「いのちの水」 2015年9月号 第655号
2015年9月10日発行
まことに、あなたは弱い者の砦、苦難に遭う者の砦。…死を永久に滅ぼしてくださる。神はすべての涙を抜くってくださる。(イザヤ25の4~8より) |
内容・もくじ
ただ信じ、祈る | 主の平和 |
マルタとマリア―神の言葉 に聞くことの重要性 | 日本はどこに向っているのか(キリスト者平和の会 における講演) |
北海道からの帰途における 集会(その2) | お知らせ |
編集だより | 徳島聖書キリスト集会案内 |
私たちがいかなる時代状況、またどのような個人的に苦しい状況に陥ろうとも、なしうること、またなさねばならないこと―それが、ただ信じ、祈ることである。
聖書という書物は、このことを二千頁を超える分量のなかで繰り返し語り続けてきた。
旧約聖書のモーセやアブラハム、そして預言者や詩篇の作者たち―それらすべてに共通している力の秘密―それはこの単純なこと、ただ信じ、祈ることであった。
何もできないときでも、この二つのことはできる。
いかに考えられないような不幸が生じても、天災異変が起ころうとも、この二つは私たちの志さえあればできる。
…私を仰ぎ見よ、そうすれば救われる。(イザヤ書45の22)
救いは、遠いようで実は近い。艱難辛苦を重ねても、またいかに学問追求や世界を旅して探求しようとも、あるいはどのような音楽や技術の才能を与えられても、だからといって救いに近くはならない。
またいかにお金や財産、この世の地位があろうともそれでもやはり救いは近くにはならない。
ただ全能と愛の神、そして真実な神を信じ、仰ぐこと、言い換えれば祈ること、そこに救いがある。
主イエスも、娘が死んでしまったという知らせを聞いて、その身内の者に言ったのがこのことであった。
…「恐れるな。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。(ルカ8の50)
現代の私たちにおいても、たとえ死に瀕しているような状況となってもなお、主イエスはこのように呼びかけておられる。
恐れるな、ただ信ぜよ、あなたは救われるのだ―と。
そして神の全能と愛を信じた上で祈ることが求められている。
主イエスは、多くの人たちに囲まれて一人静まって祈ることが難しい状況がしばしばであった。
そのようなとき、一人山に登って祈られた。
…そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。(マタイ14の23)
自分の周りに群がる無数の悩める人たち、飼う者のない羊のような状態でさまよっている人たちのために、イエスがなさったことは、祈りであった。
重い病気や体の障がいなどで苦しむ人々をいやすための力もその祈りによって求めておられたであろう。
さらに、祈りによって直接に出会う人たち以外の人々に、直接神の御手が伸ばされて力が与えられるようにと祈ったと考えられる。
…わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22の32)
弟子のペテロに対して言われたこの言葉は、現代の私たちへの言葉でもある。
キリストが復活されてから聖霊となられ、その聖霊は力を込めて私たちのために祈ってくださっている。(ローマの信徒への手紙8の26)
…何事も思い悩むな。ただ、万事において、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めることを神に祈れ。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平和が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守る。(フィリピ書4の6~7)
キリストの時代、さらにはるかその昔から、人間は争いを続けてきた。それが大規模となると領主同士の武力攻撃となり、また民族同士の戦争、国家の戦争―とさまざまの武力による戦争が繰り返されてきた。
しかし、そうした間にも、神の与える内面の平和、主の平和は途絶えることがなかった。戦い、騒乱のただなかにあっても壊れることがないほどに強固な主の平和を持ち続けた人たちが無数にいる。
それは、その混乱のただなかに、聖なる大路を見た人であり、荒廃のただなかに、神の力によって水が流れ、花咲く大地を見た人である。
… 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。…
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
そのとき 荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。…
そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれる。(イザヤ書35章より)
本当の平和を妨げている悪の力は、必ず時至れば滅ぼされる。
いかなる荒野であっても、そこに神の水が流れだすようになる。
こうした通常の考えでは思いもよらないことが、いまから2700年ほども昔に啓示されていたのは驚くべきことである。
後に、主イエスが、「この世が与えるような仕方で平和を与えるのではない。私の平和(平安)をあなた方に与える。」と言われたが、その主の平和を霊的にそのはるか昔に表現しているのがこの預言者イザヤが神から受けた啓示であった。
私たちもまたこの、いかなる社会情勢によっても変ることがなく、どのような権力もこわすことも改変することもできない主の平和をしっかりと与えられて歩みたいと思う。
聖書のなかで、よく知られた箇所の一つが、マルタとマリアという姉妹と主イエスとの短い記述である。
…一行が歩いていくうち、イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ福音書10の38~42)
この箇所は、女性二人(*)と主イエスの三人だけの対話となっている。「一行が歩いていくうち…」とある。原文は、代名詞であり、彼らが歩いて行くとき…。それにもかかわらず、この箇所では、マリタとマリアの姉妹とイエスだけの対話になっている。他の弟子たちは、どうしていたのだろうか。この三人の対話をじっとそばできいていたものと推察される。
(*)しばしばマリアが妹で、マルタが姉というように受け取られているが、原文は アデルフェー adelphe であり、英語でいえば、sister であって、妹も姉も指す言葉である。それゆえに、どちらが姉であったかもはっきりとはわからない。
それで新共同訳では、マリアという「姉妹」と訳しているが、口語訳、新改訳では、「妹」と解釈されてそのように訳されている。
周囲には「一行」とあるように、12人の弟子たちがいたと思われるが、記述の焦点はイエスと二人の姉妹にあてられている。
少なくともイエスと12人もの人たちをもてなしするには、それなりの準備が必要である。そのことでマルタは頭が一杯となっていた。そしてそれにもかかわらずじっとイエスのそばで話に聞き入っているマリアに対して怒りとか妬みなどの混じった不満がむくむくとふくらんできた。
そして、その不満をマリアに対してでなく、イエスに向ってぶちまけた。マリアが自分だけにもてなしをさせているのを何とも思わないのか、なぜマリアにも手伝うように言ってくださらないのか―と。
主イエスに聞くことは大切だが、なすべきことを実行することも大切だ。両方大切だ、などと言われる。そういうことだけなら、ごく当たり前のことを言っていることになる。
しかし、ここでは、この記述の最後に、主イエスが、「必要なことはただ一つである。」と言われた。必要なこと―なくてならぬものとは何であるのか。
それは、主イエスに聞くこと、言いかえると神に聞くことである。
これは単に家庭の中の問題のような小さなこと、あるいはさきほど述べたような聞くことも行なうことも大切だといった常識的な教えを言っているのでない。
必要なものはただ一つだけ―この言葉はなんと意外なことであろう。
必要なこと―それは誰にでも問いかけてみれば、限りなく出されるだろう。健康、よい家族、住むためのよい家、お金、食べ物、友人、仕事、衣服、よい政治、よい教育、平和な社会…等々。
こうした必要を満たそうとして人間はさまざまの努力をしている。
どんな人でも、必要なものはただ一つだけ―などということは考えられない。その考えられないことを、主イエスは言い切っておられる。
マルタはそのなくてならぬもの―必要なただ一つのものをしっかりもっていなかったゆえに、主イエスに対しても、妹に対しても不満を抱き、自分自身も平安を保つことができなくなったのであった。
なくてならぬもの―必要なただ一つのもの、それは神の言葉に聞くということを主イエスは永遠のメッセージとして言われたのである。
聖書を見るとき、このことは聖書の最初から、重大な問題として現れる。
み言葉によって天地創造がなされたのであり、そのみ言葉を聞くことは、天地創造の力に触れさせていただくことにつながる。
それゆえ、そのような力あるみ言葉に従わずに意図的に背くことは、そうした大いなる力を受けられず、祝福からはずされていく。
エデンの園において、アダムとエバは、よき食物、水など、豊かに恵まれた状況を与えられていたが、園の中央に置かれた 「あらゆることを(神抜きで)知る木」(*)の実は食べてはならないと言われたにもかかわらず、その実を蛇に誘惑されて食べてしまった。
(*)「善悪を知る木」と訳されているが、原語のヘブル語では、道徳的善悪という狭い意味の言葉でない。善と訳された原語のトーブ については、愛すべき、祝い、美しい、麗しい、かわいらしい、貴重、結構、好意、幸福、好意、高齢、ここちよい、財産、好き、親しい、幸い、親切、順境、親切、正直な人、善、善人、宝、正しい、尊い、楽しむ、繁栄、深い、福祉、ほめる、まさる、恵み、安らか、愉快、豊か、喜ばす、りっぱなど驚くほど多くの言葉に訳されている。
悪と訳されている「ラァ」についても、悪、悪意、悪人、悪事、痛み、いやな、恐ろしい、重い、害、害悪、悲しげな顔、危害、逆境、苦難、苦しい、苦しみ、汚れた、そしる、つらい、悩み、罰、破滅、不義、不幸な、滅び、醜い、物惜しみ、悪い、災いなどやはり数十種類もの訳語があてられている幅広い意味をもった言葉である。それゆえ、「善悪の木の実を食べる」とは、「(神を抜きにして、神に背を向けて)好ましいこと、好ましくないことなどの総体―あらゆることを知る」という意味になる。 従来の訳のように、善悪を知ることを禁じたということになると、こうした神の言葉も善なのだから、神の言葉を知ることもいけないという不可解なことになってしまう。その点は英語の good や evil などは、善と悪という狭い意味でなく、さまざまの意味をもっているからより、ヘブル語のニュアンスに近くなる。
神の言葉に聞く―そのことに従わなかったがゆえに、アダムとエバは楽園を追放された。そしてその結果として、初めての彼らの家族に悲劇が生じたといえる。それは彼らの子供のカインがアベルを妬んで突然打ち殺してしまったということである。
この神話的な表現で書かれていることは、じつに意味深い。それは人類の今日までのあらゆる悲劇とその根源にある問題を見通しているからである。
人間の根本問題、それは神の言葉に聞こうとせず、人間の言葉、人間の思いや感情にまず従ってしまうということである。
戦争も個人の間で生じる憎しみや地位への渇望、名誉心、優越心、差別的心情―そうしたものが多数の人間を巻き込んで生じるものであり(どこの国でも長い歴史でしばしばみられる国内でのさまざまの武力衝突、戦い等々)、さらには国家的、民族的規模で肥大したものである。
神の真理の言葉に聞かず、人間の内部の肉的な声に従ってしまうとこうしたことが生じる。
そうした中で、暗夜に輝く星のごとくに、神の声に聞いた人、そしてその声に従っていっさいを捨てて歩んでいった人があった。
それがアブラハムである。
… 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。(創世記12の1~2)
アブラハムは、この主の言葉を聞き、じっさいに従っていく力も与えられて旅立った。そしてそこからこの約束の通りに祝福が与えられていった。その祝福は、アブラハムの信仰の霊的子孫としてキリストが生まれ、そのキリストを信じて救われる人たちは、全世界に及ぶことになった。
それらすべての出発点は、主イエスが言われたこと―ただ一つの必要なこととしての神の言葉に聞くことであった。
この聞くということの重要性は、申命記においても繰り返し記されている。
…もし私が今日あなた方に命じる戒めに、あなた方がひたすら聞き従い(*)、あなた方の神、主を愛し、心を尽くして、魂を尽くして仕えるならば季節季節にあなた方の土地に雨を降らせる。…
あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。 (申命記11の13~27より)
(*)ひたすら聞き従い …原文では、「聞く」という言葉を二回重ねて使うという強い表現となっている。不定詞にあたる形と、未完了という形である。その強調された意味をうつすために、新共同訳では 「ひたすら」という語を原文にはないが付け加えて訳し、さらに、「聞く」というふつうの動詞だが、特別に使われているために 「聞き従う」と、訳されている。
申命記には、神の言葉に聞くということが次のように繰り返し強調されている。
…聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6の4~5)
主イエスが最も重要なこととして言われたことも、申命記で語られていることをそのまま引用されたのである。モーセが神より受けたこと、「聞け、イスラエルよ!」という言葉を主イエスはそのまま当時の人々に対して言われたのであるし、またそれ以後の二千年の間の無数の人々に対しても、つねに、「聞け、私を信じる人々よ!」との呼びかけを続けてこられたのである。
…イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』(マタイ福音書22の37~39)
このように、聖書の冒頭から 根本的に重要とされていること―神の言葉に聞くということを、主イエスは、マルタとマリアの姉妹の家を訪れたとき、驚くべき簡潔な言葉で言われたのだった。
神の民であっても、主のみ言葉を聞こうとしないときには、失われ、滅びていく。イスラエルは北部の領域を指していうが、それが神に聞こうとせず、王も民も人間の思い、欲望などに聞いたために、そのさばきとして、すでに言われていた神の言葉が成就したのであった。
残された南部のユダ王国もやはり同じ理由―み言葉に聞こうとせず、人間や神でないものを神としてあがめるなどをしたために、滅んでいった。
そうしてそれから500年以上も後、主イエスが地上に来られた。そして みずからが神ご自身と一つであることを示しつつ、一般の民衆に神に聞くこと―それはイエスに聞くことと一つであることを教えた。
そして、神の言葉とは、書かれた聖書の言葉だけではない。私たちに聖霊が語りかけることも、さらに直接的な神の言葉である。使徒パウロは、直接には十字架で処刑される前のイエスと出会ったことは書かれていない。しかし、聖霊となったキリストをわが内に持っていたゆえに、その内なるキリストから豊かに語りかけ―神の言葉を受けたのである。
…生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。(ガラテヤ書2の20)
それゆえに、パウロが書いた書簡が神の言葉として二千年もの間、世界をうるおしてきたのであった。
ローマ帝国の時代、広大なその帝国に火が燃え上がるように各地でキリストを信じる人たちが厳しい迫害にもかかわらず広がっていったのは、無学な奴隷など社会の底辺に苦しむ人たちにおいてであった。彼らは書かれた聖書を持っていたという人はごく少なかったし、文字の読めない人たちも多くいた。
それにもかかわらず、彼はは神の言葉をしっかりと与えられていた。それはパウロがそうであったように、生けるキリスト、聖霊となったキリストから与えられていたのである。
「私の内にとどまれ、そうすれば私もあなた方の内にとどまっている」(ヨハネ15の4)
繰り返しヨハネ福音書で強調されているこのこと、それはキリストが私たちのうちにとどまってくださるときには、そのキリストから内なる声としてみ言葉を直接に聞くことができるからである。
さらに、私たちは日毎に新たな周囲の自然からも、神の言葉を聞き取ることが与えられている。霊的な耳、肉体の耳とは別の聞こえることのない響きを聞き取る耳もまた、与えられる必要がある。そのときには、すでに主イエスよりはるか昔に言われていたことが与えられる。
…天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向う。(詩篇19の2~5)
旧約聖書の預言者たち、それは書かれた神の言葉は持たなかったが、豊かに生きて語りかける神からの言葉を直接に聞いた人たちであった。
数千年の昔から、この詩篇の作者が聞き取ったように神の霊的な言葉は世界に響いているし、また霊の耳を与えらるとき、現代の私たちもまた静かなる細き声を聞き取ることが与えられている。
主イエスは、「天地は滅びる。しかし私の言葉は決して滅びることがない」と確言された。(マタイ24の35)
今日の無数の人間の言葉がはんらんする時代にあって、惑わされないで御国への道を歩むためには、何より必要なもの―なくてならないただ一つのこと、それは神の言葉に聞き入ること、そこから神の力を受けていくことである。
日本の今後に重大な影響を与えることにつながるのはいろいろとある。
憲法9条の解釈を変更して、集団的自衛権を用いること。それによって他国がはじめた戦争に加わることになって、それは相手国から日本への攻撃を招く―すなわち戦争となる状況を生み出す。
軍備の費用を増大させ、多くの兵器などを持っていく。それによって周囲の国々も武力装備を増大させ全体としての危険性が高まる。またそうしたことが日本へのテロの危険性を増大させる。
原発を再稼働させることで、核廃棄物が生み出される。その核廃棄物は、10万年どころか100万年も管理が必要となるという。(私はこのことを2011年夏に柏崎刈羽原発を訪れた際、直接その副所長から聞いた)
再稼働させないなら、新たな核廃棄物は生じない。
(*)ストロンチウム90(半減期28.8年)セシウム137(30年)という比較的半減期が短いものもあるが、アメリシウム241(430年)、ヨウソ129(1570年)プルトニウム240(6564 年)、プルトニウム239(24000年)セレン79(6万5000年)、ジルコニウム93(153万年)、セシウム135(230万年)等々。半減期が 10万年以上のものも多く含まれている。
日本における原発は、以下の特殊事情があるだけに一層危険となる。
それは、火山、津波、地震が多い。
人工稠密。原発から200キロ程度のところに関東、札幌、静岡、京阪神、福岡…等々人口の多い大都市はみな、原発から200キロ程度の距離でしかない。
憲法の解釈を変更し、集団的自衛権を使うことによって他国の戦争―イラク、イラン、石油地帯などとの紛争があったとすると、日本はテロを最も効果的に行なうことができる可能性が高いがゆえに、危険はさらに高まる。
原発と集団的自衛権の行使、テロなどが深く結びついている。
だが、日本の前途が危険になっていくのは、この二つだけではない。
戦前はこの二つ―原発もなかったし、憲法9条もなかった。しかし、滅びへと突き進んでいったのは、何が原因であったのか。それはさまざまのことがからんでいる。そのなかで、ここでは、とくに宗教的要因について考えたい。
それは、人間を容易に神とする宗教性である。本来の神道と、明治以降の国家神道とは異なる内容をもっている。国家神道は、伊勢神宮を全国の神社の頂点に置いた。伊勢神宮は天皇の祖先だと称する天照大神をまつっているため、天皇をも現人神として絶対的な存在として国の最高の支配権を持たせることとかかわっている。 しかし、古代からの神道は、キリスト教のような教典というべきものはなく、漠然とさまざまのものに、霊的なものがやどっているとするものである。
国家神道は何でも神とする神道がもとにある。それゆえに天皇を現人神とし、また残虐な殺人をしたような軍人もみな すぐれた霊―英霊として神々の仲間に入れ、礼拝の対象としてしまった。
そしてそれが太平洋戦争を推進する道具とされた。
また、そのような悪しき人間をも英霊と称して礼拝をささげるということが、国民の代表である国会議員の多数によってなされているし、首相みずからそのような礼拝をしている。
このことが、中国や韓国で侵略を受けたり、差別的扱いを受け、また日本の神社参拝を行なわなかったということだけで、ひどい迫害を受けるということがあったその国の人たちの心に痛みを与えつづけることになっている。
人間にすぎないものを現人神であるとし、その天皇の言葉は神のごとき絶対的なものだとして、そのような存在が日本を誤らせ、おびただしい人々の命を奪うことになった。
この人間にすぎない天皇を神としてあがめ、礼拝させるということは、近代では世界に例のないことである。支配者を神として礼拝させるというのは、旧約聖書のダニエル書、そして旧約聖書の続編であるマカバイ書に詳しく記されている。
それは紀元前165年ころのアンティオコス・エピファネス四世のユダヤ人迫害のときに書かれた文書である。
また、その後のローマ帝国の時代においても、皇帝を神として拝めという命令がなされ、それにしたがわないものは殺害された。
このような人間を神として礼拝を強制することは、二千年も昔のことであって、近年ではまったく見られない。
王が自分の権力は神からいただいた、ということはある。そのことと、自分は神であり、礼拝せよ、と強要するのとは根本的に異なることだ。
このようなことから、明治政府は、キリスト教迫害をつづけた。キリスト教は皇帝や天皇を神として礼拝しないからである。
明治の時代になったその年、政府は「五榜の掲示」(*)と称するものを国民に示した。
明治維新政府による庶民政策を示す五条の太政官高札。慶応4年(1868)3月15日、五箇条の誓文発布の翌日掲示。五倫の道の勧め(**)、徒党・強訴・逃散の禁止、キリシタン・邪宗門の禁止、外国人殺傷暴行の禁止、士民の本国脱走禁止の五条。
(*)榜(ぼう)とは、立て札の意で、五つの内容を記した立て札。
(**)五倫とは、基本的な人間関係を規律する五つの徳目。すなわち親子、君臣、夫婦、長幼、朋友のあり方。
このように、日本の将来は、憲法の改悪、原発の再稼働、そして人間やさまざまのものを神として崇拝する宗教性が政治の世界にも色濃く入り込んできつつあることなどによって大きな影がかかろうとしている。
私たちは、このような現状を前にしてどう考えたらよいのか。
これらのうち、日本だけに特別に存在する問題が、天皇制・神道からくる問題である。
神道のもとになっている神々はいかなる存在なのか、それは古事記を見るとわかる。とくにその最初の部分に記されている、天照大神や素盞鳴尊の行状をみると、そのような神々は、永遠の正義や清さ、また愛といった存在とは根本的に異なる存在であるのがわかる。
万葉集にも天皇を現つ神として歌うもの数多くある。柿本人麻呂は「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬(いお)りせるかも」と歌っている
このように、人間も含めて、変ることのない正義、真実、愛といったものを持たないものが神々として崇拝されるということになると、その変わらない正義、愛、真実に反することを罪というゆえに、罪のことがあいまいとなる。
太平洋戦争の開戦や終戦の最終決定をする権限は天皇にあり、その意味で最高責任者は昭和天皇であったのに、何らの処罰も受けなかったこと、国民のあいだからもほとんどそうした意見が出なかった。
一般の会社や官公庁その他の組織において、その最高責任者たる社長や代表者の最終決定で重大な決断がなされ、それによって大きな悲劇が生じたり、致命的な損害が生じたなら、当然その社長や代表者は処罰され、退任することになるであろう。
しかし、日本の場合、天皇によって太平洋戦争がはじめられ、終結の決定がなされたにもかかわらず、天皇という地位の退任もなければ処罰もなかったということは、一般的に考えても異例中の異例な出来事であった。
それは日本人の天皇を崇拝するという宗教性を利用して、敗戦の種々の混乱をはやくおさめたいというアメリカの意図もあったと言われているが、そのような責任を問わずとも何も問題が国内から生じないとみなされたのはまさに天皇は現人神だと信じ込まされてきたゆえの心情が日本人に深くしみ込んでいるからであっただろう。
また、原発の大事故に関しても、それを推進してきた政治家や科学者等々の明確な謝罪といったこともなく、処罰もなされないことがある。
それが、原発があれほどの事故を起こし、現在もなお問題はまったく解決していないにもかかわらず、再起動させていき、海外にも売り込もうとしていることにつながっている。
この点でドイツが、日本の原発事故のあと驚くべき短期間で、原発の廃止を決定したのと対照的である。それはドイツにはキリスト教の指導者もふくめた会議が長時間なされ、子孫への犯罪となることをとくに重視されてそのような決定となった。 このようにキリスト教の真理に基づくときには、おのずから罪の認識が深くなり、あるべき正しい姿からいかにはずれているかが明確となる。
しかし、日本の神道的な発想ではそれがない。
現在の憲法9条の解釈変更はとくに自民党によって主張されてきたが、憲法そのものの改悪も、自民党は以前から主張している。
そうした自民党の現在の閣僚は、公明党の閣僚一人を除いて、ほとんどの閣僚が神道政治連盟国会議員懇談会の会員である。その会長が安倍首相である。(*)
(*)現在、神道政治連盟国会議員懇談会の会員は衆参両議員合わせると303名になっており、全国会議員722名のうち、42%にまでなっている。現在の安倍内閣の閣僚20人のうち、公明党の大臣以外の19名がこの会員となっているのは驚くべき状況である。
このことからわかるように、現在の動きの底流にあるのは、神道なのである。
それゆえに、靖国神社に神として祀られているA級戦犯たちをも 死んだら神々となるとして礼拝するという発想を生み、それが国際的にとくに中国や韓国などに大きな問題をもたらしてきた。
さらに、靖国神社があの太平洋戦争という大規模侵略戦争の陰の推進力の一つとなっていた。
このように、日本における憲法や平和の問題は、日本の神道と政治という問題と深くかかわっている。
日本の将来、どこに行くのか、ということは、神道の観念と深くかかわることになる。
神道では、善悪の判別があいまいである。靖国神社にどんな残酷な方法で中国やアジアのひとたちを殺害したひとであってもまたその指導者であっても神として 英霊―すぐれた霊として拝まれるということがある。
このことは、大いなる良き世界へと導く人間をこえた存在を知らないゆえに、さまよい続けていくであろうということである。
原発の問題も、将来の人間のことを考えるという長期の発想がない。子孫への罪という発想がない。アジアのひとたちへの重い罪という発想がない。
太平洋戦争においても、広島、長崎の原爆投下、東京大空襲などをやったアメリカが悪い、という被害者としての想起が中心となりがちで、中国やアジアの無数のひとたちへの重い罪とその悔い改めという発想が乏しい。
その点で、アメリカのオバマ大統領は、太平洋戦争のときにアメリカ政府による日系人の強制収容の歴史を記憶に留めるこめにハワイのオアフ島にある収容所跡地を、国の指定史跡に指定した。これは「過去の過ちを繰り返さないため、アメリカの歴史の痛ましい部分の記念となる」と、その指定への考えを語った。
それは、罪を繰り返さないためにこそ行なわれるということなのである。このような罪への深い認識と反省は、やはりキリスト教精神から来る。
神道の信仰は、古事記の内容に深くかかわっているのはそれを読めばすぐにわかる。神道は教典がないが、その教典に近いといえるのは古事記だといわれるとおりである。このような神道が底流にあって、天皇を神格化していくことのはじまりが、とくに明治維新のときに前面に押し出された。維新―新しいというが、実は古代の神道重視をもち出したのである。
1868年1月3日に江戸幕府は廃止され、新政府(明治政府)が設立された(王政復古)
1868年2月に、明治政府は、神祇官というのを作った。明治いう元号となって2年目の(1869年)6月には、神祇官は太政官から独立して、行政機関の筆頭に置かれた。
このように、最初の明治政府の仕組みでは、神祇官というのを最高位に置いた。その後、その地位を下げたが、明治になったその年に、最初に決定した重要事項のひとつとして、一世一元制度がある。
それがいかなる問題点をもっているのかについては、「いのちの水」誌でかなり詳しく書いたことがある。(2005年5月号)
ここではごく簡単に触れておく。
それは、天皇が現人神であるということを民衆の心に刻みつけるための方策であった。時間をすら権力者が支配しようと考えたのは、中国の漢の時代にはじまる。しかし、個人の名前を時間を数えるときのもとにおくということは、世界的にも現在どこにも行なわれていない。それは考えられないことであるからだ。 例えば、アメリカで、大統領が変るたびに、公文書などすべてが、ブッシュ〇年、オバマ〇年などと表記を変更するなどということをだれが考えるだろうか。
日本においても、県知事が変るとその県の公文書の年の記載をすべてその知事の名前に変更するなど考えられないことである。
ところが、日本ではそのような世界のいかなる国でも考えられないやり方で、天皇という個人の名で、公文書の時間を表記しているのである。
厳密には、例えば昭和というのは、天皇の死後の諡(おくりな)であるが、個人名として昭和天皇というように用いられる。それゆえ昭和〇年というのは、昭和天皇の支配の〇年目という意味を持っているのである。
「君が代」を強制的に歌わせることも、現人神である天皇賛美の歌としてであった。元号も強制的、日の丸も皇室の先祖神とされる天照大神を表すとされていたし、祭日というのも、つぎのように天皇に関する日であったが、現在の多くの祝祭日の起源も今なお天皇に関係している。
1.建国記念の日
2.春分の日・秋分の日(春季皇霊祭・秋季皇霊祭が起源)
3.昭和の日
4.みどりの日(もとは昭和天皇の誕生日である4月29日だった)
5.海の日(明治天皇が「明治丸」で航海し、横浜港に帰着した日)
6.敬老の日(欽明天皇が養老の滝に御幸した日。)
7.文化の日(明治天皇の誕生日。旧「明治節」)
8.勤労感謝の日(皇室行事の新嘗祭の日)
9.天皇誕生日
10、元日 これは天皇が四方を拝する日。
日本は、古代から天皇を神々のうちに含めている。キリスト教が入ってきてからは、「神」という観念に、絶対的な支配権を持つ存在というのが混入してきた。
太平洋戦争は、天皇を現人神としてその神のために命を捧げるということが主張された。そして戦死すれば靖国神社に神として祀られて天皇が礼拝にいく尊い存在となるとされた。
それがあのように悲惨な戦争となっていった。
太平洋戦争の終結においても、天皇の地位を守ろうとしていた。
戦後は天皇は人間宣言をしたが、保守的政治家たちが、元号法案をはじめ、「君が代」の事実上の強制など じわじわと天皇にかかわることを用いようとしている。
天皇とは人間である。移り変わる存在である。
そのような存在を第一の存在とするとき、将来的に考えても、日本人および日本はさまよい移ろいゆく存在となりかねない。
古事記を見るとき、そこで表れる神々は、人間を導く存在であるだろうか。
神話を根源に置くときには、到底 そこに表れる神々は日本人全体を導くことなどは考えられない。
導くものがなかったら、さまようのみ。
日本の前途はどうなるのか。
旧約聖書の代表的預言者の一人であるエレミヤは、国が滅びる状況にあって、滅びず、動じることもない神をあおぎ、神に立ち返ることを繰り返し語った。
こうした問題の最終的な解決のためには、永遠の正義や真実、愛といったものを完全に持っておられる全能の神とその神が送られたキリストを中心とすることである。
私は、山に向って目をあげる。
わたしたちの救いはどこにあるのか
それは天地を創造した全能の神にある。
主イエスが教えられたように、敵対するものをも愛し―それはその人たちが最善の者になるようにという祈りであり、自らの罪を深く知ること。そして、単純にだれにでもできること―愛と真実の神を仰ぎ望むという単純な道こそ、今後いかなる事態に陥ろうとも、私たちの未来を常に開いてくれるものである。
7月23日、北海道から青森にわたり、そこでは、近畿無教会・キリスト集会にも参加されるようになった岩谷さん宅での家庭集会がなされた。そこには数十㎞離れたところからの二人の方が参加された。そのうちの一人は、今から24年前に徳島で開催された、無教会のキリスト教全国集会に参加された方で、四半世紀ぶりに、青森の地でお会いすることができるようになった。岩谷さんは、若き日に、濃硫酸を顔面に浴びせられ、たとえようのない痛みと苦悩の日々がその後続くことになった。私は化学系であったので、濃硫酸に関してはいろいろと実験で用いていたから、それが皮膚に浴びるとどのようになるか、じっさいにいろいろな実験をやっているからよくわかる。
それが皮膚に浴びせられると、その強力な脱水作用で、顔の皮膚やその下部組織のタンパク質などを構成する水素と酸素が、水分子の形で抜き出される―脱水されることになる。それはその組織の決定的な破壊となる。
濃硫酸を紙や布に注ぐと、その脱水作用でたちまち、真っ黒になり、どろどろになって溶けてしまうほどであるから、それが皮膚に注がれると致命的な破壊が皮膚に生じてしまう。当時は戦後まもないころであったが、遠く東京に出て、その方面ではもっともすぐれたとされている病院にて数十回も顔面に皮膚の移植手術を受け、激しい痛みと絶えがたい精神的苦痛を長期にわたって受けられた。
その後もさまざまの経過をたどってキリスト教に出会い、その苦しみはキリストの愛とその力によって越えていくことができたとうかがっている。
その後、山形県の鶴岡市に向う途中の山―秋田駒ヶ岳(標高1623メートル)に登り、縦走路の一部を歩いた。車とバスで8合目まで登れるのでそこからすぐにさまざまの高山植物に出会うことができる。移動の途中なので、時間も体力もその登山のために注ぐことはできないのでこのような山の存在はとても恵みとなる。 そこで撮影した高山植物の写真は、インターネットで希望者に送付している「今日のみ言葉」に用いてきた。
そのような東北の高山に登ることは生涯できない方々が大多数であり、その方々のために少しでもそうした高山植物の雰囲気を知らせることができたらと願いつつ用いている。
山々の静けさ、その不動の姿、そしてそこにある清い大気や澄んだ青空と流れていく雲―人の多く歩く道とは異なるルートを今回はたどった。雨であったこともあり、八号目を出てからその登山道をたどりはじめても誰一人出会うことはなかった。まったく展望はきかなかったが、高山の貴重な植物たちは私をむかえてくれた。深い霧と雨、そして強い風ゆえに、稜線では歩くのもたいへんなところも一部あった。 しかし、そうした厳しい大自然のなかで、一人包まれている状況は忘れがたいものだった。
山の経験がないときには、そうした気象状況でしかも初めての山々を一人でたどることは危険であるが、若きときからのいろいろな山行きでこうした経験もよくあったことで地図での読図の経験も重ねていたのでこうしたときでも初めての道であっても目的の地点を通って行くことができた。
私にとっては山は若き日のときから、神の大きさ、その清さ、力、美―等々を直接的に教えてくれる場であった。そこに流れる渓谷の美しさ、そしてその清い水の流れ、そして展望のよいときに見渡せる山なみ―そうしたもののただなかにいるときに主をあおぐとき、いっそう神の国のことが迫り、自分の卑小さを深く知らされ、御国への強い憧れと希望、そしてそのような清くて力ある世界を来らせたまえ、と自然に祈りの心へとうながされる。
鶴岡市での佐藤さん宅では、今回も初めての参加者があった。私たちの徳島でもふだんの集会には参加しない人が、特別集会のときには参加される人がある。いろいろな集会を開くことによって神がそのように導かれる。
今回の集会で、大学の農学部で長く教えてこられたSさんが、み言葉に聞くことについてつぎのように感話をのべられた。
…今日のこと(神の言葉に聴くこと)、短い単純なことだが、すごく大事なことなんだと。37年も大学でいて学生とつきあっていると どうしても物事を 議論とかで分析するのが当たり前になり、聖書もそういう目で見てしまう。 そういうなかで、議論したり意見したりするのでなく、書かれていることに単純に耳を傾ける―そういうことが私に欠けてるのでないかと…。
マタイ福音書の山上の垂訓では学生時代から聖書読んでいてその山上の垂訓の「右の頬を撃たれたら 左の頬をだせ」というのは、すぱっと心にはいってきたのをおもいだす。
今日話されたこと―大事なことは耳を傾けて聞くというのがいかに重要か。創世記なんかも 神の言葉というより、神話でないかとか考えたりした。 今年の横浜での冬季集会(キリスト教独立伝道会主催)のときも 夜の部屋の人たちとの話し合いで、疑問に思うことを いろいろみんなに問いかけたり、議論した。 しかし、他方で、議論、批判、理屈より 聖書に書かれている言葉をまず 何を伝えようとしているのか―と謙虚に耳を傾けることの重要性を思った。…
私たちは誰でも、学校教育や一般の社会での生活のとき、自分でよく考え、議論し、意見を出し合い―ということが最も重要なことだとされてきて、それはごく当然のことだと思ってきた。
しかし、そうした「自分」が中心になる姿勢は決して最も人間として望ましい姿勢ではない。
そのことは、私自身も、大学4年の5月末まで思ったこともなかったし、そのようなことを言う人はだれもいなかった。
人間として最も大切なことは、自分や他人という人間をこえた存在―神からの言葉に聞き入ることなのだ、と知らされた。
人間は、その人の個性、環境、民族、また時代によっても常に変わっていく。変ることがないのは、ただ神の言葉のみである。
主イエスも言われた。
…天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
(マタイ24の35)
つぎの山形市での集会でも、初参加の方があり、とくにそのような初めての参加者にみ言葉がよりいっそう強くとどまりますようにと願った。
そのなかで Tさんが言われた。
…去年は み言葉の重要性が強調された。
「福音と預言」ということで考えてきた。無教会の塚本虎二は、いまは福音の時代だといって政治問題、社会問題への発言は少なかった。
今日の話を聞いて 「預言」を落としたのでない、とわかったのでたいへんうれしく思う。
社会的問題は、吉村さんは教員であった時代から関心をもって抵抗もしてきたのでそれをふまえたうえで、去年はみ言葉が大事だと言われたのだと思った。
聖書は漢語と日本語で書かれているということ―私は国語教師なので、そういうことなのかと改めて認識した。
ギリシャ語、ヘブル語などにさかのぼって調べると、日本語に翻訳された聖書からではそれを読むだけでは十分な理解ができない場合があるのだと知らされた。単語ひとつであっても もとの意味がわかると いかに日本語を通して受け取っている意味と内実がちがうかを知らされた。
恵みと平和 という意味も、日本語としての意味と比べると、聖書ではそれと異なる意味をも含んでいる。なぜキリシタンたちが 家族がころされることになっても信仰を捨てなかったかの根源を知らされた。しかし、自分はそんな力が与えられていないので さらに与えられたい。…
(以下次号)
船井万亀子さんのこと―徳島短歌連盟の追悼号より
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船井万亀子姉は、私たちの徳島聖書キリスト集会で長くキリスト者とての歩みをされた方です。今年2月に87歳で召されましたが、信仰とともに短歌もよくされた方です。1994年から10数年間、「徳島短歌連盟」という短歌愛好者の集りの発行所と編集長の役割もなさっていました。ご夫君も医者ですが、お父様も医者かつ短歌もよくした方で、その徳島短歌連盟の創設に加わった方とのことです。
次にあげる短歌には、戦前と戦後の混乱期を生きてきた船井さんの反戦への思いが込められています。
・戦死より選ぶ他なき青春のありしを子らに切々語る
・開戦そして敗戦 戦後復興つぶさに見しわれのひと代は
・その一生銃とるなかれ夏にうまれしみどりごの手に触れつつ思う。
徳島短歌連盟から、船井万亀子さんの追悼号(2015年6月)が発行され、そのなかでキリスト者でない方々からの追悼文が掲載されています。その一部から引用します。ここに最初にあげた方は、船井さんが残した讃美歌にかかわる二つの短歌をあげておられます。
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・秋風のやさしき九月母を偲び 姉妹揃ひて讃美歌うたふ
船井さんは熱心なクリスチャンだった。
・父母と同じ讃美歌に送られて姉の告別式終りに近づく
船井さんもまた、大勢の親族の方々や、参列者に見送られて厳かな讃美歌で送られた。(T・Tさん)
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…著名な父上と病院長までなさってご主人の奥様であったが、威張ることなく、こまやかな心くばりを普通にしてくださるお人柄で、楽しく共有できた時間は私の心にずっと残ると思います。
ご主人やご家族を愛し愛され、最後は医師のご主人に手をとられて、神のみもとへと旅だたれた船井万亀子さん、ありがとう。(A・Uさん)
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…〇〇先生が浦和に転居され、その後の発行所を引き継がれた船井さんは徳島短歌連盟の救世主であられたとおもいます。誠実温和の方でありまして、いろいろな思い出がよみがえってきまして胸の熱い思いでした。
…私にいつも船井さんは優しく声をかけてくださいました。船井さんと私には二つの共通点がありました。一つは名前で まき子です。
もう一つは共通の友人Kさんです。船井さんはそのKさんと日曜礼拝の教会(徳島聖書キリスト集会)でお会いして、共に祈りを捧げられ語り合われる存在でした。私とKさんとの関係は、以前職場(教師)で上司としてお仕えしまして心より信頼申し上げご指導をいただいた方であります。…(M・Nさん)
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…ご一家は敬虔なキリスト教を信仰されて、一度お二階の編集室に参上しおもてなしを受け、あたたかいご慈愛のあふるるお人柄に感動いたしました。歌集より心に沁みた二首。
・連盟の表札重きを掌に受けぬ師の家にいて引き継ぐ朝
・秋草のやさしき九月母を偲び姉妹揃ひて讃美歌うたふ
数々の恩恵に感謝し心よりご冥福をお祈りいたします。(S・Sさん)
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…その地の風土に親しみ病む人々を慈しまれ優しい思いやりのお心を歌に詠まれています。
・重病の心身障害児ら相寄りて小児病院の成人式あぐ
・小児病院のチャイム朝夕に聞こえ来てわれの生活のリズムとなれり
以上、歌集「ゆりかもめ」より抄出させていただきました。…(Y・Fさん)
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…船井 万亀子様は、不二子(母)が徳島を去ってから最期まで、ずっと変わらぬ愛を持って接してくださいました。お優しい気配りで約百通のお便りや三月の誕生日には毎年美しい花をお届けくださり、どんなにか母は励まされたことでしょう。…(I・Hさん)
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…御葬式に出席させていただいてびっくり「故船井万亀子葬儀」りっぱなご主人をはじめ、息子様、そしてキリスト集会の方々と「消えてなくなったのではなく」船井様の生涯は心を磨き、体を動かせ、聖書讃美歌を歌い学ばれ人を愛し人から愛された、人生だったと思います。
天の神祈ります。
憐れみと祝福を
その民を一つとし
愛される
み神よ(讃美歌より)
(T・Yさん)
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(*)この文を書かれた方は、葬儀のときの聖書からのメッセージで、私が話したこと「死んでも消えてしまったのでなく、天にて復活し…」や、葬儀のプログラムに印刷されていた讃美歌21の354番の讃美歌をそのまま追悼文に引用されています。
葬儀によってまだキリスト教を知らない方にもこうした讃美歌などをも通しても少しでも福音が伝わることをまた、天におられる船井さんも望んでおられたことと思います。
なお、この最後にあげた方のすぐ横の頁に、この徳島短歌連盟会員である私の従姉の短歌と文章が掲載されていたのにもふしぎな思いでした。彼女にも船井さんのように信仰を持った歌人となるようにとの願いがいっそう起こされたことです。
〇「祈りの友」合同集会
例年のように9月23日(水曜日、休日)午前11時から午後4時まで、徳島聖書キリスト集会場にて。
参加申込は、貝出まで。
内容は、聖書からのメッセージ、自己紹介、昼食と交流、午後3時の祈り。 会費は500円(弁当代)なお、申込なしでも、弁当持参で参加できます。
・今年の無教会全国集会は、10月に千葉県で開催予定です。
その次の2016年の全国集会は、徳島での開催となります。期日は、10月でなく、5月となっているのは、かつての四国集会で、台風の襲来があって交通機関が途絶してほとんどの人が来られなくなったことがあり、また、福岡での全国集会のときもそのような状況となって、遠隔地からの参加が困難になったこともあり、そのようなことを避けるために、春に開催しています。来年の無教会全国集会の開催期日は、5月14日(土)午前10時~15日(日)午後4時までです。
連休明けで交通機関が空いていること、季節のよい時期であり、体力のない方々にも参加しやすいこともあります。
会場は、3年前に四国集会の会場となった、徳島サンシャイン・アネックスです。(アネックスとは別館の意であり、本館も併設されています。)
電話番号、メールアドレスの変更
〇近畿地区無教会キリスト集会が今年も、8月29~30日の二日間、京都の修学院の関西セミナーハウスにて開催されました。大阪の宮田、那須さんたちやそれぞれの方が責任者となっておられる集会の方々の主にある熱心で開催され感謝でした。
遠く青森や東京、神奈川、島根などからの参加者もあり、55名ほどの参加者がともに一つにされての集りとなり主の導きと恵みを多く受けました。
〇前月は原稿を書く時間が取れなくで、そのために簡略な内容となり、さらに集会だよりやメールでの今日のみ言葉、印刷版の今日のみ言葉なども発行できなくなりました。このようなことは初めてでしたが、今後もそのようなことがあるかもしれません。
集会だよりによって聖書をその該当個所を学んでいるという何人かの方々から、問い合わせがありましたが事前に連絡もできなく申し訳なかったです。