福音 №370 2019年3月
「テモテへの手紙2」
神の御前で、そして
生きている者と死んだ者を裁くために来られる
イエス・キリストの御前で、
その出現とその御国を思いつつ、厳かに命じます。
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。Ⅱテモテ4:1
パウロの最後の手紙とも言われる「第2テモテ」をくり返し読みながら、時が良くても悪くても宣べ伝えるべき「御言葉」とはこれなのだと鮮明になってくる。
苦しい時の神頼みだけなら、平穏な日々に神はいらない。この世がすべてで、人間が肉体の死によって消滅するのなら、どんなに生きたって大した問題はない。「いずれ、人はみな死んでいく」と一言で片付いてしまう。だが、パウロは「生きている者と死んだ者を裁くために来られるイエス・キリストの御前で、その出現とその御国を思いつつ」と言う。世界にキリストを伝えたパウロが、どこを見ていたのか、何を固く信じていたのか、この最後の手紙に込められた確かな希望が、美しい夕映えのように見えてくる。
この手紙は短いので、何度でも読む。今も読み返して、パウロのどの手紙にも色濃く現れている苦しみは、福音を宣べ伝えるとき必然的に生じるものなのだと、ハッとした。
キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。 1:10-12
イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。2:8-9。
キリスト教がよく言う愛の宗教で、「キリストを信じるなら、親切で優しく謙遜で、なおかつ正義感の強い心の清い人をになれます」というようなことなら、その教えのために苦しみを受けることなどないだろう。だが、パウロは「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」3:12と言う。なぜ迫害を、と思いめぐらしていると、エフェソの信徒への手紙6章10節からを思い出した。
主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
そうなのだ、人を滅ぼそうとやっきになっている悪魔は、愛の教えや平和な家庭や社会の大切さを伝えるだけなら放っておいても、人がキリストの十字架を信じて罪赦され、神の子とされ、永遠の救いに入ることだけは絶対に放ってはおかない。「キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝える」1:1者を、外からも内からもどこまでも苦しめる。
「主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にあるご自分の国へ救い入れてくださいます」と確信しつつ、なおも鎖につながれ、あらゆる苦しみを耐え忍んでいるパウロ。この短い手紙には、
アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。1:15
デマスはこの世を愛し、わたしを見捨て・・・。4:10
わたしの最初の弁明の時には、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。4:16
と、パウロの悲しみ、孤独が立ち込めている。そして、愛弟子テモテへの
ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。1:4
ぜひ、急いでわたしのところへ来てください。4:9
冬になる前にぜひ来てください。4:21
との言葉に、どれほどの主にある愛が込められているかが伝わってくる。
台所の3・4月のカレンダーは、見入ってしまう「サラ」の絵。そのカレンダーの横には、いつどこで見つけて書いたのかも忘れてしまったけれど、
名利を求めず
人に知られることを欲しない。
あくまでも孤独で
自由で
ただ残るものは感謝だけ。
とペンで書いた小さな紙を貼ってある。この「サラ」はルオーの最後の作品のひとつとあるが、パウロの最後の手紙を読みながら、「あくまでも孤独で、自由で、ただ残るのは感謝だけ」という言葉とサラの穏やかなほほ笑みが響き合って、
世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
という、パウロの言葉が迫ってくる。そしてパウロは
わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
と、わたしたちにも呼びかける。
神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください1:8
キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい2:3
と愛弟子テモテに懇願したパウロ。
神もキリストもまったく知らなかった私たち異邦人に「生きるはキリスト、死ぬは益なり」と、命をかけて福音を伝えてくれたこのパウロの言葉を、他人事のように聞いているわけないはいかない。