聞く人に恵みが与えられるように、 |
2011年8月 606号 内容・もくじ
単純の美しさ
小さな谷川のほとり、岩から落ちる水の流れる音がする。それは一日中、それどころか何十年も何百年も変ることなく同じような単調な音であり続けてきただろう。
しかし、その変ることのない何も変化のないような音であっても、そこにたたずむとき心に清いものを注ぎ込んでくれる。単純さは不思議な力を持っているのである。ほかの手段では得られない心の清めを与える力を持っている。
神の創造されたままの自然は、しばしばそうした単純でありながら、美しさや力、清さを持っている。
ただ川に水が流れるという変化のないように見える単純な光景であるにもかかわらず、それは見る者にうるおいを与え続けるのである。
人間が造り出す複雑な美しさ、数々の照明、LEDを何万個を使ったものは、たしかにある種の美があると言える。
しかし、それは、夜空の星のたった一つが輝いているその神秘な美しさに到底及ばない。
ダンテの神曲、それは二度と生まれないといわれる歴史上最大のキリスト教の詩であるが、その地獄、煉獄、天国の三つから成る。それらの最後が、すべて星という言葉で終えているのも、その星の輝きの意味の深さ、霊的重要性をダンテも深く認識していたからであった。
星は最も単純な輝きである。しかし私たちの肉眼で見ることのできるものの内では、最も深遠な美を持っている。それを受け取るためには、静けさがいる。祈りがいる。
それは霊的な美しさであるゆえに、祈りの心をもって見ないとその美は深くは受け取れない。
聖書の真理も単純である。冒頭の、闇と混沌のただ中に、神が光あれ!と言われたら、光が存在するようになった、という単純な言葉は、そこにどれほどの広い内容と深い真理が込められていることだろう。
星の美しさが示しているとおり、闇のなかに光、それは、美ということの究極的な姿でもある。
この世には、人間的な喜び、必ず滅びる命、妥協による平和、一時的な影のような愛や力、人間が与える恵み…がある。
それに対して、キリストの喜び、キリストの命、また主の平和、キリストの力 、キリストの恵み…等々がある。
神とキリスト、そして聖書を知らなかったときには、この広い世界であっても、愛といえば男女や親子に働く愛、喜びといえば、友だちと遊んだり、本で知識を得たり、他人から認められたり、好きな趣味をしたりすること、また、命といえば、病気や寿命、事故で簡単に失われるはかないもの…であった。
しかし、福音書―とくにヨハネ福音書には、繰り返し「わたしの平和」、「わたしの喜び」というように、「わたしの…」という強調された表現があらわれる。
「私は平和をあなた方に残し 私の平和を与える」(ヨハネ14の27)と言われ、人間の平和でなく、イエスご自身が持っておられる平和が与えられることが言われている。
また、「私の愛にとどまれ。」(同9)と言われたし、「これらのことを話したのは、私の喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と言われている。
いかにこの世が暗くとも、また混乱していようとも、この世とは別に、主イエスの平和はあり、またキリストの愛があり、とどまるところがキリストの内にある。
そして、この世が妥協や不真実で与えようとするその場かぎりの平和でなく、いかなることがあっても壊れない平和、主の平和を与えられる。
この世の国、それは権力やさまざまの人間的欲望のある人たちが、支配しようとする。
しかし、主イエスは、そうした国と本質的にことなる国が存在していることを明確に示された。
…イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」
(ヨハネ 18の36)
私たちは、この世の混乱と悲しみ、そして不正に満ちた世に生きていながら、この主イエスが言われたキリストの国に生きることが与えられている。
そして、死んでもその国で永遠に生きることが約束されている。
すべての人は必ず死ぬ。しかし、それは私がいま持っている命である。滅びゆく肉体の命でなく、キリストの命を受けるときには、主イエスご自身が言われたように、「死んでも生きる」のである。神の国において復活をさせて下さるからである。
信じる者たち一人一人に、「あなた方は、わたしの羊」と言って下さり、「わたしの友だ」、とさえ言って下さっているお方に心から信頼して歩みたいと願う。
人から捨てられ、裏切られた悲しみのとき、「わたしの愛をあげよう」と言ってくださる主を待ち望みたい。
そうすれば必ず、主の慰めが与えられる。人の愛を受けられないとき、主の愛を受けることができる。
人の世に希望が見いだせないとき、キリストこそが私たちの希望となる。
わが家は山を少し登ったところにあるので、今頃はセミがたくさん朝はやくから鳴いている。今朝も、開いた窓からすぐ近くでヒグラシが大きな声で鳴いたので朝の5時まえに目が覚めたほどだ。
とくにクマゼミの必死でなく声、ミンミンゼミのちょっとつまりながらもやはり全力を注いで鳴いている有り様、クマゼミなどはその腹部を大きく動かして声を出している。あの小さな体から、しかも乾燥していると見える体からよくもあんなに大きな音が出せるものだと思う。
あのセミの全身をこめて鳴く姿とその声は、なにか時が迫っている、という切迫感を感じさせるものがある。たしかに、セミは3年から17年もの間、地中にて幼虫として生活するのに、地上ではわずか数週間ほどしか生きないことからあのように、精一杯鳴いているように感じられる。
新約聖書の世界でも、そうした時は迫っている、という切迫感を日々実感しつつ生きていたのがうかがえる。最もキリスト教の精神が命をかけて守られ、武力や権力によらず、ただキリストの力、聖霊の力によって急速に広がっていったとき、使徒たちや初期のキリスト者たちが持っていた実感なのであった。
それは次のような聖書の言葉からうかがえる。
・この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。(黙示録1の3)
・あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。 (ヤコブ5の8)
・…兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。(Ⅰコリント 7の29)
そのような切迫感を持ちつつ、しかも主にある平安(平和)をしっかりと内にたたえて生きていた人たちが多かった。その主の平和をもたらしたのが聖霊であった。
私たちも、そうした霊的な切迫感を持ちつつ―しかも、主の平和、言い換えると主がともにいてくださるという実感を与えられつつ歩んでいきたいと思う。
自然が放つ声―神からの語りかけ 詩篇19篇より
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。 (詩篇19の1~5 )
詩篇 第19編は最初から5節の途中までと、その後半から終わりまでとでは内容がはっきりと分かれているのがわかる。
前半は自然のなかに現れた神の栄光について書かれている。
前半は、特に5節までは自然全体のことを言っている。自然のさまざまの事物のなかで、とりわけその永遠性や光を持っていること、決して落ちてこないといったことから、自然のさまざまのもののうち、星などの天体を代表として記している。
しかしここでいう、神の栄光を表し、そのはたらきを示しているというのは、単に天体や宇宙的現象だけでなく、周囲のなにげない植物なども含めているのが感じられる。
2節にある天と大空というのはほぼ似たようなことである。そのあとの3,4,5節からも分かるように、ヘブライの詩というのは良く似た意味を重ね合わせるように、畳み掛けるように表現するという特質を持っていて、それが独特の力を感じさせる。
それに対して、日本の詩歌(和歌、俳句)は、5・7・5の形で表すし、中国やヨーロッパの詩は、脚韻をふんでいるのが多い。
詩が、こうした独特の形式で表されると、同じような内容を散文で言うのとは全く違った印象を残す。
旧約聖書の詩(ヘブル語)は脚韻でも頭韻でもなければ、5、7、5のようなものでもない独自の形式をもって力強く語りかけてくるものとなっている。
天の中に天体全部が含まれ、大空の中に雲や青い色や夕焼けや、あるいはさまざまの色合いすべてが含まれている。だから天と大空と言う中で、わたしたちの見る広大なもの、ささやかな色合いの空における現象など代表している。
この詩では、天と天体などは、神の栄光を物語って、御手の業をも示しているというふうに明確に自然の持つ霊的な意味について語っている。
他方、単に科学的な世界観というのは、偶然に天があり、太陽や地球が存在している、といったもので、霊的な精神的な意味があるのかといったことについては全く何も告げることはない。
日本の教育でも、例えば月に関しては、月の満ち欠けや上弦、下弦のこと、半月は左右どちらが光っているかという類のことは教わるが、その月の光が神の栄光を物語っている、あるいは神様の御手の業を示しているというようなことは全く教えられない。
このようにいくら科学教育が発達しても、肝心の天体を創造したお方がおられるということについては、全く教えられず、そのお方の力や清さや美しさ、これらを栄光と言っているのだが、そういうものは、ずっと知らないままで大人になってしまう。それらは絶えず私たちに物語っているにもかかわらず…。
自然は、神の栄光を物語っているという視点が教育や一般の書物では全くない。しかし聖書はこの詩はダビデによって書かれたとされ、そうすると三千年も前で、ダビデでなくとも少なくとも二千五百年以上も前から、目に見える神のごとき存在とも言える太陽や星というものも、単に強烈な光を放っているのでないということである。
聖書の記者には、自然は神の栄光を物語っているものとして、啓示されてきた。
植物を見ても、川の流れを見ても、夕焼けを見ても、神を知らされた者は、神の力、栄光をそれらに見る。
「栄光」とは何を意味するのか、この漢字の表現では分かりにくいが、原語では「カーボード」は「カーベード」という「重い」という動詞の名詞形である。本来「カーボード」というのは、「重さ、重み」という意味を持っている。(*)したがって「栄光」というのは「重み」というのがもともとの意味である。
(*)カーベードというヘブル語が、「重い」というそのままの意味で用いられている例として、「アブサロムの髪が重く…」(サムエル記下14の26)
確かにそういうところがある。神の栄光とは、言い換えると「重み」を持っているということなのである。人間でも、真理をもった人間は重いという感じがすると言う。でも真理を持たないものは、どこか軽い。
例えば主イエスは、不正な裁判を受け、鞭打たれ、激しいののしりを受け、十字架で殺されることが決まってもなお、軽々しいことを言わず、動じることがなかった。
処刑後に復活され、聖霊として働かれるようになり、二千年も盤石の岩のように主イエスは、どんな戦争があっても、主イエスの存在というのは非常な重みがあって、不動の山のごとき存在として、この二千年間、王のなかの王、究極的な王 King of kings として君臨してきた。だからこそ、その教えや復活したイエスが使徒たちに語りかけた言葉が聖書となって、無数の人たちを支えてきたのである。
自然を見るときに、何の目的で創られたのか、何を我々に語りかけているのかという気持ちで受け取るのは非常に大事なことである。人間でも大画家が描いた絵をなんでこんなものをここに描いたんだろうかとか、何の意味でこの色をここにおいたんだろうとか、いろいろ詮索して考える。それよりも神様という無限に大きな大画家が、空全体に描いた風景や雲の形には、無限の意味があるはずである。
だが、ピカソが描いたと言ったら、何億でも出して買おうという人がいるにもかかわらず、ピカソとは比較にならないお方、ピカソにその絵の才能を与えた神、無限に大きい神が描いたこの大空にまるで感心を示さない人が圧倒的に多いのである。
…昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。(3~4節)
このような表現は大多数の人たちにとって、何のことなのかととまどうのではないか。こんな表現は、聖書全体を通じてもほかには見当たらないし、文学や哲学などでも見たことがない。
昼、夜、語る、知識などどこにでも使われている言葉を用い、このようにだれも表現したことのない内容が言われている。こうしたところに、啓示の詩であるのがうかがえる。
啓示、それは神から示されたことである。人間がその想像力で考え出したとか、科学的に考えて結論したというのではない。
この詩の作者はたしかに、昼も夜も、ある何かが、心臓が血液を体内に本人が気付かぬうちに送り出しているように、語り伝えられていることを神からの示しによってはっきりと知らされていたのである。
昼は太陽が輝き、大空は青く、白い雲が浮かんでいる。夜は月や星が輝くほかは何も空には見えなくなる。何かが語られているのだ、などと思う人はまずいない。だからこそ、そんなことを詩や文にする人、科学的にそんなものがあるなどと研究する人もいなかったのである。
地上には、戦争あり、飢饉あり、病気あり、あらゆる悲しみや苦しみが各地でみられる。それは現在のように科学技術が発達してもなお、そうした状況は止むことがない。そのような闇と混沌のなかを貫いて、昼も夜も神の無限の力とその働き、栄光が、脈々と発せられ、語り伝えられ、真理にかかわる知識が送られ続けている。
ここで注目に値するのは、天にある太陽や星、月、さらに大空に展開されている青空、白い雲、さまざまの吹き方をする風、夕焼け、雷、稲妻、現象等々、さらには、地上のさまざまの植物たち…それらはみな人間に語りかけている存在なのだということである。
空の星や、月の輝き、青い空や雲などを見て美しいと思うのはたいていの人の感覚である。
しかし、この詩の作者は、単に見て美しい、ということを言っているのではない。作者は、そうした自然の中に神の言葉を聞き取ったのである。
しかも、昼も夜も、人間が聴こうと聞くまいと、昼夜を問わず語り続けている、という自然の本質的なすがたをここに描いた。神の言葉を語り続ける自然、それをこの詩のように、独自の表現と構成で歌ったものはほかにない。
創世記の最初に、神が天地万物を創造したと記されている。これは、啓示として受けたのである。古代の民族はみなさまざまのものを神々として崇拝、礼拝していた。唯一の神が万物を創造したなど、到底考えつくことではない。それゆえ、歴史上では特別な天才とみなされているプラトンやアリストテレスのような人であってもなお、この世界、宇宙に、唯一の神、万能の神がおられる、ということを見いだすことはできなかった。
神によって創造された天体も含めた自然、これは単に存在しているだけだ、というのが大多数の人の受け止め方である。しかし、この詩の作者は、創造されたさまざまの自然が、神の言葉を語り続けているという啓示を受けていたのである。
そして、その自然は、神が創造されたのであるから、神のご意志を昼も夜も語り続けているということになる。
他方、「主は眠ることはない、昼も夜も守ってくださっている」という詩篇がある。(121篇)
そして聖霊という風となって私たちの魂に吹きつけておられる。
こうしたことはすべて、表面的にはまったく神などいない、神の語りかけなどないように見えるなかにあって、休むことも途絶えることもなく、さまざまのものを通して語りかけておられる神の姿が浮かび上がってくる。そして神は愛なのであるから、その語りかけも愛によってなされている。
私たちがなすべきことは、そのようなさまざまの手段を用いて語りかけて下さっている神からのメッセージを心を開いて受け取ることなのである。
人には何が一番大切なのか、いろいろと表現はある。命が一番大切だとか、お金だとか、あるいは自分の親、配偶者、子供…等々。
しかし、最も必要なのは、キリストの言葉である、というようなことは日本においてはまず学校でも家庭でも、マスコミ、印刷物でも見たり聞いたりすることはない。
どうしてそのようなことが言えるのか。
それは、言い換えると最も私たちの弱点というのは何かを考えるとおのずからわかることである。
私たちは、ちょっとしたことでも動揺する。それは自分や他の人間という何か目に見えるものにすがろうとするからであり、常に自分の考えや欲望のとおりにしようとするからである。
また、ほかの人から認められたい、という気持ちは、誰にもある。その逆は、他人から見下される、無視されるということであるが、そのようなことをされるとだれでも動揺し、怒り、あるいは憎み、落胆してしまう。このことからも、どんなに自立しているとか、自信に満ちたというような人でもほかの人に精神的には頼っているという部分が必ずあるのを示している。
また、お金の力は、それがあると目に見えるものはたいていのものが得られるということから、強い力を人間に及ぼす。表面ではやさしそうな人が、ひとたびお金のことになると、意外な強い執着を示すということもある。
私たちの弱いということを思い知らされる決定的なこと、それは病気の苦しみや死の迫る事態にはどうすることもできないということである。高熱や、痛みのはげしい病気に陥ったらもう床についていることもやっとという状況になる。
最後に死がちかづくとき、その力は万人を呑み込んでいく。この力にうち勝つことのできる人はだれもいない。
このような人間の持つ本質的な弱さ、さきに述べた目に見える人間や金などに頼る、ということ、それをキリスト教では罪といっている。
死ということすら、罪の結果だと言われる。
そうしたさまざまの意味の弱さに勝利させるもの、それがキリストの言葉であるゆえに、キリストの言葉こそ最も人間に必要なものと言えるのである。
キリストの言葉は、このような人間の最も弱いところに力を与え、命を与えるものなのである。
そのような力を持つのは、キリストの言葉が、キリストと同質の神の力を持っているからであるし、キリストの言葉は、神のご意志を内に持っているからである。
そして神のご意志やその万能の力は永遠に変ることがないゆえに、つぎのように言われている。
…天地は滅びる。
しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
(ルカ 21の33)
人間の方向転換、それはキリストの言葉を受けることによってなされる。
このことは、新約聖書で繰り返し記されている。
新約聖書で最初に記されているそのような記事は、漁師であったペテロとアンデレという兄弟に、湖で網を打っているという仕事の最中に生じた。イエスに従っていくなど、夢にも思ったことのないこと、毎日湖で朝から晩まで、しばしば夜通し網を打って漁をするという生活から、突然イエスという不思議な人物に従っていく、しかも漁師という職業をも捨てて、家族をもおいて従うなど、考えられないことであった。
また、マタイ福音書を書いたと伝えられる弟子マタイは、徴税人であった。現在の税務署の役人といったイメージとは全く異なるもので、ユダヤの人々を支配していたローマ帝国の手先となって同胞であるユダヤ人から税を取り立て、しかもしばしばそのときに不正に取り立てて金持ちになっていた人たちがいた。
また汚れた異邦人といつも交際しているということで、宗教的にも汚れたとされてひどく憎まれ、また差別されていたのが当時の徴税人であった。
そのような人が、ユダヤ人を救うイエスのあとに従うなど、到底考えられないことであった。しかし、そのようなマタイが突然変えられた。
通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのをみかけて、「私に従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。(マタイ福音書9の9)
ここには、キリストの言葉がいかに力を持っているか、人間がどのような状況であってもただちに変える力を持っているか、しかも、変えられた人は、その直前まで何もそのようなことを期待も予想もしなかったのである。
このようにキリストの言葉、その語りかけは、人間の希望や意志、置かれた状況などいっさいを超えて働きかける力を持っている。
パウロは、彼の受けた啓示が(パウロの名を冠した書簡含め)、新約聖書の四分の一ほども占めているという点において、後世への絶大な影響を与えたゆえに、キリスト教歴史で最大の使徒といえる。
しかし、彼は、キリスト者になる前には、ユダヤ教の指導者として、キリスト教徒を迫害した。
…わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした。(使徒 22の4)
このような、キリスト教徒への憎しみに燃えていた人間がなぜ突然にして変えられて、キリスト教の最も重要な伝道者となったのだろうか。
パウロは、律法による義を否定し、ただ信仰による救いを宣べ伝えた。そこからユダヤ人が救いの必須の条件とした割礼を、救いに対しては無意味なことだとしたり、異邦人にもユダヤ人と同じように救いが与えられるとしたから、キリスト教はユダヤ人が代々重んじてきた宗教を破壊するという考えを持っていた。
しかし、パウロが変えられたのは、そうした誤った信仰や教義を説明によって納得させられたからではなかったし、最初の殉教者となったステファノの驚くべき死のときの、殺意に燃える人たちへの祈りをもってした平安な姿を目の当たりにしたということでもなかった。
ただ、天よりの光とそれとともに語りかけられたキリストの単純な言葉だけで足りたのである。
「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか。」(使徒9の4) (サウルとはパウロの前の名前)
もし、この言葉を、一人のキリスト者がパウロに向かって言ったとしても、全く何の変化ももたらさなかっただろう。ステファノの驚くべき殉教を目の前に見てもなお迫害の心は変わらなかったのであるから。
しかし、何を言うか、という問題でなく、いかなる力をもって言うか、が決定的なのである。
単に多弁を弄することなら、本をたくさん読んでいる人、いつも大学の教師のように研究的な生活をしている人なら、多くの知識や論理的分析、学者の引用などを用いていくらでも多くのことを連ねることはできよう。
しかし、それらをいくら重ねてもだからといって、他者を変革する力はない。
このことは、旧約聖書の最も長大な詩のかたちをとった文書であるヨブ記にも見られる。そこでは神をおそれ、神からの祝福を受けて、平和な生活を続けていたヨブという人に突然に災難がふりかかり、財産も子供の命も失われ、さらには自分も、苦しくて耐えがたい悪性の病気になり、日夜うめくようになる。妻からも、神をのろって死ね!とまで言われた。そのとき、友人が何人かやってきてその苦しみを結局はヨブの罪へのさばきなのだとたくさんの言葉を連ねて説得しようとする。
しかし、ヨブはそれらに一つ一つ反論し、自分はこのような苦しみを受けるような悪しき罪を決して犯していないと強く主張する…。そうして長い時間が過ぎ去っていった。ヨブの苦しみはいやされず、友人たちの宗教的な雄弁も論理的な主張も何の力をもヨブに与えることができなかった。
しかし、その長い膠着状態を経て、神が語りかけた。それはまったく彼らが延々と論じ合ってきたような、宗教的な議論でなく、いかにしてヨブがそのような苦しみを受けるのかという説明も全くなかった。
神が直接に語りかけた内容とは何か、それは、大空の太陽や、星々、夕日や夜明けの現象、また地上のさまざまの動物の驚くべき行動等々、万物がいかに人間の力を無限に超えたものであり、神の無限の英知によって創造されたのだ、ということを語りかけるものであった。
ただその神の言葉によって、長い苦しみとまた人間の複雑な宗教的議論によっては一歩も進まなかったヨブの魂が根本的に変革されたのであった。
これは、神の言葉の力、言い換えるとキリストの言葉の力を指し示すものである。
私たちもまた、どんなに人間的な説得や議論を重ねても変えられない本性がある。愛や真実の尊さを知っているつもりであっても、その愛や真実を貫くことができない。
そのような固い本性を根本的に変える力を持つもの、それがキリストの言葉なのである。
そのキリストの言葉が持つ変革の力を表す記述は何カ所もあるが、それらのうちのひとつであるハンセン病(*)の人がいやされた記事がある。
…大勢の群衆がイエスに従っていたが、その中から一人のハンセン病の人が、イエスにちかづいて「主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります。」と言った。
イエスは手を差し伸べて「清くなれ」と言われると、たちまち、ハンセン病は治った。(マタイ8の2~3)
(*)ハンセン病とは、以前はらい病と言われていた。らい病に似た症状を持つものもらい病とみなされたことがあるのは、旧約聖書でも、いやされたものがあるのが記述されていることでわかる。ハンセン病は日本でも非常に恐れられていたが、1941年にプロミンという化合物がハンセン病に特効があることが見いだされ、日本においてもようやく太平洋戦争後になって、その特効薬が使われるようになって劇的にハンセン病は少なくなっていった。
この清くなれ、という主イエスのひと言の力、それはたんに古代のハンセン病という、宗教的にも汚れた恐ろしい病気のいやしだけにあてはまるものならば、現在の私たちには無縁のものと思われるだろう。
しかし、この主イエスの言葉の力は、どんなに罪で汚れても、また病の苦しみがあっても、そして最終的に私たちの命を奪う死がちかづいている状況においてもなお、キリストの言葉が与えられるならば、その人の魂は清められ、またさまざまの束縛からも解放されるということを意味している。
さらに、死の力にもうち勝つということも記されている。
ユダヤ人の会堂は、安息日ごとに集まりそこで律法が朗読され、礼拝が行われる重要な建物であった。その会堂の責任者の娘が死にそうになった。会堂長は、周囲にたくさんの群衆がそばに集まっていたのに、恥も外聞(がいぶん)も捨ててイエスの足もとにひれ伏して言った。
「どうか家に来てください。そして娘に手を置いて下さい。そうすれば娘は生きるでしょう。」(マルコ5の23)
このような真剣な態度は、イエスへの信頼(信仰)が真実な魂の姿であったことをうかがわせる。
しかし、娘は死んだと連絡があった。それにもかかわらずイエスはその娘のところに出向いて、そこで娘の手をとり、「タリタ・クミ」(娘よ、起きなさい!)
と言われた。
ただそれだけで、死の世界からその娘はよみがえったのである。
ここにも、キリストのひと言がいかに力を持っているかを指し示している。
こうしたキリストの言葉の力に対し、人間の言葉は、人の心を汚し、混乱に陥れることが実に多い。人のなぐさめも時には力となるが、一時的であるし、場合によっては不適当な言葉があるとかえって苦しむ者には、負担となることもある。
キリストの言葉は、そのまま神の言葉である。神の言葉の絶大な力は聖書全体のテーマであり、それゆえに、聖書の最初からそのことが記されている。
天地創造されたとき、闇深く混沌であったがそこに光を存在させ、美しい秩序を与えたのが神であり、キリストなのである。そのことは、新約聖書の時代になって深く神の啓示を受けて示されたヨハネやヘブル書の著者がその第一章に書いている。
ヨハネ福音書では、キリストは地上に生まれる以前から存在していたのであり、そのキリストのことを「ロゴス」というギリシャ語で表している。ロゴスは、ギリシャ語では
「言葉」や「宇宙を支配する理性」といった意味を持つが、とくにヨハネ福音書では、人間のかたちをして生まれる前のキリストをロゴスと称した。ここにも、キリストこそは力ある神の言葉そのものである、ということが暗示されている。
ヨハネは、「万物は言(ロゴス―キリスト)によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」とその福音書の冒頭に書いているが、それほどこのことは重要な啓示だったのである。
人生の荒海のなか、絶えず私たちは動揺させられている。そのような弱い私たちへのメッセージが次の記事である。
イエスが弟子たちとともに舟に乗って湖の向こう岸に渡ろうとした。 イエスはそのうち眠った。
そのとき激しい風が吹き荒れ、舟が沈みそうになった。
そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうだ!」と叫んだ。
イエスは起き上がって、風と荒浪とを叱った。そうすると静まった。(ルカ 8の24より)
このような記事は、いずれも初めて聖書を読む場合には、単なる昔の奇蹟物語として何ら深い意味もないものとして読み過ごしていくことが多いのではないだろうか。嵐や大波がだれかのひと言で静まるはずがないと。
しかし、聖書にはこのように単なる昔話と思われるような奇蹟の記述も、いずれも現代にもそのままあてはまる事実であることが圧倒的に多い。
この湖の嵐の記事も、だれもが出会う人生の荒波と大風に吹かれて苦しみ嘆くという体験とそれを静める力を記しているのであり、無数の人たちによって証しされてきたことなのである。
人間のひと言でなく、キリストのひと言が語りかけられるならば、私たちの魂はたしかに静まるし、立ち上がる新たな力を与えられる。 主の祈りにある、「御国がきますように」という祈り、それは御国にあるキリストの言葉がきますように、私たちの魂に語りかけられますように、という願いをも含んでいる。
こうした聖書にある記述のほかに、私たちを取り巻く自然の風物も、しばしばキリストの言葉を運んでくれる。主イエスご自身が、「野の花」を見よ、空の鳥を見よ、と注意をうながされた。
野草や樹木のひとつひとつをよく見るときには、そこにその創造者である神とキリストの言葉が刻みつけられているのに気付くのである。野草の花々のその繊細さ、美しさ、それはそのような清い世界を見つめよ、との神の言葉が含まれているし、空の青さや白い雲、あるいは吹きわたる風、そして流れ続ける渓流のすがたやその水音なども、夜空の星々の神秘な輝きなどとともに、天の国からのメッセージをたたえているものであり、心静まって聴こうとするときにはたしかに神の声、キリストの語りかけを実感する。
キリストの言葉があるところ、主の平安あり、主の喜びあり、また神からの力がある。
私たちも日々、主からの語りかけを待ち望む。そしてすでに語られた聖書に記されている言葉がふたたび私たちに生きて語りかけられますようにと願っている。
渡部恒三氏は民主党最高顧問であり、厚生大臣、衆議院副議長などもつとめた。彼は福島県出身で、次のような原発推進をずっと昔から語っている。
「福島県には日本の原発の30%近くがあるが、そこで育って暮らしているこの私がこの通り元気いっぱいなのだから、原子力発電所を作れば作るほど、国民の健康は増進、長生きし、厚生行政は成功していくのではないかと思う」(1984年1月5日)」
これは彼が厚生大臣のときの発言である。原発を作ればつくるほど日本全体、世界全体の危険性が増大していくにもかかわらず、政治の要職にある人がこのような誤った発言をして、人々を惑わしてきたのである。
また、この席で、「日本のエネルギー問題を解決する最大の課題は原発の建設であるというのが私の政治哲学だ」とも言ったという。
原発こそは最大の解決策だということを厚生大臣の立場からも宣伝し、さらに、原発が安全だという主張を通り越して、原発を作るほど健康が増進、長生きすると、いまから見ると笑い話のようなことを語っている。
この渡部氏の甥が現在の佐藤福島県知事であり、前任者の佐藤栄作久元知事(現知事の佐藤氏とは血縁関係はない。)が反対していた、福島第一原発にプルサーマルを導入することを、安全性等に関する議論は県議会でもほとんどしないで、決めたという。
渡部氏がこのように、原発を健康増進、長生きなどといってまで宣伝したのは、なぜか。
大事故をおこした福島第一原発を作ったのは、東京電力の当時の木川田一隆社長(福島出身)であった。
その木川田と、渡部は同じ県の出身でもあり親しい関係があった。そして渡部が代議士になったとき、木川田社長は、彼の後援会長になることを打診したほどだった。
このような地縁、血縁、そして社会的地位や権力のつながりのゆえに、原発というきわめて危険性の高いものが、安全だ、国に絶対必要だ、という主張へとつながっていく。
なお、渡部氏は東北大震災のあとでは、次のように言っている。
「恥ずかしながら、いままで全面的に原発の安全性を信頼してしまっていた。事故があっても一週間くらいで解決するんじゃないかと。
こんな状況が続いていることに責任を感じている。」
原発の地元県出身であり、何十年も原発と向かい合ってきたはずの民主党最高顧問、衆議院副議長、厚生大臣といった肩書を持つ人物が、このような認識であったことにあらためて驚かされる。
原発の爆発という非常事態がおきても、一週間ほどで解決、とは何という認識だろう。
チェルノブイリ事故では、25年経ってもなお、30キロ四方は住むことができず、燃料体にちかづけば即死するほどの放射能がいまも放出されていること、さらに原発の廃棄物は、何十万年、百万年も管理が必要だという実態から、あまりにも無知な状況を知らされる。
この渡部氏は、これほど地元の人たちが原発で苦しんでいるにもかかわらずなおも、原子力発電を推進する立場に立っていて、震災後の5月結成された地下式原子力発電所政策推進議員連盟の顧問となっているのである。
この議員連盟は、主として自民党、民主党の議員らによって今年の5月31日に初会合がなされている。これは新聞報道でも小さな記事であってほとんどの人は気付いていないと思われる。
この議員連盟の会長 平沼赳夫(たちあがれ日本)顧問は谷垣禎一、安倍晋三、森喜朗、民主党の鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一、そして亀井静香(国民新党)といった名前が見られる。
このように、首相経験者が多く、両党の重要な人物がなおも原子力発電所にこだわっているのがはっきりとわかる。
原発があらゆる方面に甚大な害悪を及ぼしつつあり、原発のゆえに、何万、何十万という人たちが苦しみ、悲しみに巻き込まれているにもかかわらず、それに目をふさいで、新たな原子力発電を地下に作ろうとする新たな集まりを作るという彼らの判断には驚かされてしまう。
彼らは眠っているのだ。原発の危険性が見えないのである。
私たちもうっかりしていたら眠ってしまう。こうした社会的、政治的な問題に対してだけでなく、それ以上に、キリストに対していつも目覚めていたい。そして聖霊を受け、日々の力と洞察を与えられていきたいと思う。
低い線量の放射線を受けても害はないのか
放射線を大量に受けると即死、それほどでなくとも多くの放射線を浴びると、それによって骨髄にある造血細胞が異常をきたし、白血球と血小板が作られなくなる。そのために出血し、免疫力も弱くなって、1~2ヶ月で死に至る。また、小腸の細胞が破壊されると養分は吸収されなくなり、下痢や細菌感染といった状況となってひどくなると死に至る。
このようになるほどの大量の被曝は、今回の福島原発では生じていないと考えられている。
しかし、もっと低い放射線量がどのように人間に影響するのか、にいたっては、大きな見解の差がある。
低線量放射線の影響については、先日のNHKテレビでも触れていた。
「生涯に200ミリシーベルト受けると、ガンのリスクが 1%上昇、100ミリシーベルト受けると、0.5%、ガンになるリスクが上昇する。しかし、100ミリシーベルト以下は、統計上明らかでない、影響は明らかでないとして、専門家は安全としている。」
と説明していた。
しかし、女性のキャスターのこの「専門家は安全」と言っているというが、そのように言っていない専門家が多数いるにもかかわらず、そのような学者、国際機関があるのにまったくそれには触れず、安全だという専門家たちの一方的な発言を流していたのである。
これは当然、そのキャスターの背後にいる番組作成の担当者、そしてその上司たちの意図が反映された報道の仕方だということになる。
なぜ、このように一方的な主張だけを放送するのか。それは、低線量放射線を受けても安全なら、そこに住んでいる人たちもそのまま避難勧告とか補償などせずにすむ。福島県内外のホットスポットといわれるかなり線量の高いところでも、年間100ミリシーベルト以下では何ら問題ない、ということになると、そのまま放置しておいてよいということになる。
だから特別な対策も避難もいらない、原発保障もそのような被曝量の人には必要がない…
これは、東京電力や政府、そして原発を推進したい人たちにはとても好都合な結論なのである。
要するに、政治的あるいは経済的な要因を第一とするために、人間の本当の安全を後回しにするという発想が背後に感じられるのである。
以前に、NHKテレビでやはり原発特集番組があったが、そこでもそのような原発推進の意図を感じさせる番組作成があった。例えば、原発にかんする海外の状況ということで、出てきたのは、その前に国民投票で95%という圧倒的な賛成で、原発をやめることになったイタリアのことには全く触れようとせず、脱原発としてはドイツだけを取り上げ、原発推進のフランス、アメリカの二カ国を詳しく報道するという内容であった。
イタリアのように原発反対ということを日本の国民の多数が言い出さないようにという意図、そして安全な原発にして推進するというフランスやアメリカの状況を映像で流すことで、一般の多くの人には、原発は推進するのが世界の大勢なのだという意識を知らず知らずのうちに持たせるという背後の意図を感じさせるものであった。
今回の、NHKの低線量被曝に関する報道においても、次にあげる国際的な専門家の主張を一部でも見れば、このようなNHKの番組構成の仕方には、はっきりとした意図を感じる。
100ミリシーベルト以下の被曝でも安全とは言えないという学者・専門家の団体などいろいろある。例えば、今仲哲二・京都大学原子炉実験所助教は、次のように述べている。
「よく基準値異常なら危険で、以下なら大丈夫、と考える人がいる。年間1ミリシーベルトとか、20ミリシーベルトとか、さまざまの基準値が議論されている。
しかし、こうした数値は、科学的根拠に基づいて直接導かれたものではない。
ガンになるリスクのある放射線にどの数値まで我慢するかは、社会的条件との兼ね合いである。」 (6月29日付の朝日新聞)
これは新聞記事なのでごく簡単に書いてあるが、これだけみても放射線にかかわってきた学者であってもまったく異なる見解があるのがすぐにわかる。
発ガンが増えるかどうかのしきい値があるかどうか、ということが以前から問題になっている。100ミリシーベルト以下だと、発ガンのリスクは増加しないというのが、しきい値ありの主張で、そうでなく、わずかな線量を受けてもリスクは増加するという主張が、しきい値なしという主張である。
右に引用した、今仲哲二はしきい値なしの立場である。
放射線の専門家の一人、近藤誠氏(慶応大学病院 放射線科医師)は、この100ミリシーベルト以下の放射線の影響に関して次のように言っている。
「年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝で、発ガンが増えるかどうかには、しきい値の有無が論点になっています。…意見が分かれたのは、低線量被曝に関するデータがなかったからです。しかし、データがないから安心、とは一概に言えません。
ICRP(国際放射線防護委員会)は、20年以上前から、100ミリシーベルト以下なら安全というしきい値なしの立場に立っている。
近年、低線量被曝のデータが充実してきました。原爆被爆者調査を続けたところ、10~50 ミリシーベルト領域でも、直線比例関係があることが示唆されたのです。」
また、15か国の原発作業従事者40万人の調査で、平均被爆量が 20ミリシーベルトしかないのに、発がん死亡の増加が認められました。
結局、現在では、しきい値なしは、ほぼ事実と考えられます。
ですが、政府は、100ミリシーベルト以下はただちに健康に影響を及ぼす線量ではない、と主張しています。―将来的にはガン死亡がありうる―、という意味ではないでしょうか。」
そして、次のような強い表現で、低線量放射線の害を語っている。
「テレビで、100ミリシーベルト以下は問題ないといまだに言っている科学者は、嘘をついていると言わざるを得ない。100ミリシーベルト以下でも影響はある。100ミリシーベルト以下の低線量で人体に影響を残すのは事実で、アメリカやヨーロッパでは常識になっている。
だから、100ミリシーベルト以下では、何も放射線の影響がない、などといっている人は、おっちょこちょいか、詐欺師ってことになる。」
放射線の専門家、といってもこれほど大きな主張の隔たりがある。
生物学者にも、やはり次のように低線量放射線の危険性をはっきりという人もいる。
「放射線はDNAを確率的に損傷させていくので、被曝量とガンの発症率はほぼパラレルになると思われる。被曝量は、少なければ少ないほど安全だ。
20ミリシーベルト以内なら安全だなどというのは真っ赤なウソだ。日本政府を信用してはいけない。」(池田清彦・早稲田大学教授。「週刊朝日」4月7日号)
今仲氏と同じ、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏もその著書で次のように述べている。
…たとえ被爆量がそんなに多くなかったとしても、後々に被害が出ることがあります。5年経ってから、20年経ってから、あるいは50年経ってから被曝が原因でガンになってしまう人たちが出てくることを、広島、長崎の原爆者が教えてくれました。…(被爆量が少ないから)全く影響がないなんてことは絶対に言えません。
「人体に影響のない程度の被曝」などというのは完全なウソで、どんなにわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊するという現象は起こるのです。
学問上、これは当然のことなのです。これまで、放射線の影響を調べてきた国際的な研究グループはみんなこの事実を認めています。アメリカ科学アカデミーのなかに放射線の影響を検討する委員会「BEIR」
があって、それが2005年に報告をだしました。その結論部分にこう書いてあります。
「利用できる生物学的、生物物理学的データを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。
被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在しつづけ、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。」(「原発のウソ」小出裕章著69~70頁)
このような低線量の被曝なら安全どころか、内部被曝の場合、かえって意外にも危険性が増大する、という研究が知られている。
これは、ペトカウ効果として知られている。1972年、カナダ原子力委員会の研究所で、液体のなかに置かれた細胞は、高い線量の放射線を繰り返し当てたより、低線量放射線を長時間、放射することによって容易に細胞膜を破壊することができる、ことを実験で確かめたというものである。
このことをさらにすすめて、ピッツバーグ大学放射線科のスターングラス教授は、次のような結論を得た。
・放射線の線量が非常に低い低線量では、生物への影響はかえって大きくなる。
・低線量被曝の健康への危険性はICRPが主張する値より大きく、乳児死亡の倍になる線量は4.5ミリシーベルトである。…
この研究に対しても反論がいろいろ寄せられた。モデルとした細胞膜に起こった放射線損傷が生体の細胞膜で起こるかどうかは明らかでない…等。
こうした研究に対して、広島での被曝後 60年にわたって内部被曝の研究を続けてきた医師は次のように述べている。
「広島、長崎で爆発後市内に入った多数の内部被曝者を長年継続して診てきた私は、彼らの経験したいわゆる急性症状と数カ月から数年、10数年後に彼らに発症したぶらぶら病症候群は、内部被曝による低線量放射線による影響と診るのが最もよく説明できるので、私はペトカウ効果と、それをもとにしたスターングラスをはじめとする多くの学者、研究者の低線量放射線有害説」を支持してやまない。(「内部被曝の脅威」肥田舜太郎、鎌中ひとみ共著 筑摩書房刊 90~99頁より)
さらに、次のような研究もある。
放射線損傷を受けた細胞が、そうした放射線を受けていない近くの細胞にシグナルを発して、近くの細胞をガン化させるというものである。これは、α線やX線について多くの研究がある。この作用は、まだ、低線量のX線、γ線によるリスクとの関連は確立されていない。
また、少しの放射線を受けるのは、リスクがないか、むしろ、有益であるとする研究もある。これがホルミシス効果といわれるものである。いくつかの動物実験では、低および、中線量の放射線が寿命を延ばすことができるという潜在的なホルミシス効果が示唆されているが、相反する実験結果も得られており、現在のところよくわかっていない。
また、すでに触れた、アメリカ科学アカデミーは、低線量放射線も有害であるとする主張は、「じっさいの疫学研究結果によって裏付けられた科学的事実である」としている。
(「低線量放射線と健康影響」医療科学社発行、46~47頁、106頁)
以上のように、一般向けに発行されている書籍においても、この100ミリシーベルト以下の低線量放射線が、ガンのリスクを高めるのかどうかについては、さまざまの研究が掲載されている。
このように個人的な研究や体験だけでなく、国際的な研究組織の結論があるにもかかわらず、低線量放射線を受けても安全であるという主張だけを放送するのは、どう見てもバランスを欠いていると言わざるを得ない。
原発そのものが、東大の大学院教授といった肩書の人たちだけでなく、たくさんの専門家たちもみな、安全だと言い続けてきたが、現実はまったくそうでなかった。
専門家という人たちもいかに権力や金、または時代の風潮に流されていくかを露呈してきたのである。しかも、その専門という知識を用いて一般の大多数の人たちを欺いてきたのであった。
そのことからして、特定のテレビ局の言う「専門家」が言うからといって全面的に信頼できないのは当然のことである。
戦前にしても、政治や軍事、あるいは教育などさまざまの専門家がいたが、あの太平洋戦争を侵略戦争だ、確実に負けるなどと明言した人はきわめて少なかった。
大多数が、あの戦争を聖戦だとか、天皇を現人神であるとか信じこんでいたのである。
NHKの番組では、原発爆発前の20倍~30倍の内部被曝を受けているが、安全だ、と検査をした専門家が言ったということも放映されていた。
しかし、そもそも放射線の影響は、莫大な数の体内分子に放射線が衝突し、原子をとりまく電子をはねとばし、そこから分子同士の結合を断ち切るというところにある。
遺伝情報を持っているDNAの鎖があちこちで切断されても、それがみんな元通りに修復されているとか、だれが断言できるだろうか。
個々の人に、どこのDNAのどの部分にいかなる破壊が起こったかなど、一人一人調べることなどできるはずもない。
二重のDNAのらせん状の鎖の二つのうちの一本だけが切断されても、もう一つの正常なDNAによって修復されるということがある。しかし、二本のDNAがともに損傷を受けると修復に間違いが生じやすくなり、変異の原因となる。
このようなことは全く偶然的で、体内に放射性物質が入ったとき、そこから出る放射線によって、いかなる損傷を受けていかに修復されたか、それは決して正確にはわからない。
例えば、原爆の直後に広島に入った人も全部が同じような症状となったのでない、その発症のときも数年後から50年後までにも広がっているし、その症状も千差万別である。放射線以外の物質の発ガンにおいても、例えばタバコを何十年とすっていても発ガンしない人もあれば、若くして肺ガンになる人もいる。人それぞれに修復能力が異なるということもある。
生活環境や食生活などすべてがかかわってくる。
こうしたことを考えると、一般的に、低線量だから安全だ、というようなことを断言できるはずがないのである。
じっさい、宇宙から注がれる放射線(宇宙線)は微量であるが、それによっても突然変異が生じうるのは広く知られているところである。
原発がなくとも、宇宙線や体内に取り入れたカリウム40、大地や建物から放射される放射線を受けていることも最近ではかなり知られている。しかし、そうした放射線は、何十万年と生きてきた地上の生物はそれを乗り越えて増え広がるだけのDNAの修復能力が与えられてきたと考えられる。だからこそそうした放射線を受けても痛くも、熱くも何も感じないようになっている。防護する必要がなかったからだと言えよう。
しかし、そのような過去何十万年という長期の間、地上の生活にはかつて存在しなかった放射線を、従来のものに加えて今後の長期間浴びるようになったのが、現在の日本の状況である。
人間を含め、動物は、火のような熱、寒さ、とげなどによる痛み、有毒ガス、渇き、空腹など、生命の危険につながるようなことに対しては、手を引っ込める、体を身震いさせて発熱させる、痛みから逃れる、息がつまりそうになる、空腹感やのどの渇きがひどくなり、必死で水を求め、食べられるものを口にする…といった防御策を本能的にとるように作られている。
しかし、放射線については、致死量のような強い放射線を浴びても、そのときには何ら痛みも熱い感覚もない。
それは人間や動物が創造されたとき、原発事故や、原爆のような大量の放射線を浴びるような状況を想定されていなかったということになる。
それほど、放射線は反生命的だと言えよう。
日本において、すでに膨大な放射性廃棄物を造り出してしまったゆえに、このようなものを出さないようにすることはもはやできなくなっているが、今からでもそのような子孫末代まで害悪を及ぼす原発、核兵器というものをなくするというのが、あらゆる経済や政治的な思惑をはるかに超えてなすべきことなのである。
北海道、東北の一部を訪ねての礼拝集会と個人訪問など
7月21日(木)~24日(日)まで、北海道久遠郡の瀬棚で開催された聖書集会は、今年で第38回を迎えて、この長い年月を主が導かれてきたことを思います。
(なお、四国における キリスト教四国集会も今年の5月に高知集会が主催県として開催されましたが、この四国集会も38回と同じ年月を重ねています。)
今年は、北海道に出発予定のときに大型の台風がちょうど四国に上陸することが確実な情勢となり、出発予定日の前日に予定していた太平洋フェリーが欠航することになり、それとともに台風の接近でフェリー以外の交通機関も止まる、という状況になり、今年は参加できないのでは…と思われたことです。
しかし、唯一の道は、台風がまだ徳島県に接近、上陸する前に車で出発して、鳴門大橋や、淡路島と神戸を結ぶ明石大橋が通行止めにならない先に通過して、北海道まで車で行くことでした。
徳島県から北海道までの全行程を車で行くなどということは、北海道に過去8回、聖書集会のために訪れていますが、いままでは、考えたこともなかったことでした。
しかし、唯一の可能な方法だったので、とにかく出発して、途中で体力的に運転が難しくなったらそのときはその時で判断することにしたわけです。
台風の影響のため、途中で激しい雨にも出逢いましたが、北海道に無事に到達でき、しかも、行く途中で新潟県の柏崎刈羽(かしわざき かりわ)原子力発電所(*)に立ち寄って、どのようなところに原発があるのかを直接に知って、さらに原発に隣接するサービス館の展示内容を時間をかけて見る機会ともなりました。
そして、そこに書かれていた説明、「クリーンで安全」と大きく書かれた説明、核燃料サイクルが機能していないのに、あたかも核燃料サイクルが機能しているように書いてあり、それを大きく
「核燃料サイクルの現状」と書いてあるとか、また、放射性廃棄物がきわめて危険で、処理できないのに、一般の産業廃棄物の量が非常に大きく、原発の廃棄物の量が少ないことを棒グラフに書いて、いかにも原発の廃棄物は取るに足らないというような印象を与えようとしている記述、さらに、同じ東京電力の福島原発が、大事故をおこして数知れない人たちを苦しめているのに、この柏崎刈羽の原発でのサービス館では、ほとんどそれについて触れるところがなく、そんな事故などなかったかのような状態であったことへの疑問、福島の大事故をどう考えているのか、ということが疑問となってきたのです。
(*)新潟県柏崎市と刈羽郡刈羽村にまたがっているので、このように言われる。7基の原子炉の合計出力は、821万kWで、世界最大の発電所となっている。
このようなことについて、係の人に尋ねても十分に答えられない。そこで、館長への面談を求めたところ、閉館が近い時刻でしたが、1時間以上をいろいろと話すことができ、こうした不正確、あるいは間違った書き方が大事故から4カ月も経ったのに何も変更されていないのはなぜなのか、早急に削除、あるいは修正すべきことを話しました。原発の責任を持っている人がどのように考えているのかがかなりよくわかったのです。
そして驚いたことですが、世界最大の出力を持つ原発の副所長という重要な役にありながら、原発に最も一貫してその危険性を訴え、原発がたてられようとする地元の住民の反対運動や裁判での証人ともなってきた、京都大学原子炉実験所に勤める小出裕章、今仲哲二の両氏、あるいは、東芝の元原発設計に加わった技術者で国会(参議院)にも出て意見を言ったり、岩波書店の「世界」にも福島原発関係の論文があり、原発の技術者として明確に、原発やめるべきことを主張している後藤政志氏などのことを知らなかったことです。
小出さんは、福島原発の大事故以来、彼の書いた原発の本が新書本で日本のベストセラーとなり、また次に出した本もすぐに10万部も売れ、原発関係の本がベストセラーになるというかつて前例のないことが生じているし、新聞やラジオ、テレビ、さらにインターネットでもよく出ています。
小出、後藤の両氏は、5月23日に参議院の行政監視委員会でも意見を述べたこともあり、相当広く知られています。
それにもかかわらず、原子力発電所の解説を仕事とするサービス館の解説者の方々も、そして副所長という要職にある方すら、小出裕章という名前すら知らなかったというのに驚いたのです。それほど、原発の危険性を訴える主張にはまるで耳を傾けないという有り様が露呈したわけです。
ただ、その後そのサービス館の閉館時刻をすぎても、外に出て原発だけでなく、人間の本性とその変革などについて立ち話を30分近く続けることになりました。
今回の事故に関して、東電や政治家、科学者、技術者が絶対安全だと嘘をついてきたことや、大地震や大津波も想定されていたのに金のことをまず考えて、対策もしなかったこと、以前からデータの改ざんや事故隠しなどがいろいろとあったことが、事故につながっていることを話しました。その副所長は、それならそのような人間性をどうしたら変えることができるのか、と問われたので、それはキリスト教だと、私自身の信仰を与えられた経験もまじえて語るという機会となったわけです。
その後、夜中に仙台に着き、翌朝は、3月下旬の神奈川県・春風学寮での集まりで、東松島市で被災されたと聞いていた教友のTさんを訪ねたのですが、まだその付近は被災を受けたままの家々がたくさんあり尋ね当てたお家も不在でした。それで時間と体力があったらと、あらかじめ出発のとき、車にのせてあった各種のキリスト教関係の書物を石巻市の避難所2箇所を訪ねて手渡し、そこからさらに、原発の実態に少しでも直接的に触れるために、宮城県の牡鹿半島にある、女川(おながわ)原子力発電所まで車で行くことにしたのです。そのとき、Tさんから電話あり、山形に4ヶ月間
避難していたが、今日帰って来たばかりだとのことでした。わずかの時間のすれ違いは残念なことでしたが、女川原発に向かう途中、石巻の町々の津波による生々しい破壊のあとが道路の左右至るところに見られる地域を通り、女川町付近にさしかかると、さらに津波によって破壊しつくされ廃墟となった地域、辛うじて家の形を留めている家々、まだ、傾いたままの家、鉄骨が曲げられ、内部がほとんどなくなっている建造物等々、4カ月を経てもなおそのままに放置されているところもいろいろあり、これらの地域に住んでいた方々、この崩壊した家々で生活していた方々が根こそぎその生活を破壊され、どれほどか苦しみ、あるいは悲しみの涙を流されたことだろうと、そして今なお困難な生活を続けておられることだろうかと胸に迫るものがありました。
海岸地域であっても、ある部分から上部の地域はほとんど被害を受けず、壊れてもいない家々が並んでいると見受けられましたが、そのすぐ下が徹底的に破壊されているあまりの大きな対照にもあらためて驚かされたことです。
また、そのように家が破壊されてしまった人たちのための避難所は、海から遠いところにあり、周囲はふつうの生活がなされていて、その避難所の狭い一角だけが、困難と悲しみのなかに置かれているわけで、そこにおられる方々は、そうした周りの平和な生活との大きな落差にも、精神的に疲れ果ててしまうのではと思われました。
北海道瀬棚での聖書集会の今回のテーマは、「主の御心のままに~試練と信頼」でした。
個人的にもいろいろな試練に置かれている方々も多く、また日本全体においても、東北大震災、原発災害と今なお解決ということにはほど遠い問題を抱えています。そのことから、今回の主題も決められたと思われます。
主のみ心とは、主のご意志であり、神のご意志はいかなる災害、個人的に不幸と見えることが生じても決して変ることなく、この世界、宇宙の最終的な目的―神の国(新しい天と地)に向かって進んでいると言えるのです。
神のご意志がどのように表されているのか、それを創世記、出エジプト記、あるいはエレミヤ、イザヤなどの預言書を通し、また詩篇と新約聖書にある内容によって神のご意志が行われること、そしてそのご意志に沿って私たちが歩もうとするときに天よりの力が与えられ、ふりかかる困難にもうち勝って行けることなどを学びました。
酪農の方が多いが、ほかに養豚、米作農業の方もおられ、また子供たちも土曜日の午後に土曜学校というのがあって、付き添いの大人とともに学びがなされました。この瀬棚聖書集会を主として運営されているのは、40歳台前後の壮年期の方々で、そのご両親や、子供、幼児など三代にわたっての参加が38年にわたって続いているというのは、全国的に見ても他には見られない集まりだと思われます。また、瀬棚以外の地、札幌などから結婚して瀬棚に来られた若い女性たちが、それまで全く聖書やキリスト教との関わりがなかったのに、この年に一度の聖書集会に参加され、次第に、信仰的になって歩んでおられることを知らされたこと、またそうした若き女性の信仰の成長によって夫君のほうも信仰的に強められていると感じる方もあり、主の導きに感謝でした。
四日目の利別(としべつ)教会での礼拝説教では、「神の力と核の力」と題して語らせていただきました。教会の一部の方も、瀬棚聖書集会にも参加される方があり、年に一度ですが、私自身も教会の若干の方々とも交流を与えられて感謝です。
25日(月)の午前10時~午後2時半までの、札幌での交流集会には、地元の札幌市内だけでなく、小樽、釧路、苫小牧、そして部分参加でしたが瀬棚集会からも加わり、み言葉の学び、祈りと賛美、そして主にある交流がなされました。参加者は20名余り。
こうした各地のキリストの名による集会において、たしかにそこにキリストが長く留まり、働いて下さってきたことを実感します。そして、この世の交わりや会合にはない喜びと平安と力を与えられます。
その後、午後3時半から5時すぎまで、苫小牧にての集まりでした。 この苫小牧の集会で長く導かれてきた船澤さんは入院中でしたが、そのご自宅を用いてほしいとのことで、そのお家での集会でした。
26日(火)は、午後から仙台市での集会。平日でもあり、参加のできないと思われた方も都合をつけて参加しておられたり、あるいは、大津波によって大きな被災を受けた方々の参加、また初参加の方もありました。とくに津波で死を覚悟されたほどの状況をも経験された方の証しや、勤務先の学校の被災のことなど、いまも地震、津波の被災の傷を日々感じつつ生活されている方々もおられ、そうした中でのみ言葉の学び、礼拝はとくに意義深いものを感じました。
み言葉は、そのような状況に置かれている方々に力を与えるものなので、どうかこの集会がそうした主の祝福を受けますようにと祈りつつの集会でした。
その日の夜は、山形に移動し、去年と同じ大手門パルズという施設にての集会でした。午後6時半~9時までの集会で、今回は、いつも必ず参加されている方が何人か不参加でしたが、その代わり、初参加の方々が3名おられ、そのうちの一人は、こうしたキリスト教の集会に参加するのは、何十年ぶりと言われていました。
各地での集会で、このような初参加の方やふだんは参加していない方が参加されることがあるのは、特別集会にはいつもより以上に祈りをもって備えることもあり、主がそのことを覚えて下さり、私たちの思いを超えた聖霊の風の吹くゆえだと思われたことです。
翌日は、山形から福島に向かい、3カ所の避難所を訪ね、各種のキリスト教書籍を届けることができました。長く苦しい避難所の生活にあって、そのような本が主の用いるところとなり、神への信仰に目覚める方が一人でも二人でも起こされますようにと祈りました。
訪れたいくつかの避難所は、原発から遠く離れた美しい田園地帯、あるいは高原の緑豊かなところにあり、周囲はごく普通に生活している様子で、その静かな山野に囲まれたごく狭いある建物のなかで、いつ帰れるともわからない不安と焦燥感、そして家族とも分かれたり、職業も失ってしまった方々が、苦悩のうちに日々を過ごしておられる。
その方々の苦しみを共有するといっても、当事者の切実な苦しみは、その状況にない者は本当にごく表面でしか感じ取ることができないと思われたことです。
それゆえにこそ、何らかの手段によって、その方々に神の御手がのぞんで、そのような生きていくのが困難となるような現実のただなかにも光と生きる力を与えるお方―キリストがおられることを知ってほしいと願いました。
すでに述べた石巻の二つの避難所も含め、福島の三つの避難所にも届けたそれぞれ10数冊程度ずつの本は、集会の方々からの協力費によって購入しておいたもので、主が用いて下さいますようにと願いました。
このような本や冊子を手渡したのは、私自身、一冊のごく小さい本のわずか1頁ほどの内容によってキリストの真理を知らされたからです。主が用いようとするときには、どんなささいなものであっても、予想しない働きをするからです。
また、その後、福島在住の何人かの教友を個人的に訪問して、福島における無教会の方々の歩みの一部をうかがったり、原発と信仰のことなどについて語り合い、交流の機会が与えられました。
聖書の学び、礼拝の集会の場合は、出発前から時間と場所もきちんと確定しておかねばならないので、2週間、長距離にわたる旅程の場合は、体調の維持管理がとても重要になります。途中で体調を崩すとあとのすべての集会もできなくなり、多大の迷惑をおかけするからです。
そのために、可能な方法はとるという方針で各地への移動を続けましたが、幸い東北最後の日の夜は体調も支えられ、その日の宿舎に深夜に帰り着くということにして、福島県内での最後の訪問先では、夜遅くまで、信仰ととくに原発のことに関していろいろと語り合うことができて感謝でした。
これは、車でいかなければ決してできないことで、行き帰りに大きな負担となりますが、他方、ほかの交通手段では決してできない各地といろいろな方々への訪問と集会が与えられることを感謝でした。
その後、翌日は名古屋にフェリーで着き、そこから高速道路を使っても2時間を要する岐阜県の山中で、ハム工場を運営されている石原潔さんのところを初めて訪問しました。以前、石原さんとは静岡県清水市での集会で出会ったことがありました。
平日の昼ごろで、従業員の方々と共に食事をいただき、その後じっさいの働きを現場で見せていただきました。キリスト教独立学園、愛農高校、愛真高校など無教会の方々が祈りと協力費で支えてきた学校の卒業生たちもいて、若い方々がこのような山地の不便なところで、30年もこうしたハム造りが継続されてきたものだと、印象的でした。
主となって運営しておられる石原さんご夫妻が信仰にたち、まず神の国と神の義を求める精神で歩み続け、主がそこに大いなる御手をもって導かれてきたのだと感じました。工場からさらに奥地に入った石原さんの自宅も訪問、そこで最初にはじめた家も見ました。個人の離れ、納屋のようなところから出発して、石原さんも3年も続いたら、と思っていたが、30年続いてきたと言われていました。
ここでも、原発の影が落ちていて、販売しているハムに関して放射能の影響の有無を尋ねる方々があり、今後のために、そうした農業や食品関係団体の有志と共同で、500万円の放射能計測機器を購入して、きちんと検査をし、安全保証をしたうえで、販売するという方向になって、私が訪問したときには、名古屋でそのための会合が夜に行われるのでそこに石原さんも参加予定とのことでした。
そこから、彦根に向かったのですが、途中で、時間と体力が持続しそうであったので、突然の訪問でしたが、高速道路に近い「祈の友」会員と教友を訪ねることもできました。
主の守りと支えによって、また徳島聖書キリスト集会の方々、さらに県外の方々の多くの祈りに覚えていただき、途中でそうした祈りの支えを感じつつの2週間でした。
主がそうしたすべての方々、各地の集会に参加された方々、そこにつながる方々を覚え、とくに東北の津波と原発の被災を受けてなお長い苦しみを受けていく方々に、主の御手が臨みますよう、いかなるときでも力を与えてくださる愛の神へのまなざしが与えられますようにと祈ったことです。
元首相であった安倍晋三夫人の昭恵さんがつぎのように書いている。
先日、飯田哲也氏の祝島行きに同行させて頂き、今後のエネルギー政策等、色々なお話を伺うことができました。
是非、主人にも聞いてもらいたい…
そこで飯田さんに議員会館の事務所までお越し頂くことにしました。
理路整然と冷静で、具体的な世界のデータや事例を示す現実に即したお話に、主人もかなり納得した様子…。
飯田さんと主人は、同じ山口県、神戸製鋼と共通することも多く、今後の展開が楽しみになりました。(2011年07月07日のブログより。)
飯田哲也(てつなり)氏は、「原発はやめるべきだ、自然エネルギーを用いるべきだ」ということを論じ、現在でもエネルギーは原発を使わずとも足りていることを強調している。以前のNHKの原発とこれからのエネルギーに関するテレビ番組で、原発に反対する側の一人として、東芝の元原発技術者であった後藤政志氏らとともに参加していたことがある。1959年、山口県生。京都大学原子核工学専攻修了。環境エネルギー政策研究所長。
また、祝島とは、瀬戸内海にある小さな島。中国電力がその島のすぐ前に原発を作ることを決定したために、30年近くもその島のひとたち、とくに女性たちが団結して反対運動を続けてきたため、原発反対の住民運動の象徴のようになっている。。
安倍元首相は、別稿で述べたように、原発事故のあとに結成された、地下式原子力発電所政策推進議員連盟の顧問の一人になっている。
原発からどうしても離れられないような発想を持っている人間の奥さんが、原発をやめて自然エネルギーに移行すべきことを主張する飯田氏のような人に共感している。
女性、あるいは子供の視点の重要性はつぎのような記事にもみられる。
…広島の原爆ドーム(産業奨励館)は世界遺産となっているが、これはかつて保存か撤去かで論議になった時期がある。
被爆15年の春に、急性白血病でなくなった16歳の少女の日記が保存の流れを決めた。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも恐るべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう…」
原爆ドームの保存運動はこどもたちを中心に広まり、書名やカンパが全国から寄せられた。
政治とは無縁の小さな力が大人の背中を押し、1966年に永久保存が決まった。
…そこで原発である。国民的議論にする上でも、命に敏感な女性と未来を見る目の鋭い子供の視点は欠かせない。…
(毎日新聞8月7日)
前月号には、グラビアアイドルの女子中学生の、原発に反対する文を掲載したが、 原発のような、幼な子や新たな命を胎内にやどす女性たちにとくに危険なものは、子供や女性たちのほうが、本能的に正しい感覚と判断を持つのではないかと思わせる一例である。
キリストの復活は、世界史上で最も重要な出来事であった。 それによってキリスト教は世界に伝わりはじめ、世界のあらゆるところに聖書の真理が伝えられ、ヨーロッパやアメリカの形成、人間の精神的基盤の形成、福祉や医療、芸術等々あらゆる方面に深い影響を及ぼしていったからである。
そのような重要な「キリストの復活」という出来事が、男の使徒でなく、女性でしかも七つの悪霊に苦しめられていたという女性マグダラのマリアに最初に告げられたということも、信仰的世界における女性の重要性を暗示していると思われるが、こうした直感的にとらえる感性をもつ女性が原発への反対を強く受け止めることがいっそう期待される。
○西澤正文氏を迎えての特別集会
・講話の主題「永遠の命を得るには」
・日時…8月28日 午前10時~午後1時30分(いつもの礼拝集会のときより、30分早く開会ですので間違わないようにしてください。)
・場所…徳島聖書キリスト集会場
・会費…500円(昼食代金)なお、ご自分で弁当、パンなど持参の方は、会費不要です。
なお、西澤正文氏は、静岡県の清水聖書集会の責任者、キリスト教独立伝道会長です。
○徳島キリスト者平和のつどい
・日時…8月28日(日)午後2時~4時半。
・主題…「キリスト者の平和観とは?」
・発題者…川端洋一(羽ノ浦教会員)、吉村孝雄(徳島聖書キリスト集会代表)
なお、私(吉村)の演題…「非戦・非暴力の大いなる流れ―原発と平和」
・場所…徳島市立木工会館 徳島市福島1-8-22. TEL 088-622-9625
・問い合わせ先…鳴門アガペーチャペル牧師 大山勝
メールアドレス m-oyama@tv-naruto.ne.jp
電話 088-689-1844
○「野の花」文集について
毎年一月に発行している「野の花」文集の原稿をお願いします。このような文集によって主がそれを用いて下さるときには、短文、長文を問わず、また文才といったものと関わりなく、主が用いられるときには思いがけない働きをするものです。これは人間でも同様です。神は、能力のあるなしにかかわらず、その双方をそのご意志に従って自由に用いられるからです。この世の地位や学識があるから御国のため、福音のために用いられるとはまったく限らないのです。それは聖書を見てもわかります。主イエスが選んだ12弟子たちは漁師が半数近くもいたし、学識やこの世の地位などない人たちだったのです。他方、パウロは特別な律法に関する教育を受けた人でした。しかし、そのような学識や社会的な地位はキリストの真理を知ることにならず、かえってキリスト教を迫害したこと、それは、神の国に用いられるためには、この世のものは一切関係していないということを示しています。ただ神のご意志がはたらけば、どんなにささやかなものも用いられるということです。
・原稿の分量…二千字以内。ただし、その内容、あるいは特別な事情ある場合にはそれ以上のものも受けいれます。
・原稿の締切り…2011年10月31日
・内容…ひごろの礼拝集会で学んだことの内、ふりかえってとくに印象的な内容。自分で読んだ聖書の感想、日頃の体験、読書の感想、創作の詩、あるいは、感想でなくとも、本からの引用、聖句、心にある讃美の歌詞の抜き書きといったものでもよいのです。
・「野の花」文集の目的は、世の人へのキリスト者としての証しをすること、そして信仰を与えられた人が互いに信仰を強めあい、励ましや慰めを与えられること、さらに未信仰の人への伝道文書として用いられることです。ですから、原稿の採否もこの目的に沿ってなされ、原稿の内容にこの目的にそぐわない語句、表現があったり、長すぎるなどのときにはカットすることもあります。
・いままで、「野の花」文集を受け取っていない方で、ご希望の方は、お送りしますので、メール、電話、ファックス、ハガキなどでお知らせ下さい。
受け取ってきた方で、複数の部数が必要な方も、希望部数を吉村宛てにお知らせください。
○北田康広コンサート
・主催…「いのちのさと」作業所
・場所…白うめ幼稚園 多目的ホール (徳島市国府町矢野字原地65)
・日時…8月27日(土)午後2時~3時半ころまで。
(「いのちのさと」は、障がい者のための作業所で、徳島聖書キリスト集会員の石川正晴さんが責任者となっています。なお、去年の3月になされた福音歌手の森祐理(ゆり)さんのコンサートも、同じ場所でした。)
・問い合わせ…石川正晴(いのちのさとの責任者) 電話 088-642-0300
・北田康広さんは、徳島県出身、全盲のピアニスト、バリトン歌手。徳島県立盲学校卒業後、筑波大学付属盲学校の専攻科(音楽科)。さらに、武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。なお、数年前に、東京で開催された、無教会のキリスト教全国集会において、夜の音楽プログラムで、奥さんの陽子さん(同じ武蔵野音楽大学ピアノ科卒業)とお二人で出演されたこともあります。「ことりが空を」、「藍色の旋律」、「心の目」などのCDをリリース。なお、吉村孝雄が盲学校に転勤したときに受け持ちのクラスの生徒としての出逢いがありました。徳島聖書キリスト集会にも短い期間ですが参加。
○スカイプ集会に参加希望の方へ
・スカイプ集会に参加される方は、どのスカイプ併用の集会にも参加していただけますが、できれば参加前日までに、どの曜日の何という集会に参加希望するという連絡を私あてにお送りくださると好都合です。というのは、集会を始めたとき、オンラインになっている人がたまたまパソコン起動してスカイプがオンラインになっているだけなのか、それとも、そのスカイプ集会に参加希望を意味するのかわからないことがあるからです。
○詩篇の聖書講話
・ようやく詩篇全体第1篇~150篇の聖書講話CDが完成しましたので、希望者の方々にお送りできるようになりました。
このCDは、MP3録音ですから、MP3対応のプレーヤ、またはパソコンが必要です。
主日礼拝での講話、いろいろな家庭集会での聖書講話を収録していますので、内容は長さもいろいろ、またひとつの詩篇を何度も学んだのもあり、複数の録音をも入れた詩篇もあります。全巻で12巻セットで
3500円。(送料込)
以前に、90篇までを購入された方は、追加分として、1000円をお送りください。(200円以下の少額切手でお送り下さっても結構です。)
なお、このCDやすでに販売中のヨハネ福音書、創世記、ルカ福音書などのCDを聞くための、MP3対応 CDラジカセ(ビクター製品)をご希望の方は、送料込みで
八千円でお届けします。一般の大型電器店では、たくさんCDラジカセはおいていますが、MP3対応のはほとんどみられないので、購入できないと言われる方がいますので、このようにお知らせしています。
○来信より
・このたびの地震と津波によって東北の方々の受けていられる痛みを共感いたします、私は「いのちの水」誌5月号によって「原発」のことを学ばせて頂きましたことを感謝します。
ご紹介の本4冊と岩波書店の月刊雑誌「世界」の5月号の記事を全部、図書館と購入で読みました。(関東地方の方)
○7月30日~31日の近畿無教会集会では、遠く青森からの高齢の参加者あり、その方の受けた重い苦しみを超えて信仰に歩まれた証しが多くの方々の心に残りました。
○7月下旬から二週間、北海道から東北などの各地での集会、訪問のことで、ちょうど出発のときに、台風が四国に上陸確実になったということで、いろいろな方が心配下さり、また祈りをもって支えてくださったことを感謝です。