福音 №426 2023年11月
「私たちの希望」
ご近所のご夫婦、私たちより少し年上だけれど、よく似た世代。子供さんがいないこともあって人の出入りもなく、奥さんは10年以上引きこもり、ご主人は昼夜逆転気味で大雨の深夜「ピンポン」って来られたのには驚いた。20年以上前には時々話したりもしたがそれ以来ほとんど顔を見ることもなく、半年あまり前、救急車が来てから声をかけるようになった。先日ご主人が手術入院され、昼間はヘルパーさんが来てくださるとしても一人っきりでは寂しいだろうと、夕方に伺うことにした。真っ暗な中で毛布にくるまって横になっていて、行くと「主人どうしてるやろう」と少し話して、最後は「これからどうなるんやろう、まあ、しょうがないなあ」で終わる。毎日「しようがない」に「そうだねえ」ではどうしようもないから、「歌、好き?」と聞いてみた。舟木一夫が好きだというから、スマホのyoutubeで聞かせてあげると驚いたように、それでも一緒に歌うので、何か一つでも楽しみごとがあればいいか…と思ったけれど、毎日なつかしい歌謡曲を聴いていても、それこそどうしようもない。思いきって、「私たち、もう恋しい愛しいって年でもないし、神さまの愛には希望があるから、それを歌おうよ」と言うと、「うん」と頷くので、youtubeで「慈しみ深き友なるイエスは」を流してみた。それを歌っている人がとてもうまくて、いつの間にかファミングしている彼女の姿に、これはいける!と思った。
次の日、歌手のようにはうまく歌えないけれど、
♪主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ・・・
と歌って、「私たち本当に弱いよね、これからどうなるかなんて誰にもわからへんし、でも大丈夫。愛してくださる神さまがいるから。神さまの愛があるから大丈夫」というと、めずらしく明るい顔で「うん」と言う。先週の主日礼拝で学んだ、ロマ書8章をフル活用し、「神さまって、私たちの味方なんだって。神さまが味方だって思ったら何も怖いものなんかないって、うれしくなるんよ」と言うと、「それはそうや」と真っすぐ答えてくれた。これからも、今風ではないなつかしい讃美歌を一つずつでも一緒に歌えたらいいなって思いながら、「神さまにお祈りしてもいい」と聞くと「うん」って何の抵抗もないので、一人の夜も神さまが共にいてくださるように、ご主人も平安に守られるようにと祈って、その日は帰ってきた。
だが、これは一人毛布にくるまっているAさんだけのことじゃない。「これからどうなるんやろう、まあ、しようがないなあ」、これが日々老いていく人間の現実なのだと改めて思う。「老人に必要なのは『きょういくと、きょうよう』です。今日行く所、今日する用事があればボケないで、元気よく暮らせます」と言うのを聞いたこともあるし、確かに‘‘生きがい‘‘があれば少しは楽しい老後になるかも知れない。でも、それで「しようがない」が希望に変わるわけではない。
私の夫がキリスト信仰に入ったきっかけは、40年ほど前、四国集会で出会った老人たちの希望に満ちた笑顔だったという。今まで見てきた年寄りとは全く違う、こんな生き生きした喜びはどこからくるのだろう、これは本物だと思ったという。
見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
ロマ書8-24、25
聖書でいう希望とは、「こんなこといいな、あったらいいな」と言うようなことではない。人の内から出てくるもの、自分の望み、心の願いなどではない。人から出た希望なら、人の努力で近づけるかもしれない。修行をして立派な人になったり、全世界を手に入れることだってできるかもしれない。だが、それらはすべて「現に見ているもの」この世のことであって、「目に見えないものを望んでいる」のではないから、聖書的には希望とはいえない。
新約聖書にある「希望」を一つ一つ見ていくと、なるほど、信仰と、希望と、愛は三姉妹といわれるように、深くつながっているのが分かってくる。
復活するという希望 使徒4:25
神の栄光にあずかる希望 ロマ書5:2
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む 苦難によって生まれる希望ロマ5:3-4
希望の源である神 ロマ書15:13
神に希望をかけています 2コリント1:10
義とされた者の希望 ガラテヤ5:5
キリストに希望をおいていた エフェソ1:12
神の招きによって与えられている希望 エフェソ1:18
天に蓄えられている希望 コロサイ1:5
あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望 コロサイ1:27
救いの希望 1テサロニケ5:8
わたしたちの希望であるキリスト・イエス 1テモテ1:1
生ける神に希望をおく 1テモテ4-10
永遠の命の希望 テトス1:2
信仰と希望とは神にかかっているのです ペトロ1:21
そして、最後に
あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさいペトロ3:15 とある。
この希望を誰かに説明するために必要なことはただ一つ、神を信じ、キリストを信じる「信仰」に生きること。その独り子(イエス・キリスト)を与えてくださった神の「愛」に生かされること。主よ、あなたの信仰と、希望と、愛を与えてくださいと切に祈る。
次の日、Aさんと話していると、子供のころ教会に行ったことがあるとのこと。なるほど、だから讃美歌もお祈りも抵抗なく、聖書の話を心待ちにしてくれていたのだ。幼い日にAさんの心に蒔かれた種が、どうか芽を出し、実を結びますようにと祈りながら、今日は詩編23編を読んで「これからは羊飼いのイエスさまに導かれて、希望への道を歩もうね」と励まし合った。