神よ、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。 (詩篇51の12) |
・2014年10月 第 644号 内容・もくじ
秋になると、稲穂は実って垂れ、柿や栗、ブドウなどが実る。野生動物の食物となる、ブナやミズナラ、コナラ、カシなどの樹木の実も熟してくるし、アケビもその実が熟し、多くの植物たちは種をつける。
こうした野生植物は、ただ太陽の光を受けているだけで芽生え、育ち、そして実っていく。日光とともに必要な、大気中の二酸化炭素、酸素を取り入れ、そして地中の養分を水とともに吸収するということも、自然に備わっているものを取り込むだけである。
主イエスが、「野の花を見よ、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイ福音書6の28より)と言われたように、自然の姿というのは、しばしば私たちに霊的なあるべき姿を指し示している。
私たちにとっての霊的な太陽たる神(キリスト)の光を受けているだけで、周囲に起こるさまざまのことから学び―養分を得て―成長し、実りが生まれるようになる。
植物たちは、種が落ちて芽生えても太陽の光を受けなければ育たない、またわずかの光しか受けないときには、何とか育っても、実は付けない。
私たちも福音の種を受けても、その後も意識的に神の方向を向いて、神の光をいつも受けていなかったら、育っていかない。
人間は、生まれてそのままの状態では、実らない。植物たちのように、放置しておいては、霊的には成長しない。
主イエスは、「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15の4)と言われた。
そして、イエスこそは、光であり、命であるゆえに、私たちが主イエスの内に留まっているだけで、育っていき、実を結ぶことが与えられる。
実とは何か。真実を求める心、清い心、よきことを守ろうとする心、弱き者への関心…等々、みなよき実である。
そうした実のうちで、 最大の実とは愛だ。だからこそ、主イエスも、その実を結ぶために、ぶどうの木のたとえを締めくくるように、「私の愛のうちに留まっていなさい」と言われたのである。(ヨハネ15の9)
しかし、人間の愛―親子など血縁の者とか、好きなものに心を向け、嫌いなものを退け、あるいは憎む―そうしたものは、聖書で言われている愛でなく、実でもなく、動物も持っている。
植物たちは真冬に実を結ぶということはない。そして周囲に大きな樹木が育っていくと、日の光が当たらなくなるということもある。
しかし、霊の太陽であるキリストの光を受けているかぎり、私たちには日陰となることはなく、また、真冬のようなきびしい試練のときであっても、かえってそのようなときにこそ、良き実をつける備えがなされていく。
植物たちがただ日光を受けていさえすれば、必要なものは備えられ、自然に育って実をつけるように、私たちも霊的な太陽である神(キリスト)をさえ、しっかり見つめているならば、必要な出会いや助け、あるいは導きが与えられて、成長し、実を結ぶ者とさせていただけるのがわかる。
聖書とは神の言葉―み言葉そのものである。
その神の言葉を、単純率直に信じるところに力が与えられる。
福音書には、無学なあるいは病気や、目が見えないといったからだの障がいによって苦しめられてきた人たちが、神の力を与えられて救いを与えられたということが、いろいろと記されている。
そうした記述の特徴は、単純率直に、幼な子のように主イエスの力を信じていたということである。
…あなたの信仰があなたを救った。(マルコ福音書5の34)
長く苦しい病気、それは出血の病気だった。現在ではそうした考えはないが、古代社会においては、女性のそうした病気は、汚れているとされ、その人が触れるものまで汚れるということになっていたから、外出もままならない状況であったことがうかがわれる。
12年間もそういう病気であった。
その長い苦しみからの脱却はただ、単純にイエスの力を信じるということであり、主イエスがいかなる人間にもできない力を持っていると単純に信じるということであった。
現代の私たちにも、この女性のような信仰によって与えられる神の力は同様に与えられることを、この福音書の記述は示している。
それは、み言葉に対する信頼も同様である。神の言葉―み言葉とは、神やキリストご自身のご意志から出た言葉である。それゆえに、神を信じることはそのみ言葉を信じることであり、神の万能を信じることは、そのみ言葉の万能を信じることにつながる。
この道は、だれにでも開かれた道である。この長い病気で苦しんでいた女性は、学があったわけでも地位が高かったわけでもなく、また有力な血筋でもない、そんなことは一切書かれていない。
イエスを神の子―神と同質のお方だと信じることは、そうしたこの世のことと一切無関係に信じることができる。
それゆえに、神の力は、どのような状況に置かれている人であっても、ただ信じるだけで与えられる。
「ただ信ぜよ」(マルコ5の36)、と主イエスが言われたそのひと言は、二千年を経た今も私たちすべてに向けられた神からのメッセージである。
―聖書にはいかに示しているか
主に生かされる集会、それは一人一人が、主に直接的に結びついているほど、自然にそのようになる。
主と結びつくとは、ヨハネやパウロが書いているように、私たちが主の内にあり、また主が私たちの内にあることである。(ヨハネ15の4、エペソ3の17、ガラテヤ2の20)
さらに言い換えれば、キリストの霊が私たちの内に宿っていることであり、み言葉が常に魂の内にある状態である。(ローマ8の9)
それが現実にはそうならないのは、私たちが、自分というものの内に深く住んでいるからであり、主の内に住むことがなく、私たちの内にも「自分」が魂の深いところで住んでいて、そこに主イエスが住んでいないからである。
神は愛である。それゆえに、愛なる主と結びつくとき、私たちも小なりといえども、神の愛を与えられる。その愛とは、罪や病気、人間関係で苦しむ人、さまよっている人へと向けられる。
それゆえに、「知識は誇らせるが、愛は造り上げる」(Ⅰコリント8の1)と記されている。愛は、壊れてしまった人間の心、争いなどに直面して、そこに神の愛が注がれるよう祈る。そうした祈りが神に聞き入れられて、再びよきものが造り上げられるのを待ち望む。
そして個々の人の心をも、その神の愛は、強め造り上げていく。
それぞれの人にはタラントがあり、使命がある。しかしそのすべての人に共通している最重要なことは愛である。というより、キリスト者とは、罪の魔力から神(キリスト)の愛によって救いだされたものである。そうして受けた神の愛が豊かにあふれるほど、自然とその愛は周囲へとあふれていく。それがみ言葉の伝道ということである。
このように、本来は、福音を伝えようとする心は、義務とか組織の命令とか、他人からの評価等々、いっさい関係なくなされる。
ヨハネ福音書やヨハネの手紙では、まず信じる者同士が互いに愛しあえと繰り返し言われている。(ヨハネ13の34など)それはまた互いに祈りをもって交わることであり、その祈りに応えて主が聖霊を注いでくださり、その実としての愛がさらに集会に深まり、互いに具体的に助け合い、励まし合うという状況が生まれる。そのような主の愛は、必ず周囲にも流れだし、敵対する人にも流れていく。最初のキリスト者たち、その集りは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒2の42)使徒の教え、それはみ言葉を中心とし、主にある生きた交わりをなし、儀式的なことでなく、日常の食事のたびに主のからだ(聖霊)をいただき、それらすべてを祈りによって絶えざる神の愛の導きを受けて歩む。
それは、信じて集まる人たちの集りが、キリストのからだと言われていることに通じる。
(エフェソ1の23、4の12、Ⅰコリント13の27他)
主を信じて集まる者たちのただ中に主イエスがおられる。また私たちの集りそれ自体がキリストのからだである。それが私たちのあるべき姿を指し示している。
泣く者とともに泣き、喜ぶ者とともに喜ぶ、苦しむ者とともに苦しむ…それがキリストのからだとしてのエクレシアのあるべき状態である。
苦しい状況にある人を愛するとは、その人の苦しみを少しでも自分のことのように受けとってできることをしようという心である。祈る心である。
このように、あるべき集会の姿とは、互いに祈り合い、助け合うということになる。
聖書においては、それは次のような点で見られる。
使徒パウロは、エルサレムの貧しい信徒のために、ギリシア、マケドニア地方の各地のキリスト教の集会からの献金を集めて、それを届けるために命がけでエルサレムへと向ったこと、そして結局そこで捕らえられてローマへと送られることになる。
しかし、そうした各地での働きのとき、ギリシアでのコリントの集会からは、あえて献金を受け取ろうとはしなかった。それはコリントの集会には、パウロの影響力を排除しようとするような悪しき人たちが入り込み、集会を混乱させていて、パウロのことをすきあらば非難、攻撃しようとしている者たちがいたからであった。そのことを、彼は、「サタンも天使に擬装する」(Ⅱコリント11の13)と言って、強く警戒するように呼びかけている。
その代わりに、パウロを支えたのは、他の地域の集会の人たちであった。彼は、コリントの信徒たちに奉仕するために、他の地域の集会からの献金を受けてそれを用いた。
マケドニア(ギリシアの北部地方)の信徒たちがパウロの必要を満たしてくれた、と記している。(Ⅱコリント11の8~9)
あるいは、フィリピ(*)のキリスト教の集会の人たちには次のように書いている。
(*)マケドニア(ギリシアの北部地方)の都市。フィリピとは、フィレオー(愛する)と、ヒッポス(馬)から成る言葉で、「馬を愛する」の意味。馬は自動車が出現する以前においては、きわめて重要な動物であり、人間の心を通じ合えるという点で、犬と並ぶと言われる。キリストも、黙示録においては白馬の騎手として描かれている。(黙示録19の1)
…フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、私の(伝道の)働きのために、もののやり取りをしてくれた集会はあなたがたのほかに一つもなかった。(フィリピ4の15)
ここで言われていることは、パウロの福音伝道において、食べるものにも事欠くような状況のとき、フィリピの町のキリスト信徒たちだけが、彼の伝道を経済的な面で助けたということである。パウロは、伝道の旅において、さまざまの困難、苦難に出逢っている。
それは、次のような記述を見ればわかる。
…幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い… (Ⅱコリント 11の26)
このような状況に出会いつつ、次々と場所を移動しているのであって、特定の町でゆったりとテント造りをして生計を立てるということを継続できる状況でなかったのは容易に想像できる。
そのようなときに、思いがけずフィリピの集会のキリスト者たちからの援助が届いて、助けられたというのが、こうした記述から推察できる。
また、ローマにいるキリスト者たちに宛てた手紙の最後の部分に、彼がいかに多くの人たちの助けによって、その伝道の働きをなしたか、の一端が記されている。
ここではその一部を引用しておきたい。
… 私たちの主にある姉妹フェペを主にある者にふさわしく彼女を迎え入れて、どんなことでも助けてやって欲しい。彼女は、多くの人たちの援助者、とくに私の援助者であった。(ローマ16の1~2)
ローマの信徒への手紙という、信仰と救いに関して最も重要な真理の書かれた手紙の最後の部分にとくに彼を助けた人の筆頭に、女性の名前があることは意外な思いがする。
古代から現代まで、さまざまの分野で重要な働きは、男がやっているとみなされることが多いし、じっさい、学問や芸術、思想、政治、経済、科学技術、発明発見、等々、たいがいの分野において 多大の働きをしたとして知られているのは、圧倒的に男性である。
そしてキリストの12弟子や特筆すべき使徒であったパウロもまた男性である。
けれども、そうした働き人を支えたのが女性であった。
そして、夫婦であるが、次のようにとくに女性の名前が先に置かれるという異例の扱いをしてその夫婦に感謝していることも記している。
…キリストにあって私の協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。彼等は命がけで私の命を守ってくれた。それゆえに、異邦人のすべてのキリストの集会の人たちが感謝している。
(ここでプリスカが妻で、夫がアキラである)
この夫妻が命がけでパウロの命を守ったというが、そうした文字通り献身的に福音を伝える人を支えようとした人たちが、キリスト教が広がっていく過程で多くいたことが推察できる。
また、次のように老年の女性も、パウロが「私にとっても母である」というほど、彼をとくに支え、助け、祈りにおいて主にある愛を注いだのがうかがえる。
…主にある選ばれたルフォスとその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです
。 (ローマ16章1~13より)
パウロは、このような具体的に人名をあげつつ、いろいろな人たちに感謝しているが、彼自身は深く信徒たちの祈りの重要性を知っていた。それゆえに、しばしば自分のはたらきのために祈ってほしいと強く願っている。
…兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊(聖霊)が与えてくださる愛によってお願いします。
どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、
わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように…。
(ローマ15の30~31)
他人の祈りなど願ったことがない、といったキリスト者もいるかも知れない。
じっさい、何十年も信仰に生きてきた人から、そのように言われたことがある。その集りでは、だれもそのように自分の苦しいときでも、同じ集りのキリスト者の人たちに、祈ってくださいとか、共に祈りましょうといってその集会の場で祈ったこともないということだった。
集会のある人たちが、福音伝道のような何らかの信仰に関する重要な働きにかかわっている時、あるいは特定の人が苦しみのさなかにあり、耐えがたい状況にあるのが判明したとき、キリストのからだとして一つであるはずのエクレシア(キリスト教の集会、教会)の者たちが、共に祈るのは、それはごく自然なことだということになる。
パウロは、また次のように、集会の人たちに対して絶えざる祈りをもっていたのがわかる。
…私たちは絶えずあなた方のために祈り、願っている。
どうか(神の)霊によるあらゆる英知と理解によって、神のご意志(御心)を十分に悟り、主に従って歩み、よきわざを行なって、神をますます深く知るように。 (コロサイ書1の9)
福音を信じたといっても、絶えざる導きがなければ、その信仰は失われていくことが多い。主イエスの種まきのたとえのように、福音の種を何者かが取り去ってしまうからである。
それゆえに、そのようなことにならないよう、絶えず祈り、そうした悪の力を入り込ませないようにと、主に働いていただくのである。
主イエスが言われたように、掃除してきれいになっても、主の霊がそこにしっかりと住むのでなかったら、悪の霊どもが再び入ってきて住み込んでしまう。(ルカ11の24~25)
そのためにも、信じて救いを与えられた人たちのために、絶えざる祈りが必要となる。
しかし、そうした信仰を与えられて間もないような人たちだからといって、彼等の祈りは役に立たないものでは決してない。
主は、そうした小さき者の祈りをも聞いてくださるお方であるからだ。
…目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。(*)
同時に私たちのためにも祈って欲しい。
神が御言葉のために門を開き、私たちがキリストの奥義(**)を語ることができるように。(コロサイ書4の2~3より)
(*)「ひたすら」と訳された原語は、pros-kartereo プロス-カルテレオー。プロスとは、方向を意味する接頭語、kartereo は、kratos と同様な意味で、力あるものを意味するから、この語は、力強きに向う、というニュアンスを持つ。不撓不屈、忍耐強く、困難にめげずに といった意味。たとえ困難があり、神の愛とは到底おもえないようなこと、どんなことがあっても、神を信じて祈りを決して止めない、という姿勢を意味する。
(**)奥義と訳される言葉の原語は、ミュステーリオン musterion であり、新共同訳では、「神の秘められた計画」と訳しているが、新改訳、口語訳ともに、「奥義」と訳されている。
このように、パウロ自身も各地の信徒のために絶えざる祈りをささげ、各地のキリスト者の人々も、またパウロの働きのために祈るようにと求められている。
これは、互いに「祈られ、祈る」関係である。
このことは、主イエスが、互いに愛し合え、と繰り返し命じたことと同じ意味をもっている。真実な他者への祈りとは、真実な愛の表れであるからだ。
パウロという一人のユダヤ人をなぜこのように、さまざまの地でいろいろな人たちが献身的に支え、尽くしたのか、それは彼に神の言葉がゆだねられていたからであり、その神の言葉を伝えることにすべてをかけていた人だったからである。
パウロのために祈り、また具体的にお金や食物その他を提供し、またその伝道に関わり、命がけで彼を助けた―それはそのいろいろな人たちが神の言葉を愛したゆえである。
そしてその人たちの内に、生きてはたらくキリストがおられ、聖霊の火が燃えていたからである。その内なるキリストが、パウロを助けよと語りかけ、そのための困難をも乗り越える力を与え、それによってみ言葉が広く伝えられるように導かれたのである。
キリスト教の集会のあり方、それは、その内に生きて働いておられるキリスト、聖霊が住んでいることが最も大切なことで、それがあれば、その内に働くキリストが次々と指し示し、導くようになる。そしてその示されたことを行なう力も同時に与えられることになる。
事実、そうした力によってキリスト教の真理は、さまざまの困難、迫害を乗り越えてローマ帝国の各地に驚くべき短期間で伝わっていったのであった。
キリスト者の集りの中心に復活のキリストがおられ、また一人一人の内にも生きたキリストが住んでいて、聖霊を与えられている。
そこから、その人自身のうちに主の平和が与えられ、また集会にもそれがあり、そしてそこから御心が聖霊によって知らされる。
その御心に従って 各自が出かけていく。
これらは現代の私たちにおいても、み心にかなった集りのありかたを指し示すものである。
(2014年10月の無教会のキリスト教全国集会において述べたことをもとにして加筆したもの)
聖書によれば、ユダは
イエスを計画的に裏切り、金をもって売り渡した。(マルコ14の10他)
そして、後になって金で売り渡したことを後悔した。(だが、最後まで神の前で悔い改めるということはしなかった。)
ユダは、その金を長老たちや祭司長たちに返そうとしたが相手にされなかった。そのためユダは、首をつって自らの命を断った。(マタイ27の3~5)
このことは、次のようにも記されている。
…ユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったが、その地面にさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、内臓が出てしまった。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになった。(使徒言行録1の18~19)
このように二つの書において、その滅びが記されている。これは、ユダの取った行動がいかに深い悪にとらわれたかを示すものである。
キリストのような完全の愛と真実、そして神の力を受けたお方を意図的に、計画的に抹殺しようとすることがいかに重いさばきを招くのかをこうした記述が示している。
けれども、我々もみな裏切ることがある、裏切り者だ、だからユダも救われたのだ―という人がいる。
そして神は愛である、愛であるならば、だれでもみな救われないのはおかしい、そうでなければ神は愛でない―ということも言われる。
このような受け止め方は、わかりやすいし神は愛だからというのと整合するように見える。
しかし、神の愛というのは、そもそも私たちの考えやイメージ、想像しているようなわかりやすいものでないことは実に多い。
いったいどのような愛の深い母親が自分の息子の目を盲目にしたり、生涯、寝たきりにしたり、あるいは、一瞬にして交通事故で全身マヒのような事態にするだろうか。
人間の愛は 決してそんなことはしない。
しかし、神は完全な愛であると言われるにもかかわらず、こうしたことはずっと生じてきた。そして、10年、20年、あるいはもっと後になって初めて、神とキリストを信じ、その愛に触れることができた人は、そうした苦難は深い神の愛から出たことだったのだと示されることがある。そして、そこに神の愛とは、人間の想像をはるかに超えたものであることを示される。
このことからみても、表面的な状況をみて、神の愛を云々することはできないのがはっきりわかる。
それゆえに、聖書においては、このような人間的感情や表面的観察によって 愛のように見えるもの―親子愛、普通の友情等々を愛だとは言っていない。そうした人間の愛ならば、子供も偶像崇拝をする人も、悪人でもだれでも知っているし、動物もそうした愛を知っているので、何もキリストが来て真の愛を知らせる必要がない。
キリストが私たちの罪のために十字架にかかって死なれた、そこに愛がある―と言われているとおりである。(Ⅰヨハネ4の9~10)
生まれつきの全盲の人に対して、そのことは神からの罰やさばきではない。神のわざが現れるためだと言われた。神は愛であるから、神のわざが現れるためとは、神の愛のわざが現れるためということである。
このように、神の愛は、長い間目が見えなくなるという、人間の愛なら絶対にしないようなこともなされるということである。
しかし、それがいかに長くとも、神は愛であるゆえに、そのことを通して神の愛のわざをあらわそうとされている。
それは信じるほかはない。どんな神のわざなのか、それは予見することができない。それほど神のなさることは、あらゆる予想を超えたことなのである。
ここでも、「見ないで信じる者は幸い」なのである。(ヨハネ20の29)
それゆえ、神のさばきがなされたということをみて、神は愛ではない、などとは言えないのである。
裏切りということ―それは神の真実や愛に背くことであるが、それはだれでもしている。罪とは神から愛されていて数えることもできない恵みをかずかず与えられているにもかかわらず、愛や真実でない言動をしてしまうことである。
それはだれでも生じる。だからこそ、神の子イエスが私たちのために来てくださったのである。
それにもかかわらず、聖書は悔い改めもなく、だれでも赦されて死後天国に行くとは決して言われていない。
主イエスご自身、次のように赦されない罪のことを言われた。
…人の子(イエス)に言い逆らう者は赦される。
しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」(マタイ12の32)
…はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(マルコ3の28~29)
このような主の言葉に、私たちは驚かされる。永遠に赦されない、後の世でも赦されないとは、天の国に行くことができないということである。神の平安を与えられないということである。
このようなことは、愛の神というにはあまりにも適合しないと感じられるゆえに、このような箇所はほとんど引用されない。
人間のどんな罪も、冒涜の言葉も、(悔い改めることによって)すべて赦されるという。
しかし、それでもなお、赦されない罪とはいったいどういう罪なのか。
それは聖霊を汚す、あるいは冒涜する罪だという。
けれども、聖霊を汚す、冒涜するということがどのようなことなのか、私たちには決して十分には分からない。
それは、神の愛やその霊がいかに深いものであるかは私たちはごくわずかしか分からないのと同様、そのような神の無限の愛を滅ぼそうとする悪の霊がどれほどの深みを持っているのかも私たちは分からないからである。
マルコ福音書では、イエスの神のわざを、人々が汚れた霊に取りつかれているとさえ言ったことに関して 聖霊を汚す罪になることが暗示されている。汚れた霊とは悪霊のことでもある。
これは、イエスのことを悪魔だ、悪魔のわざだと言うことである。
そのように、神の愛の人イエスを全面否定するような心が、聖霊を汚す罪だと言われている。
しかし、イエスのことを悪魔だという人は、今日まずいないと思われる。イエスは神の子とか復活したとかを信じなくとも、歴史上での最高の偉人であるということは、キリスト信仰のあるなしにかかわらず、世界的に共通した認識となっていると言える。
とすれば、イエスのこの厳しい言葉―イエスのわざを悪霊の働きだとみなすような聖霊を汚すものは赦されない―は、時間が経つと、通用しなくなるのか。
そうではない。これは当時ではそうしたことを意味していたが、それは象徴的な意味をもった言葉として受けとることができる。
聖霊を汚すとは、善そのものを全面否定する霊的なもの、そのような闇の力を指しているのである。
いったいそんな人がいるのかどうか。何人も人の命を残虐なことをして奪って何の反省もない人―あるいはそんな人と言えるのかも知れない。けれどもそのような人でも、死の直前に悔い改めるかも知れない。 そうしたすべての人間の魂の深いところまで見抜くのは、人間でなく神のみである。
そしてこの謎のようなイエスの言葉は、この世では永遠に滅ぼすべき闇の力、悪の力があるということを示している。それこそ、悪そのもののことである。
毒麦のたとえというのがある。
畑にいつのまにか毒麦が生えてきた。よい麦だけを蒔いたはずだったのだ。それは、夜の間に、敵が来て、毒麦を蒔いたのだった。僕の農夫が、毒麦を抜き取ろうと言った。そのとき、主人は、そのままにしておけ。よい麦まで抜きとってはいけないからと言ったという。
そのことの意味として、次のように記されている。
…畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者(*)の子らである。
毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使達である。
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。(マタイ13の39~40)
(*)「悪い者」と訳されているが、原語からは、「悪そのもの」 と訳することもできるので、英訳聖書の重要なものの一つであるカトリックの「新エルサレム聖書」(NJB)などには、the Evil One と訳して、それが サタン(悪魔)であることを示した訳もある。
ここでも、悪の子供、サタンの本質というべきものを持っているようなものは、この世では滅びないが世の終わりには焼かれる―滅ぼされるということが言われている。
ほかにもいろいろと裏切ったものがいたのに、なぜ、ユダだけには、特別にサタンが入ったとされ、また前述のように、神の特別なさばきを受けて滅んだと記されているのであろうか。
それは、ペテロやほかの弟子たちも確かに、イエスが捕らえられたときに逃げ去ったし、ペテロは、イエスなど決して知らないと三度も強く否認した。
このような裏切りの罪とどこが違うのだろうか。
それは、ペテロたち、あるいはその他多くの人の罪は、イエスそのものを殺そう、滅ぼそうとするものではなかった。ペテロは、その直前まで、イエスのためにいのちまで捨てるといっていたほどである。 人間の弱さゆえに罪をはからずも犯してしまったのである。
私たちがキリストを信じるようになってもなお、他者を愛することができず、嫌悪感を持ったり、なすべきことをせず、愛することができない、言ってはならないことを言ってしまう、正しいことを言えない―そうしたことは愛なる神、真実な神を裏切るようなことであるが、そうしたことは日常的に生じている。だが、それは意図的、計画的に、そうした人間を憎み、陥れようとするものではないし、不正をしようと意図してすることではない。心ならずもそのようにしてしまうという罪である。
しかし、ユダの罪は、そうでなかった。特別に12人の弟子として選ばれたにもかかわらず、あらかじめ十分に計画し、意図し、さらに愛の象徴である接吻までして金で売り渡した。
そうすれば、イエスは殺されることを知っていた。いいかえると、そのようなことをしてまで、イエスに象徴される愛と真実を抹殺しようとした。
ユダが滅びたのは、そのような内に潜む深い悪の力は、滅ぼされるということを象徴的に意味していることなのだ。
そして、どうしても悔い改めようとせず、善そのもの、清い神の愛そのものを滅ぼそうとするような闇の力―それが、聖霊を汚すものと言われていると考えられる。そうした悪の力は、必ず徹底して神によって滅ぼされる―そのようなことが、こうした主イエスの厳しい言葉から示されている。
この主イエスの言葉には、この世には、神という無限に深い愛と真実の存在がおられるのに対して、そのような存在をどこまでも滅ぼそうとするようなやはり人間には計り知れないような深い闇の力が存在することを指し示している。
黙示録もそのような深い悪の力を独特の表現をもって記している。それはどこまでも、真理、善、そして神の愛といった最善のもの―神のものを攻撃し、滅ぼそうとしてくる。
だが、そのような巨悪というべきものも、最終的には滅ぼされる。
これが、聖書の最後の書である黙示録のテーマである。
一部の人たちが言うように、もしユダが悔い改めもないのに、善そのもの、愛と真実そのものであるキリストを抹殺しようとしたその重い罪が赦されるのなら、ほかの無数の悪人もまたなにも悔い改めもなしに、救われるということになる。
そのような考えが正しい説であるのなら、世の終わりにさばきも受けずにみなが救われるということになる。
そうなると、そもそもイエスはこの世に来る必要がなかったことになってしまう。
そんなことになれば、そもそも十字架も復活もなにも必要なかったことになる。
それはキリスト教信仰の根本、聖書全体の真理が崩されていくことになりかねない。
主イエスは、次のように、救いのためには、悔い改めが必須だと言われた。
…言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 (ルカ13の3)
ただ、罪を知り、神への魂の方向転換をするだけで、みな救われる。十字架でともに処刑された重い犯罪人のように、ただイエスを信じるだけで、即救いへと招かれるのである。
自分のような罪人が救われたのだから、ほかの人も救われるはずだ―といわれることがある。それは人間的感情から類推しているのにすぎない。
そうした人間的感情を主として神の無限に広大で深淵な御心を測ることは そもそも間違ったことなのである。
そのような人間の感情を中心として受けとるなら、ただキリストを信じただけで残酷な拷問を受けて殺されていった江戸時代の迫害を見たらたちまち神などいないとしてしまうであろう。そうしたことだけでなく、神の愛など到底思えないことは現代でもいくらでもこの世に生じている。そうした人間の感情を元にしていたら神の愛などどこにあるのかと分からなくなってくるのである。それゆえに、まず信仰を、神が私たちを無限に超えた存在だと信じることが重要となる。
信仰を何十年としていても、真の愛をつねに豊かにたたえているといった人はどれほどいるであろうか。自分や家族と同様に電車やとおりがかりの人たち、無数の家々の人たち、あるいは事故や災害、テロ、戦争などで苦しみ悩んでいる人たちのことを自分の受けたことと同じように痛み、愛をもってそれら無数の人たちになすべきことをして、そうしたすべての人に祈り続ける―そもそもそんなことはだれもできないのである。
私たちの他者への愛というのはそのような神の無限の愛に比べるなら、大海のしずくのごとく小さい。
それと同様に、私たちが信仰により、聖霊によって与えられている知識、理解というのもごくわずかにすぎないというのは容易に分ることである。
パウロのような、以後二千年を経ても、彼にまさる聖霊を与えられた人はいないと言えるが―彼が与えられた神の言葉が新約聖書の主たる部分をなしているほど―それでも彼は、つぎのように述べている。
…私たちの知識は一部分、預言も一部分である。私たちは今は、鏡におぼろに映ったものをみている。私は今は一部しか知らなくとも、そのときにははっきりと知ることになる。(Ⅰコリント13の9~12より)
私たちが、人間的感情を主として判断するのなら、すでに述べたように、生まれつき全盲とか、ハンセン病という恐ろしい病気となること、生まれたときから手足もいっさい動かないなどということは到底、神が愛であるということは考えられない。
人間の愛がいかにして、自分の愛する子供を全盲にしたり、生涯立つこともできない重い障がい者とするだろうか。
到底あり得ない。
しかし、神はその愛のため、その愛をあらわすために、そのようなことをされるのは、多くの実例が示すところである。そして後になって確かに、そのような重い障がい者となってもなお、健常者以上に、神の愛を深く受け止めて、多くの人に励ましと力を証しつづける人たちも昔から生じてきた。
このように、私たちは人間のこの小さな、きわめて限定した頭脳や感性をもって、神やキリストの無限の力、星や万物をいまも支えている、しかも無数の生物のきわめて微少な細胞のなかの化学反応や無限のかなたの星々をも創造し、支えている―そのような大いなる力をもったお方がなさることを、人間の判断のなかに閉じ込めることはしてはならないのである。
その計り知れない英知を注いで―聖霊を十分に注いで特別な人に書かせた文書である聖書をもそのような小さき人間の頭脳や考えで勝手に変更してはいけないのである。
私たちの考えや感性の枠内に入らないことがあっても、人間のこの土の器で勝手に判断してしまうことなく、ここには自分の、また人間の考えでは計り知れない意味が込められているのだと、まず神の言葉を尊重していく姿勢こそが求められている。
分からないことは、私たちに聖霊が十分に注がれていないから分からないのである。そして、愛とは聖霊の実として与えられるが、完全な愛というものはだれも持つことができないように、聖霊が教えるというこの世のあらゆる霊的な問題への洞察もまた、パウロが述べているように、地上にいる間は、完全にしることはできない。
私たちは、まず神が聖霊を持って書かせた聖書の言葉―神の言葉、キリストの言葉を尊重して、人間的な考えや感情でそれを狭い枠内に入れてしまうようなことをすべきではない。
私たちは神にゆだねるべきなのである。そして、聖霊が注がれてこうした問題に神の英知をもって悟らせていただけることを待ち望むべきなのである。
聖霊が豊かに注がれるならば、真理はことごとく教えられると約束されている。そして、それは地上においても御心にかなった人に、そしてふさわしいときにそうした真理は啓示され、最終的には私たちが神のもとに帰ったときに、完全に解らせてくださるのである。(ヨハネ14の26、16の13)
キリスト教信仰は、キリストを神と同じ本質を持つという意味で神の子と信じ、 十字架と復活を信じ、聖書は神が啓示した永遠の真理の書として重んじるというのが基本となっている。
以前から、時折尋ねられることがあったので、カトリックとプロテスタントとどこが違うのか知っておくことは必要である。
1、マリアの無原罪の宿り
カトリックの教義によれば、「マリアは、母の胎内にやどったときから、キリストの救いの恵みにあずかり、あらゆる悪の傾向と罪から守られ、聖霊に満たされていた。(無原罪の宿り)」
これは、すべての人が罪の内にあるという聖書の基本的な記述に反することである。
…人はみな罪を犯して、神の栄光を受けられなくなっている。(ローマ3の23)
…正しい人はいない、一人もいない。(同3の10)
…あなた方は以前は自分の過ちと罪のために死んでいた。…私たちもみな、以前は肉の欲望のままに生活し、肉や心の欲するままに、行動していたのであり、生まれながら神の怒りを受けるべき者だった。(エペソ書2の1-3より)
・イエスですら、伝道を始めるにあたって、聖霊を受ける必要があったのに、マリアは母の胎内に宿ったときから、聖霊に満たされていたというのでは、マリアは、イエス以上の存在ということになりかねない。
また、イエスが宣教しているとき、「身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。」(マルコ 3:21)
これは、アメリカのプロテスタントの代表的な訳も次のように、家族 と訳しています。
When his family heard about this, they went to take charge of him, for they said, "He is out of his mind." (Mar 3:21 NIV)
When his family heard it, they went out to restrain him, for people were saying, "He has gone out of his mind." (Mar 3:21 NRS)
マリアもまたそのなかにあったと考えるのが自然だと思われる。
もしカトリックの教義が言っているように、「マリアが母の胎内にいるときから、聖霊に満ちあふれていた」のなら、当然 マリアがイエスを受け入れられない家族たちに説得したとかいう記述があるはずだと思われる。
イエスの宣教の食事や衣類、宿泊などのいろいろな世話をしていた人たちのなかに、マグダラのマリア、へロデの召使の妻のヨハナ、スザンナ、ほか多くの婦人たちがいた。(ルカ8の2~3)とある。
ここでも、マリアが聖霊にあふれていたのなら、当然 イエスの聖霊にあふれた行動をほかの女性たちにも勝って支えたはずである。
だがここでもひと言も言及されていないのは、上記のように、イエスを受け入れられなかったからという可能性が高い。
そもそももしマリアが聖霊にあふれていたのなら、イエスのことを母親マリアも 周囲の人たちに伝えたはずですが、そうした記述は全く見られない。
パウロはじめ12弟子たちが、聖霊を受けて命がけで宣教していったときにも、まったくマリアの援助や祈りなどは書かれていない。
もし今日のカトリックの教義書にいうようなことが真実なら、当然マリアも弟子たちやパウロの真剣なはたらきにかかわったということが記されているのが自然だと思われる。
福音書記者やパウロ、ペテロ、ヨハネたち、ヘブル書著者たちにもそのことは 深く心に記されたはずである。
パウロは、ロマ書の最後に、とくに多くの女性たちの名をあげている。
フェペ、プリスカ、―あなた方のために苦労したマリア(イエスの母でない)、…ルフォスの母―等々、多くの女性たちに深く感謝を捧げているが、ここでもマリアに対してはまったく言及がなされていない。
聖霊は、初期にあってはとくに、悪霊を追い出し、福音伝道への力として記されている。パウロもまた、聖霊によって集会から送り出すようにとの啓示があり、聖霊によって出発したのだと記されている。(使徒言行録13の2-4)
主イエスも12弟子たちに与えた力の第一は、悪霊を追い出す力だった。(マタイ10の1~8)マリアにそんな力が与えられていたのなら、当然イエスとともに、悪霊を追い出し、病をいやすこともできたはずだし、積極的にイエスのことを証ししたはずである。
しかし、そうしたこともいっさい記されていない。
・最も啓示を深く豊かに受けたのは、パウロであったのは、彼が書いた書簡が新約聖書の福音書を除いて圧倒的な部分を占めていることからもわかる。
そのパウロも、ほかの使徒たちもヘブル書著者や黙示録著者などもふくめ、誰一人マリアに聖霊が生まれたときから満ちあふれていて、原罪がないなどということは触れていない。
もしマリアが、「無原罪」であるということが事実なら、こうした豊かな啓示を受けた人たちが、誰一人言及していないということはあり得ないと思われる。
次に、「聖母の被昇天」―すなわち、マリアが、死のときに、肉体と霊をもって、天国にあげられたという信仰教義で、このようなことも、もちろんまったく聖書に記されていないし、その事実は、こうしたことに新約聖書全体が関心を持っていないことを示している。
1950年に、ローマ教皇ピオ12世がこの教義を真理として宣言したが、このような聖書にまったく記されていないことを 、誤りなき真理だと宣言するという姿勢は、聖書にこそ、究極的真理が記されているのを信じる立場からは、とても共感することはできないし、受け入れることはできない。
2、結婚
〇司祭が結婚しないこと。女性を司祭にしないこと。
…結婚の奥義は深い、キリストとエクレシア(信じる人の集り)を指している。」(エペソ書5の30-32)
結婚があたかも独身より勝っているとするのは、この聖書の言葉に反することである。イエスは、そのように生まれついている人には独身であることができる、といわれたのみで、宣教に差し支えるなどとはいっさい暗示もしていない。
このことは、12弟子たちに関して、ペテロのように結婚していたことがはっきりしている人もいるし、弟子たちの多くは、青年というより中年の人のようであり、妻帯者だったと考えられる。若者という記述が弟子たちにはないからである。
3、聖書の解釈
カトリックの教義では、「聖書の解釈やキリスト教の正しい理解は、個人に任せられたものでなく、教会に任せられている。」
しかし、これは、主イエスが「聖霊はすべてを教える」(ヨハネによる福音14の26、16の13)といわれた明白な約束に反するものである。
聖霊がゆたかに与えられるならば、個人においても正しく聖書やキリスト教の正しい理解は得られる。
4、ローマ教皇の無謬説
カトリック教会は、1870年の、第一バチカン公会議で、ローマ教皇の無謬を決議した。
しかし、カトリック教会やローマ教皇の判断が無謬であり得ないことなどは、歴史をみてもすぐにわかることである。
じっさい、カトリック教会の理解が間違っていたことは歴史的にも 例えば、ルターの主張をサタン呼ばわりしたこと、贖宥状(免罪符)の発行、そしてとくに日本のカトリック教会も太平洋戦争、日中戦争に対して日本のカトリック教会は、「靖国参拝は宗教活動ではない」とする政府の靖国神社その他の神社への強制参拝をさせる口実とする主張に従い、信徒にもそのように説明し、以後太平洋戦争、日中戦争の本質については沈黙を守るようになったのであった。
また、第二次世界大戦においても、ヒトラー内閣を1933年の初頭に成立させたのは、フランツ・フォン・パーペン(カトリック政党の「ドイツ中央党」の党首)であった。カトリックは、ヒトラーを支持し、ナチスとバチカンは互いに尊重しあうことを約束しあうという状況になり、これは、以後のヨーロッパに重大な影響をもたらすことになった。(政教条約)
具体的には、ナチスは国内のカトリック教徒を弾圧しないことを保証し、カトリック教会側は、宗教を政治と分離するとし、そしてバチカンは、ナチス政権をドイツのために祝福するとともに、聖職者たちにナチス政権に忠誠を誓うことを命じるということになってしまったのである。
こうしたことからも、カトリック教会―そしてその代表者たるローマ教皇も、時代を見抜く力は当然のことながら、決していつも正しいなどということはあり得なかったわけで、ローマ教皇無謬説ということは成り立ち得ないことは容易にわかることである。
5、洗礼と救い
これは、カトリックだけに限らず、一般の教会においてもしばしば水の洗礼を受けなければ救われないとか、キリスト者と認めないということが言われたりする。
これは聖書的に根拠あることであろうか。
カトリックでは、キリスト信者になるためには、洗礼は秘蹟であり、洗礼を受けることが不可欠とする。
しかし、聖書によれば、12弟子たちすら、水の洗礼を受けてはじめて救われたというようなことはどこにも記されていない。
パウロにしても、迫害のさなかに復活したキリストの光と語りかけを受けて救われたのであって、それをしるしとするためにその後に洗礼を受けている。それは救いは水の洗礼にはよらず、イエスからの光、言葉を受けること―あなたの罪は赦されたと心に聞き取ることで赦されるということである。
また、使徒言行録1章にも イエスが来られたのは、水の洗礼のためでなく、聖霊による洗礼を授けるためであることがはっきりと記されている。
さらに、福音書に記されているように、イエスが生前救いを与え、罪赦された人たちはすべて一人の例外もなく、水の洗礼をせねば救われないと言われたことはない。
いまの教会のように、イエスが洗礼受けたのだから、あなた方も洗礼を受けよ、などという主張はイエスによっては全くなされていないし、使徒言行録の時代でも、イエスが受けたから受けねばならない―という、現在必ずといってよいほど教会が主張するその主張はどこにもない。
また、マタイ福音書の28章の最後にある、「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けよ」という記述にしても、これは復活したイエスが教えたと記されているが、その後まもなく聖霊を豊かに注がれて伝道を始めた使徒たちの記録(使徒言行録)のなかにこの「父と子と聖霊の名によって」洗礼したと記されてている箇所は皆無であることはどのように受けとったらよいであろうか。
もしも、このように明白に復活のイエスから命じられたのであったなら、当然そのすぐあとからはじまった使徒たちの伝道においても、この言葉によって洗礼を授けたはずである。
それが、使徒言行録では、いくつかの箇所に現れる洗礼の記述は、すべて次のように、「主イエス(キリスト)の名によって」洗礼を受けた、あるいは、単に洗礼を受けたという記述となっており、イエスの命じたような「父と子と聖霊の名によって」は全く用いられていないのである。
…すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け…(使徒 2の38)
…人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。(使徒 19の5、さらに同2の38、22の16)
このことからも、そして、この「父と子と聖霊」と並べて表現し、それを三位一体と言うようになったのは、少し後の時代(*)であることからも、弟子たちはこのイエスのマタイ28章の言葉は聞いていなかったのではないかと考えられる。
もし、聞いていたら、そのすぐあとからはじまった使徒たちの働きにおいて、そのイエスの命令を守らないということは考えられないからである。
(*)この三位一体という元の言葉―ラテン語では、Trinitas (トリーニタース)、英語では、Trinity という。この言葉は、神学者のテルトリアヌス(紀元200年前後に活躍した)が初めて使いはじめたとされている。 この三者が同一の本質を持っていることは、新約聖書のなかで、さまざまの箇所で記されており、それをこの用語で表現したのである。
またパウロが、コリントの信徒に宛てた手紙で、「私は、クリスポとガイオ以外に、あなた方のだれにも洗礼を授けなかったことを、私は神に感謝している。」と述べて、水の洗礼をしたのはごく少数であり、それをむしろ神に感謝していると言っているのである。
そして、さらに、「私が遣わされたのは、洗礼するためでなく、福音を宣べ伝えるためだ」と言っている。(Ⅰコリント 1の14~17)
このような記述は、イエスが「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けよ」という命令を知らなかったと考える他はない。
すなわち、マタイ福音書28章の、父と子と聖霊の名によって洗礼をせよ、という命令は、復活したイエスそのものの命令でなく、のちのキリスト教会に由来すると考えざるを得ない。
しかも、イエスはその伝道の生涯の最初から、ヨハネは水で洗礼を授けるが、イエスは聖霊によってバプテスマを授けるお方であることが記されている。(マタイ3の11)
…私は、あなたたちに、水で洗礼を授けたが、私の後から来る方(イエス)は、聖霊で洗礼を授ける。(マルコ福音書1の8)
そして、復活したイエスが、40日もの長い間、弟子たちに教えたと記されているが、その長い期間に教えたことは何も記さず、ただ、次のひと言だけを書いている。
それは、このことがいかに重要であったかを示すものである。
…前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼をしたが、あなた方はまもなく、聖霊による洗礼を受けるからである。(使徒言行録1の4~5より)
それほど、イエスによる洗礼とは、水による洗礼でなく 聖なる霊、神の霊を注ぐことなのだということを強調しているのである。
使徒パウロも、信じて救われるということを、聖霊を受けるということと同一視している。
…あなた方が霊(聖霊)を受けたのは、律法を行なったからか、それとも、福音を聞いて信じたからなのか。…あなた方に霊(聖霊)を与える方は、あなた方が律法を守ったからそうされるのか、それとも福音を信じたからなのか。(ガラテヤ書3の2~5より)
6、罪の赦しに関して
罪の赦しというもっとも重要なことについても聖書的ではない。
カトリックは、「罪の赦しは 神の代理としての司祭に罪を告白することによってである」とする。このようなことは、福音書においてもパウロ書簡などにおいても まったく言われていない。
イエスが多くの人たちを救い、また中風のひとの罪を赦したときも、イエスへの信仰によって救われたのだとはっきり言明している。
「あなたの信仰が、あなたを救った」と。
十字架で処刑された重罪人もイエスの復活を信じ、イエスが御国にいくとき覚えてくださいといっただけで―その罪ゆるされてあなたは今日パラダイスにいるといわれている。
そしてこれは新約聖書の中心である、ローマの信徒への手紙、ガラテヤ書、あるいはほかの書簡に一貫している真理、罪は信じるだけで赦されるということと、大きく異なっている。
これは、私自身、ただ十字架のイエスを信じるだけで、まったく別の世界に入れていただいたことをありありと思いだすし、それからじっさい45年以上たってもその真理はいささかの揺るぎもしないことを実感している。
なお、新約聖書のどこにおいても、司祭あるいはそれに類する人のもとに行って告白しないと 罪は赦されない、という記述は見られない。
7、聖書と伝承を根拠とすること
カトリックにおいては、聖書とともに、伝承を重要なものと位置づけている。そこから、マリアが原罪をもたずに胎内にいたときから聖霊に満ちていたとか、マリアへの特別な崇敬、あるいはさまざまの聖人の崇敬といったことが生じてくる。
以上のように、さまざまの違いはあるが、重要な点では一致している。
それは、次のようなことである。
唯一の天地創造の神、全能であって愛と真実、そして正義に満ちた神が生きてはたらいておられるということ、神とキリストと聖霊を同質の存在だと信じ、受け入れること、また、聖書は、人間が自分の考えで書いたものでなく、神が、特別な人を選び、聖なる霊を与えて書き記させたものであること、キリストの十字架の死は万人の罪のあがないのためであったこと、からだの死の後には復活し、永遠の命が与えられる希望が与えられていること…。そして、共通の聖書を使っていること。(続編―外典の位置づけは異なるが)
私たちは、相違に重点を置くよりも、その相違点をはっきりと知ったうえで、一致できることにおいて一致していくこと、そのことが、今日のような宗教的に混沌として、テロ行為をもって信仰の行為だとするようなことが行なわれるような状況においては、一層大切なことと考えられる。
そのようなとき、祈りはとりわけ重要となる。そうした聖書の理解や信条の相違を越えて、共通の神とキリストに向って祈るときには、一致できる。
主イエスは、心を一つにして祈ることの重要性を、次のように言われた。
…また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ福音書18章19~20)
違いを違いとしてそれだけを強調するときには、一致できない。けれども、主の導きに従って、一致できること―祈りによって一致していくことはできる。
その意味においてもまた、いかなる人―自分を含め―神への真実な祈りが無駄になることはない。それもまた、信仰によらなければそのように思えないであろう。
見えないことを信じるものは祝福される―という復活したイエスの言葉は、現代の私たちに向けても言われているのである。
このテーマで私の信仰について証しをさせていただきます。
私は自宅で鍼(はり)の治療をしています。天宝堂と言います。天に宝をつみなさいというみ言葉から付けた名前です。
私は徳島で生まれ育ち、大阪の小児整形外科病院で脳性小児麻痺の子供たちを訓練する理学療法士として働いていました。
私の勤めていた病院はカトリック系でしたから、いろんな職種にキリスト者の人がたくさん勤めていて、敷地内に修道院があり、シスターもおられ、初めてキリスト教の世界に触れました。
寮に入っていた私が親しくしてもらっていた看護師の友もキリスト者で、部屋に「明日のことを思い煩うな」というみ言葉のカレンダーがありました。
私には目の病気があり、少しずつ視野が狭くなってきていて、失明の不安がありました。
目が見えなくなったらどうしよう、今の生活はみんななくなるのだからとても生きていけないだろうなと思いました。
失明の不安がだんだん大きくなっていった頃、この「明日のことを思い煩うな」というみ言葉に、 このように約束してくださる神様を信じてすがろうと思いました。
その頃、病院のボランティアで来ていたギターのお兄ちゃんと慕われていた人から、テープ集会で聖書を学んでみませんかと誘われました。
神様が呼びかけてくださったのです。それが無教会の集会だったのです。
初めて夜のテープ集会に参加した時、ヨハネ一章からの学びでした。
「初めに言があった」のみ言葉でロゴスについて語られ、難しかったのになぜか真実を感じてそれからも続いて参加しました。
両親や友人にも自分の不安を話せずにいて、何もわからない私が、初めて祈ったのは「神様、この目を見えるようにしてください。もしそれがだめならこの命をとってください」というものでした。
でも、この祈りは聞かれませんでした。
見えなくなっていく時、白い杖をつくことに抵抗がありました。
周囲の盲人への偏見を思ったのですが、それは実は私自身の偏見があったのです。
自分が見えにくいことをわざわざ白い杖で知らせることはないと隠したい思いがあったのです。
でも、私の目は外見は見えているようなので、杖なしに歩いていて、人とぶつかったり、危ないことがあるのです。これではいけないと白い杖を持つようになりました。
何か自分の中のカラがとれたような気がしました。
そして、25歳頃に失明しました。真っ暗な闇と思えた谷底に落ちると思ったのに、見えなくなって不思議な平安を与えられました。
イエス様の御手で救い上げてくださったと感じました。
絶望しかないはずなのに、私の心の中でイエス様が導きの杖となってくださるのだとわかりました。
イエス様は人生の導き手であり、そして時には危うさから守るためにびしりと打ち、方向を変えてくださる。
いつも共に歩いてくださるのだからこれほど安全な歩みはありません。
それなのに、聖書のみ言葉を学ぶにつれて、自分の中の罪が次々と示され、律法でがんじがらめにされ、苦しくて、イエス様、私から少し離れてくださいと遠ざかり、集会も休むようになりました。
大阪の盲学校で鍼の資格をとり、治療院を開こうと徳島に帰ってきました。
その時、私はイエス様に私から離れてくださいとお願いして、川を隔てて向こう側におられたはずなのに、どうしてかイエス様がすぐそばにいてくださっているのを感じました。
イエス様はずっと私のそばにいてくださったのだとわかり、弱くてどうしようもない私を見守ってくれていたのだとわかりイエス様の愛を知り涙があふれました。
もうイエス様から離れないように、聖書をもっと学びたいと思い、大阪の信仰の友に話したら、その夏の愛農聖研に誘われ参加しました。
それぞれの方がみ言葉を生きておられて神様はすばらしいと思わされました。
愛農聖研から帰る時に、友人に徳島にも無教会の集まりがあるなら教えてほしいと頼みました。
すると、すぐに徳島聖書キリスト集会の方が、大阪の知人から紹介されたと 私の家に訪ねてきてくださいました。
このすばやさに驚きました。
これからずっとイエス様についていきたいので聖書の学びをしたいことを話すと、週に一度私の家で聖書の学びをしてくださるようになりました。
中途失明の私は点字を読むのが遅いので、なかなか読みすすみませんでしたが一人で聖書を読んだり讃美することができました。
そんな私のために信仰の友がいろいろなキリスト教の本をテープに録音してくれて助けてくれました。
それから、徳島聖書キリスト集会に送り迎えしてくださる友が与えられ、月に1~2度主日礼拝に参加しはじめ、その後夕拝や家庭集会にも参加できるようになりました。
み言葉の学びによって少しずつ導かれていきました。
これまでの自分の罪の大きさ、それなのにイエス様の十字架の愛による赦しによって生かされている恵みなのだと気づかされました。
そして気がつきました。私の最初の祈りは聞かれていたのです。
肉体の目は見えなくなりましたが、霊的には闇から光へと心の目を開いてくださったのです。
けれども、信仰の歩みが決して順調だったわけではありません。いろいろな波を受けました。
その中で、私の妹がガンであと3か月と宣告された時、私の信仰はこなごなに砕かれました。
神様、どうして?なぜ?…と問いつづけました。神様の御心がわかりません。
自分中心の罪が大きく迫ってきました。
私の信仰がなくなりそうでした。それほどもろい信仰だったのです。
こんな私のために祈ってくださいと集会の友たちにお願いしました。
その時は年末年始でしたが、その頃、ほぼ一日おきに礼拝と夕拝、家庭集会があり、み言葉と祈りの中に入れられていました。
元旦礼拝から帰ってきて、イエス様が十字架から「私の愛にとどまりなさい」と言ってくださいました。
ただイエス様にすがりイエス様を見上げるだけでいい。イエス様の愛にとどまり続けよう。
私の罪を赦してくださる主の愛にみたされました。
その間、集会の方達が連鎖祈祷をしてくださり、復活祭に妹家族も参加できました。
それから2か月ほどで妹は召されました。
まだ悲しみの中にいた私に、すでに召された妹から「姉ちゃん、何をしているの?」と言われたのを感じて、ハットしました。
イエス様の愛のまなざしがありました。
それまでは毎月2度、日曜日に鍼の研修で礼拝を休んでいたのですが、それをやめて毎週主日礼拝に参加する思いが起こされました。
鍼師のクリスチャンでなく、クリスチャンの鍼師になりたいと思ったのです。
いろいろ残された問題はあっても、ロマ書8章28節に「神様は万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」のみ言葉を信じていこうと思いました。
その後、母がバイクの事故で大けがをした時、その知らせを聞き、「神様は真実な方ですから、耐えられない試練にあわすことなく、逃れの道を備えてくださる」とのみ言葉を示されました。
自分が弱さを持っているから、体調が悪かったり心が弱っている人たちの話をゆっくり聞いたり、神様が私にしてくださったことを話せることもあります。
次に私のところに鍼治療に来られた方を通して神様がくださった恵みをお話しします。
一人の方は、突発性難聴で聴力を失い、医師から治療してももうよくならないと言われて鍼治療に希望を持ってこられました。私の鍼でよくなる可能性は少ないと思ったので、治療はしてみますが、もしかしてこのままかも知れないので、そのために手話を学ばれることを勧めました。
聴覚障がい者の方に手話はとても大事だと教わっていたのです。少しでもよくなりたいと思っている人にこのようなことを話せばもうこれで来なくなるかも知れない。
でも、その方は、ではそうしてみますと言われたので、徳島聖書キリスト集会で行われていた手話の学びを紹介しました。
そこでは、手話とともにみ言葉と野草の学びがあり、そこから信仰を与えられともに礼拝に集っています。
私が霊の目を開いてもらったように、その方に霊の耳を開いてくださるように祈っていたことに主が応えてくださいました。
もう一人の方は、ガンの手術後で、少しでも自然治癒力を高めたいと鍼治療に来られました。私はクリスチャンで、神様が私にしてくださったことを話すと、自分も神様を信じて召されたいと言われました。キリスト教の印刷物や本を渡すと、家族にも読ませたい、家族も救われてほしいからと言われました。病状が悪化し入院されたので、何度か集会の友と訪問しました。
奥様とは病室でお会いした時、ご主人のことご家族のこと、今抱えている悩みをお聞きし讃美とお祈りをして帰ってきていました。
それからまもなくその方は召されましたが、奥様がすぐに聖書を学びたいと言われ、私のところでの家庭集会に来られ、主日礼拝や別の家庭集会にも参加されるようになりました私の思いを超えた大いなる主の導きに驚きました。
鍼の治療に来られる人たちは、体の具合が悪かったり、心に弱さを感じ、問題を抱えている人たちが多いので、話をゆっくり聞いたり、神様が私にしてくださったことを話せることもあります。
その時によってイエス様から力を受けたみ言葉を話します。
「弱いときにこそ私は強い、私の恵みはあなたに十分です」
「見えなくなって見えることがある、見えるものは一時的で見えないものは永遠に続く」
「苦しみにあったことは私にとってよいことでした。それによってあなたのみ言葉を学ぶことができました」
どうしようもないと思える時にも、
「人にはできないが神にはできる、神は何でもできる」
などのみ言葉です。
さて、私のところで月に一度、天宝堂集会という名の集会を開き聖書の学びをしています。
治療に来られている人や親戚や友人を誘っています。
そんな中で、体や心に病気を持っている人、大きな集会には行けないという人、天宝堂集会にだけつながっている人たちが何人かおられます。
このように神様は私にしてくださったように、ちいさな者、弱い者を呼んでくださり、導きの御手をのべてくださいます。
視覚障害というハンディは神様を信じることによって主がともにいてくださり生かされる恵みに変えられた今、一人でも多くの人がイエス様を信じることができるように主よ用いてくださいと祈ります。(2014年 10月4日、千葉県での無教会のキリスト教全国集会での証し)
見えないことのハンディー
(元の綱野さんの原稿には記されていましたが、時間制限の関係で話されなかった部分は、一般的に視覚障がい者との関わりのときに注意すべきことが記されているので、ここに入れておきます。―編者)
見えなくなって困ることは日常生活でたくさんありました。
家の中で、身の周りの場所を覚えても、家族が動かすとあちこちでぶつかりちいさな怪我や、ものをひっくり返したりこわしたりは今でもしょっちゅうです。
また、集会などに参加して、たくさん周りに人がいても孤独でした。誰が参加しているのかわからないし、だれも話しかけてくれないと、自分のほうから誰かに話しかけようと思ってもどこにいるかわからないし、名前もなかなか覚えられないし、こちらから話しかけることはできませんでした。
このように、困ったことやしてほしいことがあって言わないでいるしかありませんでした。
視覚障害者とあまり関わっていない人たちにとっては、どうしたら一番よいのかわからなかったのに、こちらから発信しないからそれでいいと思ってくれていたのでしょう。
ある聖書集会に参加したとき、私を手引きしてくれた人が海外から帰ってきていたのですが、朝の祈りの帰りに空のこと周りの景色のこと、食事に行ったら、その料理の彩どりや食器のデザイン、礼拝場がどんなふうになっているかなど次々に教えてくれました。
おかげで私は少しずつ自分がしてほしいことを伝えていけるようになりました。
歩く時に介助では、特に段差や階段が怖いこと、その人の右の肘か肩を持たせてもらうと歩きやすい。
食事の介助の時は、どこに何があるかを時計の文字盤の位置で教えてとか、トイレの介助の時はトイレの位置関係を手をとって教えてもらったり。
建物や場所ではこちらとかあちらとかでなく、右とか左、東西南北で部屋の中のことを教えてもらったり、どんなものがあるのかを具体的に説明してもらったり、
私たちの集会では、礼拝に誰が参加しているのかわからないから、最初に一人ずつ名前を言ってあげようと提案してくれる人があり、それが今に至っています。
途中で失明すると点字を読むのがどうしても遅いので、ゆっくり読んでくださるようにお願いして、聖書の輪読が苦手ですがするようになりました。
最近はパソコンで音声で読み書きができるようになり、視覚障がい者の世界はずいぶんよくなりました。
治療に来られる患者さんはふとこの花きれいな色ですね。
あ、ごめんなさい、見えなかったのに、と気の毒そうに言われるので、いえいえ、教えてくれるととてもうれしいんですよと言います。
見えないからこそ、見える世界を色や形など少しでもリアルにその人の感性で説明してくれることはとてもうれしい情報の提供なのです。
これは生まれつきでも中途失明でも同じと思います。
また、突然声をかけられても、どなたなのか、それも私に声をかけてくれているのかがわからないのです。
「綱野さん、○○です」と言ってくれたら、ああ私に話かけてくれたのだとわかり答えることができます。
今気がついたことをほんの少しお話ししましたが、一人一人違うので、してほしいことも違うかと思います。
どんな助けが必要かを個人的に聞いてくださるのが一番いいと思います。
私という存在が小さいものにすぎないことに注意をこらすこと。―ただし、自己嫌悪の念からわが身に鞭打つためでなく、またその卑小さを認めていることを自慢するためでもなく―
ただ、もし私がそのことから目をそらせば、たちまち私の行動の誠実さを脅かすものとなるものとして、注意を怠ってはならないのである。
(ダグ・ハマーショルド「道しるべ」みすず書房145頁(*))
Not to brood over my pettiness with masochistic self disgust,nor to take a pride in admitting it - but to recoganize it as a threat to my integrity of action, the moment I felt it out of my sight.
(「Markings」150頁 NewYork:Alfred・A・Knopf 1964年 )
disgust 嫌悪
brood over じっと考える, 考え込む, くよくよと気に病む
pettiness ささいな, 取るに足らない, つまらない.
integrity 誠実、高潔さ、品位
masochistic 自虐的な
・これは、私たちが自分がいつも正しい道からはずれてしまう弱い存在であることを、念頭においていないとき、ただちに傲慢という罪に陥り、他者をさばいてしまうこと、そして愛という主の御心から離れてしまうことを思い起こさせる。
主の祈りにおいても、私たちが他者の罪を赦すことと、自分の罪を深く知った上で、それを赦してくださいと祈ることが結びついている。
みずからの小さきことを絶えず思い起こしつつ、知った上で、主を仰ぐ。そこに新たな力を受けていきたい。
(*)ハマーショルド(1905~1961) スウェーデンの政治家・経済学者。国連事務総長(在職1953~1961)として国際紛争の解決に尽力。1960年、ベルギーの植民地から独立を果たしたコンゴは、激化する内乱(コンゴ動乱)の沈静化のため国連に援助を求めた。ハマーショルドは4度にわたりコンゴを訪問したが、コンゴ動乱の停戦の調停に赴く途上、飛行機が墜落して事故死。祈りを重んじて、国連の中に、「祈りの部屋」(黙想室)を設けていたほどであった。
スエズ動乱、ハンガリー動乱、そしてコンゴ動乱など、重大な事態が次々と彼の事務総長のときに生じたが、その激務のただなかに深い祈りを持ちつつ、全力で対処した。
私(吉村)は彼の活動していたとき、中学生であったが、新聞紙上に動乱の大きい活字とともにしばしばハマーショルドという名前を見て、その働きの大きさを知らされていた。
彼の母方は、学者や聖職者でありそこから、「福音書の最も根本的な意味において、すべての人は神の子として平等に造られており、したがって、われわれは、たがいに人々を主人として遇しなければならない、という信仰を受け継いだ」と言っている。(「道しるべ」9頁)
彼が事故死したときに持っていた唯一の書物は、トマス・ア・ケンピスの著と伝えられる「キリストにならいて」であった。
(374)主よ、来たりたまえ
主よ、来たりたまえ
主よ 来たりたまえ
澄み渡った空に もみじうるわしい朝
竹の葉につもった 雪が光る朝
思いがけない時 来られてもよいように
主にお会いする 備えをさせたまえ
主よ 来たりたまえ
主よ 来たりたまえ
尊き姿を 心にしのぶ朝
たしかな御約束 成ることを待つ朝に
思いがけない時 来られてもよいように
主に喜ばれる 者にさせたまえ
・主の祈り―御国を来らせたまえ…その祈りは、ここに歌われた「主よ来てください」に通じる祈りである。
聖書の最後の黙示録に言われていること―主イエスよ、来てください!(黙示録22の20)
主が来てくださること、この混沌とした人間、社会のただなかにあって、これこそは、その究極的解決である。 それゆえに、これは、私たちの日々の願いであり、祈りである。
〇「いのちの水」誌 9月号の一部に、白紙が混じっていたものがありました。お手数ですが、そのことをお知らせくだされば、正常な印刷のものをお送りします。
〇「祈りの友」の通信誌「祈りの風」第3号ができましたので、ご希望の方に送付することができます。 一部300円(送料は何冊でも100円)
〇「野の花」文集の原稿募集
毎年発行している「野の花」文集の原稿を書いていただくころとなりました。この文集は、一般の文芸冊子のような、文の巧みさなどを競い合うのが目的ではありません。
私たちが書くのは、小文であり取るに足らないようなものにみえても、主が用いてくださるときにはそこからだれも予想しなかった良きことが生まれます。そして書かれた文章を通して、互いによりよく知り合って祈りにも覚えるためのものです。
・内容…日曜日ごとの礼拝での聖書からのメッセージ、聖書での学びや本での印象に残ったこと、暗唱聖句、好きな聖句、心に残っている讃美の歌詞、信仰の証し、社会問題に関することなど。
・2000字以内。
・ミス入力や、書いた人の思い違い、記憶ミスなど、表現上で誤解を招く可能性があるなど不十分な記述があるときには、趣旨を変えない範囲で若干の訂正をすることがあります。
・原稿は、ワープロで書いてテキストファイルでお送りください。縦書きにて書かれる方もいますが、送付するときには、テキストファイルにしてお送りください。縦書きでは、編集のときに テキストファイルに変換する手間がかかるからです。
ワープロなどをしていない方は、原稿用紙―なければノートやコピー紙でも可―に書いて吉村まで郵送、FAX。(FAXの場合は、ボールペンで濃く書いてください。鉛筆書きは不可です。しばしば文字が薄かったりして、読みづらいからです)
・原稿提出期限…11月15日
・発行は、来年1月の予定です。印刷所が12月になると混み合うこと、年末年始には休業となるので、なるべく早く編集に着手したいと考えていますので、ご協力くださいますようにお願いします。
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★11月の吉村孝雄の県外集会予定は次のとおりです。そこで御言葉を語り、聖霊が参加者に注がれますよう、ご加祷くだされば幸いです。
〇11月5日(水)
・場所…梅木龍男宅 大分市東津留1の7の21
・時間…午後7時~9時
・問い合わせ…
〇11月7日(金)
・場所…鹿児島県老人福祉会館4階 特別会議室
・時間…午後2時~4時
・問い合わせ…古川 静
〇11月9日(日)
・場所…九州キリスト教会館3F会議室A 福岡市中央区舞鶴2-7-7
・時間…午前10時~12時 (その後、希望者との昼食会)
・問い合わせ…秀村 弦一郎
〇11月10日(月)島根県浜田市での家庭集会
〇11月11日(火)
・場所…土曜会館 島根県雲南市木次町寺領687の1
・時間…午後2時~4時
・問い合わせ…宇田川光好
〇11月12日(水)
・場所…白兎会館 鳥取市 末広温泉町 556
・時間…午後3時~5時
・問い合わせ…長谷川百合枝
〇11月13日(木)岡山での集会
・場所… ピュアリティー まきび 岡山市北区下石井2-6の41
・時間…午後2時~4時
・問い合わせ…香西 信
〇「いのちの水」誌の以前のものを希望される方が時々あります。完全にそろってはいませんが30年以上前からのものもありますので、ご希望の方はお申し込みください。
(一部10円、送料は実費)
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徳島聖書キリスト集会案内
・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス東田宮下車徒歩四分。
(一)主日礼拝 毎日曜午前10時30分~
(二)夕拝 第一火曜、第3火曜。夜7時30分から。 毎月第四火曜日の夕拝は移動夕拝。(場所は、徳島市国府町いのちのさと作業所、吉野川市鴨島町の中川宅、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市城南町の熊井宅)です。
・土曜集会…第四土曜日の手話と植物、聖書の会。午後二時~。
・水曜集会…第二水曜日午後一時からの集会が集会場にて。
〇また家庭集会は、次の箇所で開催されています。
・北島集会…板野郡北島町の戸川宅(第2、第4の月曜日午後一時よりと第二水曜日夜七時三十分より)
・天宝堂集会…徳島市応神町の天宝堂での集会(綱野宅)。毎月第2金曜日午後8時~。
・小羊集会…徳島市南島田町の鈴木ハリ治療院での集会。毎月第一月曜午後3時~
・海陽集会…海部郡海陽町の讃美堂・数度宅 第二火曜日午前十時より)、
・いのちのさと集会…徳島市国府町(毎月第一、第三木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)
・藍住集会…第二月曜日の午前十時より板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、
・つゆ草集会…毎月一度、徳島大学病院8階個室での集会。
・祈祷会が月1回(第1金曜日午前10時~)