福音 №423 2023年8月
朝 静かに
この一日の御恵みを祈りおれば
わが心にあふれくる
主イエスにあるやすらぎ 新聖歌334-1 詞:水野源三
朝の聖書の時間、まず、新聖歌を(夫が)パッと開いて、その一番だけを二人で歌う。今朝は334番で、今、この詩のある水野源三第一詩集「わが恵み 汝に足れり」をとりだして、胸を熱くしている。源三さんの朝の聖書の時間だ。
今年も毎朝 母に聖書の
一ページ一ページめくってもらい
父なる御神からの
新しい力 新しい望 新しい喜びを受ける 「わが恵み汝に足れり」p41
イエスさまを知らなかったら、今日の一日をどのように始めただろう。聖書を読むことを知らなかったら、日々新聞に満載される絶望的な問題を前に、「安らぎ」や「希望」や「喜び」をどこに見つけることができただろう。
「さあ、意気消沈だけはしないでおこうよ!けっして!なぜなら、治めていたまう方がおられるのだから。―モスクワやワシントンや北京だけではない。全世界を、まったく上から!天から、治めていたまう方がおられる。神が統治しておられるのだよ。だから僕は恐れない。どんなに暗い時にも、にもかかわらず僕たちは確信しつづけようではないか!希望を失くさないようにしようよ。すべての人にたいする、全世界に対する希望を!」
1968年12月9日死の前夜、バルトが電話でトゥルナイゼンに語ったというこの言葉の放つ光は、全世界を統治される神の光、暗闇に住む民、死の陰の地に住む者に射し込んだキリストの光を指し示している。だから、読む度にこんなにも力になるのだ。
もちろん、バルトの言葉だけでない。若き日に仲良し3人でよく歌った「我が心に」水野源三:詞も、まっすぐにキリストを指し示している。
1) 我が心に希望があり キリストがあたえて下さった
なやみのときもかわらない まだ見ないものを待つ希望が
2) 我が心に喜びあり キリストがあたえて下さった
月日がたっても消えない この世では得られない喜びが
3) 我が進みゆく道があり キリストがひらいてくださった
暗くあろうと迷わない 御国へいたるうれしき道
こう書きながら、先日神奈川に住む長男が送ってくれた「一緒に学ぼう!キリスト教」という動画を思いだした。アメリカのプリンストン神学校博士課程在籍の千葉遊大さんがゲストとして招かれ、キリスト教をほとんど知らない日本人の質問に答えていくという感じだったが、3人の質問者に対して、クリスチャンにしか通じないような言い方をしないで、信じる人と信じない人の間に距離をおかないで、自分の言葉で一つ一つ説明していく千葉さんの真摯な素朴さがうれしかった。長男曰く、「お母さんの周りのクリスチャンって年寄りばかりで、がっかりしてるんじゃないかと思って。でも、大丈夫、こんな若者もいるんだから」と、妙な励ましを受けて、おのずと狭くなろうとする自分を反省したが、千葉さん、さすが神学生、その説明から教えられたことも多かった。
その一つが、聖書の神は、「神の方から近づいてくる」という話の後に、では「どうすればその神に近づけるのか」というような問いに、まず「聖書を読むこと」、次に「教会、もちろん建物ではなく、信じる人たちの集まりに行くこと」というまっとうな答えに、うんうんと頷いた。わたし的には、教会や集会、信じる者が集まる所に行けば神さまに近づけるとはあまり思えないけれど、それよりも、キリストを信じる人との出会いが決定的であるというのはよくわかる。千葉さんもアメリカで、ある牧師夫妻との出会いがきっかけで信じるようになったと言われていたが、その人と直接出会う場合、書かれた書物によってその人と出会う場合もあるだろう。その時、そこに人を超えるものを見、神がいるとわかってしまったら、もう後には引き返せないという説明もよく分かった。
「一緒に学ぼう!キリスト教」は前編・中編、後編と3回になっていてかなり長く、ふんふんって一度聞いただけで、どこまで正確に聞けたか心もとないが、もう一つ特に心に残ったのは「祈り」についての説明だ。「祈りってすごく深く、キリスト教において祈りはとても大事です」と前置きし、イエスの伝えた「主の祈り」の説明が新鮮で、腑に落ちた。
まず、「天にましますわれらの父よ」と呼びかける。これが信仰のポイントで「誰に祈るのか」がはっきりしていること。「御名があがめられますように」は、神の名が尊重され、一人でも多くの人が神の名を呼ぶように。神の栄光が地を満たすように。神の栄光とは神の重み、それは真理の重みだから、それが世界で広がるように・・・。頭で覚えたのでなく、心から出てくる言葉は、さらさらと流れる小川のように自然な響きだった。
詩編にも多い、「お助けください」の祈りの話もあったが、私も昨夜来、祈れるって、何て何てありがたいことか!と感謝いっぱいだ。十円玉で太陽が見えなくなる、というが、ほんの小さな問題でも、それで目がふさがれると他のことが見えなくなり、信じられないほどどうしようもない自分になっているのが分かる。その時気づく。自分で自分の思いを変えられないのだから、これは祈るしかないと。「主よ、この問題にではなく、あなたに心を向けさせてください。」こんな祈りに答えられなかったことは一度もない。
主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いとをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心を考えをキリスト・イエスによって守るでしょう。 フィリピ書4:5-7