いのちの水 2014年9月号643

 

神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはず、試練とともにそれに耐えられるよう、逃れる道をも備えて下さる。

                                            (Ⅰコリント1013

目次

・虫の賛美、狭くて細い道1

・祈りの聞かれないとき  3・ ・神を神として生きる   4

・国のためにということ  15

・北海道・瀬棚聖書集会と札 幌交流集会に参加して(関)17 ・ことば               19

・編集だより            20

・お知らせ              21  集会案内

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虫の賛美

 

 今年の8月、徳島では、観測開始以来初めて、史上最高の雨量(1065ミリ)であったのこと、また日照時間も平年の半分ほどだったと出ていた。このような変則的な気候であっても、9月になると、わが家の周囲では、いつもの年と変わりなく、虫の音が豊かになる。

 マツムシ、エンマコオロギがとくに多い。ほかにいろいろな種類のこおろぎが鳴いている。

 マツムシの賛美、それはチンチロリンといった鈴をころがすような実に単純なものである。(昔は、この松虫が鈴虫と言われていたというのもうなづける。)

 そこには、さまざまの音のかもしだすハーモニーもないし、移り変わるうるわしいメロディーもない。しかし、その鳴き声は、飽きることがない。

 その豊かさはどこからくるのだろうか。

 それは、いかなる人間的なものもない清さ、純粋さにある。

 そのゆえに飽きることがないし、いつ何度聞いてもそこに清いものが心に流れてくる。

 谷川の清流は、下流にいくにつれて汚れが入り込んでくる、人間の心も年齢とともに次第に汚れ、古びてくることが多い。

 しかし、虫の音の清い流れはいくら流れてもやはり清い。

 人間が奏でる音楽、それにはモーツァルトのように流れるような美しさを持つものがあり、ベートーベンの力強さやバッハの音楽のように聖なる響きを有しているものもある。そしてそれらは、世界の人々に多様な魂の栄養を与えてきた。

 しかし、その演奏をする人間についてみれば、それらの音楽を奏で、歌う人のうちには、長時間の練習による疲れ、単調さとの戦い、あるいはその地位を獲得するまでのさまざまの競争もあったり、より巧みな演奏者へのねたみや苦しみ、悲しみなどがあり得る。指揮者の感情や考え方、音楽の解釈によってもことなる表現となる。また、そうした音楽は、しばしば貴族や上流階級のものたちによって支持されてきたという側面がある。

 しかし、自然の草むら、山沿いの草むらで無心に歌う虫たちの賛美には、いかなる不純な動機もなく、ただ、はるかな昔から神が直接に与えた能力によって奏で続けている。

 それらは、神の国からの清いしずくのようなものである。

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狭くて細い道

 

 狭き門から入れ、と主イエスは言われた。そしてそこから入った道もまた狭くて細いという。 (マタイ7の13~14)

 他方、聖書とまったく無関係なこの世においても、ピアノとかスポーツなどの大会で日本で一番になるとか、ノーベル賞をもらうなどということは、ほとんどの人にとっては、きわめて狭い門であり、細い道であろう。

  主イエスが言われた、狭き門と狭くて細い道、それとどこが違うのか。

 主が言われた道、それはいかに細くても、万人に開かれた道である。そしてただ神とキリストを救い主と信じているだけで、その狭い門を入り、細き道を歩いていける。

 そして、前方に置かれた一点の光を見つめているだけで、必ずあらゆる良きものの満ちた神の国へと導かれる。

 しかも、その道は競争者で混み合うこともない。

 しかし、この世の狭い道は、生まれつきの能力や、生まれた国の状況、お金、また健康、よい指導者などにめぐまれること…そうした数々の条件がなければはじめから門に入ることもできないし、その後に続く狭い道を歩いていくこともできない。

 そんな道を見いだすためだけでも、あちこちと探し歩き、多くの費用や人間に頼り、県の内外はもちろん、ときには外国まで求めていかないと、トップへの道に通じる門を入ることさえできない。

 そして、何十年とその道を歩き続けても、まったく目的地に着かないというのが圧倒的に多い。というより、一番などは、一人しかなれないのであるから、1億人の人口でその一人になるなど、不可能というほど困難なことである。

 そして、万一あらゆるそうした点にめぐまれて、到達点(トップ)に着いたとしても、たいていすぐにそのトップの座は別の人によって奪われてしまう。

 けれども、主イエスが言われた狭き門とそこから続く細い道は、それとは全くことなる。

 それは金もなく、健康もなく、良き家族すらもなく能力もなくとも、すぐそこにその狭き門はある。そこから道は続いている。日常生活のただなか、そばを見ればその門が備えられているのである。

 空を仰げば、その青い空や雲、降ってくる雨粒からさえも、そして木々の姿や草木の花などからも、あるいは毎日の出来事―喜ばしいことからも、深い悲しみからも、あらゆることのなかに神の国への門はあり、そこから御国への道が続いている。

 しかも、この世の狭い道は、競争心や妬みなどさまざまの悪しきものを含んだ風が吹いてくるのに対し、主イエスの言われた狭い門と細い道には、そこを歩みつづけるときには、時には耐えがたいような苦しみも伴うこともあっても、求める気持ちが変ることがなければ、時至ればさわやかな天来の風が吹いてくるし、足もとにはいのちの水が流れていてそこから汲んで飲むことができる。

 

…たとえ苦しい谷であるとしても、そんなことは構わないではないか。ともかくどんなに淋しく、狭くて曲がりくねった道でも、愛と(真理への)畏敬の念をもって歩ける道なら、私は進んでいく。

(「市民としての抵抗」ソーロー著 岩波文庫50~51頁より)

 

…(後半部の原文)At any rate, I might pursue some path, however solitary and narrow and crooked, in which I could walk with love and reverence.

 

 ここでソーローが語っていること、それをキリスト者として言い換えると、神からの愛を受けつつ、神を愛しつつ、神を信じ、畏れをもって歩むときには、私たちは主イエスが言われたように、永遠の命へと続く道を歩んでいるのである。

 静かな細い声をかつて預言者エリヤは聞き取り、(*)そこから新たな使命を受けとったが、そのような静かな細い声を聞きつつ歩む、静かで細き道も私たちの前に続いている。

 

 *)…地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。"列王記上1912

 

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祈りが聞かれないとき

 

 この世には、家族それぞれが健康で職業にもついて、子供にもめぐまれ日々を幸福に過ごしている人がいる。他方、神を信じているのに、次々と打ち続く苦しみや悲しみがふりかかってきて耐えがたい日々を送っておられる方々もいる。

 神は愛である、そして一人一人を見守って導いてくださっている。その力は万能である。それならば、そのような神を信じる者の祈りを聞いてくださらないのはなぜなのか―こうした疑問が自然と生じてくる。

 それは、旧約聖書においてもすでに数千年も昔から、出されているテーマである。

 別項でのべた預言者エレミヤもそのようにどこまでも続く苦難にうちひしがれて神に向って叫ぶすがたが記されている。

 

…なぜ、私の痛みはやむことがなく

私の傷は重くていやされないのか。

なぜ、あなたは私にとって、水がなく人を欺く川のようになったのか。(エレミヤ書15の18)

 

 砂漠地帯には、離れたところから見れば、川のように見えながら、じっさいにそこに行って見ると水は流れていないということがよくある。エレミヤはそのような身近な自然のたとえをもって、神を信じ、歩んできたのにまったく助けが与えられないという深い嘆きと苦しみが記されている。

 しかし、そのような心乱れるエレミヤに対して、神は時至ってみ言葉を与えられた。

 

…あなたを私のもとに帰らせ、私の前に立たせよう。

私はあなたを堅固な城壁とする。

彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。

私はあなたと共にいて助け

あなたを救いだす。(同19~20より)

 

 いつまで続くのかと思われる困難と希望の光の見えないような中にあっても、そのただ中に、神の時が来ると、主は光を与えられる。旧約聖書の長大な詩、ヨブ記においてもそうした長い心の戦いの中で、時至って神からの直接の言葉が与えられて、いっさいが氷解していくさまが記されている。

 長い歴史のなかで、キリスト者たちの受けた迫害による苦しみ―そのような状況にあってもなお祈り、神を信じ続けるときには、時至って、彼らに神の言葉が与えられ、耐える力が与えられてきた。

 私たちもまた、この謎のような世界において、どのようなことが生じようとも、あきらめることなく、万能であり、かつ愛の神を信じ続け、祈りを止めないとき、その背後にある神のご意志、その御計画を知らされるであろう。

―聖霊があなた方にすべてを教える(ヨハネ14の26)と約束されている通りである。

 

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神を神として生きる

 

  私たちは何を一番大切なこととして生きているだろうか。

 多くの人は、健康、あるいは家庭だ、あるいはお金やそれを与える仕事…。そして命こそ一番大切だと言う。

 それらの順番はともかく、ここにあげたものが大切だということは、誰もが納得することである。

 死んだら終りだ、だから命が一番大事なものだ、これはたいていの人が心に思っていることであろう。

 しかし、これらの共通点は、それらは事故や病気、災害などで、簡単に壊れ、なくなってしまうということである。

 もし、どんなことがあっても壊れたりなくなったりしないもので、人間の魂の支えとなり、たとえ事故や災害、病気などが生じても変ることなく私たちに力と新しい心、愛を与えるものがあれば、それこそ、最も大切なものである。

 事故や災害、病気などなくとも、必ず訪れる死ということ―しかしその死においても、ふたたびよみがえらせてくれるような力があるのなら、それこそ、この普通の命よりはるかに大切なものと言える。

 聖書に記されている神、そしてキリストとはそのような存在である。

 それゆえに、そのような神を一番大切なものとして敬い、あがめ、その力を受け、その導きによって生きていくこと、そのことが、神を神として生きるということである。

 聖書で記されている神とは、さらに言えば、万能であり、万物の創造者、しかも正義そのものであり、愛と真実に満ちているお方である。

 この神を神として生きることは、旧約聖書から新約聖書を通じて聖書全体にわたって記されている。

 聖書の最初に、天地創造のこと、とくにその最初に太陽や星々、地球のことでなく、まず光そのものを、神の言葉によって創造されたことが記されている。

 そしてその後で、地球や太陽、星の創造が記されている。

 しかも、その光の創造は、闇と空虚が満ちており、荒涼とした状況のただなかで行なわれた、そしてそこには、神の風が吹いていた。

 いかなる闇があっても、そこに神からの風―聖なる霊を送り、神の言葉によって光をもたらすことのできる神の存在が明確に示されている。

 私たちが、日々最も大切なものとし、礼拝の対象とすることができるその理由が最初に記されているのである。

 ここで記されているような神だからこそ、その神を、私たちは最も大切なものと信じて、生きていくことができる。

 また、創世記の第二章では、砂漠のただなかに水をあふれさせる神が記されている。ここにも、私たちの歩みにあって、いかに殺伐としていて心をうるおすものがなくとも、そこに神の霊の水―いのちの水を注ぐことができる神だということがここでも示されている。

 他方、聖書に記されているような神を神としない―それはとくに日本では、至るところで見られる。じつに99%の人たちが、そうした神の存在を知らないし、信じようとしない状況だからである。

 これは世界的に見れば、きわめて特殊な状況となっている。キリスト教だけでなく、旧約聖書を教典に含めるイスラム教やユダヤ教も含めるなら、唯一の神を認め信じているひとたちは全世界を覆っている。日本は東に太平洋、西に日本海があって数千年を越えるはるかな昔から隔絶された状況にあったということが、今日のこうした特別な状況を産み出す重要な理由となっている。

 しかし、ずっと人類の歴史をさかのぼるとき、世界はそのような唯一の神が存在することなどまったく知らなかった。そこに、ごく一部の人たちに、そのような神の存在が啓示された。

 とくにそのような神を神として生きた人として詳しくその歩みが記されているのが、アブラハムであった。

 彼は、神からの言葉を受けたとき、周囲のすべての人たちと決別して、み言葉に従っていく生き方へと変えられた。

 これは、周囲の人たちの言葉にしたがって生きていく一般の人間とまったく異なる生き方である。

 

神を神として生きた人たち

 旧約聖書において聖書に現れる主要人物は、みな神を神として歩んだ人たちである。

 アブラハム、モーセ、ダビデ、エレミヤ、イザヤ、エゼキエル、ダニエル…等々。

 そして、旧約聖書と新約聖書の時代をつなぐ時代にも、マカベア書に見られるように、神を神として生きようとするときには、厳しい迫害も生じた。

 人類の歴史において、最も完全に神を神として生きられたのは、いうまでもなくキリストである。そして、主イエスの直接の弟子たち、パウロもまた同様に、神を神として生きた人たちである。

 さらにその使徒たちに続く人々も、みな厳しい迫害を長期にわたって受けることになった。

 ローマ帝国や日本のキリシタン迫害に遭遇した人たちは、命をかけ、恐ろしい苦しみに耐えて生き抜いた人たちである。

 神を神とする―このことが、そうした国家的な迫害の時代には、いかなる困難を伴うか、現代の私たちには想像もできないほどであった。親子、兄弟、夫婦も離ればなれになって、捕らわれ、ときには目の前で残酷な刑罰で処刑されていく、それでも神を神としていった。

 このことについては後に、より詳しくふれる。

 

エレミヤ

 聖書に示された唯一の神のみを神として礼拝する、そのことによって迫害を受けた例として、旧約聖書ではエレミヤがある。

 彼は、今から2600年ほども昔の預言者である。

 

  ああ、わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。…皆わたしをのろう。

 私は敵対する者のためにも、幸いを祈り、彼等に苦しみが襲うときに、あなたにとりなしをしたのに…。

なぜ、私の痛みは止むことがなく、私の傷は重くて癒されないのか…。(エレミヤ書15の10~11、18より)

 

 エレミヤは、人々の精神的に腐敗した状況を知り、そこから真実の神に立ち返るようにと、繰り返し人々に警告し続けた。そしてもし自分が語る神の言葉に従わずに、悪の道から悔い改めることをしないなら、人々の重要視している神殿と、それが置かれているエルサレムの町は破壊される。

 そのことを人々に告げたとき、祭司や預言者、さらには一般の人々まで、エレミヤを捕らえ、エレミヤを死刑にせよと迫った。

…エレミヤは死刑にすべきだ。この男は、あなた方自身が聞いたように、この都に敵対する預言をしたのだ。(エレミヤ書26の11より)

 

 日本も戦前なら、平和主義を主張するだけで、治安を乱す者として逮捕されたし、非国民だとののしられた。このような状況は、2600年経っても変ることがない。

 

…そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある穴の中へ投げ入れようとして、綱でつり降ろした。その水溜めの穴には水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。(同38の6)

 

 このように、危うく命を落とすところであった。

 エレミヤが、当時の国の指導者や宗教的なリーダーたちの悪を指摘すれば、自分の身にこうした迫害が生じることを知った上で、絶えず彼等に対して悔い改めよ、そうしなければ、エルサレムの町や民族も滅ぼされると言い続けた。そして神の言葉として、エジプトと軍事同盟をして当時の敵国であった新バビロニア帝国に戦いを挑んだりしてはならない。それは滅亡の道だ。

 そうではなく、バビロニアに降伏し、エジプトに頼って行くな、エルサレムにとどまれ、それが再生の道だ、バビロンに捕囚となって異教の王に仕えることになっても、70年の後には必ず祖国に帰ってくることができる、神がそのようになされるのだ、という神の言葉を受け、それを語り続けた。

 しかし、そうしたことは、当然、国を売る卑怯者だという烙印を押されることになった。

 それでも、エレミヤは一貫して国の大多数が言う言葉でなく、みずからに語りかけられる神の言葉に従った。

 こうした生き方に、命がけで「神を神として生きる」という姿が表れている。

 このような困難な道を生きることができたのは、神の言葉が豊かに与えられたからであった。そしてそのみ言葉は、厳しい道を命じるだけでなく、それに耐える力と喜びや平安をも与えたのである。

 

… あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれを食べた。

あなたのみことばは、私にとって 楽しみとなり、心の喜びとなった。(エレミヤ書 15:16

 

 エレミヤがその力の源としていたのは、神からの語りかけ、み言葉であった。

 

 主イエスは、次のように言われた。

 

…私は平安をあなた方に残し、私の平安を与える。

…あなた方はこの世では苦しみがある。

しかし、勇気を出しなさい。私はこの世に勝利している。(ヨハネ14の27 同16の33)

 

  エレミヤは、主イエスが言われたような、神からの平安と力を―イエスよりも600年ほども昔であったが―与えられ、神の勝利とその裁きの力をも確信していたのがうかがえる。

 

旧約聖書と新約聖書の間の時代

            ―マカバイ記

エレミヤ以降の時代において、ユダヤ民族に激しい迫害の記述がなされているのは、紀元前168年頃に、当時ユダの一帯を支配した王(*)が、聖書を持つことを禁じ、人々が神の戒律に背くとして決して食べなかった豚肉を無理やり食べさせたり、そのアンティオコス王を礼拝させようとし、律法を持っているものはすべてそれを焼き捨てさせるという暴挙に出た。

 律法(旧約聖書)を見つけると、それを燃やしてしまい、なおも律法の巻物をもち続けている者は、見つけ次第処刑となった。

 それは、ユダヤ人の信仰の生活全体を破壊するためであった。(旧約聖書続編マカバイ記1章など)

 

*)この王の名は、アンティオコス・エピファネス四世

 

 また、当時の律法にある、汚れたものを口にしないという戒めに従おうとしただけで、厳しい迫害を受け、鞭で死に至るまで責め苦しめられたこと、あるいは頭の皮を剥ぎ取り、そのうえで、大きな鍋や釜を火にかけ、そこで焼き殺すといった残忍なことも行なわれた。

 しかし、そのようなときでも、その迫害を受けた人は、「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王(神)は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」と言ったと記されている。(マカバイ記Ⅱ6~7章)

 この激しい迫害の時代に書かれたのが、旧約聖書のダニエル書だとされており、黙示録がローマ帝国の激しい迫害のもとであのような象徴的な書き方で書かれてあるのと同様、キリスト以前では、ユダヤ人がとくに激しい迫害を受けたこの時代においてやはり象徴的な表現で書かれたのがダニエル書であった。

 それゆえに、ダニエル書(*)でも、このマカバイ記においてもここにあげたように、復活への信仰が啓示として与えられたのがうかがえる。

 

*)「多くの者が地の中の眠りから目覚める。ある者は、永遠の命に入り…」ダニエル書12の2

 

ローマ帝国の迫害下の人たち

 その後、キリスト以降の時代―ローマ帝国時代においても、神を神として生きようとした人たち、言い換えると内なるキリストに従って生きようとした者たちには、さまざまの迫害、苦難がふりかかってきた。

 そのなかでも、ポリュカルポスという人物のことは、かなり詳しく伝えられてきた。

 彼は、ローマ皇帝を神としてあがめることをせず、キリストへの信仰を固くもち続けたために、生きながら焼かれるという刑罰を受けることを、啓示によって知っていた。だが、彼は、夜も昼も、ひたすらすべての人たちのため、世界中の教会のために祈りつつ、わずかの人々とともに過ごしていた。いよいよ、追手たちによって見いだされたときも、「神の御心のままになりますように」と言って逃げようともしなかった。

 捕らえられるとき、彼は、十分に祈る時間を与えてくれるように、彼を捕らえようとする者たちに懇願した。そして長く祈りつづけ、小さな者も大きな者も、名声ある者もない者も、かつて知ることのできたすべてのひとたちを、そして世界のすべての教会を思い起こしたのち、祈りを終えた。

 その後、ローマ総督はポリュカルポスに、「キリストを罵れ、そうすれば赦される」と、執拗に迫ってきた。 キリスト者たちを猛獣に食わせたり、火あぶりにして殺すことは、それを目撃した人にキリスト者の驚くべき忍耐力や信仰にふれることになり、そこから新たなキリストを信じる人が生まれることにつながることがしばしばあった。

 それゆえに、重要なキリスト者を改宗させることに力を注いだのである。

 それに対して彼は、「私は86年間、あの方(キリスト)に仕えてきましたが、あの方から不当な取り扱いを受けたことはありません。それなのに私を救ってくださった私の王であるあの方を、どうして冒涜(ぼうとく)することができましょうか。」

 と言った。そののち、彼は、猛獣に食わせるという刑罰を受けることになった。そのことを知らされたポリュカルポスは言った。「野獣を呼び出しなさい。邪悪なものから義なるものへと心を改めるのは麗しいことですが、より善きものからより悪しきものへと心を改めることは、我々には不可能です。」

 野獣を恐れなかったポリュカルポスは、焼き殺されることになった。

 そのとき、彼は、次のように祈った。

「全能の神なる主よ、今日このときに、私も殉教者の数に加わることをお許しくださったゆえに、あなたを賛美します。それは、聖霊の不滅性にあずかりつつ、永遠の命へとよみがえることを意味します。…」(「キリスト教教父著作集 第22巻」 10~13頁 教文館」)

 

日本における迫害

 日本においても、ローマ帝国の長期にわたる迫害のような恐ろしい迫害が行なわれた。その一部を次に記す。

 1627年、島原半島のキリシタンの中心人物であった作右衛門という人物がいる。その子供らも、目の前で殉教したり、指切りの刑にて苦しめられたが、それでも作右衛門の信仰は揺るがなかった。

 彼は、雲仙岳に連れて行かれたが、道中で彼等は、ラウダーテ(Laudate 賛美せよ)の賛美歌を歌った。そして、雲仙地獄(高温の湯や湯煙、ガスが噴出しているところ)に連れて行き、そこに投げ込んでは引き上げ、また投げ込むといったことをして死に至らしめた。さらに、その吹き出ている熱湯を裸にした背中などに垂らして全身にやけどをさせて苦しませたあげく死に至らせる。(「長崎の殉教者」片岡弥吉著 角川選書 197~199頁 )

 また、仙台では、大名の伊達政宗の命令で、真冬の凍るような寒い川(広瀬川)での迫害がなされた。(*

 70歳の老夫婦は、その川に連れていかれ、半ば凍った水の中に漬けられた。時々、彼等は沈められ、あるときには、ひざのあたりまで、あるときには、帯のあたりまで沈められた。

 

*)仙台城(青葉城)の前を流れる広瀬川の近くには、こうした水責めの迫害のことが記されている案内板が立てられている。

 

 3時間たって、彼等は川からひきあげられ、裸のまま馬に乗せられ、それから、町々をその寒さに凍える状態で引き回し、また立ち止まらせては、冷水を浴びせた。そうして息を引き取った。

 また、やはりその真冬の凍るような水中に、杭が打ち込まれ、裸にされたキリシタンは、その凍った水のなかに漬けられ、座らされ、杭にしっかりと縛られた。

 この拷問を受けているさなかにも、彼等はイエスとマリヤに救いを求め、祝福(ベネディクション)のみを口にした。…この酷い拷問を3時間うけたのち、引き上げられた。彼等は、酷い苦しみようで、ようやく動けるほどだった。寒さで硬直し、砂のうえに倒れた。…彼らの死骸は首を切られ、遺骸はずたずたに切られて川のなかに捨てられた。…

 

(「日本キリシタン宗門史」中巻315~316頁。レオン・パジェス著 岩波書店 初版は1938年)

 

 このようなすさまじい迫害にもかかわらず、かなりのキリシタンたちは、その信仰をすてず、そのなかで、祈りと賛美を歌いつつ、壮絶な最期を遂げていった。

 こうした迫害の時代―それはキリスト教が各地に伝わっていくときには、各地においてこれに類する迫害がなされることになった―において、神を神とするということがいかなることであるか、その最も厳しい姿が示されている。

 彼等は、何の悪いことをしたわけでもなく、ただキリストを信じていたということだけで、このような恐ろしい迫害を受けた。しかし、それによって、神が与える力がいかに高貴なものであるかを歴史を通じて示しつづけている。

 そしてこのような迫害とそれにも耐えて信仰を貫いたひとたちのことは、後世のひとたちにも、多大な励ましや神の助けの力を深く知らせることにもなった。

 

榎本保郎とキリシタン迫害の本

 アシュラムで知られている、榎本保郎も、そのような姿に打たれた一人だった。彼がキリスト教の世界にふれて最初に魂を深く動かされたのは、文字通り命をかけて神を神とした人たち―殉教者たちの事実であった。

 榎本は、満州から引き上げて来たとき、それまでは日本のため、東洋の平和のためという大義名分のゆえに喜んで戦場に向った。しかし、太平洋戦争は、まったくそのような良い目的のためでなかった。それは、かえって日本の三百万というひとたちの命を失わせ、東洋の一千万を越える膨大なひとたちを殺傷してしまったことを知らされ、どうすることもできない虚無感に襲われた。

 何か生きる目標が欲しい、自分のいっさいを捧げ尽くせるような目標がほしいと願った。しかし、おれはこれからいったい何のために生きたらいいのだろう ということばかり考えつづけていた。何もかもわからなくなって、二階で天井を見ながら横になっていると、下から、両親の心配そうな声、母親がすすり泣きながら、「お父さん、保郎は、きちがいになったのではないかしら」とつぶやいていた。それを聞いてたまらなくなり、トントンと二階から降りていって「ぼくはきちがいとちがう」とどなりつけてまた二階にかけあがり、身をもてあましてねころんだ。下から「あれがきちがいの証拠だよ」という声が聞こえてきた。

 だれも理解してくれないつらさ、淋しさ、どこにもぶつけていけないもどかしさ、私にとって苦しい毎日が続いた。

 このようないらだちの毎日を送っていたある日、一冊の書物にめぐりあい、むさぼるようにして読んだ。それは、「切支丹宗門史」というような題の本であった。キリシタンが、迫害を受けて、殉教していく記録であった。いっさいを神にささげきって死んでいくキリシタンの姿は、そのときの私にとって大きな光のように思えた。

 これだ、これだ、ここにこそ、自分の命を捧げるものがある、何度も何度も泣きながらそれを読むうちに、私の心は久しぶりに平静を取り戻し、初めて心の中が明るくなるのをおぼえた。喜びは爆発した。

 「おれはキリシタンになる!」…(「ちいろば」榎本保郎著8~11頁より  聖燈社 )

 

 このことがきっかけとなり、彼は同社大学の神学部に入ることになった。その後いろいろあったが、郷里の淡路島の教会に行くことになった。そこで彼が最も印象深かったのが、一人の老人であった。

 彼は榎本が初めて教会にいったときに、心をこめて祈ってくれた。そしてその老人が内村鑑三の本を多く持っていてそこから榎本も無教会に関心を持つようになったのであった。

 アシュラムには、祈りを深めることによってみ言葉を主から直接に受け、それとともに主の平安と力を受けようとする姿勢がある。厳しい迫害において通常では考えられないような力を与えられて耐え抜いた殉教者たちの力もまた、深い祈りとそこから与えられた神の言葉によるのであった。

 数百年昔の殉教者の証しが、現代においても、神によって用いられていることがわかる。

 

キング牧師ほか

 また、現代においてもマルチン・ルーサー・キングなどのような社会的活動をした人、対照的にまったくそうした外部の行動もできなかった、水野源三のような人もまた、神を神として生きた人たちである。

 キング牧師は、バスの座席の差別という日常生活にごく普通に行なわれていた当時の黒人差別の不当性を深く受け止め、そこから出発して、キリスト教信仰により、力を与えられ、非暴力によってそうした不正をなくすべく祈り行動を始めた。それが、次第に多方面のひとたちの共感を呼び、アメリカ全土を揺るがすような黒人差別を撤廃する運動へと発展していった。

 その過程において、爆発物が投げ込まれるとか命の危険にさらされることもあったが、神を神として生きるという精神を貫いて運動をつづけた。

 そのキング牧師が、晩年のころにとりわけ多く用いたのが、次の言葉である。

 

私たちは、必ず勝利するのだ。(We shall overcome.

 

 この言葉は、彼の晩年の演説に繰り返し用いられた。1965年になされた説教でも「We shall overcome. We shall overcome. Deep in my heart I do believe we shall overcome…」(我々は勝利する。私の心の深いところにおいて、私は、我々が勝利することを確信している)と語っている。

 さらに、暗殺される直前の1968年3月31日の日曜日の説教にも、この歌の主題である「We Shall Overcome…」という言葉を繰り返したほど、彼の魂に深く根ざし、励まし勇気づけた歌となった。(彼は、同年の4月4日に暗殺された。)

 そして、これが歌詞となった讃美歌は、キング牧師によっても歌われ、20万人が参加したワシントン大行進のときにもこの歌を歌い、また、 この歌は、現代の私たちにも、さまざまの苦難に直面しても、「あなた方はこの世では苦難がある。しかし、私はすでに勝利しているのだ」(ヨハネ福音書1633)という主イエスの言葉とともに重ね合わされ、生きた励ましの言葉として伝わってくる歴史的な讃美歌となっている。 

 

 また、キング牧師とは対照的なのが水野源三である。彼は、身動きできないし言葉も発することもできないという重度の障がい者であった。しかし、そのような状態のなかから、母親の助けがあってまばたきによって50音図を示して詩を書くという方法で次々と詩をつくっていった。

 それが次第に広く知られるようになって、前述の榎本保郎によって出版され、さらに多くのひとたちの魂に届くものとなった。

 現在も、彼の詩にいろいろな曲がつけられて、愛唱されている。彼のわかりやすく、真実な心があふれてくるような詩は、キリストを神として生きるところから生み出されたものであった。

 このように、広範囲の社会的活動へと導かれる人も、いっさいのそうした活動のできない重度障がいの人も、また、ローマ帝国や江戸時代、その他の世界各地でなされたきびしい迫害の時代にあっても―そうしたあらゆる時代、状況において神を神とする生き方、キリストを神としていきる生き方は、証しされてきた。

 

キリストが内に、私たちはキリストの内に

 神を、神として生きる―このことは、キリストの時代となってからは、キリストを神と同質であるから、主イエスを神として生きる、というように言い換えることができる。

 神とキリストが同一であることは、ヨハネによる福音書やヘブル書などの冒頭、あるいは、パウロ書簡(*)などにおいてもそのことが記されていることからみても、このことを否定するとか信じないということは、キリスト教の根幹にかかわる重要問題であることがわかる。

 

*)初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

  この言は初めに神と共にあった。

 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 …(ここでの言とは、イエスとして生まれる以前のキリストを指す。ヨハネ福音書1の1~3)

・御子(キリスト)によって世界を創造された。御子は、神の本質の完全な現れであって、万物をご自分の力ある言葉によって支えておられる。人々の罪を清めた後、大いなる方(神)の右の座につかれた。(ヘブル書1の2~3より)

・天にあるものも、地にあるものも、見えるものも見えないものも万物は御子によって造られた。万物は御子によって御子のために造られた。御子はすべてのものより先におられ、万物は御子によって支えられている。(コロサイ書1の16~17)

 

 もともと、日本語の旧約聖書において「主」と訳された言葉は、神の名であるヤハウェの訳語として用いられた。旧約聖書はヘブル語で記されているが(*)、そのヘブル語の聖書が読めなくなった人たちのために、ギリシャ語に訳された。

 それは、70人訳聖書と言われる。(**

 ヤハウェという神の名(ヘブル語)は、旧約聖書では6800回余りも使われている。このギリシャ語訳聖書では、その神の名を、(キューリオス kurios)というギリシャ語に訳した。日本語では、それを「主」と訳している。

 それゆえ、旧約聖書のギリシャ語訳聖書を読むものにとっては、「主」とはそのまま神を表していたのである。そして、新約聖書を書いた使徒たちが用いていた聖書(旧約聖書)は、そのギリシャ語訳聖書であった。

 それゆえ、新約聖書では、この主という言葉は、神と等しい存在であるキリストをも意味しているとともに、神とキリストの双方をひとつに融合させた存在として用いている箇所もある。

 

*)ダニエル書などの一部ではアラム語でも記されている。

 主が言われた、ということは、神が言われたということと同じ意味となる。

 **)紀元前3世紀中頃~1世紀という長期間にわたってギリシャ語に訳された聖書。

エジプト王の命令によって72人の学者が訳したという伝承によってこの名前がある。

 

 イエスが「主」である、ということは、日本語のように、主人のように敬うといった常識的意味とは大きく異なる。この点は、すでに述べたような「主(kurios)」という日本語訳だけをみていると全く分からない。

 キリスト者であるかどうか、それは、「口でイエスは、主であると公に言い表し、心で神がイエスを復活させたと信じるなら、救われる」(ローマの信徒への手紙10の9)という箇所を見るとわかる。

 ここで、イエスを主である、と告白するというのは、イエスは神と同じお方である、ということを告白することになるのであった。それほど、「主」という言葉は、現代の私たちの通常の言葉の意味とは異なる意味で用いられているのである。

 じっさい、最初の殉教者であったステファノは、石で打たれて息を引き取る直前には、復活して神と共におられる主であるキリストに対して祈った。(*

 

…主イエスよ、私の霊を受けてください。

主よ、この罪を彼らに負わせないでください。。(使徒言行録7の60)

 

*)原語は、エピカレオー。「呼ぶ」カレオーの強調形。新共同訳では、「主に呼びかけて」と訳しているが、神あるいは、主に対して「呼びかける」といった表現は聖書全体でも見られない。 現代の私たちも、みんなで祈ろうというとき、神に呼びかけよう、とは言わない。

 口語訳は「祈り続けて」と訳し、アメリカのプロテスタントの代表的英訳聖書(NIV、NRSV)は、次のように、いずれも、pray(祈る)を用いている。Stephen prayed, "Lord Jesus, receive my spirit (NIV) 。神に叫び、神に訴えること、願うことは、みな「祈り」である。

 

 このように、キリスト以降の時代においては、神を神として生きるということは、キリストを神として生きるということと同じでもある。

 そしてそのことが最も確実になされるために、主イエスは、天にとどまっていることなく、この汚れた地上に降りてきてくださった。

 それだけでなく、この罪多き私たちの心の中にまで来てくださった。

 このことは、キリストの弟子のなかで最も大いなる使命を与えられたパウロにとってもほかにかけがえのないことだった。

 それゆえに、彼は、次のように述べている。

 

 …生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられる。          (ガラテヤ 2の20)

 もし、神と同じキリストが私たちの内に住んでおられるなら、そして生きて働いておられるなら、私たちは自然にそのキリスト(神)に導かれ生きていくことになり、神を神としていきることになる。

 このことは、重要なことであるゆえに、別の手紙にも同様なことを繰り返している。

 

…どうか父(神)が、…信仰によってあなた方の心の内に、キリストを住まわせ、あなた方を愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。(エペソ書3の17)

 

 私たちのうちにキリストが住むならば、キリストは神であり、愛そのものであるから、私たちは愛によって立つ者となることができる。そしてそのような生き方こそ、神を神として生きることになる。

 そして、神を神として生きるとき、そこで与えられる祝福は、聖書の至るところで記されているが、旧約聖書の時代から、詩篇23篇によってもうるわしく描かれていて、それは、キリスト以降の時代に与えられる神の国、永遠の命を指し示すものとなっている。

 

主は わが羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを青草の原に休ませ

憩いの水のほとりに伴い

魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく

わたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときも

わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださる。

わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

命のある限り

恵みと慈しみはいつもわたしを追う。(詩篇23篇より)

 

 このように歩むことをなさしめたその根源にあるのは、生ける神であり、さらに、私たち一人一人の内に住んでくださるキリストであり、そこから語りかけられる神の言葉である。

 そのみ言葉とは、万物を創造する力を持つものであったゆえ、恐ろしい迫害にも耐える力を与えたし、そこから彼等はいつまでも続く希望、そして神からの愛を豊かに受けたのであった。

 そしてこのように、神を神として生きるということは、キリストが来られて以来、キリスト者すべてにおいて可能となった。

 キリストを信じたときから、キリスト者一人一人がそのようにして生きることへと招かれている。私たちは弱く、迷い込み、罪深いものであっても、なお、その弱さのただなかから、神を神として生きようとすることはできる。

 その弱さや罪を赦して、新たな力を与えようとしてくださる主イエスを信じて仰ぐだけで、それが神を神として生きる出発点へといつも立たせてくださり、導いてくださるからである。

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キリスト教が広まっていく過程と聖霊

 

 キリスト教が伝えられるようになったのは、復活したキリストが聖霊となり、神と同じ存在となって使徒たちに直接その力を与えたことが出発点にあった。その教えだけでは、広がることはなかったのである。そのことは、主イエスの教えや奇跡を見たり聞いたりしてきたはずのユダヤの人たちが、律法学者やファリサイ人たちの悪しき思いに同調し、イエスを十字架につけよ、と叫び、イエスを十字架にかけて殺すことに加担したことからもうかがえる。

 また、イエスの教えを身近に受けて、そのかずかずの奇跡などを十分に見てきた弟子たちも、イエスが捕らわれるときには、みな逃げてしまったほど、真理にとどまる力がなかった。

 このことは、単に教えを聞いたり不思議なわざを見たりするだけでは、真理につく力もなく、それを伝えることもできないのを示している。

 それをまったく変えたのは、聖霊であった。復活したキリストである聖なる霊が注がれてはじめて弟子たちは、命を捨ててでも福音を伝えるという力が与えられた。そのことは、使徒言行録の2~4章にくわしく記されている。

そして、福音が初めてアフリカのエチオピアの人に伝わったのも、また人の計画や意志ではなかった。

 主の天使が、フィリポというキリスト者に現れて、遠くエチオピアからエルサレムに礼拝に来ていたエチオピア人のところに行くようにと支持された。そのエチオピア人は、祖国に向っている馬車に乗っていたが、そのような揺れ動く馬車においてもイザヤ書を読んでいたほどに熱心を持っていた。

 そのとき聖霊が、フィリポに、「追いかけてあの馬車とともに行け」と言った。そしてフィリポはその通りにしてエチオピア人に語りかけたところ、彼はイザヤ書の53章を読んでいたが、そこに書かれていることの意味がわからなかったので教えてほしいと願った。フィリポが、それはイエスのことを書いてあると説明したところ、エチオピア人は、すぐに信じて、アフリカ人で最初のキリスト者が生まれたことが記されている。(使徒言行録8の26~40)

 ここでも、人間の意志や計画でなく、神が語りかけ、聖霊のうながしによってみ言葉が伝えられたのがわかる。(なお、エチオピアには、それ以後キリスト教が広まり、今日でも、国民の63%ほどがキリスト者だという。)

 つぎに、ローマ人にキリスト教が初めて伝えられた過程について聖書はつぎのように記している。

 

 ペテロは、ペンテコステのときに豊かに聖霊を受けて、命がけで福音を語るようになり、牢に入れられてもなお、祈り賛美を続けるほどであった。

 それでも、ユダヤ人の律法に記されていること―異邦人は汚れている、交際してはいけないという規定は守るべきものと信じていた。そのため、ユダヤ人以外にキリストの福音が伝えられるべきだなどという考えはなかった。今日では驚くべきことだが、ペテロたちは、異邦人がキリスト教徒になるなど、考えてもいなかったのである。

 こうした伝統にとらわれた宗教的信念を打ち壊すために、神はペテロに直接に啓示を与えた。それが、夢のなかで、ユダヤ人が食べてはいけないとされた汚れた動物―豚やいろいろな鳥類、昆虫なども含むあらゆる動物が見せられ、それらを食べよと命じられた。(使徒言行録10の9~16)

 それは、異邦人、世界のどんな人をも受け入れよ、福音はユダヤ人だけのものでなく、世界のひとたちに向けて贈られた賜物だという神の啓示だった。

 その直後、ローマの百人の兵を統率する隊長からの使いがペテロのところにきて、コルネリウスのところに来て福音を語ってほしいと依頼があった。

 そこで、ペテロは自分が見たばかりの夢に現れた啓示のことを語り、異邦人であっても区別なく福音は与えられていることを語り、キリストの復活を証しし、主イエスを信じるだけで救われるという福音を語った。

 コルネリウスは、この福音を受け入れ、使徒たちの宣教による最初のローマ人のキリスト者となった。このことがとくに重要であったため、使徒言行録では10章全体をつかって記述されている。

 その後は、わずか数十年という驚くべき早さで、広大なローマ帝国のうちにキリスト教は伝わっていき、ネロ皇帝が、全力をあげてキリスト教を滅ぼそうとするほどに多数のローマ人がキリスト教徒となっていった。

 この経過を見てもわかるが、異邦人であるローマ人に福音が伝わる最初のきっかけは、神が直接に働かれたのであった。

 キリスト教史上において、ユダヤ人以外の世界の人々に伝えることにおいて、神から特別にその使命を与えられたのがパウロであった。そしてそのパウロの書いた書簡が、新約聖書の福音書以外では多くを占めるほど彼のはたらきは大きかった。その彼が受けた啓示が聖書におさめられ、彼の死後も世界に絶大なはたらきをしていったのである。

 そのようなパウロがキリストの使徒となったのは、復活したキリストの直接の働きかけであった。

 キリスト教徒を捕らえようと国外にまで出向いて迫害の急先鋒となっていたパウロに、突然天からの光が照らし、彼は、キリスト教徒となった。

 それは、復活して神と同じような存在となっていたキリストが直接に「サウル、サウル」と呼びかけた。

 キリストを信じるために、何らの修業とか学問とか経験は必要でなかった。ただ、直接にキリストが語りかけ、天からの光を受けたということが決定的であった。そしてそれからのパウロの行動のために、聖霊に満たされることが必要であり、聖霊に満たされるようにというのが神のご意志であった。(使徒言行録9の1~17)

 そして、パウロが世界に福音を伝えようと出発したのは、彼自身の考えではなかった。

 キリスト者たちが、主を礼拝し、断食をしていたとき、聖霊が告げた。「バルナバとサウロ(パウロ)を私のために選び出せ。まえもって二人に決めておいた働きをさせるために。」

 その言葉にしたがって、人々は断食とともに祈り、出発させた。二人は聖霊によって送り出された。…(同13の1~4)

 このように、キリストの福音が伝わることにおいて、聖書では一貫して聖霊の重要性、生きたキリストの働きが強調されている。

 パウロが、みずからのことを、「人々からでなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと神によって使徒とされた」(ガラテヤ書1の1)と記しているのも、彼自身がその召命から、じっさいに異邦人伝道に遣わされるときや、遣わされてからの歩みにおいて、直接に復活したキリスト(聖霊)から命じられ、支えられ、導かれたことからこのような表現となっているのである。

 生きているのは、私ではない。キリストが私のうちに生きておられる。(ガラテヤ書2の20)というのが彼の実感であった。 

 こうしたキリスト教が世界に伝えられていく出発点における聖書の記述は、現在においても重要である。これは、キリスト者がだれもがその目標となるべきことであり、福音を伝えることに関しても、生きて働かれるキリスト、聖霊の働きを受けることがその中心になければならないことを示している。

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国のためにということ

 

 毎年8月は、平和に関するいろいろな番組や記事が掲載される。テレビニュースなどでも、「国のため」に命を捧げた人に対して慰霊をする、手を合わせるということがいつも報道される。

 とくに、靖国神社では、太平洋戦争を指導しておびただしい犠牲者をアジアの国々や日本にもたらした人たちも、含まれているのである。

 戦死した多くのひとたち、それは国のために死んだという。しかし、この「国のため」というのが全くことなる意味で使われている。

 本当は、国の指導者のまちがった判断のために命を捨てるようにされてしまったのである。「国のために」死んでしまったのである。

 一人一人が例えば最も基本的な農業とか水産業のような不可欠な仕事、あるいは、よりよいものを生産するために各々の会社、工場での仕事に励むこと、そしてそうしたことの根底にあるべき真理や学問についてより深く学ぶこと、そうしたことは、全体として国のためになる。国とは、そこに住む人々が中心だからである。

 医療、福祉、教育、それらと深くかかわる公務員の仕事、あるいはボランティア、海外での奉仕活動等々も国のためになる。

 しかし、まちがった方針で多くの国民を外国に駆り立てて戦争を起こし、数千万の外国の人々を殺傷し、家族の平和を破壊し、自国もまた多大の損害を被ることになった、そのような指導者が、国のために死んだなどということはあり得ない。

 国のために、重大な損害を与えた指導者を神、英霊と称して礼拝するということは、本来まったくまちがったことなのである。

 太平洋戦争の開戦前から、見識のあるひとたちは、アメリカと戦争をはじめても決して勝つことなどできないことは分かっていた。

 それに関連して8月に、次の記事があった。

 

…「戦艦大和」艦長などを務めた軍人が、昭和初期、アメリカ滞在中につけていた英文の日記が見つかった。それは松田千秋・元海軍少将で、その長男が遺品の中から見つけたという。

 そこに書かれてあったのは、次のようなことだった。

…アメリカは人も建物も大きく、食事に行っても食べきれないほどのものが出てくるなど、豊かさに驚き、実体験でアメリカの国情を感じていた。戦後は「アメリカは資源の豊かさや生産性など、日本とは比較にならないと思った」と振り返ったという。

 松田少佐は第2次近衛文麿内閣の直属機関で、開戦前の41年4月にスタートした「総力戦研究所」で指導的立場だった。諸外国の国力や国際情勢を踏まえつつ戦争のシミュレーションを行った。その結果8月、「日米戦日本必敗」の結論を下した。(毎日新聞8月13日)

 また、連合艦隊司令長官として知られる山本五十六も、アメリカで二年間ハーバード大学で学んだことから、アメリカと日本の国力の差があまりにも大きいことを思い知らされていた。それゆえに、アメリカとの開戦には反対であった。彼は、当時の近衛首相から、日米開戦の見通しを尋ねられて、「半年や一年は何とかなるが、2年~3年となれば全く確信は持てない。」と答えている。

 このように、少し洞察のある者ならば、広大な中国との戦争に膨大な兵力、エネルギーを注いでいるのに、そのうえ、アメリカと戦争をはじめても到底勝つ見込みはないのは明らかであった。

 そんな状態で戦争を始めることは、中国との戦争の犠牲者の上に、さらに、数知れない犠牲者を生み出すことは、冷静に考えればだれでもわかるはずのことであった。

 あの戦争でどれほどの害悪を中国のひとたちに与えたのか、また植民地時代にどのような圧迫を朝鮮半島のひとたちに与えたのか、そうしたことを、現代の日本の戦後生まれの人は、わずかしか知らない。そもそも学校でもほとんどそうしたことは歴史でも学ばないからである。

 いくら、口先で、先の戦争の惨禍を反省する、などといっても、その戦争の指導した人たちを、神として英霊と称して礼拝の対象として敬っているとあれば、反省などしていないと受けとられてしまう。

 最近、中国や韓国に対して攻撃する週刊誌や一部の新聞雑誌などが多く出回っている。しかし、そのようなことをして、日本自体や相手の国に対して どんな国のために良きことが期待できるだろうか。

 A級戦犯たちをも、神としてたたえ、優れた霊(英霊)だとして、歴代の多くの首相が参拝してきたこと、さらに、国民を代表する国会議員のなかでも重要な閣僚たちもしばしば一般の代議士たちと共に、靖国神社に参拝に行くということが、一番の隣国である中国や韓国との関係を正常化できない重要な原因となっている。

 1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀(*)されて以降も、大平正芳、鈴木善幸といった首相たちから最近の小泉、安倍首相など、6名が参拝している。

 このような原因を少しでも早く取り除き、平和の旗印となってきた憲法9条の精神を守ることこそが、真の平和のためであり、国のためになることである。

 

*)靖国神社に合祀されているA級戦犯は 14名。そのなかには、首相経験者として、東條英機、広田弘毅、平沼騏一郎、小磯国昭など。また、板垣征四郎、松井石根、永野修身など陸軍や海軍の大将であった人物が8名含まれている。

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北海道 瀬棚第41回聖書集会と札幌の交流集会に参加して 

   長野県千曲市 関 聡 

 

1.瀬棚41回聖書集会

 2014年7月17日~7月20日の午前まで、北海道の瀬棚の41回目の聖書集会へ主にある兄弟姉妹七名で参加させていただきました。瀬棚のこの集まりの最初の人、生出正実兄のお話によると、入植して今年で50年になるとのことです。

 1945年、戦後の瀬棚は、満州から追われ日本へ帰って入植された人々も多いと聞きます。ちょうどそれから20年ほど経って1964年、東京オリンピックがあった年、生出さんが瀬棚へ入植されました。1960年代は都市部での経済成長の誘いなどにより農業(酪農など)を諦め、離農する人々も多い中での入植であったと予想されます。入植された場所は全くの荒れ地であったそうで、何も無いところから始められました。その後、神様の導きによっておこされた人が、一人また一人と集められて、後に集会のできる場所が与えられ、今回の41回目の集会まで守られてきました。

 50年の歳月の神様の導きの中で、喜びや困難は私は知るよしもありませんが、瀬棚の利別教会の方々の祈りと隠れた実際の助けを通して、また生出さんに続いてその後入植された人々に連なる人々の祈りと実際の隠れた助けを通して、ここまで導き守られて来られことを宿泊先の野中正孝、明子夫妻のお話や皆さんの感話を通して知ることができました。

 昨年まで、40年もの長い間、生出さんの奥様の真知子姉が夏の聖書集会の北海道外からの食事などのお世話をしてくださったとのことですが、老齢化などのために、体調も十分でなく、去年でそれは終わることになり、よき会となるよう祈り願っておられたそうです。そのために、従来はファームステイは、一日だけだったのですが、今年から3泊が各農家でなされることになりました。こうして私たちも各農場への宿泊が与えられたことは感謝です。

 ここでの集会は驚いたことに、おもに酪農(米作の方もおられますが)を主体とされている方々の集まりですが、まさに「老若男女」の集まりです。お母さん(お父さん)におんぶに抱っこの幼い子どもたちもいれば、小学校の児童や祖父母の方もおられます。今回の集会の取りまとめをされて来られた野中信成兄も、ご自分で「継承」ということを強調されておられましたが、三世代が一緒に参加しておられました。

 申命記六・6~の聖書の言葉そのものがあります。神様の不思議な業を感じました。まさにアブラハム、イサク、ヤコブに対して与えられると誓われた土地に、神様イエス様がその中心で働いておられることを感じることができました。神様から導かれキリストにあって体が共に立て上げられ神様に感謝と賛美を捧げる実際そのものがありました。

 家に帰って妻に瀬棚の人々のそんな様子を伝え、「私達の子供をその農場で働かせてもらえたらいいね。給料無しでいいから。」と話しました。また無教会のひとたちと教会の方が一緒に集まる点も素晴らしいことと感じました。

 

講話内容 

 41回目の今回のテーマは「赦し」というテーマでした。徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄代表が、次の1~3の三回、利別教会の石橋隆広牧師が、一回お話されました。

 

1.講話「旧約聖書における罪の赦し」 

2.講話「詩編における罪の赦し」

3.講話「赦され、赦す 福音書とパウロ書簡による赦しと愛」(1~3 吉村孝雄)

4.講話「赦し」利別教会 石橋隆広 「私たちの最終到達点は神様の御国の完成が最終ゴール」

 

フリータイム

 三日目の午後のフリータイム、私たちは米作を中心としておられる横山兄に、瀬棚港と立象山、ご自宅の農園を案内していただきました。農薬を使わない米作の水田を見せていただき、自宅に面したブルーベリー園で、枝から直に摘み取り、たくさんいただきました。

 

主日礼拝

 瀬棚での最終日七月一九日(日)の午前は、利別教会での主日の礼拝でしたが、その説教として吉村孝雄兄が、「万物は新しくされる」(黙示録21の5)という主題で語られました。

 

2.札幌交流集会

 利別教会会堂の近くのバス停でバスに乗り、長万部で鉄道へ乗り継ぎ、引き続き二十日夕刻~二十一日午前、兄弟姉妹五名で札幌の合同集会へ参加させていただきました。二十日夜、北海道の方々が夕食会を準備して下さり、歓迎していただきました。

 二十一日のこの札幌交流集会は北海道にある札幌聖書集会、札幌独立キリスト教会、インマヌエル札幌キリスト教会、また旭川、釧路からも集められた合同の集会です。それに私たち北海道外からの五名が加わり、一緒に感謝と賛美み言葉の学びができました。

 各テーブルに置かれた、たくさんの美しい花に迎えられ、釧路から来られた岡田利彦兄の絵画も会場に展示してくださり、落ち着いた雰囲気でした。またM兄が90歳を超える年齢にも関わらず一緒に手話による賛美をされたことは印象に残りました。

 聖書講話は、吉村孝雄兄により、詩篇を通して、神の言葉の重要性について。

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 目に見えるエルサレムの神殿は歴史上で何回も破壊されましたが、私たちは永遠に神の宮(御国)に住むことが約束されています。

 パウロは私達自身が神の住まい、神殿であると言っています。(Ⅰコリント三・16)

 自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。         (Ⅱコリント六・16)

 また、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。

 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。(エフェソ二・21~22)

 人々の内にキリストの霊、神様の命が住まわれてキリストの体となると言っています。

 黙示録二十一・2では「新しいエルサレム」が神のもとを離れ、天から下って来ると言っています。

 私たちも、キリストにある集まりの中でこの幸いを感謝し賛美し、また周りの人にもこの神様の永遠のご計画を証しし伝えて行きたいと願います。

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ことば

 

(369)弱さと強さ

善き人は弱さや欠点さえ味方につける。自慢のたねが、わが身に害にならなかった者が一人もいないように、欠点がどこかでわが身のために役だたなかった者も一人もいない。

 われわれの強さは、弱さから生い茂ってくる。…非難を受けるほうが、称賛より安全だ。(「エマソン論文集」岩波文庫 268~269頁より )

 

・これは、次のパウロの言葉によって生まれたのがわかる。

…それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからだ。(Ⅱコリント12の10)

 私たちは、精神のより高きを目指すなら、他者からほめられることよりむしろ批判、非難されることによって傲慢から守られ、より真剣な歩みへとうながされることが多い。

 

(370)何かよきことを

力の許すかぎり、中断せずに何かよきことをすることは、絶えず神とともにあることと共に、この世での生活から与えられるいっさいのもののうちで、最も善い、人の心を満たすものである。(ヒルティ「眠れぬ夜のために」下巻3月7日」)

 

・何か良いこと―何らかのよき仕事をすること、それは病弱で仕事につけない人であっても、また定年で仕事がなくなった人においても、ベッドで寝たきりになった重病の人…そのような通常は仕事ができるとか、よい何かができるなどは考えられない、と思われるような場合でも、なすことができる。

 それが、祈りという仕事―よきはたらきである。

 それは、健康で通常の職業について働いている人にも言える。神を仰ぎつつ、主にあって仕事に従事するということである。主にあって、それは主の霊に浸されつつ、ということであり、主からたえず善きものを注がれつつ、物事をなすということである。神のそば近くにあること―神とともにあることによって、そのような絶えざるはたらきをなすことができる。

 

(371)イエスを見いだす

 あらゆるものにイエスを求めるならば、必ずそこにイエスを見いだすことができる。

 だが、あらゆるものに自分自身を求めるならば、あなた自身を見いだすであろうが、そのために滅びに至る。(「キリストにならいて」第2巻7章2 岩波文庫)

 

・キリストは、ヨハネによる福音書やヘブル書の第1章などに記されているように、神であり、神とともにあったお方であり、万物の創造者でもある。

それゆえに、キリストは万物のなかに刻印されている。それゆえに、真剣に求めるならば、イエスに出逢う。健康のときも病気のときも、人からほめられてもけなされても、あるいは苦しい常にキリストを求めるとき、そこで出逢うことになる。 野の花や大空、夜空の星々、秋の夜の虫の歌声等々のなかにも、それらを見つめるときには、そこにそれらの自然の根源にあるものとして、キリストを見いだすに至る。

 

(372)海のような恵み

 使徒パウロは繰り返し言った。

 我々の神は愛の神だ。お前は、海のほとりに経っていくら石を投げ込んだところで、海の深みを満たすことができようか。

 キリストの恵みは海のようなもので、石が深淵に沈むように人間の罪やとがは、その中に沈む、と言いたいのだ。

 また、山も海も覆っている空のようなもので、それは至るところにあり、限界もないと言いたいのだ。

(「クォ・ヴァディス」シェンキェヴィチ著 岩波文庫 下巻235頁)

 

・この「クォ・ヴァディス」という作品は、 1895年発表。著者はポーランド人。50以上の言語に翻訳され、著者が1905年にノーベル文学賞受賞につながったと言われる。この題名は、ラテン語で、「(主よ)どこへ、行かれるのか」という意味。この作品の終りに近い部分で、厳しい迫害のもと、ほかの多くの弟子たちからこのままでは殺されてしまうからほかのところに逃げて、そこで福音を伝えてほしいとの願いにより、ペテロはローマを去っていく。そのとき、街道の途上で、復活のキリストが現れ、どこかへと行こうとされていた。ペテロは、「クォ・ヴァディス ドミネ(どこへいかれるのか、主よ!)」

と 叫んだ。主は言われた、「お前が、私の民を捨てて行こうとするゆえ、私はローマに行って再び十字架にかけられるのだ」 …。この記述は、新約聖書続編に含まれるペテロ行伝の中に記されている。

 このペテロ行伝は、キリストの死後150年ほどに書かれたとされる古くからの文書である。(「新約聖書外典別巻3・新約1155頁」講談社刊)

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編集だより

 

○前月号に報告を書きました、北海道の瀬棚聖書集会と札幌交流集会に関して、参加された一人であった関 聡兄が書かれた感想などを掲載しました。

 各集会での聖書講話の要約なども書かれていたのですが、それらは編集の都合上、掲載できませんでした。

 

来信から

○…先に「エフェソの信徒への手紙」のCD(*)を手にして、まだ14回目を聞いた途中ですが、信仰の初めの段階で書いたものではなく、パウロの晩年の手紙の内容に、信仰の究極の姿が示されていることを知りました。学ぶこと少なく、今にして初めて知る感動です。

 改めて、吉村先生の聖書講話を通して、福音を学んでゆきたいと思って、購入の申し出を行った次第です。

 そして、知人に教会に籍があった人ですが、その後いろいろの事情で久しく礼拝を守ることができなかった人に勧めたい思いを持ち、それにはまず福音書がいいのではないかと思い今回手にした次第です。

 イザヤ書の聖書講話は、まず私の学びに使わせて戴きたいと思っています。(近畿の方)

 

*)吉村孝雄の聖書講話シリーズに含まれる。MP3版CDで3巻 52回の講話=約30時間。価格は 1500円。(送料込)これを聞くためには、MP3対応の機器が必要。現在の製品で一番推薦できるのは、ソニー製のCDラジオ(ZS-E20CP)で、価格は五千円前後。

 

・パウロの手紙と言えば、まず「ローマの信徒への手紙」が、思い起こされるのですが、それ以外の書簡は、ガラテヤ書がそれに次いで取り上げられることが多いと感じます。

 しかし、エペソ書、フィリピ書、コロサイ書などは、あまり力を入れて読まないというキリスト者が多いのは残念なことです。

 聖書講習会や特別集会でも同様で、これらの小書簡の重要性が残念なことによく知られていないと言えます。

 

○…(7月下旬の集会での)お話しは大変説得力のあるものでした。聴覚や視覚の乏しい人に何か伝えることの難しさ…を語られましたね。

 その後で、ほんのひと言だったと思いますが、「神の言葉が分からない人は、聴覚の障がいがあってまだ言葉の分からない人と同じで、何かちょっとしたきっかけで急に解るようになる。」(*

 このたとえ話は、実に良く理解できました。私にもいつか神の声が聞こえてくると良いのですが、今のところ、自分流の理解をしています。…

 お話しの仕方は、昔、基督教独立学園が学んでいた頃、当時の鈴木校長が語ってくれた聖書の言葉に似ていました。多くの知識のなかから、導き出した解釈でした。…当時の私は聖書に関心がなく、校長の語る言葉をほとんど覚えていません。今となっては本当に残念なことをしたと思っています。…(東北地方の方)

 

*)私(吉村)が聴覚障がい者の教育にかかわっていたとき、一人の特別に言葉がわからないろうの子供を(教科でも教えていなかったけれど)、私が申し出て、周囲に一度その児童の教育を特別に受け持たせてもらったことがありました。ほかの子供たちとは、あまりにも差が大きく、ほとんど言葉がわからない状態で、ほかの子供はみなわかっている言葉の意味も解らず―例えば遊ぶとか学ぶ、読む等々の基本的な言葉もわからず、曜日や、一日という概念がどうしても解らず―これらの言葉は、目に見せて示すことができないために、担任の教師もそれを解らせる方法が見つからず、当時は手話を禁じていた状況であり(したがって担任も手話は使えず)、そうした手段もいっさい使わずに放置してあるという状況だったのです。 1~2ヶ月にわたって、手真似、手話も使い、いろいろな手を尽くしてやってあるとき その子供は、「曜日」という意味がわかり、目に見えないものに言葉がある、ということに気づいたのです。それからぐんぐんとその子供は成長しはじめたということがありました。

 

○「天からの風」…神からの風は予想もつかないというところに吹く。

 自然―海や山に近づくほど、神の存在を感じる一方、人間関係が近くなりすぎると天からの風は遠のくことを実感します。 だから自分のまわりを神の風が通りやすくしておくことを忘れないようにしようと思います。(近畿の方)

 

○8月号の「人と人との間に、神の風を吹かせよ」とはとても教えられる言葉です。真実な交わりを持つためには、不義な私たち、真実な方を通して交わるしかないということだと思います。

…たとえて言うなら、僕は、花を咲かせる泉が与えられたことよりれ、ようやく咲いた花のほうを大切にしてしまったのです。

 花は一時咲いてもまた枯れます。僕は、花のことばかりを気にして、肝心の泉のことをおろそかにしていました。

 その花を咲かせるためにどれほどの犠牲をはらってくださったかを忘れ、与えられた喜びを自分の楽しみのために使おうとしました。

…救い主イエス・キリストによって与えられた泉から湧く水は、ただの水ではなく、尊い血潮だと思います。…

 たとえ闇の力にしり込みして逃げ帰っても、イエス様はすでに世に勝っておられます。

 どうしょうもない弱さとみじめさの中から引き上げてくださった神の愛は、何度でも絶望の中から引き上げてくださると信じます。

 そしてその度に新たな力を与えてくださり、完全な者へと導いてくださると思います。

 救われてなお罪人であり、弱さを抱えた者を生涯にわたって導かれる主に望みをかけ続けようと思います。(関東の方)

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お知らせ

 

○祈りの友・合同集会

日時…9月23日(火)休日

午前11時~午後4時。

・場所…徳島聖書キリスト集会

申込は、吉村孝雄まで、電話、FAX、メールなど。

10月の阪神方面での吉村孝雄が聖書講話を担当する集会

・阪神エクレシア 1012日午前10時~12時。神戸市元町駅近くの兵庫県私学会館。問い合わせ 電話 078-578-1876(川端)

・高槻聖書キリスト集会…同日午後2時~4時 高槻市の那須宅。電話0726937174

 

○無教会全国集会 10月4日(土)~5日(日)千葉市にて。問い合わせは、小舘 美彦(電話045-489-9026

○貝出 久美子詩集…追加の申込の場合、送料込で、一冊200円でお送りできます。

○聖書講話CDの録音不良の場合

 聖書講話CD(吉村孝雄)の中に、聞きづらいもの、再生されないものなどが、一部に生じる場合があります。

 お手数ですが、そのような場合は、例えば ルカ福音書CDの第○○巻が正常に聞こえないというように、メール、電話、ハガキなどで吉村までお知らせください。代替品をお送りします。(この場合は、費用は不要です。)

 

○9月の移動夕拝は、いつもの第四火曜日でなく、第五火曜日の30日に、板野郡藍住町の奥住宅です。