祈りの友通信 

   「祈りの風」  第十六号

                 二〇二四年十月発行

目次

はじめに

 近況報告

自由投稿

祈りの友合同集会報告

召天者

あとがき

 

近況報告 今回はカ行の方から始めています。

K.Y.(大阪)

KY.(島根県浜田市)

K.Y.(千葉県)

O.T.(東京都)

O.Y.(東京都)

S.Y.(徳島市)

I.E.(大阪市)

S.S.(長野県)

S.M(長野県)

S.M.(松江市)

T.K.(北海道)

T.M.(岡山県)

T.K.(仙台市)

T.Y.(千葉県)

T.H.(青森県弘前市)

T.T.(福島県)

T.M.(松山市)

N.K.(東京都)

N.K.(高知県土佐市)

N.T.(福井市)

N.M.(福井市)

N.K.(大阪府)

N.Y.(大阪府)

N.M.(静岡市)

N.M.(東京都)

N.M.(北海道)

H..H.(徳島市)

H.K.(宮城県遠田郡)

H.M.(宮城県遠田郡)

F.F.(徳島県吉野川市)

F.S(鹿児島県霧島市)

F.E.(鹿児島県霧島市)

M.M.(名古屋)

M.M.(長野県千曲市)

Y.H.(佐賀県)

Y.M.(さいたま市)

Y.K.(さいたま市)

W.T.(宮城県)

A.S.(神奈川県)

I.Y.(神戸市)

I.T.(神奈川県)

I.A.(静岡県浜松市)

O.J.(島根県雲南市)

O.M.(横浜市)

 

自由投稿    今回はカ行の方から始めています。

榎本空著「それで君の声はどこにあるんだ?」を読んで     O.Y.(東京都)

「賛美」                      K.N.(福岡県)

賛美「御手の中で」     リビングプレイズ 十三番    S.Y.(徳島市)

感謝して生きたい                      S.F.(徳島)

老い楽川柳(7)                    T.Y.(岡山)

きれいな一枚の落ち葉を目にする          T.Y.(岩手県)

「地の塩、世の光」として             T.Y.(千葉県)

「二、三人会」エクレシア                T.H.(青森県弘前市)

短歌                                     TY.(福島県)

生かされて                            T.Y.(徳島)

下地健二郎さんのこと                  N.N.(東京都)

キリスト者にとっての「上の句」と「下の句」        N.Y.(大阪府高槻市)

主イエスの最期のことば                  N.K.(高槻市)

祈り                                                                     N.M.(東京都)

復活について                                               F.F.(徳島県)

賛美「キリストは生きておられる」(新聖歌257)     F.S.(徳島県)

弱さを喜ぶ信仰を                          F.S.(鹿児島県霧島市)

老いて信仰の系譜を思う                  Y.H.(佐賀県)

祈りについて思うこと                   Y.T.(徳島)

永遠に残る神様の愛と福音伝道に関して                A.S.(神奈川県)

一切、おとがめなし                          I.T.(神奈川県)

 

祈りの友合同集会報告

祈りに関するメッセージ

アリマタヤのヨセフの祈り                    H.G.(福岡聖書研究会)

勝利者への約束(ヨハネ黙示録2章1~3章22)       K.S.(岡山聖書集会)

「いつもあなた方の内にー聖霊と祈り」ヨハネ福音書より   N.K.(高槻聖書キリスト集会)

フィリピの信徒への手紙4章6節~7節から         S.M. (高槻聖愛キリスト集会)

 

近況報告・自己紹介

会場参加者

N.K.(大阪)

F.F.(徳島)

K.H.(徳島)

M.S.(徳島)

T.K.(徳島)

S.M.(大阪)

T.E.(徳島)

K.K.(徳島)

K.K.(徳島)

K.S.(岡山)

Y.T.E.(徳島)

O.MN.(北海道)

J.K.I.(徳島) 

K.T.(徳島)

 

K.N.(福岡)

S.S.(長野)

S.M.(長野)

T.H.(青森)

T..Y.(徳島)

N.T.(福井)

N.M.(福井)

N.Y.(北海道)

H.Y.(鳥取)

H.H.(徳島)

F.S.(鹿児島)

HM.(神奈川)

M.T.(徳島)

M.K.(愛媛)

Y.M.(埼玉)

YS.子(埼玉)

Y.T.(徳島)

Y.T.(東京)

 

 

 

天に召された方々

あとがき

目次

はじめに

近況報告

自由投稿

 

榎本空著「それで君の声はどこにあるんだ?」を読んで…小舘美彦10 「賛美」…小林典子11 賛美「御手の中で」…桜井保子11 感謝して生きたい…佐藤濶子11 老い楽川柳(7)…高橋浪路12 きれいな一枚の落ち葉を目にする…田口頌子12 「地の塩、世の光」として…多田義国13 「二、三人会」エクレシア…対馬秀夫13 短歌…富永國比古14 生かされて…富永良子15 下地 健二郎さんのこと…永井信子15 キリスト者にとっての「上の句」と「下の句」…那須容平16 主イエスの最期のことば…那須佳子17 祈り…西村麻津子19 復活について…藤井文明19 賛美「キリストは生きておられる」…藤本幸子19 弱さを喜ぶ信仰を…古川静20 老いて信仰の系譜を思う…横井久21 祈りについて思うこと…米田武子22 永遠に残る神様の愛と福音伝道に関して…浅井慎也22 一切、おとがめなし…伊藤玉惠

 

 

祈りの友合同集会報告

召天者

あとがき

 

はじめに

 

  視覚、聴覚…などの五感、そして怒り、喜びなどの感情は一部の動物には与えられている。

 しかし、祈りー五感でとらえられない神に心を注ぎ出すこと、また神からの静かなる細き語りかけを聞き取ることは、人間だけに与えられた特別な賜物である。

 祈りは、人間の根源にかかわることであるゆえに、本来真実な心で求めていくとき、誰にでも与えられた世界である。

 今日のような複雑な問題ーとくに大量の人たちが苦しみ、死や病気、重い傷を心身に受ける戦争が世界各地にひろがり、その解決には、科学技術や政治、経済、教育…等々の学問やいろいろな知識も 立ち往生している状況である。

  このような闇が包んでいる現状にあってもなお、星のようにいっそう輝く永遠のいのちの光がある。祈りの道がある。

 語ることできず、書くことも動くこともできずとも、なお祈ることは与えられている。その祈りをうながし、強める主の霊がいっそう「祈りの友」の人たちににはたらき、さらなる力と光が与えられますように。

 そして、耐えがたい状況におかれた各地の方々に、天来の風(聖霊)が吹き、その魂のうちに 命の水が注がれますように。

 


近況報告       今回はカ行の方から始めています。

 

K.Y.(大阪)

 色々と生活に変化がありましたが少しずつ神様に力を与えられ、スカイプでの徳島聖書キリスト集会にも参加できるようになり、神様と兄弟姉妹に感謝します。

 

KY.(島根県浜田市)

 89歳になりました。共に同じ施設に入っていた姉が今年94歳で天に召されました。寂しくなりました。お祈りくだされば感謝です。

 

K.Y.(千葉県)

 人の役に立つことは何も出来ない老身の独り生活ですが、神様がいつも共にいてくださり、お祈りの特権をいただけていることで平安な毎日を過ごせております。

 

O.T.(東京都)

 父が亡くなってから妹夫婦が母と同居してくれていますが、妹に疲れが出ています。三姉妹で助け合おうと言いながら、同居している妹にほとんどの負担がかかっています。これではいけないと思うのですが、思うように時間が取れない肉体の弱さを悔やみます。老いの悲しみを味わっている母と、愛する母親に苛立ちを覚えて苦しんでいる妹に神様の愛を伝えられない私の霊的な貧しさを悔やみます。利己心という老廃物が取り除かれますように。イエス様の霊に満たしていただけますように。通りの良い管のように、イエス様の霊を身近な人に届けられますように。

 

O.Y.(東京都)

 現在の春風学寮の寮生が去年の寮生と全然違うので驚いています。去年の卒寮生は極めて優秀な若者たちでしたが、善を求めるという意志が欠如していました。ところが今年度の新入生はさほど優秀ではありませんが、善を求める熱意にあふれている。都知事選挙のときもだれに投票すべきか、連日真剣に話し合っていました。年ごとに学生の質が全然違う。苦労も多く、だからこそ若さも保てます。

 

S.Y.(徳島市)

 いつもお祈りをありがとうございます。主が共にいて支え導いて下さっていること感謝です。絶えず祈ることが出来ますように願います。

 

I.E.(大阪市)

 86歳になります。特養では一人部屋ですから毎週教会から送ってくださる礼拝CDを用いて一人礼拝を守っています。開会の始めから終わりまで全部録音されているので牧師さんや兄弟姉妹お一人お一人のことを思いながら聴いています。

 月一度 牧師夫人と姉妹の二人で施設を訪問してくださり、部屋で近況報告の交流やお祈り、讃美の祈祷会が守られています。

 読みやすい聖書註解書をいただき少しずつ学んでいます。毛糸でタワシなど編んで知人や園の方に渡し喜んでもらっています。思うようにならないこともありますが信仰から離れないように生活していきたいです。(電話で聞きとり)

 

S.S.(長野県)

 二〇一七年二月に、心原性脳梗塞(心臓の機能が一時的に止まる症状により、脳の一部が壊死する病気)になり、「高次脳機能障害者」となりました。コロナ禍があったおかげで、二〇二〇年四月より、北海道から沖縄まで全国の方々と共に徳島聖書キリスト集会(スカイプで参加)の主日礼拝に参加し、新しくされています。

 二〇二一年春から、オキナグサを種から育てています。今年はミニトマトの苗を何種類か購入し、六月ころから毎日新鮮なものを食べています。オキナグサやミニトマトに水をやりながら観察していると時間を忘れます。わたしも主に支えられて生かされていると強く感じます。

 

S.M(長野県)

 娘家族と共に暮らすようになって四回目の夏を迎えています。両親が仕事で留守の間、孫達の面倒をみる事が私の主な仕事となっています。生活全般に於いて若い家族の予定に左右されます。不意な頼まれ事もあります。なので、自分の仕事を「隙間産業」や「コンビニ」と心得てはいますが、「自由にならないなあ。」と不満を覚える日があります。

  以前の私は、仕事と家庭を両立するために効率を一番に考えていたので、見通しや計画をもって動く事が当たり前でした。ところが現在は、それが全くありません。言わばその日暮らしなのです。

 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」の御言葉を思いながら、「その日一日の道のりを、聖霊に明け渡して委ね、導いていただくしかないなあ。全てに感謝できる者になりたいなあ。」と、思っているこの頃です。

 

S.M.(松江市)

 今年1月18日、雨降る昼間でした。1人で運転し教会から帰る道の四つ角で交通事故を起こしました。右手からの2トントラックが電信柱に隠れて見えなく、私が発進し衝突しました。購入し一年も経たない軽の新車でした。私の車の前横がつぶれ、エアバックがあらゆるところから出てきて煙も出、エンジンもかからなくなりました。 そんな状態なのに、私は怪我一つ無く守られました。直ぐに救急外来で受診しましたが問題はありませんでした。後から出てくる多少の打撲で済みました。相手の方はトラックなので前方が少しへこんだ位で、ドライバーも何もありませんでした。

 いつも祈られていること、主が共にいてくださることを直づけに体験し、主を崇めました。本当に車がだめになったことだけで怪我ひとつないことが信じられないくらいでした。心から主に感謝しました。

「私はあなたの恵みにより頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。」(詩篇13の5~6)

 

T.K.(北海道)

「明日はどんな日か 私は知らない。晴れか嵐か 曇りになるか

 私は明日を 心配しない。イエスが私を 守られるから」

 朝仕事に向かう車の中で北田康広さんの讃美の歌声に力づけられる日々です。

 在宅医療に関わっていて感じることは「孤独不安」で苦しむ人が多いという事です。高齢になって病により体の自由が制限され施設に入るか自宅で生活を続けるか、悩みます。どちらを選択しても生活は若い頃のようには行きません。

 先日ご家族の介護を経験した4人の方々と集まり「孤独不安」で苦しむ人のために何かできないかと話し合いました。ご家族の苦しみに向き合ってきた方々ならではの思いやりある言葉に私も嬉しくなりました。北田康広さんの讃美にあるように「イエスさまが私の明日を守ってくださる。」と言えることはなんと素晴らしい事でしょうか。日々の聖書の学びと絶えざる祈りによってイエスさまに力を与えられて生きていけるよう皆さまのお祈りをお願い致します。

 

T.M.(岡山県)

 北田康広さんの讃美歌で祈りの時間を持っています。日常の中で集中できる大切なひとときです。感謝です。聖書通読はゼカリヤ書まできました。3年半かかりました。

 

T.K.(仙台市)

 祈ってもらっていた、母石川みち子が6月9日に天に帰りました。お祈りありがとうございました。心から感謝致します。

 6月1日には、お部屋で15分間面会が出来て、地上で最後に会う時が与えられたこと、感謝します。

 先日、母の荷物が届いてプレゼントした本に、色々なページに紙ナプキンが挟んであり、鉛筆で、読んだ、とか、ちょっとしたその日あったことのメモが書いてあって、女子職員の方が窓のカーテン開けてくれる。「おはようございます、ありがとう、」と言う、「寒くない?」ときいてくださったとか、いのちの水を持ち歩いていたようで、それを忘れてきたらお友達が届けてくださって、とか、母は主の御手に依り頼んでいたのか、本当はもっともっと行ってあげたかったけれど、コロナ禍で規制があって、中々行ってあげられない状況の中で、皆さまの祈りによって、イエス様が、母を、助けてくださって、主イエス様が共に居てくださって試みに耐える力も頂いて、良いものを受けさせてもらっていたことを今、感じています。神様ありがとうございます。

 神様が母を愛してくださって、母の日々が常に神様のご臨在の中で、みことばによって支えてくださっていたこと、お祈り本当にありがとうございます。最後は心配しないで一日一日をイエス様の中にあり信頼してすごせていたことが何よりも感謝致します。お祈りありがとうございました。心から感謝致します。

 

T.Y.(千葉県)

 私の所属する東京聖書集会は人数が少ないので、月二回で基本的に第一日曜と第三日曜に行っていますが、私は礼拝では二人であっても聴く人の信仰を高められる話ができるよう備えるため、毎日聖書を学んでいます。他にはキリスト教独立伝道会の運営委員としてのこと、無教会全国集会の準備委員としてのこと、NCC(日本キリスト教協議会)のことに携わっています。

 

T.H.(青森県弘前市)

 キリスト教独立伝道会の「伝道者育成派遣事業」に去年応募し、九月二日は神奈川県の「相模原家庭集会」(責任者・鎌田利治)、今年の六月十六日には東京の「東京聖書集会」(会長・土屋徹)にて三十分ほど講話をする機会を与えられた。伝道者育成訓練の一環で、幾つかの点で、各集会員と私でチェックしあうのである。あと一回今年中に予定している。これからどういうふうになってゆくのか分からない。その都度その都度、方向性が与えられるだろう、と考えている。

 旧「午后三時・祈の友」六十冊ほどが新たに手に入った。前回の分の続きで一九九七年までである。いままでの「祈の友」は、ほぼ毎日少しずつ読んで現在は一九六三年まできた。印象的な文書が少なくなかった。「真珠の歌」でその一端が知られる。限られた時間の中で、何を読むか。少し義務のような負い目のような感覚で、かっての「祈の友」の昇天記、通信、その他を少しずつ読んでいる。

 

T.K.(徳島市)

 三月に勤めを終えました。四十年間元気に働かせていただいたことを、主に感謝しております。六月、二泊三日で広島の友人を訪ねました。弟を一人置いて、二泊三日家を空けるのは初めてのことでした。

 一泊二日の旅にしようかとも考えましたが、三日の方がゆっくりできるのと、弟が一人で生活する練習になると三日を選びました。

 当日までに、弟はお米を洗い、炊飯器で炊く練習をし、お弁当を買う日もある計画としたので、スーパーへお弁当の下見にも行きました。できるだけの準備をして、祈りつつ広島へ向かいました。迎えてくれた友人夫婦はイエス様の愛をもって、三日間あたたかくもてなしてくれ、夕食時には弟の守りを祈ってくれました。御名をあがめます。

 瀬戸内沿岸の古い街並みを歩き、島へ渡り、平和公園を訪ね、ゆったり良き三日間を過ごさせて頂きました。弟も、すべてにおいて守られました。主の御名を賛美します。私にとっては、握っているものを手放す訓練の機会を与えていただきました。

 

T.T.(福島県)

 4年前にパーキンソン病と診断され、仕事(開業医師)から撤退しました。決定的な治療法がない難病で、多彩な症状に悩まされております。祈りの連帯に加えさせていただいて感謝です。

 

T.M.(松山市)

 私は今年で八十四歳になりました。一昨年、広島の病院で腰椎の手術を受けて、現在はまだ痛みは残っていますが、手押し車と杖を使って歩行しております。毎日曜日、三人の敬愛する友人方と共に、聖日礼拝集会を続けておりますが、共に聖書を学び、祈る機会を与えていただき、感謝は尽きません。また、遠くに居られる主にある友人方とお便りによる交わりで、元気を頂いております。今後とも、主にあって、共に祈りつつ、天を見上げて歩んでまいりたく願っております。

 

N.K.(東京都)

 私は、「生い立ちの記」を書き続けています。自分の両親がどんな時代にどんな人生を送って来たのか知っていることはわずかです。両親の兄弟姉妹に聞ける人がいなくなりました。そこで、自分の子供たちが親のルーツに関心を持った時に、歴史として役に立つであろうと、取り掛かった次第です。

 キリストの信仰に導かれた者の信仰告白としても。

 

N.K.(高知県土佐市)

 80歳を超え、体が弱り、歩くのも困難な状況です。しかし、兄弟姉妹との交わり、祈りで支えられています。感謝です。

 

N.T.(福井市)

 病気との戦いも十年を経過し、四肢の不自由さが増し、悩まされております。種々の苦痛から解放して下さいとの祈りが第一の祈りで、苦難をいただく中に力を与え給えと祈っております。

 

N.M.(福井市)

 苦しみの中にあるお一人お一人のために祈りたい。その事が第一の日課です。主人は、日常、言葉には出しませんが、不自由さから、孤独と孤立感によって一人でいることの不安があるようで、私もなるべく彼を一人にさせないで、寄り添っていたいと思います。上記のように、あらゆる不安からくる苦痛から解放される主にある平安と、苦難の中にあっても主を信じ、力を与えて下さることの全き信頼をもちたいという切なる祈りは、二人に共通した祈りです。

 

 

N.K.(大阪府)

 主日の家庭集会を主が守ってくださり感謝です。暑い時も寒い時も信仰への思いと時間、費用を捧げて参加してくださる姉妹方にいつも心からの感謝を抱いています。

 今年は五月に5年ぶりに近畿集会を持つことができました。直接顔と顔を合わせての礼拝やその交わりの中でいかに主が恵みと平安を注いでくださるかを実感する集会となりました。遠方からの参加もあり本当に感謝でした。この時の恵みは今も魂に刻まれ力づけられています。そしていつも主イエス様は弱き者に目を注がれていることも強く思った集会となりました。すべてのことに神様の憐れみがあることを思っています

 

N.Y.(大阪府)

 勤務校で学年主任を任され一年目です。今までよりも明らかに忙しくなり、社会的責任をより感じています。社会の末端で生かされています。日常生活ではうまくいくこととなかなかうまくいかないことがありますが、信仰に始まり信仰に終わることにいつでも立ち返り、心の荷は軽くなります。またすぐに重くなりますが、軽くなるすべを知らせているのが恵みです。神の国は生活の只中にあることに気づかされます

 

N.M.(静岡市)

 暑い夏がやって来ると、散歩の時間が短くなり、家で過ごす時間が多くなりました。自ずと人と会う機会も減って来ました。もう少し、人と会う機会を多くし、会話の時間を確保したいと思っています。人と会って何気ない会話をする時、相手の話の的を外さないよう、しっかりと耳を傾けている自分に気付きます。また、互いに調子に乗って話がとりとめもなく広がったり、脱線したりすると、その内、声を出して笑ってしまうことが多々あります。時には腹を抱え、空を仰いで笑ってしまうこともあります。こんな時、爽快な気分に包まれ、リフレッシュ出来たこと、また元気になった自分を発見します。会話の大切さを実感している今日この頃です。

 

N.M.(東京都)

・麻津子はケアマネとして奮闘中。

・夫は放課後デイサービスの経営をがんばってほしい。

・娘はファミリーレストラン勤務十三年です。

・息子はハローワークに行き始めました。

 

N.M.(北海道)

 両膝、股関節を痛めて、今までできたことがどんどんできなくなりました。今ならリハビリが出来ると判断し同時両膝の人工関節の手術を受けました。入院中リハビリに励み通常の半分の日数で退院出来ました。杖から解放されました。まだ苦手な動きもありますが、なるべく動く努力をしたいとおもっています。不自由だった時のことを忘れず神様に歩む道をお聴きしながら過ごしたいです。主が備えてくださる道から外れず歩ませて頂きたいと願っています。

 

H..H.(徳島市)

 いつもお祈りをありがとうございます。

 現在、右の胸水貯留は、600ml。ステロイド内服は朝食後5mg。経過を見て、半年~1年毎に薬の量を減らしていく予定でしたが、5月の診察で「減らさずに、このまま5mgで、ずっと服用を続けるほうがいいと思う。5mgという量は副作用は少ない。」と呼吸器内科の主治医に言われました。

 その後の消化器内科の診察で、「ステロイド内服による免疫低下だけでなく、持病による免疫グロブリンの漏出もあるので、あらゆる感染症に対するリスクが高い状態が続く。(集会は)ステロイド内服が終了するまで、この先も自宅で参加できる方法でするように。」と主治医に言われました。

 徐々に貧血が進んでいたとのことで、貧血の注射をしています。アルブミン点滴のタイミングで、週に1回、月に3回、4月から近くの病院でしています。

 ずっと続いていたお腹の不調は、5月のはじめに治まり、以前とおなじ食事内容に戻しつつあります。息切れもなく、散歩の距離が以前と同じくらい歩けるようになりました。礼拝、夕拝、家庭集会はすべてスカイプで参加できています。胸水が抜くほど大量に増えることなく自宅でいられることに感謝します。

 

H.K.(宮城県遠田郡)

 視力の不調と体力の低下もあり、趣味の畑作業は縮小していました。三月に段差に気づかず転倒、階段を踏み外して捻挫しているので、大事に至る前に 仕舞することにしました。家族、友人、親戚の方々に無農薬の新鮮野菜を届けることができなくなることは寂しいですが、今まで主に見守られて畑作業できたことに感謝しています。運転も少しずつ辛くなってきています。通院先はできるだけ町内に移しています。日曜礼拝参加時は、妻と交替しながらの運転になりました。 週一回の「子供を放射能汚染から守る会」と月一回の「まちづくり会議」は、皆さんとの交流・学びもあり参加しています。

 

H.M.(宮城県遠田郡)

 東日本大震災から三年後に現在の地に居住して十年になりました。私たちと同じように震災で引っ越しされてきた方々もおられます。人口増の地域に民生委員・児童委員が不在なので、行政区長から夫に引き受けて欲しいと依頼がありましたが、夫から福祉分野に従事していた妻が相応しいとの推薦があり、快く引き受けさせていただきました。以後ほぼ毎日、民生委員・児童委員活動に参加させていただいています。毎日の安否確認の訪問依頼においては、自分の健康維持にもつながりました。区長と連携しての、高齢者体操教室は週一回ありますが、地域の方々との交流 (九十代の方も参加)もできて嬉しいです。先日初めて訪問したお家では、皆さん方との交流が不得手なのでなかなか参加できないでいた…とのこと。私も民生児童委員でなければ同じようになっていたのではないかと思いました。地域の社会福祉法人の理事や冤罪者の支援活動(人権ボランティア)等、神様に見守られて日々生かされていることに感謝しています。

 

F.F.(徳島県吉野川市)

 私は、この九月になると九一歳になります。脚力は年と共に衰え自転車には乗れなくなりました。自転車の出発時に脚力がないために転倒、怪我をし医者の治療をうけました。唯一頼れるのは自家用車です。運転免許証の更新も近づき、その前の高齢者認知症検査も合格しこれから三年間は運転できること感謝です。高齢者運転になります。安全運転に集中したいです。

 

 

F.S(鹿児島県霧島市)

 健康欄に書いた通り、七十五歳になり急に体力の衰えを覚えています。体の弱い方の気持ちが少し分かるようになりました。引き続き、恩師政池仁先生の『聖書の日本』を学んでいます。パソコンに打ち込みながらの学びですので、眼が疲れます。現在1957年(昭和32年)の7月号です。コツコツ続けたいです。非常な喜びと益です。なお、吉村先生には、第一第三火曜の徳島聖書キリスト集会夕拝と第二火曜の海陽集会にスカイプで参加させていただいており、日曜日自宅での家庭礼拝に先生の詩篇CD、続いて創世記CDの拝聴と併せ、言葉に尽くせない恵みをいただいております。感謝を活かして歩みたいです。

 

F.E.(鹿児島県霧島市)

 体調に合わせ、体力維持のために週二、三回、健康体操に励んでいます。

 

M.M.(名古屋)

 二〇二四年の三月、尼崎福音教会を最後に牧師を退任しました。五十二年間で四つの教会で仕えさせて頂きました。現在は、名古屋に帰りました。今夏、急性肺炎で入院し七月十七日に退院しましたが、まだ完全に体力が快復しておりません。七十九歳です。(担当者の聞き取りにて)

 

M.M.(長野県千曲市)

 二〇一八年一月に介護施設に入所してから七年目になりました。今年の八月三日で九十七歳になります。祈りの友の会員の中で最高齢です。現在まで神様に守られ生かされてきた事に感謝しています。近頃は、自分の力で起き上がる事ができなくなりましたので、ベットで横になっている時間が殆どになりました。面会は日曜日以外ならできますが、十五分間と短い時間ですので、親族とゆっくり話す事ができずに残念です。時々、職員の方に車椅子に乗せて頂き散歩に出かけ、道端の草花を摘んでくる事が息抜きになっています。好きな賛美歌を思い出しながら一人で口ずさんだり、面会に来てくれた娘と共に歌ったりしています。

 

Y.H.(佐賀県)

 老いも進み人からは化石人間と言われますが、社会活動からは手を引き、もっぱら集会と祈り、好きな読書=蔵書の再読の日々です。勿論、主の身体である体=体力の保持は必要であり、毎朝のラジオ体操を始め、コミニュティーとの交わりも大切にして、日頃から参加して、体力保持にも務め、体調管理にも目配りして、主にあって霊肉共に有意義な日々となり、感謝は尽きません。

 

Y.M.(さいたま市)

 九月四日に埼民連主催の健康づくり大学で、指圧の講師を務めます。今年で十六年目になります。大体平均八十歳近くの方々が生徒さん達で、約三十名です。人間の体の痛みや病気は、なるべく薬を用いない方が良いのですが、手当という言葉の通り、手や指圧、按手の方法で改善されるわけで、その普及に努めてまいりました。

 

 

Y.K.(さいたま市)

 昨年末、台所の排水口からの水漏れがありました。和室六畳と床の取り換えで約三カ月余りかかりました。思いがけない出来事で、少々うろたえましたが、主は祈りに応えて下さり、主を避け所とする者の幸いを味わわせて下さいました。

 

W.T.(宮城県)

 毎朝六時三十分、町内会数名から十名位とラジオ体操で一日の始まり。挨拶は、「おはようございます」のみ。散歩は、する人あり、しない人あり、自由。そのお蔭で八十七歳の体は元気です。

 

A.S.(神奈川県)

 代々木公園通路チャペルでの礼拝も続けることができております。 賛美の歌詞カードを作成し、御言葉や説明などを加えて配っています。みなさまが心の内側から満たされること、福音を知り、生きる目的が与えられたらと思っています。

 

I.Y.(神戸市)

 変わらず元気でやっております。勿論 信仰第一。真夜中の「聖書日課」は絶対欠かせません。日々聖霊の導きを実感しています。私は神様から離れては生きていけないと思っていますので必死です。

 

I.T.(神奈川県)

 家事に時間が、かかるようになり、また、疲れやすく横になることが多くなり仕事がはかどらなくなりました。

 買物は生協の宅配を利用しています。多くの方々に助けられています。 気楽にすごせて感謝の日々です。お祈り感謝しています。

 

I.A.(静岡県浜松市)

 日によって心身の状態に波があり、現在の状況を素直に受け入れて全てを主のみ旨に委ねて祈り、前向きな気持ちで過ごせる時と、気持ちが沈んで漠然とした不安感に襲われる時とがある。そういう時は、主の赦しを乞い、十字架を仰いですがることしかできない。

 毎週日曜日には、浜松聖書集会への参加が許されているが、体力・歩行能力の低下に伴い、少し疲れを覚えるようになっている。従って、毎月第二日曜日の午後に行われる浜松市憲法を守る会主催の「平和行進」には参加することができないでいる。

 

 

O.J.(島根県雲南市)

 今夏は梅雨前線の影響でこちらも大雨警報がよく出ました。でも大きな被害もなく感謝でした。七月から新しい施設に移りました。終の棲家になりそうです。新天地ですが吾が行くところ神共にいます故シャロームです。集会に時々車に乗せてもらい参加しています。最近岡山の香西信さんが独立伝道会からメッセージを語りに来てくださいました。

 

O.M.(横浜市)

 6月に入って、すぐに帯状疱疹にとりつかれ、医師の薦めで、三つの病院を転々とするも、一向に回復せず、今は、自宅で療養に努めています。

 来年4月上旬に、米寿を迎えるので人生の終焉になすべきことに努めております。先ずは、自分の身体の事ですが、医師の死亡診断が出たら、すぐに某大学への献体を望んでいるので、その手続きを済ませ、その旨を長男にも伝えてあります。

 人生の最終コースに入って、この地上に一番残していきたい

ことは、それは、新旧聖書の目的は、どこにあるのだろうか、ということでしょう。人間が一人の例外者もなく罪人であり、人類救済は、神の独り子の十字架上の刑死によって与えられたという神の側の一方的な恩寵にあったことを知ることが信仰であると、思います。

 

 


自由投稿

           今回はカ行の方から始めています。

 

榎本空著「それで君の声はどこにあるんだ?」を読んで

                  O.Y.(東京都)

 

 榎本空さんの『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)に感動しました。テキストの読解や神学を超えて、抑圧され続けた黒人の体験そのものがキリストの十字架の最高の注解になる。本書はそう主張しているように思われました。言わく、《キリストの十字架には極めて激しい怒りと、それを乗り越える深い赦しがある。この愛は戦いだ。》《この世界で生き残っているということ自体が責任を負わされている。生き残っている者は死んでいった者の弔いのために命をかけて生きなければならない。》(小舘が要約)。アーメンですね。

 

 

「賛美」

                  K.N.(福岡県)

 詩編28編7節「私の心は主に信頼し、私は助けられ、心は喜び踊る。私は歌を献げて主に感謝する。

 エホバ(神)はわが力、わが盾なり。わがこころこれに依り頼みたれば我助けをえたり。

 しかるゆえにわが心いたく喜ぶ、われ歌を持てほめまつらん。」(文語訳)

 へブル13の15「だからイエスを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげましょう。」

 この聖句を読んで賛美はエホバ(神)にささげるものであり、唇の実であることを教えられました。賛美は感謝の心であり、また賛美することはささげる事である、そして唇の実であることを知りました。唇は賛美するためにある事、そして、エホバ(神)が力であり、盾であるという信仰告白でもあることを思いました。

 

 

賛美「御手の中で」     リビングプレイズ 十三番

                 S.Y.(徳島市)

 

御手の中で 

すべては変わる賛美に

わが行く道を 導きたまえ

あなたの御手の中で

 

御手の中で 

すべては変わる 感謝に

わが行く道に 現したまえ

あなたの御手の業を

 

 

感謝して生きたい

                   S.F.(徳島)

 八〇才を過ぎた頃から心と体のバランスが悪くなり、心では畑で夏野菜のアレコレを作ろうと楽しい希望で一杯なのに(今迄は野菜作りは主人、私は草取り)体が畑行きに拒否反応を起こし、体がしんどい、だるいで横になるしかありません。この二年間、神様に必死になって「元気にして下さい」と祈って来ました。少し元気が出て来た、と急いで畑でアレコレ仕事をすると、後四~五日は休んでばかりです。気付いて来たのは高齢の為だろうと思います。老化現象でしょう、が中々受け入れられません。野菜作りは止めました。

 又八十三才なったばかりですが、来し方を振り返る事が多くなりました。涙した時も多々ありました。しかしその涙も神様のご計画の中にあり、私にとっても良き事であったと実感し納得します。「見よ、わたしは火をもってお前を練るが銀としてではない。わたしは苦しみの炉でお前を試みる。わたし自身のために、わたし自身のために わたしは事を起こす。わたしの栄光が汚されてよいであろうか。わたしはそれをほかの者には与えない。」(イザヤ四十八~十~十一)

 又創造主なる神様は信じる者の罪を赦し、イエス様の復活によって天国へ招き入れて下さっており、大きな安心であります。

 地球環境にしても良きもので満たして下さっています。大気あり、オゾン層あり、海流あり、緑の山々ありで地球を守ってくれております。野草の小さな花も神様がつくられたと見る時、人体の細かな構造の働き迄思うと、当然のように思っていた事が驚くべき創造の業だと知らされます。特に人一人一人の心の中迄知り、常に良き方へ導いてくださっている事を思う時、感謝であり驚くばかりであります。神様は正義なお方、真実なお方であり、特に人をご自分の懐に抱くように招いて下さっている事を思う時、実に至れり尽くせりであります。しかし現実の私は我ばかりで生きてしまいます。お祈り出来る事は有り難いです。神様が聞いて下さっていますから。

 少しでも神様に感謝して生きていきたいと願っています。

 

 

 老い楽川柳(7)

                    T.Y.(岡山)

・気を落とさず 絶えず祈れと 主は言う

・今日明日も 次の日も主は 進みゆく 

・愛のある 主従の関係 主と我

・喜ぶ それが神への 讃美となり

・こだわりは こだわるものを 神とする

・相対化 固定観念 くずす鍵

・生涯を かけて終活 クリスチャン 

・聖霊に 導びかれて 聖書読む

・逃れる道 備えて下さる イエス様

・何者を 恐れるべきか 吟味せよ

・老い仲間 老いへのグチで 盛り上がり

・老いの道 駆け足はダメよ 足踏みで

・例外なく 老いは全身に 深まりて

・始めての 老いですからと 言い訳を

・ボランティア 辞める日決めて 老い仕舞い

・高齢者の 集まりコロナ とどめさす

・後期とは うまくつけたと 老い仲間

・雑のうえに 老いが加わり 大雑に

・医院にて 「元気?」「元気?」と 声交わす

・核禁止 率先すべき 日本なのに

 

 

 きれいな一枚の落ち葉を目にする 

                          T.Y.(岩手県)

 

 この詩は元気な時、夫が書きました。とても嬉しい喜んで感謝してお祈りしてるような詩です。今は歩けないし口から食べられないのです。2017年にパーキンソン病と診断されました。2020年に脳梗塞、2022年に急性腎盂腎炎の為入院。入院中床ずれになり褥瘡治療の為2年かかりました。2024年6月退院して特養老人ホーム。とても大変な時でしたが、夫の為祈って下さりありがとうございます。これからもイエス様が一緒に居てください。

 

きれいな一枚の落ち葉を目にする

それだけでいいじゃないですか

からまつの金色の落ち葉の上を歩く

それだけでいいじゃないですか

幸せすぎるくらい幸せな人生を生きて

それでもまだ足りないと言うのですか。

 

 夫は、独立学園、盛岡の向中野学園で仕事させて頂き感謝でした。2年前頃からだんだん身体や話すことも大変になってきました。最近面会した孫が将来学校の先生になりたいと話すと良いねと言って喜んでくれました。山形の独立学園で担任させて貰った生徒さん達から励ましの手紙を頂きました。有り難うございます。何時もイエス様が一緒にいて守ってくださいと祈ります。

 

 

「地の塩、世の光」として

                  T.Y.(千葉県)

 東京聖書集会は会長の土屋徹兄と二人で礼拝を守ることが多いですが、堤道雄先生の書かれている言葉「たとえ二人になっても集会を止めてはいけない。その二人は主に選ばれているのだから」に力づけられて続けています。他に関係しているキリスト教独立伝道会の運営委員も、無教会全国集会の準備委員も、なり手が少なくて困っています。私も歳を取ってきて、あまり役立つことはできなくなってきていますので、引退も考えなければなりませんが、二つとも長年力を入れてやってきた愛する集会なので、何とかやれるところまでやろうと思っています。これらの集会で忘れてはならない大事なことはキリスト信仰を「地の塩、世の光」として伝えているかということで、それをないがしろにして会が若いこと、会員が多くなることを重視して、形だけの軽薄な歩みをしてはいけないと思い、その点だけは間違わないように注意して見守っています。会というものは衰退したり、時に間違った歩みをするでしょうが、また反省もして立ち直れば良い。「継続は力なり」と言います。どの集会も基本的にその主旨は間違っていない必要な会ですから、永久に続けられていくことを切に望んでいます。

 

 

「二、三人会」エクレシア

               T.H.(青森県弘前市)

 十四年前、六十キロメートルほど離れた村の、傾きかけた一軒家で一人暮らしのY兄と二人で「二、三人会」を始めた。ノートが八冊残っていて、第三〇八回が最後で、二〇一六年十二月二十五日である。丁度クリスマスだったのだ。最後の集会になるとは思ってもいなかったが、あることで記憶に残っている。

 なんでもないことなのだが、Y兄のユーモアが飛び出して二人で笑い合ったのだ。「市浦村の役場は合併して暇になり、来客があると、待っていましたとばかりに『何か御用ですか』とニコニコとして愛想がいい。」ルカ福音書十三章二十二節からの「狭い戸口」に関連している。天国の戸口は努めて入ろうとしなければ閉められてしまう。それに比して、市浦村の役場はいつ行っても、暇なので、ニコニコといらっしゃいませ、と歓迎される、そのような話をしたのだろう。クリスマスのせいもあったのか、いつになく楽しい礼拝の記憶なのだ。

 笑いあった記憶がほとんどない。あったのかもしれないが。その日にY兄のユーモアが出たのだ。「つらくて、寂しくて、虚しい」とある時彼は言った。軽いうつ病で、知的な偏りがあった。

 マタイ十八章二十節「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」この聖句が真実であると受け取ったのは、その年二〇一六年の一月十七日であった。霊的体験であったと信じている。日曜の礼拝が終わって家に着いてまもなくのことだった。一種の興奮状態で、神の啓示と受け取った。やがて、Y兄と私を憐れんでくださったのだ、と気づく。実際、集会を始めて二,三年ほどたってだろうか、Y兄は腰を痛めてまた集会内での事件があって、弘前の福音教会を離れていたのだが、腰も癒えてまた集会からの度々の手紙もあり、集会に戻りたかったようだ。私はそのへんのことがよく分からなかったのだ。「一緒にいきましょう」「Yさんはいつ戻ってもいいですよ。でも私は行きません」と答えていた。彼が集会を支えていたことになる。私を一人にできないで、自分の思いを抑え続けていたことになる。一人で二度ほどか、元の集会に行ったことが有った。

 私には毎週の礼拝は、苦労は大きかったが命綱のようでもあった。二人の「敵」に疲弊して苦しい時がずっと続いていたのだ。車の中で必死に怒りを抑えて祈り続けたことを思いだす。

 まことに、本当に、傾いた古い一軒家、粗末な八畳の集会室、みすぼらしい「市浦二、三人会」エクレシアであった。しかし、六年と七か月、生ける神はわたしたちを導き憐れんで下さった。ご自身を微かに、私に現わしてくださった。

 今現在、Y兄は老人ホームにいる。私はY兄の家族に止められて面会ができていない。年に三回ほど、Y兄は連れられて福音集会に参列できていたが、コロナ下でそれさえも出来ないでいる。月に一回手紙を集会の長老の人に預けてY兄に届けてもらっている。集会の人たちとも面識が重なって歓迎してくれる。わたしはずっと祈り続けて六年になる。会うことが出来ていない。

 ずいぶん長い年月がたっている。いつも思う。神の業は、臼が粉をひくようにゆっくりだが、確実だ、と。それは、わたしには知られていない多くのことがあり、全てを知り、関わるすべての人達を益とされようとする神の業なのだ、と。

 

 

 短歌

                 TY.(福島県)

 たまに短歌を詠みますが(数ヶ月に一度)、最近の作をご覧ください。大学時代のクリスチャンの友人と三人で新潟県弥彦山で読んだものです。

 

 秋雨の 佐渡の島陰見えずとも 弥彦の山は菊づくしかな 

 

《解説》あいにくの秋雨で、佐渡島は見えなかったが、弥彦山で菊まつりが催されて心が満たされた。

 

 

 生かされて 

                  T.Y.(徳島)

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である」(ヨハネ十五の十二)

 榎本保郎師はあなたが愛せない、赦せない、その人のためにも十字架にかかるほど愛された。その人もあなたと同じ救いにあずかっているといつも言われています。

頭ではわかるのですが神には出来るが人には出来ないと思っていました。

 集会で「祈ることは愛すること」「その人に良きものが流れていきますように」「聖なる風が流れていきますように祈る」と何度か聞いたある日の礼拝で、自分の祈りが変わるように感じました。礼拝後、祈っていなかった人、過去の人にしていた人達のことを次々と思い出しながら祈ることが出来ました。高齢になっても素直に純な心で祈れることに自分でも不思議でした。聖霊が助けて下さったと感じました。この感覚は私を救ってくれました。

 夫が前立腺がんの全摘手術から十四年。手術後数年で数値が上がり出し放射線治療は断り、ホルモン療法は副作用で中止。CTやMRIなどで様子見。最近骨シンチを受け転移を心配しました。受洗後二十七年の夫が確かな信仰が持てるようにと祈りながら少しイライラしていました。

 その時、私の犬歯が急に痛み出し、一昨年の歯痛から始まり、副鼻腔のアスペルギルス除去手術で痛い目にあっていたので悪いことばかりを考えました。神様からの警告。傲慢、思い上がりを教えて下さったと祈りました、歯痛も治まりました。

 感情に支配されたり自己中心の思いは日常生活の中でよく陥りますがその都度、愛と真実の神様にたち帰り、自分の罪を何度でも赦し続けて下さる神様に感謝しています。その後、夫は心配やマイナス思考を常に口に出すタイプ、私は『信仰があるから』と、から元気で口に出さないだけで、かなりの心配性であることを認めました。

「さばいてはいけません。そうすれば自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば自分も赦されます。」

                (ルカ六の三七~三八)

「見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし正しい人はその信仰によって生きる」(ハバクク書二の四)

 北島集会、 第二月曜日午後一時より。(オンラインの集会です。)東北大震災 2011年頃の録音でローマ書を学んでいます。以前に聞いた時には私に聞きとる力がなかったのか、今皆様と一緒に聞いているとパウロの信仰、ローマ書の深い真理と本質が心にひびき、感動しています。賛美歌も各人のリクエストでたくさん賛美でき、有意義な時を与えられ感謝しています。少人数ですので御参加お待ちしております。                                    (徳島聖書キリスト集会)

 

 

下地 健二郎さんのこと

                  N.N.(東京都)

 会員の下地さんは今年5月26日に神様の下へ召されました。83歳でした。若い時からの信友でした。過去には二つの癌の手術をしていました。数年前から脳の手術を二度して入退院を繰り返していました。最期はご自宅で家族に看取られて、穏やかな顔をして逝かれました。

 下地さんの入信は、人生の失敗の最中に、矢内原忠雄先生の講演を聞いて「一寸先は光」との言葉で目を覚まされたことが切っ掛けでした。罪の赦しの福音、ロマ書3章23、24節はご自分のものになって、集会では文語体で暗唱していました。難聴はありましたが、聖書はギリシャ語とヘブライ語で読み書きできるほどの努力家でした。毎朝ご夫妻で「一日一生」を読み、祈り合い、「祈りの友」の会員の祈りは欠かさず実行していたとのことでした。

 召されたのは26日の夜中でしたが、私はその日の昼間に会いに行きました。「今日が山」と聞いていたからです。何度も大きな声で呼んでも、家族が体位を変えても全く反応がありませんでした。ところがロマ書3章23、24節を文語体で読み上げてから、家族の3名と共に「慈しみ深き」を歌っていた時のことです。不思議なことが起こりました。薄目を開けた目から涙が出ているのです。「こんなこと初めて!」皆、驚きました。神様が奇跡を起こされたと思いました。

 下地さんご夫妻にはお子さんが4人、その中の一人息子さんは、重度の障害があり、現在は、滝乃川学園に入園中で現在48歳になっています。息子さんのことでは心残りはあったと思いますが、下地さんのお別れの日、息子さんはほかの人がしているように、お父さんにお辞儀をして花も添えていたとのことでした。我が子の行為を始めて目にした奥さんは「母親である私の直感で、本人は状況をわかっていたのだと思う。」と語っておられました。以前、下地さんからは「息子は月に一度自宅で過ごすが、今回初めてにこっとしてくれた」と嬉しそうに話してくださったことがありました。

 明るい性格の下地さんはデイサービスでは、得意なハーモニカで伴奏を担当して皆さんに喜ばれていたようです。この世の幸福を求めず、明るくて、愚痴も言わず、置かれたところで信仰一筋に生き抜かれた方だったと思います。

 

 

 キリスト者にとっての「上の句」と「下の句」

            N.Y.(大阪府高槻市)

 先日、大澤真幸の新著を読んでいて、その中に太宰治の短編小説「トカトントン」が引用されていました。「トカトントン」のあらすじはこうです。

 主人公は、戦争から帰還したばかりの日本兵で、戦時中の経験によって心に深い傷を負い、現実の世界との繋がりを失ってしまいます。彼は、終戦を伝える玉音放送を聞いた直後に、どこからか、かなづちで釘を打つ音が、かすかに「トカトントン」と聞えます。彼は帰還後、日常生活の中で何かに熱中すると、どこからともなく「トカトントン」という音を何度も耳にしますが、その音の正体は不明なのです。その音はより頻繁に聞こえるようになり、新聞を読もうとしても、食後に何か考え事をし出しても、やはりどこからともなく「トカトントン」が聞こえてきます。もうそれっきり、何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、自分の部屋に行き、ふとんをかぶって寝てしまうのです。以上があらすじです。

 「トカトントン」の音は何を意味しているのでしょうか。それは、「すべてのことが無価値になりうる」ことを告げています。主人公の日本兵は、自国の敗戦を通して、今まで至上の価値を持っていたものが、実はニセモノであり、軽薄であり、張りぼてであり、人生を賭ける価値がなかったことを知ります。その後、主人公は、日常生活の中で何かに価値を置こうとすると「それは今は価値があると思っていても、あの時(敗戦ですべてがひっくり返った時)のように騙されているだけだ。メッキのようにはがれるのだ」という思念にかられ、すべてが白々しくなるのです。

 以上のことは、キリスト者に言わせれば、信仰の上の句といえるでしょう。短歌には上の句と下の句があります。キリスト信仰の短歌には次のようなものがあります。

 

・人生の なんとおそるる 嵐かな

   静め給える 主がともにいる

 

・老いて病む 独りの吾を 思うとき

   主はかたわらに 立ちてい給う

 

 上の句では苦難の現状をうたい、下の句では神の愛がうたわれます。貝出久美子さんの詩集第二十五集の「失敗」という詩もまた、前半部から後半部への展開の中に、信仰者の苦しみと慰めがうたわれています。

 

失敗

 

仕事で失敗した

情けなさやみじめさでわたしは砕かれて

心が折れそうになるけれど

この落ち込みが

わたしをキリストに向かわせる

主よ、痛い目に合いました

静まってキリストの足元にわたしは座る

 

私たちキリスト者はこの「上の句と下の句」をセットにし、詩の「前半と後半」を切っても切れないものとして受け取っていると思います。さて、そうすると、太宰治の「トカトントン」は「上の句としてのこの世」を的確に捉えているのではないでしょうか。キリスト者は「トカトントン」の音、すべては無価値になりうるのだという囁きに対して、創造主なる神を、愛なるイエスを、慰め主なる聖霊を、下の句として与えられていることはなんという恵みであるか、と思わされました。

 

 

主イエスの最期のことば

                              N.K.(高槻市)

 礼拝でヨハネによる福音書を学んでいる。イエス様のこの世での伝道活動が12章で終わり13章からは、まもなく世を去って行くイエス様が弟子たちに語られる訣別遺訓。それは17章の「イエスの祈り」まで続いている。長い時間をかけて吉村さんからメッセージをいただいている。特に13~14章には時間をかけられた。13の1「イエスはこの世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」13の14「主であり、師であるわたしがあなたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」で弟子の足を洗われた。足を洗うー人間の罪、汚れを洗う、は十字架の贖いを指し示している。そして、主イエスは新しい掟を言い渡された。

 13の34「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」このみ言葉はこれまでずっと聴いてきたことであり、聖書の真髄でもある。私は今回のヨハネの学びにおいて特に14章からこのみ言葉の意味がこれまで以上に深く心に刻まれ、毎日ヨハネを読みながら新しい示唆を受け続けている。

 14の1でイエスはまず言われる。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。」14の27でも「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。…心を騒がせるな。おびえるな。」と再度言われている。それだけ私たちはすぐにこの世の煩いから心を乱される者であり、神を忘れる者だからである。特に弟子たちはずっと共に従いあらゆるみ業を見てきたであろうにイエス様の真実は理解できず、この世の権威をもつことを期待していた。よもやこれから敬愛する師が十字架刑につけられ殺されていく姿など想像していなかっただろう。イエス様はユダの裏切りも含めてこうした弟子たちが不安にかられ信仰まで捨ててしまいかねないことを知っておられた。そういう意味で訣別遺訓はいつも私たちに宛てられた言葉でもある。

14の2~3「わたしの父の家には住むところがたくさんある。…行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうしてわたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」このみ言葉からも主イエスの十字架、復活、聖霊の福音の道筋が示されていると思った。続けて14の6~7「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今からあなたがたは父を知る。いや既に父を見ている。」このように言われた。

 この前後にシモン・ペテロは「主よ、どこへ行かれるのですか。…あなたのためなら命を捨てます。」トマスは「主よ、どこへ行かれるのかわたしたちにはわかりません。」そしてフイリポは「私たちに御父をお示しください。そうすれば満足できます。」と最もそばにいた弟子たちも主イエスの本性がわからなかったのだ。イエス様は9節で「わたしを見たものは父を見たのだ。」11節でも「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。」何度もなんども神とご自分の一体性を示される。ここに至ってイエス様が私たちといつも共におられる、ということの意味を深く知ることができる。

神とイエスの一体性ー父の心は子の心、子の心は父の心、子の心は聖霊の心、聖霊の心は子の心ー

 神がイエスを愛され、イエスが私たちを愛され、そして罪を贖われ、聖霊として絶えず生きて今私たちと共にいてくださる。どんなことがあっても!

 そして15章「わたしはまことのぶどうの木、わたしにつながっていなさい。わが愛におれ(留まれ)!」と続いていく。

15の11「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」

このみ言葉の「わたしの喜び」にくぎ付けになった。イエス様は「わたしの喜び」と言われる。

イエス様がわたしの持っている喜びがあなたたちのものとなり、その喜びが完全なものとなる、と言われている。イエス様にとって、父がお命じになったすべての人の罪のゆるしのために十字架につくことは重荷ではなく最大の喜びだと。そしてそれが私たちの喜びとなるのだ、と。

 詩編1の2に「幸いな者…主の教えを喜びとし その教えを昼も夜も思い起こす人。」とあるが、まさにイエス様がその見本のような方だったのだ。そのような喜びにおいて神とイエスが一体であるごとく、イエスと弟子たち(私たち)は一体となる。私たち人間の思いや力では人を愛することはできない。このヨハネにあるようにイエスの愛を受けて留まっていく中でやっとかろうじて人を愛することができるのだ。

 1ヨハネ4の10~11「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために宥めの献げ者として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する人たち、神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」

 1ヨハネのあまりにも有名なこのみ言葉が 今回ヨハネを丁寧に学ぶことによってより理解を深め魂に染みこんできた。願わくばどの様な時もこの主イエスの愛を実感して歩むことができますように祈っていきたい。それが17章の「イエスの祈り」でもあるのだ。

 最後に最近読んだ本の中から印象に残った言葉を引用します。

「イエスキリストはつばをかけられ、ムチで打たれて十字架で殺された。それは、互いに痛みに叫びながら傷つけ合う私たちを見ていることができなかったから。

 だから神であるのに『もう終わりにしよう』と言って人となった。世界中の憎しみと怒りを受けとめるために。傷つけられても、自分だけは傷つけないですべての痛みを吸収するために、あなたが癒やされるために、あなたの傷が癒やされるために。

だから、あなたはもう苦しまなくていい。キリストが苦しんだのだから。」

 

祈り

                                     N.M.(東京都)

 

 愛を実践できるように、神様から愛をいただきたいです。 

 

 

復活について

                              F.F.(徳島県)

 年を重ねてきました私は神様の御独り児であるイエス・キリスト様を信じる信仰を与えられています幸いを感謝します。

信仰に歩む者には永遠の命が与えられ復活の御恵も与えていただく幸いも神様は約束してくれています。

 信仰に生きる信者も、この世に命ある間は罪を犯しますが、罪の赦しをイエス・キリスト様の十字架の苦しみを、とうして私の罪、赦され、神様の平安、生きる力をいただき,御恵をいただき感謝です。

 御許に召された後も復活、永遠の命の世界に希望を与えられて感謝です。そして先に召された方たち、八年前に召された妻、美代子との再会、希望をもって歩める幸いを感謝です。

 

 

賛美「キリストは生きておられる」(新聖歌257)

                  F.S.(徳島県) 一 主イエスは私たちの 

  罪ゆえに十字架で

   贖いの道 開き 

   よみがえられた救い主

  (折り返し)

   キリストは生きておられる 

   わがうちにおられる

   すべては御手のうちにあり 

   今日も励もう主に守られ

 

 二 主イエスの血潮により 

   新たなる望みを

   与えられ行く道は 

   いかに遠くも恐れなし

  (折り返し)

   キリストは生きておられる 

   わがうちにおられる

   すべては御手のうちにあり

   今日も励もう主に守られ

 

 三 主イエスにまみゆる時 

   ましろのきぬ着て

   ハレルヤとほめ歌い 

   御国のかどをわれ進まん

  (折り返し)

   キリストは生きておられる

   わがうちにおられる

   すべては御手のうちにあり

   今日も励もう主に守られ

 

 毎日この讃美歌により祈りが始まります。わたしのすべてが守られ導かれていることを信じ、感謝しております。

                    ハレルヤ、アーメン

 

弱さを喜ぶ信仰を

                F.S.(鹿児島県霧島市)

 

「だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」

               (第二コリント十二章十節)

 

 いつ読んでも強烈な印象を与えるパウロの信仰告白です。この聖句に今年も七月五日の『続一日一生』で出会い、それに付してある内村の文とともに感動し暗誦に努めました。今回特に心を打ち考えさせられたのは、キリストのために甘んじて受けるという「弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まり」の語句の第一番に「弱さ」が掲げられていることでした。五つ並べて書いてありますが、「侮辱」以下の事柄は、初めの「弱さ」の結果と考えられなくもありません。また、「弱さ」は自分自身にあるものですが、他は自分の外から見舞う悪しきもの、悪しき境遇です。「弱さ」を受け入れることが出来れば、これらの悪しき境遇は何でもなく乗り越えられることが連想されます。いつもいろいろな場で「弱さ」を覚える私は、その克服をキリストによって成し遂げたというパウロの宣言に胸打たれます。

 「だから」と冒頭にありますので、彼のこの言わば勝利宣言の理由・秘密は、その前に書いてあることが解ります。そこで十二章を初めから読むと、「誇り」について書き始めていますが、五節に「わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい」と何と「弱さだけを誇る」とあり、その理由は、肉のとげを取ってほしいと三度も主に祈ったその答えが「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」だった、「だから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」、「だから」云々と。

 つまり、彼はキリストの絶大な力をいただくために、自分の弱さとそれに伴って生じるこの世のどんな不幸・不利益も、むしろ喜んで捨てると断言しているのです。私たちが倣い励むべきは、神とキリストへの集中なのだと学ばされます。恵みにより、キリストの死と復活の喜びにあずかる者になれるよう、日々主のみことばを反芻し祈り求めたいと思います。

 

 

 老いて信仰の系譜を思う

                     Y.H.(佐賀県)

 戦中はクリスチャンホームの子として虐められ、戦災時は火と熱風で息も出来ず、バケツを被って非難し、生かされたとの実体験をする。戦災孤児達の姿を目の当たりにして、親のいるありがたさが身にしみましたね。戦後すぐ父が召され母の里へと転居、ヤングケアラーの少年時代、生活保護受給の関係から進学することも許されず、日給80円で働きだしたのが社会生活の始まりでした。

 無理がたたり2年間の療養所(戦中は陸軍の療養所、現在は佐賀東病院)での生活となる。そこで「聖書の友の会」と出会い、本格的に聖書の学びをするに至ります。

 ある日の事、散歩道にあるアベック公園と言われていた公園のベンチにて、祈っておりました時、キリストとの出会い、己が十字架を負って我に従えとの御声に接し、ハット我に返りました。このキリストとの出会いが私の信仰生活の原点となりました。

 六か月間の外気生活を経て復職、宗教改革者マルチンルターに引かれていましたので、ルーテル教会に席を置くに至りましたが、ルターと無関係であることが解り、トラブルを経て出エジプト=教会を離れて、荒野=この世のただ中にて、自立した信仰生活が始まります。主は、「一つの福音、一つの交わり」に立って、私の郷里名古屋にて伝道活動をなされていた服部治師を紹介下さり、「聖書とキリスト」誌を通して、また直接薫陶を受けるに至ります。後に師は、超教会=エクレシアの信仰を強調されました。私の信仰の育ての親は、キリストであると共に、この世の師として服部治師にも導かれたと言うよりも、師弟関係になっていたというべきかもしれません。

 私はライフワークとして、亡父の「遺稿集」造りを考えて居ましたが、師の助言もあって労苦の据え成し遂げることが出来ました。また、師の勧めと共に主のみ旨が示され、勤務の傍ら佐賀聖書集会を立ち上げ、伝道誌「イエスの言葉」誌を発行へと導かれましたね。これに枝葉を付ければ、自分史となるでしょうね。

 激動の90年に及ぶ人生を回顧する時、不思議をなし給う神の業に接し、謙虚にさせられ、主の御名を褒め讃えるのみです。

 この世は、神の義とサタンが激しく対決している処ですから、キリストにあって目覚めて回心しないと、サタンからめ取られ、肉欲が吹き出して闇の道に落ち込み行くのみですよ。

     主の聖名に栄光あれ。ハレルヤ・ハレルヤ。

 

祈りについて思うこと

                   Y.T.(徳島)

 2024年7月26日、いま私は祈りの友通信文「祈りの風」に載せて頂く為文を書いています。素直な祈りの心を持って書かなくてはならないのに、…窓を開け扇風機で我慢して居ましたがクーラーに切替えました。そして 気付いたのです。

 何時もお祈りする時は 困難の中にいる方、雨風防ぐ家も無く、渇いた喉を潤す水も満足に無い、母国を逃れ住む難民の方達に、主の御恵みがあります様に、神様の平和を来たらせたまえ。と祈るのは口先だけか!と、内なる聖霊さまの声が心の中に聞こえました。

 「聖霊様 私は、何時も祈りを捧げる時は、真摯に神様に向い心から 願い祈っております」 そう返事をしました。 けれど今、聖霊の御声を聞いて、はたしてそうであろうかと、主日礼拝、各家庭集会それら集会を始める時、初めの御祈りを致します。その初めの御祈りが、思いがけなく「米田武子さん お願いします」と、進行担当の方に言われた時、心の準備が出来てなくて、エッと思った時に、在り来りの言葉でお祈りをしてしまう事が有ります。

 国と国との対立で戦争が起き、住む場所を爆撃され明日の命の保証されないこの今を生きている人々、私達は、安全な場所で静かな時の中で、集会をもつことが出来ます。主の御言葉を聴き賛美し讃美の歌を歌います。御恵を頂き感謝いたします。 これが現在日本に住む私達の日常です。勿論風水害や地震による大災害も毎年の様に有ります。でもそれは人的に避けようと思えば最小限の被害にする事も可能です。けれどサタンに魅入られたしか思えない国のリーダーの国では核兵器を使う恐れが感じられて私は恐ろしくてなりません。

 本当に心から戦争の只中にいる人々、あらゆる困難に苦しんでいる人達、その人々の心を思い、私達は何もする事が出来ませんが、老いも若きも、心から祈る事は出来ます。どうぞ神様その様な多くの人々をお守り下さい、御力を与えて下さい。御恵をどうぞお与え下さい と祈ります。

 そして神様の御守を受けている我が身を感謝してお祈りいたします。感謝の念を忘れる事は罪であると学びました。有難うございました。感謝いたします。

 

 

永遠に残る神様の愛と福音伝道に関して

                           A.S.(神奈川県)

 第一コリントの手紙13章を勉強していて、いつまでも残るものは、信仰と希望と愛という言葉ありました。

 友人のお母様が、耳に補聴器をつけるようになって、音程が取れなくなったという話を聴きました、音楽というのは、人に力を与えたり、ものすごく大きな力があると、思いますが、聴覚がなくなってしまえば、なんの意味をも、もたないものになってしまうと思います。有名な画家が描いた作品でも、視覚がなくなってしまえば、意味をもたらさなくなると思います。世間がとても、高く評価してるスポーツ選手も、30年後は、肉体が衰えて同じパフォーマンスが出来なくなると思います。

 神様以外のものを一番にして、生きるということは、そのものが、衰えたり、なくなったりしたら、その地盤が崩れてしまうと思います、だから、神様の愛、希望、信仰を人生の基盤にして、生きることが、一番、平安に歩めるように思います。神様はいつも私たちの祈りにこたえ、正しい道を示して下さり、守り導いて下さります。このような神様とともに歩めることを感謝しています。

 飲食物支給の列に並ぶ人の中には、心が荒んで、お金遣いが荒くなったり、お酒やたばこ、ギャンブルにたくさん、使うために貧困になってしまう人もいると思います。物質的な支給は対処療法で、やっぱり、内側から癒したり、方向転換できるような、根本的な療法が大切なことを思います。神様は心の根本を癒し、回復して下さる方だと思っています。

 そして、僕はその神様を伝えるための器なのだと思っています。

 

第一ペテロ2章5節

「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」

 祭司は、神と人との仲介者であり、民に律法を教えるという役割もあったようです、そのように私達一人一人は、神様に罪を赦され、救われた後は、まだ神様を知らない方々に神様を伝える役割があると思っています。尊い使命、役割であると思います。

 

 

一切、おとがめなし

                     I.T.(神奈川県)

 私は、少し前から、新約聖書はパウロの書簡が多く、主はパウロの博学をご存知で召されたのかなと思っていました。

ところが最近ある牧師のメッセージからそうでないと教えられました。イエスさまは、迫害する者のために祈れとおっしゃり、実行されたお方であると、十字架を前にしたイエスさまを見捨てて弟子たちはみな逃げ出し、ペテロは三度も知らないと言ったのです。 そんな弟子たちが漁をしている所に、復活されたイエスさまは、現われ、弟子たちの空腹を満たすために朝食を用意され捕った魚を持ってきなさいと言われ、魚を焼いて何のおとがめもなく、弟子たちに朝食を与えてくださいました。その時の弟子たちの気持ちはどうだったでしょう。自分達の罪の深さと主イエスさまの赦しの大きさを黙ってかみしめたことでしょう。

 パウロもイエスさまを信じる者を捕えて、殺害することが神への忠実な奉仕と思い実行してきた。そのパウロを主は呼ばれた。

一言も咎めず…。

 はかることの出来ない私達の想像をはるかに超えた神の愛、赦し、そして祝福の神です。ご自分を裏切るユダに対しても「友よ」と呼びかけられた主。本当に愛、赦し主だとしみじみ思わされました。

 人間は相手の人の限界を知った時、離れていく、でも主は私たちの限界を知って、尚、受け入れてくださる。はかり知れない大きな深い愛です。神の愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものか…。 小さな人間の心では理解できないけど、その大きな愛に包まれていること、知ることが出来るようにと召し出してくださった恵の大きさにすごく感動しております。

 主の限りなく大きな赦し、愛が人々に伝えられ、御名が崇められますようにと祈りつつ。「行いによらず、恵による救い」ハレルヤ。  


祈りの友合同集会報告

 

第12回 祈りの友合同集会 2024年9月23日(休日) (徳島聖書キリスト集会場にて)11時~16時

 

プログラム

11時 開会礼拝

 讃美 「天の神 祈ります」讃美歌21 354

 開会あいさつ 吉村孝雄

 祈りに関するメッセージ

 秀村弦一郎(福岡) 香西信(岡山) 那須佳子(大阪)

 清水勝(大阪)

12時 記念撮影 昼食と交流

 讃美「主の平和」世界の賛美1の27

13時 自己紹介・近況報告

 讃美 「祈りの友の歌」

15時 午後三時の祈り

1550分 閉会の祈り 

 讃美 「神共にいまして」新聖歌508

 祝祷

 

 


 祈りに関するメッセージ

 

  アリマタヤのヨセフの祈り              H.F.(福岡聖書研究会)

     聖書箇所 マルコ 15 4247 [墓に葬られる]

 

 「42すでに夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、43アリマタヤ出身のヨセフが、思い切ってピラトのもとへ行き、イエスの遺体の引き取りを願い出た。この人は高名な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人であった。44ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、すでに死んだかどうかを尋ねた。45そして、百人隊長に確かめたうえで、遺体をヨセフに下げ渡した。46ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入り口に石を転がしておいた。47マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められた場所を見届けた。」

 

 使徒言行録を読むと、初代の信徒たちの伝道活動は復活の証人になることだったことが分かる。使徒言行録は復活の話に満ちている。ペトロのペンテコステ(2・14以下)及びソロモンの廊での説教(3・12以下)、パウロのアテネで(17・18以下)、総督ぺリクスの前で(24・15以下)、アグリッパ王の前で(26・8以下)などの説教・演説は全て復活についてであった。そしてパウロは言う、キリストの復活は疑うことの出来ぬ事実である、復活のイエスはペトロに、十二弟子に、特に500人以上に現れた…(Ⅰコリ15・3~6)、と。復活のキリストを見た者の多数が生存している状況下での証言であることは重要である(嘘は通用しない)。

 他の宗教に類を見ない復活証言ほど力を与えるものは無い。そしてこれが復活否定論やグノーシス等の類似思想、300年に及ぶ迫害に勝利して、イエスの福音をローマの国教に至らせたのである。近年キリスト教が力を失っている(無教会の老齢化)理由の一つに復活が語られないことがあるのではないか?教会の説教でもイースターの時期以外に復活は採り上げられないようである。 イエスは極悪人として十字架上に死んだが、ローマでは極刑で死んだ者の遺体を親族や親しいものが引き取ることは許されていなかった。ユダヤ教でも、木に掛けられた者は神に呪われた者とされ(申命21・23)、墓に葬ることは許されず、裁判所の側にある定められた場所に棄てられ、遺体は腐敗する運命にあった。そのような状態ではイエスが復活されても、説得的な復活証言は不可能であったろう。

 そこにアリマタヤのヨセフが突然現れる。彼は、ピラトにイエスを殺害させた最高法院(サンヘドリン)の議員であったが、イエスの隠れた弟子(マタイ27・57)でイエス殺害に加担しなかったという(ルカ23・51)。神の国を待ち望んでいた(43)とあり、密かにイエスの為に祈っていたのである。許されない遺体の引き取りをピラトが許したのはヨセフが、殺害してくれとイエスをピラトの許に連れてきた最高法院のメンバーであった(民衆に人気があったイエスが祭り上げられてピラトの判決が誤りだったということにはならない)から。 彼は遺体を亜麻布で包み、新しい自分の墓に収めて大石で封じた(マタイ27・60)。完璧な埋葬であった。

 私たちは読み過ごし勝ちであるが、この記事に神の声を聞き取りたいと思う。「復活を信じ、宣べ伝えよ」との声を。イエスの埋葬は神が進められたことは明らか。即ち、唯一遺体引取りが可能なヨセフの祈りを聞かれ、彼に勇気を与えられたこと(43)、イエスは完璧に死なれたことをピラトが確認したこと(45)、大石で封じられたこと(46)、その一部始終を女性たちが確認したこと(47。ユダヤで証言には複数の証人を要した。ヨハネは埋葬にニコデモも参加)。

 いずれも復活証言を建てさせるため神がなさったこと。十字架と復活はワンセット、神が私たちを罪から救い出す為になさったことなのである。

 隠れキリスト者であったヨセフを、神が最も重要なキリスト復活証言者の一人として用いられたことは、私たちにも福音ではないだろうか?

 神は誰にも表明できなかったヨセフの祈りを聴かれたが、私たちにも同じような祈りがある。それを神は聴いて下さっており、用いて下さるのだ。

 「復活を信じ、宣べ伝えよ」との神の声を心に刻みたい。

 

 

 勝利者への約束

      (ヨハネ黙示録2章1~3章22)

               K.S.(岡山聖書集会)

 

 岡山の集会でヨハネ黙示録を一年半かけて学びましたので、今日もそのことについて少しお話します。

 ヨハネ黙示録は旧約のダニエル書に代表される黙示文学の影響を受けて書かれた書物です。黙示文学の思想とは、今の世(古い世)の歴史はある時点で終わり、そこから先は来るべき全く新しい世の歴史が始まる、このように2つの世というものを考える点が特徴です。黙示文学は今の状況をどのように理解するかという問題意識から書かれています。

 ダニエル書なら、紀元前2世紀後半において、著者はシリア王アンティオコス4世の迫害に直面しています。今は終末直前の一番苦しい時だ、けれどもこの苦しみは未来永劫続くものではなく、あと数年我慢すれば終末が到来しこの世は滅びる。そして全く新しい世が到来すると著者は考えます。。終末において抱く希望は何かというと、そこで起きる運命の大逆転です。義しい者が悪い者の支配下にあって苦しんでいる今の世が終わると、運命が一気に逆転する。新しい世で義人は復活して永遠の生命を与えられる。このような黙示文学の思想をヨハネ黙示録は継承しています。

 黙示録2章1節~3章22節では小アジアの7つの教会(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキア)宛の手紙が書かれています。著者ヨハネは、キリストから彼が啓示する幻を書き留めるよう委託され、それを7つの教会に伝達するよう指示されます(1・9~20)。

 7つの教会とは、地理的には小アジアと呼ばれる地方に位置しました。今のトルコの西海岸のあたりにあったエフェソを中心に弧のようにして繋がっている7つの都市の教会宛に手紙は書かれています。著者ヨハネは本書執筆時にはパトモス島(トルコ沿岸部から程近いエーゲ海の小島)に幽閉されていましたが、それ以前はこれら小アジアの7つの教会を巡って宣教活動をする巡回伝道者でした。

 手紙は概ね同様の形式で書かれています。まず導入部、発信人これは天上のキリストになっています。それからキリストが「私は~を知っている」という書き方によって、それぞれの宛先教会の現状について述べられます。教会ごとに直面している問題は異なりますが、それらは教会の外側から引き起こされるもの(ローマ帝国による迫害、世俗化したユダヤ人による迫害)と教会内部の問題(異端的教えを説くものの存在、信徒自身の信仰の緩み)となっています。続いてその問題に沿った勧告、警告がなされ、最後に「耳のある者は聞くべし」という言葉が出て、勝利者への約束で結ばれます。る。これらの手紙には、幻の部分に見られる非常にスケールの大きい宇宙論的終末論などは全く出てきませんが、読んでいくと終末における運命の大逆転、勝利者への救いの約束という黙示思想の枠組みに沿って書かれていることがよくわかります。

 ここで勝利者とは、様々な問題に屈することなく、忍耐して最後まで信仰を固く守る者のことです。ですから、勧告の中心も忍耐することに置かれています。忍耐とは、古代キリスト教会の信仰生活において最も高い徳の一つでした。神以外の人間を恐れないで、信仰を忠実に守ることが忍耐の意味する内容です。忍耐し最後まで信仰を守った勝利者は終わりの日にキリストが再臨するとき、天上界で復活し永遠の生命を与えられることが約束されます。黙示録における勝利とは、個々の闘いの局面における勝敗とは別次元のものと理解されます。地上におけるキリスト者の生を信仰の闘いであると捉えている著者にとって、闘いの中身は「死に至るまで信仰に忠実にとどまること(2・10)」「固く信仰を守ること(2・25)」「終わりまでわたしのわざを守る(2・26)」でした。

 また勝利それ自体が救い(永遠の生命)を意味しているのではなく、あくまでも、褒賞としての救いが与えられる前提になっています。褒賞として約束される永遠の生命は、様々視覚的な表現で書かれています。例えば、「勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう(2・7後半)」「生命の冠が与えられること(2・10)」「隠されているマンナが与えられること(2・17)」「白い小石が与えられる(同)」などです。「生命の書にその名前を記される(3・5)」この後に触れる「キリストと共に天上界の玉座に就く(3・21)」というものもあります。

 忍耐と悔い改めを通して、自分自身の信仰の闘いに克った者が終わりの日に勝利者として救いに与かる資格を得ると書かれています。黙示録の著者は、勝利すること、最後まで信仰に忠実であることを信徒たちに強く求めます。そして万が一その闘いに敗北する、勝利の期待が裏切られるという懸念はほとんど持っていません。著者は勝利、すなわち信仰の闘いに克つことを強く確信しています。これほど強い確信は何によって支えられているのか。その点についてラオディキアの教会宛ての手紙の勝利者への約束の箇所によって考えます。

「勝利を得る者には、わたしとともにわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である(3・21)」この箇所は前半と後半に分かれます。前半(1)勝利を得る者、(2)彼には座ることを許そう (3)わたしと共に(4)わたしの座に。この後に「ように」という言葉が加えられて後半に繋がれています。 後半(1)、 わたしもまた勝った (2)、そして座った (3)、わたしの父と共に(4)、彼の座に 、前後半はそれぞれ(1)が(1)、に(2)が(2)、に(3)が(3)、に対応しています。後半の「わたし」とは手紙の発信者キリストのことですから、後半はキリストの出来事についての記述です。キリストが天上の玉座に就いたのは、十字架で死に復活し昇天した段階においてです。死んで生きる。負けて勝利する。地上の目で見たら、死ぬこと以外全く無力な「屠られた子羊」イエスが、天上界ではメシアとして神と共に玉座に就いた。この非常に逆説的な出来事にこそ黙示思想、終末における運命の大逆転の思想が最もよく映し出されています。

 

 次に前後半の関係をみます。後半のキリストの出来事をなぞるように、前半では「勝利を得る者に」「座ることを許そう」「わたしと共に」「わたしの座に」と、キリストと共に天上界の玉座に就くという、信徒に約束される救いの運命が描かれています。ここで「ように」という接続詞が重要な役割を担っています。後半(キリストの出来事)は過去形、前半(勝利者としての信徒)は未来形でかかれている前後の文章が「ように」によって繋がれている。それによって信徒への約束を基礎づける出来事こそが、キリストの出来事であることが明示されています。

 キリストにおいてすでに起こった出来事に基づき、それにならい、それを理由にして、それを原因として、勝利者に対して将来の救いの約束が保証されている。著者の揺るがない勝利への確信はここにその源がありました。キリストの勝利(死んで生きる、負けて勝つ)はすでに現実のものとして起きた出来事です。これは常識では理解できない逆説的ともいえるものです。けれども確かにそれは世界史的大転換点となった。そしてこの出来事は間もなく訪れる終末におけるキリスト者の勝利を保証している。この意味において、キリスト信徒にとって決定的に重要な意義を持つものになったのでした。

 本書の書かれた1世紀終わりはローマ帝国による迫害と殉教が組織的になされるようになる以前の段階ではあると言われていますが、著者はそのような事態が間もなく迫っているという危機感を強く抱き信徒たちに「目を覚ましているよう」必死に伝えています。

 キリスト者の希望はけっして失望に終わることはない。キリストの出来事に支えられた強い確信は、現代の私たちにおいてもそれに従って歩むよりどころになっています。

 

 

「いつもあなた方の内にー聖霊と祈り」

           ヨハネ福音書より

               N.K.(高槻聖書キリスト集会)

 

 今年も「祈りの友合同集会」に参加することができて感謝です。

 祈りにかかわっての話を考えた時、この数年ずっと礼拝で受けてきたヨハネ福音書のことが最も心にあります。特にイエス様が十字架にかかられる前に弟子たちに話された訣別遺訓と言われる13章から16章までの主イエスの言葉、そして17章の「イエスの祈り」に思いが行き着きます。昨年もこの集会で17章からお話させてもらいました。この主イエスの祈りが私の生活の中でテーマとして生き続けています。イエス御自身が最期に祈られたこの祈りは最高のとりなしの祈りです。「イエスと父と聖霊が一つであるようにイエスを信じる私たちも一つであれ!」の祈りは聖書の真髄であり私たちにとって最高の恵みです。一つであれ、とは言い換えれば「互いに愛し合え」ということだとも思います。

 ヨハネが特別に聖霊を受けて書き残したこの福音書は、主イエスの神性が色濃く顕され、生きて働く主イエスの聖霊とはどういうものか、父なる神がどういう意志をもって天地創造の前から、イエスによって「聖霊」「永遠の命」を私たちに約束されてきたのかを、日々み言葉を読み味わう中でいつも新しく示されています。

 14章から16章までは特に聖霊について至る所に書かれています。み言葉から一部抜粋します。

14・17~「この方は真理の霊である。この霊があなたがたと共におり、これからもあなたがたの内にいる、…私はあなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。…しばらくすると、世はもう私を見なくなるがあなた方はわたしを見る。私が生きているのであなたがたも生きることになる。…聖霊があなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくれる。」

 

 このように、至る所で聖霊の約束をされています。

 こうした学びの中で、16章の「悲しみから喜びへ」の礼拝メッセージは最近特に心に残るものでした。

 

16節「しばらくすると、あなたがたはもう私を見なくなるが、またしばらくすると私を見るようになる。」この時まだ弟子たちは これから起こる出来事やイエスの言葉を理解できていませんでした。

20節「…あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。…今はあなたがたも悲しんでいる。しかし再びあなた方と会い、あなた方は心から喜ぶことになる。(その喜びを奪い去る者はない。)」

 

 聖霊の約束です。この世の喜びではなくイエス様に在る喜びが約束されています。(自分が捨てない限りその喜びを奪い去る者はないと断言されています。)

 吉村さんはこの時のメッセージの中で語られました。「聖霊が本当に与えられたら祈れるようになる、御心に叶いますようにという祈りとなる。聖霊が豊かに与えられたら静かな喜びとキリストに在る平安が生まれる。」ーこの言葉がずっと今 私の心の中にあります。聖霊が祈るべきことを教えてくれるのだと。

 さて、少し話を変えます。小学校では子どもたち全学年が毎年「ビリーブ」という歌を歌います。みなさん良く知っておられる歌です。歌詞の一部を「主イエスがそばにいて」と置き換えた歌詞プリントをずっと以前吉村さんが用意してくださり、一緒に礼拝で歌いました。最近、歌詞を味わいつつ歌っていたら、まさにヨハネのテーマだと思ったのです。

歌詞を書きます。

 

たとえば君が傷ついて 

くじけそうになった時は

必ず主イエスがそばにいて 

支えてくださる その肩を。

世界中の希望のせて

この地球は まわっている。

いま未来の扉を開けるとき 

悲しみや苦しみが 

いつの日か喜びに変わるだろう。

I believe in future.  信じてる。

 

もしも誰かが 君のそばで

泣きだしそうに なった時は

だまって腕を とりながら

いっしょに歩いて くれるよね 

世界中の やさしさで 

この地球を つつみたい 

いま素直な気持ちになれるなら 

あこがれや いとしさが 

大空にはじけてひかるだろう

I believe in future. 信じてる 

 

いま未来の扉を開けるとき 

悲しみや 苦しみが 

いつの日か喜びに変わるだろう 

I believe in future. 信じてる

 

 作詞・作曲は杉本竜一という人です。調べると私と同世代の方で、他にも良い歌を作られています。

 どんな時も主イエスが 聖霊として今も生きてはたらかれ、私たちの内に住んでくださっている、必ずそばにいて支えてくださる、そして悲しみや苦しみが いつの日か喜びに変わる と。私はこの頃毎日の様に家で歌っています。集会でも歌っています。後で自己紹介の時間に一緒に歌いたいと思います。

 

 さてもう一つ、聖霊と祈り ということで。        今年の「いのちの水」7月号にパウル・シュナイダー牧師のことが書かれていました。ヒトラーの迫害の中で獄中という闇の中で家族に送った手紙ーとても心に残ったので読みます。

「愛する妻よ、何にもまして、祈りが大切だと思ってください。祈りなしには何事もしないことにしよう。あなたの最初の手紙で、いかなる状況にあっても、キリスト者がいかに守られているかということが書かれてあった。その通りで、私が神を求め、神に祈るとき、すべての妨げは消え去ります。」これを読んで私は本当に心打たれました。

 あの苦しみの極みの中にあっても「祈りなしには何事もしないことにしよう…。」と書き送っている。こうした祈りの心境の中にこそ 聖霊がはたらきイエス様が内に住んでくださっていることの喜びと確信があることを思います。

 今 私のみぢかなところでも予想もしなかった友人の重い病、また身内の者の病、不慮のできごとが起こる中、日々祈りつつ過ごしています。

 そういう中でヨハネのメッセージ、弟子たちに最後に語られた主イエスの言葉、17章の祈りは大きな力と慰めとなっています。罪の多い愛の少ない私のために十字架に付いてくださった。私の内にいなさい、とくり返しくりかえし切々と祈ってくださった。罪の重さと十字架の死の重さを、もっと私たちは実感しなければいけない、17章をきれいに読んではいけないとも思います。

 世の中は多くの災害、戦争、闇のような出来事に満ちており日々心痛みます。私たちの生活にも本当にいろいろなことがあります。自分の計画と神様のご計画は同じではないのだと思います。いろいろあるけれど、祝福の時も試練の時も神のご計画がある、そう信じて祈り、歩んでいきたいと思います。「信じない者ではなく信じる者になりなさい。」のみ言葉をもって。

 

ローマ8・17「キリストとともに苦しむならともにその栄光をも受けるからです。」

 

最後に K.K.さんの詩集「シューブ」から

 

救い

  闇の中で苦しむ隣り人のそばに      

  キリストと共に    

  祈りながら座るものでありたい       

  主よ お救いください           

                        

摂理

  主よ         

  大いなる摂理の時の流れの中

  起こるべくして起こったこの悲しみを

  天を見上げて受け取る信仰を与えてください

 

祈れ 

  つらければ 祈れ

  それでもつらければ もっと祈れ

  どうしてもつらければ

  どうしてもつらいと

  とにかく 神に叫べ

 

                       

フィリピの信徒への手紙4章6節~7節から

           S.M. (高槻聖愛キリスト集会)

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(6節)

 

 私たちは、いろいろなことで心が悩みます。病気のこと、また過去に犯した罪(過ち)のこと、そして最近では物価高で家計のやりくり、老化で体が弱る、痛む、病む、老親の介護、子どもの教育、仕事の責任、さらに近所、親類、また職場での人間関係、家庭内での人に言えない問題など、心が押し潰されそうな問題を背負うことがあります。

 しかし、神様は、思い煩うのはやめなさい、と言われます。自分の心の中で、一人悩んでいるのは、やめなさい、と言われるのです。どんなことがあっても、まず、神様に感謝して、神様に自分の求めを打ち明けなさい、と言われます。

 「まず、神様に感謝して」とありますが、クリスチャンの立ち所は、神の救いを信じていることです。イエス・キリストによって神様の御前に私たちの罪がすべて完全に赦されている。だから、安心して神様の前に立つことができる。これは、何にもまして、感謝すべきことです。神様が私の味方になっていてくださるのです。

 だから、自分の内側にこもるのではなく、神様の方へ心を上げ、心を大きく開いて、神様に自分の求めていることをお話しするということです。私たちは、神様には、誰にも言えない良心の咎め、罪の呵責、後悔、また人に理解されない苦しみも打ち明けることができます。

 そして、神様に自分の求めを打ち明けていくと、一体自分が本当に神に求めていかねばならないことは何だろうと思い始めるのではないでしょうか。私たちが、地上の世界に心を奪われ、この世界の人々が考える方法で思考しているのに気付くのではないでしょうか。

 聖書にはこの続きがあります。

「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(7節)

 神様に心を向け、神様に向かって自分の心を開くとき、神様は聖霊を私たちの心の内に送って、私たちはイエス・キリストによって神様との間に平和があることを思い出させてくださいます。私たちの心を平安で満たしてくださることでしょう。

 「人知を超える神の平和」とありますが、私たちクリスチャンは、人間の世界を超えて、神の御言葉の約束を信じる者です。何があっても私たちは大丈夫なのです。神様との平和があると言うことは、神様が私たちを愛してくださっているということです。

 全知全能の神様の摂理を信じることができます。私たちは、神にすべての問題を安心して委ねていくことができます。神様は決して私たちに最終的に悪となることをご計画されることはないと信じることができます。きっとこの先に、神の恵みを味わい知るときがあると信じて、忍耐して,その時を待ち望むことができるのです。

 私たちが、最終的に求めねばならないことは、キリストの内にいる者とされることは、この世の命を守ることよりも、神に従って歩むこと、キリストの内にある者として、喜びに溢れて生きることであります。

 

「私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。」

                 フィリピ3の8~9

 


近況報告・自己紹介 

会場参加者 

N.K.(大阪)

 今年は近畿集会が開催でき、遠くからの参加もあり感謝。ビリーブという歌があり「僕」を「主イエス」に言い換えた歌詞で励まされている。     ※「ビリーブ」を会場で賛美。

 

F.F.(徳島)

 91歳になる。60年ほど前に肺結核になり手術した。そのあと療養所に入った。このときが転機となった。信仰を与えられ永遠のいのちを思い生かされている。8年前に妻も召された。み国を思い元気に生活を続けていきたい。

 

K.H.(徳島)

 4名の人の話が心に残った。日々、感謝できることから祈っている。感謝できることが目に見えなくても、ひとつひとつ、感謝できることを見つけて祈っている。

 

M.S.(徳島)

 小学生のとき、集会の綱野悦子さんが同級生だった。その綱野さんが私がクラスの中で苦しい状況にあるとき助けてくれた。ずっと後になって、それはイエス様からの助けと感じた。また、大人になって月岡多恵さんが苦しい時声をかけてくれて、話を聞いてくれ、集会に導いてくれた。今は、信仰が与えられ、キリスト教でよかったと感謝している。大腿骨骨折や、パーキンソン病で今、苦しんでいる。でも、キリスト様がいてくれてよかった。本当によかった。アーメン

 

T.K.子(徳島)

 今年のはじめに体調を崩し、スカイプで参加していた。体調が回復してからも、これからもスカイプで参加しようと思った。しかし、昔、初めて集会に参加できたこと、参加し始めたときの喜びを思い返した。それで、スカイプでも参加できるけど、会場に行くことによってもっと神様が共にいてくれると思った。集会場に参加しようという思いが与えられたことが今年一番のよろこび。

 

S.M.(大阪)

 10年前、仕事を辞めて独立伝道をしている。家庭での集会にはホームレスの人が来てくれている。ホームレスの方たちは夏の暑さ40度近いときでも町の中で立って「ビッグイシュー」という雑誌を立って売っている。自分はクーラーの中でいる。想像もできない。そんな苦難にある人が東京や大阪を中心にたくさんいる。その方たちを支援しながら家庭集会に誘って、いま、3~4人来てくれている。もうひとつは、難民支援ボランティアをしている。世界の紛争地で迫害を受けて、日本に逃げている人は拷問を受けていることが明らかなのに、日本は三回難民申請したら日本から追い出す法律(入管法)となった。最も苦しんでいる難民を排除している日本の意識を変えたい。

 

T.E.(徳島)

 25歳で失明し、鍼治療をしている。もうすぐ仕事をして50年になる。指先が大事なのですが、転んで首を痛め、手がしびれている。しかし、最近しびれが減って、特に大事な指だけはしびれが減ってきている。治療に来られた方に、「いのちの水」誌で津田梅子さんのことを書いているので、渡せた。伝えられてよかった。

 

K.K.(徳島)

 4人の子育てをしてきた。娘の結婚相手もクリスチャン。家族にクリスチャンがいることが、感謝。

人には言えない試練があるがひとりで苦しい時は、祈る。祈れないときは、みことばを思い、聖書に集中できるまで読んで、賛美を繰り返す。そうすると必ずみことばを示されて、新しい力を得られる。

祈れなくても祈りをとりなしてくださってくださるイエスがいる。神様は真実、神様は祈りと賛美とを待ってくれている。

 

K.K.(徳島)

 最近、あることで怖い思いをして動揺したが、祈り、賛美し、聖書を読むことを信仰の友に言われ、祈ってもらえた。そのあってほしくない出来事によっても、神様に近づくことができた。主の体につながっている。

 森久恵さんのことを祈ってほしい。腹部の痛みが強くつらい思いをしている。中本裕由さんは両足かかとの骨折で数カ月の入院が続いてくリハビリ中、祈ってください。

 

K.S(岡山)

 岡山で、母の介護と仕事に奮闘しています。今年の夏は異常な暑さだったので、夏の疲れが出ないようにしたいです

 

Y.T.E.(徳島)

    (一緒に「安かれ」(讃美歌298番)を歌われました。)

  安かれ わが心よ

 主イエスは 共にいます

 痛みも 苦しみをも

 雄々しく 忍び耐えよ

 主イエスの 共にませば

 耐え得ぬ 悩みはなし

 

(以下はオンラインの参加者)

 

O.MN.(北海道)

 

 夫を天に送り2年。どうひとりで生きていくのかと考えていたとき、突然、異変が起こった。右の方の神経がやられてしまい歩くこともできない闇をすごした。でも、そこから、光をみながら、どう立ち上がっていくか、というところで救われて、身体も回復し、この体と付き合いながら、これから頂いた信仰をどう伝えていくのか考えている。3カ月苦しい時であった。光を求めて、できることをしていきたい。

 

JK.I.(徳島) 

 8月にコロナにかかった。肺の病気があるので、医師からコロナにかからないようにと言われていた。肺は守られ、神様に守っていただいたと感じた。

K.T.(徳島)

 祈られていることを感謝。健康も支えられ感謝している。コロナにかかり微熱であったが味覚がなくなった。回復した。これからも信仰の本を読んで、祈りの課題を祈っているので続けていきたい。

 

K.N.(福岡)

 昨日、5~6年ぶりに家族が集まった。いろいろあり家族がバラバラだったが、思いもかけず、みんながあつまり、信じられない気持ちだった。祈りに支えられていたことを思わされた。感謝。

S.H.(徳島)

 最近、夜中に喘息発作が起こる。突然起こり、苦しくて目が覚める。吸入でおさまる。喘息で命を失う人がいる。突然、何が起こるかわからないことを思わされた。

 

S.S.(長野)

 高次脳機能障害があり、人の話が正確に聞けなかったり、きちんと話せない。2017年真冬、歩くのに3時間もかかり、体が冷えて心筋梗塞になり、脳に血液がいかなくなり、障害が起こった。2020年4月から、スカイプで徳島の集会に参加するようになって主日礼拝に出席できることを感謝している。

 

S.M.(長野)

 メッセージを録音で聞けることに感謝している。祈りの友に入っている97歳の母がいる。施設で週に一回面会いっている。あとは家の中ばかりで夫婦で過ごしている。小学二年生と年中の孫の世話をしている。

 

T.H.(青森)

 スカイプで集会に参加している。キリスト教独立伝道会の派遣事業に応募し、伝道者育成の訓練を受けている。

戦前からの祈りの友誌が60冊ほど手に入り、45年間分の旧祈の友誌をすこしずつ読んでいる。結核療養者の回復者の悩みを読み、自分で炊いたご飯が食べたい、自分で洗濯したいと祈っていたが、体力が戻ると、なまけようと心が動く。とあった。主の声がするどい。タリタクミ

 

T..Y.(徳島)

 夏の疲れが出ている。きょう話をきいて元気づけられた。普段は、主人とふたりで生活している。榎本保郎の聖書を読んで祈っている。主人も集会に参加できたらと願っている。

 

N.T.(福井)

 パーキンソン病と診断されている。ゆっくりと進行し10年目。歩行障害、嚥下障害、運動機能の障害が目立ってきている。自覚的に苦しいと言う経験はないが、先を考えると不安になり希望を失う暗い気持ちになる。内村が「神様は苦難を避けるようにはされない。苦難の中から助けて下さる」と書いている。苦難の中のいくつかは、解決されていったということを経験している。昨年の1月末に、呼吸困難。肺に水が3リットルたまり死ということを真剣に考えた。兄弟姉妹のお祈りに支えられていることを痛感。

 

N.M.(福井)

 今は教会の礼拝にも祈祷会にも参加できないのが残念。スカイプの礼拝に参加でき恵みをいただいている。苦しみのときも天の窓はひらいていると思っている。苦しみから逃れようとするとき信仰を見失うように思う。苦しみの中にこそ、神は味方であると確信する。苦しみの中に神の意志が働いてくださるので励ましが得られる。午後三時には祈りたい。時間が与えられていることに感謝。

 主人(凱次さん)は不平を言わない。いらだちも受け止めてくれる。彼のために元気でいたい。主人の通院付き添いは暑さの中で参ったが秋が来て、やすらぎと平安があたえられる。自分自身が清められること、悔い改めが大切。

 

N.Y.(北海道)

 祈ることはできる。朝食前は主の祈り、夜は感謝の祈り。その姿を息子に見せてきた。息子も自分なりの祈りをするようになった。日々、大自然の中で生活しているので、感謝できる。

きょう参加でき、祈りの大切さを感じた。

 

H.Y.(鳥取)

 礼拝に参加でき、みことばに励まされた。肺のほうは大きさが変化はないので、治療はせず経過観察となった。副腎が弱っているので薬を飲んでいる。感謝です。これからも祈りをお願いします。

 

H.H.(徳島)

 蛋白漏出性胃腸症は免疫グロブリンが低下しているので、感染症にかかったら数倍のリスクがある。胸水が600mlたまっているのが続いておりステロイド内服5mgの治療が続いている。主治医に集会もオンラインでの参加といわれている。会えなくて残念です。

 

F.S.(鹿児島)

 腱鞘炎があり痛みが続いていて不自由。膝とか足腰が弱り、立つ、座るが不自由になってきた。みことばに助けられている。「わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」(イザヤ46の4)毎日みことばを繰り返して生活している。

 

HM.(神奈川)

 81歳になる。大動脈解離の治療の副作用でいろいろ障害がある。血液をサラサラにする薬で血が止まらない。今は眼底出血がある。要介護1で認定うけた。デイケアセンターでリハビリがはじまるのを楽しみにしている。ミャンマーでクーデターのうえに洪水が起こっている。横浜YMCAで新しい支援が始まり、それに加わり新しい仕事を始める。祈りを感謝。

 

M.T.(徳島)

 みなさんの話を聞いて、神のゆたかなめぐみを感謝。

 

M.K.(愛媛)

 この一年半、沈んだ気持ちが多く体調が悪かった。神の恵みで、祈れるようにという導き。感謝。

 

 

Y.M.(埼玉)

 みことばによって慰めと平安が与えられている。私は82歳、妻は80歳。妻は四国出身なので徳島は親近感をもっている。主と共にあって希望に生きていきたい。みことばを聞いて共に祈り讃美し、語り合って歩みたい。

 

YS. (埼玉)

 神に導かれ、どう生きたらいいかと思う時、つぎつぎ試練が与えられた。体は健康であるが、生活の中で、人間関係の中で、想像できないことが起こり打ちのめされた。しかし、イエスによって救いが与えられていることに感謝。

 

Y.T.(徳島)

 夏風邪で疲労。昨日から回復し声が出るようになって参加できた。血圧高いこと、緑内障があること以外にはこれという病気もないことに感謝。聖霊様のおかげで日々暮らせています。

 

Y.T.(東京)

 三年前に全身に痛みが出て不自由になった、友人のことを祈っていただきたい。みなさんと祈ることによって導きをいただけますように祈る。祈りによって慰められている。

 

 


天に召された方々

 

吉原賢二 2022年11月27日

 「脳梗塞で入院し、それから半月ほどの事でした。最後までしっかりとした意思表示をされていました。同年の9月には『日本の歴史と個人の歴史』を出版した父でした。」

 ・古川静さんから吉原さんへ宛てた郵便物を見られた、ご長男の奥様から、古川静さんへ2022年に召されていたことの連絡がありました。 

 

下地健二郎  2024年5月27日

 永井信子さんの自由投稿を参照してください

 

あとがき

                                                          多くの方々の協力によってこの「祈りの風」が発行されますことを感謝です。

 主イエスが十字架刑に処せられる前夜の食事のとき、長いメッセージが語られましたが、その最後の部分には、イエスを受けいれ信じた人たちが、主の愛をもって互いに愛し合うこと、一つになることが強調されています。(ヨハネ172123

 そして主の愛を受けたときに始まるのは祈りです。

 この「祈りの風」によって、互いに「祈りの友」に加わっている方々の心にあることを知って、祈りを合わせることがより深められ、さらにその祈りが他者へと広がっていきますようにと願っています。

 

 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい

               ロ-マ信徒への手紙12章12節

「祈りの風」第十六版

 発行 二〇二四年十月