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・2012年8月618号 内容・もくじ
由と樹木・野草の花
動けない、それは自由の正反対だ。
樹木は、動けない。大地に縛られたままである。しかし、樹木の姿、とくに長い歳月の風雨やきびしい寒さ、暑さ、また地域によっては雪に耐えた大木を前にして、そこに不自由を感じるだろうか。
そのような数々の試練に耐えてきた姿には、力がある。静けさと共に力が伝わってくる。
生物として、数百年、ときには千年を超えて生き延びてきた大木ほど長くさまざまの生存をおびやかすような力に耐えてきたものはないと言えよう。
それだけに、ただ黙して存在する樹木が、ふしぎな力とメッセージを、そこにたたずむ者に与える。
動かないのに、そこに不自由を感じさせない。
また、高山に咲く美しい野草の花たちは、やはり動くことはない。しかし、その神の与えた美を前にして、だれが不自由を感じるであろうか。逆に、何者にもしばられない自由と美しさを見る人に与えてくれる。束縛されたものからは、美は感じられないものである。
人間を超えた力を持つものは、そのような表面的な不自由を超えているのである。
同様に、寝たきりの重い障がい者、あるいは、目の見えない不自由な人であっても、神からの力を与えられ、神への信頼に生きている人には、そうした不自由を超えたメッセージを近くに来る人に与えるものである。
奴隷とは、最も自由を奪われた存在である。しかし、奴隷でありながら最も深い自由を与えられていたゆえに、使徒パウロはみずからのことを、「キリストの奴隷」(*)といった。そしてそれを自分の肩書の第一としていたのであった。
(*)パウロの書簡の冒頭に、彼はその肩書として、しばしばこの言葉を使っている。日本語訳では、「僕」と訳されているが、現代の日本人にとって「僕」という言葉はほとんど使われない言葉であり、新聞雑誌、テレビなどでも見聞きすることはまずないので、この言葉の本来の意味があいまいになっている。
しかし、この原語は、ドゥーロスであり、当時非常に多かった「奴隷」を意味する言葉であり、ごく普通に使われていた言葉であった。実際、この言葉は、「…奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受ける」(エペソ書6の8)のように、ほかの箇所では、奴隷と訳されている。
キリストに結びつくとき、外の人から見ると、縛られているように見えていながら、最も自由を感じる。
神の創造の力をそのままに感じさせる大木や野草の美しい花々は、そのようなことをも私たちに暗示しているのである。
山を降りて本当の上りへと
ある作家が、「下山の思想」というタイトルの本を出した。経済大国を目指して上ることを至上命令のように考えてきた日本であるが、今回の東北大震災、福島原発事故を契機に、下山を考えるべしという。
人間は、だれでも、高いところに上ろうとする。
キリストに数年も従ってきた代表的な弟子たちすら、キリストがもうじき私は律法学者や祭司長といった指導的人物によって捕らえられ、十字架にて処刑される、そして三日後に復活する、と言われとき、そんなことを深く考えることもできず、キリストが王となったときには、自分たちをあなたの右左に置いてください、と願った。
家庭生活や仕事、それまでの親族や近所の人たちとの関わりなどもすべて捨てて主イエスに従った弟子たち、そこには、神の子たるイエスによる呼びかけのゆえに、特別な力を感じて引き寄せられるようにして従ったのであろう。
そして数々の奇蹟を目の当たりにした。かつてだれも教えたことのないような高い内容の教えも直接に聞いた。それでもなお、彼等のうちにある、上に上がろうという考えは変わらなかった。
こうした聖書の記述の意味するところは、人間のうちに巣くっている上にあがろう、他の人を押し退け、踏みつけてでも、上がろうという心の根深さである。そこに人間のどうすることもできない弱さ、醜さ―罪があることを示そうとしている。
このような人間の根源的な傾向は、幼な子にすでに見られ、あらゆる人間に深く宿っているのは私たちが自分自身の心を静かに振り返ると分ることであろうし、また周囲のさまざまの人間の言動によっても知らされるところである。
人間の出発点におかれたアダムとエバという二人も、周囲にあらゆる良き果実を与えられていながら、蛇の誘惑によってこの樹の実を食べたらさらに目が開かれ、神のようにさまざまのことを知るようになる、という誘いに負けて食べてしまった。
これは、人間の生活の日々直面することを象徴的に表すものとなっている。すでに与えられているさまざまのものを感謝して受け取らず、さらに、上のものと思われるものを求めてしまうのである。
このように、本能的に上に上がろうとする本性に対して、下に降ろうとすることの深い意味を教えたのが、キリストであった。そしてそのことに関連したことは、すでに旧約聖書にもいろいろと記されている。
モーセにエジプトでの奴隷的な状況から救われたにもかかわらず、偶像を造って享楽的になってしまったことが記されている。偶像崇拝とは、聖書に言われているような厳格な神を信じていたのでは、上にあがれない、仕えるばかりだ、だから別の神々によって上にあがろうとすることである。
現代でも、金や権力、あるいは何らかの点で力のある人間、さらには自分自身の能力等々の偶像によって上を目指そうとすることはごくふつうに見られるし、それが悪いことだという認識も少ない。それどころか、自分の力を絶対視してそれにすがっていくということが大切なことだと言われるほどである。
しかし、こうした上にあがろうとする考えや本質は、必ず破綻する。
歴史においても、上にあがって権力と富を豊かに得ようとする権力者はいつの時代にも存在した。しかし、そうして一時的に上がったいかなる大国もみなそのうちに滅び消えていった。
旧約聖書には、そのことが、繰り返し強調されている。
当時、神を信じる民―ユダヤ人たちが、遠い現在のイラクのユーフラテス河口に近い地域まで連れて行かれ、とらわれた状態での苦しい生活を続けていた。そのように周囲のさまざまの国々を支配していた国の首都バビロンは、栄華をきわめていた。
しかし、そのようにして上った国も、たとえいかにその繁栄が大きくとも必ず滅びるということを、確実なこととして述べている。
…突然、バビロンは倒れ、砕かれた。…
主はこう言われる。
バビロンの城壁は無惨に崩され
高い城門は火で焼かれる。(エレミヤ書、50章~51章より)
預言者エレミヤは、祖国が滅亡の危機にあることをはっきりと見て取り、その原因が正義と真実な神を人々が捨てたことにあるのを知っていた。それゆえに、命がけで、イスラエルの人々に、真実な神に立ち返ることを語り続けた。
エレミヤの当時は、バビロンは強大な世界の帝国の首都であったが、エレミヤは同時に、右に引用した箇所のように、その大いなる都も確実に崩壊することを見抜いていたのである。
このことは、新約聖書の最後の書である黙示録においても、その書が書かれた時代の世界に冠たる帝国であったローマ帝国が必ず滅びるということが繰り返されている。そして、それを旧約聖書にあらわれるバビロンという名前を借りて、キリスト教徒を迫害しつづけたローマ帝国の滅びを書き記している。
…倒れた。大いなるバビロンは倒れた。…
ああ、大いなる都、
強大な都バビロン、
お前はひとときの間に裁かれた。(黙示録18章より)
黙示録の時代は、前述のエレミヤの時代から、600年以上も後の時代であり、当時はもちろんバビロンは存在しなかった。黙示録の時代、それはローマ帝国の強大な力とその広大な領域が世界に知られている時代であり、その大いなる権力によってキリスト教徒たちが罪なきにもかかわらず、次々と捕らえられ、牢獄で苦しめられ、飢えたライオンに食わされたり、十字架につけられて焼かれたり数々の迫害を受けていた時代であった。
しかし、そのような悪の力をふるうローマ帝国の全盛の時代であっても、黙示録の著者ヨハネはすでにそのローマ帝国がかつてのバビロンのように、時いたれば突然に崩壊していくのを目の当たりにしていたのであった。
神によらずに上を目指そうとするものは、国家であれ、権力者、王であれ必ず例外なくみな滅びていく。また、すでに上にあがってその権力や富に酔いしれているようなものも、それがいかに強大であり豊かな富、経済的な強さがあろうとも、必ず滅亡に至るということを聖書は確実なこととして一貫して語り続けている。
新約聖書においてもこのことは、しばしば語られているが、その巻頭にも記されてている。
民族として山を上りつめたにもかかわらず、そこから、落ちていくことを記しているのであるが、そこには滅びでなく、まったく別な上りへの道が示されている。
それが、マタイ福音書巻頭の系図と訳されている箇所である。
アブラハムというひとりの人間にすぎなかったのが、イスラエル民族という大きな集団となり、さらには、パレスチナ一体を支配する王国となり、ダビデがそれをなしとげる。
しかし、そこに油断があり、ダビデ王は重大な罪を犯してしまった。そのゆえに、その大いなる繁栄の国は分裂し、周囲からの大国の攻撃によって破壊され、ついに滅びへと向かい、遠くバビロンへと捕らわれの民となる。
山を上がりきったイスラエル民族は、深い谷間へと下っていく、落ちていったのである。
しかし、下りきったところから、こんどは、霊的なまったく新たな上りへと向う。それがキリストを目指す上りであった。
そのことを、新約聖書の最初の系図と訳されたものが指し示しているのであって、これは、通常の日本人が考える系図のように祖先を誇るためではまったくない。
そして、この世界全体もまた、これから予想できないような下りを経験させられていくであろう。
しかし、それは世界の滅びではない。滅びのように見えて、実はそこから大いなる上り―新しい天と地―に向おうとするのである。
後世への最大遺物―後世に何を残すべきか
現代の多くの人々にとって、後世に何かをのこす、などということはあまり考えないのではないか。いまの生活で精一杯だ。いろいろの問題が起こってつぶされそうになるのだから、そんな後世に何かを残すなど考えられないというのが実感ではないだろうか。
かつて内村鑑三は、「後世への最大遺物(*)」という本を書いた。そしてこの本は多くの人に感動を与えてきたという。
(*)現在の多くの人―特に若い世代にとって、遺物という言葉そのものが、昔の単なる遺物のように思えるのではないか。
だれも、後世に残すことを遺物などと言わないからである。
この漢字は、残すという意味であり、現在では、後世への最大の残すべきものということになる。
事業を起こしてそこから得た収益金を神のため人のために使うこと、真実なる思い、考えを書き綴る文学、あるいは適切に他者に教えること等々を残すべきものとして一つ一ついろいろな例をあげて述べる。
そして、そのようなこともできない者が残すことができるのは、勇ましい高尚なる生涯 だという。
だが、この言葉―高尚な生涯とはそもそもどういうことなのか。現在のむしろ大多数の人にとってはっきりとしたイメージが湧いてこないのではないか。以前にはこの言葉ははっきりとした内容を語りかけていたかも知れない。しかし、言葉は時代とともに移り変わっていくのであり、今日では多くの人々にとってこの言葉はなじみの少ないものとなっている。
高尚とは、国語辞典によれば「学問・言行などの程度が高く、上品なこと。」(広辞苑)とか、「知性の程度が高く、気品があること」(明鏡国語辞典)などとされ、低俗の反対だと説明されている。
これが高尚ということなら、勇ましく、高尚な生涯というのは、そもそも知性の高い人、学問の程度の高い人でなかったらできないし、また気品ということもだれでも持つことのできるものではない。
勇ましい―勇気あるということも同様で、現実の社会や職場で、真実や正義にかなった勇気ある発言や行動がいかに困難かは誰しも身に覚えがあるはずである。
原発事故に関して明らかになったように、数知れない学識経験者―科学者、技術者、学者、政治家、電力会社、そして原発ができた土地の人たちや国民全般―みんな含めて金や宣伝、自分の地位に固執するという勇気のなさによって原発事故が生まれてきたといえるだろう。
こうした事実一つを見ても、だれが自分だけはずっと勇気があった、と言い切れるだろうか。
キリストのように、自ら自分の命さえ捨てて、しかも十字架で釘で打ちつけられるという悲惨な刑罰、耐えがたい苦しみを受けてまで、真理のために生きる、それこそ勇気ある高尚な生涯といえよう。
しかし、だれがこのように自分の命まで犠牲にして真理のため、不正と闘ったなどと言えようか。原発の嘘を見抜いてきたごく一部の研究者や同じような考えの人たちであっても、報酬そのものは低くとも、それなりに生活の安定は保障される地位にあったからであり、命まで捨ててなどということは到底なかったからである。
このように見てくれば、「勇ましく、高尚な生涯」というのは、そのことを本当につきつめて考えるなら、果てし無く困難なことであり、誰にでもできることではない。
だれが、自分の生涯をふりかえって、しかもすべてを見通しておられる神の御前で、勇ましく―勇気ある、高尚な生涯を送ったなどと言えるだろうか。むしろ、勇気なく、弱く、自分に固執し、自分を守ろうとしてしまう、罪深い人生であった、高尚な―人生などとはとても言えないという実感こそが事実ではないか。
ルカ福音書に描かれている印象的な記述、十字架の処刑されるときイエスとともに二人の犯罪人が処刑された。ひとりは最期までイエスをののしったが、もうひとりは、釘付けられているという恐ろしい苦しみのなかで、イエスが神の子であり、それゆえにこのような残酷な処刑にもかかわらず、死の力に勝利して復活し、神のもとに帰るということを確信していた。
それゆえに、イエスに向って「あなたが御国に行くとき、私を思いだしてください!」と死を目前にしたときに最後の力をふりしぼってイエスに願った。イエスは彼の信仰と真実な心に応えて、彼の救いを約束し、あなたは今日、パラダイスにいる、と言われた。
このような犯罪人は、自分の生涯をふりかえって、「勇ましい、高尚な生涯」だなどとは到底言えないとはただちに分る。
逆に、悪にまみれた、恥ずべき悲しむべき人生であったと思われただろう。しかし、そのような汚れきった高尚などとはおよそ無関係な生涯であっても、主イエスは、そこに深い愛を注いでくださった。
そして、この重罪人の生涯がいかに 不正で汚れたものであってもイエスの言葉はすべてを赦し、清めて御国へと迎え入れられたのであった。
そしてこの罪人のことは、彼の主イエスへの深い信頼の言葉とともに、永久に聖書によって後世に遺されることになった。
後世への最大遺物―それは勇気もなく、高尚でもなく、弱さと罪にまみれた生涯であっても、私たちは持つことができる。ただ主イエスへの無限の信頼の心さえあれば、そうした汚れた生涯であっても、驚くべきことに清いものとみなしてくださり、後世に遺すに足るものとして下さるのである。
放蕩息子のたとえも同様である。この息子も金を親からもらって長い間遊び暮らした。さんざん使い果たしてようやく父のもとに帰ろう、自分が悪かったのだから、どんな境遇でも甘んじてうけようとそれまでの生き方を根本から転換して、父のもとに帰ろうとした。そして帰ってくるとき、父親は遠くから見つけて喜びいっぱいで迎え、抱き抱えてくれた。
勇気も高尚もなかった人間であっても、あたかもそうであったかのように赦し、清めてくださる神の愛、キリストの愛がまざまざと浮かびあがってくる。
ここに私たちの希望がある。だれでもが残すことができるものがある。それは、キリストへの信仰、信頼である。そしてこのことを知らせるキリストの言葉、神の言葉である。
どんなに落ちぶれた人であっても―そこから罪を知り、神に赦しを願い、立ち返ることさえあるなら、その神への信仰、そこから与えられる神の言葉が私たちが後世に残すことのできる最大のものとなる。
そして実際に、神の言葉こそは、あらゆる人たちがそれによって新たな力を与えられ、神に転換して歩み始める力を与えられ、世界の各地でそのはたらきを今日も続ける原動力となっているのである。
神の沈黙、その中から聞かれること―詩篇第28篇
生きて働いておられる神などいないと思う人たちが日本では圧倒的に多い。それは、祈ったところで何も状況は変わらないし、この世には神がいるのならどうして?
と思うようなことがたくさんある。だから神などいるはずがない、というように考える。
言い換えると神の沈黙ということである。
聖書においても、いくら祈っても何も答えてくださらない神のことはしばしば記されているが、そのような神の沈黙のなかで、ひたすら神に祈り続け、叫び続ける姿もまた多くみられる。次の詩篇もそうした一つである。
私たちも現実の生活において、やはり神の沈黙ということに繰り返し直面するゆえに、こうした詩がいっそう身近に感じられる。
…
主よ、あなたを呼び求めます。
わたしの岩よ
わたしに対して沈黙しないでください。
あなたが黙しておられるなら
わたしは墓に下る者とされてしまいます。
嘆き祈るわたしの声を聞いてください。
至聖所に向かって手を上げ
あなたに救いを求めて叫びます。
この詩の作者の置かれた状況はどのようなものだったか。死の力が迫っているといえるほどの苦しい状態であった。
この詩が書かれた時はまだ死者の復活ということは信じられていなかったので、死んだら終わりだというのが、旧約聖書全体の考えであった。(旧約聖書の時代の後期には、復活ということが少数ながら見られる)
墓に下るとは、死ぬことであり、死後は、暗い影のような世界に入ってしまうというように当時は受け取られていた。
この詩の作者は、死後にそのような暗い、命のない世界に落ち込まないために、何が必要かを知っていた。
それは神からの語りかけである。神からの何らかのお言葉、励ましがなければ、人間は死後はみな暗い命のない世界に入ってしまう、生き生きした命は消えてしまう。
人間関係でも話しかけても黙っていたら、全く関係が切れてしまう。手紙を何度出しても返事が来なければ、この人はもう関係を切ろうと思っているんだと思ってしまう。このことからも分かるように、神と今まで結びついてきた人にとって、神からの語りかけがなかったら、神との関係は絶たれたんだと実感されてくる。
この詩人は神の語りかけによって生かされてきたのである。言い換えると、私たち生きる者とされているのは、神からいつも何らかの語りかけや励まし、目に見えない霊的な力、賜物を与えてくださっているからである。
この作者は、神からの応答を求めるために必死で祈っている。旧約聖書の詩集である詩篇は、単に自然の姿などに感動したことを言うよりも、人が置かれた苦しい状況からの祈りが非常に多い。
これらの詩が生み出された最も根源的な感動とは、滅びるかどうかという瀬戸際におかれたときの叫びや必死の祈りに応えてくださったという経験であり、聖書に含まれた詩集である詩篇ではその内容のことが圧倒的に多い。
しかし、日本の場合は恋愛や自然をうたったものが多数を占めている。
それゆえに、日本の詩歌によって生きるかどうかという苦しみのときに励まされた、生き返る力を受けたというような人々はごく少ないと言えよう。
この詩の作者は、自分を苦しめ、そして世の中を混乱させ、破滅に導く悪の力の強さを深く知っていた。それゆえに、人間の本当の幸いのためには、その悪の力が打ち砕かれ、滅ぼされることが不可欠だと知っていた。それゆえに、次のような悪の滅びへの強い言葉が生まれる。
…
神に逆らう者、悪を行う者と共に
わたしを引いて行かないでください。
彼らは仲間に向かって平和を口にしますが
心には悪意を抱いています。
その仕業、悪事に応じて彼らに報いてください。
その手のなすところに応じて
彼らに報い、罰してください。
主の御業、御手の業を彼らは悟ろうとしません。
彼らを滅ぼし、再び興さないでください。(5節)
しかし、このような表現には、受けいれがたいものを感じる人もいるだろう。旧約聖書の時代、それはまだキリストが現れていないときであったゆえに、悪人こそ滅ぼされるべきだと考えていた。
このことは、新約聖書の時代、キリストの時代になって大きく変化した。
それは、真に滅ぼすべきは、悪人でなく、悪そのものであると、キリストもその言動で示し、弟子たちにもその悪の霊そのものを追い出す力を与えられたのであった。
…
主をたたえよ。
嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。(6節)
主はわたしの力、わたしの盾
わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。
歌をささげて感謝いたします。
主は油注がれた者の力、その砦、救い。
お救いください、あなたの民を。
祝福してください、あなたの嗣業の民を。
とこしえに彼らを導き養ってください。
6節からは神からの応答があり、助けを得たと突然変わっている。この不連続なところが聖なる霊の働きであり、神がじっさいに生きて働いておられるという印と感じられたのである。人間の気持ちを超えたところで神の御手が働くと、この詩人が経験したようにある日突然それまでどうしても動かなかった状況が変わることがある。
5節までの苦しい状況から6節の神の答えを得るまでどれくらい時間がかかったかは分からないが、このような突然のよき変化はこの人に限らず誰にでも起こる事である。
神が自分の祈りを聞き、叫びの声を受けいれてくださったのは、明白な魂の変化があったゆえに確実なこととして感じたのである。それまで非常に追い詰められた気持ちだったのに、励まされ途端に力を得たからである。
そして神こそ本当の力だと言えるようになる。人間はこれこそ私の本当の力だと言えるものを持っていないと、何か起こったときに意気消沈してしまう。
大多数の人において、年をとったらそれまで力だと思っていたものがだんだんと弱っていくこと、それらが本当の力ではなかったことを思い知らされていく。健康や職業、地位やお金といったものは若いうちは力になったけれども、それらは歯が抜けていくように確実に消えていくというのが老年である。
しかし神を魂の力としていたら、老年になっても私たちは魂を支えられる。神は私たちの岩であり、力であり続ける。
このように前半は涙を流して必死で祈っていたのに、時至って喜びと歌が自ずと出てくる状態になった。このように大きな突然の変化が起きることに驚かされるが、それはこの詩の作者だけでなく、神への信頼を固く持ち続ける者にはだれもがそのような変化が起きることを読むものに示しているのである。
この詩の作者のように、苦しみで耐えがたいようなとき、祈りや願いに対する神の応答がなくても、神など存在しないと思うことなく、求め続けていれば、神の時が来て、この詩人のように答えてくださる。
自分が救われた経験がなければ、他の人々を救ってくださいという祈りなど到底生まれない。しかしこの詩人は神の応答を聞き、実際に滅びるかと思われるような苦難のなかから救われたのである。そこから、「神の民(イスラエルの人々)を救ってくださいという願いへと自然に移っている。(8、9節)
この詩は三段階になっている。まず悪に囲まれて攻撃され、滅びるばかりという追い詰められた状況から必死に祈り、時が来て神の応答を聞いた。そして自ずから、その賛美は周囲の民へと広がっていった。このようにこの世的な幸福は視野が狭くなる傾向があるが、本当に救われた人は魂の視野が次第に広がっていく。真理と結びつくならば、視野は広がる。
苦難を超えて、沈黙の神に対してもあきらめずに祈り、訴え続けることによって、神からの生きた応答と力を与えられたのがこの詩の作者である。
そのことは、この詩が作られてから3000年ほどもたった現代の私たちにもそのまま通用することである。
求めよ、たたけよ、そうすれば与えられ、開かれる
私たちは何かを求め、たたいている。閉じられているからである。病気の人は、体の自由が奪われ、たえず苦しみにある。病気ゆえにその苦しみに閉じ込められている。
そのときに そこから解放されるようにと医者(病院)の戸をたたく。そして、神を信じる人は、神様のお心に向ってたたく。苦しみがつのるときには、たたかずにはいられない。
しかし、すぐに開かれるだろうか。
事故、災害で家や家族を失った。そこから神に向かって 目には見えない戸をたたく。しかし、空しく閉じられたまま…ということを無数の人々は経験してきただろう。
それにもかかわらず、主イエスはこのように言われた。
求めよ、そうすれば与えられる。
たたけ、そうすれば開かれる。(マタイ福音書7の7)
あらゆる人間よりも比較にならな英知、そして神と同様な真理への洞察を持っておられる主イエスが言われたことであるゆえに、私たちはその真理性をまず信じたいと思う。
ただし、この言葉は、日本語訳であるが、このままでは、「求めたらすぐ与えられる。たたいたらすぐに開かれる」ようなニュアンスで受け取る人も多いのではないか。
それゆえに、私は求めたのに与えられないではないか、という不満とこの聖書の言葉への不信が大きくなってくる。そしてそのままこのような言葉は本当ではないと思って思いだすこともなくなる、というのが多くの人たちの姿ではないかと思う。
しかし、原文は一度求めよという意味でなく、「求め続けよ」(*)というニュアンスを持っている。
(*)ギリシャ語原文は、現在時制の命令形であるが、ギリシャ語では、現在時制は、継続、繰り返しの意味をも持っている。
それゆえ、英語訳のうち、Holman Christian Standard Bible や New Living Translation、 The Amplified Bible 、The complete Jewish Bible などは、Keep on asking Keep on knocking のように訳しており、その他いくつかの訳も欄外注でそのことを指摘している。
苦しみにあるとき、もし神に向かってその戸をたたき、神に向かって訴え続けることをしないなら、絶望と無気力、虚無感しか残らないだろう。
旧約聖書のときには、戸をたたいた、という直接的な記述はないし、神が戸をたたけ、開かれるのだ、ということも記されていない。
しかし、戸をたたき続けるとはすなわち、神に向かって祈り、訴え続けることである。そして、それは確かに開かれる。
それが詩篇に数多く記されている。
そして、戸をたたき続け、開かれた感謝と喜びこそが、詩篇の中心的内容をなしている。神の霊的な戸に向かってたたき続ける―そのためには、主イエスが言われた心の貧しさが必要である。―自らの考えや自信でいっぱいになっているときには、神に向かって戸をたたこうとはしない。
主イエスが 神を愛し、隣人を愛せよ、そのことが最も重要なことだと言われた。
それは、まさに神にむかって戸をたたき続けることであり、隣人に向かってもその魂の戸をたたき続けようとすることである。
他者への祈りは、祈る相手の魂と神に向ってたたき続けることである。
人間関係が壊れたとき、それは他方だけが全く間違っている、ということはなく、どちらがより多くの責任があるということはあるが、どんなに正しくよい生き方をしていようとしている人であっても、何らかの足りない点は必ずある。
人間に罪がある、ということはすべての人に成り立つからである。
ヨブ記とは、神にむかって激しくたたきつづけたという例であり、開かれたという例である。
主イエスが最期のときに叫んだ言葉、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」、これは全身全霊をもってイエスが、神のとびらをたたいたということを表している。その結果、戸は開かれた。そして祝福の泉が外部へと流れだした。
人は、扉をたたく、他方、神も主イエスも、私たちの心の戸をたたいておられる。黙示録3の20。
神に向って、たたけば必ず開かれる例、それは、罪の赦しということである。 魂の奥深いところでの私たちの間違った思い、そこから出た言動などは、ただ神のみがその本質を見抜いておられる。それゆえに、人はそうした個々の人の罪深さをだれも本当にはわからない。自分自身の本当の罪深さも洞察できない。
何かの苦しみや特別な出来事のさいに、そうした深い罪の一端を知らされるだけである。
人間の心の世界はそのように汚れたものが深く潜んでいるために、それをみな赦されるなどということは、人間からは到底与えられることはない。人間はだれもそうし罪深さを見抜くこともできないから赦すこと、清めることなどできない。
その意味で、赦しの世界は閉じられている。
しかし、そのような赦しの扉が固く閉じられている世界に、キリストが来て下さった。
そのことを信じ、キリストに向って扉をたたくとき、赦しという扉がたしかに開かれる。ほかのいかなる方法によっても開けられないが、キリストは赦しの門を開いてくださる。
その大きな幸いは、すでに2500年ほども昔から言われている。詩篇32篇。
キリストはそれを万人にむかって与えようとして来られたのである。
神を信じ、キリストを信じて、御国へのとびらをたたくと、神の国が開かれ、そこにある目にみえない力―聖霊が与えられる。与えられる程度は各人によってじつにさまざまであろう。しかし、ただキリストを救い主として受けいれた人はみな、その聖霊を与えられたのである。
たたくとは祈りである。
人生のさまざまの困難を経て、神に導かれる者に、最終的に開かれるのは、全体としての神のおおいなる愛の業であり、そこにそれをたたえずにいられない讃美の世界が開かれる。
詩篇ではそれゆえに開かれた世界であるハレルヤ!が最後に置かれている。
扉をたたく、それを軽くたたくとか心の一部で少したたくというのでなく、神から与えられた最も大いなる賜物である、信・望・愛によってたたく。からだ全体でたたく。体当たりする。詩篇にはそうした全身全霊をもって神の国をたたく、というのが多い。
多くの人は、私たちの忍耐や学問、知識、技術でたたこうとする。それによって、さまざまのことがじっさいに開かれてきた。しかし、人間の魂の最も深い問題である罪の赦しや死のかなたにある、すばらしい世界は開かれない。
医療や福祉などによって私たちは、実にめざましい恩恵を受けてきた。それほどよきものである医学であっても、それによって死が延長されるほど、食糧難や老人問題、さらには病気や老齢、老齢者の孤独の増大などが生じて、新たな問題が生れる。
また、この世の最後はどうなるのかという問題においても、この世の学問や経験をいかに積み重ねてもそれは開かれない。原発のように思いがけない怪物、悪魔というべきようなものがそこから出てくることもある。
宇宙に出て行くということが、現実的なことのように言われることがある。しかし、それは原子力発電と似たことがある。原子力発電も以前は、バラ色に輝く未来を開くと言われていた。原子力潜水艦からはじまり、一般の船にも、鉄道、飛行機、乗り物などにも使える驚異的なエネルギーだといわれていた。
しかし、それは偽りにすぎなかった。
宇宙とは、人間の生存を固く阻む真空の世界であり、放射線で満ちており、極低温であり、宇宙に出たロケットが故障爆発すれば生きて帰ることはない。そうしたまったき死の世界であるにもかかわらず、それをバラ色の世界のように見せかける映像やマスコミも多い。しかし、そうしたことは、原子力発電と同様の錯覚であったと、将来思い知らされるであろう。
このように、科学技術とかほかの学問や経験などいかにしても、死のとびら、この世界の最終的な終りは開くことができない。
しかし、そのような行き詰まりの世界、固く閉じられた世界を超えて、大いなる世界を開く扉が与えられている。ただ神とキリストを信じるだけでよいというのである。
…この方が開けると、だれも閉じることない。(黙示録3の7より)
待つということ
私たちは日常的に「待つ」ことをしている。
毎日の生活でも、食事ができるのを待つ、仕事での通勤も電車を待つ、新たな仕事を与えられるのを待つ、入社しても説明を待つ、病気になると癒しを待ち続ける、スポーツにおいては、長時間の練習をして技術が向上するのを待っている。
政治での投票もよりよい生活を待ち望むことから、どれかの政党や人物に投票する。
だが、他方、待つとは反対の積極的に獲得する行動も当然いつも見られる。
できることがあるのに、何もせずに待つということは、愚かなことだとだれでもが思う。
すでに述べたスポーツの激しい長時間にわたる練習も、それをして結果を待つということである。
そのように、私たちの生活は、求め、そして待つということは組み合わされている不可欠のことである。
生き物においても、絶えず探し、攻撃を中心としている生活をしているものと、待つということを主としているものがある。
例えば、鳥類や魚類など、生きている間、絶えず飛び回り、動き続けて餌を探し、捕らえて生きている。単に獲物が来るのを待っているというのではない。
しかし、クモは、家に住むアシダカグモなど巣を作らないものもあるが、コガネグモ、ジョロウグモ、オニグモなどよく知られた多くのクモは巣を張って、ひたすら待つ。
巣を張るときも、枝先に上り、風が吹いて垂らした糸が別の離れた枝にかかるのを待ち続けている。風が全く吹かないなら、巣が張れないからである。(*)
(*)私はこどものときから、高い枝先から離れた別の木の枝先へとクモが巣を張っているのをしばしば見て、どのようにしてクモはあのような離れたところに巣をかけることができるのかとても不思議に思っていた。あるときに、クモは枝葉の先にいて、糸を垂らし、風が吹いて適当な別の枝葉にその糸がかかるのを待って、それをもとにして巣を張るのだというのを知ったことがある。
巣を張るという必要なことをして、後はひたすら獲物がかかるのを待つ、 この忍耐と必ず獲物がかかるということを本能で知らされているのである。
必ず獲物をそれらのクモは捕らえることができてきたからこそ、長い歳月を現在まで生き延びている。
神の言葉に関しても、私たちはこの二つの側面がある。
まずみ言葉を求める、主イエスが言われたように、求めよ、そうすれば与えられるからである。さらに、まず神の国を求めよ(ルカ福音書)とも教えられたが、神の国とはすなわちキリストそのもの、神の言葉そのものでもある。
まず、キリストを求めよ、人間の考えや言葉でなく、まず神の言葉を求めよと置き換えることができる。
求めつつ、待ち望む。
私たちに与えられる最もよきもの、神やキリストそのものである聖霊を与えられるときにも、キリストは、約束のものが与えられるまで待て と言われた。
「前に私から聞いた、父(神)の約束されたものを待ちなさい。」(使徒言行録1の4)
そして、弟子たちはその言葉に従って、聖霊を待ち続けた。いつまで、という時は知らされなかったが、時至って、その聖霊が豊かに与えられ、そのときから、キリストの福音伝道が世界に向けて始められたのであった。
このように、決定的なことは、待つことで与えられているのである。
旧約聖書にもこの待つ、ということの重要性が示されている。
アダムとエバという二人が蛇の誘惑に負けたこと、それも蛇の誘惑を受けたとき、神からの指図を待とうとしなかったことにある。
また、ダビデ王の前の王であり、本来神から選ばれて王となったサウル王が、失脚していったのは、武力がすぐれていなかったとか、統治能力がなかったとか、病気や部下の謀叛によるものでもなかった。
それは、単純なこと、神からの言葉を待つことができなかったという意外なことであった。(サムエル記上)
このような理由で、王位から退けられていくというようなことは、ほかのいかなる国の歴史にも見られないことであろう。こうした記述によっても、神の言葉を待つということがいかに重要なことであるかを、私たちへのメッセージとして聖書は語りかけているのである。
キリストがふたたび来られる、言い換えると、そのときには、神が最終的にこの世界を完全なよきものに転換させるということ、そのような、一般的には到底信じられないようなことも、ただひたすら初代のキリスト者たちから待ち続けられてきたことなのであり、現代の私たちにあっても、同じように終りまで続く「待つ」という行為となっているのである。
北海道、東北の各地の集会など
7月10日から25日まで、北海道の西南部の瀬棚地方(奥尻島の北東対岸にある)や東北の一部の集会などを訪ねた。
今回は、10日の夜に、京都府舞鶴市の中心部から自動車で1時間ほどかかる山中にある添田さん宅を訪ね、そこから近くにある集会所での集会が最初のものとなった。
添田さんの家のすぐ近くの霜尾さんのご家族も加わり、その他近隣からの参加者15名ほどと子どもたちも連れての参加者で、こどもの賑やかな声も響く場所での集会であった。
ここに参加された多くの方々は、三重県の愛農高校出身の方々で、こうした山中にて聖書集会がなされるということに、神の支えと導きを感じた。
瀬棚地方は酪農が主体の人たちだが、ここでは果物や野菜なども生産している農家の人たちが主体であり、対照的な仕事内容であった。私にとってはより広い農業にかかわる方々とのふれあいの場となって感謝であった。
舞鶴からはフェリーで、北海道の小樽に向かい、そこから瀬棚までは170キロほどの道のり。瀬棚の聖書集会は、今年で第39回ということで、私はちょうど10回目の参加となった。最初、この瀬棚への招きを受けたとき、一度だけのことだと思っていたので、10年目にもなったことを、不思議な主の導きと感じる。
この夏の集会は、日本キリスト教団利別教会、キリスト教独立伝道会の協賛ということで開催されている。
日程は、3泊4日で、利別教会の相良牧師が一回、私が4回の聖書講話(その内一度は利別教会での説教)と子どもたちを対象とする土曜学校での話を担当し、最後の一日は、瀬棚の集会場所から18キロほど離れたところにある、日本キリスト教団の利別教会での主日礼拝を教会の方々と共同で持つという、ほかでは例のない聖書集会となっている。
今回の瀬棚の集会は、参加している方々の関係者に特に困難な出来事が生じ、そのゆえに、どこに希望があるのか、希望を生み出す力をいかにして得るのかということがテーマとされていた。
主がその困難な状況を知らされた方々、また直接に瀬棚の集会に加わっている人でないけれど、そのような事態に直面している人に主の力添えと新たな希望が主によって与えられるようにと願いつつ語らせていただいた。そのような困難にある方々に、主が直接に助けを―聖霊とみ言葉を注がれますようにとの祈りが参加者のうちにもあるのが感じられた。
何人かの方々は、10年前の私が初めて瀬棚に行ったときとは、信仰の面で大きな前向きの変化を感じさせられる方々もあり、この10年にわたって主が導かれてきたのを実感した。
瀬棚での集会の次の日は、札幌での聖書交流集会があった。この集会は、もともと、札幌聖書集会の大塚寿雄氏(中途失明者)と私たちの徳島聖書キリスト集会の視覚障がい者とのかかわりがあって、そこからこうした集りとなった。
札幌聖書集会以外に、札幌独立教会の方々や、釧路集会や旭川などからの参加者もあった。
参加者のなかには、熱心なキリスト者であった父親や姉が次々と召されたのちに、その信仰をバトンタッチされたように、信仰に新しい息吹を与えられて強められている方もあった。そのような姿のなかに、主の生きた導きを実感したことであった。
現在のキリスト者たちもみな、それ以前の信仰者たちのはたらきが時至って別の人に伝わり、それが脈々として数千年も伝わってきたのであり、私たちの信仰もまた現代に生きる他者に広がり、のちの世代へと伝わり、流れていくのである。
その翌日は、苫小牧の集会に参加、そこには長く苫小牧の集会を導いてこられた船澤さんが、入所している施設から参加され、初参加の方も伴って来られた。いろいろな問題もあり、病気の苦しみも経験されてきたが、神の言葉により支えられておられるのを知らされて感謝であった。
その後、青森市の岩谷さんを訪ね、そこで義妹の方も加わっての家庭集会でみ言葉を学び、その後、岩谷さんの若き日に受けた特別な困難とそれに続く、長い歳月にわたる言い表しがたい苦しみが続いた生活の一端を聞かせていただいたが、そうした困難をきわめた生涯の晩年にいたって、現在は「いと静けき
港につき われは今安らう 救い主イエスの手にある 身はいと安し 」(「人生の海の嵐に」新聖歌248)という状態であること、み言葉と祈りの生活となっていることを深く実感させていただいた。じっさい、岩谷さんはこの「人生の海の嵐に」という讃美を数十年の愛唱歌だと言われていたのが印象的だった。そして私が紹介した北田
康広さんの「人生の海の嵐に」の讃美歌CDをすぐに申し込まれた。
その後、岩手県盛岡市の田口さん宅を訪ね、かわいい幼な子、ご家族の方々とも会う機会も与えられた。こうした次の世代にも信仰が伝わっていきますようにと願ったことであった。さらに、翌日には、盛岡市の「祈の友」会員を訪ね、老年に至る現在までの、数々の主の導きと恵みの一端を聞かせていただいた。
次の訪問地である山形県北部の日本海側にある鶴岡市での佐藤宅での集会には、二年前の訪問時に参加されていた方が召され、そのかわりにそのご夫君が初めて参加されたり、初参加の方、数年ぶりにお会いした方などもあり、佐藤ご夫妻によって準備された集会が恵まれて感謝であった。
その日の夜は、山形市での集会。ここでも、去年初めて参加された方が娘さんを同伴して参加されたり、初参加の方、またお名前だけ知っていた方がご夫妻で参加されたこともあり、他方で長く参加されていた方が召されたり、からだが弱って参加できなくなっていたりされる方もあった。また、以前からの山形集会員であった黄木さんは召されたが、その奥さんと息子さんが初めてこの集会に参加されたことも感謝だった。黄木さんは、ずっと以前の全国集会で出会いが与えられ、そのことから、交流があるようになり、初めて私が山形を訪れたときに、山形集会に属する方々のお家(小関、白崎、赤間、後藤さんたち)へと車で連れていってくださった方であった。また、石巻市で、去年の大津波に襲われて家を失い、また命をも失いかねない状況から救われた原さんご夫妻もこの集会に参加され、いろいろな状況にある方々の参加で感謝であった。
仙台の集会では、田嶋さんご夫妻の御愛労で会場が予約され、病気養生のため参加できていなかった方、久しぶりの方もおられた。またその参加者のひとりの佐藤
成氏が、原発に関する集会で、私の書いた「原子力発電と平和」という本を佐藤さんの知人の石の芸術家(山中環氏―宮城県南部在住)に手渡したことから、山中さんが私にその本をさらに注文してこられ、そのことから、この日の集会に初めて参加されたのだった。山中さんはキリスト者ではなく、石の彫刻という芸術に専心するためには特定の宗教にかかわることを避けてきたということだったが、「原子力発電と平和」の本は抵抗なく読めたとのこと、それで彼としては初めてのキリスト教集会の参加、しかも奥さんも同伴されての参加となったのは感謝であった。
また、大きな手術をされた方が、そこからいやされたので何かその感謝のしるしにはじめたいと、ハガキによる福音通信を不定期発行ということではじめたとそれを持ってこられた方もあった。
今回の予定はこの仙台集会までであったが、予想以上にからだの状態が支えられたので、福島在住の愛農学園関係者で、三重県に一時避難されていた石井さん(福島県田村市)や、福島市内に住んでおられる渡辺さんをも訪ねることができた。石井さんからいろいろお話しもうかがったが、養鶏業や有機野菜農業がすべてできなくなり、現在は知人から紹介されて放射能測定に関する仕事についておられるということだった。そこは市といっても、山また山の続く山地で、福島原発から直線距離で37キロほどの所であり、放射線レベルも高い状態であることが、実際に私が持参していた線量計での測定でも明らかになったが、行けども行けども続く広大な山野がみな取り返しのつかない放射能汚染に見舞われていること、多数の人たちは、年若い子どもたちも含めてそうした放射能があっても、転居して転職するなどができないために、そこで生活せざるをえない。じっさいその地の小学校は二人そこから避難したが、あらたに二人が、原発に近い地域からその地に移住して二人増えたから、人数は変わらない状態だと言われた。去年に続いて今年も福島を訪ねて、原発がひとたび大事故を起こすと計り知れない苦難や悲しみを引き起こしてしまうということにわずかではあるが、直接にふれさせていただいたことであった。
福島市の渡辺さん宅では、老齢にいたるまでのこと、無教会の集会での恵み、600本に及ぶたくさんの竹内氏(故人)の聖書講話録音テープを今も用いておられるとのこと、ここでもみ言葉が生涯にわたって支え続け、老年の希望となっていることを聞かせていただいた。
そのあと、仙台に戻り、そこからフェリーで名古屋に向って、名古屋市の木村尚文さんと、無教会の問題についていろいろと語りあう機会が与えられた。先年徳島で開催された無教会の全国集会でご夫妻で参加されたこともあり、以前にもお訪ねしたことがあった。奥さんのハンネローラさんは大学の講義で不在であったが、もともと無教会というあり方にドイツで木村さんを通して知らされてとても関心を深く持ったとのこと、その無教会の本質を研究するための資料として大分以前に全国から無教会の印刷物、伝道誌を集めたときに私たちの、徳島聖書キリスト集会が発行していた当時の「はこ舟」誌もその一つとして取り寄せたのが
つながりのきっかけだったと言われた。私も無教会のあり方、その問題点にはずっと以前からつねに考えてきたことであるので、木村さんといろいろそうした問題での対話が与えられて感謝だった。
そこから、帰途、最初の舞鶴の集会で話があった夏の愛農聖研のことで知っておきたいこと、確認しておきたいことがあり、愛農高校近くの日高さん宅を訪ねた。そこでいろいろとご夫妻からお話しをうかがってよき交わりを与えられたひとときであった。
長い年月にわたって、愛農聖研という特別集会のお世話をされて、その集会を支えてこられた日高達男氏のお働きがあり、近年は耳がとおくなって電話での応答が難しくなったとのことで、奥さんが代わっていろいろなされているが、発送その他いろいろを今もご夫妻で奉仕されておられ、そうした働きを主が支え導かれているのを感じたことであった。
今年は、健康に問題をかかえての出発であったため、途中で帰らねばならなくなるかも…という可能性もあったが、このように、予定をこなし、さらにそれ以上に与えられたのは、主の支え、そして集会の方々が各自の時間を決めて祈りを続けて下さったこと、また、各地の集会の方々の祈りによる準備などによるのであり、今回のすべての集会や訪問に関することは、こうした多くの方々の共同のはたらきのゆえだと、神に深い感謝を捧げたことであった。
ことば
(340)愛に生きるとは、限りなく与え
この世での報酬を 望まないこと
ああ!わたしは数えることなく与えよう
愛に計算はないと 確信して
(「リジューのテレーズ(*) 365の言葉」64頁 女子パウロ会発行)
(*)テレーズ・マルタンのこと。 リジューとは、彼女が召されたフランスの地名。(1873~1897)フランスのカルメル会修道女。24歳で地上の命を終えたが列聖された。
・主イエスが神の愛にたとえた太陽の光は、数えることをせず、無制限に私たちに注がれていることを思いだす。科学技術は、身の回りのさまざまの物質や、光、放射線のような何らかの意味で数えられるもの(定量的なもの)がその対象であるが、神の愛の対象は無制限であり、またかぎりなく与えられる。
人間の愛はつねに数えること―その結果やお返しを数える、意識することで成り立っていることを思うとき、人間をどこまでも支え力を与えるのは人間の愛でなく、神の愛だと知らされる。
(341)自分では
何もできない私が
家族のやさしさによって
オレンジ・ジュースを飲み
アイスクリームを食べ
詩を作り
み言葉を学ぶ
自分では
生きられない私が
神さまに
愛され
生かされている。
(水野源三第四詩集 43頁)
・重度の寝たきり障がい者であった著者は、文字通り家族の手によって生かされていた。
そしてその背後の神が見えざる御手をもって、家族を導き、そのようになさっているのを実感していた。
だが、健常者であっても、自分の力で生きているといえるだろうか。毎日の食物、住居、また衣服、そして歩いたり、働いたり、車、電車等々一切の私たちが使っているものは、みな自分で作ったというものはない。
山中に家を自分でたてて、自給自足しているという人もまれにおられる。しかし、そのような特殊な場合でも、その木材を切るノコギリや運搬する道具、バケツ、鍋、ガス、火をつけるライター、マッチ等々生活用具などはみなどこかの店から購入してくる。
それはその人が作ったものではない。畑に野菜などを蒔く、その種や耕作のためのクワその他もまた、だれかが作ったものである。作業中、怪我をしたらそれがひどい場合、たちまち動けなくなり、そのまま死んでしまう。
自分が稼いだ金―それもまた、そのような働き場としての会社など職業の場がなければ稼ぐこともできない。そうしたすべてをなしている人間のはたらきもその頭脳や内臓のはたらきがささえているが、そのからだの複雑精巧な仕組みをつくったのは自分ではない。
私たちもまた、無数の他の人たちのはたらきによって支えられ生かされている。そしてそのような数知れない人たちの生きるエネルギーは神によってこの大自然に太陽が創造されそのエネルギーを取り込む複雑な仕組みをもった植物たちによってなされ…要するにすべての背後には神の御手のはたらきとその支えがあって初めて私たちは生きている。無数の網の目のような人間のはたらきがあり、その働きは神がすべて背後で創造し、ささえているのである。
お知らせ
○今月発行の、貝出久美子詩集「風のメロディー」、6月に発行された伊丹悦子詩集「星になって」ともに、希望の方にはお送りできます。価格はいずれも、一冊200円、5冊700円、10冊1300円(送料込)です。
○今年3月発行の、讃美歌CD「人生の海の嵐に」(北田康広)も在庫あります。定価は、三千円ですが、当方に申込あれば、特別価格でお送りできます。
○8月の県外での集会予定。(私が聖書講話などで加わる集会)
☆近畿地区 無教会 キリスト集会
・テーマ 「再臨」
・主日礼拝講話 吉村孝雄
・日時 8月25日(土)午後1時~26日(日)12時
・場所…ふれあい会館
京都市西京区大枝北沓掛町1の3の1
・会費 9000円。
・申込先 〒589ー0004 大阪狭山市東池尻 1の2147の1 ・1の114 宮田 咲子
電話 072-367-1624
☆愛農聖書研究会
・日時…8月28日(火)~30日(木)
・場所…三重県伊賀市阿保 愛農高校
・講師…佐藤全弘、犬養光博、日高伴子、泉川道子、吉村孝雄
・会費…15000円
・申込先…〒518―0226 伊賀市阿保1796―56 日高方 聖霊社事務局。電話 0595―52―0592
・申込締切…8月18日
○8月の移動夕拝の日の変更とスカイプ集会
今月は、近畿無教会集会が25~26日(日)にかけて開催され、夕拝の参加者がそちらに参加されます。帰って一日おいての第4火曜日夕拝は集会が続きますし、私は愛農聖書研究会に参加するために、第4火曜日は不在です。
それで、今月の第4火曜日の夕拝は休会とし、第3火曜日の21日(火)を移動夕拝(中川宅)、それを今月のスカイプ集会(毎月一度、中川陽子さんがスカイプ担当しているもの)と兼ねることにします。
○日曜日以外の各地での集会の変更について
県外の方々や集会とのかかわりが増大したこと、さらに、仕事がこなしきれない状態が続いていて、健康上の問題も生じたこともあり、以下のように、日曜日以外の集会について、変更をすることになりました。
それぞれの家庭集会などによって、日曜日に参加するようになった方々も多く、家庭集会の日を少なくすることは何とか避けたいと今まで続けてきましたが、時間がどうしてもやりくりがつかないためにやむを得ないと思い、今回変更をすることにしました。
家庭集会については、下記のように毎月2回開催のものは、1回にします。
(ただし、初めての方が参加し始めた場合などは、その方のために一定期間、従来のように戻すことはあり得ます。)
・第2火曜日の夕拝は休止。 この日は、徳島市から70数キロ離れた高知県に近い海陽集会に私は出向いています。その地に出向いたあと、さらに同日の夜の徳島市での夕拝は、時間的にもきびしく、負担が多くなりますので、お休みとさせていただきます。
そのため、夕拝は、第1、第3、第4火曜日となり、第4火曜日が従来どおり移動夕拝。そのため、徳島市南田宮の集会場での夕拝は、第1、第3火曜日の2回となります。
・藍住集会と北島集会は、私が北島町の戸川宅に参加するのは、第2月曜日のみ。
なお、従来の、北島集会の第3月曜日は、私が自宅でスカイプを通しての聖書講話をしていたののですが、それは第4月曜日とします。
・土曜集会→第4土曜日のみ。
・水曜集会は→第2水曜のみ。
・いのちのさと集会→第1木曜日のみ。
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○西澤正文氏を迎えての特別集会
・日時 2012年 9月16日(日) 午前10時~14時
・場所 徳島聖書キリスト集会場
★なお、特別集会の前日の 9月15日(土)は 、第3土曜日ですが、第4土曜日22日 が松山市での祈の友・四国グループ集会なので、第4土曜日の土曜日集会をこの、15日に変更して、西澤さんも迎えてともにすることにしました。
○祈の友・四国グループ集会 去年は、徳島での開催だったので、今年は高知の開催予定でしたが難しいとのことで、松山市での開催です。担当してくださる、冨永 尚さんからの案内をそのままコピーしておきます。
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第16回「祈の友」四国グループ集会のご案内(案)
2012年8月15日
「わたしたちの天のお父様、
お名前がきよまりますように。お国が来ますように。
お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。」(マタイ6:9-10)
酷暑の日々が続いておりますが、皆様にはお変わりございませんでしょうか。
今年の「祈りの友」四国グループ集会は、下記の要領により松山市で開かれることになりましたのでご案内申し上げます。
日 時 2012年9月22日(土・休日)午前11時より午後4時まで
場 所 愛媛県障害者更生センター「道後 友輪荘」
松山市道後町2丁目12-11(案内書同封)
℡089-925-2013
ホームページ http://www.yurinso.jp
参加費 1000円(昼食費)
申込先 同封申込はがき、または下記メールアドレスでご連絡下さい。
〒790-0056 松山市土居田町747-4 冨永 尚
メールアドレス
* 昼食の要 不要を必ず書いておいて下さい。
* 全日参加が無理な方は、部分参加でもけっこうです。
* 欠席の方は近況や祈りに覚えてほしいことなどお書き下さい。
申込締切 9月15日(土)
内 容 礼拝 聖書講話(冨永尚兄・吉村孝雄兄) 讃美
交流 自己紹介 感話
祈り 午後三時の祈り
* 聖書・賛美歌をご持参下さい。*「祈の友」の歌も歌います。
○ 「祈の友」会員でなくとも、どなたでも参加出来ます。
○ 「祈の友」会則 七、「私たちは聖書の教えるところに従い、一切の形式、教派教権、律法より自由である。私たちは小さいけれども、『王なる祭司』『この時代に輝く光』『神の国の世嗣』又『預言の霊』でありたい。」
編集だより
○集会だより
健康上の問題もあり、前月は集会だよりを初めて休みました。集会だよりは5人の方々による要約が書かれて私のところに送られ、それを私が読んで、何らかの不十分な記述や入力ミスなど修正してレイアウトのソフトで偶数頁になるように編集し、それを、印刷するのですが、それらの編集と印刷にも相当の時間がかかり、体調が十分でなかったことと、その後に北海道、東北方面に出発する予定があり、どうしても難しかったからでした。今後も、状況によっては集会だよりを休止することもあると思います。
○脱原発に関する行動に
東京在住のSさんからの来信です。
…脱原発のこと、(「原子力発電と平和」の本や「いのちの水」誌などで)貴兄からも教えられていましたが、自分でもできることをしようと思うようになりました。
6月2日には、「脱原発杉並宣言」の集会に参加、その後、「みどりの未来」の会に出席、7月28日「緑の党」の結成総会に参加、翌日には、国会へのデモ行進、「再稼働反対の国会大包囲」に加わりました。
ノンポリ(*)の小生にとっては、初めての政治行動、市民運動でした。
子孫に、「負の遺産」を残したくないからです。 信仰が愛となって働いたと感じます。
(*)ノンポリとは、nonpoliticalから作られた言葉で、「政治(politics)に関心を持たないこと」1968年前後の。ベトナム反戦、安保反対など学生運動などが激しかった頃、学生仲間でそうした問題に全く関心を持とうとしない学生を、ノンポリとよく言っていた。
・Sさんご夫妻とは、私(吉村)も無教会全国集会の初期からの交わりを与えられていますが、82歳という高齢になった現在、こうした原発の市民運動に加わるようになられたことに意外な思いです。しかし、あの今年7月16日に東京代々木公園行われたこれまで日本で行われた最大の脱原発デモ―さようなら原発10万人集会に参加された実に多様な方々、文字通り老若男女の人たちはそのおそらく圧倒的多数は、デモなどに参加したことのない方々だろうと推察できます。
日本では、先に述べた今から40年以上昔の安保やベトナム反戦デモ以来、デモらしいものは激減していったからです。
私は、その学生運動の激しいころ、大学3年のときに、理学部学生自治会の自治委員としてそうしたデモに加わり、ノンポリの学生たちに、その非を説明し、討論会にひっぱってくるということをしていたことや、時計台のある建物での卒業式当日も、ベトナム戦争反対を叫ぶ騒然とした学生デモが走り回る雰囲気のなかで行われた状態でした。
あの時の党派的な争い、激しく相手を攻撃し、暴力によっても対立するグループを攻撃するなど、そして警官隊が手当たりしだいに警棒で殴りつけるなど―そのようなデモをマスコミも絶えず報道していたのを覚えているものとして、今回の原発反対の静かなデモ、きわめて多様な人たちのデモとの違いに驚かされます。