福音 №383 2020年4月
御言葉を届けよう
久しぶりに帰ってきた娘が、「お母さん、こんな時こそ、『聖書を配ろうキャンペーン』をやったら」と言う。みんな家に閉じこもって、いつものように活動できないでうんざりしてるから、そんな時マスクと一緒に聖書が送られてきたら、ちょっと読んでみようかなって気になるかもしれない、と言うのである。「お母さんはいつも聖書を読んで、『聖書の中には真の希望がある、聖書の言葉は今日を生きる力である』と感動しているけれど、こんな時こそ、その喜びと希望の源である聖書をみんなに届けなければ。普段忙しくて読もうと思わない人も、ふと開いて、一つでも聖書の言葉が心に留まるかも知れないし」と言うのである。
そううまくはいかないように思うけれど、でも、神様に祈る時、「私たちの天のお父さま」と呼びかける度に、そうなんだ、神様は私たちみんなのお父さまなんだ、どの人のことも「わたしのもとに帰りなさい」って待っていてくださるお方なのだと、胸が熱くなる。この、神様から離れてしまって滅びへの道を突き進む人たちに、今も聞こえる天からの御声を、黙って隠しておいていいはずがない。
一昨日、ある姉妹から「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」1ペテロ4:7~8との御言葉がラインで送られてきて、なるほどと思いながら「ペトロの手紙1」を改めて読んだ。正直、びっくりした。この手紙だって数え切れないほど読んできたのに、はじめて読んだ思いがして、この押さえることのできない感謝と喜びをどうすればいいのかと、思案していたのである。一人で読んで一人で感動、または信じる者たちで読んで、信じる者たちと共に感動するのはたやすい。でも、それを伝えるとなると一挙に足が止まってしまう。だから周りの人にちっとも伝わっていかないんだとがっかりする。
でも、もうそんなことは言っておられない。あなたがたが選ばれ、神のものとなったのは、「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」2:9とある。
ペトロの手紙1の御言葉から。
〇私たちはこの世では「旅人であり、仮住まいの身」2:11
私たちにはこの世での人生が終われば、帰るところがあるのです。
〇死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え1:3
普段は忘れていても、人はみな何らかの不安や恐れを抱えて生きている。人が一番恐れているのは「死」なのだと今の世がはっきりと教えてくれるが、しかし人間の致死率は100%。絶体絶命と思いきや、「キリストの十字架と復活」という驚くべき恵みによって、「永遠の命」に生きる道が開かれたと聖書は告げる。ただ不安と恐れの中に佇んでいるのはもうよそう。
〇「この方(キリスト)は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、苦しみられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです」2:22-24
キリストが十字架にかかって死んでくださったのは、私たちの罪(神様に背を向けて人間中心に生きている)ためであり、私たちが神に帰り、神の子とされるためだったのです。
〇「人は皆、草のようで、
その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」1:24-25
人がどんなに弱く間違いやすいものであっても、「わたしはあなたを愛している」、「わたしのもとに立ち帰れ」と、昨日も今日も神様の言葉は変わらない。
〇「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」5:7
この驚くべき神の愛と恵みを伝えないでどうしよう。
神様がおられる!と、イエス・キリストは神の子である!と、今は終わりの世、聖霊が共にいてくださる!と、少しでも伝えるためにできること。
私はこの日記のような、なんとも拙い「福音」を60名ほどの方にお送りしているが、ほとんどが神様を知っておられる方である。こんなことではどうにもならないけれど、でも、そのお一人お一人が、世間が不安と心配でいっぱいのこんな時にこそ、自分の受けた(いつも心にある)力ある御言葉をたとえばハガキに書いて、自分にとって大切な人に、でもまだ聖書を読んだことがない2人の人に出したら、聖書の言葉が120人に届くことになる。そんなことをしたら、おかしな人だと白い目で見られる・・・と思うから、だから私もお送りするのはクリスチャンばかりという情けない結果になっているのだけれど、でも
「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」4:12-14と約束されている。
さあ、まず大切な人を思い起こし、その人がキリストという確かな希望を、まことの光を発見できるように、祈ることからはじめよう。
「学校は不要不急ものと知り」という川柳に、なるほどと思わされたが、キリストの福音は命にかかわることである。人間にとってこれほど重要で、急を要するものはない。