「いのちの水」2013年11月号 第633号
信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいよう。 |
キリスト教信仰は、意見や議論でも学問でもない。思想でも哲学でもない。
それは単純率直に、神を仰ぐことである。
そしていかなるこの世のことが起ころうとも、あくまで神の愛と真実を信じ続けることである。
この世にはそうしたものが見えない、と思えるときにも、見ないで信じる者は幸いだ、という主イエスの言葉を信じることである。
キリストの十字架上での死は、私たちの罪を赦し、罪から解放してくださるためだと信じ、感謝して受け取ることである。
そして死の力にうち勝つ復活の力が信じるだけで与えられることをも幼な子のように受け取ることである。
主イエスは、あなた方はかつて、マルタに問われたように、「あなた方はそれを信じるか」と今も問いかけられている。 (ヨハネ11の26)
私はただこのことを信じるだけで、それまでと全く異なる新しい精神の世界へと導かれた。
それが救いである。
そして、こうしたことを信じることができたということも、また神からの賜物であったとわかった。
この救いのために、経験も学問も知識も議論も必要ない。
主イエスが言われた言葉は、実にわかりやすくかつ意味深い。
…「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(マルコ10の14~15)
使徒パウロも書いている。
…学者はどこにいる。この世の論者はどこにいる。神はこの世の知恵を愚かなものにされたではないか。
(Ⅰコリント 1の20) そして神とキリストと聖霊は、その本質を同じくする。
私は何度でも繰り返してこうした単純な、そして深遠な真理を語り続けようと思う。
「いつも喜べ、絶えず祈れ、どんなことにも感謝せよ」(Ⅰテサロニケ5の16)これは使徒パウロの言葉として広く知られている。
しかし、いつも喜ぶことなど、とてもできない、どんなことにも感謝などできない―という思いがたちまち心に起こってくるだろう。
たしかに不幸な事態になった、人にも言えないような、そして言っても誰もわかってくれないような、悲痛なことも起こる。一人涙を流して長い時を過ごすのみということもある。
周囲から冷たい目で見られ、身の置き所がない、ということもある。
そのようなとき、喜ぶことはできない、感謝の心も生まれない。
しかし、それでもできること、それが祈りである。祈り― それは苦痛の叫びでもあり、主イエスが、十字架で釘付けられるという恐ろしい苦しみのなかで「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と絶望的と見える叫びをあげたことも、また祈りである。
神に向って、誰にも言えない思いを注ぎだすこと、それはただ神だけが、主イエスだけが受け取って下さることである。
そのような叫びもまた、祈りである。主よこんな私を憐れみたまえ!とそのひと言に、すべてをこめて祈ること―それこそ、私たちの究極の祈りといえる。
そしてそのような祈りは必ず主が聞いてくださる。そして最善に導いて下さるとしんじることができる。神は愛であるゆえに。
ある人を信頼する、〇〇さんは信頼できる人だ、といったことはごく普通に言われる。しかし、人間への信頼というのはある程度まででしかない。
どんなに信頼している人であっても、その人が油断していたらうっかり罪に誘われることがある。その罪というのも、他人のものを奪うといった明確な罪でなくとも、人の上に立ちたいと願うとか、うっかり事実でない誇張や確認していないことを知っているかのように言ってしまう。他人についてよい点だけがあるかのようにほめてしまう。あるいは欠点だけがあるかのように、批評、あるいは非難してしまう。そんなこともみな罪である。よい点ばかりの人、欠点だけの人などあり得ないにもかかわらず、そのように言ってしまうことがある。
あるいは、自分が追いつめられて苦しさに耐えがたいときには、友人の苦しみなどが念頭になくなってしまう。そして他人に愛のない言葉、感情的な言葉を投げかけてしまう…等々。また、みなが黙っているときに正しいことを発言する。行動する、人から馬鹿にされてもなお、信じることを人前で言う、そんなこともできなくなることがしばしばある。
彼は親友だ、だから困っているときに必ず助けてくれるとか見捨てないなどと考えていても、その人自身が大きな罪を犯したり重い病気になれば、友人のことなど到底助けたりできなくなる。
人間の真実というものは、どこまでもとても弱々しいものであり、しみの付いたようなものでしかない。聖書にもそのことが記されてている。ペテロというキリストの一番の弟子が、主イエスに対して、
「あなたとともに殺されるようなことになっても、あなたを知らないなどとは決して言わない」と力強く約束して言った。しかし、後にイエスが実際に捕らえられていったとき、近くにいた人に、イエスなど全く知らないと言い張って、みんなともに逃げてしまった。
ここに、いかに人間というものは 信頼できない存在であるかが如実に示されている。イエスはそうした人間の本性をすべて見抜いたうえで、弟子たちを最後まで愛し抜いた。
主は、人間が信頼できないから愛さないのでなく、信頼できないような弱さ、罪を持っている者だからこそ、神の愛を注いでくださり、その汚れた本性を清めようとしてくださるのである。
私たちも神様の愛を少しでも受けるなら、そのようなことが少しでも可能となっていく。
幸いの原点―詩篇32篇
聖書は一貫して何が、人間にとって本当の幸いかを繰り返し述べている書である。
いかに幸いなことか。
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことか。
主に罪(*)を数えられず、心に欺きのない人は。
(詩篇32の1~2)
(* )新共同訳では咎と訳しているが、原語はアーウォーンであり、これは英訳でも sin (罪)と訳しているものもいくつかあるように、罪、悪事を意味する。
この詩で、繰り返し言われているのが、罪を赦されることこそ、人間にとっての幸いだということである。
しかし、この幸いは、一般の日本人にはほとんど知られていない。
それゆえに、次のような詩が広く知られることになった。これは、教科書などに出て、よく知られたものである。
山の彼方(あなた)
カール・ブッセ
山のあなた(*)の空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
山の彼方の空遠く。(上田敏訳)
(* )あなたとは彼方(かなた)のこと。
・原文の直訳と原文は次のとおり。
山の彼方、
その遠くまで行った所には― 人々は言う
幸せが住んでいると。
そこで私は行った。
他の多くの人たちと共に。
泣きはらした目(*)をして帰ってきた。
山の彼方
さらにその向こうに、人々は言う、
幸せが住んでいると。
(* )上田敏訳は涙さしぐみ(「涙ぐむ」の意)と訳しているが、原文の verweinen は、weinen (泣く)の強調形で、「泣きはらした、泣きつかれる、精根も尽きるほど泣く」といった意味であり、上田訳より強い意味がある。
Uber den Bergen,
weit zuwandern, sagen die Leute,
wohnt das Gl・ck.
Ach, und ichging,
im Schwarmederandern,
kam mitverweintenAugenzuruck.
ワber den Bergen,
weit, weitdruben, sagen die Leute
wohnt das Gl・ck.
この詩は、上田敏の訳によって広く親しまれ、口ずさまれてきた。しかし、この詩では、結局幸いというのは、もっともっと遠いところにあると、人々は言うのだ、ということで終わっている。
もっともっと遠いところ―それはこの地上にはない、ということをも暗示していると受け取れる。
この詩でいう山とは比喩的な意味で言われているのであって、もちろん実際の山々を越えていくことを意味するのではない。
多くの人たちと共に、人々が幸いだというものを求めて行った。
山の彼方―それは長く勉強し、たくさんのお金をかけ、多くの努力をし…それらすべてのこと、この世の努力やあらゆる方策を暗示している―そのようなはるかな山を越えていくようなことを重ねたあげく、結局幸いはなかったと、深い哀しみをたたえて帰ってくるほかはなかった。
この世のものをいかに長年、あるいは多くのエネルギーを費やして求めても、結局は涙に終わる―それでもなお人々は、やはりそうしたこの世のいろいろな努力を重ね、必死になって求めて山々を越えるというようなことをしてその向こうに幸いがあると信じ込んでいる。
この詩は、このように、人間の幸福を空しく求めるその姿を印象的に表現しているのである。
そしてこれはその通りである。どんなにこの世のことを求めたあげくに、涙をもって帰って来て、山の彼方―地上の営々たる努力の積み重ね―には幸いなどない、と体験しても、そしてそれを周囲の人に告げたとしても、なお、人間は変ることなく、そうしたこの世のさまざまの努力を重ねたところに―山の彼方に―幸いがあると信じてやまない。
このような状況に対して、山の彼方にではなく、すぐそばにある、というのが青い鳥の話である。
青い鳥を探して旅立った二人は、行く先々で青い鳥を見つける。しかしそれをつかまえたと思ったらすぐにそれは黒い鳥になったり死んでしまったりする。仕方なく家に帰るとその鳥籠に青い羽があった。そこで自分たちが飼っていた鳥が青い鳥だったのだと気付く。幸いは、自分たちのすぐそばにあるのだが、それに気付かないだけなのだと知る―という話である。
確かに、健康というものがいかに幸いなことか、苦しい病気、治らない病気になって思い知らされる。絶えざる痛みのある病気になれば、その痛みだけでもなくなったらどんなに嬉しいことだろう!と日夜思わされる。私は中学生のとき、足の骨の炎症によって何カ月かを堅いギプスを入れられて歩くことができなかったことがあった。学校も半年ほどいくことができず、とても困ったことになった。そのことはとても当時の自分にとって苦しい経験であって、歩けたらどんなにいいだろう…と思ったものである。
このように、身近なものを感謝して受けること、そこに何らかの幸いがあるということはもちろん真理である。
しかし、それができないところに根本問題がある。よく言われるような、単なる気持ちの持ち方の問題ではない。
それをできるようにするためには、単に身近にある、感謝しよう―といった自分の意志や気持ちだけではできない。それは自分の本性の奥深くに宿る罪深いものが除かれる必要がある。
その罪の赦しと清めがなかったら、どんなに一時的にまわりのものを感謝しようと思ったとしてもそれは魂の深い幸福感にはならない。
この数千年も昔に作られた詩は、そうした人間の根本問題が言われている。
私が自分の罪を言い表さなかったときは
一日中うめいてからだが弱り果てた。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は夏の陽差しに水が蒸発してしまうように失われた。
わたしは罪をあなたに示し、隠さなかった。
わたしは言った。
「主に私の罪を告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪を赦してくださった。(3~5節)
罪がないと思っている、それは自分の苦しみは〇〇のせいだ、と他人や周囲の状況が原因だと心の中でだれかを非難しつづけている状態である。それは自分自身にも絶えざる苦しみとなる。自分の罪を認めず、正しいと思い続けているときにはこのような状態が続く。
ヨブ記にも、突然の苦難が次々とふりかかってきたヨブは、自分は正しい生活をしていた、それなのになぜ、このようなことが襲ってきたのか、と自分の正しさから離れることができなかった。
…私は訴える。私は知っている、私が正しいのだ。…(ヨブ記13の18)
私の手には不法はなく、私の祈りは清かった。(同16の17)
…どうしたら全能の神を見いだせるのか。
その方に私の訴えを差し出し、私の言い分を述べたい。
そうすれば私を顧みて、私を神の前に正しいとされるだろう。
…神は私の歩む道を知っておられるはずだ。
私を試してくだされば
金のようであることが分るはずだ。
私のその方に従って歩み
その道を守って離れたことはない。(同23の4~11より)
このように、盗むことも妬むこともなく、また悪意をもって他者を陥れることなどいっさいしたことがない。神を信じて正しく歩んできたと確信できるのに、なぜこんな苦難がふりかかるのか、とヨブは苦しみうめいた。
人間の判断で正しいと思っていても、それがまさに神中心にものごとを受け止めないという罪であることを後に思い知らされることになった。神は無限に広く深い英知があり、その測り知れないわざがある。そのことをいつのまにか忘れて自分の判断や直感で決めてしまう。
神はそうしたヨブの罪を、長い苦しみの後に直接に彼に知らせ、それによって初めてヨブは自分の考えを中心とする狭い考えに捕らわれていたことに目覚める。そこから初めて彼に本当の幸いが与えられたのであった。
詩篇32篇で言われていることも、このヨブ記に記されたことと共通点を持っているのがわかる。
詩篇の作者は長い苦しみの後に、みずからようやくその罪に目覚めて神に告白する。ヨブは、神が直接に語りかけ啓示を与え、彼の罪を知らされる。共通しているのは、いずれも苦しい魂の戦いを経てようやく人間はその罪を知るのだということである。それほど、私たちは人間の奥深いところに根ざす罪がわかっていないということなのである。
深いところの罪を知らされ、そこから神に赦しを与えられること―それが幸いの原点となる。
あなたの慈しみに生きる人(*)は皆
苦しみのときに、あなたに祈る。(**)
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してない。
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって
私を囲んでくださる。(6~7)
(*)慈しみに生きる人 と訳された原語は、ハーシィード で、ヘセド(慈しみ、変ることのない愛)から派生した語なので、このように訳されている。
(**)「苦しみのときに」関根正雄訳、口語訳。英語訳では、New Jerusalem Bibleなどの訳。That is why each of your faithful ones prays to you in time of distress. (NJB)
新共同訳のように、「あなたを見いだしうる間に」とも訳される。
神が私の罪を赦してくださった、そのことは最も大きな恵みであり、力の源となる。それゆえに、苦難のときにも他者に不満や怒りをぶつけたり、絶望することなく、祈ることができるようになる。祈りによってその苦難を乗り越える力を与えられ、祈りの中から神からの励ましや慰めを得て、前進できるようになる。進めなくなるときでも、神ご自身を隠れ家として魂の苦しみと疲れを休ませることができる。
それに終わることなく、作者が体験したのは、救いの喜び、あるいは救いの歌をもって自分を囲んでくださることであった。それまでは、さまざまの暗い雲が自分を囲み、そのなかに埋もれてしまうようであったが、神のよきものが自分を取り囲んでいるのが霊の目ではっきりと見えるようになった。
自分を何が取り囲んでいるのか―多くの人にとっては、それは単なる偶然のできごとが取り囲んでいるとか、憂うつな問題、困難な問題を持っている人においては、悪しきことが取り巻いていると思われるだろうし、病気や家庭の不和、職場での仕事のミスなどのために、周囲から敵意や見下すようなまなざしで取り囲まれるということもある。
災害が次々に起こって家や仕事まで失われた人にとって、暗雲がたちこめているとしか思えないであろう。
さらに、ほとんどの人にとっての老年の苦しみ―不自由になり病気が次々と生じ、食事も動くこともままならぬ状態となるとき、空しさが取り巻くようにも思えるだろう。
こうしたこの世の状況にあって私たちはこの作者の特別な体験に驚かされる。
このことは、さらにこの詩の終りに近い部分で繰り返し記されている。
神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。(10)
そしてこのような状況こそ、聖書が本来万人に指し示している状況なのだと言えよう。
聖書は人間の現状や罪深い本性について記すだけでなく、そこからどのような高みにまで導かれ得るのかを明確に記している。それこそ人間の考えや思いつき、思想などでなく、それらの全く及ばない神からの啓示に他ならない。
小説やこの世のさまざまの物語は、もっともよきものであっても、影のようにはかない人間同士の愛を描くにとどまる。そして優れた人間の伝記なども、本人の誰にもわからない心の内の苦しみや迷い、罪といったものも記すことができないし、どこまで神によって引き上げられていたかもわからない。
しかし、聖書、とくに詩篇は、そうした人間の生死をさまようような苦しみ、絶望的な追いつめられた状況、そしてそこからいかに救われるのかを最も明らかに記している。
古代遺跡を苦心して、大変な労働力や費用、そして時間をかけて発掘調査する。そしてやっと見つかった古代人の住居跡や道具などで辛うじてそうした時代に生きた人たちの世界のごく一部に触れることができる。しかし、古代人の使っていた器のかけらを見つけてそれが貴重なものであったとしても、彼等の心の悩みや喜び、苦しみ、そこからいかに脱したのかなどは一切分からない。
そしてそうした遺物は、今生きられないほどの苦しみにあっている人には、どのような力や励ましを与えることができようか。
その点で、聖書の詩篇を適切に読むことは、3千年も昔の人たちの心の世界にそのまま触れることになるし、そこに神の御手がいかに臨んで救いだされたかという生きた記述を知ることができる。
そしてそのような長い歳月を経ても変ることなく、続いている救いへの道、いのちへの道を私たちもまた受け取ることができる。
この詩の最後は、そうした闇からの救いを与えられた人、そして、人間の達するべき最終的な状況を表す言葉である。
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。(11)
詩というと、通常私たちが思い起こすのは、詩人の感情を特別な表現で美的に表現したものである。そこには、特定の人間―特に異性や配偶者などへの感情、憂うつ、もの悲しさ、不安、自然に関する感動などいろいろある。日本では、古来から和歌、俳句のように五七五といったリズムで表現されてきた。また中国の詩をまねた漢詩も作られた。そして、明治時代になって西洋の詩の翻訳が生まれて新体詩と言われ、現代では漢詩を作る人は少数であるが、こうした三つの流れがある。けれども、それらの詩によって、人生が大きく変えられたとか、歴史の流れの中で、そうした詩歌が重要な働きをしたということなどはどれほどあっただろうか。
日本の最古の詩(歌)とされるものは、次のものである。
八雲立つ出雲八重垣(*)
妻隠みに八重垣作る
その八重垣を
(古事記三「スサノオノミコト」)
(*)八重垣とは、何重にも、壁や垣を作るところから宮殿を意味する。
(現代語訳)
雲の群がって起こる出雲の宮殿
妻と住むために宮殿を作るのだ
その宮殿よ
ここには、八重垣(宮殿)という言葉が3回も繰り返し出てくる。その宮殿は良き支配のためとは記されず、妻をそこに籠もらせる(住まわせる)ためだという。著しく個人的な内容であり、妻のことに頭がいっぱいになっている状態が浮んでくる。
それに対して、聖書における最初の詩は、次のものである。
… 主に向かってわたしは歌おう。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。
主はわたしの力、わたしの歌
主はわたしの救いとなってくださった。
この方こそわたしの神。
わたしは彼をたたえる。
わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。…
主は慈しみによって贖われた民を導き
御力をもって聖なる住まいに伴われた。(旧約聖書・出エジプト記15章より)
このように、聖書における最初の詩は、滅びに向っていくただなかから救われたという大いなる経験を歌ったものである。この世の悪の力、それによって人間は押しつぶされそうになる。しかし、そこから神は救って下さった。それは人間の努力とか意志の強さではどうにもならない。神の絶大な力、それが滅びに直面した追いつめられた人間の救いに発揮されるということである。
神の力とは、単にこの宇宙を創造しただけにとどまらず、その無限の力をもって、人間をその苦しみから救ってくださるお方であること、ここにこの詩の中心的内容がある。
闇の力―それは、病気や事故の形を取って現れ、人間を悲嘆や憎しみの情に巻き込まれ、絶望するようにすることもあるし、そのようなことがなく安全な生活にあっても魂に悪しき思い、高慢が頭をもたげてきて、周囲の人間を見下すといったことにも起こる。あるいは、また外部の敵の形を取ってくることもあり、救いとはこうした一切の闇の力に勝利することであるゆえ、人間全体の最大の問題である。
それゆえ、聖書における最初のこの詩は後の詩篇の内容の中心でもあり続けた。そしてそれは讃美歌の源流ともなり、全世界で歌われるようになった。
聖書の最初に置かれた詩と、日本の古代文書(今から千三百年ほど昔)と旧約聖書(三千数百年昔)の最初に現れる詩を比較するとき、その根本的な違いがはっきりと分る。
古事記の最古の詩には、自分と妻の安住の場としての宮殿が繰り返し言われて、夫婦二人の生活の期待感に満ちている。しかし、それは他の人にとっては自分の苦しみが解決するなどには全くつながらない。
しかし、旧約聖書の最初の詩、それは、あらゆる人間の闇の力からの救いという根本問題に関わることである。人間は動物と違って衣食住があってもなお、悪の力から救われねばならない。いかに夫婦円満な生活があっても、それは必ずときとともに変質、あるいは壊れ、最終的にいずれかの死によって失われるものである。
また、中国の最古の詩集である詩経国風(*)にも、筑摩書房版でその最初に置かれているのは、次のような内容の詩である。(口語訳にしたもの)
(*)今から2500年ほど昔に、それ以前から伝わっていた各地の詩が、孔子によって編纂されたと言われる。
小鳥の雌雄が相応じて鳴く声が
川の中州から聞こえてくる。(それにつけても思いだすことがある)
物静かな家庭に育った貞潔な淑女こそ
君子の良き配偶者としてふさわしい。
(「中国古典詩集―詩経国風」世界文学体系7A 、5頁 筑摩書房)
あるいは、この詩の少し後には、次のような詩が置かれている。
ハコベの草を摘み取っている
なかなか竹の籠にいっぱいにならない
ああ、わが夫はいかにしているか。
そのことを思うと、摘む気力も失せて籠を投げ出してしまう(同9頁)
ここでも、夫婦の愛情が主題となっている。これらは自然な愛情や、適切な配偶者を求めるというどこの国にあってもごく普通のことが歌われている。
また、日本古代の代表的歌集として著名な万葉集では、その開巻の第一の歌は次のようである。
籠もよみ籠もち掘串もよ
みぶくし持ちこの岡に
菜摘ます子家告らせ、名告らさね
そらみつ大和の国はおしなべて我こそ居れ…
我こそは告らめ家をも名をも
(口語訳)
立派な籠、土を掘る道具も立派
それを持ってこの岡で菜を摘んでいる娘よ
家を言え、名を言え、
この大和の国はすべて私が支配しているが、
この私の方から家も名も言おう。
このように、日本の古代の詩や中国の古代詩においても、共通して男女、夫婦の愛、あるいは配偶者としてあるべき女性のことが歌われている。人間の男女の愛ということは、本能的に感じる感情であるのでこのように古代から歌われているのがわかる。
このような感情は誰でもわかり、また通常の人間関係とは異なる強い感情にもなりうるために広くどこの国でも詩歌に用いられている。それは現代においても変わらない。
しかし、それらの内容はわかりやすく共感されやすいが、そうした内容の歌の致命的な弱点は、苦難のとき―みずから死の苦しみにさいなまれているとか、愛する者が命を奪われたとか、事故、災害にあって死んだとか信頼していた人に裏切られた、あるいは自分の罪がだれかの一生を誤らせたといった深い苦しみには何ら力とならないということである。
生きるか死ぬかというような悲痛な状況のとき、いったい誰がこうした人間の狭い関係を歌うものによって力が与えられるだろうか。
このような古代の大抵の詩のテーマに対して、聖書の詩集といえる詩篇においては、全く異なる組み立てがなされているのに驚かされる。
聖書で最初に現れる詩については、すでに述べたが、詩篇においてもその第一篇からして、日本や中国の古代詩集とは、全く異なる内容が記されている。
いかに幸いなことか…
主の教え(み言葉)を愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。…
神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。…
神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
このように、聖書の最初の詩と同様に、あらゆる時代、民族に関わりなく、また病人や健康の区別や男女、年齢など一切に関わらずに成り立つ真理が歌われている。
真理に従う者への祝福と、真理に意図的に逆らう者への裁き―これは永遠に成り立つことである。
私たちもこの詩篇の世界にいっそう深く導かれ、この世を歩ませていただきたいと思う。
現在の日本の大きな問題、そして多くの日本人や中国人、韓国人の心にもかかっていることは、戦後70年近くも経っているのに、以前にもまして相互の国民感情が悪くなっているということである。
この原因は、領土問題が関わっていることは周知の事であるが、それ以前からずっとこれらの国々との関係が改善していかない重要な原因は、宗教問題である。
現在の首相も、靖国神社に参拝するのは、「国のために命を捧げた人への尊崇(そんすう)の念を表すのは当然だ」と言っている。
国のためというが、国を良くするための事業で命を落としたのでなく、国の間違った戦争によって死に至ったのである。日本は、隣国や隣接する東南アジアの国々など、広大な領域に戦争を起こし、戦闘行動だけでなく、南洋諸島では猛烈な飢餓によっても多数の死者を生んだ。
国を支配していた天皇、そして政府、軍部の要人たちが、中国への侵略を認め、平和のためと称してイギリスの艦隊を攻撃し、アメリカへの真珠湾攻撃などで取り返しのつかない戦争への道を開いてしまった。
死者は、日本人だけでも300万人を越え、中国ではその戦争のために、1千万人を越えるという死者を出した日中戦争、太平洋戦争は、日本が始めた侵略戦争であった。そのような途方もない人間の命を奪った戦争を開始した責任者は天皇であり、そしてその終りの決定も天皇がなしたのであり、その戦争の重大な責任は免れない。
会社にしても、末端にいる社員がホテルの食事のメニューを事実と異なるものを出していたというだけで、社長は責任を取って辞任しなければならなくなった。最高の責任者は、その配下にある者が罪を犯してもその責任は取らねばならないのは、どこの社会でもごく普通のことである。
しかし、日本ではそのごく普通のことが行なわれなかった。太平洋戦争では部下が間違った判断と行動をしただけでなく、天皇もその間違った判断をしていたのである。
そして、そのような誤った戦争を指揮し、膨大な人命を失わせた指導者たちがその責任を問われ、何らかの裁きを受けるのもまた当然のことである。
しかし、こともあろうに、そのような人たちを、英霊として尊崇するというのが、日本の首相の考えであり、相当多くの日本人もそうした考えを持っている。
英霊(*)として尊崇する、それは優れた霊として尊び、あがめるという意味である。
(*)英とは、英名、英雄、英才…等々のように、優れた、美しいという意味。
そして靖国神社では、その英霊なるものは、神として拝まれる対象である。
英霊と称される人間でなくとも、昔から神社にまつられたもの、それは神として拝む対象になる。それは岩や樹木、山などの自然物から、鏡や剣、玉なども祀られ、人間も簡単に神とされる。(*)
(*)日本では、実に多様なものが神として拝む対象になる。ヨーロッパからイスラムなど全世界に広がっている唯一の神の信仰からは考えられないことであるが、神話の人物を神とするだけでなく、温泉の出る岩を御神体と称して拝む(山形県湯殿山神社)、あるいは、奈良県の三輪山という500m足らずの山それ自体が神であるとして山を拝む大神(おおみわ)神社、富士山そのものを御神体とする富士山神社もある。人間の体の一部を神とする神社、また 狸を神としてまつった神社が私のいる小松島市や北海道など各地にあるし、蛇を神としてまつる神社…等々。
豊臣秀吉や徳川家康などの権力者を神とした神社―そのうち秀吉を、豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)とした大きな豊国神社も京都市にある。小松島市にもその小さな神社がある。徳川の時代になってその神社は廃絶されたが、また明治の時代になって、秀吉は尊皇だったなどといわれて、この神社は再興された…というように政治的な判断によってもなくなったりまた大きく再建されたりする便宜的なものでもある。
靖国神社には、明治維新の戦争、西南戦争から日清、日露戦争、中国との戦争から太平洋戦争に至る戦死者約246万を越える戦死者が―たとえ戦地でいかに残虐なことをして相手国の人たちを殺傷したかを問わず、みな一律に「神」としてまつられている。
このような、莫大な人々には、善人悪人ありとあらゆる人間が含まれるはずだが、そうした者たちをすべて神とし、おびただしい神々をまつる宗教施設というのは、世界に類のないことであり、それ自体驚くべき特異な宗教施設ということになる。
とくに、太平洋戦争、中国との戦争で指導的役割を果たした人物をも靖国神社に神として祀ったが、そうした人物をもその責任を問うことなく、神として尊崇するということは、彼等の行為をも尊崇することになる。
そのような人物が、あの戦争の無謀さを知り、人間の命の尊さを知って戦争を起こさなかったら、あるいは中国全土に広がりかけた段階で止めさせておいたら、外国について言えば、中国だけでも千万もの人命を失わせたあのような悲劇はなかった。
そして沖縄地上戦によって二十万人近くもの人たちが犠牲となり、また、一夜にして10万人を越える人たちが命を落とした東京大空襲や、広島や長崎の原爆惨禍もまたなかったのである。
しかし、天皇を含めた指導者たちは、それをしなかった。
そのような判断ミスは致命的である。にも関わらずそのような人たちを神として尊崇するということは、彼等のそうした行動をもあがめるという奇妙なことになる。
もし、仮に、かつて日本が中国によって侵略され、短期間に何百万人が殺されたとしたら、そしてそのような戦争を起こした中国の指導者を、現代の習近平国家主席が、神として尊崇している―そのような状況に接したら、どのように感じるだろうか。
単に記念するということと、神として尊崇することとは本質的に異なる。
記念とは、念(思い)に記すこと、記憶に留めることであり、何かを記念するとは、そのことを記憶に留め、良きことなら、それを受け継ぎ、また悪しきこと悲劇的なことであればそのようなことが起こらないように心に刻むことである。
それゆえ、戦死者全体を記念することは、戦争の惨禍を覚え、彼等のような多数の人間が相手との殺し合いによって互いに命を失うことのような間違ったことをしないよう、心に改めて思い起こし、そのようなことにならないようにとの願いといかにしてそれがなしうるかをも考えるきっかけとすることである。
そうした記念する場に、少数の戦争指導者が多数の一般の戦死者と混在していても、記念ということがそのような意味をはっきりさせてするなら何ら問題は生じない。
問題が生じるのは、重大な戦争責任者を神として尊崇するからなのである。それはそうした者の行動をも尊崇すること、あの侵略戦争をも肯定し、立派な行動だとすることになるからである。
このように考えればわかるが、中国や韓国との問題の根源に、日本の宗教、その信仰内容がある。何でも神とする、そして拝むというその宗教的発想が、世界の一般的な人間の感覚に大きく相いれないのである。
世界の多数を占めるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のいずれも唯一の神を信じるのであって人間を神として拝むということ自体あり得ない。また、本来の仏教は、この世の間違った観念から離れて真理につながることをめざしているのであって、悪事を犯した人間を神として拝む、ということはあり得ない。このように考えれば、神話上の人間でも、また岩石でも樹木や山でも悪人でも善人でも暴君のような者でも、何でも神とするという宗教は、きわめて特殊なものでしかないといえよう。
このように、靖国神社参拝問題の根底にあるのは、日本人の何でも神として拝むという、世界的にも―ヨーロッパ、イスラム圏を含めると圧倒的多数から見ても、異例の、宗教的態度なのである。
これから日本は、世界で最も高齢化が進む。そして50基を越える原発の後始末に何万年とかかるし、その過程で世界における地震大国であり、火山噴火の多い国土を抱え、テロ、戦争、自然災害等々何が生じるかわからない。いずれにしても歴史上でどの国民、民族も経験したことのない困難な事態の到来が予想される。
そうした事態に本当に対処できるのは、真実な拠り所である。狐や蛇、あるいは権力者や何百万というただの人間を戦争で死んだからといって神として拝むなどといったことを精神の基盤としていたのでは、到底耐えていけない状況が来るであろう。
日本の今後の最大の問題は、日本の精神的、宗教的基盤を、永遠かつ普遍的な真理―それは聖書に最も完全に記されている―にその基盤を置くことなのである。
以前、中国のキリスト教の実態についてかなり詳しく書いたことがある。(「いのちの水」誌2010年9月号「世界のキリスト教の状況―特に中国の状況について」)そしてそのことについて、幾つかの県外の集会でも紹介したことがあった。
その内容は、知人のキリスト者の大学教授が、経済学の講義に関して中国を訪れた際に各地のキリスト教会に実際に訪れて、その経験を直接に知らせていただいたこと、オックスフォード出版局から出ている詳細な「世界キリスト教百科事典」、キリスト教関係の新聞や冊子、さらに、インターネットで紹介されていた中国での経験、朝日新聞などの記述から書いたものだった。
そのときに、朝日の記事で、中国は現在ではすでに世界屈指のキリスト教国であり、1億人を越えていると書かれていた。
それから4年後、NHKテレビで中国の心の問題に関してキリスト教のことが放送された。そこでは、以前は中国では排斥されていた儒教やキリスト教に人々が強い関心を向ける状況が明らかにされた。
そしてそのNHKの放送に関して、こんどは毎日新聞の重要なコラム欄で、次のように紹介された。
…さらに驚くべきはキリスト教信者の急増だ。
牧師が集会で「経済至上主義」を糾弾し、「人と人とのつながりこそ」と訴える。このプロテスタント教会も共産党公認である。
2011年10月13日、広東省仏山市で2歳女児がひき逃げされた。行き交う車にさらにひかれて死んだ。この間、18人が無視して通り過ぎた。防犯カメラがとらえた映像は世界に衝撃を与えたが、何より中国社会を揺さぶった。
「助けても親から賠償請求されかねぬ」「病院に運べば治療費をとられてしまう」―。
そんな社会はダメだという牧師の叫びは激しい共感を呼び、信者が爆発的に増えている。
改革・開放政策が始まった1970年代末に数百万人だった中国のキリスト教信者は、現在、公認・非公認、新教・旧教を含めて推計1億3000万人。共産党員の8260万人をはるかにしのぐという。
このNHKの番組の取材班は番組制作に1年をかけた。思いがけない映像は、日本の視聴者に驚きと共感をもって迎えられた。… (毎日新聞2013年10月28日 「風知草」山田孝男)
中国では、この30 数年で、キリスト者の人口が、40倍ほどにもなるという驚くべき増加ぶりである。1億3千万人のキリスト者、これは朝日新聞が記したように、世界屈指のキリスト教大国と言える。中国は、アメリカに次いで、世界第二のキリスト教人口を持つ状況となっている。
日本はわずかに1%、百万人余りのキリスト者しかいないのと比べるとき、通常の中国のイメージとはどうしても結びつかないほどのキリスト者の増大である。(*)
(* )他のアジアの国々のキリスト教人口は幾つか取り出すと、次のようである。インドネシアは、世界最大のイスラム国である。人口の88%がイスラムだとされるが、キリスト教人口は、9・3%と公表されており、それは、およそ2200万人にもなる。(2010年の宗教省のデータ、インターネットによる)
また、インドは約2%あまりのキリスト者人口であるが、人口が多く12 億人を越えているため、キリスト者は、2400万人ほどいることになる。そして日本の一番近い隣国である韓国は、キリスト者人口は30%にも及ぶという。こうした中で日本の特殊性が際立っている。
このことは、さまざまの民族間のまさつや人権抑圧、公害増加、貧富の差の増大…といった問題がいろいろある中で、そうした暗い状況で人が頼っていこうとするものは、やはり目には見えないが確かに寄りすがる者に力と平安を与えるキリストの福音なのだということである。
旧約聖書の時代から言えば、アブラハムやモーセ、そしてダビデや多くの詩篇の作者たち、そして預言者たち―そうした数々の人たちが苦難や闇のなかで真剣に頼ることができたのは聖書で示されている唯一の神である。
そしてキリストが現れて以来、神は万民の神となり、世界中に、そのキリストにすがって罪赦され、新たな復活の力を受けていく人たちが生み出されてきた。
中国が世界第二のキリスト教大国になる、そんなことは、半世紀ほど前なら、ほとんどだれも考えることもしなかっただろう。
神は驚くべきこと、あらゆる人間の予想を越えることをなされる。この中国のキリスト教の実態はそうしたことの一例にすぎない。私たちは、この世のどのような困難な問題が起ころうとも、神とキリストに頼り、その無限の可能性を開く力に信頼していくことができる。
(353)賛美の力
人間の救いについてのあなた(神)の御考えの深さを熟考していると、驚くべき心地よさ(*)を感じた。
讃美歌や聖歌を聞いていて、その心地よく響いてくる教会(**)の声に心動かされ、深く涙を流した。それらの私の耳に流れ込むともに、真理が心の内に注がれてきた。
(「告白」第9巻6ー14 アウグスチヌス著)(***)
(*)原文はラテン語で、suave これは、英語のsweet と語源的に関連している。アウグスチヌスやダンテ(イタリア語では、ドルチェ dolce )はこの言葉をしばしば用いている。それは神からくる霊的な安らぎ、喜び、豊かさ、心地よさを表す言葉となっている。
(**)「教会」と訳されているラテン語は、ecclesia (エククレーシア)で、ギリシャ語の形と同じであり、本来は「(神から呼び出された人たちの)集会」を意味する。
(***)アウグスチヌスは、354~430年。古代キリスト教の最大の神学者、哲学者、説教者。
このアウグスチヌスの告白という書は、神に向けての告白が主たる内容であるが、後半部には、創世記のはじめの部分などの霊的な解きあかしが詳しくなされている。
ここで、彼は、深く神のわざ、その御計画について思いをめぐらしているとき、深い平安、喜びが湧いてきたことを記した。それとともに、賛美の歌声とともに真理が魂に深く流れ入ることも述べ、讃美歌の役割の重要な要素に触れている。賛美の言葉は、神の言葉が深く折り込まれ、それが適切なメロディーとともに歌われるときには、真理をともに魂に注ぎ入れるという重要な働きをすることができる。
それゆえに、賛美は2回とか決めることなく、必要に応じて多く用いることでいっそう真理が参加者の心に入ってくることが期待できる。
(354)神を愛する
神を愛するとき、私は、一種の光、一種の声、一種の香気、一種の食物を愛している。わが神はわが内なる人にとっての光であり、声であり、香りであり、食物である。
そこではいかなる場所にもとらえられない光が心を照らし、いかなる時にも奪い去られない音が響き、いかなる風にも吹き散らされない香りがただよい、食べて減ることのない味わいがある。
神を愛するとき、私が愛しているのはまさしくこのようなものである。(「告白」第10巻6ー8)
・神は万能であり、すべての良きものを持っておられるゆえに、このように言われている。自然界の雄大さ、その光、美や花などの香り、また美しいメロディー、よき味わいの食物等々、そのもとは万物の創造主である神にあるゆえ、神を愛するということはそうしたすべてを愛することであり、真剣に神に心を注ぎだすときにはアウグスチヌスが書いているような実感が与えられたのがうかがえる。こうした魂の満たされた状態こそ、「主の平安」(ヨハネ14の27)である。
私たちもまた、真実に持続的に求めるときにはこのような意味での主の平安が与えられ、それによってこの世の悪の力に勝利していくことができる。「私は世に勝利している」と言われたからである。