主はすべての災いを遠ざけて あなたを見守り、 |
・2012年11月621号 内容・もくじ
水と神
水は、変貌自在である。はるか大空高くにもある。水蒸気、目には見えない気体として。 また、谷川や一般の河川ではその美しさや渓流のせせらぎは私たちの心をなぐさめ、いやすものとなる。
しかし、ひとたび、天から降り注ぐ水―雨が大量となると山はくずれ、洪水となって大きな被害をもたらす。
去年の大津波で私たちは水の力のとてつもない大きさを知らされた。
海の大水は地震の力によっては津波となって襲いかかり多数の人たちのいのちをも奪う恐るべきものとなる。
それでも、この海の水は蒸発し、雲となり雨となって、私たち人間や動植物一切のいのちを支えている不可欠なものであり続ける。
そして、大気中の水蒸気が冷やされると雲や霧、雪などの目に見えるものとなる。
さらに、雨となり、大地をうるおし、草木一切を支え、それを食べる動物もその水によって生きている。
そして実に美しい光景も水は生み出す。大空の青さのなかに浮かぶ真っ白い雲の美しさ、夕日の紅色やさまざまの色合いに染まる美しい夕べの雲、そして真夏の力強い積乱雲、そこから生まれる恐ろしいばかりの稲光や雷鳴。
そして、氷雪の芸術作品と言える樹氷、真っ白く輝く山々の神秘な美しさ等々、美という面でも比類のない光景をもたらすこともできる。
私たちのからだの内部にも体重の60~70%と、たくさん含まれている。生まれたばかりの赤ちゃんは90%までが水分だという。まるで水のなかに浮んでいるようなものである。それほど人間にとって水は重要なのである。
水、水蒸気は、ごく狭いすき間からも入り込み、地中にも天空にも、地上のさまざまのものに入り込むことができる。 河川の大水のときには、巨岩をも運び、大津波では大きい船をも転覆させたり陸地に移動させたり計り知れない力を持つ。
これほど、多種多様な変貌とその重要性を併せ持つものはほかにない。
このような変化にとんだ性質、それは神の無限の多様性の一面を指し示すものである。
神は、その御手のわざとして私たちの周囲の一切のものを創造され、いまも支え、生き物に命をあたえている。神の力はいかなるものにも浸透していくことができるし、私たちの内にも住んでくださる。
神にさからう者であっても、その人のからだの血肉はその人が作ったものでなく、その体内の遺伝子や栄養分の消化吸収や内臓など体のいっさいの働きは、神が人間を創造したときに計画され、その法則によって今も人間は支えられているのである。
その意味で、すべての人間や動植物には、神の御手が最初から働き続けているといえる。
「大空にも神の慈しみが満ち、その真実は雲を覆っている」(詩篇57の11)と、今から2500年ほども昔から、聖書の詩人は述べている。
神は水をつかわし、地球上で縦横無尽にはたらかせている。それは神のいわば使者とも言える。神ご自身はもちろん、その水よりはるかに広く、深く、かつ永遠的に存在し、私たちの体内にも浸透し、さらに霊的ないのちの水を魂にも注ぎ、うるおしてくださっているのである。
…我らは神の中に生き、動き、存在する。(使徒言行録17の18)といわれている。
また、神の力とその業が我々の内にあるだけでなく、信じる者には、キリストが私たちの内に住み、私たちを生かし、導いてくださることが約束されている。(ヨハネ15の4、17の26)
そして聖書の最後の究極的な祝福された状態も、水を用いた表現となっている。
…天使はまた、神と小羊から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。…
のろわれるものは何一つない。 もはや夜はなく、太陽の光も要らない。 神である主が照らすからである。
(黙示録22の1~5より)
閃光のように
主イエスは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見たと言われた。(ルカ10の18)
今月、九州、中国地方を車で走行しているとき、危ない瞬間があった。しかし、一瞬のことで守られた。今までにも時折こうしたことがあった。
今回も今から思っても、その瞬間神の御手がとらえて下さったように感じる。
主の御業はふだんはどこにあるか分からないように感じることも多い。苦しみや難しい問題が続くときには、神の御手などどこにあるのかと思うこともある。なぜ、いまその御手をもって苦しみや問題を除いて下さらないのかと…。
しかし、神の御計画に従って、必要なときに、突然その御手を伸べてくださる。
主は、サタンが稲妻のように落ちていくのを見たといわれたが、これはきわめて重要なことである。悪の力はいかにこの世を包んでいると思われても、天という霊的なところへすらその悪の力が進入しているときがあっても、なお、それは落ちていくものだ、ということ。
この重要な真理は、思索や議論、あるいは経験やこの世の情報洪水をいくら浴びても分からない。
それが分るのは、一瞬で足りるというのをこの主イエスの言葉は示している。
神の生きた助けがある、この真理は、いくら学問しても、経験積んでもだからといって分るとは言えない。それは周囲の学問ある人や、老齢の人をみるとわかることである。
自動車で走る一瞬のときに、主はそうした御手の助けを示してくださった。
そのように、これからもきっと必要なときに、稲妻のような光を与えてくださったり、その御手を差し伸べてくださると信じることができる。
そして今、光なく、御手の助けがどうしても感じられない苦しい状況に置かれている方々がどうかそのところに主の御手が差し伸べられますようにと願っている。どんなに助けが見えなくとも、このことを信じ続けていくことに祝福がある。
見ないで信じるものは幸いだ(ヨハネ20の29)と言われたとおりである。
真理と祈り
聖書とは、真理を記した書物である。
真理とは、何年経っても変化しないという永遠性、だれにでも通用するという普遍性を持っている。
例えば、2×3=6というのは、時代が変わったからといって2×3=8になったりしないし、日本でもアメリカでも変ることはない。
このような真理の本質は、ごく当たり前で考えることもしない人が大多数であろう。
そして、真理と言えばこのような科学的、学問的真理だけを連想する人が非常に多い。
しかし、このような科学的真理は、いくらそれを知っているとしても、心の悩みや病に苦しみ、あるいは人間関係で悩まされ生きる力をも失っているような人においては何ら力を持たない。家族間の深刻な問題や、自分が犯した罪、不注意から重大な悲劇が生じたといった苦しみなどにおいて、科学上の例えば、万有引力の法則や、いろいろな化学反応やDNAに関する生化学上の真理などを思いだして励まされるなどという人はあり得えないだろう。
それゆえ、こうした科学的真理と祈りは関わりがない。
人間の精神世界に関しても科学的真理と同様に、永遠性と普遍性をもった真理が存在するということは、一般の学校教育ではまったく教えられない。
聖書はこうした精神世界における真理そのものを記したほかに比類のない書物である。
その真理は、聖書の最初から記されてている。
神が万物を創造したということ、真っ暗闇ですべてが形なく荒廃しているところに神の言葉によって光が存在を始めたということ、あるいは、アブラハムは、人生のある時に神からの語りかけを受け、その神の言葉に従っていくと大いなる祝福を受けたこと…等々、これは真理であるゆえに、現代の私たちにもそのままあてはまる。
神は現在においても、万物の創造者であり続け、私たちに語りかけ、そして暗闇であっても光が臨み、私たちもその神に従っていく生活が祝福を受ける…。
そして、こうした真理は、そのまま祈りと結びついていく。
神が万物を創造したという真理は、そのことをすべての人が信じることができるように、との祈りとなる。
神は愛であるということも真理である。そして、神が人間に呼びかけて生きた導きをしてくださる、ということも真理である。
これらもみな祈りとなっていく。神が愛であるゆえに、その真理が自分にいっそうわかり、その愛が自分にも注がれて、敵対する人のためにも祈り、誰をも無視することなく少しなりともその人たちのことを思うような愛をくださいとの祈りになる。万人にわかるように、との祈りとなる。
キリストが十字架で死んでくださったことは、すなわち私たち人間の根本問題である心の弱さ、醜さ、自分中心の考え等々(罪)の赦しのためである、このキリスト教の根本の真理、それはそのままこの真理のとおり日々の罪が赦されていることを感謝し、喜ぶという祈りとなり(神への感謝も祈りであるゆえ)、さらにこの真理が周囲の人々にも受けいれられて罪の赦しを与えられますようにとの祈りとなる。
心の貧しい人たちは祝福され、神の国がその人たちのものになる。どんな深い悲しみにある人たちも、神を仰ぐだけで、慰められ、励まされるという、山上の垂訓として広く知られたことも真理である。
これらもそのまま、祈りとなる。私たちもともすれば高慢となったり、いつのまにか傲慢になっているのに気付かされる。また、思いがけない悲しみに突き落とされることがある。そうしたときに、心の貧しい者こそ幸いだという真理の言葉に立ち返らされるし、いつもそのようでありますようにという祈りとなる。
悲しむ者は幸いだとされている真理もそれがそのまま自分にも成就し、神からの励ましが与えられますようにとの祈りとなり、さらに、そうした悲しみにある人々への祈りともなっていく。
聖書の内容は、人間の行き着く先の究極的なあり方が随所で記されている。その一つ一つは祈りとなっていく。
真理はそのまま祈りに通じているし、祈りはまた聖書の真理へと導くものとなる。
(これは、11月3~4日の沖縄での無教会全国集会での発題に加筆したものです)
福音伝道とは、神の言葉の種を蒔くことである。それはすでに聖書の巻頭第一声ともいうべき創世記の最初に表されている。闇と空しさ、何も確たるもののつかめない状況、混沌のただなかに、聖霊の風が吹き、光あれとのみ言葉によって光が存在したこと。それはまさしく私たちの魂の闇と混沌に神の光の種が蒔かれることの預言である。
人を通し、本を通し、また簡単なパンフレットをとおして私たちの魂に、時至って神は福音の種、光の種を蒔かれる。
そして、創世記の2章においては、荒れ野、砂漠に水が湧き出て大地をうるおし、エデンから水が流れ出て園をうるおし、さらに世界をうるおしていることが記されている。主イエスもこの命の水があふれるということをヨハネによる福音書7章37で引用されている。
このように、すでに聖書の最初から、いかなる状況にあっても、よき知らせ―「福音」―があることが真理として記されている。
キリストの福音―十字架による罪の赦しと復活の福音、それは聖書のはじめの1~2章に記されているこの二つ(光と水)によってすでに指し示されている。罪とは精神の暗黒であり、混沌であり、空しきものものだからであり、さらに死とは光なき闇であるからである。そして罪ゆるされた魂とは、いのちの水がながれるようになることだからである。
そして、暗闇と混沌に吹く神の風(霊)と、そこに与えられる光を少しでも実感したときに、それを伝えようとする気持ちがおのずから生じる。
世界の歴史で最も重大な出来事は、キリストが来られたことである。主イエスは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と言われた。この主イエスの言葉はそのまま現代の私たちへのメッセージともなっている。悪の支配や混乱、闇が近づいたのでなく、神の真実と愛の御支配が近づいた、もうそこにあるのだ、ということはいつの時代にも福音である。どんなにこの世の混乱や悪の支配があろうとも、その闇と混沌の地平から、義の太陽が上り、明けの明星が輝いているのだという輝かしいメッセージが私たちに与えられている。
この世にみなぎる現実の闇を知り、死というすべてを呑み込んでいく強大な力があり、さらに究極的には、地球のはるかな未来は、科学的にだけ考えるなら、太陽の消滅と共に滅びてしまうという希望のない状況にあって、聖書に記された希望はますます輝いてくる。
いかに罪深きものであっても、ただ魂の方向転換をして神に、キリストの十字架に向うだけで、私たちは罪赦され、復活のいのちを与えられ、さらに、主再び来たりたもうという朽ちることなき希望を与えられる。
福音伝道とは、こうしたいつまでも続く希望と約束を伝えることである。それは議論や研究、あるいは自分の考えや意見ではない。それらがいかに緻密であっても人間を救うことはできない。今生きるか死ぬかという苦しみにある人たち、神を知らずに闇にある人たちにそうした意見や研究などの印刷物を提供してその苦しみを救う力となるであろうか。
本当に苦しみにある人たちにはそのような知的に構成されたものは受け付けられないのである。私自身、ごく短い言葉で聖書に記された言葉―福音を指し示されたことによってキリスト者とされた。
いかに単純であってもそれが神の力、聖なる霊によって語られるときには、福音はその原語(ギリシャ語)の通りに「良き知らせ」となってその魂に流れ入る。
伝道において必須のことは聖霊を受けることである。このことは、聖書の記述から明らかになる。
主イエスも伝道のはじめには聖霊が注がれた。12弟子たちは、どうであったか。彼等は、3年間イエスの教えを日々受けた。そしてその驚くべき奇跡をも目の当たりにした。死人がよみがえり、ハンセン病と思われる人すらいやされ、全盲の人も見えるようになった。そうした目を見張るような奇跡の数々をも目の前で見た。
しかし、それでも、キリストがとらえられるときに踏みとどまる力はなかった。弟子の代表格であったペテロすら3度もイエスなど知らないと強く否認するのであった。
そしてヨハネによる福音書によれば、復活のキリストに出逢ってもなお、彼等は新たな力を得ることはできず、最後の章では、本来捨てたはずの漁師という仕事に帰っていく状況が書かれている。(ヨハネ21章)
そして、行きたくないところへ連れて行かれると言われたペテロは当惑するという状態であって、ここには最も行きたくないところ―死をすらも恐れなくなった使徒言行録のペテロの姿とは大きく異なっている。
そのような恐れをも克服できたのは何によるのか。それは聖霊が注がれたことによる。
キリストを裏切って逃げた弟子たちにも復活の主がその聖霊を待ち望めと命じ、実際その後祈りと共に待ち望んでいる人たちに聖霊が臨んだことによって全く別人となって福音伝道に邁進するようになった。
使徒パウロにおいては、その学識や特別に受けた教育もキリストという究極的真理を見抜くことにはつながらず逆にキリストの真理を迫害することになった。パウロにおいても決定的に変えられたのは、学識や地位経験でなく、復活された生けるキリストからの直接の語りかけによった。復活のキリスト、それは聖霊と同じである。さらにそのパウロを世界伝道へと赴かせたのは、彼の判断や意志でなく、信徒が真剣な祈りのなかで、聖霊によって命じられたと記されている。(使徒13の2~4)
そして、こうした特別な弟子たちだけでなく、イエスをただの宗教的な偉大な指導者だとみなすのでなく、イエスこそ主、神に等しいお方、と信じて受けいれることができた者は、だれでもその聖なる霊が注がれていると記されている。
…聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」とは言えない。 (Ⅰコリント12の3)
そして、キリスト者とはこの単純なことが言えるようにされた人であるから、みなその程度の多少はあっても、聖霊を受けていると言えるし、だから万人祭司と言われるように、だれもが祭司―神と人をつなぐ働き―である。言い換えると、だれもが神のこと、キリストのことを伝えて神と人を結びつける働きができるようになっていると言えよう。
万人祭司ということは、すなわち万人伝道者とも言える。
旧約聖書における伝道
この伝道の重要性は、すでに旧約聖書において見られる。神の大いなる恵みと愛を伝えようとすることは、詩篇、そしてイザヤ書にはっきりと現れる。詩篇は、たんに個人的な感情を美しい言葉で述べるといったものでない。それは、詩篇22篇(*)にはっきりと表されているように、預言という意味も深く持っている。
(*)この詩篇22では、イエスの十字架上での叫び「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」がそのままの形で見られるし、そのときに、周囲の人たちからあざけられたこと、神に愛されているなら、救い主なら自分を救えとののしられたこと、人々がさらしものにしてながめたこと、イエスの服をくじをひいて分けたことなど、驚くほどイエスの最後のときの状況が預言的に記されている。
同様に、福音を伝えるということも、すでに詩篇でさまざまの形であらわされている。
…全地よ、主に向かって歌え。
主に向かって歌い、御名をたたえよ。
日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
国々に主の栄光を語り伝えよ
諸国の民にその驚くべき御業を。(詩篇96より)
ここには、すでに詩篇の作者が啓示された真理は単にイスラエル民族だけにとどまるのでなく、全世界に広がる普遍的なものであり、それゆえに、諸国の民に宣べ伝えるべきことなのだとされている。
この詩はいつごろ記されたのかははっきりしないが、少なくとも、今から2500年ほども昔に記されたものであろうから、その洞察の深さには驚かされる。
そしてこの詩の預言の通りに、じっさいに救いの良き知らせは全世界へと伝えられ、愛の神のなされる大いなる業は、世界中の人々によって経験されてきた。
日から日へ― 毎日、主の救いという良き知らせを告げるというほどに、この詩の作者は、救いに関する真理は世界にとって根本的に重要だと知っていたのである。
真理は日々、刻々と伝えられていくということは、別の詩篇でもほかに類のない表現で記されている。
…天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(詩篇19より)
このようにして、真理のよき知らせは、宇宙的な規模においてなされていると言われていて、神のご意志はみ言葉をこの世界に日々伝え、知らせることであるのが雄大な規模で記されている。
他方、この世のテレビやインターネット、新聞などは、移り変わる出来事、それ自体嫌悪感を催すような悪しきことであっても、この世界に知らせ続けている。しかし、その内容の相当な部分は人間に不要な、あるいは有害なものである。
それに対して、真理は絶え間なく、いわば、体の心臓が絶えず血液を全身に送り続けているように、真理の源泉たる神から、よき知らせは刻々と送りだされているのである。
福音は人間のいとなみを超えて常に発信されているというほど、この世界に深く結びついている。
この宇宙は、神の言葉を告げ知らせる目に見えない力のようなものがいつも存在しているのである。
この詩篇19篇が、福音を告げ知らせることを意味しているのは、パウロ自身がその手紙で引用している。
…実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる。
それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。
もちろん聞いたのである。
「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」と記されている。(ローマの信徒への手紙10の17~18)
イザヤ書でも、よきおとずれ―福音を伝えるものの幸いということが記されている。
…いかに美しいことか、山々を行き巡り、
良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、
恵みの良い知らせを伝え、
救いを告げ、
あなたの神は王となられた(王として支配されている)と、シオンに向かって叫ぶ。(イザヤ書 52の7)
このイザヤ書の言葉もまた、パウロは同じローマ信徒の手紙において引用している。
…宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
遣わされないでどうして宣べ伝えることができよう。
「よい知らせを伝える者の足はなんと美しいことか」と書いてある通りです。
(ローマ10の14~15)
このように、使徒パウロも旧約聖書の預言書などの言葉のなかに、すでに福音伝道の重要性と、それが神のご意志であり、またそこに大きな祝福を置かれるということを読みとっていたのである。
イザヤ書ではさらに次のようにも記されている。
… 主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、
つながれている人には解放を告知させるために。
(イザヤ書 61の1)
これはキリストの福音伝道の生涯の預言ともなっている。イザヤという預言者は、神に高くかつ深く引き上げられ、500年以上ものちに現れるキリストが福音を伝えることをはっきりと啓示されていたのであった。
新約聖書における福音伝道
そして、そのキリストの福音伝道の生涯は、聖霊を注がれた使徒たちによって受け継がれ、さらに、名も知られていない無数のキリスト者たちによってこの福音を伝えるという働きは継続されていった。
ローマ帝国の首都であったローマの各地に福音を初めて伝えたのは、パウロでも、ペテロやヨハネでもない。それは無名のさまざまの人たちによって、命がけで福音のために旅立った人たちによって伝えられていった。
福音とは、その原語の通り、良き知らせである。しかもそれは結婚とか出産、大学合格、スポーツでの優勝、あるいはコンクールの賞などのように一時的なもの、きわめてかぎられた人に与えられる良き知らせではない。
万人が受け取ることができ、またそれを万人が、他者に伝えることができる本質を持っている。
福音伝道は、歴史の流れとともに時至って行なわれるようになった。アブラハムやモーセは、神の存在を世界に伝えよ、という命令は受けなかった。神の言葉に聞いてそれに従うということが求められていることであった。
しかし、旧約聖書の後半の時代に入り、イザヤ書や詩篇においては明確にこの神の真実や愛を伝えるということが重要なこととして預言されるようになった。
そして、歴史の終極も福音が全世界に伝えられるときに訪れると言われている。
…そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。
それから、終わりが来る。」 (マタイ24の10~14より)
このように、この世はだんだん良くなるとは言われておらず、混乱と闇の広がりが予告されているが、そのような暗い状況においても福音伝道は止まることなく、この世の終りまで続いていくというほどに、強い力で後押しされ、推進されていくことが記されている。
このように、福音を伝えるということは、神の歴史を導く大いなるご意志と一つになっているのであって、それゆえに、その福音伝道に主にあってかかわる者への祝福もまた大きい。
主イエスは、言われた。
…収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
(ルカ福音書10の2)
しばしば、聖書の研究をしてから伝道をするということが言われる。しかし、聖書において、そのようなことは言われていない。主イエスご自身、当時の聖書―旧約聖書を研究するということはなかった。研究によってではなく、神の霊を受けて聖書に深く精通しておられた。大工の息子として家業を手伝っていたのであって、聖書の研究などできるはずもない。子ども時代に学者たちとの対話でその英知を明らかに示したが、なお、伝道を開始されるときには、聖霊を受けられる必要があった。このことは、四つの福音書のすべてに記されているほど重要なことなのである。(マタイ3の16他)
キリストの最も重んじた弟子たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちはいずれも、研究などとは無縁の漁師であった。彼等は主イエスに直接に呼び出されて、その教えを身近に聞き、驚くべき奇跡も目の当たりにしてきた。しかし、イエスが捕らえられたときには、みな逃げてしまいペテロは三度もイエスなど自分とは全く関係ない、知らないと言い張ったほどであった。
こうして、彼等は聖書を研究するということはなし得ないままであった。
しかし、そのような彼等に、復活したキリストは、約束の聖霊を受けるべく祈って待つようにと命じた。弟子たちはともに祈りをもって真剣に待ち望み、そこに聖霊が注がれ、まったく生まれ変わったものとされて、命をかけて福音を伝えるようになった。
この過程をみてもすぐにわかるのは、聖霊を注がれることの決定的な重要性である。
聖書を研究していたパウロにしても、その研究はキリストを受けいれ、キリストを知らせることにつながるのでなく、逆に、キリスト者を迫害し、殺すことさえさせるに至ったのである。
そのパウロが福音伝道をなすようになったのは、復活のキリストに出会ったからであり、その命の光を受けたからであった。それはまた聖霊を注がれたことと同じである。聖霊(神の霊)を持たない者は、キリストに属してはいないと明言している。
(ローマの信徒への手紙8の9)
すでに述べたように、福音伝道のためには、研究がまず第一にあるのでなく、聖霊を与えられることが第一であり、根底に置かれているのがわかる。研究なら、神を信じない者、異端とされる者でもよくなすことができるのを見てもこのことは明らかなことである。
聖なる霊を与えられ、聖霊に導かれて福音を伝えようとするとき、おのずからより正確にみ言葉を知るために、原語や歴史、背景といったものを詳しく知りたいという願いが起こされる。聖霊が与えられていなければ、そうした研究や知識は、秘かなあるいは公然と誇り、自慢する材料になってしまうであろう。
「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。」(Ⅰコリント8の1)と言われているとおりである。
そして、研究をして知識を得ると、それを発表したくなる。日曜日の礼拝においてすら、研究の結果が発表されることになる。○○という学者がこう言った、ああ言ったと、内外の注解書の見解を羅列してその博識を示すといったことにもなりかねない。その心も自分はこれだけ研究したのだ、あなた方は知らないだろう、といった秘かな誇り、高ぶりが頭をもたげてくることもあり得るのである。
また、研究となると、 繰り返しは価値がない。絶えず新しいこと、しかも誰も知らないようなことを目指す。 一般のニュースも同様である。絶えず新しいことをいわねば相手にされない。
さらに、研究ということを発表するときには、相手が、知的にすぐれていないなら、その研究を聞いても理解できない。すぐれた研究、綿密な研究となると、多様な学者の見解を読みこなし、それを引用し、この学者のこの解釈はこういう欠点があり、別の学者の見解はこれこれの理由で納得できる等々、必ず多様な学者の考えや名前を列挙するようになる。
本当に苦しんで絶望的になっている人、あるいは知的に恵まれていない人たちは、そうした研究を理解することができないのである。それゆえ、そのような研究が主体の礼拝といったものは、そのような弱き人たちを排除することになる。
さらに、礼拝が知的な理解が前面に押し出される場となり、弱い苦しむ人たちにパンの代わりに石を与えるものとなってしまう。
それは、礼拝の場にともにいてくださる主イエスの前にひざまずき、聖霊を受け、み言葉を受ける、という本来の礼拝とは大きく異なるものになってしまう。
福音伝道は、そのような目新しい見解や解釈を打ち出すのでなく、繰り返しである。十字架、復活、再臨ということ、信仰・希望・愛ということを繰り返し伝える。しかもそれは単純である。研究を発表するのとは大きな違いである。
だが、それを主から受けた霊的な力と確信をもって語り、そこに聖霊がはたらくとき、いかに同じことの繰り返しであっても、それは不思議な力を持つ。
本当の福音―よい知らせとは、二千年を超えて本質的に同じ内容である。同じでありながら、新たな力が与えられるとき、それが伝道となる。新たな霊を受けて語ることである。
夜空の星の輝きも同様である。
毎夜、同じもの、同じ輝きでありながら、それを主にあって見つめる者には、新たな輝きが実感され、力を受ける。
そして、聖霊が与えられているならば、自然により深く聖書をも知りたい、可能な方法で研究的に学んでいきたいと願うようになるのであって、まず研究があるのではない。
講壇に立つものは、聖書や歴史その他の関連の知識が必要だ、と言われることがある。それらをもっていると、より正確に語ることはできる。
しかし、いくら正確に、豊富な知識を駆使したとしても、それ自体は福音ではなく、自分の知識や研究をひそかに示したいという願望があればそれは無意味なものとなる。
また、主イエスもヨハネたちも講壇に立ったのでない。湖のほとり、小高い山、あるいは井戸端で、また路傍でさまざまのところで福音を語られた。
そもそも初期のキリスト教の集りは立派な講壇のある会堂などなく、個人の家での集会であった。そこで、ペテロやヨハネたちはいろいろな知識を駆使したのでなく、単純なキリストの復活、十字架の福音を霊と力をもって語ったのである。それが、わずかの年月でたちまちローマ帝国全体に広がっていく原動力となったのである。
使徒パウロも、次のように述べている。
…私もそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。私はあなた方の間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外何も知るまいと心に決めていたからである。…
私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものであった。
それはあなた方が人の知恵でなく、神の力によって信じるようになるためであった。
しかし、私たちは信仰に成熟した人たちの間では知恵を語る。それはこの世の知恵でなく、隠されていた奥義としての神の知恵である。
(Ⅰコリント2の1~7より)
パウロがコリントの人たちに福音宣教をするとき、ただ十字架によるキリストの救い、そして十字架で死んだキリストが復活したといった単純なこと、しかしキリスト教の中心のみを語ったことを強調している。
このことは、コリントだけでなく、使徒言行録で、パウロの最初の宣教の旅における初めての彼のメッセージ(小アジアで行なわれた)のなかにもはっきりと見ることができる。(使徒言行録13の26~39)
さらに、信仰のすすんだ人たちに知恵の言葉で語ったといっても、それはこの世の学問的なことや知識でなかったことは、「この世の知恵でなく、隠されていた奥義としての神の知恵(英知)である」と特に記していることからも明らかである。
このように、聖書そのものを調べてわかるのは、まず、研究や知識でなく、まず聖なる霊を受けること、生きてはたらく主に導かれることこそが福音伝道の根本なのである。
これは私自身についても同じであり、私は理科系の出身でありキリストを信じたのは大学4年であり、実験でとても忙しいさなかであり、聖書のことなど調べる余裕はまったくなかった。集会もわずかしか参加していない。しかし、十字架と復活の福音の真理は深く心に刻まれ、罪の赦しがいかに深い意味を持っているかは、書物で研究する必要はなく、みずからの魂の奥において経験できたことで十分であった。ただそれをもって、私は大学卒業後、高校の理科教師となり、赴任して二カ月後から福音を伝え始めた。そして、すぐにその放課後の自由な聖書やヒルティの学びの会に集まる生徒たちが与えられていった。まさにそれは、研究の結果でなく、聖なる霊がそのようになさったのであった。
研究と教育とは別である。教育熱心な者が同時に研究で業績を出すとは限らない。同様に、聖書の研究と伝道は別である。すでに延べたように、キリストも研究して伝道したのでなく、弟子たちも全く同様である。パウロは聖書を研究していたが、キリストを信じるに至るどころか、逆にキリストを迫害することになったほどである。
伝道のために、より正確な知識を得るために、研究が必要となることはもちろんある。
しかし、伝道そのものはいくら研究してもできない。すでに述べたように、イエスの弟子たちは漁師であって、まったく研究なくして、聖なる霊が注がれたということだけで、伝道は可能となった。
救われた確信―主の平安、罪の赦しを実感し、神の愛を実感するとき、そして聖なる霊を受けたとき、いかに研究や知識がなくとも伝えたいという気持ちになってくる。
世界中で最も繰り返し口にだされている言葉は、主の祈りである。
その中に、「御国を来らせたまえ」という祈りがある。その祈りは、そのまま伝道の祈りでもある。人の心に神の愛の御支配がきますように、家庭や学校、会社、国家等々、この世の至るところに神様の愛と真実による御支配がきますようにとの祈りである。
それは言い換えれば、それは福音を信じ、神の恵みと豊かさを受けることができるようにとの祈りである。
福音伝道の根本にあるのは、闇と空虚、混沌の中に光がじっさいにある、ということを体験し、示されること。
さらに、荒野にいのちの水が湧きあふれるということを自分の魂のなかにやはり実感することである。
主イエスは、「私を信じる者は、その内部からいのちの水があふれ出る。」と言われた。そのあふれ出た生きた水が、周囲の人たちの魂をもうるおしていく。これが福音が伝わっていくということである。
そして聖霊がうながすことは、まず弱い立場の人に伝えるということである。「失われた羊のもとに行け」と主イエスは言われたし、病気や悪霊につかれた人のところに行けと言われた。(マタイ10の6~8、同15の24)
そして、じっさいに山上の垂訓の後のイエスの初めての奇跡は、マタイ福音書では、当時最も恐れられていたハンセン病の人に手を差し伸べた記事である。
(マタイ8の1~4)
また、その他にも、イエスが直接にかかわって癒し、救いを与えられた人たちは、目が見えない人、耳の聞こえない人、重い病人、悪霊に取りつかれた人、死に瀕している人等々であった。(マタイ8章~9章など参照)
愛とは聖霊の実であると記されている。その実をもってするなら、地位が高く、経済的にも恵まれた人をそうでない人よりも優先するといった気持ちには導かれないはずである。
一人の人が罪を知り、悔い改めたとき、天において大いなる喜びがあると主イエスは言われた。十字架の福音によって悔い改めるとき、人に真の意味で喜びをもたらすものとなり、天においても他の何よりも大きな喜びを響きわたらせる。
(ルカ15の7)
福音は闇に苦しむこの世に天から射してくる光であり、それはすでに述べてきたように旧約聖書―とくに詩篇や預言書などにすでにさまざまの所にその曙光が現れている。
聖書全体を貫いて響いているこの喜びのおとずれを魂に受けてそれをそれぞれの置かれた場において、他者に伝えることこそ、すべてのキリスト者にとって与えられている霊的仕事であり、豊かな祝福を受けるものである。「収穫は多いのにはたらき人が少ない。収穫の主にねがって働き人を送ってくださるように祈れ」(マタイ9の37~38)という主イエスの言葉を私たちも受けて祈り願い、さらに私たち自身もこの地上にある限り、その福音のための働き人とさせていただきたいと願うものである。
神の沈黙、その中から聞かれること―詩篇第28篇
生きて働いておられる神などいないと思う人たちが日本では圧倒的に多い。それは、祈ったところで何も状況は変わらないし、この世には神がいるのならどうして?
と思うようなことがたくさんある。だから神などいるはずがない、というように考える。
言い換えると神の沈黙ということである。
聖書においても、いくら祈っても何も答えてくださらない神のことはしばしば記されているが、そのような神の沈黙のなかで、ひたすら神に祈り続け、叫び続ける姿もまた多くみられる。次の詩篇もそうした一つである。
私たちも現実の生活において、やはり神の沈黙ということに繰り返し直面するゆえに、こうした詩がいっそう身近に感じられる。
…
主よ、あなたを呼び求めます。
わたしの岩よ
わたしに対して沈黙しないでください。
あなたが黙しておられるなら
わたしは墓に下る者とされてしまいます。
嘆き祈るわたしの声を聞いてください。
至聖所に向かって手を上げ
あなたに救いを求めて叫びます。
この詩の作者の置かれた状況はどのようなものだったか。死の力が迫っているといえるほどの苦しい状態であった。
この詩が書かれた時はまだ「復活」ということは信じられていなかったので、死んだら終わりだというのが、旧約聖書全体の考えであった。(旧約聖書の時代の後期―詩篇やヨブ記の一部には、復活ということが少数ながら見られる。)
墓に下るとは、死ぬことであり、死後は、暗い影のような世界に入ってしまうというように当時は受け取られていた。
この詩の作者は、死後にそのような暗い、命のない世界に落ち込まないために、何が必要かを知っていた。
それは神からの語りかけである。神からの何らかの言葉、励ましがなければ、人間は死後はみな暗い命のない世界に入ってしまう、生き生きした命は消えてしまう。
人間関係でも話しかけても黙っていたら、全く関係が切れてしまう。手紙を何度出しても返事が来なければ、この人はもう関係を切ろうと思っているんだと思ってしまう。このことからも分かるように、神と今まで結びついてきた人にとって、神からの語りかけがなかったら、神との関係は絶たれたんだと実感されてくる。
この詩人は神の語りかけによって生かされてきたのである。言い換えると、私たち生きる者とされているのは、神からいつも何らかの語りかけや励まし、目に見えない霊的な力、賜物を与えてくださっているからである。
この作者は、神からの応答を求めるために必死で祈っている。旧約聖書の詩集である詩篇は、単に自然の姿などに感動したことを言うよりも、人が置かれた苦しい状況からの祈りが非常に多い。
これらの詩の多くに流れているのは、滅びるかどうかという瀬戸際におかれたときの叫びであり、それが最も心を動かすから、聖書の中の詩篇ではその内容のことが圧倒的に多い。しかし、日本の場合は恋愛や自然をうたったものが多数を占めている。
それゆえに、日本の詩歌によって生きるかどうかという苦しみのときに励まされた、生き返る力を受けたというような人々はごく少ないと言えよう。
悪の力へ裁きを
この詩の作者は、自分を苦しめ、そして世の中を混乱させ、破滅に導く悪の力の強さを深く知っていた。それゆえに、人間の本当の幸いのためには、その悪の力が打ち砕かれ、滅ぼされることが不可欠だと知っていた。それゆえに、次のような悪の滅びへの強い言葉が生まれる。
…
神に逆らう者、悪を行う者と共に
わたしを引いて行かないでください。
彼らは仲間に向かって平和を口にしますが
心には悪意を抱いています。
その仕業、悪事に応じて彼らに報いてください。
その手のなすところに応じて
彼らに報い、罰してください。
主の御業、御手の業を彼らは悟ろうとしません。
彼らを滅ぼし、再び興さないでください。(5節)
しかし、このような表現には、受けいれがたいものを感じる人もいるだろう。旧約聖書の時代、それはまだキリストが現れていないときであったゆえに、悪人こそ滅ぼされるべきだと考えていた。
このことは、新約聖書の時代、キリストの時代になって大きく変化した。
それは、真に滅ぼすべきは、悪人でなく、悪そのものであると、キリストもその言動で示し、弟子たちにもその悪の霊そのものを追い出す力を与えられたのであった。悪い人でもその人の内なる悪が除かれるとき善き人になるからである。
…
主をたたえよ。
嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。(6節)
主はわたしの力、わたしの盾
わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。
歌をささげて感謝いたします。
主は油注がれた者の力、その砦、救い。
お救いください、あなたの民を。
祝福してください、あなたの嗣業の民を。
とこしえに彼らを導き養ってください。
6節からは神からの応答があり、助けを得たと突然変わっている。この不連続なところが聖なる霊の働きであり、神がじっさいに生きて働いておられるというしるしだと分ったのである。人間の気持ちを超えたところで神の御手が働くと、この詩人が経験したようにある日突然それまでどうしても動かなかった状況が変わることがある。
5節までの苦しい状況から6節の神の答えを得るまでどれくらい時間がかかったかは分からないが、このような突然のよき変化はこの人に限らず誰にでも起こる事である。
神が自分の祈りを聞き、叫びの声を受けいれてくださったのは、明白な魂の変化があったゆえに確実なこととして感じたのである。それまで非常に追い詰められた気持ちだったのに、励まされ途端に力を得たからである。
そして神こそ本当の力だと言えるようになる。人間はこれこそ私の本当の力だと言えるものを持っていないと、何か起こったときに意気消沈してしまう。
大多数の人において、年をとったらそれまで力だと思っていたものがだんだんと弱っていくこと、それらが本当の力ではなかったことを思い知らされていく。健康や職業、地位やお金といったものは若いうちは力になったけれども、それらは歯が抜けていくように確実に消えていくというのが老年である。
しかし神を魂の力としていたら、老年になっても私たちは魂を支えられる。神は私たちの岩であり、力であり続ける。
このように前半は涙を流して必死で祈っていたのに、時至って喜びと歌が自ずと出てくる状態になった。このように大きな突然の変化が起きることに驚かされるが、それはこの詩の作者だけでなく、神への信頼を固く持ち続ける者にはだれもがそのような変化が起きることを読むものに示しているのである。
この詩の作者のように、苦しみで耐えがたいようなとき、祈りや願いに対する神の応答がなくても、神など存在しないと思うことなく、求め続けていれば、神の時が来て、この詩人のように答えてくださる。
自分が救われた経験がなければ、他の人々を救ってくださいという祈りなど到底生まれない。しかしこの詩人は神の応答を聞き、実際に滅びるかと思われるような苦難のなかから救われたのである。そこから、「神の民(イスラエルの人々)を救ってくださいという願いへと自然に移っている。(8、9節)
この詩は三段階になっている。まず悪に囲まれて攻撃され、滅びるばかりという追い詰められた状況から必死に祈り、時が来て神の応答を聞いた。そして自ずから、その賛美は周囲の民へと広がっていった。このようにこの世的な幸福は視野が狭くなる傾向があるが、本当に救われた人は魂の視野が次第に広がっていく。真理と結びつくならば、視野は広がる。
苦難を超えて、沈黙の神に対してもあきらめずに祈り、訴え続けることによって、神からの生きた応答と力を与えられたのがこの詩の作者である。
そのことは、この詩が作られてから3000年ほどもたった現代の私たちにもそのまま通用することである。
国政を担当する者の祈り
日本は現在も政治は混沌としているが、これからも政治の漂流は続くであろう。今後も何が政治の世界で起こるか誰もはっきりとは予見できない。
聖書は、国家のトップはどのような者であるべきかを、はるか三千年も昔のダビデ王の祈りによって示している。
…『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」
(旧約・サムエル記下7の26~29)
ここに、王となったダビデの祈りがあり、支配者のあるべき姿が表されている。それは、自分の名声や武力、権力でなく、神の御名、すなわち神ご自身があがめられるようにという祈りが第一にある。
そして、神の語りかけを聞き取ることが、王としての基本的姿勢であるのが示されている。さらに、自分の判断、計画や国民の協力といった一般的なことでなく、神の祝福こそが、国家、人民の福祉の根源となるという確信がある。
まず、経済―金や物の動き、税の問題、政治の制度、そして国を守ると称しての自衛軍の整備といったものが重要な争点となり、国民の関心事となるのとは、全くことなる視点がここにある。
そしてここで言われていることは、王だけでなくそのまま、一人一人の人間にもあてはまることである。真理は普遍的であり、王だけにあてはまるといったものは真理でないからである。
次に、ダビデの後に王となったソロモンの祈りを見てみよう。
これは王となったソロモンが神殿を完成したときの祈りである。
… わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。…
どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。 イスラエルの民が罪を犯したゆえに敵に敗北したとき、あなたに立ち返って祈り、憐れみを乞うなら、その罪を赦してください。(列王記上8の28~34より)
この祈りで分るように、王となったソロモンも第一に祈っているのは、神が聞いてくださることであり、罪を犯した場合の赦しを請い求めていることである。神が聞いてくださらなければ、どんな王の計画や武力や行動力、また軍隊の多さなども何にもならないということを知っていたことを表す祈りとなっている。
心の貧しいものは幸いだ、と主イエスは言われた。自分の力や権力、判断力でいっぱいになっているときには、こうした祈りは生まれない。自分の弱さとその限界を深く知っている心―それが心貧しき者であり、そのような心に対して神の無限の力と悔い改めない者への裁きの確実さ―正義の力をはっきりと知っていたゆえにこのように祈っているのである。
このような祈りは、理想だ。現実は違う、といった反応を示すのが多数を占めるだろう。
しかし、理想とは何か、本当のあるべき姿であり、それをはっきり指し示すこと、それを国民の一人一人も知ることが基本的に大切なことである。 あるべき姿を明確に知ろうとしないということは、目先の動きに捕らわれ続けることである。
そして理想は、人間の努力や会議、あるいは経済力、武力などいかなるものによっても最終的には到達できない。しかし、神の万能と無限の英知を信じる者は、それは実現しない空虚なものでなく、神の力によって必ず最終的には―歴史の終極において実現されることだと信じることができる。
ここでも見ずして信じることが求められているのである。
九州、中国地方での 集会と訪問
今年も何とか健康も支えられ、多くの方々のお祈りやご協力によって、主の導きを受けて11月8日から、九州、中国地域のいくつかの集会や個人を訪ねることが許された。
大分での集会は、全盲の梅木龍男さんが経営しておられる有限会社 独立ケアー・センター(通所介護サービス)での静かな集りが与えられた。今回は、ヨハネによる福音書を通してイエスの祈りを学んだ。私の聖書講話のあとの感話で、渡辺信雄氏が、
次のように話された。
… ヨハネはどうしてこんな深い話しをできたのだろうか。 ヨハネによる福音書には「主の祈り」がないが、この最後の夕食のときに祈られた主の祈りがある。
ここには、本当に深い意味があることを思った。ガラテヤ書を学んでいて、今日の箇所と関連して、 キリストが私のうちに住んでいてくださる。いつも聖霊として自由に内在してくださっている。そのことによって信じることができ、信じることによって私たちが愛することができる。愛することができること自体、キリストが内在してくださるからだ。ヨハネ福音書は特別な福音書だと思った。神とキリスト、そしてキリストと私たちが一つとなるということ、キリストの内在、主の内にとどまること(ある、つながる
等々に訳されている)、そこに深い意味がこめられている。 本当に聖書というのは 深い内容だと感じた。…
確かに、ヨハネによる福音書には、独特の霊的な深さがある。それはヨハネが主から直接に受けた啓示あり、「命を与えるのは霊である。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6の63)と言われたイエスの言葉が思い起こされる。
霊は風という意味をももっている。風のようにどこからともなく来て、どこへともなく吹いていく。それはいくら捕らえたと思っても捕らえられない。弱い風もあれば、強烈な風もある。同様に、このヨハネによる福音書は、もう十分に理解できた、などと思っても、ほんのわずかしか捕らえてはいない。私たちの魂にどこからともなく吹いてきて、しみ入るし、また私たちを通ってべつの人のところへも入っていく。み言葉もまさにそのようなものである。
次には、鹿児島の集会に行く途中で、福岡県南部在住の「祈の友」会員のNさん宅を訪ね、ご夫妻と懇談、讃美、祈りをともにするひとときを与えられた。老齢となって体調もわるくなり生活も難しくなっているが、信仰によって支えられていることを知らされた。教会にもいけなくなり、聖書講話のテープや録音CDを用いてみ言葉に接しておられるとのことで、み言葉がそのような不便な生活となっても心の拠り所となっておられるのを感じた。
鹿児島の集会には、責任者の古川静さんからのご希望があり、去年初めて訪問する機会が与えられた。今年も去年とほぼ同じ方々が参加されていた。その内には、従姉妹が信仰に立ち返ることができるようにとの願いから、東京からの参加をされたMさん、そして、登戸学寮に寮生として所属していた学生Mさんのご両親が、去年はそのMさんのすすめで参加されていたが今年も引き続いて参加された。
また、宮崎県の西都市から160キロ、そして宮崎市から130キロもの遠くからの参加者がそれぞれ2名ずつ、4名の方々が参加された。
このような遠距離の方々が、しかもお仕事もあるにもかかわらず、ただみ言葉のために参加されたことのなかに、神の言葉の持つ不思議な力を思わずにはいられなかった。こうして二千年という長い歳月、世界で神の言葉が人々の魂をひきつけ、困難や危険をも超えて、集ったことを思った。
こうした遠距離の方々の参加とともに、すぐ近くからの参加者のうち、私の妻の大学時代の友人Tさんが去年初めて参加し、今回も参加されて感謝だった。Tさんは、聖書とかキリスト教とは無縁の生活を何十年と続いていたこともあり、 私自身はTさんとはほとんど妻に電話を取り次ぐ程度しか関わりはなかったが、去年と今年の参加によって、Tさんに主がはたらいてくださったことを感じた。ことに感話と祈りのときに、今日は神の力をとくに感じたと話され、ともに集会の方々とともにこれからも歩んでいきたいと涙ぐんで言われたことは、主による導きと感謝だった。
会場となった有限会社 牧善商会の経営者のMさんが、たまたまTさんとすぐ近くに住んでおられるという、これもまた主の導きとしか思えないようなことがあり、Mさんが集会への送り迎えなど何かと主にある配慮をしてくださっているとのことだった。また集会の方々、ことに代表者の古川さんが祈りをもって参加者に対しておられることもTさんのこうしたキリストへの方向転換へとつながったと感じたことであった。
また、Mさんが古川さんを知ったのは、東京の今井館に問い合わせたら、福岡の秀村弦一郎さんを紹介され、その秀村さんが古川さんを紹介して集りに参加するようになられたとのことであったから、主はいろいろな方々を用いてくださっていることを知らされたことである。
その日は7時から10時近くまで集会があったので、宮崎県の遠くからの参加者が帰宅できたのは、深夜の午前1時くらいになったのではないかと思われた。このような遠距離をも御国のためにと共に心を合わせて参加してくださったことに感謝であった。
翌日は、熊本のハンセン病療養所、菊池恵楓園を訪ねた。私は「祈の友」に属しているので、恵楓園におられる4人の「祈の友」会員の方々と、お会いできて感謝だった。(「祈の友」会員のIさんが案内をしてくださった。)
そのうち一人Sさんは、重い症状であり、酸素マスクをして言葉も出せないほどであったが、看護師さんの呼びかけには反応され、私が話しかけたときも口を動かされて何かを言おうとされているようだった。
枕元で祈って辞去したが、後日帰宅してから、犬養光博氏(私の訪問の数日後に園を訪問された)からの連絡で知ったことは、その翌日Sさんが召されたとのことであった。その方の地上で最後のときに主が引き合わせてくださったのだと思った。
広大な園の敷地には最大のときには、2000名を越えるハンセン病の方々が入所しておられたという。私がお会いした方々も、50年、60年という長い歳月をその園内でずっと過ごして来られたのであった。そしてその閉鎖された場所でキリストに出会い、そのキリストによって困難のなかで、平安と力を与えられてきた方々だった。
そこに園内を照らし続けてきた主イエスの、いのちの光を感じる思いであった。
翌日は、福岡での主日礼拝で、ふだんとは異なる集会の場を責任者の秀村さんが探してくださっていた。それは礼拝後同じ場所で昼食、懇談ができるためであった。平地の駐車場もあり、高速道路からのアクセスもよく土地を知らない私には便利な場所だった。
この日、福岡の集会に参加するのは、二回目だというTさんがご夫君を同伴して参加されていた。その夫君はキリスト教の集会、教会などには参加したことなく、今回が初めてとのことであった。主がこのように初めての方々をも導かれていることに感謝した。そしてTさんは、私が聖書講話のなかで触れた、菊池恵楓園について、子どものときから、その恵楓園の近くで育って、その壁の向こうの世界―ハンセン病の方々のこと―がずっと心にあったとのことであった。私が前日訪問したばかりのハンセン病療養所の近くで育った方が、集会にみえておられたことも意外なことで、私にもTさんご夫妻にも、その園のこと、またこの日の集会のこともより印象に残ることとなったと思われた。
年間では10人を越える方々が、会場の行事予定などを見てこの集会に参加されるが、その後も参加を続ける方々はごく少ないとのこと、なかなか一般の方々は、キリスト教信仰へと近づこうとされず、聖書の真理を学ぼうとしないけれども、主がその御手をはたらかせてくださるときには、思いがけない方が、受けいれ、定着し、そこからまた新たな人が導かれることがある。
今後とも、こうした主の祝福と導きがあるようにと願ったことである。
礼拝と食事、交流会などの終了後、福岡県内の「祈の友」会員の方2名を訪問、一人は高齢であるが、信仰をしっかりもっておられ、施設にあってそこでの生活と、主イエスがともにいてくださることで体力の衰えがありつつも、平安な生活を送っておられるのが感じられた。次に訪問したHさんは、前夜肺炎で急に症状が重くなり、タクシーで入院されたとのことだった。80歳を越える高齢で今年は大きな手術も経験され、お話しもできないかも…と思って娘さんと共に病院に行くと、意外なことに起き上がって、ふつうに話がいろいろとできて、しかも、そのような急ぎの入院であったにもかかわらず、封筒に私のはたらきのためにと献金を準備されていてくださったのには、驚かされた。このようなときにも神様に捧げることを思っておられたのかと…。
そして20分ほどお話しして帰途についたが、その翌日から急に病状が悪化し、話もできなくなり、6日後に召されたと帰宅してから知らされた。 やせ細っておられ、みるからに弱々しいお姿となっておられせたが、内に秘めた信仰、主との霊的むすびつきは、最後までしっかりと保たれ、そのまま、御国へと旅立って行かれたのだと感じたことであった。
先に記した恵楓園の方とともに二人の「祈の友」会員の方の、地上での最後の出会いの時を備えてくださった主に感謝したことであった。
次の日の夜は、島根県浜田市にてKさん宅で3人での夜の家庭集会が与えられ、ヨハネによる福音書の最後の夕食時の教えのなかからの学びをした。ご夫妻は一年ほど前、交通事故で重傷を受けたが、お二人とも、周囲の方々の深い祈りやよき医者の治療などもあっていやされてふだんの生活ができるようにまで回復されていたのが感謝であった。
島根ではさらに、奥出雲といわれている地方での集会が今回も与えられた。かつて加藤歓一郎(1905~1977)という伝道者、教育者の方が、その地域の教育と伝道に力を尽くされ、その教えを受けて信徒となった方々がいまも残り、 かつての集会場であった土曜会館というところで今回も集会が行なわれた。松江市からの参加者もあった。
なお、加藤歓一郎によって導かれた稲田誠二氏がこの地域で始めた家庭集会にて信仰を育てられたのが、現在の高槻聖書キリスト集会の責任者である那須佳子さんであり、その関係で4年ほど前からこの奥出雲を訪ねることになったのであった。
またその夜に宿泊した松江市のビジネスホテルのすぐ近くに、かつて埼玉県の方から、私の「原子力発電と平和」の本を送るようにと依頼されたことのある人がいるのがわかり、原発のことなど話し合いたいと思った。
翌朝の短い時間であったが会う機会が与えられ、話していたところ、埼玉の私の教友や、二日前に私が訪問したばかりのKさんをよく知っているとかで、一冊の本によって新たな主にある交流の機会が与えられるということもあった。
翌日の鳥取の集会では、初参加の方もおられ、また家庭での難しい問題をもっておられる方も参加されていた。主がそこにもはたらいてくださり、いやしをあたえてくださるようにと参加者も祈ったことであった。ふだんは共に集まれない方々も主によって集められ、個人的な難しい問題もだされてそこに来てくださっている主に祈り、讃美し、その力をともに請い願うことができたのは感謝だった。その翌日、病院に入院されている方を訪ね、困難な状況にいるその方がどうか主の力を受けることができるようにと祈り、願うばかりであった。
翌日の岡山での集会は、香西民雄氏ご夫妻によって準備され、思いがけない人が参加していた。その初参加の人、Iさんは、私の大学時代の同じ化学科の同期の友だった。もう卒業以来40年以上、連絡を取ることもなく、会ったこともなかったが、香西さんと会った時、時折彼の消息を耳にしていた。
彼はキリスト者ではなかったが、このようにして時が備えられて、キリスト教の集会に初めてともに参加できて本当に感謝だった。彼は、香西さんのかつての高校時代の教え子だということもあり、以前からこの集会の存在は知っていたと思われるが、今回初めてこの集会に参加したのだった。
人生の晩年において、キリスト教との出会いが今回の集会で与えられ、さらに主が彼を導いてキリスト者とされますようにと祈りをもって別れた。
また、この集会にやはり初参加の方がおられた。その方は、徳島にいたとき、徳島聖書キリスト集会員のMさんと知り合ってから、岡山に帰ったときも「はこ舟」、そして「いのちの水」誌をMさんから引き続いて送られていたこと、親族に無教会の方がおられるとのことで、現在は教会に通っておられるとのことだった。
今年の九州、中国方面の各地の集会での礼拝、訪問なども、多くの方々の祈りや具体的な準備や援助によっても備えられ、支えられて無事終えることができた。交通面でも危ないことにも直面したが、とくに車のことは一瞬ですべてが破壊される危険性をはらんでいる。
それらすべての背後にあって導き、守ってくださった主の力によって私は動くことができたし、無事帰ってくることができたことを思う。こうした小さな働きをも主が用いてくださり、福音が伝わることに用いられますようにとねがってやまない。
沖縄での全国集会、そこから感じたことなど
はじめに、犬養光博氏による基調講演がなされた。犬養さんは、自ら筑豊の閉山炭鉱で伝道所をつくり、カネミ油症事件、被差別部落や在日朝鮮人たちとの関わりが与えられてきたが、それも無教会の信仰の先達の導きによって支えられたと語られ、さらに、4人の人たちをあげて、その人たちがいかに生き、何を語られたかを述べて、人との出会いをとおしてイエス・キリストに出会うということを話された。
主日礼拝では、沖縄の金城清氏が、沖縄では基地の撤廃など、社会的な平和運動の重要性はもとより大きいが、キリストはそうした運動の根源となるべき神との平和な関係を与えるために来られた。そのことによって、私たちは苦難をも誇り、苦難に耐える忍耐をも育てられる。そしてパウロ自身が指し示したように、私たちも聖霊によって愛と力を与えられ、いかなる困難にも打ち倒されずに歩むことができるように導かれていることを語られた。
発題としては、差別、教育、福音伝道の三つの分野からなされた。
最初は「差別の構造」と題して、沖縄の永山盛信氏が語られた。日本の家庭や社会、政治などの至る所で、自分の欲求を第一とし、相手の願いを無視して踏みにじるということがみられ、構造的差別となっている。福島原発事故も沖縄の基地問題も、こうした構造的な差別が根底にある。本土にいると安保の問題、沖縄の問題が見えない。沖縄にて本土で見えないものを見て、その差別の根底を克服するために何が必要なのかに迫ってほしいとの強い願いがうかがわれた。
二つ目は、「教育の危機」と題して、 大阪の那須容平氏が、大阪の若手教員として、どのような問題が生じているかをあげ語られた。大阪は在日朝鮮人や被差別部落の人たちも多く、人権教育の重要性が言われてきた。
最近「君が代」の強制にみられるような校長の権力強化のこと、生徒、保護者に授業評価をさせて教師の勤務成績を決める資料とする、教師を互いに競争させて成績という人間の表面的な部分を過大視していく教育等々の問題点がある。そのなかで、福音を与えられていることによって教師として生徒に分かとうとする心、また弱い立場のものを受けいれ、教師自身のやり場のない弱さをも受けいれて力を与えてくださること、本当の危機である魂の飢え渇きをいやされつつ生徒に対することの重要性を言われた。
三つ目は、「福音と伝道」で吉村孝雄が語らせていただいた。その内容は今月号の「福音と伝道」に記した。
キリスト者の証言としては、二人の人が話された。一人は、沖縄のユタ(*)からキリスト者となった女性である。彼女は死者の霊、幽霊などを見たという経験を持ち、普通の人が見えないその人の過去などが部分的に見えると称して、そのような能力を用いていろいろな人から多額の金を報酬として受けて生活していたが、キリストの福音に触れて変えられたという証しであった。
もう一人の人は、沖縄戦(**)での具体的な体験を語られた。
(*)ユタとは死者の霊、先祖の霊、自然界の精霊、神道の神など多様なものを神々として受けいれて呪術的宗教行為を行なっている者。それら神々と交流すると称して弱い状態にある人、苦しむ人からしばしば多額の金を受けて助言などをする。
(**)太平洋戦争の末期、1945年3月下旬から6月下旬の約3カ月に渡る日本軍とアメリカ軍との戦争。この短い期間で、日本人は軍人、一般人を含めおよそ20万人もの人々が命を失った。戦争で重い傷を負って障がいをもった人、病気などや家族の死傷などによる、精神的に深刻な打撃を受け、死ななかったものの、後の人生をまったく狂わされた人たちはその何倍にも及ぶであろう。
戦争のゆえに、家族が目の前で死んでいき、まもなくウジ虫が増え広がりその餌食となっていく無惨な姿の数々に接し、また自分自身も死をさまよう状況であったがそこから、胸に十字架を付けたアメリカの衛生兵に助けられた。その記憶がもとになって収容所の近くにあった臨時のテントの上に同じ十字架があるのを見て恐る恐る入っていったところ、そこに神父がいて、暖かいミルクなどを与えられ、キリストのことを知らされた。それが家族も失い、恐ろしい孤独と絶望から救いだしてくれることになった。
戦争がいかに人間の心身を、そして自然や人間の関わりを全面的に破壊するものであるか、身をもって体験された方のリアルな証しであった。そしてそのような荒廃極まりない状況にあっても、キリストの十字架が光を放ち、その死地をさまよっていた若い魂をキリストに導くことになったことのなかにも、十字架の不思議な力を感じさせられた。
十字架でキリストが私たちの罪のために死んでくださったこと、それが核心であり、そのことを信じることによって大いなる精神的な革命が私にも生じたが、神は十字架という真理のシンボルをもこのように用いられることがある。
このことは、何らかの信仰にかかわる絵画、音楽、写真、あるいは書物、自然の姿等々も、みな見えるものであるが、それらが用いられて、見えざる真理へと導くものとなることがしばしばある。
これらの証しのほかには、分科会があって、発題の三つのグループに分かれての感想や話し合いがなされた。
土曜日の夜は、沖縄での最後の全国集会だと考えられることもあり、沖縄の琉球舞踊、沖縄の言葉による讃美、三味線と歌、空手の実演などが行なわれた。
これらは、沖縄の言葉による讃美以外は、直接にキリスト教とは関わりのないものであったが、沖縄がどのような所であるのかを知る一助となった。
全国集会の終了の翌日、希望者対象に平和学習ツアーがあった。沖縄の戦跡―糸数濠、ひめゆりの塔、平和祈念資料館、アメリカの基地、あるいは、現在宜野湾市にある普天間飛行場の移転先候補として知られている辺野古視察などが、全国集会終了の翌日に設定されていた。私は今回は中北部のコースをたどった。
行程のはじめに訪れたのは沖縄戦の状況を大きな絵画や写真などで現している佐喜真美術館で、その代表的美術作品として、丸木位里・俊 夫妻による「沖縄戦の図」があった。
そこには、たくさんの人たちの苦しむ姿、海戦で流れる血や戦火を現したもの、濠に避難している子どもたちなどが描かれていた。
そこで描かれた一人一人の人間の姿には、沖縄戦がいかに悲惨なものであったかが浮かびあがってきて迫るものがあった。ことに正面に大きく女性の姿が描かれているが、その人は、スパイ容疑で日本軍人から殺害されたという。何の罪もなく、ただ沖縄と本来関わりないところで決められた戦争が沖縄の静かな暮らしを徹底的に破壊し、さらにおびただしい人たちが命を落とし、傷ついていったという大規模の被害を受けているのに加えてさらに、スパイとされ、裏切り者という汚名を着せられ、苦しめられ殺害されるという悲劇のなかに、戦争の悪魔性をクローズアップして描き出されている。
戦争というのは、人を殺すという最も重い罪を政府や国民全体が一斉に賛成し、無関係であったはずの大量の他国人を攻撃して殺害し、傷つけ、その人の生涯や家庭、住居、生活などあらゆるものを破壊していく。しかもそれを攻撃して勝利したものは、両手をあげて喜ぶという状態になる。
人を殺害して喜ぶなどというのは、きわめて異常である。それは通常の状態なら、そんな人は精神のはたらきが損なわれた人だとみなされるだろう。
しかし、戦争となると、政治家や軍人だけでなく、学者も芸術家も、商業や会社経営の人、一般の人たちもみんなが、敵とされた国の人たちをたくさん殺害したことを大喜びするという異常きわまりない状況に変化する。
こうした絵は、好んで見られるというのではない。しかし、文章や言葉、あるいは遺跡を見るのとはまた異なるもの、それらでは伝わらないものが画家の鋭い感性によって表現されているのを感じた。
逃げ込んだ洞窟や、アメリカの基地、そうしたものも沖縄の問題や過去の状況を浮かびあがらせるが、深い感性から描かれたこのような絵画を見つめていると、戦争の悪魔性、その悲しみと苦しみと闇の力が現代の私たちにも生々しく迫ってくるものがあった。
沖縄の人たちが、戦争の激しいときに隠れた濠(自然の洞窟、沖縄の言葉でガマ)の中では、そこは隠れ場として安住の地では決してなかった。
そうした濠のなかには、そこに隠れた人たちが全員助かったというのも一つある。その濠は、シムクガマというが、そこでは、千人というたくさんの人たちが避難しており、その中にハワイ出身の方が二人いた。彼等は、アメリカ軍人は投降すれば殺さないと、避難している人たちに懸命に説得した。そのおかげで、チビチリガマのような集団自決は起こらず、助かったという。
しかしそれは、全くの例外で、アメリカ人に降伏すれば、残虐なことをされて殺されると日本軍人に言われていたから、アメリカ軍に降伏しようとせず、濠の中で、親が子どもを殺し、家族や他人が殺し合うといった集団自決という恐ろしいことも生じた。爆撃や砲弾の激しく降るさなか、電灯もなく、ロウソク、マッチなどもほとんど手に入れることもなかったと思われるような状況にあって、数百人~千人が入れるという奥深い洞窟は真っ暗闇である。食物もまともになく、水が流れ、湿っていて到る所ですべって倒れやすい。そのような中、外に出ると砲撃で死ぬか、アメリカ兵に捕らわれて殺される、あるいは日本軍人によっても殺されかねないなどと言われていたから、もう自分たちで互いに殺し合って死ぬほかはないのだと考えるようになった。
そこで鎌や竹などでわが子を殺す、他人をも殺すなど、言語を絶する恐ろしい状況がこれらの濠のなかで生じた。生き残った人たちも、そこで何が行なわれたか固く口を閉ざして語ろうとしない部分があるというのはこうした状況は深く魂に刻まれ、そこでなされた人間とは思えないようなすさまじい状況がまぶたに焼きつき、それは語ることもできないほどの深い傷を残していると考えられる。
戦争とは、このようなきわめて非人間的なことを大規模に行なうことである。平和であって欲しいというのは万人の願いである。しかし、その平和すら、口実とされて新たな戦争が次々と起こされてきたのが、歴史の現実である。
沖縄の悲劇につながった太平洋戦争を始めたのも、東アジアの永遠の平和のためだと天皇が言っている。(開戦の詔勅)
平和のためと称して、最も平和と対立する大量の殺人を行なっていったのである。
これは、人間の奥深い欲望―地位や権力、保身、名誉欲等々がそうしたものを引き起こしていくのであるゆえ、戦争を本当になくするのは、単に平和が大切、戦争をなくそう、といったことではそうした人間の根源的欲望―罪は消えることがない。
それゆえに、歴史上で最も平和そのものであったキリストは、単に戦争をなくそう、といったことは言われなかった。 私に従え、まず神の国と神の義を求めよ、聖霊を求めよと言われた。
その聖霊がすべてを教えると言われた。そしてそのキリストが復活して聖霊となってからは、聖なる霊が与えられるとき自然にその実として、神が持っている愛が与えられ、喜びも平安も生まれると言われた。
こうした神からくる愛や喜びや平安こそが、あらゆる欲望に勝利させ、戦争に至る欲望の根源をなくすることにつながる。
それゆえ、人間がその罪に気づき、神に立ち返るとき、最も天では大きな喜びがある、神はそのことを最も重要視されるのだと記されている。
沖縄で過去に起こったこと、そして現在も続いている軍事基地の問題―それらを本当に克服するのは、キリストの福音に他ならない。 原発もやはりそれが今日のようにこの狭く、世界で有数の地震地帯に54基もの原発が作られてしまったのも、政治家、経済産業省などの官僚、科学者、技術者、そして地元の人たちも、金や権力、名声への欲望に負けることによってこのような事態が生じてきた。それに抗して反対の声があげられても、耳を傾けようとしなかった大多数の国民もまた、目先の安楽や報道の原発安全の大量の宣伝に欺かれてしまったという罪がある。
人間すべてが持っている罪がこのように、戦争や原発を生み出しているのである。
その双方の根源を打ち砕くのはまさにキリストの力以外にない。
戦争は、若い人、年老いた人、あるいは平和な家庭を持っている人、農民、商業、会社員、等々、無差別に人間の命を奪い、その生活を破壊する。
キリストの福音は、それとは全く逆に、老若男女を問わず、過去に悪しきこと、重い罪を犯した人も、そうでない人も、また職業や生まれ、学識等々一切を問わず、無差別的に良きことを与える。
それゆえにそれらすべてを見抜いておられた神は、キリストをこの地上に送り、さらに殺されたのちも復活させ、聖なる霊というかたちで、万人にその力を及ぼしてこられたのであった。
沖縄―その戦争の悲劇の記録や戦跡から浮かびあがってくるのは、人間がいかに残酷になり得るかの身近な証言である。そのような残酷性からの克服のために私たちのだれもができること、それはキリストの福音を受けいれ、聖なる霊によって導かれていくことである。
ことば
(342)私は、政治家たちは、ひざまづいて祈ることがあまりにも少なすぎると思います。もし彼等が、もっと祈るならば、よりよい政治家となると私は確信しています。
(マザー・テレサ )
I believe that politiciens
spemd too little time on their knees. I am convinced that they would be better
politiciens if they were to do so.
(Mother Teresa 「IN MY OWN WORDS」 7P)
・政治の混乱と動揺が繰り返し生じている。政治家だけでなく、一般の国民も変わりなき真理を知らず、その真理の神に祈ることを知らないゆえに、人間の考えにいつも揺り動かされている。
そして選挙とか政治の世界だけでなく、私たちの日々も、神を信じていると思っている場合でも、いつもこの世のことや、他人の評価や言葉に動かされる状況がある。
それゆえに、聖書では、次のように、繰り返し神こそ岩なり、という言葉が記されている。
…主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。 (申命記32の4)
…主のほかに、だれが神であろうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。(詩篇18の31)
…主は生きておられる。わが岩はほむべきかな。(同46)
…わが岩、わがあがないぬしなる主よ、(詩篇 19の14)
訂正
・10月号13頁上段11行目 ドイツのメルケル首相は、2010年の秋には、原発を延長して使用するという法律を…→ドイツのメルケル首相は、2010年の秋に決めたばかりの原発を延長して使用するという法律を…。