あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、 彼らの間で星のようにこの世に輝いている。(ピリピ 2の15) |
・2014年8月 第 642号 内容・もくじ
私たち人間の関係は、そこに天からの風が吹いている、というのがあるべき姿である。
それが可能であることは、主イエスご自身の言葉―天の国はあなた方のただなかにある―という言葉がすでに暗示している。
天の国―言い換えれば神の国とは、神の真実な御支配そのものであり、そのような愛の支配が満ちているところを意味する。
また、人間に対してだけでなく、周囲の自然に接するときでも、そこに天来の風を感じつつ見つめるようでありたい。
そのような風は、いかなる困難にあっても吹くことができる。
すでに聖書の巻頭にそのようなことが暗示されている。
闇と混沌―空虚と荒廃のただなかに、天来の風が吹いていたと、記されているからである。
…神からの風が、水のおもてを吹いていた。(創世記1の2より)(*)
(*)この箇所は従来は、「神の霊が動いていた」と訳されてきたが、霊という原語は風という意味でも用いられているので、重要な最近の英語訳聖書では 次のように訳されているのもある。
・ a wind from God swept over the face of the waters. (NRS)
・…with a divine wind sweeping over the waters. (NJB)
神からの風は、人間には予想もつかないところに吹いていく。いかに暗く困難な状況であっても、天からの風は吹いているし、それを真剣に求めるときには、その風にあたることができるだろう。
イエスの生涯の歩みは、まさにその天からの風に吹かれつつ歩んだあとであった。
そのような風―聖霊の風は、どこにでも吹く。どんな環境の悪い状況であってもまた苦難のさなかにある人であっても、なおそこに、神からの風が吹くときには、新たなキリスト者が生まれる。
自然との交わりにおいて、より深く周囲の空や雲、また山々のたたずまい、そして渓流や山々の草木たち―そうしたものと近づくほどに、神がそこにおられるのを感じる。神の風を感じる。
しかし、人間との交わりにあっては、親子、兄弟、師弟、友人、あるいは信仰の仲間であれ、どのような人間関係であれ、近くなりすぎることで、天からの風は遠のく。これは、だれでも大なり小なり実感してきたところであろう。
自然との関わりにあっては、信仰の心をもって近づくほど、そこに神の風がいっそう吹いてくるが、人間の場合は逆に近づき過ぎることで、天からの風は弱まり、あるいは止まってしまい、逆にこの世の風が吹きはじめることがある。
使徒パウロが、繰り返しその書簡のなかで強調していること、「主(キリスト)にあって」ということは、まさにそのことを意味している。
…共にあるあなた方二人の間に、空間を置きなさい。
そして、そこに天からの風をそよがせなさい。
Let there be spaces in your togetherness.
And let the wind of the heaven dance between you.(「The Prophet」Kahlil Gibran 11p )
ここに引用した言葉は、結婚という最も近い人間関係に関して言われたことであるが、一般的にどのような人間関係に関しても言えることである。
人間同士の関係が真実なものにとどまるためには、いつもそこにある種の空間がなければならない。そしてその空間に汚されることのないものがなければならない。それこそ、主イエスであり、聖霊である。
それ自体が、聖なる風であり、パウロが繰り返し強調している「キリストにあって」ということがその空間を意味している。
主にある魂は、つねに周囲のものとある一定の霊的空間をもち続ける。それはヨハネによる福音書では、有名な「私はぶどうの木。私のうちにあなた方がとどまっているなら、私もあなた方のうちにとどまっている」という言葉と表現は大きくことなるが、同一のことを述べているのである。
主の内にとどまる限り、私たちはあらゆる人間関係の間に、霊的空間をおいていることになり、それによって人間的な好悪の感情によって左右されないで、主に従っていることが可能となる。
いまから、2600年ほども昔といえば、大昔ということだ。そのような遠い昔であっても、神の言葉を受けた者は、冷静に当時のまちがった世の中を洞察していた。
神の言葉こそは、人間のあらゆる偽りやごまかし、あるいは天使のような言葉の中に隠された毒をも洞察させる。
その時代にあって、一人の預言者は、当時の人たちが、「平和だ、平和だ」と自信ありげに語る人たちの偽りを見抜いていた。
…身分の低い者から高い者に至るまで、
みな、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまでみな、欺いている。
彼等は、人々の壊れた心を表面的にいやし、(*)
平和がないのに、「平和、平和」という。(エレミヤ書6の13~14より)
(*)壊れた心、新共同訳では、「破滅」、口語訳と新改訳では、「傷」と訳されている。原語は、シェベルで、壊すことを意味し、「傷」とも訳される。この動詞形である、シャーバルは、「(戸を)壊す」というように用いられている。
この短い箇所で、「平和」(シャーローム)という言葉が三回も繰り返されている。
ここでは、本当の平和、平安がないにもかかわらず、傷は癒された、大丈夫だ、という宗教家や指導者たちのことがあげられている。本当の平和に至る道を知らないからである。
主イエスも、 その短い生涯の最後に、エルサレムに行ったとき、深い悲しみをもって言われた。
…エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。
…もしおまえも、この日に、平和をもたらす道(*)を知ってさえいたら......しかし、それは今おまえの目に隠されている。(ルカ19の41~42)
(*)原文は、 ta pros eirhnhn (タ プロス エイレーネーン)で、「平和に向けての事柄」。何が平和をもたらすか、平和への道、平和に関する事、という意味。
平和をもたらす道、本当の平和に関することを知らないのが一般的な現実である。時の政治指導者たちは、しばしばまちがった平和への道を説き続けていく。それゆえに、イエスは深く嘆かれたのである。
太平洋戦争の一千万と言われるような膨大な死者を生み出した悲惨な事実を二度と繰り返さないようにと、その指標として憲法9条が与えられた。これは確かに、本当の平和への道である。
しかし、その無数の犠牲をはらった上で生み出されたこの道を根底から壊そうとしているのが、現在の首相や彼を取り巻く政治家たちである。
イエスが涙を流した、と書かれてあるのは、ほかには、ラザロの死に直面したときだけである。
ラザロは、イエスに高価な香油を注いだマリアの兄弟であった。マリアとマルタの姉妹が深く愛していたラザロの死に際して、姉妹は深く悲しんだ。そして、その悲しみにイエスも深く共感されたのである。そして、そのような愛を砕いてしまう死の力に憤りを覚え、その闇の力と戦い、ラザロを復活させたのであった。
(ヨハネ福音書11の1~44)
イエスはこのような個人的な深い悲しみをも深く共感し、そこに愛を注ぐ方であったが、同時に、イスラエル民族全体の運命を洞察し、彼等が本当の平和に関すること、平和への道を知らないことからくる滅亡を予見し、そこに深い悲しみを持たれたのであった。
イエスが涙を流されたと記されている、聖書の二つの記事を合わせて読むとき、そこには人間が落ち込んでいく滅びの道が記されているとともに、そこからの解放の道もまた示されている。
それはすなわち、死の力、そして死に至らせる罪の力に勝利するキリストの力、神の力にほかならない。このような死からも復活させる力を信じ、キリストが示したような道を歩むことこそ、真の平和に関することであり、平和への道なのである。
新共同訳の新約聖書には、「牧師」という訳語は一度も使われていない。キリスト教と牧師という言葉は、不可分に結びついていると思われていることが多いので、意外に思われる方も多い。
なお、口語訳、新改訳では、次の箇所で一度だけ使われている。
…そして彼(キリスト)は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
(エペソ書4の11)
この箇所の「牧師」は、新共同訳では、「牧者」と訳されている。 牧者とは、「牧場で牛馬などの世話をする人。」のことであり、それが転用されてキリスト者を導く人を意味するようにも使われている。
牧する師という意味だが、牧 とは、牛偏に、打ちたたく という意味の旁(つくり)が合わさっている漢字であり、原意は、「牛を打ちたたいて導く」であり、牛飼いという意味になる。 旁の部分は、例えば、攻、教などに見られるように、打ちたたくという意味を持っているのがわかる。
中国で牛を引っ張って行くときに、打ちたたいて指示することがこの漢字のもとになっている。
英語では牧師のことを、pastor という。これも、ラテン語がそのまま英語に取り込まれた語である。ラテン語では、pasco (パースコー)という語は、「草を食べさせる、放牧する、飼育する」という動詞であり、その名詞形が pastor(パーストル)であるから、これは「牧者、羊飼い」が原意であり、それが、牧師とか司祭といった信徒を指導する人を指すようになった。
主イエスご自身も、私は「よい羊飼い(牧者)」だと言われている。(ヨハネ福音書10の11)
イエスが、最高の羊飼いであるのは、そのために命さえ捨てたからであった。羊飼いは、羊たちに水と草のあるところに導いていく。日本では、至るところに草や水があるゆえに、とくに導くという必要がない。
イスラエルや周辺の乾燥地帯においては、広大な荒れ野や砂漠的な大地がひろがり、草や水があるところはごく一部、あるいはあってもわずかしかないゆえに、豊かな水や草のあるところは遠くへと歩いて行かねばならない。
そのためには、導く者―牧者が不可欠なのである。
現代においても、命のパンと命の水を得るためには、この荒廃した世においてぜひとも正しく導かれねばならない。
しかし、信じる人たちを導くと見せかけて、盗んだり、滅ぼしたりする不正な牧者のような者がくることを予告している。
魂を盗み、自分たちの利害のために用いようとする人たち、さらに、悪事に用いて彼等に導かれた者たちが滅んでいくことをも予告している。
じっさい、イエスの前に現れた指導者や預言者と称する人たちのなかには、そのような人たちが多くいたことは、エリヤがそうした偽預言者たちを滅ぼしたことや、エレミヤ書にも見られるし(28章、6の14など)、イエスの同時代の律法学者やファリサイ人たち、祭司たちといった宗教的指導者たちも、偽りの羊飼い―牧者だった。
現在も、聖書やキリスト教という名前を用いて、まったく聖書の約束する真理とは別のところに連れていこうとする宗教もある。
無教会には、牧師はいない、とか言われることがある。それは「牧師」という訳語を用いないというだけであって、本来の意味である、信徒たちを導き、み言葉の真の意味を指し示し、自分が受けた霊的な栄養を集りの人たちに分かち、本当の霊的食物たるキリストを常に指し示すという牧者は常に存在してきた。
内村鑑三や矢内原忠雄等々といった人たちはもちろんそうした大きな働きをした牧者であったが、そうした著名の人物だけが牧者でないことは言うまでもないことで、各地に散在する大小のキリスト教集会は、みな、何らかの形のその集りの人たちを導く人、イエスを指し示し、み言葉を提供する人たちがあり、そうした人たちはみな大なり小なり羊飼いであり牧者なのである。
聖書はさまざまの内容を含む書である。古代神話のような表現を用いた創世記から、純然たる歴史書と思われるような列王記とか歴代誌などもあるし、また長大な詩であるヨブ記、そして格言集、また長い期間にわたって、神を魂の中心に据えた上で、魂の叫び、神への賛美などを記した詩集も含まれている。
また、現状を鋭く、正しく見つめ、そこから神の言葉を語り、神への立ち返りを命がけで宣べ伝え続けた預言者たちの受けたみ言葉も記されている。
さらには、そうした多様な旧約聖書が指し示すキリストの行なわれたわざ、その奇跡や教え、そして十字架の死の意味や復活といった根本的真理を記した福音書や使徒たちの書簡もある。
そして最後には、この世界が最終的にどのようなところに導かれているのかを啓示によって記した黙示録もある。
そうした変化に富み、かつ世界と宇宙全体を見つめた広範な内容を秘めて、無限の真理をたたえているのが聖書である。
そのなかで、詩篇は特別な内容である。詩とは人間の感情を記したものだと思われているにもかかわらず、聖書の詩篇は神の言葉とされているのである。人の言葉でありながら、同時に神の言葉であるという驚くべき内容を持っているのが詩篇である。
詩というものには、そのような深い、霊的な意味を持たせることができるのだということを私は聖書の詩篇に接して初めて知らされた。
日本では広く詩歌と言えば、古事記などに含まれている和歌から、万葉集や古今集などの和歌集や芭蕉などの俳句などを思いだす。しかし、それは残念なことだが、ほとんど日本しか通用しない内容である。戦前にすでに万葉集は英語に訳されたことがあったが、それが英語国民にどのような影響を与えたのか、ほとんど知られていないし話題にもならない。
だが、詩はそうした特定の民族や時代にしかあてはまらないものでもなく、個人的な感情だけのものでないことは、万学の祖といわれるアリストテレスが、詩の意義についても重要なことを書き残していることからもわかる。
…歴史家はすでに起こった事実を語るのに対し、詩人は、これから生じる可能性のあることを語る。このゆえに、歴史に比べると、詩のほうがより哲学的、学問的でもあるし、また、品格も一層高い。
言い換えれば、詩が語るのは、普遍的な事柄であるのに対し、歴史が語るのは個別的な事件だからである。
(「詩学」アリストテレス全集 第17巻9章―38頁 岩波書店1972年刊 )
詩は、歴史より、哲学的、かつ学問的であるという記述には、驚かされる人が多いであろう。詩とは感傷的、感情的なものにすぎないと思い、力を入れて読んだこともないといった人も多いからである。
品格が高いということ、それは詩が普遍的であることと結びついている。
この世の個別的な出来事は、ほとんど品格などないものが実に多い。死者がおびただしく出てしまう激しい戦い、武力による強奪、人の多数の命が犠牲になることも何とも思わないような冷酷さ、荒廃…そうしたことが現実の出来事にはつきまとってきた。そこには、品格どころか、人間の闇にかかわる本性がむき出しになってくることが実に多い。
しかし、詩となると、ときにはそうしたものを描きつつ、その背後にある不変のもの、見えざる力のようなものをも浮かびあがらせようとする。ダンテの雄大な詩、神曲はそうした詩の代表的なものだと言えよう。
ここでアリストテレスが言っていること、詩は普遍的であるということが最も深く現れたのが、聖書の詩である。その詩篇の詩は、普遍的であるからこそ全世界に通用し、今も時代を越えて深いメッセージを語り続けてくる。
これほど、普遍的な詩はどこにも見られない。
翻訳されると、詩の重要な部分が失われることが多い。日本の和歌や俳句が外国に影響を及ぼせないのも、その内容が狭いということのほかに言葉の問題も関わっているといえよう。しかし、聖書の詩は、やはり言葉の問題があるにもかかわらず、全世界に広く伝わり、多大な影響を及ぼし続けている。例えば、讃美歌や聖歌などは、たしかに全世界で祈りをもって歌われているが、その重要な源流は旧約聖書の詩にある。それは人間存在の根源にあるところから生まれているからである。
普遍的ということは、いつどこにでもあてはまるということである。言い換えると霊的ということである。聖書全体がそのような意味で普遍的であり、霊的な書物である。
だからこそ、歴史を書いている書でも、人間としてのイエスや使徒たちの言行を記した福音書や使徒言行録であっても、それは深い普遍性を持っている。
しかし、それらとまた異なる普遍性を詩篇は私たちに語りかけてくる。人間の深い心の叫びであり、祈り、賛美ということだからである。特殊な状況に置かれた人のそうした叫びでありながら、それがまた万人のそしてあらゆる人々の魂に届くという驚くべき普遍性を持っているのである。
旧約聖書の詩集というべき詩篇のなかで、最も広く知られ、愛されているのは、第23篇であろう。
その冒頭は次のようである。
…主はわが牧者、私には乏しいことがない。(詩篇23の1)
神は聖書においてはさまざまに表現されている。まず、天地の創造主、それゆえに万能である、正義そのものである、それゆえにいかなる悪人をも裁くことができる、また祝福を与えるお方、背く人々に慈しみ深く語りかける、等々。
だが、ここでは、「主は、わが羊飼い(牧者)」だと言われている。
このひと言に、さまざまの作者の思い、体験、思索が込められている。主なる神とは、生きて働いておられる方であり、私たちを導くお方であるということである。
「導く」ということは、親が子供の手を引いて道を歩く、といった家庭的な事柄から、 聖書においては、無数の人を導くこと、そしてその社会や国家全体を導くこと、さらには、この世界や宇宙を導くという壮大な導きにいたる内容を持っている。
導く者は羊飼い、そして信じる人は、羊にたとえられている。私はじっさいにイスラエルにて、羊飼いが多くの羊を伴って歩んでいるのを見かけたことがある。
おとなしく、ばらばらにならず、自分かってに歩まず、羊飼いに導かれて不思議なように歩いていく。
宇宙、万物を創造するというとてつもなく壮大な力を持つお方、そのようなお方のことは、いかに考えようとしても、人間の小さき頭では理解することもできない。
そして存在すると言われても、どこにもいるようには感じられない。神は愛だ、などと言っても、この災害や事件や戦争などがひっきりなしに起こっている世界のどこに愛の神などいるのか…とまるでそんなことは信じられないというのが大多数である。
それにもかかわらず、いまから数千年も昔から、愛の神は確かに存在し、それは私を導いてくださる、ということを人生最大の重要事として受け止めていた人がこの詩の作者である。
導く神、これは聖書全体を流れている真理である。
アブラハムに関する最初の記述、それはまさにこの導きの神が、アブラハムに呼びかけ、神がその後のさまざまの苦難の生活をも導くという約束がなされたことであり、その神の言葉をアブラハムは信じて旅立ったのである。そして最終的に、神はアブラハムを導き、目的地に到達させた。
この世の神々は、導くことはできない。一時的に導くように見えても、必ずまちがった所に連れて行く。ガンなどの病気、死に至る病、突然の重大な事故、災害、死の苦しみ等々において、だれがそのような危機的な状況に置かれた人を導けるであろうか。さらに、そのあとに必ず訪れる死ということ―その死へと導き、さらにそこから死のかなたの世界へと導くなど、人間にはあり得ないことだ。
しかし、聖書に記された神は、万能の神ゆえに、それが可能である。神は、私たち一人一人を、あらゆる苦難をもまた最後の死に直面してもそこを導いていかれる。
そしてこれは、一人の人間だけにあてはまるのでない。
アブラハムの孫のヤコブは、エジプトへと導かれ、さらにイスラエル民族全体がそこで増えひろがり、そこから脱出したが、そこからのカナンへの遠くて長い道のり、荒涼とした砂漠地帯を、主ご自身が、昼は雲の柱、よるは火の柱となった。
これも、導くためであった。
さらには、この世界全体、宇宙そのものが、神の国、キリストに向って、新しい天地へと導かれていく。
…こうして、時がついに満ちて、救いの業が完成され、あらゆるものが、キリストのもとにひとつにまとめられる。天にあるもの地にあるものが、キリストのもとに一つに集められる。(エペソ書1の10)
一見、信じがたいと思われるようなことが、数千年にわたって真理として生きて人々の心を流れてきた―この事実に驚かされる。
神が私を導いてくださるなら、それはあらゆるよきことが与えられるということであるゆえ、この詩の作者は、「乏しいことがない」と言い切ることができた。
要するに、人生とはなにか、という昔からの大問題に、きわめて簡潔に答えたのである。すなわち、主は私を導いてくださるお方だ、そのことをはっきり体得するとき、ほかのいかなることにも増して、私たちは満たされる。というものである。
昔は、医者もほとんどいない、病院もない、事故があっても怪我しても、手術もできない、薬もほとんどない―そのような時代にあっても、「欠けることはない」すなわち、いっさいが満たされるとまで言わせたものは何だったのか。
世界は、つねに欠乏感に悩まされてきた。食物がない、適切な住まいがない、貧しきものを守る人がいない。病気をいやす人がいない。戦争をやめさせる力がない、そのような慈悲深い君主がいない―こうした外側にあるものがつねに欠乏感を生み出してきた。
私たちの内部を見ても、能力が足りない、家族がない、あってもそこには、勇気がない、忍耐力がない、愛がない、そして冷静に判断する力がない、知識、将来や人間を見抜く力がない、正義を守る力がない―等々。
外を見ても、内を見ても、欠乏ばかり。
いったいいかにして、「私には欠けることがない」などと言えたのだろう。
それは、次の節以降に記されている。
第一にあげられているのは、「緑の野に伏させ」であり、それは、豊かな牧草、緑の草を十分に食べさせてくれるということであり、次には、「憩いの水辺」に伴ってくださる、ということである。これは、動物に不可欠な水のあるところに導き、水を十分に飲むことができるということである。
水がいかに貴重とされているか、それは日本では到底想像できない。日本は到る所で、水が流れている。昔は農薬もなく、水草も茂り、いろいろな生き物もいて、清い水が流れていた。
だが、イスラエル地方では、そのような1年中豊かに流れている小川とかはきわめて少ない。エルサレムという首都からして、草木もほとんどない渇ききった山の山頂部にある町である。かつて、死海のほとりから、バスでエルサレムに向うとき、はるか前方に見えたのは、茶褐色の山の連なりであったが、そこにエルサレムがあるのは信じがたいようなことだった。
そのような乾燥地帯であれば、水のほとりに伴ってくれる羊飼いというのは、命を支える重要な存在である。
このことは、そのまま、現代の私たちの信仰にかかわることに置き換えて読むことができる。
豊かな緑の牧草―それは私たちにとっては命のパンである。私たちの主であるキリストは、ご自身が命のパンであり、ただで自由に食べさせてくださる。それは言い換えるとキリストの霊を受けることである。旧約聖書でも、それは砂漠地帯の何も食べ物がないところに天から直接に与えられたパンであった。
私たちにとってのキリストとは、この霊的なうるおいのない殺伐とした世界にあって、たしかに魂をうるおし、力を与えてくださる存在である。そのことを指し示している。
また、水辺に伴ってくださる―これも同様で、キリストはまた湧き出る泉でもある。だからそのキリストの本質を少しでも与えていただいた者もまた、ひとつの小さな泉となる。
…私を信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネ7の38)
じっさい、現代の私たちにとっての羊飼いとは、キリストであり、それはヨハネによる福音書において、主ご自身が言われている。「私はよい羊飼いだ」(10の11)
私自身、キリストを知らされてから、どれほどの「緑の草」を食べさせていただいたことだろう。
また、いかに「生きた水」を飲ませていただいたことだろうか。
そして私がいただいたそれらの霊的食物は、他の人たちにも分かつことも、不十分ながら可能となってきた。
私が分かつほどに十分に受けていないこともしばしばあるが、それでも、どこに霊的食物があるのかを指し示すことはできる。
怪我をして、自分が歩いていけないときでも、他の人に、安全な場所を指し示すことができるのと同様である。
この詩篇23の最初の一行の後半部は、私には欠けることがない、言い換えれば、十分に満たされている、ということである。このような魂の状態は、キリスト者であっても、常に保っているとは言い難い。そのような私たちに、主は、静かに語りかけておられる。「求めよ、そうすれば与えられる」と。
求めても与えられない、だからあきらめるとか、導く神など存在しないと、求めるのを放棄するのでなく、与えられないからこそ、いっそう真剣に求めていく者とならせていただきたいと思う。
私たちは、確かにそのような満たされる状態へと導かれている。
主イエスの約束として広く知られている次の言葉、
…ああ、幸いだ。心の貧しい者は。
その人たちには、神の国が与えられるから。
これは、自分には何も良きものがない、という砕かれた心、純粋な正義とか愛とか清い心をどうしても持てない、と知らされた心が貧しい心といわれる。そのような欠けたところばかりだと、いう心にこそ、神の国という完全な賜物が与えられるという約束である。
これは驚くべき約束である。一般の教育や常識では、自分が持っているものを誇りとせよ、もっと求めて、たくさん持てばさらに誇れるようになる、といって自信を持つことや誇ることを奨励する。
しかし、そのようにしても、真実な心とか、純粋な無差別的な愛、正義への勇気、力などは到底得られない。むしろそうした自信や誇りを持てば持つほど、真実や愛とは離れていく。
自分が何かができる、といった自信や誇りは、そうしたことができない弱者を見下す傾向を生むが、それは神の愛とはまったく反対の心である。
貧しい心、欠けたものだらけである、という深い実感から主を仰ぐとき、私たちは神の国を受けることができる。神の国とは、神の御支配のうちにあるもの、その力や清さ、愛、正義等々をすべて含む言葉である。
神は求めるものを、神の国で満たそうとしてくださっているお方である。
ヨハネによる福音書の最初の箇所においても、そのことが記されている。イエスがこの世に来られたのは、欠けた傷だらけの人間、汚れてなんの良いところもない者に、その汚れをぬぐい去り、そこにご自身の満ちあふれる豊かさのなかから、その豊かさを人々に分かつためなのである。
…(イエスは)恵みと真理とに満ちていた。
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
(ヨハネ福音書1の14、16より)
さらに、聖書で記されている神は、導く神であるということは、広く深い意味を持っている。この詩篇23にみられるように、まずそれは個人を導くのである。人間はさまざまの歩みをする。一人一人まったく予測できないことが生じるのであって、病気、事故、災害、人間関係で家族や友人、職場などで深刻な対立も生じることもあって生きていけなくなることもある。
そうしたすべての人がそれぞれ別箇の歩みをするようになっているこの世にあって、正しく導く存在があるかないかで重大な相違が生じてくる。
まちがった導きをしようとすることが満ちているからである。本当に正しいところ、愛や真実のあるところ(神の国)こそ、私たちの究極的な目的地であるからそうしたところへと導くのが正しい導きである。
しかし、現実には到る所でそれとはまったく異なるまちがった所へと導こうとするものがはんらんしている。
例えば、正義や真実の神などいない、不変の真理など存在しない、死んだらすべて終りだ、自分を第一に考えることだ、健康第一だ、自信を持つこと、誇りを持て、競争に勝つのだ、努力が一番大切だ、男女の関係は結婚しなくても持ってもよい、悪いことをする者にはやりかえせ…等々、こうした考え方はみなまちがった方向へと導くものである。
まちがった道であるゆえに、このような考え方でこの世を歩いていけば、自分にも周囲にも必ず最終的には、何らかのさばきがふりかかってくる。裁きとはいろいろな内容を含むが、裁きの結果として、だれにも生じるのは、魂の硬化であり、心に清い喜びとか平安がなくなっていくことである。そしてそれはさらにすすめば精神の荒廃となっていく。
一人一人の心の中の問題にかぎらず、この日本や世界にも、まちがったところへと導こうとする勢力は至るところに見られる。
今から70年余り前、1939年にヒトラーのドイツ軍がポーランドに侵攻してはじまった第二次世界大戦は、わずか6年間で世界で6000万人以上の人たちの命が失われた。死んだ人たちだけでそのようなおびただしい数になるのであり、戦争のために重傷を負い、あるいは病気となり、障がい者となって、生涯苦しみながら生きた人、家族たちや職業を失い生活が破壊された人たちなどを含めば、計り知れない数の人たちが恐ろしい苦しみを受けたのである。
こうしたこともすべて、まちがった道へと導いていく人たちによって引き起こされた。そしてその滅びへと向う道と、本当の道の違いが分からなくなった多数の一般の人たちが、そうした悪しき道をほめたたえ、大きな流れとなってしまったのである。
そのように、どのような方向に導こうとしているのかを見抜くことは、とても重要なことになる。
その点で、最も深く現在を洞察し、そこから未来を見抜いて正しい道を示し続けてきたのが、聖書であり、そのすべての内容が指し示すキリストである。
平和への具体的な精神をはっきりと定めたのが憲法9条であるが、その精神は、遥か昔に記された聖書の預言書(イザヤ書、ミカ書など)にあり、キリストはそれをさらに徹底して自らの十字架の死によって指し示したのである。このキリストの死は、非暴力による平和への道という社会的な重要課題を、みずからの命を捨てることによって示したのであり、また目には見えない神との真実な結びつき―神との平和―への道をも開いたのであった。
私は、道であり、命である―というキリストの言葉こそは、いかなる時代にあっても、また私たちがどんな状況に置かれることになっても、常に私たちの前途に輝く光となって照らし続けている。
人の変わりやすい意見や考えでなく、愛と真実の神ご自身のみ言葉そのものでもあるキリストこそ、私たちを支え、また力付け、そして、滅びることのない神の国へと導くお方なのである。
集団的自衛権を認めるということは、日本が武力攻撃されてもいなくとも、例えばアメリカがどこかの地域で戦争をはじめたとき、日本がアメリカと共に相手国に攻撃をする、―戦争を始めることができるというものである。
明白な危険とか国家の存立にかかわるような事態となったときに限るなどといっても、それは一部の政治家などによってどのようにも解釈されてしまう。
例えば戦前は、満州は日本の生命線だと称して、他国の領土であるのに、日本の領土のようにして、満州国という傀儡政権―日本の思うままにあやつれる政権―をつくりあげ、その延長上で太平洋戦争が生じてしまったのである。
また、現在では、例えばイラン周辺の国で紛争が拡大し、アメリカがその戦争に加わるような状況が生じたとする。そのようなとき、イランとオマーンの飛び地に挟まれているホルムズ海峡の通行が難しくなれば、それは石油の輸入ができなくなるゆえ日本国民に明白な危険だ、としてアメリカの戦争に加担するということも想定されてくる。
そうなれば、アメリカと一体ということで、テロが日本にも向けられる危険性が増大する。とりわけ、世界で最も大都市の近くに原発がたくさん設置されている日本において、原発がそのテロの対象となって攻撃されたら、日本は壊滅的な打撃を受ける。そのような危険性にまったく首相や自民党などは触れようとしない。
かつて原発の大事故となったらどんなに日本が打撃を受けるか、そうした議論はほとんどなされないで、そんな大事故は隕石にあたるほどの確立でまずあり得ないといわれてきた。そのような危険性に蓋をしてきたのであるが、そうしたことと似た状況となっている。
福島の原発事故では、ちょうど季節が三月のはじめであったため、季節風の関係で 放出された大量の放射能は、北西風に乗って、太平洋に向けて拡散されたが、もしそれが関東方面に風が吹きつけていたら、関東の3500万という膨大な人口密集地が、飯舘村のように住めなくなってしまい、大混乱となっていたのである。風向きひとつでそのような壊滅的打撃を受けるほど、原発の大事故は、重大である。
それゆえ、テロがひとたびそうした原発になされるなら、日本の大都市は壊滅的な影響を受けてしまって住めなくなり、農業だけでなく、さまざまの産業も破壊されてしまうであろう。
日本がテロを受ける―ということはそのような取り返しのつかない事態につながるのであって、集団的自衛権を日本が行使するということは、そうした危険性を増大させるのである。
そのようなことをまったく触れようとせず、北朝鮮とか中国脅威論ばかりをもちだすのは、あまりにも、偏った議論なのである。現実的でないにもかかわらず、そうした国々の脅威論を出すことによってますます平和と安定が崩される方向に向うのであり、現在進行中のたいへんな困難をもたらす原発の大事故などが決して起こらないようにすることがはるかに現実的な対処である。
私たちは日本の真の平和と安全のため、将来の日本国民のためにも、集団的自衛権には反対し、あくまで憲法9条の平和主義を守っていくこと、そして地震や津波、火山の爆発など狭い国土に絶えずその危険性を感じさせる原発をも廃止していくことの大切さを語り続けていきたい。
7月~8月の各地での御言葉のための集会
7月15日に、徳島を出発して最初の集会は、その夜に持たれた舞鶴港から25キロほどのところにある、山中の小集落での集会。その前に、添田 潤さん宅を訪ね、夕食をご家族の方々とともにいただいた。3人の男の子の元気一杯の様子の背後に、ご夫妻の信仰とそれを支える主の御手を思った。その後の集会に参加した方々は、愛農高校の卒業生の方々が中心となっていて、若い方々も加わり、3世代が住む農村でキリスト教信仰がその中心にあるのを感じた。 小さなこどもたちの声が周囲に響くなかでの集会で、新しい方も見えて、主がそのうちにいて、祝福を長年にわたって注いでおられるのを実感した。
日本海をフェリーで北海道小樽に渡り、翌日、北海道の西南部、奥尻島の対岸、日本海側にある瀬棚に向って出発した。途中、北海道で唯一の原発である、泊原発のすぐ近くにある原発の宣伝のための施設に立ち寄った。
この原発のPR施設には、昨年も立ち寄って、担当者とかなり長い時間、原発に関する疑問、この原発に関する展示内容についての問題点などについて、担当者の考えを聞いたことがあった。
今年も、その展示パネルで気になったのは、核燃料サイクルが、現在破綻しているにもかかわらず、そのことについて全く触れず、いかにも原発で燃料を使ったあとの廃棄物がリサイクルされているように思わせる展示がなされていた。
そして、国策として、すでに1兆円という膨大な費用が費やされ、しかも運転停止していても毎日5500万円もの維持費がかかってきた国の重要問題となっているもんじゅについての記述が、核燃料サイクルをパネル表示しているにもかかわらず、一言も触れられていない。
それから、核廃棄物の処理についても、地下300メートルにて貯蔵されることが書いてあるが、高レベル廃棄物に関しては、ガラス固化体にして埋めるとあっても、それが、10万年も管理が必要なこと、そのガラス固化体には、近づけば即死するほどの高い放射能があることなど、まったく触れていなかった。このような、真実を覆い隠そうとする姿勢は、原発事故の後もまったく変わっていない。
その後、瀬棚に向ったが、あと30分で着くというとき、通行止めとなっていて、迂回路はというと、何と太平洋側にまで行き、そこからふたたび、瀬棚のある日本海側へ行く道しかないという。それは90キロにも及ぶ迂回路だった。
瀬棚聖書集会には、今年は、徳島から私を含めて3名、愛媛、長野、静岡、東京などから、1~2名参加で、8名が参加した。
三日間、それぞれの酪農家の家に宿泊、食事もともにしての交流があった。聖書集会の主題は、「赦し」であった。これは、聖書全体の中心的な重要性のあるテーマ。旧約聖書から新約聖書にわたって、この主題がどのように記されているかをみた。
私たちは日々、赦しを受けつつ、さらに、聖霊を注がれて、聖霊に導かれて歩むことが聖書に示されていることを話した。
瀬棚聖書集会が終わった翌日は、札幌での交流集会が例年のように行なわれ、瀬棚に参加した8名のうち、6名がその札幌交流集会にも参加。札幌聖書集会員のほか、旭川、釧路からも、そして札幌独立教会や別の教会からの参加者もあり、25名ほどが、その名の通り、御言葉を中心としつつ、各地からの参加者との交流もなされる集会となった。
その後、ほかの参加者は帰宅へと向ったが、私はさらに、「いのちの水」誌読者の岩尾別在住のKさんや旭川の施設にいる教友Aさんを訪ねる機会が与えられた。長い間ハンセン病の方々と接してこられた医者であられたが、90歳を越えて、人生の最後の段階の苦しみの渦中にあるのがうかがえた。主がともにいますようにと祈った。
そこから、車で1時間ほどの大雪山旭岳登山口に行き、そこからロープウェイで登り、付近の高山植物を調べ、撮影した。これらは、「今日のみ言葉」とともに植物写真を添えて、み言葉を伝えるための一助とするためのものだが、それとともに、長距離の自動車運転と集会と離れて自然を歩くことで、自然という神の言葉に触れることで心身を活性化していただくためのものでもあった。
次の集会は、船澤澄子姉を中心として長く続けられてきた苫小牧での集会で、苫小牧市民会館の静かな一室が準備されていた。船澤さんは、体調が十分でなく集会には参加できなかったが、集会後に施設に訪問すると、体調があまりよくなかったけれど、いろいろと集会のこと、いままでの導きのことを話された。
津軽海峡フェリーで青森に渡り、そこで岩谷 香(いわや きょう)さん宅での集会。去年22年ぶりに再開したTさんが今年は、津軽半島の中部の日本海岸におられる教友とともに参加され、岩谷宅での集りが用いられて感謝だった。高齢となったが岩谷姉は、若き日に受けた大きな苦しみを信仰によって越えてこられて、主への祈りと希望によって生きておられる。
その後、盛岡市の田口夫妻宅を訪問、主にある交流を与えられた。田口さんの今後のお働き―独立伝道会の会長としての働きが今後とも祝福されますようにと祈っていきたい。
翌日は、秋田駒ヶ岳のさらに奥にある、乳頭山に向う道を登った。頂上まで登る時間はないが、歩くこと、周囲の自然という神の言葉によってうるおされること、体調を整えることと共に植物を観察し写真に撮影して伝道に用いることが目的。 天候もめぐまれて、頂上への稜線にある湿原を歩いた。そこでは、ニッコウキスゲやヨツバシオガマ、タチギボウシ、トキソウなどの高山植物の花が見られた。
その後、山形県鶴岡市の佐藤宅にての集会。ここには、数年前に奥様を亡くされた方が、代わりに参加されるようになった。そして初参加の方としては、去年参加された若い女性のご両親である村上龍男さんご夫妻が参加された。村上さんは、鶴岡市の加茂水族館長をされていて、クラゲでは、世界一の個体数を飼育している…、オワンクラゲの発光現象を研究してノーベル賞を受賞した下村 脩(おさむ)さんの研究以来、入館者が大きくふえたという。村上さんは、キリスト教独立学園の卒業。私のイザヤ書の聖書講話に関心を持たれて購入希望された。
こうした未知の方との関わりも、佐藤ご夫妻が家庭で聖書の集会を開くというご奉仕、またそれを周囲の人たちに案内するなどいろいろの手数を祈りをもってなされたゆえのことだった。
その後、山形市での夜の集会。去年まで参加されていた100歳を越えていた高齢の女性が、今年は召されていて見えなかった。でも、「いのちの水」誌をよく読んでおられたとのことだった。ここでも、初参加の方がおられ、こうした初めての機会に、主がその参加者の魂にみ言葉を届けてくださるようにと願った。
翌日の日曜日、仙台での集会では、3年前の大震災でご夫妻とも石巻で被災したが、危うく助かった原さんご夫妻が、新しい住まいに移っておられたが、参加されたことも感謝だった。
その後、福島に向ったが、途中で、山形県で農業を営んでいるKさんが、インターまで45キロ、1時間ほどもかけて来てくださって、いろいろと信仰にかかわることを話すことができたことも感謝だった。
その後、福島の湯浅哲郎氏宅での集会。ここでも初めての方が見えていて、主はいろいろな働きかけをなさるのだと感じた。また、福島県の二本松市で長く農業に従事し、有機農業に力を入れて、販路をも開拓してこられた大内さんも参加されていて、カトリックの雑誌に掲載された大内さんとの対談が載っている雑誌を贈呈していただいた。
古い「讃美歌」にない、新しい賛美を5曲ほども歌ったが、湯浅姉はそれらをいずれもすぐにピアノで伴奏してくださった。木造の雰囲気のよい集会室で、しかもピアノでの伴奏による賛美が大きな声でできる―こうした賛美においてめぐまれた集会は、全国でもほとんどないだろう。
翌日は、埼玉県浦和市での関根義夫宅での集会が与えられた。会場を探してくださったがどこも空いていなかったとのことで、ご自宅を集会場として提供してくださった。ちょうど部屋にいっぱい20人ほどが集められ、初めての方も見え、関根さんご夫妻がいろいろと会場のこと、呼びかけのことなどもお世話くださったゆえのことで、感謝だった。
そこから、千葉県に移り、房総の足立宅での集会。夏の暑い時間であったが、天然の涼風が窓から吹き込み、足立さん宅で長く続けられてきた信仰の歩みを思いつつ、ともにみ言葉を受け、賛美と祈りを共有することができて感謝だった。
その日の夜は、千葉県市川市の土屋宅での集会。ご夫妻と教員をされている息子さん、そしてスカイプでの集会にも時々参加されているKさんたちが集った。息子さんとは、何年か前の名古屋市での、青年たちの集会でともにしたことがあったが、社会人となって心身の成長が感じられたし、ご両親の信仰を受け継いでおられることを知らされ、それはほかには代えがたい恵みだと思ったことであった。
翌日は、東京湾をわたり、八王子市での集会。駅前の大きなビルの一室で、前回同様、20人近い方々が集められて、人波やこの世のさまざまの音からも遮断されて、防音設備のある部屋でキリスト教の集会がなされ、賛美も歌える不思議な恵みを思った。この集会の責任者である永井姉のご父君や実姉の方が、私が年に一度訪れるこうした集会には参加されるとのことで、主がさまざまのことを通して導かれているのを思うとともに、さらにいっそうの導きを、ふだんは集会に参加していない方々の上にと祈ったことである。ほかのことは、老年になり、病気がちとなり、仕事もできなくなったりするとたいていできなくなるが、神とキリストを信じることは、そのようなことと関わりなく、いつでも求め、始めることができるし、またそうした求めを主は喜んで受け入れられるからである。
その後は、山梨県へと移動。「祈りの友」の会員の西川徳雄氏を訪ね、ともに主にあって語り、祈る機会が与えられた。氏のご父君は、戦後1947年から30年の長きにわたって「祈の友」主幹をされていた西川賤(しずか)で、お母様の寿子(としこ)さんは高齢に至るまで、「祈の友」を愛し、会員に心を配り、祈りに生きてこられた方だった。
翌日は、加茂悦爾氏が責任者である、南アルプス聖書集会での集りであったが、場所は、長野県の野辺山高原に在住の方たちが参加しやすいようにと、山梨県北部の北杜市(ほくとし)の山口清三宅にて行なわれた。そこは八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの山々に囲まれた高原地域で、周囲を緑と山々に囲まれ、涼風が感じられるところであった。このような機会に、そうでなければ全く出会いもなかった野辺山高原の青野さんご一家とも主にあってともに礼拝の機会を与えられた。
その後、長野県の上伊那地方に移動し、そこでみ言葉を学び礼拝の集会を続けておられる有賀進宅にて、午後2時から夕方までの集会が与えられた。ここでも初めての参加者がおられたが、こうした機会がひとつのきっかけとなって、主がいっそう働きかけてくださることを願った。こうした時間に礼拝集会を持つことはふだんはないが、この時刻には付近の森からはヒグラシの涼しげな賛美が流れるなか、静けさのなかでみ言葉の重要性を学ぶことができた。
もともとは、7年余り以前、東京での若き教友の結婚式に招かれた後、「祈の友」会員であった、有賀慶治さんと白鳥すま子さんたちを訪ねてお話しを伺い、ともに祈りの時を与えられたいと願って、長野県の上伊那に向う予定をたてたのだったが、その少し前に有賀さんは召されたとのこと、それで同じ上伊那の白鳥すま子さん宅での集会を、ということになったのだった。白鳥さんは、1991年の徳島における、無教会のキリスト教全国集会にご夫妻で参加されたのでそれ以来の交流があった。そのときに、上伊那やその周辺の方々が多く集まってくださり、いろいろな方々との主にある交流が与えられることになった。
翌日は、下伊那の松下道子宅での家庭集会、そこには、去年と同様140キロ近く離れたところから、関聡夫妻が参加され、今回は、聡さんが、上伊那在住の「祈りの友」会員のYさんを同伴、また聡さんの妻の真理子さんは、姉を誘って参加された。私の不注意から開会が1時間ほども遅れて、とくに初めてのそうした参加者には申し訳ないことであった。こうしてそれまでは参加されていなかった方が、さきに参加した方の主にある熱心と祈りによって新たに加えられていくのは主のみわざと感謝だった。
その翌日8月3日は、岐阜県恵那市の山中にある、「ゴーバル」ハム工房の責任者である、石原潔宅での主日礼拝。去年は参加されていて、礼拝とその後の交流の4時間近い時間をも共に過ごされた潔氏の奥様がその後天に帰られたために、ある空白を感じさせられた。
これは潔氏にとっては誰よりもその不在を常に感じておられることだと思われたが、その空白のところを本当に埋めることができるのは、復活のキリスト、聖霊だと思われたことであった。 夏休みでもあり、名古屋市北部から60数キロの道のりを子供連れで参加された方もあった。この方のご父君は、去年は今回と同様な主日礼拝に参加されていたが、この方も天に帰られたのだったが、今回は、その方のもう一人の娘さんも参加されて感謝だった。多くの幼少の子供たちが、自由に遊んだりしているなかでの主日礼拝であったが、こうした大人の礼拝、賛美そして祈りの霊的雰囲気のなかで育てられる子供たちが、そこからみ言葉、聖霊を与えられて育っていくことを願い祈った。
その後、愛知県内の高齢の「祈りの友」会員を訪ね、いろいろと体調の異常など困難があるなかで、祈り、信じて歩もうとされているのに接して感謝だった。
今回も、長距離の自動車による移動であったため、天候の状況や、道路状況や渋滞、あるいは、私自身の不注意による危険…等々があった。舞鶴の山間部での集会を終えて、舞鶴港へと向ったが、山間の道路で通行止めがあり、まわり道せざるを得なかった。その迂回路は、数十㎞もある道のりであったので、それではフェリーに間に合うかどうか案じられたが、とにかく走らせるほかはなく、間に合ってよかった。さらに、北海道の小樽に着いてそこから南西部の瀬棚に向う道では、あと30分ほどで着くというのに、落石があったとのことで、通行止めになったばかりのところに出くわした。そこにいた道路管理の担当者が、通れない、通せないという。それなら迂回路は、と尋ねると、何と、90キロあまりも、回り道せねばならないという。それは日本海側道路から、太平洋側の国道にいったん出て、そこから瀬棚に向かう道をたどらねばならないのだった。
しかたなく、かなりの高さの中央部にある山を越える道を登り、太平洋側に出て、そこから瀬棚に向ったのだった。
それらにもかかわらず、無事に―個人や家庭の訪問などは実現できなかったところがいくつかあったが― 予定していた集会は、すべて与えられ、無事に帰宅できたことはひとえに主の守り、そして徳島聖書キリスト集会の方々、そして各地域の集会の責任者や集会員の祈りと準備等々のおかげであった。
(366)悲しみと憎しみが消えるとき
復活されたキリストの
御声を聞いたその時に
わが心から わが心から
悲しみはたちまち消え去る
復活されたキリストの
御愛に触れたその時に
わが心から わが心から
憎しみはたちまち消え去る
(「今あるは神の恵み」水野源三詩集123頁)
(366)キリスト者
「キリスト者ってどういう人たち人?
誰かが、ヒンズー教徒に尋ねました。
「キリスト教の人たちは、もらうことより与えることを考える人たちだよ」というのが答えだったそうです。(「マザー・テレサ 愛と祈りの言葉」渡辺和子訳 PHP文庫46P)
"What is a Christian ? " someone asked a Hindu man.
He responded."The Christian is someone who gives. " (MOTHER TERESA ;IN MY OWN WORDS 17P)
キリスト者とは―という説明にはいろいろな表現がある。これはそのひとつだが、キリスト者の最高の模範であった主イエスは確かに与え続けるお方だった。それほど神の力、神の祝福に満たされていたからである。神の言葉、そのいやしや悪霊を追い出す力を与え続けた。さらに、人間の根本問題である罪からの赦しを与えるために、命まで人々に与えたのだった。
そのキリストを魂に受け、その祝福を受けるとき、私たちも少しずつはこの「与える」人へと近づいていけるだろう。 お金も財産や技術も知識も経験も与えることができない者であっても、神からの祝福を他者に注がれるようにと祈りを注ぐ(与える)ことはできる。
あるいは、大きな罪を犯してしまった者であっても、他者がそのような罪を少しでも犯さないように、またその罪を赦してくださるキリストを信じるようにと祈ることはできる。
そしてそのような弱いものの祈りを神は祝福してくださる。
私たちもこの日本で決定的に欠けているもの―神の言葉―を他者に与え続けるものとされたいと願う。
そしてそのための祈りもを与え続けるものにならせていただきたいと思う。
(367)神へのおそれ
ある人が、極度に恐れないといって、そのため神々をも恐れない、と言うならば、彼は、勇敢なのではなく、狂気なのである。(「大道徳学」アリストテレス全集第14巻19頁 岩波書店)
アリストテレスやプラトンなど、世界の哲学、思想の歴史に多大の影響を与えた人たちであっても、唯一の神が存在するということは啓示されていなかった。しかし、それでも、このように、この世界や人間の背後に目には見えないある存在がいること、そして大いなる力をもって人間に影響を及ぼしていることははっきり認識していた。
そして、人間と動物の根本的相違とは、そうした目には見えない偉大な存在を直感する能力があるかどうかということであり、それゆえに、そうした見えざる存在より自分が大きいのだ、などと言う人は、気が狂っているとまで言っている。そのような者は、人間としての正しい精神の働きが失われた者だと言っているのである。
かつてビスマルクは、神以外の何者をも恐れないと演説した。それを聞いたある日本人が、我々は、神をも恐れないぞ、と得意げに言った。それを聞いた新渡戸稲造は、その精神の貧困に驚き悲しんだことを記していたのを思いだした。
今日の日本の最大の問題は、真に畏れるべきものを恐れず、恐れるべきでないものや国々を恐れて、まちがった方向へ行こうとしていることである。
巨大津波による災害、そしてさらに、4基もの原発の大事故という世界の歴史はじまって以来の大きな出来事、それゆえにそこから生じた苦難は3年経っても消えることなく、今後もその廃棄物などの放射能の悪影響まで考えると、原発事故にかかわる問題は、10万年という果てしない歳月を越えていつまで続くか分からない状況である。
それほどのことが生じてもなお、この世界の背後の存在を畏れず、欲望を第一としようとする―こんな状況が続くのであれば、その姿勢そのものがさらに厳しく罰せられるときが来るのではないか。
私たちは、神を畏れねばならないのである。
○今月号は、私が一か月近く県外に出ていたために、発行が遅くなりました。
○CDラジオと聖書講話シリーズMP3版
最近完成して発売したイザヤ書の聖書講話、意外な方から、意外なときに申込が県内外から続いています。「いのちの水」誌のすべての内容を読まない方々もおられるので、後から読み直していたときに気づくとか、あるいは別のことからそれを使ってみようという気持ちが生じることがあるようです。 イザヤ書やエペソ書、ルカやヨハネ福音書、創世記など、私の聖書講話シリーズを聞くためには、パソコンかMP3対応のプレーヤが必要ですが、ソニーのこのMP3対応のCDラジオ(型番ZS-E20CP)は、CDラジカセの764種の製品のうち、売れ筋ランキングは第一位となっているもので、その使いやすさが高く評価されているのがわかります。価格は変動があり、現在の平均価格は5000円程度。
○「いのちの水」641号と集会だよりNo.408が届きました。ありがとうございました。
「神を仰ぎ見る」 強いインパクトを受ける言葉です。
内村先生の最晩年、病床の先生は「キリスト教とはどの様な宗教ですか」との質問に、「神を仰ぎ見る宗教です」とお答えになったと聞いています。一言でのご回答がこの言葉でした。
6月13日天宝堂集会の講話、印象が強いですね。会の情景が、その時の吉村先生のお姿が目に浮かびます。(九州の方)
○「いのちの水」7月号が届きました。どの稿も大変心にしみ入るように読ませていただきました。
特に「神を仰ぎ見る」が特に心に残りました。
また「主の平和と社会的平和」も学ぶものが多くありました。
共産党の友だちが最近、赤旗を送ってきて購読を勧めてきたので私の方も、いろいろと主の平和について、また社会での闘いについて話しました。(関西の方)
○…イエス様のみ言葉を「聴いて」それを、時に語られた神の言葉を、「語る」という、まことにシンプルな道を示されたように思っています。
十字架につけられたイエス様が、共にいてくださることを常に感謝し、主の十字架を誇りにしていきたいです。…(関東の方)
○ペテロ第二の手紙の1~15を繰り返し読んでいます。10節の、召されていること、選ばれていること…いっそう努めなさい。日頃の生活のなかで、この「大切なこと」を忘れかけている自分がいることにはっとしました。感謝です。(東北地方の方)
○記録映画「日中戦争」を見て。
私の父は日中戦争で砲兵隊長将校として長沙作戦に従事しました。
感想と学んだことを長くなりますが、忘れないために書いておきます。
父の参加した長沙作戦の歴史的な位置づけが、これでようやく理解できました。
アメリカからみた、日中戦争の全貌ですが、よくこれだけのフィルムを 1944年の時点で集め、編集できたと感服します。
中国4000年の歴史と日本の海外侵略構想を明確に位置づけ、
中国侵略の全体像を軍事的な視点で分かりやすく見せてくれます。
そのほか教えられたことですが、
1.上海、重慶への無差別爆撃、この二つの爆撃の効果が全く異にしていること。
2.南京侵攻での虐殺、その後、主要都市「長沙」の侵攻に日本軍が失敗敗走したこと。
3.分裂した中国人民、軍閥、孫文-蒋介石、共産中国が一致団結して抗日したこと、
4.膨大な物資と人々が、戦略的に中国国内で西方に大移動し、あとに何も残さないようにしたこと、
5.連合国側のビルマからの陸路物資搬送、その為の道路は手作業。
6.後にインドから空路輸送、アメリカ国内での中国空軍の訓練育成。
7.中国侵略が日本の田中男爵(田中義一のこと?)により世界制覇まで構想されていたこと。
11944年時点でのアメリカの映画ということで、ずいぶん大雑把なとらえ方なのかもしれないと割引をしても、全体像を強烈に見せてくれました。
こんな馬鹿なことを日本人は、なにも知らないでやっていたのかと、
あまりの非常識にあきれましたが、そのときには、疑わないで、命を賭して、やっていたのですね。
いまも集団的自衛権が行使できると閣議で決定していることが、これからどうなってゆくのか、
「日中戦争」の映像と重なりました。歴史をしっかり学ぶことが大事と思いました。
政府、支配層は武力行使について架空の想定をしているわけではなく、これ から実際に、
日本国外のどこかで、具体的に武力行使を実際に行おうとしているのでしょう。
それが、どこで、いつ起こそうと計画しているかは特別秘密保護法によって隠したいのでしょう。
主の平安を御言葉によって与えられ、平和の祈りができるようにと思いました。
「アッシジの平和の祈り」を聖学院大学長の姜尚中(かんさんじゅん)さん(*)があいさつで取り上げたと教えられましたが、8月の敗戦記念の時にとくに大事なこととして受け取りました。(中部地方の方)
(*)聖学院大学のもとになったのは、今から100年余り前に設立された、キリスト教伝道のための聖学院神学校。
姜尚中は、1950年熊本市生まれの政治学者。在日韓国人二世。東京大学名誉教授。(編者注)
○第13回 近畿地区無教会キリスト教集会
・日時…8月30日(土)13時~31日(日)13時30分。
・テーマ…「神を神として生きる」
・場所…関西セミナハウス 電話 075-711-2115 京都市左京区一乗寺竹ノ内町23 ・交通 ☆京都駅からは、地下鉄烏丸線 北山駅下車2番出口、タクシー10分(千円以内)☆ 市バス⑤系統 約50分 「修学院道」下車徒歩15分
・会費…全日参加 1万円 一泊3食 31日の昼食代金含む。部分参加も可能。
・問い合わせ、申込…宮田 咲子
・申込締切…7月20日(締切りは過ぎていますが、部分参加とか宿泊を自分で別の場所でするとかすれば参加は可能と思われますので、宮田さんに問い合わせてみてください。)
・講演(土)… 福井達雨、
・聖書講話(日)…吉村孝雄
○9月より、香西 信(しん)氏が、東京都から、ご両親のおられる岡山に帰り、ご父君が長く責任者をつとめてこられた岡山聖書集会を受け継ぐことになりました。東京神学大学を卒業されたのですが、一般の卒業生たちは教会の牧師としての生活を始める人が多数を占めるなかで、無教会の集会においてみ言葉を伝えることを決断されました。
主が、香西さんの今後のお働きを祝福し、導かれ、現在いのちの言葉を知らずに生きている大多数の日本人に、福音を伝える働きがなされていきますようにと祈り願っています。
○西澤正文氏による特別集会
・日時…9月14日(日)午前10時~。徳島聖書キリスト集会にて。
・主題…「ひとり、神のみ前に立つ」
○「祈りの友」会員の方は、9月20日までに、原稿を提出をお願いします。複数の会員がそのことに関して連絡などを担当していますので、その担当の方々に、原稿を送ってください。
内容は、祈りの課題( 「祈りの課題集」に掲載した内容に変更あればそれを必ず書いてください。新たな祈りの課題があればそれも書いてください。)、祈りについての示されたこと、経験、考えたこと、あるいは読んだ本からの引用、聖書の祈りに関する箇所、み言葉をあげてそれについて述べるなど。また、自由な日々の感じたこと、読書から、あるいは主日礼拝ごとに語られているみ言葉に関して印象に残った箇所とその理由など。
○「祈りの友」合同集会
・日時… 9月23日(火)の休日。午前11時~16時。
・会場…徳島聖書キリスト集会。
・申込先…次の貝出宛てに、メール、はがき、FAXなどで。会費(昼食代金として500円)は、申込と同時におさめてください。(ただし、県外の方は当日支払で結構です。)
申込先 貝出 久美子
E-mail …
・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス東田宮下車徒歩四分。
(一)主日礼拝 毎日曜午前10時30分~(二)夕拝 第一、第3火曜。夜7時30分から。 毎月第四火曜日の夕拝は移動夕拝。(場所は、徳島市国府町いのちのさと作業所、吉野川市鴨島町の中川宅、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市城南町の熊井宅を毎月移動)です。
☆その他、第四土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書の会、第二水曜日午後一時からの集会が集会場にて。また家庭集会は、板野郡北島町の戸川宅(第2、第4の月曜日午後一時よりと第二水曜日夜七時三十分より)
・海陽集会、海部郡海陽町の讃美堂・数度宅 第二火曜日午前十時より)、
・いのちのさと集会…徳島市国府町(毎月第一木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)・藍住集会…第二月曜日の午前十時より板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、徳島市応神町の天宝堂での集会(綱野宅)…毎月第2金曜日午後8時~。、徳島市南島田町の鈴木ハリ治療院での集会…毎月第一月曜午後3時~などで行われています。
また祈祷会が月二回あり、毎月一度、徳島大学病院8階個室での集まりもあります。問い合わせは左記へ。