福音 №362 20187

 「イエスは勝利者だ」 

映像の世紀プレミアム 第9集「独裁者3人の狂気」は衝撃的だった。

 

20世紀の世界を恐怖に陥れた3人「独裁者の素顔を描くファシズムを生み出し「ローマ帝国の復活を掲げて愛国心を煽っッソリーニの元には全国からラブレターが殺到しそのッソリーニにあこがれて独裁政権を築いたヒトラーは他人を信じられず忠実な青少年団ヒトラーユーゲントの育成と愛犬ブロンディの調教に力を注いだヒトラーと4000万の犠牲者を出す独ソ戦を繰り広げたソビエトのスターリンは実の息子が敵軍の捕虜となっても見捨てる冷酷な男だっ独裁者たち「天使の顔て国民の前に現れやがて国民を弾圧す「悪魔の顔をむき出しにし3人の独裁者たち「狂気描く。

 

この映像紹介文の通り、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンの現実の姿、演説で語った言葉まで余すところなく映し出され、それぞれの独裁者に熱狂的に従い行く大群衆の姿に、人間って何なんだろうと呆気にとられていると、最後に、201559日戦勝70周年式典でプーチン大統領は語った。「スターリンがこの国を率いた30年間、ロシアは劇的な進歩をとげた。それは疑うべくもない。また我々はドイツとの戦争を勝ち抜いた、誰が何と言おうと、犠牲者が多すぎると言われようと、勝利は得られたのである。祖国を勝利に導いた人々に石を投げる権利は誰にもない」と。ええっ、進歩って何?国の進歩って何のこと?勝つために人を殺し続けるって、それが人間が進歩するってこと?と、ますます呆気にとられてしまった。戦後73年を経て、私たちの大切な平和憲法の存続も危うくなっていく昨今、この世はどこまで行っても闇なのだと、心の中まで黒く塗りつぶされる思いの90分だった。

 

だが、「光は暗闇の中で輝いている。」私はこの一瞬の光を見るために、神に取って代わろうとする人間の狂気を見続けたのだと悟った。

 

「ドイツ軍兵士の回想より」記された、一コマ。終戦間近、

スターリンは自らの勝利を国民に誇るために、ドイツ軍捕虜を行進させ見せしめにした。モスクワ市民はただ黙って彼らを見つめていた。その瞬間、私は衝撃的な光景に打ちのめされた。突然初老の女性が、私たち捕虜の列に駆け寄ってきて、小さなパンを手渡そうとしたのである。彼女の貴重なパンを恵んでくれようと言うのである。その兵士は戸惑っていたが、女性は彼の手にパンを押しつけ、十字を切って祈ったのだった。私たちが行った野蛮な行為の数々にもかかわらず、同情と慈悲の心は消えていなかったのである。

 

これだと思った。どんな世になっても、私たちにはキリストに従うという道が残されているのだ、と。

そして以前読んだ、E・ゴードン著「死の谷をすぎて・クワイ河収容所」の一コマが重なった。日本軍に捉えられて戦争俘虜となり死と隣り合わせの日々、その俘虜たちがジャングルの奥地へと行進させられていたとき、

「私たちは驚いた。私たちが近づくと、道路のわきに急いで身を寄せて行進を見つめていた彼らの目には、慈悲の光がうるおっていた。私たちが部落のはずれに着く前に彼らはうしろから追いかけてきた。そして持ってきた菓子やバナナ、卵、薬、金銭などを私たちの手に押しこんでくれた。後日、私たちはこれが宣教師によってキリスト教に改宗した村であったことを知った。またのちになって、村全体が俘虜に友好的だというかどで日本軍に過酷な処罰と迫害を受けたということも知った。」p166

 

「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行う」ようになると、イエス様は言われた。

「わたしたちは皆、・・・主と同じ姿に造りかえられていきます。」とパウロは言った。

「あなたがたが・・・情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。」とペテロは言う。

「この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。」とヨハネは言う。

 

イエス様が行われた愛と憐みの業を行い、イエス様と同じ姿に造り変えられていき、神の本性にあずからせていただくようになり、イエスのようである人。

これが、キリストを信じることによって与えられる最大の奇跡であり、「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって」新しく生まれるということなのだ。

そして、どの時代にも、どんな破壊と悲惨と絶望のただ中にも、そのような人は存在し続けたのだと、キリストの命に生きる人が後を絶つことはなかったのだと知るとき、「イエスは勝利者だ」と、狂気と暗黒の世が語っているのを聞くのである。

 

傷つき倒れる人にさしだす一切れのパン、そんな小さなことが生けるキリストのしるしだろうか、というかも知れない。バプテスマのヨハネもそうだった。ローマの圧政に苦しむユダヤのため、不正に満ちた世を正すため、一向に立ち上がろうとされないイエスに「来るべき方(メシア)はあなたでしょうか」と問わずにはおられなかった。しかし、イエス様は答えられた。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」と。

世は変わっても人は変わらない。だからイエス様は一人一人に近づいて、一人一人を愛しその罪を負い、一人一人を新しく造り変えてくださる。みな共に、永遠の命に生きるため、永遠の御国に迎えるために。