2011年11月 609号 内容・もくじ
分断する力と引き寄せる力
この世のものは、たいていさまざまのものを分断していく。 科学技術が発達したことによって、電気や車などのように多大の便利なものも生まれた。
他方、さまざまのものを分断するようになった。例えば、人口の大多数は都市部に住むようになった。その都会では、互いに鍵を閉めて生活する。となりには誰が住んでいるのかもわからないということも多い。
以前は広い領域でのつながりがあり、家に鍵などなかった。しかし、科学技術の発達による都市化では、鍵をしないでは夜を過ごせないばかりか、昼間でも、家でいるのに鍵をしている。
ここには、分断する力がはっきりと見えている。
科学技術の最たるものとしての原子力発電も、科学という学問の力、そして金の力を悪用し、それによって地域を分断していった。その結果生じた大事故によって物理的にも精神的にも、その地域を限りなく分断していきつつある。
そして、宗教と言われるものすらも、それが人間の古い自我のまま受け取られるとき、それは人間や民族の分断をすることになる。
それに対して、愛と真実の神は、その利己的な古い自我を死に至らせて、あらたな人間を創造することにより、引き寄せていく。
私たちがそのように新たに主の愛によって新たに造られるとき、インターネットやメールといった科学技術の産物なども人間を結びつける新たな手段として用いることもできるようになる。
聖書では神が人間をそのもとに招き寄せるということははるか以前から記されている。今から2500年ほども昔に書かれたものにすでにそのことが見える。
恐れるな、私はあなたと共にいる。
私は東からあなたの子孫を連れ帰り
西からあなたを集める。…
彼らは皆私の名によって呼ばれる者
私の栄光のために創造した者。 (イザヤ書43の5~7より)
これは直接的には、さまざまの地域に捕囚となって離散していた人たちを時いたって神が不思議な力で連れ戻すのだということである。しかし、それはそうした時代的背景を超えて、現代の私たちにも語られているのである。これは、さまざまのところから人々を神のもとに集める神の力を表している。
そしてその人々とは神が新たに創造した者だという。私たちも確かに主を信じることによって新たに創造され、分裂、分断のもとになる悪しき本性が砕かれ清められて一つに集められていく。
神のこうした一つに集める力は、すでにイザヤ書のはじめの部分にも記されている。
終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として固く立ち
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって川のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
主の山に上り、神の家に行こう…(イザヤ書2の2~3より)
今から2500年も昔であるにもかかわらず、このような雄大な展望がなされていることに驚かされる。聖書はまことに、時と空間を超えて天からの視点で書かれているのをよく表している。
この罪深く汚れた世界であるが、究極的には、このように、人間の悪の力は除去され人々は川のように神のところに流れていくというのである。
これは学問的研究とか哲学的思索の結論ではない。そうしたものとは別の神からの直接の啓示による真理である。 それゆえに私たちもそれを信じることによってそのような啓示を共有できて、あらたな希望を生み出す力となる。
主イエスもまた、つぎのように言われた。
…この囲いに入っていないほかの羊も私の声を聞く。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
(ヨハネ10の16より)
また、パウロも天地のものが最終的には、一つにされていくという壮大な真理を啓示されていた。
…時が満ちるにおよんで、救いの業は完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにされる。天にあるもの、地にあるものもキリストのもとに一つにされる。(エペソ書1の10)
他方、キリストの力は、さまざまの方向へとあふれ出ていく。そこから全世界への伝道がなされていった。私たちもそのキリストから泉のようにあふれ出たいのちの水を受けて救いを得たのである。
このように、キリストの力は、あふれ出て世界をうるおすという方向と、世界から集めてくるという二つの方向性をもった力を持っている。
そしてその双方の力は、現在も常に世界の至る所ではたらいている。分裂のあるところに一致をもたらし、憎しみのあるところに愛をもたらして一つにする。そして、そうしたことをとおして、今も福音はたえず波のように周囲へと伝わっていきつつある。
すべてのものは神のもの
ダビデの祈りとして伝えられている祈りがある。
ダビデとは今から3000年ほども昔のイスラエルの王で、現代に至るまで、実に多くの人たちの心に深い影響を与えてきた。
それは、ミケランジェロのダビデ像という形においても広く知られている。ミケランジェロがなぜ、5メートルを越すような大きな大理石の像を作ったのか、それは、ダビデという人間の本質に深く引きつけられたからであったと考えられる。
ダビデは、子供のときから勇敢な羊飼いであり、音楽の達人であり、またさまざまの困難や神への賛美を言葉にたくすることのできる詩人でもあった。そして到底うち勝つことはできないと思われるような敵に対しても勇敢であって、武人としても卓越した力と才能を持っていた。
さらに、自分がそのために尽くしたサウル王から妬みのために命をねらわれるようになっても、なお一貫して抵抗せず、憎しみを持たず、ひたすらサウル王が神から油注がれた王だとして逃げるのみであった。サウルを殺そうとすれば簡単にできたようなときであってもなお、あえて殺そうとせず、一貫して神の御手のわざにすがって生きた。
そのダビデが祈ったとして伝えられている祈りがある。
…主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。
偉大さ、力…栄光は、主よ、あなたのもの。
まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。
このように、一切の力の根源は神のものという確信は、目で見えるものを見ているだけでは決して生まれない。目で見えるものは、各国の権力者―大統領、首相、独裁者などいろいろあるが、それらは強大な権限を持っている。また大国は武力や経済力を持っている。
現在の新聞、テレビ、雑誌、あるいは漫画やゲームなどあらゆるものが、そうした目に見える強大なものをいつも人々の前に示している。そのために、人はそうした武力、権力をもった人たち、国々を最も力あるもの思いがちである。
あらゆる偉大なもの、力あるものはすべて神のものであるとの確信を持つことは、すべての力あるものの限界をはっきり知っているということと結びついている。人間にせよ自然の力にせよ、それが無限に大きいと思っていれば、その大きさに目を奪われてそれが神のようにとらえられてしまう。
古代人がたいていの場合、太陽を神としてあがめたのも、太陽がとてつもなく巨大なエネルギーを出し続けているためでもある。それを超えるようなものは全くほかにない、だから太陽を神だと受け止めてきた。
無理やりに特定の人間の力を誇示して、神だと敬わせることもある。ローマ帝国でも皇帝を神だとしたり、日本でもつい65年ほど以前では、ただの人間にすぎない天皇を現人神だとして崇拝させた。
こうした状況に対して全く異なるのが、神の絶大な力を啓示された人たちである。どんなに偉大な人間も、自然の力も、また国家の力や経済力が大きくとも、それら一切の力の根源である神を知らされた人たちである。いかにそうした目に見えるものの力が大きくとも、そうしたものに力を与えたのも神だということを知っている。
大きいものを知っているほど、現実世界の大きなものにとらわれなくなり、それらもそれよりはるかに巨大な力を持っているお方(神)の持ち物だと感じるようになる。
このダビデの祈りにはそうした神の比類のない力を知らされている人の内的な体験が反映している。
もし、この詩の作者のように万物を無限の英知ある唯一で万能の神が持っておられると信じないときには、この世界は偶然的に存在するのだ、ということになる。
それでは、この世の出来事もまた偶然的に発生しているし、この世界の前途もどうなるか全くわからず偶然的なものとなる。
私たちの人生も偶然の連続であり、善悪ということも偶然的に派生したということになる。
しかし、そもそも偶然で生じることには善悪はない。例えば、街角で偶然赤い車を見た、ということ自体何ら善悪と関係することはないし、ティッシュペーパーの小さい一切れを高いところから落としてそれがどこに落ちるか、これを確定することは不可能である。
単にどこに落ちる確率が高いかを言えるだけであるが、それがどこに落ちるかについては善悪などあり得ない。
いっさいは神のもの、時間もである。ふつう私たちは時間は自分が持っていると思っている。
しかし、自分の持ち物なら自由になるはずであるが、決してとどめておくことはできない。例えばお金とか、自分の時計とかなら、自分のもとに何年でも保持しておくことはできるし、いつでも自由に使える。
しかし、時間はどんどん過ぎ去っていくのであり、だれもとどめておくことができない。そしてじっとしているとたちまちなくなっていく。それは、ほかの目に見える持ち物とは根本的に異なっている。
時間は、人間の持ち物でなく、神の持ち物なのである。神が創造した法則によって流れていく。そしてはるかな時間の彼方には何があるのか、それは人間には分からない。科学も答えることができない。太陽や地球がなくなるということは科学的に予見されている。
しかしその彼方には何があるのか、人間はどうなるのか、それは地球上では生活できなくなるということしか分からない。
時間は神のもの、そしてそこに創造されている人間もまた神のものであり、善悪もまた神のものなのである。
その神が法則のようなつめたいものであれば、人間はただ消えていくしかないだろう。しかし、神が愛であり、真実な神であるゆえに私たちは流れていく時間の中で、私たちの魂がとらえられ、地球や太陽の生成とは無関係にその神のもとに帰ることができると信じることができる。私たちは神の持ち物だからである。
…あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。
あなたは万物を支配しておられる。力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。
わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。
わたしなど果たして何者であろう。わたしの民など何者であろう。
すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎない。
(歴代誌上29の11~14より)
私たちに必要なのは、ここに記されているような聖書の言葉、ダビデの祈りとされている短い言葉を本当に確信をもって受け取ることなのである。まさに「なくてならぬものは多くはない」
(ルカ福音書10の42)
この混乱と動揺の満ちたこの世界において、そのすべての上にあって全体を見、しかも愛をもって支配されている存在があるとは、到底思えないというのが自然の気持ちであろう。
しかし、ごく少数の人たちは、その混沌としたただなかで、はっきりとそのような不動の存在がおられるのを示される。聖書は全体としてそのような人たちが受けた啓示を記した書物である。
キリスト者が無惨にもローマ帝国の迫害によって多数が殺されていくという闇の力の支配するただなかで、キリストこそすべての上にあって支配されているお方であるということが示された。
…彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。
また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」(黙示録 17の14)
ここで、小羊とは、キリストを指している。神への捧げ物として用いられた小羊のように、キリストは自ら十字架によって殺されることによって、神への捧げ物となって私たちの根本問題である魂の汚れを除き、赦してくださった。
そのような無惨な目に遭って殺された者であるにもかかわらず、キリストこそは、世界のあらゆる王(支配者)たちの上にあって御支配なさっているお方であるということが示されたのである。
この世は結局、こうした啓示がなかったら、何が正しいのか、自分の死後、あるいはこの世の最後はどうなるのか、愛や真実はあるのか、まるで分からなくなる。
このような世界のしくみが示されてこそ、私たちに本当の生きがいが生まれるし、死後やこの世界のかなたにあることへの展望、希望も開かれてくる。
…わたしたちの神、主よ、わたしたちが聖なる御名のために神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。…
(歴代誌上29の10~16より)
神殿を建築するために準備したさまざまの物資―金銀やその他の材料、木材等々、自分たちの持ち物でなく、神のものであるということ、神から受けてそれをお返しするにすぎないという考え方がある。
現代の私たちは神殿を造るとかいうことは直接には関係しない。しかし、さまざまのことをとおして地上の神の国の建設にかかわっているといえよう。生きることはそうした目的のためでもある。
そのために、いろいろなものを私たちは用いていこうとするが、私たちの日々の生活のうえで用いるすべてを神からのものとして常に感謝して受け取ることができるようになれば、それは私たちの魂そのものをうるおすものとなるであろう。使徒パウロが、いつも感謝せよ、いつも祈れ、と言ったことはこうした小さなことに対するときの姿勢からも生まれるのがわかる。
終わりの始まり
これは、チェルノブイリ原発事故の5カ月ほど後に、ヨーロッパで開かれた原発に反対の国際会議で配られた印刷物に書かれてあった言葉だという。
それは、チェルノブイリ原発の大事故によって、原発は安全だといって増設しようという動きが終わりを告げる、そういう意味での終わりの始まりだ、というのが本来の意味であっただろう。
専門家の知識をもってはやくから原発の危険性を一貫して訴えていた高木仁三郎(*)はその国際会議に参加して、この言葉は、「人類の終わりかも知れない。人類生存の終わりが始まっている ? チェルノブイリの事故はまさにこのことを印象づけた」と記している。
(*)1938生~2000年。物理学者。高木仁三郎著作集 第一巻248頁。
終わりの始まり、このことは、聖書においても古くから記されている。世の終わりということである。 旧約聖書においては、それは主の日という表現でいろいろな預言書(*)に記されている。
(*)アモス書5の18、エレミヤ46の10、エゼキエル30の3、イザヤ13の6、オバデヤ1の15、ゼカリヤ14の1、ゼパニヤ1の7など。
ああ、恐るべき日よ
主の日が近づく。
全能者による破滅の日が来る。…
主の日が来る、主の日が近づく。
それは闇と暗黒の日…
(ヨエル書2の2)
主の日は、このように真実なもの、正義そのもの(神)に背き続ける勢力は滅ぼされる日として記されている。破滅とか闇の日などというといまわしい日のようにみえるが、この日は、人間をおびやかし、滅びへと引き寄せる闇の力、サタンの力が永久的に滅ぼされる日なのであって、本来はだれもが待ち望むべき日なのである。
人間が苦しみ、不幸に陥るのはすべて闇の力によるからである。
それゆえ、この預言書においても、キリストの時代を予告する喜ばしいメッセージが語られている。
…その後
私はすべての人にわが霊を注ぐ。
あなた方の息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。(*)
その日、私は
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。…
主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。(ヨエル書3の1~5より)
(*)ここで夢や幻を見ると訳されているが、単なる夢、幻はじっさいにないものが仮に見えることである。幻は、単なる睡眠不足とか何かのショックを受けてふだんは見えないものが一時的に錯覚として見えることであり、そんなものを見ても何ら価値がない。ここで言われているのはそのような無意味なことでなく、それまで全く分からなかったこと、神の世界の真理がまざまざと霊の目で見えるようになる、啓示を受けるということを指している。
このように、この預言書においては、主の日は悪の力が滅ぼされる日であるとともに、まったく新たな世界が到来するということとして描かれている。それは聖霊の注ぎということである。
このことは、聖書を受け継いできた民にとって画期的なこと、考えられない出来事なのであった。神の霊が注がれるのは、祭司とか王、あるいは特別に選ばれた預言者などごく少数の人たちだけであった。
しかし、この預言者が神から示されたことは、そうした職業的な区別や男女、老若、地位の高さなど一切と無関係に注がれる新しい時代が来るということなのである。
どんなことでも、差別あり、また区別がある。
運動のできる人、できない人、また学問的なことがよくわかる人、分からない人、たくみに器械をあやつる人、まったく器械が苦手な人等々実に多様であり、みんなに与えられるなどというものはない。神との関係で最も大切なもの、神の霊を直接に与えられるということはとりわけ極めて限定されているのが当然であった。
しかし、この預言者が神から啓示されたのは、その最も重要な神の霊が、どんな人にでも与えられるというのである。これこそ、人間にとっての最大の革命であり、そのような新しい時代の到来が必ずある、というのである。
この預言者は、終わりの始まりをはっきりと知っていたと言える。裁きが下るだけのお剃るべき日、またよきものはごく一部にしか与えられないということ、そうした古き時代が終わりを告げて、新たな時代が始まるということなのである。
そしてこの「終わりの始まり」は、じっさいにキリストが来られてから現実に始まった。
悪の力を終わらせるということが現実に一人一人の魂の内になされる新たな時代となった。それが魂の内なる悪、罪の力を滅ぼして、そこにキリストが住んで下さる、聖霊が注がれるということである。
罪の力、悪の力は、確かにその終わりの時を迎えているのである。
主イエスが福音伝道の最初に言われた言葉、「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」は、こうした古き時代の終わりが始まったことを告げる言葉でもあった。
神の国とは、神の王としての御支配であり、その支配は悪の力を滅ぼし、闇の力に苦しめられているものを救いだすことである。
聖書において、終わりの始まりは、決して絶望ではない。逆に主イエスの言葉にあるように、それまでの闇の時代が終わり、神の国が近づいたということの始まりでもある。
主イエスは、「天地は滅びる。しかし私の言葉は決して滅びない」(マタイ24の35)と言われた。
天地は終わりを告げる時がある。しかし、決して終わることなきものがある。それが神の言葉であり、キリストの言葉であり、それらの言葉を生み出す神ご自身であり、神の国である。
聖書の最後にある黙示録、それはまさに終わりの始まりを記した書物である。実にさまざまの混乱や闘争、飢饉、地震などが生じるが、それらの始まりであるとともに、またそれら一切を超えた新しい天と地の始まりを最後に記している。
私たち一人一人も生まれ落ちたときからすでに終わりが始まっていると言えよう。しかし、神とキリストを信じるときには、その終わりはまた新たな生命、永遠の命の始まりへと続いているのである。
汚れを除けない苦しみ
外見では以前とまったく変わらない緑の大地、しかし、そこに住めない状態になっている地域が広がってしまった。
原子力発電という現代科学の最も高度な産物ともいえる装置がひとたび大事故を起こすと、取返しのつかない事態が生じてしまう。
しかし、除染ということが、何か簡単にできることのように思わせている。ブルドーザーで運動場の土を取り除いて隅に置くとか深く掘ってそこに埋め、その上に下の土地をかぶせるといったやり方がなされて、そうしたことはニュースでもよく報道されている。
除染の困難さについて、じっさいに福島でその作業にも関わっている福島大学のある教師がつぎのようにその困難さを語っている。
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除染するほど「住めない」と思う
5月から福島大学の同僚や福島市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子どものいる家から作業を始めました。
政府は「除染すれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことのない人の、机上の空論です。
現場で作業している実感からすれば、除染に関わるたびに、「こんなところに人が住んでいていいのか」と思います。原発から約69キロ離れた福島市内ですら、毎時150ミリシーベルトなんて数字が出るところがあります。信じられますか?
今日もその道を子どもたちが通学しているんです。30マイクロシーベルトくらいの場所はすぐ見つかります。先日除染した市内の民家では、家の中で毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年200マイクロシーベルト近くを外部被曝する。これに内部被曝も加味したらどうなるのか。しかしそんな家でも、政府は特定避難勧奨地点に指定していません。
そして、どんなに頑張って除染しても、放射線量はなかなか下がりません。下がっても雨が降ったら元の木阿弥です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。
今、私の妻子は県外に避難していますが、電話するたびに子供たちが「いつ福島に帰れるの」と聞きます。故郷ですからね。でも私には、今の福島市での子育てはとても考えられません。
そんな私が除染にかかわっているのは、「今しかできない作業」があり、それによって50年後、100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や、原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。
結局、福島の実情は、突き詰めると、元気の出ない、先の見えない話になってしまいます。
でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被曝し続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだこの歴史を変えられるかもしれない。今ならまだ……
(荒木田 岳(たける)福島大学行政政策学類准教授。専攻は日本政治史。「週刊朝日11月4日号」)
どうしても取り除けない。除いたと思ってもまた汚れている。除染作業そのものからも、放射性物質が相当周囲に飛散してしまう。しかも、除染してできた放射能を含んだ水や土地、枯れ葉、用具その他は燃やしても拡散するだけであるし、他に持って行ってもそこでも残り続ける。そもそも、大量の放射能を含んだ物質をトラックや貨車、船などに積み込むまでのさまざまの作業のうちに大量の放射能が飛散する可能性があり、そうした作業工事中に台風や大雨、地震などがあればたちまちそうした放射能が多量に付近に漏れだす。また移動や運搬のときの危険性もある。そうした運搬するトラックなどの交通手段が事故を起こしたりすればその付近がまた相当な汚染地域となりかねない。
この放射能によって汚されたものはいかにしても、それらがなかった状況と同じにはならない。半減期が何万年、いや百万年も超えるものがあるからである。
このような途方もない困難さ、それは核分裂を使うということはほんらい人間がしてはならないことであったからだ。このほかのいかなる事故や薬品公害などにもあり得ない困難さは、人間がこの核分裂を用いる道を断念する以外に道はないということを指し示すものである。
黙示録に記されているあたかも現代の原発事故を見抜いていたような記述がある。
…松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川の三分の一と、その水源の上に落ちた。その星の名は「苦よもぎ」という。水の三分の一が毒を持つようになって、そのために多くの人が死んだ。…(黙示録8の10~11)
原発の中心にある、原子核の分裂反応は、本来(天にあって)人間が扱うべきものではなかったもの、秘められたものであったと言えよう。それを破ったために、原爆、水爆などの恐るべき破壊兵器や、大事故が起これば取返しのつかない悲劇を次々ともたらし、さらに100万年も管理が必要となり、人類にとってまさに終わることのない難問となってたちはだかってくる。
このような特別な困難、それは神の明白ないましめを破った人間の記述を思いださせる。それは聖書の最初に記されている、アダムとエバが食べてはいけない、といわれていた木の実を食べてしまう。それを食べると必ず死ぬと神は言われた。
そこから人間は神に背いて魂がどんなにしても純粋な良きことができなくなった。どうしても自分中心、自分の考えや欲望に従ってしまうようになった。それは、外見では生き生きしているようであるが、その内面の奥深くを見るときには、死んでいる。
パウロはすぐれた素質と律法に関する特別な教育を受けた当時のエリートであった。しかし、そうした教育や育ちによってもどうすることもできないものが自分の内にあることを知っていた。そのような状態が、「死のからだ」であるという自覚だった。
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
(ローマ 7の24)
真実な道、正しい愛のある道、そうした神の御心に沿った道からいつもはずれて人間的な考えや感情に動かされてしまう私たち、その罪はいかにしても除くことができない。どこからともなくまたあらわれる。
この困難さは、放射能の廃棄物の困難さとどこか共通するものがある。
人間の中にある罪は、いくら除いたと思っても除けない。何千年経っても同じである。 そのような強固な力をもっているものを除くのは一体あるのか。そんなものはない、というのが大多数の人間であり、世界中でそうした状況であった。
しかし、今から数千年も昔に記された旧約聖書のなかにすでに、そのような状況を打破する道が備えられていることが示されている。
…闇の中を歩む民は、大いなる光を見、
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ書9の1)
これは、使徒パウロが深く嘆いたこと、自分は闇にあり、死のからだである、という状況から救いだす光が訪れることが預言されていると受け止めることができる。
現実に福島にいる放射能の高い土地に住まねばならない人たち、除染は当然していかねばならないし、そこから出てくる放射能をもった土や水、枯れ葉などを埋める地域を設定することも重要不可欠なことである。
しかし、それとともに、魂に力を与えられていなかったら、そうした放射能からくるストレスによっても弱められていく。その魂の力を得るためにこそ、罪の赦しとあらたな聖霊による力が必要になる。
持続的に行政により効果的な除染を求めていく力、そしてそれでもなお残る放射能との目に見えないたたかいに耐える力、移住やそれにともなういろいろな困難、偏見、人間関係の変質や崩壊等々、今後も当事者だけが味わっていかねばならない困難がある。
そうした難しい状況に耐えていく力、そしてそのような困難の彼方にはきっと主が最善にしてくださるという信仰による希望を持ち続けること、そこにあらゆる状況に置かれた人の唯一の道がある。まことに、信仰、希望、そして神の愛はいつまでも続くからである。
独立、自由、無教会精神―その根源としての聖霊、神の言葉の力
自由と独立、これは信仰のあるなしにかかわらず、人間がつねにその目標とすることだと言えよう。 誰も、他人に束縛、支配されたくないのはごく当たり前のことだからである。しかし、通常の意味における自由と独立ということと、キリスト教、聖書における意味とではその意味するところ、内容は大きくことなっている。
一般的には、言論の自由、信教の自由、居住移転の自由…等々を連想するであろうし、独立とは他人に支配されたり、助けを受けないで自分の力、考えでやっていくことなど、ごく身近なことばである。
これに対してキリスト教信仰においては、独立と自由ということがそうした常識的な意味と異なる重要な意味を持っている。
独立ということに関して、とくに内村鑑三は繰り返し強調した。日本のキリスト教がアメリカの宣教団体によって援助を受けて、信仰の姿勢にも、その依存的な体質を反映して、神にのみ寄り頼む信仰の本質にかかわると考えられたのである。
それゆえ、すでに内村が札幌農学校を卒業したばかりの若い時代に札幌に仲間と協力して建てた教会にも、札幌独立教会という名前をつけていてそれは今日も続いている。また、内村鑑三の強い影響を受けて、鈴木弼美(すけよし)が、山形県の山深いところに創立した基督教独立学園もまた、独立という名称をつけている。その他、組織に頼らないでなされる独立伝道という言葉、そして東京独立雑誌や、独立短言という本も出した。彼はその著作において700回以上もこの独立という言葉を用いている。
これは、当時の日本の国際的状況をも反映していると言えよう。欧米の真実の姿を見るにつけ、圧倒的な科学技術の進展、国力、軍事力、政治文化の発達などを知らされ、そうしたなかに呑み込まれかねない状況のなかで、内村は敏感に独立の重要性を感じ取ったのである。そして彼が与えられたばかりの、キリスト教信仰においても、アメリカの宣教団体や教派という人間的なものに支配され、またそれに依存していく危険性を感じ取り、それらからの独立の重要性を強く感じ取ったのである。
こうした、当時の時代的状況から内村は独立ということを強調した。しかし、これはキリスト教信仰そのものにとって本質的なことである。
それは主イエスを見れば直ちにわかる。主イエスはいかなる人にも依存せず、また当時の権力者をも恐れず、支配されず、まったくそれらから独立した生き方をされた。人間と深く交わりつつ、しかもいかなる人間にも、また人間的感情にも支配されなかった。
イエスが生きていた地方の当時の支配者であった領主へロデが、イエスを殺そうとしていたとき、次のように言われた。
…ある人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしてる」。
そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終える。
しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。(ルカ13の31~33より)
当時の領主が自分を殺そうとしているという危機的状況にあっても、あの「きつね」に向って言え、というような驚くべき表現を使って、自分にふりかかる迫害があろうとなかろうと、主イエスの進む道は変ることがないという確信を伝えている。
ここには、いっさいの人間的権威に対しても全く独立していた姿がある。
その独立の精神は、後のキリスト者たちにも受け継がれて行った。十二弟子たちの一人は脱落したが、残りの弟子はイエスが処刑されたのち、意気消沈していた。復活したという知らせを受けたのちも、なお恐れて部屋にこもって鍵をしめていたということが記されているがそれは弟子たちの弱々しいすがたを示すものであった。
しかし、そこに復活のキリストがあらわれ、直接に彼らを力づけた。その復活したイエスによって約束の聖霊が与えられる時が来るまで待ち続けよ、と言われて使徒たちやイエスに従っていた女性たちは祈りをもって待ち続けていた。
そうした熱心な祈りの日々が重ねられていたあるとき、突然、聖霊がゆたかに注がれた。それによって、それまではまったく外に向ってイエスのことなど言えなかった弟子たち、いちどはイエスを捨てて逃げてしまい、イエスなど知らないと三度も否定したペテロたちにも決定的な変化が生じた。
それは、人間的なもの、権威からのまったき独立であった。
キリストの復活を証言しはじめた弟子たちにたいして、当時の権力者、指導的立場の人たち(律法学者、議員、長老)が、ペテロやヨハネに対して、決してイエスの名によって話したり教えたりしてはならない、と厳しく命じた。しかし、ペテロとヨハネは、「神に聞き従うよりも、あなた方に聞き従うことが、神の前で正しいか判断してもらいたい。私たちは、自分の見たこと、聞いたことを語らずにはいられない。」(使徒言行録4の19~20)
このような独立の精神、それは何によって生み出されたか。権力者たちが、ペテロたちをとらえて、「お前たちは何の権威によってあのようなことをしたのか」などと尋問したとき、「ペテロは聖霊に満たされて言った…」(使徒言行録4の8)と記されている。
イエスを三度も否定して逃げてしまったペテロをかくも変革させたもの、それは単なる後悔でも人間的決断でも、他人からの説得、あるいはそれまでの人生経験などでもなかった。
それは聖霊であった。聖霊こそは、このような独立を生み出す根源となったのである。
そしてそれと共にペテロたちが経験したキリストの深い愛であった。イエスを裏切り、見捨てたにもかかわらずその重い罪を赦してくださったというその愛に触れたゆえに、ほかの何ものにも代えることのできない力が与えられた。それは神の愛の力であった。愛は力を生み出すからである。
この使徒たちに続く数知れないキリスト者たちが、ローマ帝国のなかで生みだされていった。そして彼らは激しい迫害のなかを、命をすててまで、キリストに従う道を選んだのも、このいかなる権力や圧迫からも独立していたからであり、それはこの使徒たちと同様に聖霊が与えられていたからであり、キリストの十字架による罪の赦しを深く受け、そこに神の愛を実感していたからであった。
罪の赦しを受けることなくして、神やキリストのことは分からない。どんなにキリストについての本を読んでも分からない。ただ幼な子のようにキリストが私たちのさまざまの心の弱さ、醜さを身代わりに負って死んで下さったという単純率直な信仰によって赦しを与えられることこそが、本当の独立の出発点になる。
キリストに罪赦されてそこから私たちは、自然にさらにそのキリストを、そしてキリストの別の現れである聖霊を求めるようになる。求めるなら、与えられると主イエスが約束して下さっているからである。(ルカ11の13)
旧約聖書における独立
このような、人間的なさまざまのことからの独立ということの最初のはっきりとした記述は、聖書の最初から見られる。
それは、人間はみないかに長寿であっても、次々と死んでいくという記述が繰り返されているただなかに、「エノクは神と共に歩み、神がとられたのでいなくなった」(創世記5の24)というのがある。
人間的なものからの影響とは独立して生きる、それは言い換えると神とともに歩むということであり、それは神が取られる、ということでエノクだけは死んだという表現がなされていない。
エノクは、死の世界に行ったのでなく、神が取られて、神のところへと導かれたということが暗示されている。
このように、主とともに歩む独立した生き方の祝福は、神が取られること、死ぬことなく神の国へと導かれていくことであり、それはのちの新約聖書によって詳しく記されていくことになる。
また、アブラハムにおいても、周囲のあらゆる人たちの生活や習慣から離れ、神が示された土地へと行け、との神の言葉を聞き取ったとき、その言葉に従って未知のはるかな遠い目的地に向って出発した。
神の言葉が明確に聞き取られたときには、こうした独立が生まれる。
このことは、のちの時代にも、そして現在に至るまでも、同様である。人間の言葉は、変わりやすく、しばしば依存や動揺をもたらすが、生きた神の言葉は独立をもたらす。
モーセにおいても、神から命じられて素手でエジプトという大国に向って、そこにとらわれた状態になっているイスラエルの人たちを解放するようにとの要請をするために王のところに向った。
彼はとても言葉で説得などする力はないと強く神の命令を辞退しようとしたが、神は強くうながし、そのモーセのために助け手として兄弟のアロンがともなうことになった。
しかし、そのアロンはモーセが神の言葉を受けるためにシナイの山に登っている間、人々と偶像を作って民を大きな罪に引き入れてしまうことになった。モーセはただ一人、単独で神によって支えられ、人々を導いていくことになった。
神はさまざまの試練をとおして、モーセをまったく神とともに歩む、独立した人間となるように導かれたのである。
モーセにおいても、彼に敵対する人たちが取り巻く状況にあってもなお、それに巻き込まれず独立を保てたのは、神の生きた言葉のゆえであった。
そして、羊飼い出身で、詩人にして政治家、武人、音楽家という多様な特質を与えられていたダビデ、彼も神の御計画によって王の道へと導かれたが、それに至る過程において、当時の王サウルに仕えていた。
ダビデの圧倒的な力は彼を国の随一の武人という地位に押し上げた。それをねたんだ王はダビデを殺そうとするようになり、執拗に彼を追跡していく。
しかし、そうして荒野での逃避行において、彼は使おうとすれば使うこともできた武力にも頼らず、自分を殺そうとするサウル王を攻撃もせず、ただ神とともに歩んだ。
その苦しみと悲しみの痛切な感情と、そこから神に祈り、助けを求める彼の信仰は一部が、詩篇にもおさめられ残されている。
聖書に初めて記されてていたエノクという人物の「神とともに歩む」ということは、独立をもたらすが、このように厳しい直面にさらされる事態ともなる。
しかし、そこからただ神のみを見上げて叫び、祈ること、また与えられたことに神に感謝、賛美をすることによって、いっそう神からの祝福を受け、神とともに歩む独立の精神を強められていく。
さらに、預言者という人たち、それはアモス、ホセア、エレミヤ、エゼキエル、イザヤ、…と多くの人たちがいる。彼らの受けた啓示をみるとき、彼らがいかに独立の人であったかが知られる。
国家の主要人物がみんないつわりの宗教家、まちがった預言者や政治家などに汚染されている状況にあって、こうした預言者たちは、まったくそれらの金や権力、習慣などに影響をされずに、独立して神の言葉を語り続けた。
それは、当時のそうした時代の状況に閉じ込められず、民族的、地域的な枠をはるかに超えて、時間をも超え、数千年を経て現代に伝えられている。その神だけによる徹底した独立した姿は、今も新鮮である。
預言者イザヤが、その書の冒頭にかかげた言葉、それはその書に示された神の啓示は、あらゆる時代や民族的制約から独立した真理であることを宣言している。
…
天よ聞け、地よ 耳を傾けよ、主が語られる。…
真理そのものが、確かにこの世の一切から独立した存在なのである。この世の全てに関わりつつ、しかもそれらによって影響されず、汚されない。それゆえに、その真理を聞き取ったイザヤもまた、語る言葉をこのように、天地のすべてに向って語りかけているのである。
こうした真理の独立性は、神ご自身がそのような完全な独立を持っておられるからである。独立の根源は神にある。そのような神の独立した本質、いかなるものによっても動かされず汚されない本質を、聖書では
コーデシュ「ヘブル語で、聖という訳語の原語」という言葉で表現している。
イザヤが初めて神から呼び出され、預言者として新たな歩みをはじめるときに示されたのも、その神の「聖」なる本質であった。彼は、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と呼び交わすのを聞いた。
こうして、イザヤは預言者として必要な真の独立の根源となる神の本質を知らされたのであった。
独立と共同体
独立というと、周囲の人と何ら関係なく、助力をも受けないということを連想しがちである。しかし、この世の一般的な生活を考えてもすぐにわかることは、人間が生きるためには、無数の人たちの協力関係によって支えられ、生きているということである。
日々の食物、衣服、住居一切は自分が作ったのでない。他人が造り、運搬し、購入できるかたちになっている。それらをたどっていくと原料を栽培する人、またそこに必要な肥料や器械を作る人たち…無数の人が関わっている。
自分の金で得たといっても、そのお金を得るための会社や勤務先もまた、多くの人たちの共同でなされている。一人で山中で過ごすといった特殊な場合でも、そこで生きるための家の材料、種蒔くための種やノコギリ、クワなどの器具類はまた誰かによって作られたものであり、それらの人たちの労力がなければできない。
真の独立は、こうした一般的なこととは異なる、真実な人間との関わりを生み出す。
最も完全な独立を保って生涯を歩まれた主イエスはどうであったか。主がなされた伝道の3年間は、主に対する少数の人々の愛によって支えられていた。
…イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。
彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(ルカ8の1~3)
このように、イエスや12人の弟子たちも一緒だったのであるから、少なくとも13人分の食事や衣服の世話などをするのは、一人や二人では難しかったと考えられる。
それゆえに、多くの婦人たちがイエスと12人の弟子たちに同行して、いろいろな世話をするだけでなく、自分の持ち物をも出し合ってイエスの一行に奉仕を続けたのである。
このように、主イエスご自身、単独で行動したのでなく、12人の弟子たち、そして彼らに奉仕をする女性たちも行動をともにした。そこには、信じる人たちのあつまりは、キリストのからだである、という特別な表現で表される世界がある。
パウロも、多くの人の援助により、祈りの助けと支えがあった。
パウロはいかにキリスト者たちに支えられたか
パウロは、テント作りをしながら生計をたてたということが言われ、あたかもいつもそうであったかのように書いてあるものも見たことがある。しかし、つぎのようにパウロ自身が書いている状況は、果たしていつもテント造りなどやっていられたであろうか。
到底そのようなことではあり得ない。
…苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(Ⅱコリント11の23~27より)
このような状況にあって、パウロはいかにして生き延びたのであろうか。それは神が必要なものを備えたのである。あたかも、かつて荒野で水も食物もなく、飢えと渇きで死にそうになっていたとき、神が岩から水を出させ、天からマナを降らせたように。
また、エリヤが死を求めて砂漠のなかで一人横たわっていたとき、不思議な鳥によって養われたとある。
こうした何か不思議な助けがあり、人が使わされ、あるいは出会った人の心に神がはたらいてパウロへの食物などを提供したのであろう。
また、コリントで生活に困ったときに助けを送ったピリピとは、500キロ以上も離れた遠いところであるが、そのようなところからパウロを助けるために献金を寄せたのである。
…それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。
また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
(ピリピ 4の14~16より)
このように述べて、まだ信仰を持って間もないコリントの人たちには、彼らをつまずかせないためにあえて負担をかけようとせず、遠く離れたマケドニアの人たちの主にある愛から出た捧げ物によって生活できたのである。
パウロがさまざまの人たちから助けられ、支えられていたことの一端は、かれの代表的な著作であるローマの信徒への手紙にも記されている。
フェペという女性を、多くの人々の名前をあげる最初にあげて、彼女がローマの信徒たちの群れに受けいれられ、必要な助けを与えるようにと特にしるしている。フェペは、多くの人々の援助者であるだけでなく、とくにパウロの援助者であったと記している。また、あるキリスト者の夫妻(プリスカとアクラ)はとくに、パウロを助け、命がけでパウロの命を守ったという。この夫婦の名前を記すにあたって、パウロは、特に妻のプリスカのほうを先に記すという異例の書き方をしている。
(使徒言行録18の18も同じ)
また、ローマの信徒たちのために、非常に労苦した女性にもよろしくと伝え、またパウロの協力者としてキリストに仕えている人にも、あるいは、主のために労苦している別の人たち、そして、ある人(ルフォスという名)の母親は自分にとっても母だというほどに、主にあって敬愛していた人にもよろしくと書いている。
このような記述の背後にどのような具体的な関わりがあったのか、それが命がけで助けるというような記述からも、迫害を受けるパウロを助けるために、自らの一身上の安全をすらささげて、パウロのため、福音のため、キリストのために労苦した人たちの姿がほのかに浮かびあがってくる。
パウロの働きは、こうした数々の協力者の祈りと物質的援助、さらには具体的な助けによって支えられていたのであって、決してパウロが単独でテント造りをして生きたのではなかったのである。
独立と自由
真理そのものが持っている独立性、それを受け取った者もまたその独立を受け継ぐ。
真の精神的な独立とは、言い換えれば主とともにあるということである。
そしていかなることがあっても主とともにあることを第一とする心は、はじめに触れたように、自分の人間としての根本問題―どうしてもよくない心が生じてしまう、自分中心になってしまう、この世のものにひっぱられる等々という罪の本質が清められ、赦されるという恵みを与えられることによって生まれる。
そしてこの単純なキリストによる罪の赦しこそ、キリスト教の福音の本質そのものである。そのことによって深く神の愛を知れば知るほど、ほかの人間的な力には引き込まれないで魂の独立を保つことが可能となる。
こうした福音による独立、それはまた自由と深く結びついている。最初に述べた職業とか言論、信教の自由といった一般的な自由と大きく異なるのは、右に述べた罪からの解放こそ、最も深い意味の自由なのである。独立の魂は、自由を得る。主イエスが言われたように、「真理は自由を与える」(ヨハネ8の32)からである。
そして真理とは何か、キリストであり、聖霊である。そしてそのキリスト(聖霊)の言葉もまた真理そのものである。
「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」
(ヨハネ17の17)
このみ言葉にあるように、私たちはただイエスを信じるだけで、その真理によって罪赦され、清めを受けてこの世の力から分かたれることが与えられる。そして永遠の真理そのものである神の言葉によって私たちは導かれ、生かされていきたいと願うものである。
この神の言葉こそは、神の本質から出ているゆえに、主イエスの言われたように「天地は滅びる。しかし私の言葉は決して滅びることがない」からである。(マタイ24の35)
そしてこの永遠の神の言葉は、天地創造のときに光あれとの神の言葉によって光が創造され万物が創造されたように、今日までも数知れぬよきものが創造されてきた。私たちもまた、そうした神の力によって新たに創造されたものなのである。
…キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(Ⅱコリント 5の17)
このような、古いものから離れて、新しい創造の世界をつねに実感しつつ生きる道をキリストは備えてくださった。そしてこれはこのパウロが書くより500年ほども前から、すでに言われていたことなのである。
…はじめからのことを思いだすな
見よ、新しいことを私は行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか
私は荒れ野に道を開き、
砂漠に川を流れさせる
(イザヤ43の18~19)
現代において、至るところに霊的な荒野がある。アフリカやアジアの貧しい国々における飢えや迫害における生活の困難、そして身近なところでは東北大震災と原発災害による多大の困難にある方々―みなそうした荒野に置かれている方々である。
そのようなところにおいてこそ、新しいことを創造すると言ってくださっている。
現代だけでなく、過去数千年を通じて、無数の荒れ野があった。その広大な精神の荒野にたしかに神は道を開き、命の水の川を砂漠に流れさせて下さったのである。
こうした創造の神、愛の神をどこまでも信じて歩むこと、そこに新たな川が流れはじめることをこれらの聖書の言葉は指し示している。
(2011年11月6日の無教会全国集会・内村鑑三生誕150周年記念シンポジウムにて語ったことをもとにしたもの)
原発と核武装
原子力発電をなぜやめるべきなのか、それは大事故が生じたら、大規模に、しかも長期にわたってさまざまの意味で人々の生活を破壊していくこと、さらに放射性廃棄物は何十万年も管理が必要だというほかのいかなる産業廃棄物とも異なる問題があるからである。さらに、原発の建設のときから、莫大な金によって原発が建てられる地域の人々の心がむしばまれ、その地域が原発の多額の金によって麻薬を飲むように原発からの金がなければやっていけなくなる病的状況に陥ること、さらには原発関連の巨額の金に関連したさまざまの不正が行われること等々多くの理由がある。
福島原発事故からもうじき8カ月になろうとしているが、新聞やマスコミ、あるいは現在では多数が出版されている原子力発電関係の書籍でもわずかしか取り上げられていない問題がある。
それが、原発と核武装の関連である。
1969年の外務省「内部文書」として、外交政策企画委員会が作成した『わが国の外交政策大綱』というのがある。そこにはつぎのように記されている。
「核兵器については、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器の製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘(せいちゅう=妨げ)をうけないよう配慮する。」
この外交政策企画委員会は4回開催され,そのうちの2回は、当時の愛知揆一外務大臣が出席して発言もしたゆえに外務大臣の下でこの大綱が作成されたことが明らかであるという。
この文書で述べていることは、要するに核兵器をいつでも造ることができるような能力を保持しておくということであり、原子力発電の推進はそのためでもあった。
日本で初めて商業用原発が稼働し始めたのは、茨城県東海村に造られた東海発電所で、それは1965年のことであるから、この外務省の文書が作成されたのは、その4年後となる。
このように、はやい段階から、日本では、原発が核兵器を造るための潜在的な準備とも位置づけられていたのである。
もともと、原発が生まれたのは、アメリカの核兵器開発によって原爆が造られたことにその淵源がある。原爆は、広島、長崎において数十万人が命を奪い、さらにその後何十年という間、徐々に体の深刻な異常やガンによる苦しみにさいなまれる人を生みだしていった。
そのような恐るべき核兵器の拡大と維持を目的として原子炉が次々と造られていった。原子力発電は、「原子力の平和利用」という、人々が受けいれやすい発想を取り込み、巨額の費用も投入して、原爆、水爆などの核兵器の増大とともに原子力発電も増えていくことになった。
はじめから、原発は、人々の豊かな生活のためのエネルギーを生み出すためとか、平和のためなどという発想で造られたのではなかった。それは、人類の存亡にかかわるような破壊力をもつ核兵器の増産をかげで支え、維持するために原子力発電というのが生まれたのである。このような原発の起源からして、それは闇の性格を帯びていたということができよう。
日本に原子力発電が導入されることになり、当時としては巨額の予算がいきなりつけられたのは、1954年3月である。
その年のはじめに、日本学術会議のなかに新たに作られた原子力に関する委員会において、原子力に対する学者の態度を確固としたものとする必要性が議論され、そのためのシンポジウムが開かれた。
科学者たちは、まだアメリカとソ連との核兵器開発競争が激しい時代であり、平和利用といってもさまざまの困難があり、戦後の貧困な日本の状況ではそのための学術的な資料も乏しく、原爆の被災を受けた日本は特別に平和利用ということが確立されないかぎり、原子力の研究などにとりかかれないという状況があった。
しかし、そのような科学者たちの真剣な議論がはじまったばかりのとき、突然そうした科学者たちにもまったく何の話もなく、2億3500万円が原子炉を造るための費用として、ほかにウランの調査費や開発のための費用その他で合計3億円という当時としては、驚くべき巨額の予算が国会に提出された。この予算提出のことは、科学者だけでなく、報道機関や関係するさまざまの行政機関にも全く知らされず、公聴会などを通して専門家を含めた国民的議論をすることもなく、抜き打ち的に出された。その予算をつくったのは、中曽根康弘を主とした数名であった。
当時は、戦後10年も経たないころであり、日本は、戦後の荒廃した生活の再建に精一杯の状況であり、原子力に関して国会議員たちもほとんど詳しいことは知らなかった。そのときから、半世紀以上を経た今日でも福島出身の有力政治家が、原発の事故があっても数週間もしたら回復できるなどと思い込んでいたほどであるから当時の状況は推して知るべしである。
中曽根は、それ以前にアメリカに出向いていて、そこでアメリカの核兵器の製造や原子力発電のことなどに接して日本にもそれを取り入れようと考えたのである。
その取り込み方があまりに突然だったので、当時の日本では、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一らとともに代表的物理学者の一人であった武谷三男は、つぎのように語っている。
「何かわけの分からぬ格好で原子炉予算を出すのは非常に奇怪で、茅さん(*)がラジオの座談会で、中曽根氏にそのことをいうのかと思ったら、茅さんは中曽根氏に敬意を表するだけで、一向にその話をしない。…ぼくからみると茅さんは何だか政治家の前に頭を下げるだけがすべてであるという感じを受けた」と語っている。
(「死の灰と戦う科学者」岩波書店1972年)
(*)茅誠司は当時の東京大学教授。
原発が日本に取り入れられた最初の段階からこのように「奇怪」なかたちで始まったのであり、その原発にまつわる奇怪さは現在に至るまでずっと続いてきた。
あたかも魔力あるもののように、政治家も、学者もマスコミや文化人、教育関係者も裁判所も圧倒的多数が、原発を認め受けいれる方向へと引き込まれていったのであった。
そしてその魔力が生み出したものは、すでに日本が保有する多量のプルトニウムや放射性廃棄物の膨大な蓄積となって日本人の前に立ちはだかっているのである。
現在、日本にはプルトニウムは45トンほどあり、長崎原爆は8kg程度のプルトニウムで造られたと想定されているから、日本には約4000発を超えるほどの核兵器を造る能力を持っていることになる。
(保管されているプルトニウムには、核分裂性のものが67%程度としての計算。)
このように、原発を原爆などの核兵器を造るための予備的なものとして考えることは、原子力の平和利用というのが言われだしたころからすでに存在していた。
1956年から16年間ほど
原子力委員となっていた有沢広己(*)が、その委員を辞任する際に、「どういう風にしたら原爆を造れるか、というごく基礎的な研究ならやってもいいのではないか、という話が再々あった。もちろん断固拒否しましたが…」と述べていたというから、原子力平和利用を隠れみのにして、核兵器の開発を考えるということは初期から見られたと考えられる。
(*)東京大学教授、経済学者。
そして、現在もなぜ、非常な困難がある高速増殖炉にこだわってきたのか、その理由はすでに述べてきたような軍事目的がその原子力発電の最初の段階からつきまとっているからである。
日本の高速増殖炉である「もんじゅ」は、1983年に設置許可がおりてから30年近い歳月が経っているが、その間1兆円ほどにも達する巨額が投入されてきた。(年平均で三百数十億円にもなる。)
そして、1995年には危険なナトリウムがもれ出て火災を起こすという重大事故が発生し、以後14年半もの長い間、休止していた。そしてその間も、毎日平均して5500万円という巨額の費用が維持費として使われていたのである。
さらに、ようやくその長期の復旧工事を終えて去年再稼働したと思ったらすぐにまた、炉内中継装置の落下事故が起こり、再び停止。その機材を取り出すのに10カ月を要したがその復旧費に9億4000万円という巨額を要するなど、発電もできず何の益ももたらさないまま、長い年月にわたって国民の税金が多量に投入されてきた。
この高速増殖炉というのは、世界で初めて原子力を電力にした最初の原子炉で、それが1951年のことであるから、もう60年も経っている。すでにアメリカは、1983年に高速増殖炉から撤退しているし、イギリス、ドイツ、フランスなども同様である。それほど高速増殖炉を扱うのは危険であり、困難だからである。
このような技術的な困難がともない、かついままですでに莫大な費用が投入されてもなお一向に稼働する見通しが立たないようなものになぜかくも、歴代の自民党政府や現在の民主党などがその維持にこだわるのか、それはすでに述べたような軍事目的という別の隠された目的が背後にずっとあるからなのである。
憲法9条を廃止して自衛隊を正式な軍隊にして、戦争のできる国にする、ということもやはりずっと以前から主張する勢力がある。そうした勢力が原子力の平和利用を隠れみのにして核兵器を持って武装するということを考えている人たちがとくに自民党を中心に相当いる。
2002年、安倍晋三官房副長官(当時)が早稲田大学の講演会で「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」と発言したことがある。そしてこのことについて当時の福田官房長官が「私個人の考え方から言えば持てるだろう」と、日本の核兵器保有は可能としたが、こうした考え方は自民党政権が以前から主張している立場でもある。
元首相だった麻生太郎が外相のとき、2003年におこなわれた新聞のアンケートで「核武装を検討すべきだ」と答えていたり、 今年7月に石原都知事が、「核兵器は持つべきだ」などと発言している。石原も自民党政権のときに環境庁長官や運輸大臣をつとめたが、こうした核武装論は自民党内でずっと以前から存在して現在も続いている。
このように、原発の問題は、日本が憲法9条や非核三原則を堅持していくかどうかの問題と深くつながっているのであって、ここにも、軍事への強い関わりのゆえに、原発が莫大な費用を用いて投入されてきた背景がある。
軍事費に関しては、東北大震災という国家的な大災害が生じて節電だけでなく、国家公務員宿舎の建設を中止したり、公務員の給与の引き下げなどいろいろな無駄をはぶいて、増税もやっていく…というのに、膨大な軍事費の削減をして震災被災者や福島原発で被災した人たちのために用いようという主張は、まったくといってよいほど新聞、ニュースなどに出てこない。
今回の福島原発の大事故の淵源をたどると、こうした軍事との深い関係が浮かびあがってくる。軍事兵器とは要するに人の命を奪うものであり、それを当然のこととして肯定する考え方からは、いかに被害が大きくとも原発を続けようとする考え方に通じるものである。
戦争も核兵器や原発も、弱い立場の人間を顧みないで、強者がそうした弱者を圧迫し、踏みつけていくという本質を持っている。
こうした考え方と対極にあるのが、キリストの真理である。武力や金の力、権力のいかなる力によってもできない人間の魂を変革すること、そうして「傷ついた葦を折ることなく、消えかかっているともしびを消すことなく」(イザヤ書42の3)、それらに新たな力を与えて再生、復興させる本質を持っている。
日本に、大地震、大津波、そして4基もの原発が事故を起こしそのうち3基が炉心溶融という大事故を起こして何十万人という人々に大変な苦しみを与えていること、そのような特別な出来事が生じたのは、この原子力発電と軍事、核兵器の武装といった方向が根本的に誤りであることを示そうとされる神の大いなる警告だと受け取るべきなのである。
目に見える世界においては、エネルギーの浪費を止め、さしあたりは天然ガスや石油などを効果的に併用しつつ、神の創造された太陽光、風の力、地球の熱、太陽エネルギーによって持ち上げられた水によって起こされる水力等、自然エネルギーと言われるものを可能な限り多用し、さらに、私たち人間の本質たる魂の生きるエネルギーのためには、私たちの罪から立ち返り、やはり神のものである、聖なる霊とみ言葉の力を受けつつ生きること、その方向への転換こそ今後の人類の目指すべき道なのである。
お知らせ
・電話番号、アドレス変更
吉村の自宅固定電話番号がつぎのように変更になりました。この電話番号にかけますと 全国どこからかけていただいても、一律で、3分11円です。なお、このようなサービスは、インターネットのプロバイダーとしてのヤフーだけが行っているものです。
なお、FAXは従来どおりで、
です。
このFAX番号にも使っている電話番号からもかけることができますが、NTTの通常料金がかかり、3分では40円ほどになります。
メールアドレスは、となりました。「いのちの水」誌の奥付のアドレスでも可です。このホットメールのアドレスには変更はありません。
・12月の阪神エクレシアの集会で私が聖書講話をさせていただくのは、12月11日(日)午前10時から、高槻聖書キリスト集会では、同日の午後2時からです。
・岩野梅子さんの1周年記念会 12月18日(日)礼拝終了後に集会場で行います。ご遺族のうち少数が参加されます。
・11月の移動夕拝…11月22日(火) いのちのさと作業所にて。午後7時半~
・キャロリング…12月24日午後7時~
・クリスマス集会 12月25日午前10時~14時
編集だより
来信より
・「原子力発電と平和」の本は、全く知識のない私にも理解でき、どのページにも線を引きながら読ませていただきました。一度だけでなく、今後も何回か読みたいと思っています。
放射能を恐れてばかりいられず、ガンから身を守るため、免疫力をつける食事管理が今の私にできることかなと思っています。福島の果物は本当においしいです。幼い孫のところにも毎年桃、ブドウ、リンゴなどを送ってきました。今年も送りましたが、送った後で孫が 10年~20年後にガンになったらどうしょうと恐れます。
放射能を恐れていても、食べなければなりません。原発については政府の発表、新聞だけでは分からないものが、先生のこのご本によって、いろいろ学ぶことができ、感謝です。(福島県の方)
・いつも 聖書の学び、み言葉をありがとうございます。今日は、インターネットでの「今日のみ言葉」で、吉野川の写真を送っていただき 思わず見とれてしまいました。
私は吉野川に近い町で生まれ育ち、嫁いだので 日々の暮らしの中で 吉野川の風景は見慣れているはずなのに、改めてこの河川の大きさ素晴らしさに感動しました。
今年は水の災害が多く ご苦労なさっている方が大勢いらっしゃいます、一日も早い復興を願うばかりです。
いのちなる水による恵みと、人間の小ささ・・・豊かな吉野川を見ながらつたない知識でいろいろなことを思いました。(徳島県の方)
詩篇の録音CD(MP3版)
…過日、詩篇CDとMP3対応 CDラジカセをお届けくださりありがとうございました。以来充実した日々となりました。年を重ねると、頭に入るより、出て行くほうが多い現状ですが、恵みにより、御国への道をときめきながら歩ませていただいております。感謝です。(四国の方)
・この方は詩篇の録音は聞きたいという希望はあったのですが、MP3ということで、器械に弱いからは自分には関係のないことと思っていたのです。それで私が直接説明をしますと、簡単だとわかって購入されています。
次第に外に出ることが少なくなった現状でも、部屋にいて聖書の重要な内容である詩篇を学ぶ機会となっていることを感謝です。
・「原子力発電と平和」の表紙写真について
この本の、表紙写真は、2010年に、山形県の日本海側にある鶴岡市でのキリスト教集会の翌日、その日の夜の集会まで、時間が取れたので、月山の植物を調べたいと登ったときに撮影したものです。
原発にともなうさまざまの闇とそこから引き起こされた多大の苦しみや悲しみ、私たちの見つめるべき方向は、自然の姿に現れている清さ、御国の美しさを繁栄するこうした自然の姿だと思われるからです。
裏の表の写真は、徳島県の最南部、高知県まであと10キロほどの大里海岸です。ゴミひとつない美しい海岸が、2キロほども続いている海岸で、全国的にもこのような海岸はほかにはないのではないかと思われるほどです。
○無教会全国集会
11月5日(土)~6日(日)の二日間、千葉県にて、無教会全国集会が開催され、名簿では160名ほどの方が参加されました。今年はとくに大震災関連の内容があり、とくに池田献さんの東北のボランティア経験の報告や原発の被害を受けた村上真平さんの証しやチェルノブイリ原発に行かれた坂内義子さんの事故の映像と説明もあり、印象的でした。
この会のために注がれた多くの御愛労を感謝です。
一生の間、自己とも他人とも戦いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、ついにはべシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。
しかしながら、愛の実行はつねに、初めそれを決心するのはむずかしく、やがて神のみ手に導かれてそれを行いうるまで長い間たえず習得すべきものであって、愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがものとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。なぜなら、愛は永遠の実在と生命の一部分であって、これは、すべての地上のものとちがって、老朽することがないからである。(「眠れぬ夜のために」 第二巻 一月九日の項)
○ここでの愛はもちろん人間の愛でなく、神の愛、神から受けた愛のことである。それはこの「愛は決して自然に生まれつき備わっているのでない」と言っていることからもわかる。神の愛を受けてそれをもってすれば、あらゆるものにうち勝つ。ヒルティのこの確信は彼の生涯の結論でもあった。それゆえ彼は、その墓碑銘にこの言葉(ラテン語)を選んだのであった。次にその原文をあげておく。
「AMOR OMNIA VINCIT」 アモール(愛) オムニア(すべて) ウィンキット(勝つ)
休憩室
○ウメと星
冬の植物といえば、必ず新聞やニュースで目に触れるのは、ウメとスイセンだと思われます。このいずれもが香りがよく、姿や花の色なども美しいものであるためにいっそう昔から人々の心を引きつけてきたのだと思われます。
また、このいずれも野性的で、温室とか花壇で肥料や温度あるいは害虫などを気にしたりせずとも、たくましく育っていくことも広く知られている理由の一つでもあろうと思います。
さらにウメはその花や香りもよいだけでなく、その果実もまた薬用として日常の常食としてまた弁当のようなものにまで昔から今に至るまで広く用いられていることもあります。
ウメと言えば、おそらく現代の多くの人たちにとっては、梅干しや梅酒のほうがずっと身近に感じていると思われます。それらは大都会のデパートやスーパーでもいつも売られているからです。しかしウメの自然の状態の花に接することができるのは、田舎や山間部の地方の人でなければ容易には触れられない人が多いはずです。また、最も寒いときに咲くウメの花を味わう心のゆとりを持っていない人が多くなっています。
聖書の世界では、花はウメとほとんど同じ白い花を冬に咲かせる樹木があります。それはアメンドウ(アーモンド)です。旧約聖書でも特に重要な預言者の一人であるエレミヤに最初に臨んだのが、このアメンドウの花を神が指し示したことでした。神は自然の風物を用いても語られるという例です。
主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「アメンドウの枝を見ます」。 (エレミヤ書一.11)
アーモンドには二種あって、野生のアーモンドは白い花をつけ,その種子は苦味を帯びています。もう一つは栽培品種で赤い花をつけ,種子はおいしく、菓子として用いられています。聖書に出てくるのはもちろん野生種の白い花を咲かせる方です。
まだ若かったエレミヤに対して、神がたえず目を見開いて民を見張っている姿をアメンドウの白い花に目を向けさせることによって象徴的に述べています。
星と詩
興味深いのは、日本の古代での代表的な歌集である万葉集には、サクラの歌は38首、ウメの歌は104首と、圧倒的にウメが多く歌われているということです。ウメよりはるかにサクラが華やかで春の暖かい頃に咲くのでよく目立つから多く歌われていると思われますがそうではないのです。
もっとも当時のサクラといえば、現代のようなソメイヨシノでなく、自然の山に多いヤマザクラが多かったと思われます。古代人の方が、現代人よりもウメの花の良さをより深く知っていたのがうかがえます。寒中に単独で花を開くウメの良さを感じ取る心は、夜の闇のなかに清い光を沈黙のうちに投げかけてくる星の良さを感じることに通じると思われますが、意外なことに万葉集では星はほとんど読まれていないのです。夕方に断然他の星の輝きを圧して光る金星は夕づつの名で詠まれていることと、天の川などをのぞくと、星の歌は万葉集の四千五百首のなかでわずかに二首しかないということです。
それに対してギリシャや中国の古代の詩には星は多く現れるし、聖書には旧約聖書では七十回近く現れ、新約聖書では三十回ほど現れることと考え合わせても、日本の万葉集に星がきわめてわずかしか現れないのは特異なことだと思われるのです。
地上の制約を超えた、遠大なものを見つめるという心が乏しかったのだろうかと思わされるのです。唯一の神を見つめる心とは、星を見つめる心と通じるものがあります。キリストも明けの明星にたとえられているほどです。
お知らせ
○四国集会
今年の徳島でのキリスト教四国集会(無教会)は、以前の「はこ舟」で五月開催と書きましたが、いろいろの都合で変更となり、六月十五日(土)~十六日(日)となりました。会場は徳島市の眉山会館です。予定に入れておいて頂ければ幸いです。四国集会という名称ですが、従来から県外の方々の参加も自由なので、京阪神方面とか九州、関東方面からも参加者がありました。今年もそうしたいろいろの地域からの参加者も交えてともにみ言葉を学び、主にある交流が深められ、ともに前進していくための場となればと願っています。この会が主の祝福を受けるものとなりますよう、ご加祷下されば幸いです。
○私たちの集会で発行している「野の花」文集ができました。この文集も誌上のエクレシアとなり、それらの文が主によって用いられること、そして御名があがめられることを目的としています。
返舟だより
ある若い友人からつぎのようなメールがありました。現在は外国にいますが、旅立つ直前に送られてきたものです。少し長いのですが、一部を引用します。
本当のことを言うと僕の方も今にも倒れそうで悩み続けています。本当に何も手につかないといった状態です。
けれど聞かずにはおれません、死んでしまうとはいったいどういうことなのでしょう?死ぬとどうなってしまうのでしょう?
母や父やほかの人達の言うように何も無くなってしまうのでしょうか?
これは、ぼくにとって本当に悲しいことです。今まで生きてきたことも全て消えてしまう、人生に何の意味も見出せなくなってしまいます。
自分がこの疑問についてずっと悩んでいたからというのもあるのです。はっきり言って不安で一杯です。いくら悩んで、答えを見つけようとしても答えが出ません。
僕は人よりも「死」というものが幼い頃から人よりも身近にありました。最近の飛行機事故など、そういった一連の事件を目のあたりにしたからかもしれません。…本当に神様はいるのでしょうか?
永遠なんて本当に在るのでしょうか?僕はここ何年間か自問自答してきました。死ぬってどういうことだろう…。
どうして生きているのだろう…。生きるって何だろう…。本当に死んでしまうと真っ暗になって、何も無くなってしまうのだろうか?
このような疑問はこの友人が書いているように、どんなに考えても答えが出てこない、それは当然だと思われます。
こうした問題に対して平安が与えられるのは、人間の思索や、経験、学校の学びなどではないからです。
それは神からの啓示が必要だからです。
私もそれについて説明しましたが、その説明とか祈りを、神ご自身が用いてくださって、この友人に神からの啓示が臨むのを待ち望むばかりです。