。一人もいない」が心にうかんだ。そして、「もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」という神様の言葉が、「もし地上に正しい者が一人いるなら、その者のために赦そう」と言われたように聞こえた。 だが、地上にはたった一人の正しい人もいなかった。
正しい者はいない。一人もいない。
悟る者もなく 神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。ロマ書3:10~12
ああ、だから、地上の人々を救うには、ご自身が人となって地上に来られるより他なかったのだ。それ以外に人を救う手立てはなかったのだ。ご自身がたった一人の義人としてこの世に来られなければ、アブラハムに約束されたことが成就することはなかったのだと悟らされた。
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 創世記15:5~6
アブラハムへの約束を違えることなく、ご自身の命をかけて信じる者を義(正しい)とする道を開いてくださったキリストの十字架を思う。信じる者すべてに与えられる「神の義」を思う。