「荒れ野よ、荒れ地よ、喜びおどれ。 |
・2011年3月 601号 内容・もくじ
雪、冬の花と香り
今年の冬は、例年になく厳しい。徳島でも雪が何度も降った。
雪そのものは、多量に降ると一時的にはたちまち交通を妨げたり、雪下ろしの必要など不都合なことも生じさせるが、他方ではその豊富な雪が溶けて、大地にしみわたり、無数の植物をささえ、動物をも支えていくし、また地下水となり、川となって流域の人間のはたらきにも大きな益を与えている。
2月にはわが家のある標高200メートルほどの山頂付近では、15センチほどの積雪があった。
最近10年ほどを思い返してもこのような積雪はなかった。その日の夕方、頂上まで登ったときには、近年では目にしたことのない、誰一人いない純白の平地が広がっていた。
聖書には、神が私を洗ってくださったら 雪のように白くなる(詩篇51の7)と歌われている。
人も車もなにも通らないところでの雪、10数年ほども見たことのなかったその白いひろがりは、いかなるものにもまして汚れなき姿を指し示しているとかんじた。
そして、その雪が高い山に降り積もるとき、その山々は崇高な清さ、美しさ、そして厳しさを持つようになる。
この清さ、それは何のためだろう。神が私たちを、この雪のような汚れなき世界へと招いていると感じる。
また、冬の寒さの厳しいさなかに、ひとり梅だけがその枝にたくさんの花を、寒さをものともせずに次々と咲いていく。花の花粉をめしべに渡すチョウやハチなどの昆虫はまったく動けない寒さであるにもかかわらず、その白い花を咲かせる姿は、静まって見つめるときには、ここにもこのような花をとおして語りかける神のメッセージが感じられる。
冬の寒さで植物たちもほとんど変化を見せないとき、香りゆたかな花がいくつかある。すでにあげたウメ、スイセンそしてジンチョウゲ、さらにこれは大多数の人たちには知られていないがビワの花である。
日本の野草、樹木には何千種もあっても、よき香りをもつ花というのは少ない。厳しい冬に咲くこれらがいずれも芳香を持っているのはここにも意味深いものを感じる。
人間においても、苦しい状況であっても神を信じて生きてきた人は、どこか香りというべきものが感じられる。その人間そのものから自然に生じてくるよき雰囲気なのである。それは、どんなによい服を着ても化粧をしても造りだすことはできない。
また、学識やこの世の知識、経験をいくら持っていてもそのような香りとなることは難しい。
そのような香り、それはキリストからくる。キリストご自身が人類の最高のよき香りだからである。
…また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ 5の2)
このように、この箇所では、文の最後に、よき香りを表す言葉を二種類かさねて強調している。(*)
厳しい迫害の状況にあっても、なお香りを放ち続ける存在、それが初期のキリスト者たちの姿であった。その香りに触れて、彼らを迫害していた人たちもキリスト者となっていった人も多く生じていったのである。
(*)香ばしいと訳されたのは、原文のギリシャ語では osme(オスメー)、 かおりは、euodia(ユーオーディア)。いずれも、よき香りを表す語。英訳では a sweet-smelling aroma とか、sweetsmelling savour.などと訳されている。
キリストが、ー 使徒パウロが言っているように、私たちの内に住んでくださったとき、私たちもまた小さきものであるが、何らかのキリストの香りを持つものとさせていただける。
それゆえに次のように言われている。
…わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りである。…
救われる者には命から命に至らせる香りである。(Ⅱコリント 2の16)
土の器でしかない者であるが、願わくばこのように、キリストの永遠の命を少しなりとも他者に伝えていく香りあるものとさせていただきたいと思う。
賛美の大いなるひろがり
聖書は神の愛を記した書であり、また神への賛美の書である。 書店に置かれている一般の書は、大多数の小説や週刊誌、雑誌などのように人間の罪深い現実を書いていたり、学術書のように学的真理に関したことを書いているのもある。
私たちが自分のまわりをみているだけ、また目で見える範囲で地上をみている限り、到底 地球が丸いとか、宇宙のこともわからず、宇宙に浮かんでいるといった状態であることも分からない。狭い視野であるほど、真理は見えない。
新聞やテレビ、インターネットなどのニュースでの報道も、結局は人間の目で見えること、という狭い視野で見たことを書いている。
しかし、地球を少しだけ離れてもー地上から100キロほど離れるだけで、地球は宇宙に浮かぶ球体でしかないことが分かり、さらに遠く離れていくと、月のように小さな丸い物体となり、より遠くに離れると、次第に金星や木星のような一つの星となり、ついには見えなくなる。
このように、私たちの視点をいかに離れてものを見るかで、全く異なるものが見えてくる。
聖書の記した世界、それはこの世界を肉眼の目で見える世界とは全く違った霊的な目で見えることを記したものであり、ふつうの音声ではない、霊的な声を聞いたひとたちの記録である。
そのとき、この世においては、悪と混乱、空虚なものが満ちていても、そこを離れた霊的な目を与えられたときには、まったく異なるものが見えてくるし、聞こえてくる。
ちょうど、狭い地球のさらに著しく小さい自分がいま居るところだけを見つめてわかることと、地球を離れて見たときの光景が全くことなるのと同様である。
この現実の地上の世界は、真理にそむき、真実に生きている人や弱い立場にある人たちを迫害し、権力や武力を用いての戦いが随所に生じている。
しかし、聖書の世界では、そうした状況においても見えてきたものが記されている。
その一つが 大いなる声、賛美であった。
…また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。
その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。」
(黙示録5の11~13)
黙示録の著者が見た霊的な光景は、驚くべきものであった。それは神とキリスト、さらにそのまわりにいる霊的な存在である生き物や長老たちの周囲に、無数の天使たちを見た。それは万の数万倍ということであり、数億ということになる。日本人を全部集めても一億三千万ほどだから、これは無数ということの別の表現にほかならない。
私たちのからだの目は、数億の天使など見ることはできないが、霊的な目は そうした肉体の目にある限界を持たないゆえに、そうした無数の天使たちを見ることができたのである。
地上の混乱と悪の荒涼たる支配のただなかにあって、いかにヨハネは異なる大いなる世界を示されたかがわかる。
この広大無辺の天使たちの賛美、大いなる声を聞いたという記述のすぐあとから、この世界がいかに混乱と闇にあるかが次々と開かれていく。(黙示録6章)
ここに大いなる対比が置かれている。
こうした地上世界の闇と天の世界との輝きに満ちた状態とは、聖書ではしばしば繰り返し記されている。
この最初のはっきりとした記述は、ヤコブの見た天からの階段である。
兄エサウに殺されそうになって一人荒野を遠く北方へと逃げていくヤコブに、きわめて重要な夢が現れた。
それは、地上では兄弟を殺そうというような憎しみを受けているただなかで、天の世界が開かれ、そこから天使たちがその階段を上り下りする、すなわち天にあるものを地上にもたらし、地上のものを天に引き上げている状況なのである。
言い換えれば、天と地との交流がまのあたりにされたのである。
人間の迷いや苦しみはすべて、この天と地との交流がないから、あるいはあまりにも小さいから生じる。地上的なもの、汚れや悪、混乱が天に引き上げられて浄化されること、地上の祈りが天に届いて聞き届けられること、そして天の清い水、その力、平和、愛といったものが御使いとともに地上に注がれる、それらのことが与えられているならば、あらゆる問題は解決していくと言える。
罪の赦し、それも地上の悪しきものが天に引き上げられて消滅することであり、代わりに赦しに込められた神の愛が地上の人間に与えられることなのである。
また、復活ということは死の力が引き上げられ、神のいのちが降ってくることだと言えよう。
こうした天地の交流ということは、詩篇においては大いなる表現で記されている。
詩篇第3篇にあるような人間の苦しみや叫び、あるいは悲しみは、それらを訴える祈りとともに天に引き上げられる。そしてそこから神の力が注がれるのである。そしてそうして与えられた大いなる神の力や愛に触れたものたちは、この混乱と不正な地上世界のただなかにあって、神への大いなる感謝と賛美をあふれるばかりに注ぎだすことができる。
それが、詩篇の最後の部分にあるハレルヤ詩篇なのである。
ハレルヤ(*)。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
御使いらよ、こぞって 主を賛美せよ。 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
雹よ、雪よ、霧よ
御言葉を成し遂げる嵐よ
山々よ、すべての丘よ
実を結ぶ木よ、杉の林よ
野の獣よ、すべての家畜よ
地を這うものよ、翼ある鳥よ
地上の王よ、諸国の民よ
君主よ、地上の支配者よ
若者よ、若き女よ
老人よ、幼子よ。
主の御名を賛美せよ。
主の御名はひとり高く
威光は天地に満ちている。(詩篇148篇より)
(*)ハレルヤとは、ヘブル語で ハレルー(ハーラル 賛美するという動詞の二人称複数命令形) とヤーハ(ヤハウエの短縮された形)であり、複数の人たち(会衆)に向かって
「ヤハウエ(神)を賛美せよ」と命じる、というのが原義である。現在では、ハレルヤとして、一つの言葉のように用いられる。ラテン語訳で アレルヤ(alleluia)という表現が用いられたため、現代でも賛美のなかで、アレルヤ と発音する場合もある。
そして、「主を賛美せよ」と訳された原文は、ハレルー
ヤハウエ である。 日本語文で、ハレルヤ、という語と、主を賛美せよ、というのではニュアンスがかなり違ってくるが、ヤハウエとそのままの神の名を使うか、ヤーハ
という短縮形を用いるかの違いであって、本来はまったく同じ意味である。
ハレルヤ!という表現は、もともとこのように、会衆への賛美をうながす命令形であったが、次第に意味が広くなり、賛美しよう、という勧誘、勧めの意味、あるいは、「神はすばらしい!」
という神への感嘆や賛美そのものをも意味するようになった。(現在では、この用法が主になっている。)
これは、ホサナ という語が、もともとは、「今、私たちを救って下さい!」という願いの意味であったのが、すでに主イエスの時代には、万歳!といった歓迎の意味を持つようになっていったということと似ている。
これは、壮大な賛美の言葉である。単に人間だけでなく、宇宙万物のもの-天にあるもの、地にあるもののすべてに向かって、主を賛美せよ! と呼びかけている。
このような賛美の世界が存在すること、それは詩の作者が、宇宙のすべてが神を賛美する存在であることを啓示によって知らされたのだとわかる。本質的に賛美できないようなものに向かって、呼びかけることはあり得ないからである。
このハレルヤ!(主を賛美せよ!)という言葉を私たちが聞き取るとき、この地上のあらゆる問題、また宇宙のものすべては、神への賛美こそが最終的目標なのだと知らされる。
賛美できるということは、すなわちあらゆるこの世の混乱や問題にもかかわらず、それらのただなかに働く神の愛を深く知らされたゆえである。そうしたこの世の問題が最終的には克服され、万物が神の愛と力、その栄光をたたえる…それこそが、被造物の最終的な姿なのである。
地震と神の愛
ニュージーランドで大きな地震が発生した。そして若くて前途のある人たちが多くその命を落とした。このような時によく言われることがある。
神を信じるなどというが、どこに神の愛などあるのか、神がいたらこんなことは起こらないはずだ、と。
自分の愛する家族を無惨にも押しつぶされてしまった人にとって、このような非情な事実を神の愛だなどとは到底感じられないであろうし、運命にのろわれているのだ、と感じることであろう。
もともと、神など信じていないという人には、神の愛などももちろんはじめから存在しないのであるから、こうした事態は運命によって起こってしまったのだと受け取るしかないであろう。
あるいは、ある種の宗教ならば、それは先祖のたたりだとかと説明するかも知れない。
神を信じていた人でも、このような事態は説明がつかないゆえに、自分の身内にこうした悲劇的な災害が降りかかった人においては、神への信仰も揺らいでしまうこともあるだろう。
聖書において、こうした恐ろしい災難、苦難が生じたとき、人々はどのようにそれを受け止めていただろうか。
こうした理不尽と思える突然の災害、苦難がふりかかったとき、たとえ信仰をしっかり持っていても、その苦難が恐ろしい苦しみや悲劇が長く続くほどに、深刻な動揺が生じるであろう。
聖書にもこの問題だけをテーマとした60頁に及ぶ長い文書、ヨブ記がある。
ヨブは、豊かな財産を与えられ、10人ものこどもたちもあり、神を信じ、息子たちの心のなかで罪を犯したかも知れないと考えて折々に赦しのための捧げ物をしていたほどであった。
このような信仰ある真実な人に突然の災害が降りかかり、財産は失われ、子供も死んでしまった。このような大変な事態となっても、なおヨブは言った。
…ヨブは地にひれ伏して言った。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。(ヨブ記1の20~22)
失われたものをも、神にお返ししたのだと受け取った。
しかし、このようにあくまで神のご意志だと万事を受け取る姿勢があったにもかかわらず、その後、自分自身がひどい皮膚病(ハンセン病であったかも知れないと言われている)にかかり、苦しみで夜も眠れなくなるに至り、妻からもののしられるようになって、ヨブはついに耐えられなくなった。
…私の生まれた日は消えうせよ。
その日は闇となれ。
神が上から顧みることもなく
光も輝かせるな。…
という激しい言葉を注ぎだすようになった。そうして苦しみは長くつづき、友人たちが慰めようとして来たが、ヨブのあまりの苦しみに言う言葉も見いだせなかった。
ヨブは次第に神への信頼を失うほどの苦しみに陥っていった。
…私は自分が潔白かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。
同じことなのだ、神は潔白な者も逆らう者も、同じように滅ぼし尽くされる。(ヨブ記9の22~23)
そしてヨブが自分にはこのような恐ろしい罰を受ける理由がまったく分からない、なぜなのか、神はだれもかれも同じに扱うのだ、というような気持ちにさえなっていった。
こうした長い苦しみの時間を経て、神が語りかけた。
それは、正しい者の受ける苦難の説明であっただろうか。そうではなかった。なぜ、こんないわれなき苦しみを自分だけが受けねばならないのか、神は正しいものも悪しき者も同じように滅ぼすのだ、神は真実なものを顧みたりしない、悪人を罰したりもしない、それはみな偶然のようなこと、どこにも正義の神などないのだ…、といった考え方の間違いを説明するものでもなかった。
神が、この恐ろしい突然の苦難を受けてきたヨブに語りかけたのは、まったく意外なことであった。
…私(神)が大地を据えたとき、
お前はどこにいたのか。
誰が広大な大地のひろがりを定めたのか。…
深い海の底を知っているか、
死のかなたになにがあるか、見たことがあるのか。
世界のひろがりを見極めたことがあるのか。…
光はどこからやってくるのか…
東からの風はどのようなところを通ってやってくるのか。
だれが豪雨を降らすような仕方を知っているのか。
オリオンやすばるといった星座の位置を変えたりできるのか…(ヨブ記38の4~25より)
このように、病気と苦難にうちひしがれて孤独な苦しみにさいなまれているヨブに語りかけられた内容は、だれも予想しなかったようなものであった。
それは、この無限の宇宙や大地、この世界全体のいったいなにを知っているのか、いっさいは神秘に満ちているもの、何も本質的には知らないではないか、という問いかけであった。
そのような日常的なまわりの現象すら、何一つ正確なことを知らない、知ることができないほど、人間は無知であり、力弱き存在なのである。そうした無知なものが、どうして自分たちにふりかかる苦難の意味をわかることができようか。
神は、ヨブが受けた苦難の意味を説明しようとされず、ヨブにかぎらず、人間がいかに無知であり、小さな存在にすぎないかを思い知らせようとされたのである。
そしてそのように言われて初めてヨブは、自分がいかにまちがっていたかを思い知らされることになった。何も分からない自分が自分にふりかかった苦難を説明できないからといって万物を創造された神そのもののやり方を非難するのでは、何一つ前進しない。苦しみも和らぐことなく、魂の平安も訪れない。
神が示されたのは、そうした人間の決定的な弱さ、限界を深く思い知り、そこから無限の神にすべてを託し、必ず最善になされるとの信頼をもって神を仰ぐことなのである。
人間が動揺し、苦しみ、そして運命をのろうようになる、それはみな自分自身の弱さとチリのごとく小さな存在であることを知らず、また無限で万能の神、しかも愛と真実な神の大きさをも知らないところからくる。
古くアブラハムの時代ー今から3700年ほども昔ーすでに、人間の本当の幸いの道が示されていた。それは神をそのように無限に大いなる存在、愛と導きの万能のお方であることを信じるだけで、そこに永遠的な祝福が注がれるようになる、信仰によって義とされる、という道が示されていた。
はじめに述べた、地震による災害、そこにもヨブの心に生じたのと同じ問題がある。なぜ自分だけこのようなひどいことになったのか。愛する子供、人にやさしくよきはたらきを目指していたような人を、愛の神が死なせるなど、そんな神は大嫌いだとか、そんなことをする神が愛などと到底あり得ないという思いが生じることがあるだろう。
しかし、ここにもやはり、神というのを私たちの考えにおさまる範囲の小さな存在だと無意識的に考えているところがある。
主イエスは、弱く貧しい人の力となり、愛する兄弟を失って悲しみに沈む人たちの願いに答えて死した人に新たな力を注いで生き返らせたり、長い年月にわたり治らない病気に取りつかれ、絶望的状況であった人たちに声をかけ、神の力を注いで救われた。
そのように、人間として最もよきお方であったのに、最も敵意と憎しみを持った人たちに囲まれ、あざけられ、鞭打たれ最後にたくさんの人たちの面前にて、手足を釘で打ちつけられ、恐ろしい苦悶のなかで死んでいく…こんなことが、神の愛なのか、神がおられるのなら、どうしてこんなことがおきるのか、という疑問がほとばしるように生まれてきたであろう。
事実、主イエスが自分はまもなく、人々から捨てられ、十字架で処刑される、と言ったとき、弟子のペテロはイエスを脇に引き寄せて、決してそんなことがあってはいけない、と叱ったほどである。そのようなペテロに対して、主イエスは、「サタンよ、退け!」と一喝された。
しかし、そのようなあらゆる人間の予想や想定になかったが、神の愛はたしかに十字架にかけられたイエスにおいても注がれていた。それどころか、最も愛など存在しないと思われるような十字架の処刑ということのなかに、神の最も深い愛があったというのである。
…わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子を遣わされた。ここに愛がある。(Ⅰヨハネ 4の10)
いけにえとして、すなわちあの苦しい見るも無惨な十字架の処刑、そこに愛がある、というのである。何と驚くべきことだろう。正視するに耐えないような悲劇的事件、そこに神の愛があるというのである。
このようなことは当時、イエスの十字架の処刑に立ち会った人たちはだれも考えることもできなかった。みな、涙を流し、自分たちが神の子と信じたイエスがかくも無惨にしいたげられ殺されてしまったことに絶望的な思いを抱いていたばかりであった。
それが、神の愛だとわかったのは、現実の出来事を分析したり、論理的に考えたり、研究したからでも知識でも人生経験でもなかった。
それは神の直接の啓示によってわかったのである。
神の霊、聖霊こそはすべてを教える、と主イエスは言われた。それこそ啓示である。
最初に掲げた問題、地震での被災者と神の愛、愛する子や家族を失った方々、そこにも神の愛があった、と受け取るまでには、まず、ヨブ記にあったように、私たち自身があまりにも小さな存在であり、ほとんど何もわかっていない存在であること、それゆえに万能の神、愛の神にその不可解なことを委ねるという神への信仰と信頼が必要となる。
その上で、こうした出来事が神の愛とかかわるのだと受け取ることができるには、人によって異なるけれどもしばしば長い時間が必要であること、さらに啓示を受けることが不可欠となる。
こうした不可解な悲劇や事件は、いまにはじまったことではない。すでに書いたように二千年前のキリストの十字架の処刑は、そうしたことの最も重要な出来事であった。限りない悲劇を、限りない神の愛ゆえの出来事であったと、受け取ることができる最も深い出来事なのであった。
この世界にははるか数千年の昔から、弱きものが踏みつけられ、不正が横行し、悪によって命が奪われるということが数知れず生じてきた。一部の権力をもった人たちは食物が十分にあっても、多数の人々が飢えに苦しんで死者が累々と横たわるといった大飢饉も日本でも江戸時代には何度もあった。
また世界大戦で、十万、百万どころか数千万の人が殺され、また傷ついて家族が引き裂かれ、みずからも心身を深く傷つけられて生涯を苦しみのなかで送る、といった事態も生じてきた。
こうしたあらゆる不正や悲しみのなかにあって、どこに神がいるのか、神の正義、その愛などどこにもない、と思われる状況にあってもなお、そのような神の愛を実感する人たちは絶えることがなかった。
それは、まわりの状況がいかようであれ、そこに神の啓示が与えられ、聖なる霊が注がれるときには、神は愛なり、との深い実感が与えられてきたからである。
そして神はそのような暗黒の状況においても神の愛を実感する人たちを起こしてこられたと言えよう。そうした人たちはまさに新たな創造なのである。
神の愛は、健康で家族がみな仲良く過ごすなかにももちろん感じられる。しかしそれは啓示や聖なる霊なくしても感じられることである。そしてそのような愛こそが神の愛だと思っていれば、ふとした事故や病気、仲違いによってたちまち神の愛などは感じられなくなり、かつて感じていたのは愛の影であり、空虚なものにすぎなかったと思い知らされることになるであろう。
岩の上に建てた家のごとく、不動の神の愛を実感し、受けていくために、神はしばしば思いがけない苦難や悲しみに直面させる。そして私たちはそこから本当の神の愛、それは冬の厳しい寒さに咲く梅の花に似て、いかなる事態にあっても実感できるほど魂の深みで感じることのできる愛だと言えるだろう。
今も世界の各地で災害や、貧困、また飢えや不当な権力の迫害で捕らわれている人たちが数知れずいる。そうした方々が、またその家族の方々が上よりの新たな啓示をうけ、聖なる霊を注がれてその苦難のなかでも支えられ、神の愛によって生かされるようにと願ってやまない。
瞳のように守り、翼の陰に隠し 詩篇 第17編
(祈り。ダビデの詩)主よ、正しい訴えを聞き
わたしの叫びに耳を傾け
祈りに耳を向けてください。…
旧約聖書の詩、それは祈りである。だが、一般の詩、それは人間の悩みや憂鬱、悲しみ、自然への関心、異性への感情などが歌われる。それらは、大多数のものは祈りではない。祈りとは神に向けて心を注ぎだすことであり、神からの目には見えない賜物を受け取ろうとすることである。この世界を愛をもって見つめ、御支配されている神など存在しない、と思っている人には、祈りは生まれない。存在するかどうかわからないものへの願いにとどまってしまう。
万能にして愛と真実の神がおられることを本当に実感している者にとって、心を最も動かすのは、その神が私たちに働きかけるときである。そうした感動を書き綴ったのが、聖書の詩篇であるし、詩篇以外にも、イザヤ書などの預言書などにも多くみられる。
この詩にはタイトルが付けられ、「祈り、ダビデの詩」とある。また、詩篇72篇は、詩篇の第2巻の最後の詩であるが、ここにも、「エッサイの子ダビデの祈りの終わり」という言葉がある。ほかにもこのような表現がある。
こうしたタイトルも、この時代の人たちが祈りと詩を一つのものとみていたのがうかがえる。
…私の唇に欺きはありません。
御前からわたしのために裁きを送り出し(2節)
あなた御自身の目をもって公平に御覧ください。
あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね (3~4節)
わたしを試されますが(*)
汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく
あなたの唇の言葉を守ります。
(*)新共同訳には、「火をもってわたしを試されますが」とあるが、原文に「火」という言葉はない。それゆえ、ほかの日本語訳にはこの語はなく、また大多数の英語訳にもない。40種類ほどの英訳のうち、2~3の訳が fire という訳語を用いているにとどまる。
1節に「わたしの唇に欺きはありません。」とあり、3節では「心を調べても汚れた思いは何一つ見られない」。そして9,11節では「あなたに逆らうものがわたしを虐げて、敵がわたしを包囲しています」とある。
これらからこの詩の作者は、何らかの激しい攻撃、打ち倒そうとする悪意、人間的な敵意の只中にさらされており、してもいないことをしたというふうに中傷、攻撃されいろいろな意味で打ち倒されそうになっているという状況に置かれているのがわかる。
自分には全く思い当たるところがないのに、激しく攻撃してくる。言葉や行いが悪かったら、批判されるのは当たり前だが、自分がやってもないことをしたというふうに言われ、攻撃されることは必ずある。その典型が主イエスであった。
このような中傷や攻撃は、愛とは正反対である。愛は覆い、よきものを注ごうという心の動きを伴うからである。
…何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。(Ⅰペテロ4の8)
このような敵意ある攻撃がなされる状態におかれ、この詩の作者は耐えがたい苦しみを覚えるようになる。
それゆえこの詩の作者は、神が私のために正しく正義をもって裁きをして下さいと懇願している。
神が私の心を調べ、夜の無意識なときにも調べようとも、私には、敵対者が攻撃してくるようなまちがった思いは何一つないという確信があった。
…あなたの唇の言葉、神の御言葉だけに従っています。
暴力の道を避けて
あなたの道をたどり
一歩一歩、揺らぐことなく進みます。(5節)
この詩の作者をとりまく、悪しき人たちの攻撃的なことに対して、作者はひたすら神のみ言葉だけに生きようとする。人の言葉がどこまで悪意があり、邪悪なものであるか、この詩の作者は徹底して思い知らされたのであった。そこから,作者は人間の言葉とまったく対照的な神の言葉に生きようとする。
そして「暴力の道を避けて」と訳されているところは、人間は悪いことを言われたりされたら、どうしても感情的になる。しかし何らかの敵対的行動とか、激しい言葉でやり返すなどの激しい対抗的な道を避け、打たれたから打ち返すのではなく、ひどい中傷を受けても神の道を一歩一歩進んでいこうとする。
このように歩いていくためには、どうしても神に叫び、祈って力を与えられる必要があるので、次のように「叫び求めますから、どうか聞いてください」という祈りがある。だれでも非常に追い詰められた状況においては、旧約聖書のヨブ記にみられるように、人間には相手の困難な状況を理解できなくて、かえって難しくなることがある。そのため、この作者は一貫して神に求めている。
… あなたを呼び求めます
神よ、わたしに答えてください。
わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
慈しみの御業を示してください。
あなたを避けどころとする人を
立ち向かう者から、右の御手をもって救ってください。
瞳のようにわたしを守り
あなたの翼の陰に隠してください。 (6~8節より)
この詩の作者は、神がどのようなお方かを深く示されていた。それは、真剣な叫び、祈りには必ず応えて下さるお方であること、さらに、あたかも自分の最も愛するもののように、少しの傷も受けないように、自分を守ってくださるという確信であった。
神は、自分を「瞳(ひとみ)のように」守って下さるお方だ、という神の愛への信頼があるからこそ、このように祈るのである。
瞳というのは、外から見えるからだの各部分のなかでとくに敏感に反応するところである。わずかの危害が及ぼうとするとただちにまぶたを閉じて守る。
神は、エジプトにおける奴隷状態と滅びの道をたどっていた民族をモーセを遣わして導き出し、人々は広大な砂漠地帯を通って奇跡的に守られて約束の地へと導かれた。
そうしたときの神の愛をこのように、「瞳のように守った」と表現している。
瞳というのはからだの中では、とくに敏感な部分だからである。
本当の愛というのは非常に敏感なところがある。愛がない人ほど鈍感で、どれだけ相手が傷つこうとも、その人を中傷しようとも何にも感じない。愛がある人ほど、あの人のためにこんなことをしたら相手のためになるだろうと、遠くても近くても敏感に感じる。
神の愛は旧約聖書の時代にも、深く知られていたことであり、申命記にも同じような表現が出てくる。
…主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分の瞳のように守られた。(申命記 32の10)
神の愛というのは、不毛の地で、死んでしまうようなところでも見つけてくださるような愛なのである。
こうした神の愛の敏感さを、詩篇は、ほかの書物と異なる独特の表現で書いている。
…あなたはわたしの歎きを数えられた。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。(詩篇五六・9)
神は、私の悲しみを一つ一つ覚えて書き記してくださり、その涙を蓄え、覚えてくださっている、そのことを神は覚えていてくださっている、ひとつひとつ数えて覚えているということを経験的に感じたからこそ、このような表現が生まれた。
そしてその神の愛を、翼の下にひなどりを招き入れる親鳥の愛にたとえている。
最近では農家であってもニワトリを家で飼育しているところは、わずかになっている。
わが家では農家ではなかったが、私がこどもの頃はニワトリをたくさん飼育していて、私も自分専用のつがいのにわとりを父からもらって、卵から孵化させ育てていたことがあるし、私のこどもたちが幼いころやはり同様に小さなちゃぼのような鶏を飼育していた。
そうしたとき、とくに印象的であったのは、親鳥がヒヨコを育てる仕方であった。放し飼いにしていると、親鳥は、餌を見つけると、自分は食べずに独特の鳴き声で周辺で餌を探していたヒヨコたちに知らせる。そうすると、ひよこたちは一斉にそこに駆け寄って餌を食べる。また走り回って疲れたりしたとき、夕暮れが近づいたりすると、親鳥は羽を広げてヒヨコたちがその羽の下にもぐり込んで眠るようにする。
それはとても愛情深い光景で、心に長く残るものである。
聖書にも、神の愛がそのようなすがたで詩の作者の心に刻まれていたのがうかがえる。
…神よ、慈しみはいかに貴いことか。
あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ、
あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの喜ばしい流れに渇きを瘉す。(詩篇36の8~9)
神は、ご自分に頼る者たちをその翼の陰に隠してくださる。
寒かったり、ネコや犬、カラスやトビなど外敵が近寄るとき、親鳥がさっと駆け寄りひよこを翼の下に入れて守ってやる。
危険や災いや災害から、自分のうちに取り込んで守ってやるという細やかさを、この作者は神の御性質としてよく表している。
このように神を知っていたからこそ、敵のただ中においても神の道をたどって一歩一歩揺らぐことなく進むことができる。
この詩の作者は、このように神の愛と守りを深く知って、その愛に頼り、叫びつつ、現在迫っている敵対者たちの動向を次のように書いている。
… あなたに逆らう者がわたしを虐げ
貪欲な敵がわたしを包囲しています。
わたしに攻め寄せ、わたしを包囲し
地に打ち倒そうとねらっています。
主よ、立ち上がってください。
あなたの剣をもって逆らう者を撃ち
わたしの魂を助け出してください。
御もとに隠れる人には
豊かに食べ物をお与えください。
わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み
目覚めるときには御姿を拝して
満ち足りることができるでしょう。 (9~15節より)
全く根拠のないことを攻撃して打ち倒そうとしている者に対して、悪の力を打ち破ってくださいと、非常にリアルな表現で述べられている。
「あなたの剣をもって逆らう者を撃ち、私を救って下さい!」このような表現を読んで、これは読む気持ちにはなれない、と思って、旧約聖書や詩篇そのものもあまり読まないというような人も多くいるようだ。
しかし、旧約聖書を読むときには、つねに新約聖書ではどう変わったのか、キリストはこうした精神をいかに変革されたのか、ということをいつも念頭においておく必要がある。
神が剣をもって逆らう者を撃つ、これをそのまま受け取るときには、戦争を肯定する主張となる。事実、歴史のなかでは聖戦としてこのような箇所が根拠のようにされてきた。
しかし、新約聖書において、復活のキリストと同じである聖霊は、使徒に次のように告げている。
…なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(エペソ 6の16~17)
このように、神の剣とは、霊の剣なのである。キリスト者においても剣を持って、悪人と戦う。しかし、その剣は目に見える剣でない。神の言葉なのである。
悪の力が私たちに限りなく迫り、理由もなく私たちを激しく攻撃し、痛めつける、悪口をいいふらす、といったことはこの世ではよく生じていることである。こどものときからこのようなことは、「いじめ」として以前から見られる。大人になっても、また老人や病気となって不自由な状態になったら、こうした言葉による攻撃、侮辱、悪口などを受ける可能性が増えていく。
そのことを考えるとき、私たちがじっさいにそのような状況におかれたときの心の状況を前もって知らせてくれているのだと受け取ることができる。
そんな目に遭うとき、だれしもそんなひどいことをする人がいなくなったらと願うであろうし、またそんな苦しみをもたらす人が病気とか事故になったら、はやく死んだらいいのに、とすら思うこともあるだろう。自然のままの人間は、何か復讐的な気持ちになっていく。
しかし、キリストが来られることによって、こうした悪には悪をもって返す、という考え方が根本的に変えられた。それは精神世界の革命的なことであった。
…「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ 5の43~44)
悪人を憎むのでなく、悪人の魂の中に入り込んで悪行をなさしめる悪そのものを憎むこと、その悪を滅ぼしてください、と祈るようにと命じられている。そうすればその悪人は善き人になるからである。
悪人を断つのでなく、悪人の内に宿っている霊的な悪そのものを断ってくださいというふうに変わっていった。
悪そのものを滅ぼしてくださいという切実な願いは、新約聖書の時代、キリストの時代となっても、ずっと続いている。主イエスが12人の弟子たちを選んだとき、最初に与えたのは何であっただろうか。
…イエスは、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。
(マルコ 3の14~15)
悪の霊を追いだすことが、このように、宣教と並べて言われている。
「御国がきますように」という主の祈りは、まさに人間の中から、またその人間の集団である家庭や社会、国に神の王としての御支配がなされ、そこから悪の霊、悪の力が追いだされるように、という祈りにほかならない。御国(バシレイア)とは、「王(バシレウス)としての御支配」という意味を持っているからである。
ある人の言動のなかに、敵意や憎しみが満ちているとき、どうかそれらのもとになっている、悪を取り除いてくださいというのが、キリストの愛からきた心である。
…御もとに隠れる人には
豊かに食べ物をお与えください。
わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み
目覚めるときには御姿を拝して
満ち足りることができるでしょう。 (14~15節より)
この詩の終わりに、作者は、神の愛に信頼して、御許に隠れる人には豊かな食べ物を与えられますようにと祈っている。
このように、神からの豊かな恵みを食物あるいは飲み物であらわすことがしばしばある。
神の約束の地、そのことを、「乳と蜜の流れる地」と表した。現代ではミルクや蜂蜜などはありふれたもので、どこにでも安価に売っている。それゆえに乳と蜜が流れる地などといっても心を惹くものではない。
しかし、数千年昔の時代には、ミルクはその豊かな栄養バランスのゆえに人間を支える重要な飲み物であり、蜂蜜はパレスチナのように雨がごく少なく、植物も少ししか生えないような地方ではきわめて貴重な食物で、単に甘いものといった感覚的な点だけでなく、その成分がブドウ糖と果糖であるから、食べるとすぐにエネルギーのもとになり、力となるから、薬用としても用いられた。
神の恵みはそのように、霊的な栄養となり、力となり、しかも心をうるおし喜ばしいものということを食物あるいは飲み物で表現したと言える。
詩篇のなかで最も有名かつ愛されている23篇においても、神からのゆたかな恵みを、「私を苦しめる者を前にしても、あなたは私に食卓を整えて下さる。わたしの杯を溢れさせて下さる」と、食事や飲み物という表現を用いている。
…わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み(*)
目覚めるときには御姿を拝して
満ち足りることができる。
(15節)
(*)「正しさを認められ…」と訳された箇所は、原文のヘブル語では、「正義にあって…」であるから、英訳で原文に忠実に訳されたものでは、 I will behold thy face in righteousness.(KJVなど) と訳している。
神によって正しいとされる、そして本来は決して見ることのできない神のみ顔を仰ぐことができるということ、これは今から二千五百年ほども昔に書かれた詩であるが、それでも、なお、いつの時代においてもー現代においてもー人間がが最も必要としていることを深く見抜いていた。
神をただ信じるだけ、義とされる(正しいとされる)、それによって主をいっそうはっきりと仰ぐことができる。
これはまさに啓示であった。神から直接に示されたがゆえに、そのような永遠のテーマがありありと見えたのである。
旧約聖書の時代は死後に目覚める(復活する)というのは、まだはっきりとした啓示は与えられていなかった。しかしこの詩の最後の節は、新約聖書の時代になって初めて明確に示される復活のことを指し示している。
私たちの復活のとき、それこそ究極的な霊的な目覚めであるが、そのときに、御姿をはっきり拝して満たされるという意味が感じられる。
…わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(Ⅰコリント 13の12)
日々、朝の目覚めのたびに主の御姿を拝し、霊的に満たされて新しい一日を始める。これは、最終的な復活のときだけでなく、毎日がこのようであればと願われる。
この世のさまざまの悪に対して、神の愛にすがる。神の愛がなければ、激しい攻撃であればあるほど、心もからだも壊れてしまうであろう。
そうならないようにしてくださるのが、神の愛の認識なのである。神から正しいのだと認めて下さるのを実感しつつ、神を見るという旧約聖書の世界ではあり得なかった大いなる恵みを受けることが預言のように記されている。
このように二つの大きな力、すなわちこの世の壊してしまう力と、守り育て導いてくださる二つの力があり、私たちはただあくまで神を信じ続け、祈り続けるとき、神の力のもとで最終的には満ち足りるようにして下さるのである。
ベアトリーチェとの再会、その導き 煉獄篇 第30歌
この30歌のはじめの部分では、その前の29歌に現れた、キリストや主を信じる人たちの集まり(教会)、そして旧約聖書や新約聖書を象徴する動物や車、長老たちなどが一つとなって動いていく霊的な内容をたたえた行列の記述が続いている。
その列がとまり、そこにベアトリーチェが現れる。
その記述がはじまる前、第30歌の冒頭に、次のように記されている。
…沈むこともなく、昇ることもなく、人間の犯す罪以外には、霧におおわれることもない、最も高き天(至高天、第一の天とも)にある七つの星(神の霊)はそれに含まれる北極星が船の舵を取るものを導いていくように、人にみずからの果たすべき任務を自覚させる。…(1~6行)
七つの燭台が、行列を導いていたがそれが止まるとほかのものもみな止まる。その様子は、地上の世界での7つの星(北極星を含む小熊座の7つの星)が船乗りを導くようだ、というのである。
七つの燭台は、燃える炎が後に長く目には届かないほどかなたへとたなびいていた。その七つの炎は神の霊を表すものであり、最も高い天にあるが、それがこの地上天国にあらわれた燭台のともしびとして現れた。それは神の霊であり、神の光であるゆえに、いかなるものも曇らせることはできない。
それは神の霊であるからこそ、ダンテに見えた地上天国の行列の人たちにもなすべきことを示し、また聖なる霊こそが、人間になすべきことを深く自覚させるという一般的な意味もかさねて表している。
これは、主イエスが次のように言われたことをダンテ自身も経験してきたからであろう。
…父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネ 14の26)
それと同じように、この煉獄の地上楽園における七つの燭台がその行列の動きを導いている。
七つの燭台は、そのともしびが、はるか遠くまでたなびいていた。その燭台とともに、旧約聖書を表す24人の長老や、新約聖書を表す人々、そしてキリストを象徴的に表している頭部はワシ、胴体はライオンの特異な動物(グリフィンという名)、そしてその動物がひいている車はエクレシア(教会)を表している。
その七つの燭台が停止すると、伴われていた二十四人の長老が、車のほうに向き直った。その車とは、キリストをあらわすグリフィンに牽かれているもので、信徒の集まりである教会を表している。
その長老たちは、旧約聖書を象徴しており、キリストに導かれる真の教会へと向き直った。それは、「平和の出現を待つがごとく」であった。 旧約聖書とは、キリストを証言し、同時にキリストを待ち望むものだということがこのような記述で表されている。
旧約聖書は、キリストの平和を待ち望み、目指していると言おうとしているのである。
そのとき、その24人の長老の一人、旧約聖書の「雅歌」を表す者が、次のように言った。
…そのうちの一人が、天から遣わされた者のように
「来たれ、花嫁!レバノンより」(雅歌 4の8)
と声をはりあげ、三たび繰り返し歌った。(*)(9~12行)
(*)とくに、三回繰り返したと記されているのは、この箇所のラテン語訳では、次のように 「来れ(veni)」が三回繰り返し用いられているからである。
veni de Libano sponsa veni de Libano veni coronaberis de capite…
原文のヘブル語では「来れ」を表す語は一度だけ用いられているが、意味をわかりやすくするためにラテン語訳だけでなく、英訳なども三度訳語として用いられていることが多い。
重要な言葉を、聖なる賛美にのせて三度繰り返し歌うこと、これは聖書にも現れる。(*)
(*)…彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」(イザヤ 6の3)
この三回という繰り返しは、三という数字が完全数であり、天使たちの賛美、神をたたえる賛美は完全な内容を持っていたというニュアンスがある。
そのゆえに、聖書の最後に現れる黙示録においても、天上の礼拝の光景にも、これに似た賛美が現れる。
…彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録 4の8)
雅歌からの引用である「来れ、花嫁!」という言葉だけをみても何のためにこのような言葉が突然出てくるのか不明である。 雅歌というのは、旧約聖書のなかでも特異なもので、もともとは恋愛歌であったものであるが、それが神と人間との愛を象徴的に表すと受け止められて、信仰の歌として受け継がれるようになった。そのゆえに、旧約聖書のなかにも組み込まれたのであった。
それは、旧約聖書の時代だけでなく、キリスト以降の時代にあっても、やはり神(キリスト)と信じる人との愛を表す文書だとして受け取られてきた。
ここでは、この聖なる行列に現れたベアトリーチェを指して言われている。そしてそのベアトリーチェは、神の英知そのものであるキリストをも暗示している。
ベアトリーチェが、来れとの繰り返し呼び求める声に応えるかたちで現れる。それは、旧約聖書の長い時代を一貫してメシアを待ち望み、「救い主よ来れ!」との願いを持ち続けてきたその声にメシアなるキリストが現れたことをも暗示するものとなっている。
…最後の審判の日に、ラッパが奏されると祝福された人々は
すばやく次々と
ハレルヤ!を歌いつつ、起き上がるが
そのさまもかくやとばかりに、神の車の上に、
永遠の命に仕え、その使いを勤めとする
百余の天使が長老の声に和して起き上がった。
「祝福あれ、来たる者に!」と人々は歓呼しつつ
また、上へ周辺へと一面に花をまき散らして、高らかに言った。
「われに与えよ、おお、手に満つるばかりの百合の花を!」 (13~21より)
この「来れ!」との叫びによって、雅歌以外の残りの旧約聖書の23書を表す長老たちがいっせいに歌った。
そうすると、その声に従って、百人ほどの天使が、行列の車の上に 起き上がった。
こうした一連の描写は、キリストの到来による復活という新しい出来事をも指し示すものである。
地獄から煉獄に至る長い旅路を導いてきたウェルギリウスといよいよ別れるときとなったゆえに、この言葉を用いた。
この「われに与えよ、手に満つるばかりの百合の花を!」という言葉は、ダンテの導き手となったウェルギリウスのアエネイス(*)にある一節から引用している。それは、19歳 という若さで死した若き友のために、深い悲しみをもって歌われた歌のなかにある言葉である。
(*)『アエネーイス』第6巻868~70より。この作品は古代ローマの詩人ウェルギリウス作のトロイア滅亡後の英雄アエネアス(Aeneas)の遍歴を描いた叙事詩。ウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされる。この作品の完成にウェルギリウスは10年を費やした。
ここでダンテがこの歌を引用したのは、友の死による永別の悲しみの歌を、ウェルギリウスとの別れへと向けて引用したのであるが、それはまた、ダンテのウェルギリウスへの深い敬意を別れのときに表すものともなった。
それと同時に、古きウェルギリウスの世界は死者からの復活を知らなかったのであるが、キリストによる新しい世界こそは、死にうち勝つ復活をもたらすものであり、その勝利を百合の花によって象徴的に表したのである。百合の花こそは、新しい命、復活の命のシンボルとされてきたからである。
そして、神の英知、神の愛、さらにはそれらをすべて兼ね備えたキリストをも暗示するベアトリーチェを迎える時であるゆえ、それを歓迎する意味も兼ねている。そのような意味をたたえて、百合が一面に撒かれたのである。
さらに、この花を一面に撒くという行動は、キリストがそこで最後を迎えるためにエルサレムに入っていくときに、群衆が、手に手にナツメヤシの葉を持って、イエスを歓迎したこととも関係付けられている。
…その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、
なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ12の12~13)
このナツメヤシに相当するものが、この煉獄篇の場面では百合の花なのである。
このように、この場面は、ウェルギリウスへの敬意、キリスト以前の古き世界への決別、そしてキリストによる新たな世界の到来をも暗示する深い意味をたたえたものとなっている。
キリスト教の世界とは、このように、いわば百合の花によって一面に満ちているような世界なのである。復活の力、死の力にうち勝つ唯一の力であるキリスト、その霊が満ちている中へと私たちは招かれているといえよう。
…天使たちの手から投げあげられ、ふたたび車の内外に降りてきた百合の花の雲の中から、
一人の女性が現れた。
それは、白い面紗(おもぎぬ)(*)をまとい、
オリーブの冠をつけ、緑の上着を身につけ、
その下には燃えるような炎の色の衣をまとっていた。(31~33行)
(*)頭にかぶる ひろく目のすいた薄い織物。
ここで現れたのが、ベアトリーチェであった。ベアトリーチェはすでに述べたような神の英知や愛、そしてそれらの完全な実現であるキリストなど、さまざまの意味を含んだ存在であるが、ここではさらに次のような意味を持っている。
純白の面紗、それは信仰を表し、オリーブは英知を表す。ベアトリーチェはまた神の英知の象徴でもある。緑の上着と冠のオリーブはともに緑であり、希望を表している。また、内にまとう燃える炎の色の服とは、神の愛を表す。
ここにおいても、ベアトリーチェは、人間にとって最も重要な、信仰、希望、そして愛を兼ね備えた存在として現れたのである。
煉獄の歩みにより、罪が消されて清めを受けたダンテは、この三つを兼ね備える存在に出会いつつ導かれていくことになるが、それは私たちにおいても同様である。
この三つの色は、ベアトリーチェに先立って現れていた聖なる行列にもみられたものである。
白い衣をまとい、百合の花をもった旧約聖書を表す24人の長老(29歌の64行~)、四福音書を表す四頭の霊的な動物たちが緑の冠をいただいていたこと(29歌92行)、さらに別の7名(パウロ、ペテロなど聖書記者を表す)は、頭の部分に赤く燃えるような色のバラの花を挿していたとある。
また、行列のそばで舞いながら進んできた3人の天使たちがいるが、その一人は、火のように赤く、もう一人は緑玉のような緑、第三の天女は、雪のように白かった。
このように、この地上楽園における聖なる行列のキーとなっている色調がこの白、緑、赤なのである。
十字架によってキリストは自分の罪をになって死んでくださったと信じたときから私たちは古き自分に死したと言えるから、罪の汚れが清められた白がそれを表す。信仰によって義とされる、とはそういう意味をも含んでいる。
そしてそこから、この世のあらゆることがあってもなお屈しない強力な希望が生まれ、それは死という最大の力を持っているとみなされていたものにも勝利するという希望を与えられることになった。
そして、信仰と希望は、神の愛によって導かれ、その愛を受けてキリストに近いものとされていく。そして最終的にこの世を去ったときには、愛そのものであるキリストに似たものとされていくと約束されている。
このように、これら三つのものが常に私たちに与えられる新たな生がはじまる。これはまたキリストによって新たに生き返った者の持つ特性なのである。
ベアトリーチェが現れたとき、まだ彼女は、雲のごとき一面の花々に包まれていたために、はっきりとはダンテには見えなかった。
…そのひとの前に出ると、畏敬のあまりふるえ、くずおれるほどであったが、
それから長い歳月を経ていた。
この地上楽園にて、その長き空白の後に再会したのであるが
わが目で直接に(それがベアトリーチェであると)確かめたわけではないけれども、
その淑女から発する神秘の力に動かされて
昔と変わらぬ愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた。
まだ、幼かったころ
はや私の心を射抜いた尊い力が
今また私の目を射た。(33~40行)
ダンテは、まだ幼少のころ(9歳)、ベアトリーチェに出会った。子供であったにもかかわらず、ダンテは生涯忘れがたい強い印象を受けた。そしてダンテは、その気高きベアトリーチェの人格と愛に導かれたゆえに、当時の汚れた人間の影響に巻き込まれることなく、歩んでいくことができたというほどであった。(地獄篇2の105)
そのベアトリーチェが、百合の花が雲のように撒かれたなかを近づいてきた。取り巻く花の雲のゆえにまだ顔かたちも見えないうちから、ダンテは彼女の神秘な力に動かされた。それは全身の血がふるえ動くほどであった。
このように、天来の女性であるベアトリーチェの愛は、ダンテの魂の最も深いところから動かすものであり、その彼女の愛は神に由来する。ダンテは、愛こそが万物を動かす根源的な力であり、天体も神の愛が動かすと書いているが、そのような絶大な力を生き生きと実感していたのがうかがえる。
そして彼の政治的活動や哲学、神学、文学といった多方面の活動もその愛に動かされてなされたものであったのである。そして長く暗い恐ろしい闇を経て、その神の愛によって導かれていった記録が神曲であると言える。
神曲というキリスト教文学の最高の作品を作らしめたのは、彼の不屈の信仰、希望、そして神の愛、その象徴としてのベアトリーチェの愛なのであった。
ダンテが、彼女の強い力を受けて、かたわらを振り向くと、すでにそこにはウェルギリウスの姿はなかった。地獄、煉獄と長くダンテを導いた理性の象徴であるウェルギリウスの役目は終わったからである。
それ以後は、直接神の愛、神の英知によって、その象徴たるベアトリーチェに導かれることになる。
その導きを受ける前に、彼女は、ダンテに厳しく問いかける。
長く自分を導いたウェルギリウスがいなくなったのをダンテが深く嘆き悲しむが、ベアトリーチェは言った。
…ダンテ、泣いてはなりませぬ。ウェルギリウスが
立ち去ろうとも、まだ泣いてはなりませぬ。
おまえは、ほかの剣になお泣かねばならない身の上なのです。(55~57行)
ようやくその姿が見えてきたベアトリーチェは、厳しい王女のような風格があった。彼女はダンテに問い詰めて言う。なぜ、お前はこの清められた場所に来る資格もないのに、ここにいるのかと。
「ほかの剣」とは、ベアトリーチェの鋭い言葉を意味する。
ダンテも罪深き者であったがゆえに、このような鋭い剣でその魂を刺されねばならないのである。魂を刺されるような痛みがなければ、人は真の悔い改めができないからである。
そのように詰問されてダンテはすぐそばを流れているレーテの川に目を落とした。そこに映った自分の表情には、ありありと恥の表情が浮かんで見えたゆえに、すぐに近くの草むらに目を転じた。
それは、このレーテの川には、過去の自分の罪深いすがたが写って見えたのである。その水を飲むまではその罪深い過去の記憶はずっと留まるのであった。
現在の私達にとって、このレーテの川の水を飲むとは、十字架のキリストを真実な感謝の思いをもって信じることに相当するといえる。十字架の血が私たちを清める、あらゆる罪の汚れをぬぐい去るからである。(*)
(*)讃美歌にもこのことを歌ったのがいろいろとある。 例えば
、…十字架の血に きよめぬれば 「来よ」との御声を われは聞けり…(讃美歌515番)
ダンテはベアトリーチェによる厳しい言葉をきいたが、厳しい慈愛の心には、いつも苦い味がすると記している。
このとき、天使たちが、賛美を歌った。
…「主よ、わが望みはなんじの内にあり」を歌ったが、「わが足…」より先は歌わなかった。 (82~84行)
これは、詩篇30篇を歌ったのであるが、なぜ、「わが足は…」までしか歌わなかったのかを知るために、この詩篇の内容を見てみよう。
… 主よ、御もとに身を寄せます。
恵みの御業によってわたしを助けてください。
あなたの耳をわたしに傾け
急いでわたしを救い出してください。…
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。…
わたしは主に、信頼します。…
あなたはわたしの苦しみを御覧になり
わたしの魂の悩みを知ってくださいました。
わたしを敵の手に渡すことなく
わたしの足を、広い所に立たせてくださいました。(詩篇31の2~9より)
ベアトリーチェが、どうしてダンテはこの煉獄の頂上にある地上天国まで来ることができたのか、を問うたとき、ダンテに代わって天使たちが、詩篇31篇の賛美をもって答えたのであった。それは、ダンテがこの詩にあるように、主に信頼し、主に自分の霊(全存在)を委ねたゆえだという内容である。
ダンテは、この引用した最後の行にあるように、今や、地獄や煉獄の狭く、困難な場所からこの地上楽園の広やかな場所、神による自由の満ちた場所に来ることができたのである。
なぜ、「わが足を広いところに立たせてくださった。」から先を歌わなかったのか。それは、この詩篇のあとには、「主よ憐れんで下さい。私は苦しんでいます。目も魂も苦悩のゆえに衰えています…」と、苦しい状態におかれた記述が続くからである。
もはやダンテはそうした苦しみから解放されたゆえに、この後は歌わなかったのである。
ダンテは、自分の過去の罪が厳しく指摘されるのを、ベアトリーチェの言葉によって直感した。それゆえに、彼の心も恥と恐れのために固くなり、涙も出ず、ため息も出てこないほどであった。
それは、イタリア北部の山脈にある高山に降り積もる雪は東北から吹いてくる冷たい風のために、凍りついてしまう。しかしそれも、「影のなくなる地域(赤道付近)」から吹きつける熱い風によって、たちまち火がろうそくのロウを溶かすように、心に固まっていたものが、激しい息となり、涙となってあふれ出てきた。
そのようにダンテの心を溶かして、言葉が出せるようになったのは、天使たちの先にあげた歌声であり、そのなかでダンテの心を代弁するような内容の歌が聞こえてきたからであった。
このような表現のなかに、ダンテが賛美という音楽によって重要な影響をその魂に受けていたのを感じることができる。
旧約聖書の時代から、賛美はきわめて重要な役割を果たしてきた。それは、このように魂を温め、固い部分を溶かしだす力を持っているからである。
たしかに、現代の私たちにおいても、神への賛美は、自分の罪ゆえに固くなった心、感動もしなくなった心を動かして柔らかくする力を持っている。それは賛美とともに、聖なる霊が伴って注がれるからである。
そのとき、ベアトリーチェがダンテのことを天使たちに述べたが、それは若きときからのダンテの歩み、罪の本質を告げる内容であった。
…この者は、神の大いなる恵みを雨のように浴び
青春の大いなる可能性に恵まれました。
彼のすぐれた素質は、ことごとく
立派な驚嘆すべき行為に現れることが期待されていた。
しかし、土壌の力が盛んであればあるだけ、
耕さずに放置して悪い種をはびこらせると
悪しき草がはびこり、荒れすさぶものです。
一時は私が私の表情で彼を支えました。
私の若々しい目を彼に向けて
私は彼を導いて、真っ直ぐな道(神への道)を進んだのです。
しかし、私は25歳のころこの世を去りましたが、
彼はたちまち私から身を引いて、私以外の人々のもとに行ったのです。
私が目に見えるからだを離れ、霊となって天に上り、
美も徳も私のうちに増してきたとき、
彼は、私をもはや愛することなく、喜びともせず、
ついに真実ではない道に足を踏み入れ、
善の虚像を追いかけて正しい道を捨てたのです。(113~132行)
この箇所は、ダンテが若きころからどのような経過を経て、神への道から離れていったかを記す貴重なものとなっている。ダンテは神曲のほかにも「新生」や哲学書などいろいろ著書があるが、このような内容はほかには見られないという。
ダンテ自身、非常な才能を神から与えられていたのを自覚していた。そして9歳という若き日にベアトリーチェとの出会いがあり、神の愛や真理、清い世界の象徴として魂に深く刻まれ、そこから新たな歩みがはじまった。
それは、ベアトリーチェに表された神の愛が彼を導いていたからであった。
しかし、ベアトリーチェが若くして世を去ってからは、ダンテはたちまちその優れた才能を神のために用いるのでなく、「ほかの人々のもと」という象徴的表現で言われている政治的闘争やこの世の地位、学問など、自分の才能や力に頼り、自らの意志によって歩んでいくという方向へと転じてしまったのである。
ここにも、適切な導きがなければ、いかに優れた天賦の才能があってもまちがった方向に行ってしまうということを、ベアトリーチェが述べているが、それはダンテ自身の深い経験なのであった。
このダンテの迷い込んだ状況は神曲の冒頭に記されている。それほどこの経験は彼にとって離れることのできないものであった。
人生の道の半ばで
正しき道をふみはずしたが
目を覚ましたときは暗い森のなかにいた。
その苛烈で荒涼とした峻厳な森が
いかなるものであったか、思いだすだけでも
恐れをあらたにし、
死の苦しみにも劣らないほどの苦しみであった。…(地獄篇第一歌1~9)
神曲それ自体が、人生の暗く、恐ろしい森に迷い込んだダンテが、導きによらなければ決して正しい道、神への道は歩めないということを痛切に体験したゆえに、大いなる導きを受けて歩む記録なのである。
ベアトリーチェは、さらに言う。
…私は夢やまぼろしのなかに現れて、彼を呼び戻すために
神に霊感を乞いましたが、無駄でした。
この者は振り向こうともしなかったのです。
深く堕ちていったゆえに 救いの手だては
自らの罪ゆえに破滅した人間を見せるよりほかに
もはやなかった。
それゆえに私は死者の門(地獄)へと降り
今しがた彼をこのところまで導いたかの人(ウェルギリウス)に涙ながらにお願いしたのです。
もしも彼が悔い改めの涙を流してつぐないをなさずに、
このレーテの川を渡り、その水を飲むとすれば
神の尊い摂理は破られたことになりましょう。(133~145行)
ダンテは、生涯をふりかえって、自分が唯一の真実な道に背を向けた後も、ベアトリーチェに象徴される神の愛が自分に語りかけ、正道に引き戻そうとしているのを感じつつも、それらを振り切り、この世のことに力を注ぎ込むようになっていったのを、このような表現で記している。
これはまた誰もがこのダンテがベアトリーチェの言葉に託して記していることを経験してきたと言えるだろう。
使徒パウロにおいても、ユダヤ人として恵まれた教育を受けて、神の律法のために生きていると思い込んでいたが、じつはその神の独り子なるキリストを信じるキリスト教徒を迫害し続けるという大きな誤りの道を走っていた。
だが、その途中で、ステファノの殉教をまのあたりにしていた。目の前で真実なキリスト者がどんなひどい暴行を受けてもなお、恨むことも敵意を表すこともなくただ天に向かって周囲の人たちの罪の赦しを願いつつ息を引き取ったような状況に接していたのである。
それは、パウロを正道に引き戻そうとする神の呼びかけであったが、それにもパウロは振り向かず、迫害をさらに厳しくし、ユダヤの国外までも遠くキリスト者を追っていったほどであった。
そして彼は、突然に天来の光を受けた。闇のなかに光あれ!と神が言われたとき、光が瞬時にして生じたように、パウロのなかに復活のキリストが与えられ、そのキリスト、聖なる霊がパウロを導くものとなった。
ダンテにおいても、天のベアトリーチェがとくに依頼したウェルギリウスが地獄、煉獄を導き、煉獄の最後の場面からはベアトリーチェその人がダンテを導いていく。
この重要な第30歌の最後の行は、原文では「…悔い改め、涙を流す」という言葉で終わっている。(*)
(*)… sanza alcuno scotto
di pentimento che lagrime spanda.(pentimento 悔い改め、lagrime 涙 spanda 流す、落とす)
ダンテは煉獄の山を歩み、登ってきた。それによって罪は清められた。しかしなお、悔い改めの涙を流すほどの痛みを感じずしては、完全に罪の記憶を消し去られるということはできない、と言おうとしているのである。
悔い改めの涙の深い意味、それはすでに聖書において記されている。キリストの第一の弟子であったペテロは、命を失うようなことがあってもキリストに従っていく、と明言していたにもかかわらず、主が捕らわれていくと逃げ出し、女中からイエスと一緒にいた者だと指摘されると、イエスなど知らないと激しく否定したが、それが三度も続いた。
そのように自分で自分の深い罪を知らずに、自分の考え中心として生きていることを思い知らされ、主イエスへの重い罪を犯したことを深く知らされることになった。
そのとき、イエスからの深いまなざし、すべてを見抜いたうえで、すべての罪を赦すその愛のまなざしを受けて、ペテロは激しく泣いたと記されている。
その涙こそは、ここでダンテが書いているように、真実な悔い改めの象徴として記されているのである。
罪ふかき人間が、そのあらゆる罪を清められ、その痕跡をも消されるほどに赦しを受ける、それに至る道は、真実な悔い改めなのである。主イエスが、天で最も大いなる喜びとは何かということをわかりやすいたとえでのべている。
…悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない(と思い込んでいる)九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
「銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。
そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ福音書15の7~10より)
神が最もよろこばれるのは、人の立派な活動や努力、また勇敢な行動ではない。
心の方向転換、神への真実な悔い改めなのである。
ダンテは深い悔い改めの後に、さらにより高きへと導かれていく。
ネットカンニング、盗みを克服するために
京大の入試で、インターネットを用いて試験中に問い合わせサイトに投稿してカンニングをしたということが、全国紙の第一面トップ記事として載っていた。こんなことが日本全体で読まれる新聞の第一の重要なニュースと位置づけられたことがまず意外であった。
これは、携帯電話やインターネット、パソコンなどが、メールや ツイッター、Youtube その他によって、国家の体制を打倒することにつながったり、国際政治にさえ大きな影響を及ぼすようになってきたから、こうした問題にマスコミも一般の人々も敏感になり、そしてちょうど入試のさなかであったためにいっそう大きく取り上げられたのであろう。
携帯電話で試験問題を入力して、試験中に投稿したというが、そのように携帯電話やインターネットを使いこなせる能力があっても、そのような行為が恥ずべきことだという直感すらなかったことに驚かされる。彼は、スポーツでもバスケット部長をしていたとか、勉強をしてもスポーツをしても、カンニングをしないという英知や力は身につかなかった。
私はテスト中に、同級生がカンニングをしているところを一度だけ見たことがある。
大学の二年の物理学の後期テストのときであった。
私が解答を終えて制限時間よりはやく室外に出ようとしたとき、最後部の学生が二人紙切れに書いたものを見て書いていたのをちらと見た。彼らは、当時激しかった学生運動に関わっていた学生であり、ときの政治問題についてよく議論したことがある。
そうした人がそのようなことをしていたのを見たので、そんなことをする者がいるとは考えたこともなかったから、とても驚いて今だにその場面が浮かんでくる。
そんな卑怯なことをして、どうして平和がどうのとかベトナム戦争、日米安保など議論できるのか、とたちまち彼らに不信感を抱いた。
カンニングとは、試験のとき、必要な勉学をするという正しい道を取らず、楽をして自分が目的とする成績をあげようとすることで、一種の盗みである。不正な方法で知識やよい成績を盗みとることである。
最近問題になっている大相撲の八百長、これも不正な方法で勝負を盗もうとすることである。
盗みという視点から見るとき、これはテストのときだけの問題でない。正しい道をとらず、安易な道、不正な道をとろうとするということは、人間の生活に常につきまとう。不正な道は楽である。多くの人がそちらの方を取ろうとする。
政治の世界では、不正な方法で選挙民の支持を盗み取ろうとしたり、権力によって不当な利益を奪い取ろうとすること、また経済活動においても、談合や独占など公正とは言えない方法で利益をあげようとし、発展途上国にて、たくみに働きかけて彼らから利益を奪い取ろうとすることはよくある。
このようなことは、宗教の世界でも古い時代から現代に至るまで、よくあることで、すでに主イエスは、当時のユダヤ人の宗教の中心であった神殿が、金儲けの場として用いられているのを厳しく指摘した。
…それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。
「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」 (ルカ19の45~46)
主イエスは、神殿での商売をも強盗だと言われたのには驚かされる。これはとくに神殿は祈りの場であり、神との霊的交流という重要なところであるのに、それを利用して商売の場としている発想を盗みだとされたのである。本来そこは商売などを考えるべきところでなく、不当な方法で利益をえようとしているからであった。
今回のようなカンニングそれ自体は、小さなことであって、大学側がきちんと監督していれば生じなかったことである。しかし、それとともに学生の側においても、安易に不正な道に入り込もうとする弱さを露呈したことになった。
他者から不当な方法で得ようとすること、それはこうしたカンニングなどの小さなことでなく、はるかに大規模で行われることがある。
アフリカの黒人が拉致され、奴隷としてアメリカに送られていったこと、これは人間を盗み取り、彼らの平和な家庭や生活を奪い取ったことであるし、ヨーロッパの国々がアフリカ侵略をして植民地としたり、日本が朝鮮を併合したり、中国へ侵略したことなど、みな現地人の国土や人間、産業、利益を、現地人を苦しめ、不正な方法で奪っていったことである。
ことに、そうした盗みが大量の人命を奪いつつなされることが、戦争である。国土や人間の命をも大量に盗み取ることだからである。
このようなことを考えるなら、今から三千年以上も昔に言われた、神の言葉「盗んではならない」という十戒の言葉の重要性が浮かびあがってくる。
このようなさまざまの盗みをせずともよい道とは、自分が欠けていることを他者のものをもって埋め合わせようとするのでなく、正しい道で得ようとすることが多いほど盗みはなくなる。それこそ、人間を超えた存在からよきものを受けることである。
そのことが、キリスト信仰であり、そこから与えられる恵みである。ヨハネがその福音書の最初の部分で次のように言っているのは、私たちが心から満たされ、盗みなどをしないような根本的な道を示すものである。
…わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。(ヨハネ 1の16)
満ち満ちているもの、もし私たちがそれを与えられるなら、正しいことを知る英知や、そこに踏みとどまる力をも与えられることになる。
これこそ、カンニングといったテストの期間だけ問題となることでなく、この世界に蔓延している不正な道を歩かず、 道は狭くとも、永遠の命に至る道を歩くことを可能としてくれる道である。
主イエスが、「私は道である」と言われたことは、こうしたすべてを見抜いた神の英知から言われた言葉であり、現代の私たちにそのままあてはまることなのである。
ことば
(343)健康な生活
この世の中で、最も健康な生活は、清い心とすぐれた考えを持ち、たえず有益なはたらきをしながら、単純な生活を送ることである。
ほかのどんな健康維持法も、効果の点でこれに及ぶものはない。老齢によって衰える場合でさえ、いぜんとして絶えず増していく霊的な力は、その老年をもほとんど気付かないうちに越えて、ついに新しい生命に入るまで、ひとを高めていくのである。
(ヒルティ著「幸福論」第3部175~176頁。岩波文庫)
・私自身、清い心やよき考え方、これは聖書に導かれるとき、初めて本当の意味で知らされた。単純な生き方、これも神を信じ、過去現在の罪の赦しを与えられ、未来を主に委ねるという神を中心にした生活こそ、真の意味で単純な生活となる。
(344)聖霊によって
「これが主の言葉である。
ー武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって。」 (ゼカリヤ書4の6)
政権によらず、武力によらず、ただ神の霊による。教会によらず、神学によらず、ただ神の聖霊による。
私の武器はただこれだけである。私はこれにより、自分に勝ち、世に勝ち、ついに死に勝ちたいと願う。(内村鑑三 「聖書之研究」1905年9月)
・聖なる霊が与えられるとき、私たちはどのような苦難にも耐えられるであろう。またこの世で評価されずとも、孤独であっても、そして、真に価値あるものを見抜き、神の国のために前進していくためにも、ただ聖霊を与えられたいと願う。
(345)愛しあっている人たちは、ゆるし合うことによって生きている。(「愛についての100の言葉」26頁)
・主イエスは最も深い愛を私たちに注いで下さった。それは赦しの愛であったことを思う。
真に愛しあっている関係とは、互いにゆるしあう関係なのである。敵を愛するということも、敵のために祈ること、赦すことであり、相手に神からのよきものが注がれることを願うことである。
編集だより
来信から
以前の「いのちの水」誌や1月発行の「野の花」文集などについての来信の一部です。
○「いのちの水」誌11月号を読み始めました。晩秋ー本当の新しさを求めてー神への信頼と信仰ー主は待っていて下さるーまで、まるで一つの文を読むような気持ちで、一気に読みました。
季節も、世界も、アブラハムも詩篇もイエスも黙示録も一つにつながっていると思いました。
書いてあることが、何の無理もなく入ってきました。
こんな経験はめずらしいです。
昨年8月号(「いのちの水」誌)を友人から送られて来て、「聖霊ー生きた水」について読んだときから、私の中に生きた水が流れだしたような気がします。
この感動を伝えたくて思わずペンをとりました。…(近畿の方)
○「野の花」について
創造主を見上げて、自分を飾らず、誇らず、咲いている花から、確かにキリストの香りが漂ってきて、清められています。
高齢の方々、病気・障害を抱えた方々が積極的に投稿されたということで、励まされています。
「弱いところに働きたもう」主のご臨在を思います。年々、花の数が増え、「天の国の花園」の型になっているように思えます。
「上手に、格調高い文を書こう」と思う心を打ち砕いて、素直に、祈りの心で神様に捧げる文章で良しとされる「野の花」だから、毎年書けるのです。自分の文章を見せるのが恥ずかしいと思えば伝道になりません。人がどう評価するかなどと考えたら、書かない方がよいのです。
神様の御用に用いられるように、発行されたのですから、活用の際に祈ってお渡ししています。「水の上の」パンとして。(関東地方の方)
○以前の徳島聖書キリスト集会での夕拝の録音CDを聞いて。
…フィリピ書1章18~30の「生きることとは何か」の内容のなかで、①「あなた方の祈りと」②イエス・キリストの霊の助けによってこのことが私の救いとなると知っているからです。
パウロ自身の救いになることとして、この二つを並べている。共同体の祈りが大切であることを解きあかしてくださっています。
エクレシア(集会)の重要性は何度となく学び、また、自分でもつとめて集会などに参加しようと思いつつ過ごしてきました。
しかし、この聖句の解きあかしは初めて聞いたことに思えます。新鮮な感動を覚えました。(東北地方の方)
お知らせと報告
○浦和キリスト集会20周年 記念礼拝
関根義夫氏が責任者である、浦和キリスト集会が起こされてから二十年になるとのことです。その記念礼拝で、私はみ言葉を語らせていただくことになりました。主題「神の愛ー闇と混沌のなかで」
その特別礼拝が主によって祝福され、日頃集会に参加できていない方々、初めての方々なども参加でき、一人一人が聖なる霊を与えられ、み言葉の力を受け、相互の主にある交流がなされますようにと祈っています。
・日時…2011年4月3日(日)午前10時~11時半。昼食の後、「会食、歓談の時」と続き、午後2時半ころ解散の予定。この日の昼食は各自持参。
・場所…「さいたま市民会館うらわ」の会議室(5階 505 集会室)にて。JR京浜東北線「浦和」駅西口下車徒歩7分。道路をはさんでロイヤルパインズホテルと真向かいの建物。
・申し込み先…関根義夫(〒330-0072 さいたま市浦和区領家 3-10-11-202 電話 048-886-8400)
E-mail…seky@jcom.home.ne.jp
・なお、前日の4月2日(土)午後6時~8時には、夕食会が、同じ会館の6階 605 集会室にて行われるとのことで、夕食実費。この申込は、栗原庸夫氏宛てに。電話048-643-5367。
○登戸学寮(*)の学生たちの訪問
・2月26日(土)~28日(月)の三日間、神奈川県川崎市の登戸学寮の男子学生3人と、学寮の事務をされている小舘知子さんたち4人が、徳島聖書キリスト集会を訪問、二泊三日で私たちのいくつかの礼拝集会に参加されました。土曜日は、手話と聖書、植物などの会、その後は月に一度の土曜日午後の祈祷会にも参加。その後は、集会員の中川宅、熊井宅に、二人ずつ別れて分宿。
翌日の日曜日は、10時30分からの主日礼拝に参加し、参加された4名にそれぞれ10~20分のお話しをしてもらいました。
そしてともに軽食をとりつつ午後2時まで交流。その後、大学病院での月に一度のつゆ草集会にも参加。その集会が終わって夕方となり、その日は、集会場と桜井宅と戸川宅の三カ所に別れて宿泊。
その翌日の月曜日は、午前中は、徳島県板野郡藍住町の笠原宅(美容サロン・ルカ)での集会に参加、午後は、同郡北島町の戸川宅での集会に参加。
それらの集会の後には、近くの賀川豊彦の墓や、日本で初めてベートーベンの第九交響曲が演奏された場所へ移動。
賀川豊彦のことや、第九初演がどのような状況でなされたかの一端に触れてもらいました。
はるばる東京から飛行機で徳島まで、観光や娯楽は全くなしの、ただ私たちの各地のキリスト集会に参加して礼拝をともにし、交流するというだけの目的で三日間も参加されるということは、とても珍しいことで、背後の登戸学寮長の小舘美彦、知子ご夫妻の祈りの後押しがあったからこそ、このように未知の人たちのところまでやってきたのだと思われました。
私たちもフレッシュな学生さんたちとの交流によって、主にある交流の恵みを受けることができ、 各地の信徒の互いの交流の重要性をあらためて教えられました。
(*)登戸学寮について。
江戸時代末期に生まれた内村鑑三の教えを受けた黒崎幸吉 は東京とその近郊に学ぶ学生のために、多くの方々の協力を 得て、神奈川県川崎市の多摩丘陵に、登戸学寮を1958(昭和33)年に開設した。
以来、卒寮生は500名を超え、全国で活躍している。近年に女子寮も併設された。キリスト教精神で運営されている。入寮希望者、問い合わせは→。電話
(044)933ー0819、Eメールの方は noborito@gakuryo.or.jp
○イースター特別集会
今年のイースター(復活祭)は、4月24日(日)です。移動祝日で、今年はこの20年ほどをとっても、最も遅い日になっています。
○今月の移動夕拝
3月22日(火)午後7時30分~ いのちのさと作業所にて。「祝福を受け継ぐために」Ⅰペテロ3の8~12
○読書会
3月20日(日)主日礼拝の後。煉獄篇31歌。
○納骨式 3月27日(日)午後1時30分より。眉山のキリスト教霊園にて。(故矢野幸一兄)
○つゆ草集会
今月のつゆ草集会は、3月27日(日)ですが、この日に納骨式がありますので、午後2時30分からです。
○ルカ福音書、創世記、詩篇などのMP3CDと、MP3対応のCDラジカセも引き続いて希望者があります。問い合わせは左記まで。